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176/* 匙を投げるな

今日は、昨日の日記の補足的なnote。

昨日、透明な会話という表題でコミュニケーションについて書きました。相手に伝わってこそようやく価値があるんだよ、みたいなことですね。ただこれはあくまで、発話者においての話しであって受取手はまた別の配慮が必要だなー、と思うところがあるので、今日はその話をします。

「一を聞いて十をしれ」なんて言葉がありますが、これ、立場によって意味合いは変わってきます。昨日の話でいうと、発話者の立場における「一を聞いて十をしれ」は、当人の怠慢でしかなく十を知って欲しくば十を伝えろ、と僕は思っています。しかし、受取手の立場でいうと「一を聞いて十をしれ」精神はとても大切で、相手の気持ちを慮ろうとすることが必要です。

例えば発話者が十を伝えたいと考えて十の言葉でコミュニケーションを図ったとします。しかし大抵、その十の言葉の中には本人だけの思い込みがあったり、認識の齟齬があったりして、結局伝わっていくのは6割ぐらいになってしまいます。なので受取手は、どれだけ丁寧な相手と対峙しても、全体の6割とか、下手するともっと少ない情報量の中で、相手が伝えようとしていることを理解しなければいけません。

そこで大切になってくるのが、受取手の「一を聞いて十をしれ」精神。

限られた情報量の中で、想像力を働かせて意図を汲み取ろうとするからこそ、6割程度だった情報が補完されてようやく本来の十に近いところまでいくんじゃないのかな、と。ようするに、コミュニケーションは一方的なものではなくて、双方向的なものであるので、受取手は匙を投げずに理解しようとし続けることが大切です。

発話者にとってのタブーは「言わなくても分かるだろ」ですが、受取手のタブーは「言われてないから知らない」です。お互いを重ね合わせようとすると矛盾が生まれそうな気がしますが、立場ごとに大切なものごとが変わっていくのが難しいところです。

コミュニケーションの本質は気遣いです。本来であれば、発話者だからとか、受取手だから、なんてことはなくて、相手のことをどれだけ思いやることができるか、という一言に尽きる。コミュ障なんて言葉もありますが、口下手だからダメだとか、話すのが好きだからコミュニケーションが上手い、という風に簡単には決めつけられるものではありません。

思いやりとか、想像力とか、洞察力とか、言語だけでないあらゆるスキルが必要とされるのが、コミュニケーションです。お互い、匙を投げていたんじゃ、伝わるもんも伝わらなくなってしまいます。

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