女性向け二次創作小説 比喩について

比喩。ハマれば数千字とか語ってくれる感想をもらえたり、尊敬する絵描きさんや字書きさんに絶賛してもらえたりすることもある、字書きの大きな武器のひとつです。

そんな比喩に使える考え方について、今回は書いていこうと思います。

・比喩する対象について、ちゃんと考える

まずは小ワザから。
目が黒かったら黒曜石とか、紫だったらアメジストとか、乳首を胸の飾りとか胸の尖りとか、使われ過ぎて形容していないも同然の、何となくの言葉を安直に選んでませんか?
眼球外して黒曜石入れて同じ顔になるか。多分ならない。表情が柔らかいキャラの目を、硬質の石に例えてしまってイメージが伝わるか。ちぐはぐになると思います。
また、誰の視点でその比喩で例えてるのか。世界観やキャラの語彙的にその比喩は合っているのか。脳筋が花とか宝石とか絹糸とかで相手を例えていないか。

ちょっと横に逸れますが、一般家庭の運動部の男子高生が、エロシーンで声上げてしまって「はしたない」とはまず考えないでしょう。ヤバいとかダサいとか、ありえないとか恥ずかしいとか、そんなとこだと思います。はしたないって恥じらいあっていいよね。でも、キャラの語彙に無ければ不自然なだけで終わります。

比喩で選んだ言葉が自然だと、説得力が違ってきます。手癖で書かずに、比喩表現を使う対象について、しっかりと考えて言葉を選ぶといいと思います。伏線以外で黒曜石とかアメジストとか書くくらいなら、◇◇な宝石とでも書いた方が、手垢まみれで安直感満載にならないだけまだマシな例えが書けます。

・残り物を賢く使った家計に優しいレシピ

黒曜石しか思いつかねえって場合、例えばそのキャラが人外とかと戦う人なら、黒曜石のような瞳の前に一言加えて『魔を祓う黒曜石のような瞳』とでもしてみましょう。だが、『黒曜石のように黒い瞳』、てめーはダメです。黒いやつわざわざ黒いって言う必要ないです。例えた言葉にわかりきった解説を入れないようにしましょう。強めたいのは黒曜石じゃなくて瞳の方のはずです。
前に置くのも、やり過ぎると説明に説明を重ねてクドくなりますが、ほんの少しなら別物になります。どこがって、何も考えてないっぽいとこから、何とか考えて書いてるんだなって雰囲気は出るので、読み手に少し期待してもらえます。

・比喩に使う言葉について

語彙力って、知識で知ってる言葉の数のことじゃなくて、手持ちの言葉を適材適所で効果的に使う力のことだと思っておいた方が、創作には多分役に立ちます。
他の書き手と違う表現をしようとして、色の名前とか花とか調べるんじゃなく、身近なものの中から、合いそうかつ手垢ついてないものを何とか探し出した方がいいです。読み手がイメージしやすいので伝わりやすく、その分だけ直球かつ強烈に刺さるからです。
例えば鬼滅の刃が老若男女無差別に刺さるのは、無駄に捻らず、純化とすら言えるレベルの適切な直球をストライクゾーンにキメまくるからでしょう。言葉のセンスが半端ない。無駄のない適切な言葉選びといえば近代文学ですが、鬼滅はその中でもガチ勢の芥川龍之介並みだと思います。そういえば、芥川は俳句のような小説を目指していましたね。

どうしても綺麗な単語を使いたいなら、宮沢賢治語彙辞典とかから引っ張ってきてもいいんでしょうけど、やり過ぎると長野まゆみの「魚たちの離宮」のように、三島由紀夫が言うところの「細部に拘り過ぎて全体的な調和を失った美術品」の典型になります。
上滑りした借り物の単語の羅列がうるさくて、大事な形容詞がわかりにくくて読みにくい。読んでもいいけど時給3千円くれって言いたくなる。キラキラしい単語が好きで宮沢賢治あまり読んでない人には刺さるのかも。あれを読むくらいなら、私だったらストレートに宮沢賢治語彙辞典そのものを読みたいです。

