「リアル脱出ゲーム」論――ミステリと体験価値

〈取り上げる本〉

・SCRAP『ふたご島からの脱出 少年は戻りたいと思った。少女は救いたいと願った。 (脱出ゲームブック)』(リットーミュージック)

https://www.amazon.co.jp/dp/4845621967/

・川上慎市郎、山口義宏『プラットフォームブランディング』(ソフトバンククリエイティブ)

https://www.amazon.co.jp/dp/B00DSG7I8K/


■「推理体験の楽しさ」を提供する「リアル脱出ゲーム」から得られるもの
 ミステリファンなら、推理することの楽しさを、謎が解けたときの興奮を、少なからず経験したことがあるだろう。
 ミステリ作家もそうだ。幼少期にエラリー・クイーンを読んで「読者への挑戦状」に挑み、自ら推理したという体験を語る人は多い。不可解な謎に興味を抱く―深まる謎と提示される手がかりからあれこれ推理する―挑戦状により促され改めて情報を整理し、推理する―あざやかなる解答編の手つきに舌を巻く、という流れ(顧客体験フロー)の楽しさを味わえば、ミステリを偏愛するようになる。
 こういう推理体験の楽しさを、非ミステリファンに対しても開拓しているエンターテインメントが「リアル脱出ゲーム」である。
『グーニーズ』にハマって幼少期に少年探偵団を組織したこともある株式会社SCRAPの加藤隆生によって開発されたリアル脱出ゲームは、“参加型謎解きゲーム”である。参加者は現実世界のある場所に集められ、ヒントを元に集団で謎を推理し、制限時間内に脱出を試みる。原宿、渋谷、東新宿、京都に常設の「脱出ルーム」が用意されるほど人気を誇り、今年は年間動員数三〇万を見込む[※いずれも2013年の本稿執筆時点の情報。以下同様]。
 リアル脱出ゲームが、ミステリ小説に与える示唆は何か。
 リアル脱出ゲームはミステリである。ユーザーは謎解きを楽しむ。謎は、手がかりを使って思考を投入すれば、解ける(難易度は高めだが、フェアだ)。ロジカルに解けるというより“とんち”やなぞなぞのような問いが多いが、やってみると、おもしろい。
 リアル脱出ゲームが、顧客に対し独自に提供している価値は何か? ある限定された空間で、制限時間つきで推理をするという「物語の中に入ったような」体験だ。謎に対して頭をひねって行動していくと、少しずつ秘密が明かされる。その楽しさを、書斎やリビングではなく劇場や球場で、自分たちが主役であるかのように集団で味わえる。

 このように謎解きに時間や空間的制限を設け、限定感/イベント性と体験価値を高めることは、小説では難しいかもしれない。
 しかし、リアル脱出ゲームはゲームブックにもなっている。二〇一三年二月に刊行された第二弾の『ふたご島からの脱出 少年は戻りたいと思った。少女は救いたいと願った。』も現状で実売は一万六〇〇〇部以上とゲームブックにしては破格の売れ行きだ(前作も同様)。とすれば書籍で展開するミステリにも応用できる何かがあるはずだ。ゲームブック版の独自な提供価値は、“家でもできるリアル脱出ゲーム”だろう。イベントに参加できない人、参加した楽しみを振り返りたい人が、自宅で推理体験を味わえる(オンラインゲーム版やTVと連動したリアル脱出ゲームTVもそういうものだ)。SCRAPのゲームブックにあって、凡庸なミステリ小説(以下、凡ミス)が用意できていないものは何か。顧客がお金を払ってもいいと感じ、満足度に影響がある重要な違いは何か。

■ブランド体験価値のデザイン――体験の魅力度×時間・量×一貫性
 それを考えるために、川上慎一郎・山口義宏『プラットフォームブランディング』を参照してみよう。同書は、

消費者によるブランドの評価

=顧客に対して与える体験の魅力度×体験の時間・量×体験の一貫性

だと説く。リアル脱出ゲームも「ブランド」だ。ミステリ小説ならシリーズや作家名、レーベルがブランドにあたる。TVCMや口コミといったプロモーションによる認知から購買、消費に至るまで、買う前から使い終わって誰かと感想を共有するまでのあらゆるプロセス(顧客体験フロー)で、顧客の心理にブランドに対する印象、記憶がつくられる。

