非日常の夜食と、日常のウェディング
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非日常の夜食と、日常のウェディング


2月14日、深夜0時。

わたしたちのバレンタインデーは、始まった。

可能なかぎり音を摘んだ夜。
この世にわたしたちがふたりだけ見たいねって。ありがちな言葉で十分なことが、多い。どんな言葉かより、誰がその言葉を使うかで深みは変わる。全て、幸福な思い込みだ。


帰りを、待っていたのか。
季節の催しはわたしにとって、ずっと遠かった。
瑞々しい記憶は、すぐに思い出せそうもない。


およそ5年、わたしには恋人がいなかった。
ただ今この瞬間、わたしには恋人がいる。


恋愛はもう自分には向いていないとすら思っていた。自分の魅力のなさに辟易していた。けれど、杞憂だったのだ。わたしも人を好きになる、そして誰かがわたしのことを好きになってくれる。途轍もない奇跡が自分の人生に残されていた。



足音と、匂いでわかる。
恋人のリズムは、わたしの鼓動と似ていた。


「早く、わたしに顔を見せてほしい。」


"彼"とは今、同じ家に住んでいる。同棲を、つい最近始めた。付き合う前から、週に何度も顔は合わせていたけれど、同棲は格別だ。連絡をしなくても毎日会うことができ、同じ布団に包まることができる。何故って、同じ家に住んでいるからだ。

愛し合うことを約束したわたしたちは、心の住処を混ぜ合わせている。お互いの生活と言葉が共鳴し、それが今までに味わったことのない多幸感となった。



「ただいま。」

「おかえり。」


言葉を交わす。

彼の、そのたった四文字の言葉だけで、わかる。

仕事で満足した日、理不尽なことがあった日、欲しかったものが買えた日、隠し事をしている日。これも全て、わかった気になっているだけかもしれない。それでも彼の声色は、もうすでにわたしの体に染み込んでいた。


「買ってきましたよ。」

その日帰ってきた彼が、どんな気持ちだったかも手に取るようにわかる。わたしとの夜を楽しみに帰ってきていた。

彼の手にはチョコレートの入った袋があった。彼と付き合った日から決めていたのだ。バレンタインデーにわたしたちふたり、心を送り合うことを。


遅くまで仕事をしていた彼が帰ってきた時、日付はちょうど2月14日になっていた。わたしたちの、バレンタインデーが始まる。恋人になってからこれが、初めての季節の催しだった。

紅茶を淹れ、お皿にたんまりとチョコレートを並べる。一から作ることも考えたが、ふたりとも料理は苦手だったので、それは来年に持ち越すことにした。

事前に買っておいた、イチゴの乗ったショートケーキやタルトも冷蔵庫からわたしは取り出す。全てをテーブルに並べ終えた、そこがわたしたちの"非日常"みたいだった。



「今年は男性からチョコを渡すのが流行ってるらしいですよ。」

「それ、なんか毎年聞く気がしますね。」


彼とのそんな些細な会話ですら胸が踊る。

わたしは、同性愛者だった。
彼のことを求めるわたしは、女の子ではない。

毎年のように聞く「今年は男性からチョコを渡しましょう」という言葉。実はそうして男性も女性も、そしてわたしたちも背中を押されているのかもしれない。当たり前のきっかけを、皆欲しがっているような気がした。

わたしはそんな世の中が少しだけ好き。季節の催しに疎いわたしも、その空気の感触だけは忘れていなかった。


思い返せば、季節を携えながら彼と共に歩んできた。


暑い夏の日。額に透き通った汗が滴る、彼の表情が眩しかった。ふたりで散歩をして、公園でアイスを食べた。たまたま見かけた夜の花火。大きな建物の後ろに上がったそれをふたりで眺めて笑っていた。「来年は、ちゃんとお祭りに行きたいですね。」と、恋人でもないわたしに彼は言っていた。帰り道、自分の手の甲を彼の手の甲へすり寄せる。わたしは自分の気持ちに気づき始めていた。


