自信がないとき
昨日、私の書いたコラムがどこかのウェブメディアにアップされた。
でも正直心境は複雑だ。
今のところは何をしても正直、良いと思えなくて
自分で営業をしなければいけないのに、自分の書いた記事も宣材写真にも目を向けたくない。
久々に自分には価値が無いような気がしている。
今は自分の棚卸期間中なので、こういう「自信がない自分」のことも積極的に書いていきたい。
最近は誰かからの反応がなくとも、別に大丈夫やって。
これだけ長い期間取り組んできたことがあって、構築してきたものがあるんだから
私はそこに座っているだけで、動くだけで、ちゃんと価値を持っていると思っていた。
今は誰かかからの反応が欲しいと思うし、厳密にいえば誰かから反応してもらって私は「安心したい」のだ。
あなたの記事は大丈夫ですよ、十分いいですよって。
なぜなら自分の存在に自信がないから
認知の歪みが起きていて、ネガティブな面しか見えないもしくは想定できないようになってしまっている。
反応がもらえないということは、自分の記事や、やっていることが最低なんだと他者から思われていると思い込んでいる。
さて、ここまで現在の自分のしんどい思いをそのまま書いたわけなんやけど
あれっ、自分おかしいなと書きながら思い始めた。
自信があったときと、自信がないときの自分は、物質的に変化しているわけないやんか。
あの時の自分も、今の自分も持っているものはたいして変わらへん。最近よく水を飲むようになってきたぐらいやわ。
何かが変わったわけじゃなくって
私が勝手に認知の歪みを起こして、わざとネガティブなことにしか目を向けないようにバイアスをかけているから、世界を悲観的に感じてるだけなんちゃうかって。
しかも私は「数週間前の自分が安定していたとき」よりも、コラムも何本も書いたし、女王様としての技術も高くなったし、勉強もこなして知識量も増している。
私は自信があったとき数週間前より、普通に考えてレベルアップしているはずなのに
自分でバイアスをかけてしまうのはもったいないなと思った。
「自分の棚卸」と称して
自分の嫌なところ、認めたくないところを絶賛バンバン出していく期間中なんやけど
出せば出すほど、こうやって1つ1つ解決していけるので嬉しい。
自分1人で論理的に考えて、結論を出して病み状態から回復しているっってすごいなと思う。
私にとってこうやって吐き出して整理できるnoteがあってよかったし、
それを見てもらえる機会があるというのはすごく助かるのだ。
サポートして頂けると、これからも頑張れます。