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240630 日常

久しぶりの更新。
6月、目にも止まらぬ勢いで時間が過ぎ去っていった...。よく遊び、よく研究をし、たくさんの書類を現在進行形で書いている。あと、いつも以上にたくさんなくし物をしたのが地味にダメージ大きい。クレジットカード、社員証、Suicaを全部紛失する失態をおかし、人間をやめたくなる。反省の嵐。

6月はほとんど日記も書けなくて、でも記憶からすっぽり抜け落ちるのも悲しいので、ここ数日で訪れた場所などの記録でも。

・小石川植物園
15時半に白山駅到着、植物園の最終入園が16時(閉園16時半)と気づいて駆け足で一周する。
大雨の日の植物園。あいにくの天気で少し残念な気持ちで起きたけど、行ってみたら雨の日にしかない趣があってすごく良かった。

水滴が残る植物は、艶やかさが増す。松の木を下から眺めた時に、いっぽんいっぽんの松葉の先端からこぼれそうな水滴が光を反射してキラキラかがやいている光景が目に焼き付いている。ぬかるんだ土の上をスニーカーで踏みしめながら歩く。樹皮が剥けてスベスベの白い幹肌が露出する百日紅に手で触れる。傘や地面、水たまりに落ちる水滴がおりなす雨音。いつもよりも五感が働いて植物園の空気を記憶している。

ところで、人生ではじめて自分のイメージを形にしたブーケを贈ってもらった。白のクルクマ、くすんだピンクの夜来香と淡い色の中に、差し色になっている茶のアストランティアが控えめに存在を主張するブーケ。果たしてイメージに本当に合っているのかはさておき、花で雰囲気を表現してもらうことなんてめったにないことでときめいた。とてもうれしい出来事だった。

・東京都立現代美術館
展示「翻訳できないわたしの言葉」と「ホー・ツーニェン エージェントのA」を見に行く。言葉、時間、文化についてさまざまな角度から考えさせられる展示だった。書きたい感想が溢れてるから、後日ちゃんとまとめたい。できれば会期中にもう一回行きたい。

翻訳できないわたしの言葉。展示概要の言葉が素敵。

誰かのことを知ることは、その人の「わたしの言葉」を、別の言葉に置き換えることなくそのまま受けとろうとすることから始まるのではないでしょうか。

入り口で聴覚過敏の人用の耳栓が配られていたり、途中で落ち着くためのカームダウンスペースが設けられていたりと配慮も行き届いていた。

エージェントのA展。お目当てはVRの「ヴォイス・オブ・ヴォイド—虚無の声」。なんと、西田幾多郎にVR内で会えるという数少ない推し活(?)の機会を逃すわけにはいかない。京都学派の知識人たちの座談会に速記者目線で参加するというユニークな作品。速記者なので、現実でちゃんと手を動かしていないと別の作品に切り替わってしまう。VR作品内では、太平洋戦争前夜の京都学派の思想が戦争の正当化に利用された歴史について座談会の語りを聞くことで、彼らの思想がけっして一枚岩ではなかったことを知ることができる。

<タイムのT>シリーズも印象に残っている。時間をさまざまな映像作品で表現している。自分と周りは同じように時間が流れていると無意識に考えてしまいがちだけど、原子にとっての時間、カゲロウにとっての時間、刑務所に入った人の時間、それぞれの速度でループする展示に囲まれ否応なしに時間の感覚の違いに直面させられる。私たちは否応なく進んでいく時間についてどう向き合っていくべきなのだろうか。

・新宿ゴールデン街
大学生のときぶりに飲みに行く。外国人が異様に増えていて、入り口にデカい黒人が数人たむろしている。アメちゃんといってなんかヤバそうなブツを手渡されそうになる。
何軒かハシゴしたところで居合わせた人から有益情報を入手した。飲み屋でぼったくられそうになったらどう対処すればいいかという話。いわく、クレジットカードでの支払いを求められるから、入力する際にパスワードを3回間違えればクレカが使用できなくなる。ATMでお金を下ろしてくると言ってコンビニまで行くふりをして110番をするべしとのこと。教えてくれた人は、お酒2杯で47万円請求されたらしい。
治安悪すぎるし、今後進んで飲みに行かないだろうから使わずに済みそうなテクニックだけど、なにかで困ったときに使えるかもしれない。

7月から始まるプロジェクトがいくつかあるから、楽しみもありつつ、今年がもう半分終わってしまうのが信じられない、信じたくない。
読みたい本が山積みになっててフラストレーション!夏休み入ったら読みふける時間を確保したい。

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