豊かさ。感覚器官としての身体と心に問う。#1

豊さとは何か。
DX(デジタルトランスフォーメーション)の時代にこそ振り返る感覚器官としての身体と心。

僕らは根源的に豊か(恵まれている)である。


今朝も。…
朝日が西側から順に世界に十分に息を吹き込んで、あわや東の山肌にまで光を届けようという頃に、僕はベッドから身を起こす。
ほとんど一年中、苺の収穫から一日が始まる。
冬には冬の、夏には夏の、向かう畑と朝日の時間こそ違えど、やることは変わらない。

何十億年も昔から、地球は太陽の周りをぐるぐると廻り、月は地球の周りをぐるぐると廻る(毎年3.5cmほどずつ遠ざかっているとはいえ)。
おかげで保たれる大気と、そこに降り注ぎ続ける太陽のエネルギー。
それに呼応して創造と破壊を繰り返す生命活動が、今日もまた連綿と綴られていくことに、(それが何度繰り返されようとも)また感動する。
今朝も。…


僕らは根源的に豊か(恵まれている)である。

何をどう考えても豊かである。

自由に揺蕩う水のように、流れて何かと出会えば、また流れを変えて揺蕩う。


苺がなぜ美味しいかって、そのほとんどが水分だからではないか、と考えたりしながら収穫に勤しむ。
今日の対話は水か。…
(苺からなのか、はたまた頭上の太陽から話しかけてくるのか、いつの間にやら彼らとの対話は始まっている)

確かに。
条件が揃えば六角形などを基調とした美しく規則的な並びに結晶を育てたりして空から降臨するという芸当も成し遂げる。
固体であれば体積を少し増やしたり、デジタルに分子の建築を築いていく。
それはそれで素晴らしいのだけど、なんと言っても液体は堪らない。
高いところから低いところへ、広いところから狭いところまで、形を変えて浸み込んでいく様は自由以外の何者でもない。
毛細管現象により、低いところから高いところへの移動さえやってのける。
苺果実の水分は、根から地上部へと引っ張り上げられたものであって、糖や有機酸類を溶かして蓄えている。
幾らかの水は、葉の気孔から蒸散して大気中へと旅立つ。いずれにしても変幻自在な振る舞いは自由そのもの。
それはまた、情報の伝達者としての仕事のためでもあり。

多くの情報を媒介しながら旅する自由は、糖や有機酸類を蓄え、今は苺の中にいる。
苺を食べる時、その中にいる水は彼らが来た道を僕らに伝達する。その旅路で何を蓄えてきたのかを。
嗚呼、水よ。

水のように生きられたら。

今日の対話による気づき。

2020/04/26

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