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大食い選手引退宣言

こんにちは、ロシアン佐藤です。
2008年22歳の時にデビューして、今年36歳。
13年間競技としての大食いに現役選手として携わってきました。

写真は最後の大会に参加していたみんなと。
世代を超えた熱い戦いに私も胸が熱くなった☺️!

そして、今回皆さんに私のことを文字でお伝えしようかと思います。拙い文章ではありますが、読んでいただけると嬉しいです。

現役引退を決めた理由、そしてこれからのことについてお話できればと思います。

まず、どうして引退を決意したのかについて。
理由は2つ。
・選手として大食いと向き合うことへの限界
・次にやりたい事を見つけたから
です。

ひとつめ、「選手として大食いと向き合うことへの限界」は、実はかなり前から感じていたこと。
試合を重ねてもトップのパフォーマンスを出すに至らない。成長がない。ということ。

2016年元旦放送大食い世界一決定戦のはなし

私の「大食い選手」としての一番トップの時。
それは2016年元旦放送の大食い世界一決定戦で日本チームを率いるキャプテンをやらせて頂いた時でした。

菅原初代さん、MAX鈴木さん、もえのあずきさん、そして私。

このメンバーの中唯一国内優勝をした事の無い私がキャプテン?


…なぜ?

という困惑からはじまりました。懐かしいな。
とても楽しく刺激的な思い出です。

ただ、私の性格的にこのチーム戦という戦い方が非常に合っていて、

責任のあるキャプテンとして結果を残したい。
何としても日本を優勝に導きたい。

と、今までに無い程の「勝ちたい」という気持ちをもって大食いと向き合えました。

そして迎えるアメリカチームとの決勝。
キャプテンである私は殿としてこの決勝に臨むことになりました。

対戦相手はパトリック。

彼はアメリカのフードファイターの中でも指折りの実力者で、世界記録をいくつも持っているんです。
それこそ私と戦った2015年、WingBowlという鶏の手羽先を食べる大会で26分で444本の手羽を噛み砕いた選手だったりします。

むりむりむり!!!つよっ!!!
ヤバいじゃんこんな人!

パトリックのことを調べれば調べるほど絶望した記憶が鮮明に蘇ります(笑)
パトリックは大会に向けて体を仕上げきっているとは言えなかったけど、それでも実力差は明らか。
アメリカチームは余裕で勝てるような表情をしていました。
それはそれで悔しかったりもして、思い返すと闘志むき出しだったな…。

決勝は、3回戦あって先に2勝したら優勝。
アメリカと日本はこの時一勝一敗。

つまり私の勝ち負けで優勝できるか決まる。

今まで感じたことの無い重圧と緊張、責任感のなか凄まじい集中力で食べたように記憶しています。
周りの音も聞こえない。隣の景色も見えない。
タイムズスクエアのど真ん中でギャラリーもたくさんいたけど、ひとり自分の限界を超えていくことしか考えていませんでした。

丼物で、お米粒ひとつも残さずにきれいに食べておかわりをする、というのがルール。

私の普段の綺麗にさらう食べ方が功を奏して、ふっと気づくと途中2皿位の差をつけて先行。1皿400gだったので、800gの差が開いたわけです。

アメリカの大食いは多少の散らかりや、食べ残しがあってもノープロブレム。
大食いは心理戦。絶対的に実力が下位であると感じる相手に突然突き放されたパトリックは私が一体どんな食べ方をしているのか理解不能で混乱し、更に米粒残すな!というプロデューサーからのリクエストにペースが乱れに乱れていました。

まって、この状況もしかしたら勝てるかもしれん。

絶望的に体格も実力も格上の選手。スピードが脅威的なアメリカのフードファイトシーンの第一線で活躍していたパトリック。
同じペースで食べることも難しいと思っていたアメリカの選手より先行して食べられている現実に今まで感じたことのない緊張と共に高揚感がありました。

絶対優勝する。

気持ちを固めてひた食べていきました。

制限時間は30分。
開始20分位で6キロ位食べたんだったかな。

とにかく無心で食べました。

…でも30分という時間で、限界がやってきました。
7キロ手前。私の喉が食べ物を通さない。いくら噛んでも喉が締まって飲み込めなくなる感覚。

「やばい」


容量は、8キロ以上ある状態に仕上げていったものの、限界まで入れることができないかもしれない、という焦りが足の先から頭まで突き抜けていきます。

パトリックは、ペースダウンした私をみて、落ち着きを取り戻しジリジリと迫ってくる。

喉が潰れそうなくらいチームのみんなが応援してくれている声がぼんやり聞こえる。

食べたい。食べるんだわたし。どうして食べられないんだ。あと少しだぞ。

飲み込め!
噛み砕け!
口に詰めろ!


