長期休暇、雨の日、それからライナーノーツ。



家から一番近くのイオンで買った温めるだけのおかずセットが美味しかったから、今日はそれだけでいい日だ。

とは、思えなかった。

朝、カーテンを開けるとしとしと降りの雨で、あぁ、と思ってすかさず二度寝した。次に起きたときには雨はやんでいたけど、PCの前に座っていたらまた降ってくる。

気が重い長期休暇の幕開けが、さらにずしんと重くなる。


最近はずっと漫画『かぐや様は告らせたい』を読んでいた。1巻から順繰りに読むのではなく、気になったところから目を通して、進んだり、戻ったり。

だが気がつくと隅々まで読んでしまっていて、終わっちゃった、と思った。なんだか切なくて、途方に暮れた。

休日を楽しめないことが増えた。

平日の仕事やプライベートのあれこれに引っ張られて、体は休日に足を突っ込んでいるのに頭だけが置き去りのままで、まるでデュラハンみたいになっている。

2~3年前まではこうじゃなかった、と思ってみるけど、もともとこういう気質・性格だったような気もする。

もっと強く格好良く、スイッチを切り替えて生活できたらいいのだけど。それができないからこうしてnoteにも書く羽目になっている。


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好きな書き手さんがいる。その人の記事を読んでいると、この方はどうしてこうも強く格好良いのだろうと考え込んでしまう。

人に媚びず、素直で、よく考え、よく書く。

嫌になるほど自分にはないものばかり持っていて、嫉妬すらできない。妬み嫉みとは自分にとって近い者にしか生まれない感情なんだなぁとつくづく思った。

その人が「人生とはこうである」と言えば「なるほど、そうかもしれない」と思うし、「わたしはこれをしない」と言えば「なるほど、わたしも見習おう」と思う。それくらい力のある文章で、わたしはスポンジみたいにその人の言うことを吸収していた。

だがそうすればそうするほど、自分の中は空っぽである、とも気がついた。


わたしは、かつて自分を「よく考えている方だ」と思っていたし、それがアイデンティティであった時期もある。

だがそんな幻想はいずれどこかで打ち砕かれるし、打ち砕かれれば今度は「よく考えている方」になるために躍起になって知識を吸収しようとする。

だがそんなものは所詮付け焼き刃で、ガブガブ飲み込んだところで一個一個が頭の中に転がり込むだけ、整理もされていなければ関連性もない。さほど役に立たない辞書ができあがっただけだった。

すると今度はどうするか、悲しいことに「よく考えている方」に見えるように振る舞うことばかり考えはじめる。賢く見られたくて、本当は考え無しであることが恥ずかしくて、隠す方法を覚えて回る。泥沼だ、地獄へ落ちないために他人を蹴落として地獄に落ちる、みたいなサイクルをぐるぐる回っていた。


わたしが人からどう見えているか、自分では鏡を見てもわからない。自分で自分をどう見ているのか、鏡を見てもよくわからない。

空っぽはそう簡単に満たされない。満たされなくて、みっともなくて、どうしようもなかったから、わたしはそれを小説に書き始めた。

エッセイではあまりに露骨で、書けなかった。別の世界の、別の人の、別の誰かへの葛藤くらいがちょうどよかった。

今でもそうやって創作をしている部分がある。書くごとに少しずつ変わってはいるけど、わたしは「うまくできないこと」を書きたかった。あこがれの人みたいに強く格好良い生き方はできないけど、そうできないことが書きたかった。


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休日をうまく満喫できないし、頭の良いことは言えないし、まだ小説もうまく書けない。いつか全部上手になったらなぁ、とは思うけど、そうできないからわたしは書きたいのかもしれないなぁ、とも思った。

それは人に自慢できることでも、強く格好良いことでもないんだけど、わたしはそういうのも好きかもしれない、と考えたら、

「好き」が生まれたらちょっとだけ空っぽが満ちたような気持ちになった。

賢さでもなく、吸収することでもなく、見てくれを整えることでもなく、何かを好きだと思う気持ちがあることがほんの少しだけ気持ちを晴らすこともある。

今日は一日雨だろうか。でも雨の日の散歩は好きだから、いいか。



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小説を書いています。




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