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たとえば、少しずつ立ち上がるために


「何があっても大丈夫だ。なぜなら……」


誰かにしか見せない、特別な表情がある。それは差別や区別の延長ではなく、自然の風を浴びた瞬間に入る、柔らかい深緑に似ている。

ちいさいのに、よく聴こえる声があった。心の中で転がっている硝子玉を割らないよう、傷つけないよう、繊細に人が生きていることなど、知らなかった。


横断歩道の信号を、誰かと待つのが好きだ。

その間に目を合わせたり、言いたかったことを伝えられたりする。その日隣にいたのはわたしの父で、その表情はやはり、「特別」と言うしかなかった。


70歳の父は、贔屓目でなく若々しい。

肌艶がよく、大きな瞳は一粒の愛を包んでいる。まっすぐ空へと向かう勢いの背筋からは気丈さを感じるほどだ。そんな父と一緒に歩いていて、妙にわたしと距離が近いときがある。その些細な風圧から、わたしは幾度となく懐かしさを吸い込んでいた。


「行こうか」

自分の人生を一冊の本だとして、「栞」を挟んでいるページがある。読みに来てくれたあなた、それぞれに違うページがあるかもしれない。そこでの景色とともに、わたしの文章が溶け込んでくれたら、と。それを願いながら、今日はエッセイを書こうと思う。



わけあって最近、一週間以上何も喉を通らず、睡眠もとれていなかった。その状態になってよくわかったことは、何事にも「力」を使っているということだ。もちろん、いつも書いていた文章が書けるはずもなく、体を横にしているだけで息が苦しかった。「考える」だけで、からだじゅうが悲鳴を上げる。


「もう書けない」

そう思ったのは何度目だろう。

自分以外の誰かの涙を、わたしはあまりにうつくしいと思う。それなのに、わたし自身の涙をそれと同じに形容できなかった。


過去、そして現在も含む。今年28歳になるわたしは、順風満帆と言えるような人生ではなかった。というより、そんな人生はもしかするとどこにもないのかもしれない。ただ、少なくともわたしの人生のすぐ隣には、父がいた。いつだって、だ。


「父さんと、散歩に行かないか?」

暗闇で過ごしていたわたしに、そう、「言葉」が届く。

会社でパニック障害になったとき、文章をもう書けないと思ったとき、生きることを投げ出してしまいそうなとき、父は決まってそう言った。

現在のわたしは父と離れて暮らしているが、ひょいと連絡を取り合えばすぐに会える距離にいる。父から言葉が届いたその日、わたしはかぎりなく何もせず過ごしていた。先ほど書いたことと近いが、「力」を使う、力がなかった。そのはずだったのに、わたしは視界を絞りながらもスマホを見つめ、「うん、行く」と返事をしていた。



「今日は、父さんの好きな街を案内してやる」

待ち合わせをした駅で、父はそう言いながらわたしの背中を少し強く叩いた。わかりやすくよろめき、手の甲に水滴が跳ねる。それはあいにくの雨ではなく、父と触れたあたたかさで滲み出た、涙だった。

父は歩くのがはやい。それは昔からだ。性格もあるとは思うが、体と心の迫力を感じる。けれどその日、父はゆっくりと歩いていた。とはいえ、わたしがどこかの景色に見惚れてしまえば、急いで父の背中を追いかける。その度、やはり「雨」が降った。


平日の午前九時。

通勤ラッシュも終わり、それぞれの商店もまだ開店していなかったからか、街はとても静かだった。

父の好きな街は当然わたしも知っていて、なぜなら昔、わたしと父が一緒に住んでいた街だったからだ。そうは言っても、駅から10分ほど歩いただけでほとんどわたしが見たことのない景色が広がる。父はそこから得意げに話し出した。


「あそこの店はテレビで紹介されててな」
「この前、あそこの床屋で髪を切ったんだ」
「あの飯屋の店員さんは声が大きくて活気があったな」
「ここの通りは、〇〇通りって言ってな」
「あそこの神社にも寄ってみるか」
「こういう雑貨屋、しをり好きだろう?」


思えばその日、わたしがごはんを全く食べることができず、一睡もできていなかったことを父は知っていたはずなのに、「大丈夫か?」とは言ってこなかった。ひたすらに、楽しそうな表情でわたしの目を見ていてくれた。


「しをりと一緒に歩いているだけで、どうしてこんなに気持ちがいいんだろうな」

そう言って散歩の途中、父は自分の肩をわたしの肩に軽く当てる。「やめてくれ」。やまなくなってしまう。惨めで情けなくて哀しくて、しあわせだった。このときの「しあわせ」の意味は、「幸福」というよりは、一筋の「光」に近い。きっと父はわたしが、時にひどい言葉を使ったりすることなど知らないのだろう。


