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88/* 鶏が先か、卵が先か

先日、idontknow主催の忘年会に行ってきた。僕なりの感想や思いはこの前日記にかいたが、同じ場にいた大杉さんがとても面白い総括を書いていた。惜しくも生焚き火トークは聴かずに帰ってきてしまったが、ありがたくも大杉さんとお話ができたからなおさら、なるほどなと思える言葉だった。

鶏が先か、卵が先か

これを語るにおいて必要なものは全て大杉さんが話しているから、僕から改めてまとめなおすことや、大杉さんの総括に対しての感想を述べることはしない。ただ、僕の中で凝り固まっていた一つの疑問にとてもフィットして飲み込むことができたから、今日はそれについて書くことにする。

僕は日記でしばし、「問題意識」と「ものづくり」ということについて考えてきた。アイデアやコンセプトやものづくりといったものを、強引にクリエィティブとまとめるならば、クリエィティブに求められているのは、課題解決だと思っている。昨今よく「インスタ映え」などと言われているものなどは、一手法であって、クリエィティブそのものではない。

見た目がいい感じ、だけでは僕の目指すものづくりにはたどり着けないという実感があるからこそ、「問題意識」の欠如という問題は、僕にとっていたく重大なものであった。大杉さんの言う、「コンテキスト(文脈)」に近い部分である。

大前提として言えるのは、やはり「問題意識」と「ものづくり」は切っても切り離せないものだということ。両者は単体では成立し得ないし、バランスを崩してもいけない。どっしりと両者がつりあってこそ、本来の目的であった課題解決がなされるのだと思っている。

だからこそ、というべきか、どちらかに偏って傾倒するのも良いとはいえない。問題意識ばかりが肥大して解決の兆しがなければだめだし、優秀なものを作り上げても、語るものがなければやはりそれも空虚だ。どっちが大切だとは言えないものだ。まさしく、「鶏が先か、卵が先か」の議論のように、永遠に答えは出ないだろう。

問題意識が先に起こることもあるだろうし、何かしらのアイデアやコンセプトが先に思い浮かぶこともあるだろう。どっちが良いとか悪いとかはなくて、大切なのは均衡をとれるように裏付けていくことができるか、だ。要するに、問題意識が先に起きたのならそれに見合う成果物を、アイデアが先に浮かんだのならそれに見合う問題意識を、後付けでもなんでも収斂することが大切なのだ。

卵から語る生態系も、鶏から語る生態系も、間違いではないのだから。

#日記 #エッセイ #コラム #クリエィティブ #ものづくり

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