今年の一冊は『文選 詩篇 全六巻』川合康三など訳注、岩波文庫

 ずっと続けているので、今年も読んだ本の中から「今年の一冊」を選びたいと思います。

 最近の人文書では日本の中世史が活況を呈しているな、と。ヘイト本も出すような宝島社に買収されて新刊が出なくなる歴史新書yシリーズや、ちくま新書の『中世史講義』『考古学講義』などのアンソロジーも素晴らしい。中井久夫先生が《日本の組織は軍でなくとも、たとえば私の医局でも私がいない時は誰、その次は誰と代行の順序がわざわざいわなくとも決まっている。これは日本の組織の有機性という大きなすぐれた特徴であると思う》と『災害がほんとうに襲った時 阪神淡路大震災50日間の記録』で書いておられますが、チームワークで力を発揮する日本人的な特性が出版の世界でも発揮されているのかな、と。

 今年の一冊もそんなチームワークの力を感じる『文選 詩篇 全六巻』川合康三など訳注、岩波文庫。今年完結したので「今年の一冊」とさせていただきます。

 文庫本で2553頁という文選詩篇は足かけ2年でスケジュール通り刊行されました。詩経などは〈よみびと知らず〉の詩がほんどでしたが、曹丕『典論』を経て作者の個性が認識され、表現も洗練の度を加えて「作者の誕生」につながっていく、という流れが理解できるとともに、六巻の付録の年表によって、秦から南北朝時代時代にかけての主な出来事と、士大夫らがどう動き、詩を書き、それが文選のどこに収められているかが分かり、漢詩の作り手は大状況に対応していたことが改めて実感できます。

 五巻の「はじめに」で《叙情や人生のはかなさから生じる悲しみと満たされない恋の悲しみ-中略-それは日本や中国に限らず、どの国の叙情詩においても見られるものでしょう。ただ中国の士大夫の文学はそうした感傷に浸ることなく、悲しみを乗り越え、人間の力を肯定し、生きる意欲をうたおうとする、そこに中国古典詩の特質があるように思われます》と書かれているのには蒙を啓かれました。それぞれの詩の最後に《『詩品』上品》とか書かれているのを素人なんで、最初は何だろうと思ってたけど、梁の鍾嶸が編纂した文学評論なんすね。『詩品』では曹植が上品、曹丕が中品、曹操が下品。

 四巻では楽府第の「長歌行」に《百川東至海(すべての川は東に流れ海に注ぐ)》とあって、中国の河川は東流して海に注ぐだけの一方通行なんだな、と思いました(p.368)。インドも南流、ロシアは北流するだけなのに対して日本や欧米は東西どちらにも流れる川が多いのは示唆に富む対照かな、とか。解説では「過ぎ去った歳月が二度ともどらないことをたとえる」としているのですが、日本の時間感覚が一方通行ではなさそうなのは、そうしたことからなのかも。

 文選には三国志から八王の乱など中華が大いに乱れた時代の作品が多く収められていますが、この時期は「中華」の範囲が経済活動を中心に南方に広がっていき、それは「呉」出身の官僚たちの詩の多さにも現れていると思ったのが三巻。そして詩をつくる中心だった官僚たち、あるいは曹植など皇帝の親族でさえも激動の時代に翻弄され、彷徨い、激しい政争の中で殺されていきます。

 二巻の途中で、詠史から哀傷に移ってきます。中国史批判みたいな詠詩から隠遁願望みたいなのが多くなり、感情移入しやすくなり、じっくり味わって読みました。

 一巻は難儀しました。歴史、故事を知らないのでなかなか読み進めませんでしたが、強調されていたのは、当時の詩が《他者との関係性を持つ開かれた場で書かれ、社会性をもっていたこと》(p.394)。曹丕の建てた魏王朝から司馬氏が晋を建国したものの、北方民族によって崩壊し、東晋から南宋に変わった時代を背景にしていたというあたり。

 永井荷風は一時期、文選だけを読みながら日を送っていたらしいのですが、詩経の透明な詩を読んでいると、こういうのしか受付られなかったような時期もあったのかな、と感じます。もっとも荷風はおそらく白文で読んでたんでしょうけど、学のないぼくは解説に助けられながら、やっと読みすすめられたことは本当に有り難いことだったな、と思うと同時に、まだ『文選』は日本に受容されていないな、とも感じます。

