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異なるものたちが共に生きる明日を共に育む 〜PoFというプロジェクト〜


「なぜ、自然の一部であるわたしは、毛虫を毛虫という理由だけで踏み潰す人間の一部なのだろう」

「なぜ、自然の一部である人間は、そこに暮らす猫を 野良猫 と名付けて勝手にその命のあり方を決めるのだろう」

「なぜ、自然の一部であるわたしとあなたは、その違いを排除の理由に、傷つける理由に、相手の命を勝手に決める理由にするのだろう」

物心つく時から尽きることのなかった疑問と、その頃からわたしの心に育まれた「この世をともにする異なる世界を映すものたちが、時代も空間も超えて共に存在し合う世界」の風景。

その世界を切実に、時にワクワクしながら願うわたしの中には、おそらく人の持つ暴力性や歴史に埋め込まれた暴力性が自分の中にも存在するのだろう、ということへの葛藤も、そのmessyさへの愛おしさも同時に生まれた。

小さい頃は、その矛盾を抱きしめながら、諦められない願う未来の風景だけが、まるで泉のようにこころに湧き続けていた。

一つ一つ 年を重ねるごとに

わたしは、願うだけでなく、その世界を見つめ、受け取り、働きかけることの可能性も知った。そうやって見えない歴史を紡いできた人たちがいることを、その人たちが育んだ大地に生きている自分がいることも知った。

同じような願いを持ち、社会に働きかけている大人がいることも知った。

世界の広がりは、子どもだったわたしの願いと世界のあちこちで起こる出来事を通して感じる痛みと葛藤に、可能性という光を加えた。

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この世界には、見えていることだけでない、様々なことが共に存在している。時を超えて。空間を超えて。

自分のまだ出会っていない生命も。暮らしのすぐ近くにすれ違うあの人のことも。大きな不可逆な変化になるもっともっと前の小さな小さな兆しも、見えないけれど確かにそれぞれの手元から育まれている新たな明日も。わたしが感じているこの大地に眠る様々な記憶も。様々なものたちがこの世界をつくっている。


「時代と空間を超えて、異なる世界を映すものたちが共に存在し合う未来」

「ひらかれたwe」を、暮らしの中の営みを通して育み、これからの時代の市民性を通して広げ、願う未来にバトンをつないでいくのがPIECESの取り組みだ。

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そして昨年願いを共有しあった人たちとの出会いから、すでにあったかけらが集まり、今年、新たな取り組みの兆しが生まれている。プロジェクトを立ち上げるにあたり、PIECESもプロジェクトパートナーとなった。

集まった、一人一人の経験も、出会ってきた人たちやそこで触れた痛みも願いも可能性も、そこから育まれた自身の願いも、少しずつ違う。

そんな違う一人一人のまなざす問いと、そのからだに宿る未来への確かな意思は、あちこちから湧き出た泉が緩やかに出会い、小川となっていくように、この半年で動き出した。

わたしだけれどわたしたちであり、わたしたちだけれどわたしでもある。

そんな感覚を宿す小川は、時に太陽に照らされ、空中に霧散して空気の一部となり、時に大雨に力を持て余したりしながらも、違う流れと出会い、アメンボが遊びにやってきて、新たな生命が芽生え、育まれている。(ように感じる)

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小川になりかけているそのプロジェクトは「Polyphonic future」(=PoF)というプロジェクトだ。(このネーミングやタグラインは、生駒さんというNPOのデザインをやっているサイカンパニーのデザイナーさんが一緒に生み出してくれた)

Polyphonicという「複数の独立した異なるリズムを持つ音楽」というあり方である。

この世界には、たくさんの音が存在し、響き合っている。風の音、木の根に水が取り込まれていく音、鳥のさえずり、子猫の心臓の鼓動、わたしの呼吸、誰かの叫び、あの子のうめき。
PoFは、音が相互存在するそのあり方になぞらえて、この世界を共にする異なるものたちが、響きあい、反応しあい、変化しあいながら、ゆるやかにつながり、共に存在しあうしなやかな在り方への探求からはじまった。それは、「共異体」的なあり方でもあると考えている。

暴力や紛争の質が変化し、自分たちも確かに関わってきた様々な災害や危機。そしてその中で顕在化する綻び。特定の環境にいる人に特に皺寄せられる影響。

複雑に変化する生命のような社会に起こることに、最適解を求めようとしたり、単純化や二項対立だけを無意識に持ち込むことは、時として、あらたな歪みへの影響や、起こっていることへ影響を引き起こすことを、わたしたちは、少しずつ少しずつ学んできた。

学ぶ過程で様々な大きすぎる問いも生まれた。

①社会構造と技術の発達に伴う暴力や紛争、気候変動等の危機の質の変化に対して、この世を共にする存在たちにとっての最悪のシナリオをどうしたら予防できるのか?より良いシナリオは何で、そのシナリオをどう手繰り寄せられるのか?


