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孤独。

4年間担当していたご利用者が亡くなったようだ。
地域新聞のかわら版お悔やみ欄に名前と年齢が記載されていた。
65歳だった。

私(老人施設勤務)がTさんの担当になったのはTさんが57歳の頃だったと思う。
Tさんの担当職員が異動となり、私が引き継ぐことになったのだ。

異動した担当職員は私と同い歳のできる男だった。

彼は私に引き継ぐ利用者(TさんとNさん)の病気や性格、思考等、彼が仕入れたアセスメントをA4の紙いっぱいに打って私に渡してくれた。特にTさんがまだ57歳という若い年齢であるということへの考慮や、ブラックコーヒーが好きだから〇時に提供して欲しいこと等、彼がTさんに出来ることをした証が打ってあった。
決して押し付けるわけではなく、彼なりの引き継ぎ方だったのだと思う。

そのA4の紙の締めくくりに、手書きでこう書いてあった。

『よしよしさんなら俺よりもTさんのことをわかってあげれると思います。Tさんをよろしくお願いします。』と。

そのA4の置き手紙を受け取ってから、彼は私の見えないライバルとなり、私とTさんとの4年間が始まった。


自由奔放に生きてきたTさんの家族は、ご兄弟だけだった。そのお2人は理解はあるが行動にうつしてはくれない。でもそれは、Tさんの長年の奔放さ故で仕方ないことも理解できた。

されど私が出来ることはなんなのか。

考えていると、Tさんの担当は大変だからベテラン職員がしてはどうか!とかよくわからないイチャモンを会議でつけられて、「私がTさんを面倒見ます!私にさせてください!!!!!」と弱そうな私が強気に出たら、仕方ないわねーみたいな出来事があった。

そこから私はポツポツとしか話さないTさんに、とにかくしつこいくらい話しかけた。
することがないから寝てばかりのTさんだったので、逆に起きてる時に何をしているのか見ていたり、Tさんが何が好きなのか、さりげなく調べた。
私の話を聞いてもらったり、振り返ってみるとまー私はしつこかったと思う。
57歳という若く孤独なTさんを孤独から救いたかった。

そんな私のしつこい日が続くと、周囲も私とTさんの仲をうらやむようになってくるからおもしろいもんである。
『Tさんのよしよしさん』というイメージがついた様子だった。とりわけ素晴らしいケアはしていたとは思えない。ただしつこくTさんと話していただけだった。

それはつまりTさんとの関係が良好になってきたのだ。

ある日、Tさんが廊下の奥のソファーから外を眺めている姿が多いことに気づいた。
Tさんが見ている方向もいつも同じ。
コンビニや病気になる前のTさんが飲み歩いていた繁華街の方を見ていた。
Tさんに話しかけると「上から眺めてるの楽しいんだよね。」「外見るの好きなんだよ。」と教えてくれた。
私が外に出たいか尋ねると、「うーん、出たいっちゃ出たいけどー飲みたいんだよね〜飲めないならいいや。」と笑われた。

春になって暖かくなってから、ケアマネに頼みケアプランに週に1度散歩することをプランに入れてもらった。

「めんどくさいわー」と言われながらも、Tさんは私に付き合って施設内の駐車場を1周してくれた。
「上から見てる方が楽じゃーん」とブーブー言われながらも一緒に付き合ってくれた。

食事も朝からパン3枚食べられたり、職員に頼んで朝食時にブラックコーヒーを特別に出してもらった。

夜間だけ尿失禁されて全身更衣されてしまうので、どこから漏れやすいのかアセスメントし、Tさん独自のパッドの当て方の工夫を職員に周知した。

昼夜逆転してることを問題視されたこともあったが、60歳前の人が施設に入れられて不便な思いをしている気持ちをわかってあげてほしい。職員に迷惑をかけることはしてないのでは?!と会議で発言した。

逆に会議で、Tさんの誕生日に目の前のコンビニで食べたい物を選んで食べてもらいたい!と発言して却下された。笑

59歳の誕生日に車椅子の上の低反発クッションをプレゼントしたところ「いいセンスしてる」と喜んでくれた。
60歳の還暦の誕生日に、ちょいエロ漫画をプレゼントしたところ「ちょっとエロ足りないわー」と言われつつも何回も読んでくださっていた。(読むもんないし暇なんだモーンと言われてたけど笑)

そんなこんなしていると、職員もTさんに優しくなった。
階や職種を越えて職員に話しかけられていたり、いろんな時間にコーヒーを職員からもらっていたり、Tさんにと週刊漫画を持ってくる職員もいた。

優しさは連鎖していくんだなーとTさんから学んだ。
そしてTさんを思っての行動は、私自身を強くしてくれていた。


Tさんが別の施設に行くことが決まった。

私はやっとTさんを外に出してあげられる安堵感でいっぱいだった。
そして見えないライバルとの約束を果たせた思いでいっぱいだった。

別れの日、あんなに出たがっていたこの施設から出たくない!と、61歳のTさんは人目もはばからず泣いた。


Tさんは退所されてから、通院のため月に1度併設の病院に通われており、その度に施設看護師が「よしよしさん、Tさん病院にいたよ〜」と教えてくれた。
会いたい気持ちと次の施設に引き継いだ気持ちとで、なかなか会えなかったけれど、たまたま病院でバッタリ会う機会があった。

その時のTさんは、4年前の孤独のTさんに戻っていた。
背中からただよう孤独さ。
話しかけると「おもしろくないんだよ。外が見えないんだ…」と言葉少なに教えてくださった。
その施設は1階でブラインドも下りており外が見えない様子だった。それはTさんの孤独を埋める唯一の手段すらないことを意味していた。
しかし私にはもうどーしてあげることも出来なかった。
励ます言葉も出てこなかった。
「Tさん外見るの好きでしたもんね。また辛くなっちゃったね。」と同調することしか出来なかった。

それが私とTさんの最後の会話だった。

今日かわら版を見てTさんが亡くなったことを知り、問いかけた。
Tさんは大きな持病を抱えていたから最後痛くなかったかな、
最近なんだか私の心もざわついて涙が出ていたのは、Tさんが会いたいと思ってくれていたのかな、
やっと自由を手に入れることが出来たTさんは喜んでいるのかな、
と自分に問いかけ、たくさん泣いた。

Tさん、看取ってあげられなくてごめんなさい。
看取って欲しかったんだよね。
ごめんなさい。
いつか私が死んだら必ず会いに行くから、それまで自由を謳歌していてね。

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