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十和田市現代美術館にやっと行ってきた①写真に写るものだけじゃない魅力

24時近い駅には人もまばらで、
GWのど真ん中、最終の新幹線で十和田市に向かう観光客は私だけのようでした。

タクシーは七戸十和田の駅から、建物も街灯も少ない深い闇を駆け抜けて十和田の街に向かいました。東京で仕事を終えてからかなりあわただしく新幹線に乗った私にとってはこの深い闇こそが遠くまで来たのだと実感する最たる目印となりました。

先日観た映画『ナイトクルージング』の影響からか
やたらと暗闇に敏感になっていることに気がつき、

闇が深いほど、感性を研ぎ澄ませなさい
と言われているような気持ちになり、

その深い闇の先に何があるのかを想像しながらホテルのベッドに心地よい疲労とともに吸い込まれていきました。

今回の旅の目的は十和田市現代美術館。

不便な場所にあるこの美術館が毎年数多くの来場者を記録しているその魅力を自分の目で確かめてみたいと思ったからでした。

朝の十和田の街はもの静かで車が多少行き交う程度。

思い立って旅のお供に連れてきたアナログフィルムカメラのシャッターを切りながら目的地へ。

美術館と道を挟んで広がるアート広場には、

朝日を浴びながら堂々たる風格で立つ太り気味の家や車(おうちはバックショットの方がむちむち感満載)

草間彌生の水玉群

こっそり浮かんでいる巨大化したオバケちゃん

など現代アートの数々が点在。

都会であれば落書きだらけになりそうな真っ白なオバケちゃんのボディは真っ白で、

都会であればすぐに誰か住み着くんじゃない?と思う太ったお家(ファットハウス)や草間カボチャも自由に触れちゃうそのアートとの距離感に興奮を覚えました。

とにかく写真映えする展示物が多くてアナログフィルム36枚をあっという間に使い切っていました。

「すごい」「おもしろい」と観る者に言わせちゃうアート作品はそれでまず成立してる。でも油断してふらっと入ったファットハウスの中で、ハウスが自分について語るビデオを見ているとハウスは急にメチャクチャ哲学的なことをのたまうのです。

「私はアートなのか?」と。「アート作品は誰が作るとアートなのか?」「アート作品は何をテーマに作るとアートなのか?」というアートの原点を急に唐突にストレートに問われるのです。

さらにアート広場の終着点には

いよいよ得体のしれない巨大な物体が現れます。

何かが溶けかかったような巨大な作品は中が空洞になっていて人々を招き入れるのですが、そこで催眠術のようなビデオがループ上映されています。そのビデオは見る者に

あなたが何者で、社会や自然とどう共存しているのか?

あなたとその他の隔てるものとをどう定義するのか?

を語りかけます。

私は、不意を突かれたズドンと来るテーマの重厚感と、ビデオの柔らかい語り口による浮遊感に翻弄され、自分の体が作品と一体化して混ざり合ってドロドロと溶けて作品に取り込まれていくような恐怖と心地よさに包まれました。

なるほど、

太った家に笑い、草間かぼちゃにほっこりして、オバケちゃんと記念撮影…なんていうエンタメな楽しみ方をする人も、自分の存在や自然との共生までを深堀りする人も、どちらも満足感が高いのが、この十和田市現代美術館の魅力なのだと、勝手に納得してしまいました。

今の時代、十和田市現代美術館の作品の数々はInstagramやWEBサイトで見ることができるので、実際に現地を訪れる前から、私の頭の中には、かなりのレベルで作品のイメージがインプットされていました。

おそらく私と同じように、写真に写っているものから、十和田が魅惑的な場所であると予想している人は多いと思います。でも写真だけではなかなか写しきれないものこそが作品や空間を形作る土台となっていて、その骨組みともいえる土台がしっかりしていることこそが、十和田市現代美術館の真の魅力なのだと思いました。

アート広場だけでもかなりお腹一杯になりましたが、美術館の中も工夫と思い付きと…見どころ満載の美術館でした。②では美術館内の2つの作品について感想をまとめたいと思います。

アイスクリップ



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