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星野源の闇ポップ。

(1590字)

もうね、本当に有名どころは私が語ることなくしてもっと深く考察やらなんやらしてる人がいらっしゃるから、星野源について深く知りたいとか音楽的考察を聞きたいとかなら私の記事を読む時間を使って他の記事を読んだ方がいい。


ただ、星野源の表現方法は、私がいずれやりたいと思ってたことと同じようで、彼よりも先に生まれてきたかったなあと悔しいところでもある。

から、とりあえず書きます。

ただ星野源より先に生まれてたところで、彼はおそらく尋常じゃないほどのストイック精神をお持ちであるから(それともアーティストって皆そんな生き方してるのか)、ちょっと欲望に忠実人間の私にはできない生き方で、先に生まれる生まれない問題で私が星野源のようなポジションに先に到達していたかというともうこれは絶対にそんなことはない。

むしろ私がそれをできないまま齢を重ねて、諦めかけた後であんな人が進出してきたらそれこそ悔しさ込み上げるだろうなと思うし、彼がそういう道を開いたことによって訳のわからない場所に道しるべができたから、とても有難い存在。


さて、彼はポップである。


私の見たところでは、だけどまあ多くの人の見たところそうじゃないかと思う。

私、どうしても飽き性が災いして、オタク気質に見られがちだけど実は深くはまったことのあるものが一つもない。
さもなればアーティストもよく知ってる人1人もいないし、ライブも行ったことないし。

そんなこんなで国民的アーティストを語るのは申し訳ない気持ちなのだけれども、彼の曲を聴いて感じたことを率直に書きたい。

記事を読んでそんな訳ないだろ、源さんはそんな人じゃない、と思ったらコメントするなりスルーするなりしてほしい。


私は、誰かがアート(私の中では、共感を求めるもの)を生み出す場合、その共感を求めるという性質においてどうしても自分の闇の部分とか、普段は出せない部分を多く表現することになってしまうと思っていて、ただ、それを外に出すだけでは、やっぱり重暗い雰囲気が漂ってしまって受け取る側も辛くなってしまう。

ネガティブな部分をネガティブに表現するのは比較的簡単だと思うけど(それでも常人にはなかなかできないことだけど)、もっと深い傷って案外「日常」とか「滑稽」「コメディ」の中に隠れてると思う。

よく知らんけどチャップリンとか?

星野源はそういう類の表現と似たようなものを感じる。
他にもいっぱいいるかも知らんけど私はよく知らん。そこまで音楽に精通した人間じゃないのだ。

彼の音楽はポップだ。本は読んだことないけど、彼の言葉選びはポップだし、生き方もポップだと思う。

ただ歌詞の中はすごく哲学的だ。
おそらく彼はよく考える人だ。軽やかなリズム、歌詞、メロディの中に「生死」「性」「マイノリティ」、、全部を知ってる訳じゃないから他に何を歌ってるかはわからないけど、

生死については彼自身の病を患った半生も多く関係していると思う。
どちらかというと、真面目に、深刻に捉えるべき事柄を訴えているけど、それでも彼はポップな人間だ。

それが本当にすごいことだと感心する。

私にはそれができない。
彼の歌の中に、私もそう思う、私もそれを言いたかったっていう言葉が見つかるのは、喜びであるとともに、それが自分の表現したものではないっていう悔しさがある。

でも、彼が表現しなかったら、私がそれを言いたかったっていうことに気づかなかったかもしれないから、やっぱり悔しいけど嬉しい。


彼は性的な表現も爽やかに歌い上げるけど、その爽やかさですらも彼自身がそういう表現をするために作りあげた自分自身なんじゃないかと思ってしまう。


みんなが気軽に口ずさむことできるキャッチーなメロディと歌詞の中に、世界の本質、彼から見た人間の闇の部分(?)が隠れてるって、何気ないけど、何気なくすごい。やっぱりすごい。

そういう表現ができる人になりたい。



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