英語以外の言語習得は無駄かどうか

昨日とあるブログを見ていたら、英語圏国際結婚じゃない人が、英語圏結婚の人にディスられている記事を見て、少し共感・・・。(その言語に不快感をもつ人から、「話すのはやめてほしい」みたいに言われたとか。)


離婚してから、やりがいを持とうと思ってアラビア語を勉強し始めた私に私の家族は嫌~な顔してたんだよねぇ。

「そんなの勉強しなくても」という母親に「英語とかフランス語ならいいの?」と言い返してしまったが、一部の人には言語にも良いイメージと悪いイメージのものがあるらしい。

日本では戦後、アメリカ・ヨーロッパ・英語はカッコイイ☆

みたいなメディア戦略もあったから、英語ができると、仕事できそう、頭よさそう、みたいに思う人もいる。

でもさ、実際に仕事していると、英語はどんな言語圏にある人でも一通りしゃべれるし、逆に非英語圏の仕事相手の場合は、相手の国の言語を話せたほうが打ち解けられたり、仕事がスムーズにできたりする。

私の場合、前職でアラビア語圏関係の仕事に携わってて、ある日アラブ人を面接することになった。

会社での公用語は英語なので、英語が出来ていれば業務上支障がなかったんだけど、そのときにちょうど監査でエジプトから監察官みたいな人が来てて面接に乱入してきた。その結果どうなったかというと、私そっちのけでアラビア語で小一時間話し始めたんだよ。

完全に私は蚊帳の外。

監察官が自分の権力を見せ付けたかったのか、私を小ばかにしたかったのか分からないけど、明らかに悪意のある行為だった。

でも、どれだけ相手に配慮しなくても特に罰せられるようなことでもないし私が文句いったところで「あ、そう」で済む話なのだ。


言語は武器になる。

武器を持たない私は、戦いの舞台に上がることすら出来なかった。

まぁそれがきっかけでアラビア語を勉強したわけではないけど、縁あって今の夫と出会い、やはりこういうことは避けたいなっていう意識が働いた。

今後の生活の上で、アラビア語の契約書などを読まなければならないこともあるだろう。そういうときに自分が戦力外になるのは嫌なのだ。そして、コーランをちゃんとアラビア語で読みたいし。

そして今はアラビア語の学校に週の半分くらい通っているのですが、やはり馴染みのない言語ということもあり・・・

たまに心が折れつつ、挫折しつつもかろうじて続けているといった状況です。去年は教科書が思ったように読めなくて悔しくて授業の途中で泣きながら帰宅したこともありました(笑)。

けど、苦労したからこそ、スムーズに読めたりとか、いつのまにかすらすら文字書いてる私!って感動する瞬間があるから頑張れます。

それはそうと、日本語で書かれたアラビア語参考書が少ないんですよね~

書店に行っても「その他の外国語」コーナーに追いやられているし、昔なんてインターネットもないから更に情報が限られてた訳で。そういう時代に勉強してた人はすげぇなぁと思っています。

そんなときにやはり英語が役に立つ。(英語習得しててよかったよ!留学したことすらないけどw)

日本語の参考書は極少ですが、英語での参考書は結構あります。

そして解説するサイトの数も圧倒的。コーランの翻訳も英語サイトの量が多い。だからやっぱり英語は有能なツールになる。使えたほうがいい。

自分が何か調べたいことでも、日本語の参考文献が少なかったら、英語の文献にあたるだけでも情報量が格段に増える。でも、英語だけが目的になるのはもったいないと思う。


そして英語以外の言語習得は、無駄ではない。話が広がってしまうんだけど、無駄と有益、快と不快だけの判断基準でやりたいことや興味あることを狭めるのって、人間関係や自分の世界を狭めてしまうことだと思う。

たとえば田舎の農家で、ただ畑を耕していればいい勉強とかおしゃれとか無駄だからする必要はない、って言われている感じがする。

うちの両親がそうだった。彼らが持つ人間関係と行動範囲は非常に狭く、決まった生活パターンを崩されるのを非常に嫌っていた。だから私が好きなことを彼らと一緒にやることは出来ず私が合わせるしかないのだ。(私からしたら、私の好きなこと全部否定されてる感じで悲しいが。)

彼らの価値観は否定するつもりはないし、逆に彼らからしたら、私はおせっかいで自分の守られた世界を乱す、災害みたいな扱いなのかもしれない。

後から見たら、私たちは価値観がまったく合わないだけだから、距離を置いて付き合うのがいいと分かった。

私はやっぱり新しい世界を知るのが楽しい。私の夫はアニメが好きで、私はアニメには興味も好きな感情もなかったが、夫が好きだから好きなものを一緒に楽しみたいと思う。で見始めたら、なるほど私が好きになってしまうものもあった。(今では私が録画管理しているアニメもある。)

そしてアニメがきっかけで、世の中の仕組みを思い知らされたり、出来事についての深い考察が(と書くと仰々しいが)出来たり、元々自分の好きだったものが、あるアニメとつながっていたりでどんどん新しい発見がある。

小さい幸せだけど、常々マーシャッラー!って思う。

って何が書きたかったかっていうと、自分が価値あるものしか価値あると認められなくて価値観を押し付けてくる奴らには、

少なくとも「そいつが無駄だと思っていること」に関する知識・情報量が彼らよりあるあなたの方が、

「ほーん、で?」「それあなたの感想ですよね」

「なんか、そういうデータとかあるんですか?」

とか頭の中で思って(煽って)ればいいと思った。

頑なな人は、他人の意見を聞くことすら「無駄」と判断するので、話し合う余地もないのだ。


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