 ブランドとは記憶である、と同書は言う。ブランドに対して抱く記憶や連想の体系がポジティブなものには、顧客は喜んでお金を払う。イメージがネガティブなもの、一貫しないもの、記憶や印象がそもそもつくられていない(購買の選択肢に入っていない)ものには払わない。「作家買い」するときの心理を思いかえせば「ブランドとは記憶である」という主張は受け入れやすい。
 この観点に立つと、リアル脱出ゲームと凡ミスの違いはクリアだ。
「推理を強制するしくみ」「期待と感想の醸成」「枯れた技術の水平思考」の三つである。

顧客に対して与える体験の魅力度×体験の時間・量

に関わる違いだ。順にいこう。

■推理を強制するしくみ――ミステリの提供価値(体験価値)とは何か
「推理を強制するしくみ」は、リアル脱出ゲームの体験の魅力度に寄与している。参加する人間は謎解きをしたくて応募し、制限時間内にクリアすることをルール上、強制される。これは『逆転裁判』などのデジタルゲームでも提供されている特徴だが、書籍のようなアナログなメディアでも実現したのがポイントだ。謎が提示され、推理すると少し謎が解け、また新たな謎が出てきて推理して……というプロセスのおもしろさ。プロットや提示される謎が複雑すぎて、謎解きパートに入るころにはどんな事件だったか憶えていない(憶えられない)凡ミスには、小出しな謎―解明の快楽が欠けている。ソーシャルゲームの隆盛を見れば自明なように、少しずつ確実に進んでいる実感が得られる娯楽、マイクロコンテンツの連なりが今日では好まれる。謎やプロットを複雑にすれば満足度が上がるとは限らない。SCRAPの加藤は「謎を複雑にするのは簡単だが、脱出率を全参加者の一〇%くらいに調整するのが難しい」と言っていたが、それくらいの難易度が「また参加したい」という気持ちを沸き起こすのにちょうどいいと心得ているわけだ。リアル脱出ゲームは「推理体験の楽しさをデザインする」という姿勢が徹底されている。
 もちろん、ミステリ小説の提供価値は「推理体験の楽しさ」とは限らない。物語として深い感動を与えることを主眼にしたミステリもある。ほかにもたとえば松岡圭佑作品なら、キャッチコピーである「面白くて知恵がつく 人の死なないミステリ」になるだろう。推理体験の興奮をウリにするにせよ、違う何かを提供価値として設定するにせよ、一貫した体験フローが設計されていることが顧客にとっては重要だ。その違いが、体験の魅力度を、ブランドに対する記憶を形成する。設計した顧客体験フローは多くの人間が満足しそうなか、興味を引くか? がキモだ。というわけでリアル脱出ゲームが「期待と感想の醸成」に長けている、という話に移る。

■期待と感想の醸成――作品づくりから体験価値のデザインへ
「この小説、おもしろいんだけど売れないんですよね」とは、出版界では時候の挨拶と化している。読むとおもしろい作品が、どうして売れないのか。中身の勝負以前に、「おもしろそうかどうか」という事前の期待感の醸成(ポジティブなブランド記憶、連想の形成)に失敗しているからだ。やってみたら「おもしろい」は当然として、まず「おもしろそう」と思われるかが重要だ、と加藤はよく言う。
 千数百円から二〇〇〇円代で販売される四六判単行本のミステリ小説の売上高は年々落ちている。
 他方のリアル脱出ゲームには前売りチケット二八〇〇円、当日券三三〇〇円を払えるひとたちが累計二〇万~三〇万人規模で存在すると推計されている。ユーザーに謎が提示され、なんらかの方法で解かれてオチがつくことを提供しているミステリ小説市場の凋落の原因は「高いから売れない」などという値段の問題ではない。
 プロモーション量(顧客体験の量)の問題? リアル脱出ゲームはTVでもやるくらいに知名度が高くなった。だがもともとSCRAPは長らく広告宣伝費ゼロ。営業スタッフは今でもいない。注目されるコンテンツをつくればおのずと人は集まり、声がかかると信じてやってきた(この思想自体は、出版界でもよく聞くフレーズだ)。
 プロモーションの質、見せ方の問題? これはありうる。凡ミスは、提供価値を顧客に適切に伝えられていない。だから露出量が多くても売上が伸びない。つまりそもそもの提供価値の問題である。
 訴求すべき体験価値とは何か。多額のマネタイズができるミステリの価値とは何か。それを考えるには、まずターゲットとなるマーケット(読者像)を定め、そのひとたちが娯楽に対して潜在的に求めているものが何で、どうすればそれを満たせるのかというバリュープロポジション(提供価値)を明確にする必要がある。もちろん「推理体験の楽しさ」以外にも、いくらでも切り口はあると思う。
 顧客は、小説あるいは本という「モノ」にお金を払うのではない。作品を認知し、購買し、口コミしたりtwitterでつぶやき誰かと対話するまでの一連の「体験」全体を想像したうえで、お金を払うかを考える。小説そのものの出来が、満足度のすべてを決めるわけではない。買ってもらう前から勝負は始まっている。いかに認知され、選んでもらうか。

