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自転車旅行がサイトで繋がる縁。

 こんな華奢な体やけど、(こんなって言っても会った事の無い人にはわかりませんよね。身長163cm・体重50kgかなり痩せ型。)高校時代はバドミントン部に所属、郵便・新聞配達のバイトで旅費稼ぎしながらの自転車野郎、今から40年も前の話。
 物心がついた頃から高校時代は京都に住んでいて、自転車で京都からお伊勢さんまで友人3人で行ったのがデビュー。
 この頃はまだ自転車でのツーリングは主流では無かったように思う。当時自転車で旅行する人をサイクリストって言ったんです。(今は知りませんが…)
 その後、琵琶湖一周や四国一周、能登半島一周等、結構サイクリング行きたさに旅費稼ぎにバイトに励んでいた。
 そんなサイクリング経験の中で最もきつかったのが四国一周。1週間かけて中学からの親友と2人で廻った。
 元々この計画は5人で行く予定だった、出発当日は神戸港からフェリーに乗るので真夜中に京都を出発するも、1人減り2人減り、神戸港までは見届けるなんて言うヤツも出た。高松に着いた時はもう明るくなっていた。
 当時のサイクリストやバイクのツーリングの若者が利用していた宿の主流がユースホステル。今はあるのかな?数は少ないとは思うけど、とにかく安くで泊まれるので学生には人気だった。夕食・朝食は付いてます。但し、皆同じ食堂で食べ、食後は各自で食器を洗う事が基本、部屋も宿泊状況により相部屋も条件だった。
 食後はミーティングと言うのがあって、見知らぬ同士一つの部屋にあつまって自己紹介や旅の目的を語り合い、ゲームをしたりして触れ合う。北は北海道からいろんな地方の人と出会った。これがユースホステルの主旨で醍醐味でもあった。
 親友との旅は朝、宿を出たら別行動(別に仲が悪い訳ではない)次の目的地に何人の旅先で出会った仲間を引き連れてこられるか、くだらない争いをしていた。高松から周り室戸岬、高知、足摺岬のコースで宇和島まで来た頃にはバイクツーリングも含めて次第に人数も多くなってきた。
 そんな中の一人で、地元四国の人で同じ四国一周をしていた新居浜に住むT氏とは特に親しくなった。年は2・3つ上だった様に思う。私達がこの一周を終えた後、自宅に電話があり北海道一周に行く為、舞鶴からフェリーに乗るので京都市内に立ち寄りついでに会いたいとの事、私の自宅で当時の話題で盛り上がり、出発時に見送りがてらに嵐山までサイクリングして別れた。
 そんな元気で毎日充実していた17才の頃、悩み事もなく将来の夢も何処吹く風。時は流れてサイクリングをする事もなくなり、今の地に移住。いつの間にかデザインの仕事につきそして起業、結婚をして子どもができ、家を建てて家族を持つ穏やかな生活。30年も経ったある日、一通のメールが来た。
 知らない名前、でもフルネームで一行目に怪しいと思ったら捨てて頂いても結構ですとの書き出しの長文。
 恐る恐る読んで行くと当時の四国一周の事が…。内容が一致します。最後には、住所と電話番号もあった。名字は記憶にあったので、確かにあのT氏だ。
 早速、電話して1時間以上昔話に話が弾んだ。T氏は長野県に引っ越し支度の時に当時の写真が出て来たそう。あまりに懐かしく、私の名字が珍しいので駄目もとでネット検索したら私のホームページにヒットしたそう。
 そして、メールには当時の写真をスキャンした画像が添付されていた。私にとっては30年ぶりの自分に再会です。
 こんなデジタル時代になって、人間味がなくなったなんてぼやいていた私だったが、ネットってすごい!こういう再会もあるんだと…。そしてメールを送ってくれたT氏にも感謝。青春していた時代の自転車旅行がサイトで繋がる縁。
 いつかまた彼が私を検索してこの記事を読んでくれたら嬉しいな。

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