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【学校はどこまで必要なのか】

2020年は、学校教育に大きな衝撃が走りました。言わずとも知れた世界的な学校閉鎖です。以前より、学校教育に対しては様々な意見がありましたが、主な議論は、(1)学校不必要の二元論、(2)学校教育の質向上(アップデート)でした。2020年の衝撃は、これに加えて、(3)学校はどこまで必要なのか、という問いを立てたと思います。

学校の授業の一部を家庭でするようにと言われた時、「勉強の遅れについての心配」、「誰がこどもを見るのかという不安」が出ました。この不安は現代をよく表していると思います。

勉強の遅れについては、教育の多くの時間を学校に委ねていたため、家庭でそれをする役割はほとんど考える必要がなかったと思います。誰がこどもを見るのかというのは、共働きの家庭ではより深刻な問題となったと思います。保育園の頃から施設に入学させることが、経済的にも女性の社会進出にも良いと考えられています。0歳から入学できないと入園が難しい仕組みや勤め先にはブランクがあると迷惑がかかるという思いもあるでしょう。


学校の目的と現代のニーズの差異

こういったニーズがある一方で、学校の本来の目的がそのニーズに答えているかというと、「誰がこどもを見るのか」については、答えていないのです。教育基本法を見てみましょう。

教育の目的
第1条 教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。

教育基本法(平成18年法律第120号)
教育の目標
第2条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

教育基本法(平成18年法律第120号)
義務教育
第5条
1 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。
2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を培い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。
3 国及び地方公共団体は、義務教育の機会を保障し、その水準を確保するため、適切な役割分担及び相互の協力の下、その実施に責任を負う。
4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。

教育基本法(平成18年法律第120号)
学校教育
第6条
1 法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。
2 前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な規律を重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。

教育基本法(平成18年法律第120号)
家庭教育
第10条
1 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するもので
あって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。
2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

教育基本法(平成18年法律第120号)

この第10条については、子の教育について第一義的責任は父母その他の保護者であると言っています。ここについて、もしそうだと強く思うのであれば、学校閉鎖が発生した時の学校の対応に対して、不満以外にももう少し多様な意見が出たのではないかと思います。ですが、それは法律をもって表向きの理由を論拠に言っているのであって、保護者からはあまり納得はされないでしょう。それは、長らく止まることなく流れ続けていた学校教育があることを前提に、人々のライフプランが作られているからです。


学校は託児所が本流!?

こんなところで、興味深い意見が出ていました。

「日本では、学校は学問をする場ではなく、託児所だったんですね。従順な国民を育む場として機能しているんですね」コロナ禍、知り合いの在日外国人からこんな指摘を受けた。そのとおりだとうなずいてしまった。

そうなのか?と言われると、どうでしょう?うなずき、違和感、などありますでしょうか?表向きに学校を託児所だということは、はばれるでしょう。ですが、実態(裏)としてはどうでしょうか。託児機能は本流ではないけれども、実は保護者のニーズの本流になっていたということが、とても現代を表している気がします。これは誰が悪いということではありません。保育園の入学の「保活」の時点から、人々は誰かに預かってもらわないと働けない現状があるのです。

二元論では進まない学校のアップデート

学校不必要の二元論では、必要という人が大半になりますが、本当に学校でなければならない機能はどれなのかについては話されていません。「誰かに預かってもらわないと働けない現状」があるのであれば、それは学校でなければならないのか?ですが、今は代替手段がなかなかないのでしょう。学校不要という理由も様々なものがありますが、学校の勉強がこれから必要とされているものに追いついていない、学校の外の方が学べるという見方あるでしょう。勉強だけを考えるなら、オンラインの方がいいという生徒もいるそうです。そうすると勉強は、物理的な学校という箱ではなくても良いのではないか?という発想が生まれます。学び方にも学ぶ本人にとっても効果の高い方法があり、今の学校がいい、少人数がいい、オンラインがいい、独学などあるでしょう。


「教育の重要性の拡大」と「義務教育は最小限の社会的保障」という差異

2020年が教えてくれたのは、「学校はどこまで必要なのかの問い」です。

義務教育に係る諸制度の在り方について(初等中等教育分科会の審議のまとめ)には、興味深い意見がありました。

義務教育の目的
分科会の審議においては,義務教育の目的について,主に以下に示すような意見があった。

義務教育は欧米の発想で,教育が庶民にまで行きわたっていなかった時代に,国の力でどの子どもも学校に行くことを保障しようというもの。社会が豊かになった現在,その概念を考え直すことが必要だが,その際も,1.国家・社会の構成員としてふさわしい最低限の基盤となる資質の育成(社会の統一性・水準維持),2.国民の教育を受ける権利(学習する権利)の(最小限の)社会的保障という2つの目的は維持されるべき。

・義務教育の意義は,1.国として,国民としての統一性や水準の維持,2.多様な変化の時代に生きていく子どもたち一人一人の個性や特性の基礎づくりの2点。

・義務教育においては,1.社会の良き形成者を育てるという「社会の側からの教育」と,2.人生をより良く生きるための土台をつくるという「個人の側からの教育」の両方のバランスが重要。「我」の世界と「我々」の世界を生きることのできる人間を育てることが必要。

・義務教育の目的,目標は,憲法,教育基本法,学校教育法,世界人権宣言,国際人権規約,子どもの権利条約,障害児関係法などに規定された市民権としての教育への権利を保障すること。

・義務教育の目的,目標は,高度に発達した複雑な現代社会において,生涯を人間としてとにもかくにも生きていけるだけの資質能力を体得させること。

・義務教育には,「国家として,あるいは国民としての統一を目指す」という側面と,「子どもや学校の持ち味,個性,独自性を育てる基礎づくり」という側面とがあり,この両者をバランスよく維持していくことが重要であり使命である。

・義務教育の目的とは,「人間力」を備えた市民となる基礎を提供すること。つまり,社会に生きる市民として,職業生活,市民生活,文化生活などを充実して過ごせるような力を育むことと言える。これは,「生きる力」として文部科学省が教育改革の中で提唱してきたことと軌を一にするもの。


これらの意見を大づかみに集約すると,義務教育の目的については,次の2点を中心にとらえることができるものと考える。

1 国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成
2 国民の教育を受ける権利の最小限の社会的保障

義務教育を通じて,共通の言語,文化,規範意識など,社会を構成する一人一人に不可欠な基礎的な資質を身に付けさせることにより,社会は初めて統合された国民国家として存在し得る。このように,義務教育は国家・社会の要請に基づいて国家・社会の形成者としての国民を育成するという側面を持っている。
 また,一方で,義務教育には,憲法の規定する個々の国民の教育を受ける権利を保障する観点から,個人の個性や能力を伸ばし,人格を高めるという側面がある。子どもたちを様々な分野の学習に触れさせることにより,それぞれの可能性を開花させるチャンスを与えることも義務教育の大きな役割の一つであり,義務教育の目的を考える際には,両者のバランスを考慮する必要がある

教育の重要性がますます叫ばれる中、国としては義務教育の目的について「国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成 」「国民の教育を受ける権利の最小限の社会的保障」として、最低限、最小限と表現しています。学校教育に対して、このような印象はありましたか?先生方の過労状況を考えると、ますます学校が「大きく」なっている印象を受けます。しかし、学校の役割がますます大きくなることは、持続可能なのでしょうか?

教育、学びを問う機会を得た今

「何が教育なのか」にはたくさんの意見があります。ですが、学校はどこまで必要なのか?については、これまであまり問われていなかったと思います。2020年は、教育、学びを問う機会を得ました。この機会に、一度考えてみることもできるでしょう。

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