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君は、生きているのか?

こんにちは。小山です。

先日、36歳になりました。

12年の周期(?)が、3周しました。

3周回ったところで、生きるということを考えてみました。

1、境遇は選べないが、生き方は選べる

この言葉は、『置かれた場所で咲きなさい』の一節です。

はじめこの本のタイトルを聞いたときに、この言葉は、

置かれた場所を、運命だと思って、仕方ないと受け入れて、活躍しなさい

という意味だと思っていました。

勘違いでした。

本質的には、
『置かれた場所で咲きなさい』とは、

『境遇は選べないが、生き方は選べる』

ということです。

つまり、生き方は、自分で選べるということです。

キミスイの中でいうところのこの言葉です。

「私たちは皆、自分で選んでここに来たの。偶然じゃない。運命なんかでもない。」

例えば、人事配置で、自分のやりたい仕事ではない仕事をアサインされました。
これは、境遇です。
けど、この誰かが決めた境遇の中で、文句を言うことを選んでいるのは、自分自身ですよね?

そう。自分の希望の仕事ではなくても、それをどう感じるのかは自分次第です。

境遇は選べないとはこの図です。起きてしまった出来事に、感情を左右されていても仕方ないわけですね。

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では、「生き方を選ぶ」とはどういうことでしょうか。

稲盛和夫さんの『生き方』によれば、生き方は、この式です。

人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力

能力が、考え方と熱意の結果だとすると、
大事なものは、考え方と熱意です。

そして、「熱意はどこからくるのか?」

が、大事な考え方です。

さきほどのこの考え方では、外部環境に左右されて熱意を失ってしまいます。

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そうではなく、誰かの苦しみや悲しみを、使命に変え、よくしていこうとするエネルギーに変えていくこととすることが、考え方です。

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2、生きるとは

生きることとは、死ぬことの裏返しです。

「死ぬという言葉があることは、誰もがは知っています。
葬式もでれば、死ぬという言葉の意味を実感します。

けれど、
死を経験したことがある人はいないでしょう。

今、世界77億人の人がいます。
年間5400万の人が亡くなっていきます。
1日あたり 15万の人が亡くなっていきます。

この1日15万人の命が消えていくということは、
それそのものは、自然界においては仕方のないことでしょう。

例えば、
バッタとか、カラスとか、
増えすぎたら、駆除しますよね。

生物の数というのは、増えすぎてはいけないのです。

だからこの1日15万人くらいの誰かの命を毎日消していかにといけないわけです。

私は、毎日、「生きるためのいすとりゲーム」や「生存のルーレット」が行われていると思っています。

その死んでいく人たちは、神か誰かがつくった名簿があるのでしょうね。

・寿命。
・がん、病気。

などで死んでいく名簿を作成していきます。

けれど、そこのリストには、5歳にも満たずに亡くなっていく子どもたちもはいっています。

年間560万人。1人1.5万人の子どもが5歳にならずに命を落としていきます。

その現実がある中で、私は、毎朝、起きたときにこう思います。

どうして、命を落とすのは私じゃなくて、子どもたちなのだろうか。
生かされているということは、生きる意味が与えられていて、天命があるのだと、私は思っています。

3、「社会課題」ってなんだ?

使命というのは、社会の課題に命を懸けて取り組むものです。

ソーシャルグッドや、社会課題、SDGsという言葉が、企業の中でも使われることが当たり前のようになってきました。

ソーシャルグッドで、社会課題に取り組む企業で働きたいという人も増えていると思います。

「では、あなたにとって、ソーシャルグッドで、社会課題に取り組むとはどういうことですか?」

と聞かれたらどう答えますか?

流行の、便利な言葉ほど自分なりに落とし込まないと、「薄っぺらい」言葉になってしまいます。

私が思うのは、

中島みゆきさんの「ファイト!」の世界感に、社会課題に取り組むことのヒントがあると考えます。

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歌詞をみていきましょう。

『あたし中卒やからね 
仕事をもらわれへんのやと書いた女の子の手紙の文字は
とがりながらふるえている
ガキのくせにと頬を打たれ 少年たちの眼が年をとる
悔しさを握りしめすぎた こぶしの中 爪が突き刺さる
私、本当は目撃したんです
昨日電車の駅 階段でころがり落ちた子供と つきとばした女のうす笑い
私、驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった
ただ恐くて逃げました 私の敵は 私です
ファイト! 闘う君の歌を 闘わないヤツらが 笑うだろう
ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼって行け』

この歌詞の中では、例えば、「環境問題」、「食料問題」、「貧困問題」などのいわゆる〇〇問題という社会問題はでてきません。

でてくるのは、

・中卒のため就職がうまくいかない女性
・暴力を受けて怒りを感じている子ども
・駅で転がり落ちた子どもと、突き飛ばした女性と、自分

だけです。

怒り、悲しみ、苦しみをもった個人では、「社会問題」とはいいません。けれど、顔のイメージできない、「温室効果ガス2030年までに〇%削減」のような数字では、使命感にはつながりません。

使命感とは、パワーです。感情です。
苦しみや、悲しみをもった人の顔がイメージできるのか。
その顔に、自分の心が動かれて、突き動かされることが使命感です。

そして、その使命感をもって、具体的に行動していこうと思ったときに、その苦しみ、悲しみの背景にあるものが、取り組むべき「社会問題」なのです。

つまり、使命として、社会問題に取り組むとは、社会全体の大きな数字のことではなく、誰かの苦しみ、悲しみのことである。

胸が痛くなる誰かの苦しみや悲しみを減らしていくために、何かをしていくことが使命であり、勇気であると思っています。

4、勇気とは、生きる意味

かの詩人ゲーテはいいました。

財貨を失ったら働けばよい。
名誉を失ったらほかで名誉を挽回すればよい。
勇気を失ったものはこの世に生まれてこないほうがよい。(ゲーテ)

勇気とは、生きる意味です。
勇気とは、使命からくるものです。
使命とは、誰かの苦しみや悲しみが与えてくれます。

これが、私が思う生きるということです。



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