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一般財団法人えぞ財団法人「札幌解体新書」

・本書は、2020年からメディア事業・教育事業・投資事業・出版事業を軸に、北海道がもっと元気になるための活動に取り組む「一般社団法人えぞ財団」が、北海道や札幌の歴史について、都市計画や金融、経済、文化といった様々な観点から解説した1冊。

・現在、北海道でもっとも人口が多いのは札幌だが、札幌の人口が道内1位になったのは昭和15年(1940)。それ以前は函館、小樽の方が経済の中心地として栄えていた時期もあった。
・初期の札幌には開拓使(北海道の開拓にあたった明治前期の行政機関)が置かれたこともあり、行政の中心地という性格はありつつも、開発・発展という観点では函館や小樽に遅れている部分もあった。
※明治以前の北海道の歴史、文化についても触れられているが、詳細は本書をお読みください。
・札幌が北海道の中心になった理由は、幕末の北方探検家であり、蝦夷地・樺太などを複数回探査した江戸幕府の蝦夷御用御雇を任ぜられた松浦武四郎が、石狩川の支流を遡った扇状地(今の札幌豊平橋付近)に注目した。
・松浦は、北海道と関西の地理を重ね合わせ、札幌が京の都のように栄えれば、いずれはその下流になる石狩が大阪のようになり、銭函や小樽が尼崎や西宮のように発展していくのではと考え、札幌を中心にした開拓を構想した。
・そのような経緯があり、明治4年(1871)、札幌に開拓使(北海道開発を担当した政府機関)が正式に設置された。
※札幌には、日本の橋梁技術に大きく貢献した橋や、戦後、200万人近くまで人口が増えた出来事があった。それらの詳細については、本書をお読みください。

・札幌の文化・芸術の歴史は明治4年(1871)から始まった。開拓使が設立された2年後になるこの年、札幌に初の芝居小屋ができた。
・当時はまだ札幌の本格的なまちづくりが始まったばかりで、「すすきの」周辺もまだ、建物は少なく、自然が広がっていった。
・開拓初期の札幌は、住人の多くが役人と労働者で圧倒的に男性が多かった。仕事も生活も厳しい中、みんなが逃げ出さないように、「すすきの」にはまず遊郭が開設された。
・その後、札幌の人口が公式には600人くらいしかいないとき、常設の劇場ができた。当時、札幌神社(現・北海道神宮)が完成し、その落成を祝うお祭りが開催されることになったのだが、街中でも行事をしようということになり、東京から役者を招いて、芝居の興業が行われた。そのために、劇場も建設されたのだ。
・その後、札幌の人口が2000人くらいになると劇場も増えて6軒ほど存在していたことがわかっている。
・当時、小さい街これだけの劇場が成立していた理由は、値段が安く庶民が気軽に通えたからだ。これらの劇場は芝居を見るためにだけの場所ではなく、みんなが仕事終わりに集まって交流する社交場という性格もあった。
※どういった人物が札幌の最初の劇場をつくったのか、大正、昭和と札幌の文化・芸術はどのように発展していったのかについて述べられているが、詳細は本書をお読みください。

・本書は、「都市計画・まちづくり」「金融」「経済・産業」「文化・芸術」「行政」という章で構成されており、
◇札幌の街を大きく変えた〇〇〇〇〇〇
◇北海道の金融は〇〇から始まった
◇〇〇業が弱い札幌
◇黒澤明監督と札幌の関係性
◇北海道と札幌の関係性
といった、先駆者たちが切り拓いた札幌の歴史が、分野別に開設された内容となっている。

・北海道は、江戸時代後期、外国の侵略に備える防衛の拠点と位置付けられ、明治では生活基盤を失った士族たちの移住・再建の地としても活用された。
・それと同時に、日本全体に食料や資源(石炭など)を供給する、植民地にも似た役割が求められた。
・国から明確な役割と具体的な指示が与えられていたこの時代の北海道は、社会人にたとえれば新人サラリーマンだったと言えるかもしれない。
・しかし、様々な世情から、自力で生きることが求められるようになり、本書では、北海道のことを「個人事業主」と表現されている。

北海道在住の方はぜひご一読ください。そして、北海道に関心のある方やゆかりのある方々、まちづくりを携わるみなさんにも読んでもらいたい本です。

北海道や札幌の「スゴさ」を感じることができる1冊ですので、ご興味ある方はご一読ください。

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