「父さんは、しをりのことならなんだってわかるんだ」

心を読んでいるかのように、父はそう言葉を挟む。ページが止まり、胸に沁みる。「そんなわけない」と言えるはずもなく、ただ、ほんとうに父はわかっているし、知っているのだろう。

父ととにかく一緒に歩いた。会話を文字に起こしたところで誰かが面白おかしくなれるはずもなく、オチもない。大きな木が生えていれば、「大きいね」と言い、道端に花が咲いていれば、「なんて名前の花かな」と言った。


そんな中、着物を着た人がふたり、わたしたちの前から歩いてきた。のちに知ったが、近くの神社で催しがあったらしい。彩られたその姿は、息を飲んでしまうほどまばゆかった。そうして、ふと、父の顔を見たときにはおそかった。


「お!ふたりとも綺麗だね〜!」


父は、見ず知らずの着物姿のふたりにいきなり話しかけていた。わたしの性格からでは考えつかないことを父はする。父の言葉を聞いたふたりは苦笑いをしながら、去っていった。


「やめなよ……恥ずかしい……」


ぽろりと落ちた言葉だった。とはいえそれは本心というわけではなく、なんとなく自分を入れた登場人物全てを撫で付け、穏やかに済ませたい感情だった。すると父は、わたしの言葉を聴いて、快活に笑う。


「綺麗な人に、綺麗と言ってもいいじゃないか!」


わたしにしかわからないほどのきめ細かさを帯び、父の声は震えていた。父はわたしと一緒にいるとき、必ずと言っていいほど「背伸び」をする。何かに認められたいと願う子どものようだ。ただ、その姿は何より瑞々しくわたしの瞳に映り、元気づけてくれた。


いい文章に対して、「いい文章だ」と言われる景色を都合よくわたしは思い出す。勝手な解釈を無闇に人へ向けると混乱を呼んだりもするが、自分の心の中でとどめるそれには、潤いがある。

わたしは自分ではない誰かに認められようと、日々踠いていただろう。そうは言ってもまず、わたしは誰かが書いた、いい文章に「いい文章だ」と渡しにいく機会を自分自身に与えるべきだった。



「そろそろ、飯でも食うか」

そう言って、父はまた得意げに街を歩きながらお店を紹介してくれた。どれも、わたしの好きなものが食べられる場所ばかりで、また、水滴がたまる。


「しをりと、いつか来れたらなと思ってた店ばっかりなんだよな」


少しだけ、淋しさが零れる。「何年かかけて、ぜんぶ、一緒にまわってみたいな」と言うものだから、わたしはゆっくりと時間をかけて、「うん」と渡した。


どこのお店に決めるか迷っていた中、一軒のピザ屋が目に止まる。

ちょうど開店準備が終わる頃だったためか、店先にいた店員さんと目が合う。気づいたときには、父が声を発していた。


「いいねえ!ピザ、しをり好きだろう?」


店員さんと父、ふたりに見つめられる。「どうですか〜?もう開店しますよ!」と笑う店員さんの瑞々しさは不思議なほど父に似ていた。流されたわけではなく、本心でわたしは頷き、そのお店に入った。


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ベランダで食べられる、開放的な空間。

連続してすぐに二枚目のピザが来たにもかかわらず、美味しさのあまり、一枚目を食べ終わろうとしていた。普段、写真を撮ったりはしないのだが、「撮ってもいいぞ」と父が言い、収めたものの、へたくそだ。とはいえ、それすらもしあわせに映るほど、人はそれぞれで感じるものが違うのだろう。そして、自分の喉とは思えないほど、ピザはするりと胃の中に落ちていった。


ピザを食べた後は、すぐ近くにあった喫茶店にも入った。キリマンジャロを飲む父は、「格別に旨い」と言い、ウィンナーコーヒーを飲んだわたしの顔を見て、「初めてしをりの、そんな顔見たわ」とも言った。自分でも理解し、俯瞰で見れるほど、わたしはそのとき、笑っていた。


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ずっと昔から包まれていたかのような香り。

そんな喫茶店で父はまた、ちいさな声でわたしに言う。


「どこまでも羽ばたいていけるように……」


なんども聴いてきた言葉だった。とはいえ、耳にたこができるような、そんなうんざりとした心地ではない。わたしの本名の意味。つまり、父がわたしにつけた名前の意味だ。

それとは別で、『いちとせしをり』は、文章で活動するためにわたしがわたしにつけた名前だ。父に似て、わたしは言葉に意味を込めるのが好きになった。

落ち込んだとき、挫けそうなとき、立ち上がろうとしたとき、わたしは『いちとせしをり』の名前をつけたときのことを想う。文章で生きていこう、進んでいこう、変わっていこうと踏み出す、その意味とともに。どうしてここで文章を書きはじめたのだろう、と。