 このほか、冬休みなどでに読むのにお勧めしたい2019年の書評年度に刊行された本は以下の通りです。

『天皇はいかに受け継がれたか: 天皇の身体と皇位継承』加藤陽子責任編集、歴史学研究会編、績文堂出版
『独ソ戦』大木毅、岩波新書
『人生で大切なことは泥酔に学んだ』栗下直也、左右社
『中世史講義 院政期から戦国時代まで』高橋典幸、五味文彦(編)、ちくま新書
『考古学講義』北條芳隆(編)、ちくま新書
『行動経済学の使い方』大竹文雄、岩波新書
『フランス現代史』小田中直樹、岩波新書
『武器としての世論調査』三春充希、ちくま新書
『玉三郎 勘三郎 海老蔵』中川右介、文春新書

『天皇はいかに受け継がれたか: 天皇の身体と皇位継承』加藤陽子責任編集、歴史学研究会編、績文堂出版
このアンソロジーも日本史研究者の方々のチームワークの良さを感じさせる一冊。列島では古来から比較的王殺しが少なく、禅譲=上皇が突出して多いというのは、例えば総理大臣など政治のトップの逮捕・起訴などが少ないというのにも通じるかな、と。殺害される王が稀で譲位する王がこれほど多いのは珍しいとのこと。また、欧州の王政は世襲と選挙があるが、日本は世襲を疑わなさすぎだ、という指摘も新鮮。禅譲システムは皇位を簒奪する名目なのに、日本では天皇家を王家として強化するシステムとして幼帝を践祚させて、自分は上皇となって自由に遊びまくるとアレンジするのは凄いのも。また、今年行われた譲位は昭和天皇崩御時の混乱とローマ法王の生前退位(これも驚愕だった)を受けて実現したんだろうな、と改めて思います。

『独ソ戦』大木毅、岩波新書
従来は軍曹あがりで軍事的に素人のヒトラーが無理難題を押しつけたため、優秀なドイツ軍が目的を達することが出来ず、人海戦術のソ連に押されてしまったという認識だったんですが、スターリングラードの独第6軍を逆包囲して殲滅してからは、ソ連軍が見事な連続打撃による有機的な大作戦をみせことに驚く。無傷の日本軍もソ連軍には鎧袖一触で粉砕されるんですが、それはソ連軍の見事なまでの有機的で連続的な作戦にあったんだな、と分かりました。また、補給が伸びると現地調達に走るというのは機械化されたドイツ軍も、戦国大名も同じだな、と。

『人生で大切なことは泥酔に学んだ』栗下直也、左右社
今年一番、読書の愉しみを味あわせてくれた本。河上徹太郎、小林秀雄の屈折した酔っ払いっぷりには筆者ならずとも《「ごめんなさいもいえないのか」と叱ってやりたい》と思うばかり。連載時から好きだった筑摩書房・古田晁社長のエピソードは《ある日、馴染みの居酒屋でできあがっていた古田は店の前を屋台のラーメンが通ったので外に出た。酔っ払っていたとはいえ、腹が減っていたのだろう。食べながら、しばらくすると、一緒に出ていた板前に紙を要求する。口の周りでもふくのかと我々のような凡人は思うし板前も想像したのだが、古田は紙を腰より下に持っていく。どうしたのだろうか。のぞいてみると何と脱糞していたのだ。ラーメン食いながらクソである》という酔い潰れてズボンを濡らしてしまうようなありがちなエピソードのはるか上空、成層圏を超音速で翔け抜けるような見事さ。

『中世史講義 院政期から戦国時代まで』高橋典幸、五味文彦(編)、ちくま新書
白眉は[室町幕府と明・朝鮮]。日本史は東アジア史とリンクさせないと実相はみえてこないな、と改めて感じました。また、1590年に秀吉が150年ぶりに朝鮮に使節を送った時、李氏朝鮮はそれまで通交を続けてきた大内氏、少弐氏など諸大名の滅亡を知ったそうで、今の時代にも「近くて遠い関係」なんだな、と。それにしても宋も明も漢民族の王朝は弱すぎるな、と。漢民族が統一しても、だいたいすぐに騎馬民族にやられてしまう。結局、各地で実質的に面倒をみる官僚層が民衆から尊敬を受ける基盤がつくられていくんじゃないのかな…どうなんでしょ。

