2010年代ケータイ小説のニュースタンダード――沖田円『僕は何度でも、きみに初めての恋をする。』

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 Yoshiの『DeepLove』がヒットしたのが2002年、美嘉の『恋空』書籍化が2006年。その後はWikipediaにすらケータイ小説の「ブームは終わった」と書かれた。たしかに100万、200万部クラスの作品はなくなった。しかし、スターツ出版が運営するケータイ小説サイト(と言ってもアクセスの大半はスマホに移行しているが)「野いちご」は小5から中2までがボリュームゾーンで月間ユニークユーザー70万(2016年時点)。中高大学生にも一部に根強いファンを持つ。書籍化作品は重版するものも少なくない。映像化に頼らずとも安定して回るジャンルとして、今も続いている。
 2015年12月に縦書きの文庫で刊行された沖田円『僕は何度でも、きみに初めての恋をする。』(通称『ぼくなん』)は発売3か月で16万部。櫻いいよ『君が落とした青空』は横書きの文庫で6万部まで到達したのち縦書きでも刊行され、さらに4.5万部売り伸ばすなど、新たなヒットも現れ始めている。
 内容面から見ても、「実話をもとに書かれた」と銘打った、性的暴力や妊娠、難病による死などを扱ったジェットコースター的な物語という2000年代のイメージは完全に過去のものだ。
 沖田円の『ぼくなん』は1日で記憶が失われる男子と恋をする少女の物語であり、『君が落とした青空』は恋人の事故死を救うために苦闘する女子高生を描いたループものである。
 大人が眉をひそめるような過激さは微塵もなく(そもそもセックスシーンがない)、いずれもリリカルな青春恋愛小説だ。この健全さは、各種統計に表れている昨今の若者の性交率低下も関係あろうが、「野いちご」が18歳未満の子どもが読むことに配慮して運営されてきたことも大きいようだ。
 また、文字の組み方もかつてのようにスカスカしたものではなく、小中学生が読む作品でも横書きで300ページを超えるものも少なくない。『ぼくなん』『君が落とした青空』の書籍版は「野いちご」で触れていなかった層(いわゆるライト文芸のファン)にもリーチし、15~25歳の女性7割、男性3割、とくに高校生、大学生層に購買されている。
 もっとも、記憶ものやループものとして新機軸の設定があるわけではない。『ef』や『一週間フレンズ』、『僕の頭の中の消しゴム』などに触れてきた人間には「テンプレ」に映るかもしれない。おおげさでケレン味ある展開をするわけでもないから、起伏が乏しいと思う人間もいるかもしれない。
 しかし、これらの作品の主眼は、設定をこねくりまわして驚かせることにはない。そこで描かれる心情の機微、初々しく瑞々しい恋愛模様にこそあるのだ。そう、沖田円最大の魅力は、何気ない日常的なことすらも情感をまじえて繊細にすくいとることのできる文体にある。

 変わらない毎日。勝手に過ぎていく毎日。意味のない毎日。嫌なことだけが積み重なって繋がっていく。
 空を見あげるのが癖だった。空を見て、何かを思うわけじゃないけれど。ただ、汚いものばかりの中で、空だけは澄んで透明だから、見ていると落ち着いていろんなことを忘れられる。
 心臓の奥がぎゅっと苦しくなったりするとき、わたしはそうして空を見あげた。からっぽにすると楽だった。

 2000年代のケータイ小説と『ぼくなん』に何か共通する点があるとすれば、こうした文章に立ち現れてくる叙情性以外にはないだろう。
 そしてこうしたタイプの作品が、一般文芸の小説新人賞で通るかといえばおそらくは通らない。「大人が読む」ことを前提にした選考がなされるからだ。『ぼくなん』はあきらかに若いひとを相手に書かれた小説だ。それは欠点ではなく長所だが、全国民の平均年齢を取ると約50歳になる高齢化国家・日本においては、こうした作品がエスタブリッシュメントから評価されることはない。「野いちご」という若年者向けのプラットフォームがあったからこそ出てこられた才能だと思う。
 しかし再びケータイ小説発の作品が、クチコミによる草の根の支持からボトムアップでスターダムを駆け上がる可能性は、今も十分にある。

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