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シチズン・ポートフォリオ革命

シチズン・ポートフォリオについては、もはや世界的に当たり前のことになってしまったので、日本が最初に始めたということを知らない学生も多いと思う。202*年、総選挙の際、野党も与党も目立った政策を打ち出せていなかった。そこに降って湧いたように「シチズン・ポートフォリオ構想」がバズって話題になった。経済学者や政治学者はメディアの解説に駆り出され、世論はシチズン・ポートフォリオ導入に傾いた。しかし、当初は野党も与党もシチズン・ポートフォリオがなにであるかを理解できておらず、さらにはその評価もできなかったため様子見の状態だった。

シチズン・ポートフォリオは、簡単に言えば国家予算の一部、当時の規定では「10兆円もしくは財政収支の黒字の50%」を国民の投票によって予算を割り当てるというものだ。日本国籍を持つ個人もしくは法人が自由に予算の割り当て先として立候補でき、国民投票の結果に基づいて、財務省はおろか行政機関を通さず、予算は自動的に配分される。正確には細かい規定はいろいろあるが、おおまかには行政を通さず国民が直接国家予算を割り当てる制度と言ってよだろう。
シチズン・ポートフォリオが注目された背景には、経常黒字になっても全く生活も経済も豊かにならず、じりじりと国際競争力も低下していくという現実があった。

与党の若手がこれに飛びつき、雨後の竹の子のように我も我もと与党と野党が入り乱れて賛同を表明し、その年の総選挙はシチズン・ポートフォリオの実施時期と割り当て予算規模が想定になるほどだった。当時の閉塞感の裏返しと言えるだろう。結果として、シチズン・ポートフォリオ関連法は翌年に可決され、すぐに公募が始まった。
10兆円規模の予算があればできることは多い。君たちも知っている通信会社や放送局、新聞社のいくつかは、シチズン・ポートフォリオによって創業したものだ。また、2060年に起きた中部地方地震で当時の政権が復興を諦めた地区のボランティアにシチズン・ポートフォリオから1,000億円以上の予算が割り当てられて急速に復興が進んだことも有名だ。不謹慎な首長が、「1千億円もらえるなら、うちでも地震起きてほしいよ」という発言で炎上し、辞任した騒ぎもあった。
言ってみれば10兆円の宝くじのようなものだったが、低迷していた日本経済はこれで活気づき、世界的な競争力のある事業や文化的に影響力の高い作品が次々と生まれていった。
「なければシチズン・ポートフォリオに応募して作ればいい」という発想が当たり前になり、国民ひとりひとりに自分でもなにかできるという意識を芽生えさせることになった。

その成功を見た各国が次々と真似をするようになり、今ではどこの国でもシチズン・ポートフォリオ制度を取り入れている。もっとも、日本のように国家予算の三分の二まで割り当てている国はめったにない。このおかげでもっとも影響力のある官庁だった財務省の力はみるみるうちに衰えた。

以上がシチズン・ポートフォリオのあらましだが、その内容は各国によって大きく異なる。EUとASEANは、地域経済圈としてのシチズン・ポートフォリオを持っており、その投票時期はヨーロッパ全域、東アジア全域がお祭り騒ぎになる。


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