『考古学講義』ちくま新書、北條芳隆(編集)
 全体の責任者である北條芳隆さんによる最後の14講義「前方後円墳はなぜ巨大化したのか」が抜群に面白く、まとめてみると以下のようになります。1)前方後円墳を国家形成過程での「王陵」とみると、徐々に大きくなっていくのはおかしい。なぜなら、先代墓より大きなものをつくるのは祖先の神格化を阻害するから2)秦の始皇帝と同規模の墓をつくるのは当時の経済力からして不釣り合いにすぎる浪費3)厚葬は富の消費で、国家ならば治水や利水などの公共事業に傾注すべき4)前方後円墳で基本構造が似ているものがつくられたのは部族集団が優劣を争ったからではないか5)巨大墓の造営は蓄財の完全放棄による身分の平準化志向がうかがえる-という5つの疑問を呈し、そこに1)東アジア一帯を襲う寒冷化と乾燥化2)後漢王朝の滅亡から魏晋南北朝期に至るまでの中国大陸における南北分断国家群の興亡3)高句麗の南下による朝鮮半島の流動化および朝鮮三国間の緊張関係という条件を考えると、それは巨大な前方後円墳の造営は「ポトラッチ」ではなかったか、というんですね。倭の大王は世襲された可能性は皆無に等しく、新たに擁立された大王の権威は、血のつながらない先代との比較優位を目指すために、ポトラッチのような競争が生まれたんじゃないか、という推測は納得的でした。

『行動経済学の使い方』大竹文雄、岩波新書
金銭的なインセンティブや罰則付きの規制を使わないで人々の行動をよりよいものにするのが行動経済学の目的。人間は確率0%の状況から小さい確率でも発生する可能性が出てくる思うとそれを過大評価し、100%から僅かに下振れのリスクが生まれると確実性が大幅に低下すると感じるというあたりはワクチン忌避や放射脳など社会的な脅威を生む素地になっているのでしょうか。現状維持バイアスの強さも納得できる。

『フランス現代史』小田中直樹、岩波新書
黄色いベスト運動の抗議デモの広がりを受けてマクロン政権は燃料税増税の棚上げや最低賃金を月額100ユーロ引き上げることなどを発表しましたが、フランスの為政者は民衆蜂起に弱いな、と改めて思いました。ルイ16世以来の伝統なのかな、と思ったんですが、もっと根源的な問題として、安全保障としてドイツと組んだEUから抜けられないから、ハイパーインフレにトラウマを持つドイツが求める緊縮的な経済政策というEUのコルセットを外せないという問題があるかな、と。だから財政出動という庶民に優しい政策も取れず、基本的には抜本的な対策を先送りし、目新しい政治家が現れて改革を進めようとすると庶民が暴動を起こして引っ込めさせるということを繰り返してきたのかな、と。

『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』小熊英二、講談社現代新書
日本型雇用は「企業のメンバーシップ型」、欧米は「職種のメンバーシップ型」。この違いは長期雇用や安定した賃金を「社員の平等」で実現するか「職務の平等」を通じるかの違い。日本で企業別労組が発達したのは大平洋戦争後、食糧難の中で、疎開にも行けずに荒廃した都会に残された、帰るべき田舎を持たない工場の従業員が互助的に工場内の土地や物資を使って自活するなどの経験が大きかった。工場は配給ルートとしても重要だった、というあたりはハッとさせられた。《どこの社会の労働者も、雇用や賃金の安定を求めるし、経済状況が許せばそれが可能になる》(p.205-)わけだが、日本の非正規の問題は、グローバル化にフィットした「職務のメンバーシップ」が不況期に拡大して、日本国内でも改善される見込みがないことなんだろか、と考えさせられました。

『武器としての世論調査』三春充希、ちくま新書
面白かったのは東西で与党列島と野党列島に分けられるという指摘。これは佐藤進一先生以来の日本中世史の東国国家論を現在も反映しているとも言えそう。元々、三春充希さんは理系の研究者だったらしいけど、データ分析を進めると、東大史学の日本中世史の東国国家論が浮かび上がるというのは凄いな、と。

『玉三郎 勘三郎 海老蔵』中川右介、文春新書
泣いても笑っても2020年には十三世團十郎の襲名披露興業がやってきます。十一代目は早世し、十二代目は器ではなかったので、今の海老蔵は劇聖と言われた九代目團十郎以来の帝王にして改革者となるわけで、それは《初代市川團十郎が始めたものが現代に続く歌舞伎であり、代々の團十郎がそれぞれの時代の歌舞伎を作ってきた。今後は十三代目團十郎の歌舞伎が歌舞伎となる。それを認めたくない人は、別の歌舞伎を作るしかない》という時代の幕開けにもなります。

 このほか、シリーズアメリカ合衆国史やシリーズ 中国の歴史は全巻が完結した時に書きます。

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