偏愛 -サイン-

 エイジは高校に進学しても写真部に入部した。

部室は特に無かったが、物理学教室に隣接する準備室内に暗室が併設されていて、顧問の先生が物理のトシア先生でもあったので物理学準備室そのものが部室代わりでもあった。
暗室は、中学で古い木造校舎の中に発掘したそれとは違い、広くて清潔感のある部屋であった。
ただ、前室は無かったので作業中の部屋への出入りはできず、作業中に誰かが誤ってドアを開けてはいけないので施錠できるようになっていた。

そんな環境の写真部であったが、実態がはっきりとしなかった。
つまり、誰が先輩で、誰が後輩なのか部員構成がよく判らないのであった。
特に定期的に例会のようなものを開いていた訳でもなく、撮りたい者が部室にフィルムを巻きに来て、撮った者が暗室で現像、プリントするという感じであったからかもしれない。
長巻フィルムも現像液や印画紙は部の予算で提供されていた。銘柄は希望すればそれを購入してもらえたので、エイジは中学以来のフィルムとケミカルを使い続けた。

そういう曖昧な体裁の部であったので、先輩についても誰が部長だったのかよく理解していなかったが、エイジが3年生になるとある日トシア先生から「エイジ、お前を部長ということで学校に届けておいた。」と言われた。
まるっきりの事後報告であったが、まぁ、まとまった活動など特に無い。
文化祭の時でもトシア先生がなんとなくまとめていたので、エイジが頑張って部をまとめる必要もない。
だいたい、誰が正規の部員で、どれだけ幽霊部員が存在するのか判らないのである。まさしく名目だけの部長であった。

 だが、ある日、部長としての仕事を遂行する時がやってきた。
その日は3年生も最後となった期末テストの最中、その時間は物理のテストでエイジは難解な力学の問題に頭を悩ませていた。
そこに試験監督のトシア先生がそっとやってきて1枚の紙をエイジの机に差し出してこっそり言った。

「エイジ、今年の部費の会計報告書を作ったから、部長としてココにサインしてくれ。」

 エイジはサインをしながら心の中でつぶやいた。

「先生、オレは今、アンタの出した難問と格闘中なんだが。」



画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?