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異常か、事情か?援助職2年目が思うこと。

今回は、駆け出しの対人援助職(2年目になりました)として思うことを、韻を踏みつつご紹介する記事です。

私には、福祉のことならなんでも相談できる仙人のような知人がいて、その方はスクールソーシャルワーカー、学校を舞台として、子どもと家族、家族と地域を繋ぐ福祉のスペシャリストです。

その方がぽつりと言った言葉が忘れられません。

異常か、事情か、なのよ。

異常か、事情か。これは、周囲と合わない行動を取る人がいた時に、もしくは社会的に従うべきことに従わない人がいた時に、それを異常として切り捨てるのか、その背景にある事情まで理解しようとするのかという視点の問題。教育現場で「異常」として切り捨てられていた子の「事情」に寄り添おうという視点を学校の先生方に植えつけること、それがその方のミッションなんだそうです。

思えば対人援助職1年目の私は、異常決めつけソーシャルワーカーでした。クライエントがやってくる。何か問題行動を起こす。「この子は逃げグセがついている」「こちらが段取りをつけたのになんでフイにするんだ」そんな分析や批判ばかりしてなぜその行動に至ったか、背景にある事情を掘り下げようとしない。そこから自分の対応のまずかったところを振り返ろうとしない、そんなワーカーでした。

異常か、事情か。このシンプルな指摘は当たり前なようで、忘れがちなことを指摘しているような気がしました。

そう、そして異常か事情か、その視点があったからこのtweetが目に止まったのでした。(楓ちゃんは、今春、成人式のお祝いで関わった女の子。また後日レポします。)

福祉の仕事に就いているからクライエントに対して公平ということは全くなくて、どこか下に見ていたり、自分とは切り離して考えている部分があることに、いつも気付かされる。相手の中に自分と違う部分を見つけては、分析したがる。ネーミングしたがる。レッテルを貼りたがる。そんな自分が、本当はいる。

そしていつもいつも、支援を受ける側(とされる人)の言葉に、ハッとさせられる。

その子の行動は、その子のもの。問題でもお試しでも何でもない、その子らしさなんですよね。

自分含め対人援助職と呼ばれる人たちは、悲しいかな、年齢や経験と共に世界が狭くなっていく。一方で、社会は変化し続けるし、子どもや若い世代の生き方やバックグラウンドは益々多様になっていく。

いくら経験を積んでも、異常か、事情か?その感覚というか、視点は忘れてはいけないよなって思います。

みなさんは、どんな視点で子どもたちを見ていますか?

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