以上、自分のものになっていない言葉は、使えはするけどプロでも生かすのは難しいという話でした。

・なぜ比喩を重視するのか

根本的な話に入ります。技法的にどうの等はプロの方が多分色々解説してると思うので、一点突破で説明します。

推しカプの部屋の壁とかになれるからです。

大事なこと書き忘れてました。ここから説明するのは、自己投影型の夢小説以外の二次小説の場合です。

この夢小説と他の二次小説の決定的な違い、それは、読み手が主役として作中に登場するか、あくまで読み手目線のまま、なれてもモブとか壁とかなのか、という点です。

これは、一般的なマンガや、全然読まないので知らないけど多分ラノベとかとも異なります。読み手の大半は、物語の主人公(多くは推しキャラ)に自己投影をしません。むしろ自己投影は、推しを本当に好きなじゃないって扱いをされるんですよね。自分が推しや推しの相手になりたいんじゃないんだ、見守るモブになりてえんだよ!!!! というのが心の叫びです。『読者は主人公に自己投影するので、共感しやすい主人公を立てましょう』という一次創作の方法論の斜め上の願望を持っているんです。

何故、小説の比喩がモブ壁になれるのか。
それは、投影のない共感を断固として守りながらも、投影による共感を読み手に持たせることが容易だからです。

何かめんどくさいこと言い出したと思った人向けに言うと、距離感キープしたまま物語に引き込みやすい、そういう話をします。

共感と自己投影は、根本的に違うものです。
自己投影してても共感は出来ますが、別に投影してなくても共感自体はできます。具体的には、『自分のことのように悲しい』と『あなたが悲しんでいることが自分も悲しい』の距離感の違いです。

二次小説の比喩は、後者をキープしつつも、読み手の経験と共通する感覚や記憶を思い出させることで、後者の邪魔にならない程度に前者を混ぜ込むことが可能です。「あー。あるある」とか「わかる……」といった読み手の同意を、さらっと間接表現のワンセンテンスで稼げるため、本筋への影響が皆無なところで作中に引き込めるのです。
綺麗に言うと世界観に引き込むってやつな。
だから読み手が無自覚にモブや壁になれるという。

これ、マンガだと結構難しいんですよ。作中に存在するものは、画面の中に絵として描かれてしまってるから。
勿論、小説でも難易度は高めです。読み手ではなく書き手にとって、単純に技術的な意味でです。そんな例えが楽に浮かぶなら苦労はしません。私の場合だと、下手したら作中で一番頭使います。その分、ハマると冒頭のように良い反応が来ます。来ました。
投影対象の混入自体は、比喩じゃなくても普通に出来ますし、状況そのものをあるあるにしてもいけます。ただ、間接表現以外で混入率を増加させると、わざとらしさとか狙い過ぎ感が目立ってきます。下手を打つと、メアリー・スー疑惑とかいった絶対避けたい濡れ衣を着せられたりします。
前に読んだ二次BL小説に出てきた、推しの親とかいうオリキャラ、攻が挨拶に行ったらLGBT理解者だったとこまでは、二次あるあるのうちでした。
そこから、理解者による愛についての長々しい演説が始まっちゃいまして、お前の語りはどうでもいいわと思ったし、推しの物語は中断されてるし、そう動かすこと自体が昭和のセンスでめっちゃキツかったしで、悪手の見本に挙げときます。そういうのはTwitterとかで自分の口から語りましょう。


今回の投稿のまとめ

・比喩の言葉はちゃんと考える
・使いこなせている言葉で例える
・間接表現であることを生かす

上2つと最後のやつの難易度差でグッピーが死んじゃうな。
個人的には、自分が一番考えて書いてるとこ話せたので満足しました。

次はプロットについてかな……
でも私、プロット作らないんだよな……




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