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「上田久美子の The 舞台の哲学──すべては宝塚からはじまった? 」

昨日、ゲンロンカフェで行われた「上田久美子 聞き手=上田洋子 上田久美子の The 舞台の哲学──すべては宝塚からはじまった? 」最高でした。こんな感じのことをお話されていたと思います。

フリーの演出家になって、なんで皆さんやっていけるんだろうと思っていたが、実家が太いのが演劇界だと分かった。そういえば、昔の文学者も高等遊民みたいな人ばかり。
実家は奈良の柿農家(星逢の「せん」かよw)
京大出て東京でサラリーマン生活。配属されたのは人事部で、能力主義に基づく考課をやらされてヤになる。
宝塚の入団試験では、美文調の文章を提出して目立とうと思った。三島由紀夫、太宰治、柴田侑宏などの作品を簡単に真似してコピーできる能力はあると思っている。柴田先生風の台詞なんかも簡単に書ける。
他は「握力」試験ぐらいで、なぜ演出助手で握力検査があるのか分からなかったが、昔から握力は強かったので、自分では握力で受かったと思っている。
宝塚の舞台も昔は良い加減で、後で予定がある時などはチャッチャと済ませることができていたが、今はそうした手抜きはできなくなっている。また、昔は全場面でセットが組まれていて、採算なんて度外視だったと聞いた。今のような表裏を使うような効率的なセットのつくりはエリザから。
宝塚の場合、お手洗いの時間が厳格なので、1時間半の芝居と1時間のショーという構成になっている。芝居では、カッコよく見せたい時間が欲しいので子役の場面は不必要だと言われている。
『星逢一夜』はもうひとつの洋物と合わせて2案のうちどちらかということで提出した。公演予定の時期は夏。ほかの演劇でもニッパチは客が入らず、人気の出ない和物は夏の公演では宝塚でもタブーだった。雪組のプロデューサーも洋物だろうと言っていたが、最終的に作品を決める会議で、当時の小林公一理事長が「初の大劇場作品だし、本人がやりたがっているなら和物でいいんじゃないか」ということで『星逢』に決まったとプロデューサーが驚いたと言っていた。

昔は、こうした義理人情もあったが、100周年ぐらいから、劇団内では儲けようという意識が高まっていった。団体客を入れて回転率を上げたりして、空席をなくしていったが、同時に余裕がなくなっていったと思う。

宝塚の改革では、入団年齢をOSKみたいに23才まで段階的にあげたらどうか、と劇団にも直言した。今の中3から高3までの4回受験と決まったのは70年以上も前のことで、それから変わっていない。しかし、この間、女性の社会進出も進み、結婚年齢なども上がった。そうした中、子供の頃から宝塚受験を準備して、社会経験がほとんどない中で、独特な集団生活に入れられ、それが音楽学校以降も続く。ある生徒さんも「入ってから、この世界には向いてないと分かったけど、中卒で社会人経験もないのでは、外で全く評価されない。やめたくてもやめられない」と言っていた。例えば、合格しても大学を卒業してから入団できるような制度を導入したらどうか。

実験的な演劇をやっているが、今はとにかく「生きている実感」を感じている。

ぼくが観てきた演劇界では蜷川、つか並みの才能と、世界を乗っ取るんじゃないかと思う大きさを感じる演出家だから、これからも応援していこうと思い、さっそくNOTEの会員になりました。

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