 つまり「顧客体験をデザインする」という視点に立ってミステリという営みを捉えてはどうか。作品の中身をつくることのみに注力しても、事前の期待感の醸成にはつながりにくい。
 また、SCRAPの加藤は、ゲームが終わったあとに参加者同士が飲み屋で感想を言い合ってもらえるのが嬉しい、と言う。謎のネタバレはせずに、しかし口コミが広がりやすくなるようなコンテンツづくり、オペレーションを徹底している。事後の感想の醸成、という視点も「小説/本をつくる」とだけ考えていては抜け落ちがちだ。
 作品のクオリティはむろんのこと、触れる前と触れた後の顧客の行動を捉える「期待と感想の醸成」に、SCRAPは長けている。

■枯れた技術の水平思考――チープなオールドメディアも視点次第
 リアル脱出ゲームと凡ミスの違いの三つ目は、提供価値自体ではなく発想法にある。「枯れた技術の水平思考」だ。これは任天堂でゲームウォッチやゲームボーイを開発した横井軍平が唱えたものである。「終わった」と思われているチープな技術も、見せ方、使い道次第で顧客に刺さる。ゲームでも家電でも小説でも、作り手はスペックや複雑さを志向しがちだ。でも客が求めているものはそこか? シンプルに、しかし斬新な体験を提供できないか。SCRAPの加藤は横井を敬愛し、八〇年代に流行するもその後マニアのものと化していたゲームブックという形態でリアル脱出ゲームを展開したのも、「枯れた技術の水平思考」に基づく。そもそも開発に数億円かかるデジタルゲームをつくれる資金のないSCRAPが、どうしたらデジタルゲームに勝てるおもしろいものがつくれるか? を軍平マインドを使いひねりだしたのがリアル脱出ゲームだった。
 小説、ミステリ、本……どれもある種やり尽くされたと思われているオールドメディアでありジャンルだが、「枯れた技術の水平思考」を使えば、あたらしい体験をつくれるはずだ。

■まとめ――あたらしいミステリ体験をブランディングするために
 あたらしいミステリ体験デザインのためのポイントは以下だ。
・「ミステリ」というジャンルでくくられているその作品、作家独自の提供価値は何か。顧客に対して一貫して打ち出している(打ち出したいもの)は何か。それは顧客が重要だと思っていることか。その重要な部分で、ほかの何かより優れた「差」を持つか
・作品をなんらかの経路で知って(事前期待)から、買って読んで感想(購買後の口コミ)を世の中に放つまでの顧客の行動プロセスを認識し、体験フローをデザインする
・右記二つに際し、謎と解明のしかけづくりなど、ミステリファンの武器を使う。「枯れた技術の水平思考」(横井軍平)でも「論理のアクロバット」(都筑道夫)でも、使えるものはなんでも使えばいい

 ミステリ業界にはアイデアメイカーが無数にいる。「小説」から「体験」を視点を変えるだけでも、顧客にとって刺激的な切り口が無数に生まれうるはずだ。

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