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落とした汚れはどこへいく?から宇宙と自分の話

私は掃除が好きだ。
洗剤は、どうせ使うなら環境に配慮したものとか、体に害の少ないもの使いたいと思っている。
何がいいかなあと調べてたらこんな言葉に出会った。

洗剤で掃除しても汚れは無くなるわけではない。付いていたところから落ちて移動するだけ。

すべてがそうじゃないかもしれないけど、中には本当に汚れを分解して分解して小さくして無に近いものにしてしまう物もあるのかもしれないけど、

おぉ!なるほどなぁ!と納得したのです。

最終的に汚れってどうなってるんだろう。

何者かに分解されて、形を変えていくことは想像がつくが、無になることはあるのか。

汚れに限らず世の中の物体は完全に消えて無になることはあるのだろうか。

汚れから、この世の物体にまで考えが及んでしまった。

そして昨日、うん十年ぶりくらいに、
プラネタリウムにいった。

久しぶりのプラネタリウムはそれはそれは楽しかった!

解説員さんの話は楽しくて、やさしくて、
空を見上げるって、星を見るって、なんて気持ちいいんだろうと改めて思った。

今日の夜空の星の解説のほかに、
宇宙のはじまりなんかの話もしてくれた。

そこで、だ。

宇宙を構成している元素と私たちを形作っている元素は同じなのだと知ったのだ。

宇宙が出来て、星が出来て、地球が出来て、
人間が出来たのだと考えれば至極当たり前の話だが、あぁそうだよなと気付かされた。

ようするに、地球上のみーんな、
おおもとをたどれば同じなのだ。
分解して分解して分解して分解して、、、
ゆけば同じ元素なのだ。

汚れは落としてもどっか消えて無くなるわけではないし、わたしたちも死んで灰になっても、完全に消えてなくなってしまうわけではない。

消えたみたいに見えるところから、
また、元素が集まってくっついて
別の何かを作るのだ。

自分がいらないものとか、邪魔なものとか、
汚いものとか、思考とか、
掃除したり、捨てたり、避けたりして、
消して無くならせたように思えても、
世界にはなんらかの形で存在する。
ずっと。きっと。

そして、とうの昔に自分が捨てたそれは、
巡り巡って、時を経て、
いつのまにか自分の大切な何かを構成する1元素になっているかもしれない。

だから、
地球上で起きているあらゆることは、
自分に関係ないことなんてないし、

自分の行動や考えもまた、
地球上のあらゆることに、
なんらか関係しているのかもしれない。

なんだか、そう考えたら
自分が手にしたものや捨てるものに
もっと責任と意識を持とうと思った。
自分に芽生えた感情や考えにも。

、、、長くなってしまったけど、
こういうこと考えだすと、
自分のちっさな悩みとか不満とか
どうでもよくなってることに気がつく。



まあ、とりあえず、
地球にやさしい洗剤を買いに行こう。




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