空が涼しかった秋の日。初めて見た彼のジャケット姿に、わたしは心を奪われていた。目を合わせてしまえば、わたしの頬は紅葉のように染まる。お互いに好きな本を教え合った。ふたりが好きな食べ物を一緒に食べた。読書の秋、食欲の秋。自分がそれを芯から楽しむ日が来るとは夢にも思っていなかった。彼のことが好きで好きで堪らなかった夜に見上げた空の月は、まんまるで、手を伸ばせば掴めそうだったのに、届かなかった。それがちょうど彼の心のように見えて、零れた涙は今もニットの袖に染み付いている。


薄く雪が降っていた冬の日。年を越す。彼との日常に満足しよう、そう言い聞かせていたわたしがいた。同性の恋が、儚い。結ばれていないのに、結婚の出来ない世の中に歯軋りをした。愛が、北風にさらわれる。どう言い訳をしても彼のことが好きだった、大好きだったのだ。わたしは、彼との最期までを見据えていた。初めて彼と街で手を繋いだ日は、凍てつくような寒さだったはずなのにその記憶は宙を浮いている。熱くなった胸に手を当て、彼の心でわたしは暖を取っていた。


そして、今。

わたしは数日前に、彼の恋人になった。

結ばれていた。
わたしたちはどこまでいっても結婚ができない。それでも彼は、わたしの愛を大事に受け取ってくれた。

彼と、チョコレートを頬張る。
甘いものがわたしの好物だった。ケーキを食べていたわたしを見ながら、彼は静かな笑みを浮かべていた。


「しをりさんは、やっぱりかわいいですよね。」


彼は、そんな刺激の強い言葉を簡単に操ってくる。何しろわたしは「女の子」になりたかった。彼と、"男同士"結ばれたかったわけではない。わたしは、花嫁になりたかったのだ。



「夜食にしては、甘すぎましたね。」

チョコレートを口元につけたまま、彼はわたしに向かって言う。彼を纏う空気全てが愛おしかった。唇を手で撫でる、その感触がわたしの肌に溶けていった。

彼と出会う前から、わたしは「女の子」として生きたかった。けれどわたしは社会に出れば、当たり前のように男として扱われる。不思議なことは何もない。周りからすれば、涙を零す理由もなかったはずなのに、わたしの瞳はじんわりと赤かった。

闇雲に惹かれたわけではない。
一滴一滴、彼がわたしの気持ちを撫でてくれた。
大人になって、彼の手を一番に信じることができた。わたしを「女の子」にするための愛を、言葉と表情から初めて感じていたのだ。


彼に、今だから言えることはたくさんある。

その中で、ひとつだけ伝えることを許されるのであれば、わたしはここで言いたい。


「あなたのことを、好きになってよかった。」


ありがちな言葉が、一番心に響いたりする。
この想いを言葉にするのはまだ早いのかもしれない。直接彼の前で言うのは恥ずかしいから、言葉をここに置かせてほしい。

わたしはこれから、彼と平坦な道を歩んでいくのだろうか。真っ直ぐの道を歩んでいくのだろうか。人が生きるとき、その途中途中には"非日常"がある。それをわたしは特別に生きたい。

バレンタインデーはわたしたちにとって、いつもの愛をより濃くするためのきっかけだった。世の中の"男女"が育んでいるものを、共有したかったのだ。

これから先、愛が濃くなったとしてもわたしたちに正式な結婚は訪れない。彼の恋人になってわたしは、新しい満足を見つけた。

わたしと彼だけに見える。日常でわたしは白いドレスを着ていた。

彼は毎日のようにわたしのことを撫でてくれる。わたしが笑えばかわいいと言い、わたしが落ち込めば同じ目線まで来てくれる。目一杯の幸せを掴んだ日には、遠くから鐘の音が聴こえてきた。

これからもわたしは彼と、特別な毎日と、平凡な毎日を生き続ける。どちらがより幸せか、考えるのは野暮である。彼と結ばれたわたしは、あと誰に認められたらいいのだろう。両親か、世間か、その壁はまだまだ厚い。ただ力む必要もなかったのだろう。言葉(ブーケ)は、包むように持つ。


どんな一日だとしても、ふたりで寄り添えるように。

どんな一日だとしても、わたしたちは「結婚」をしているように、生きるのです。


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いちとせしをり

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エッセイスト / 定期購読マガジン『涙と栞の化粧台』毎週金曜日 更新中 / 花屋勤務