『いちとせしをり』

自分の人生を一冊の本だとして、そのページは、「いち」から「千歳(ちとせ)」まである。大切なページには「栞」を挟みたかった。全部のページに挟んだっていい。

そして、誰かがわたしの本を読み終わったあとも、最後のページに挟んでおいてほしかった。その願いを込めて、「しおり」ではなく、「しをり」にした。五十音順で、「あ」を表紙だとしたら、「ん」が裏表紙。「ん」の一つ前は、「を」だから——



「しをりは、いい文章を書くんだろうな」

また父は、わたしの心を見透かしているかのように言う。父はわたしが『いちとせしをり』として文章を書いて活動していることは知っているが、スマホなどを持っていない父は、わたしの文章、エッセイを読んだことはない。

そのはずが、父はいつ、どんなときでも、わたしの文章を「いい文章」だと言う。

「読んでないのに、そんなこと言わないでよ」という気持ちは一切浮かんでこない。父がわたしの表情を見て、「なんでもわかる」と言うのと同じように、わたしも父の表情を見て、思うのだ。これは家族だからではない。自分の口から言う、それが烏滸がましいのを承知で、愛し合ってきたからだろう。


ただ、結局「綺麗」も「いい文章」も人によって見方が違う。もちろん何かと何かを比べ、どちらかを選ばなければいけない場面もあるかもしれない。とはいえ、それは稀だ。

比較しなければいけない人生に焦点を当て続けるのではなく、自分の「今」の想いを優先して生きるべきだ。そう父に教わった。一字一句同じ言葉を言われたわけではないが、そう受け取り、生きてきた。


ごはんも食べられず、一睡もしていなかった期間、わたしはもう、文章を書けないと思っていた。書いても仕方がないと思っていた。わたしは今まで言葉に救われてきたが、言葉で全ては救えないと考えている。「いい文章」が人それぞれ違うように、言葉の意味は無数に、そして複雑に絡み合っている。

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お互い、コーヒーを飲み終わった頃、父はささやいた。


「どうだ?」


主語がない。父はよくそういう話し方をする。と言っても、それに苛立ったりはしない。むしろ、やさしすぎるとすら思う。一呼吸置いて、そこから先に言葉を渡したのは、父の方だった。


「しをりが喜んだり、悲しんだり、楽しんだり、ときには怒ったりしている姿を見ると、父さんは忘れていたはずのことも思い出すんだ。あのときあんなに楽しかったのに、あのときあんなにつらかったのにな、って。だからまた、書いたらいいんじゃないか。人の純粋な喜怒哀楽は、周りの人の心を豊かにしてくれると父さんは思うから」


文章を書くのが好きで今まで書いてきたが、書いているとき、どんな内容であろうと、わたしは苦しいと思う。それはどうしたって、「力」を使っているからだろうか。

そうは言っても、文章が誰かに届いたと実感できたとき、その苦しさはいとも簡単に溶けはじめる。受け取ったときも同じだ。とはいえ、父の言葉を聴いても、わたしは、不安を混ぜた表情をしてしまっていたと思う。



「しをりは何があっても大丈夫だ。なぜなら、父さんの子どもだからだ」

加えて、父は言葉を渡してくれる。ただこの言葉が、わたしは幼少期、少し苦手だった。何かわたしが成功をしたり、達成したとき、決まって父は「さすがは父さんの子どもだ」と言った。

何をしても、「父さんの子どもだから」と言われる。自分自身の力でやり遂げたのに、父に「成果」を取られていると"勘違い"をしていた。大人になればなるほど、そのほんとうの意味を知っていった。

誤解を恐れずに言葉を選んだとしたら、失敗した、達成できなかったときも、父は「父さんの子どもだから、大丈夫だ」と言った。これを「愛」と呼ばずに、何と呼べばいいかわたしはまだわからない。わかる必要も、ないと思っている。


散歩の帰り道、父は「いろんな店にしをりと行くには、もっと長生きしないとなあ」と呟く。そんな父の瞳を懸命に見つめ、溜め込んでいた涙を全て出し切るようにしてわたしは言葉を渡す。


「父さんは長生きできるから大丈夫だよ。だって、わたしの父親だからね」



信号が、青に変わった。


書き続ける勇気になっています。