②複雑で生命のような社会において、時代を超えて「共に生きる」バトンをつくり、つないでいくために、時代の変遷と共にある新たなはたらきかけとは何か?
(どうしたら時代を超えて「共に生きる」バトンをつくり、つないでいけるのか?)


③ 歴史的・文化的に受け継いできた痛みや暴力を、どう癒して次の歴史を育めるのか

「PoF」を器とし、わたしたちは、異なる立場や分野にいる異なる考えやメガネを持つ人たちと、この問いを共有し、今の時代の願いを聴き、次の時代を共に育む営みを時を超えてつないでいきたいと思っている。そして、この過程において、自分たちにも内在化されてきた、歴史的・文化的に受け継いできた集団の持つ痛みや暴力性を受け止め、癒し、次の時代の育みに新たな可能性が芽生えていくことを大切にしていきたい。


そのような願いと想いを身体に宿しながら、未来のかけらに気づき、手繰り寄せる一歩を、「Phase1」と名付け、「シナリオプラニング」を通して、問いを共有し、深めることから始める。そして、シナリオプラニングの最後にありうる未来のシナリオを選択していく。

このシナリオ策定のプロセスを育む、異なる様々な人たちの泉と泉が出会い、小川となり、小川と小川が出会いさらなる流れとなり、新たな風景が広がっていくように。一人一人の泉が大切にされながら、その泉が出会い、未来のひとひらとしての風景が育まれる時間となるように。このPhase1を大切な時間にしていきたいなという思いが溢れる最近だ。

だから、このPhase1で大切にしたいことがある。

① 探求するプロセスを「市民」として共にする。

② 自分たちの立ち位置・特権に自覚的である。

③ システムにある様々な声に耳を傾ける(周縁にある声、歴史的な経緯のある声、勾配ある関係性、強いパワーの中にある周縁の声等々)

これらを大切にするために、以下の二つをPhase1の過程で行っていく

①シナリオプランニングの手法を通じて、様々な声にアクセスする


② その声に耳を傾けリフレクトするプロセスを共に行う

シナリオプラニングのプロセスを共にする誰かを集めるということは、そこに見えない境界線が発生するということでもある。そこに生まれた多様性の限界に、そして今のこの状態がどんなシステムを反映しているのかに自覚的でありたいと思う。

まるで社会を映す鏡のように、このプロジェクトの周りには声が生まれていくのだろうと思う。見えない境界線を取り巻き相互に関わりあうその声も、ダイナミズムも、丁寧に丁寧に見つめ、残していけないだろうかと思っている。

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PoFが、未来への意思が育まれ共有されていく器となるには。

そして、時代を超え、空間を超え、異なる私たちが共に生きようとする感覚に立ち戻れる場所、そして、その未来を一緒にみつめ、はたらきかける器であるには。

この世界に既にある様々な器と行き来しながら、知恵を共有し、世界にある叫びになる前の声に耳をすませ、性別や民族や思想、宗教、国、種といった違いを排除や分断の理由とすることなく、その違いを受け止め、身体性の伴う対話を通し、新たな架け橋を生み出していく可能性を育む器であるには。

そして、この世界を共にする異なる生活環境に生きる一人一人の願いをきき、考え、違う願いが共にある未来を育む存在であるには。

まだまだ問いも積み重ねることも尽きない。だから、ついつい未来の風景に没頭しがちなわたしは、丁寧に今を、そして足元を見つめていきたいなとも思う。

そんなあり方を一緒にこの器を育むそれぞれのリーダーシップから学んでいる。

小川の流れを確かなものにしてきたリーダーシップ。その流れや変化を大切にするリーダーシップ。新たな生き物が遊びに来るスペースを育むリーダーシップ。この小川に命を吹き込んできた様々なリーダーシップと共に、そこにシナリオプラニングを策定する人たちが集い、12月からプロジェクトが始まる。

冬に向かう季節に、新たな息吹が吹きこまれた小川は、春の兆しを感じる頃にどんな流れとなっているのだろうか。


次回は具体的にこのプロジェクトに関わる人たちのこと、そしてプロジェクトの手前に出会った物語、プロジェクトの先にある風景について書いてみたいと思う。




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