残り数分。本当に少しの時間。
あと1杯食べられれば。

止まるな!
食べろ!!
早く口に入れろ!!!

中村有志さんの「終了〜〜!!!!」
の声が高らかにタイムズスクエアに響き渡りました。


結果は私の負け。
そして日本は三度アメリカに負けました


びっくりするくらい大泣きしました。
不甲斐ない気持ちが洪水みたいに押し寄せて涙が止まりません。
「もう一度戦わせてください。」
と、その時こう言ってこの大会は終わったのでした。


でも、この大会以降、この時の言葉に気持ちが追いつく時はなかったように思います。


キャプテンという立場、勝ちたいという執念、チームのみんなの応援に応えたい気持ち、パトリックという強大な対戦相手とそしてきっとタイムズスクエアという高揚感。


全ての条件が揃って、出てきたあの集中力、爆発力を大食い選手権では二度と発揮することは出来ませんでした。


その後、色々なかたちで大食いの大会に参加したけれど、この時の自分と比べて大会へ向かう気持ち、体のコンディション、気迫全てどれも超えることは叶わなかったように感じています。


いつも大会に参加して思うことはひとつ
「あの時出しきったんだな」
ということ。


選手としてのピークは間違いなくあの時の私。
ただ、辞める明確な理由も見つからずズルズルと、
「本当にもう終わりなのか」
を探すように大会に出場していました。探していたのは辞めどきだったのかも知れません。

競技としての大食いは、半端な気持ちで挑みつづけられるものではありません。
私は大食い競技に本気で挑む人たちを尊敬しているし、プロフェッショナルな戦いへの覚悟があってこそ選手たるものだと考えています。

大食い世界一決定戦での私はとても選手らしかった。
でも今思えばそこが選手らしい最初で最後の私だったように感じます。


以上が1つ目の理由です。言葉にできたことをとりとめなく書いたのでとても長くなりました🙏

大食い選手「ロシアン佐藤」を応援してくださった皆さんへ


大食い選手になったことは私の人生を大きく変え、私の「食べる」ということへの飽くなき探究心を満たすきっかけを沢山与えてくれました。

思えば、大会出場のきっかけをくれた同級生。
特異な個性を潰さずに育ててくれた家族。
新卒で入社した会社では、「大食い」の活動ができるようスケジュールを一生懸命調整してくれた仲間たち。
2016年からはエッジニアを立ち上げ、更に大食いに邁進できる環境を整えてくれる仲間たちとも出会いました。
きっかけ・生い立ち・環境、どれがかけてもこんなに長く楽しい大食い選手人生は歩めませんでした。ありがとう。

一緒に戦った沢山の大食い選手の皆とは、世代を超えてかけがえのない絆ができ、同じ土俵にいるからこそ共有できる喜び、悩み、達成感など、今まで感じたこと無い世界を沢山共有できました。
皆のことがこれからも大好きです。ありがとう。

そしてなにより、いつでもどんな結果でも、私のことを心から身内のように応援してくれる友人やファンの皆さん。
皆さんの応援・期待・激励あってこそ、こんなに長く「大食い選手」としての充実した毎日を送ることができました。
本当に、感謝をし尽くしても足りないくらい私は幸せ者です。
このご恩は一生大切に、これからさらなる挑戦をしていくときへの勇気に変えて、また皆さんに返せるように頑張っていきます。

みんな、本当にありがとう!

これからのこと


ただ、私の言う「引退する」とは、
「大食い選手」として誰かと競う事を辞める。
大食い競技としての「食」との関わりから引退するということなので、私の今までの活動のなかの一部分です。

食べることは本当に大好きで、デカ盛りを食べるのも作るのも相変わらず好きだし、食べ放題も大好き。

すてきな記念日に行くようなお店から、ファストフードまであらゆる食べ物が私の人生を豊かにしてくれました。

なので、私の食べたい気持ちを抑えて生活していきますということではありません(笑)

これからも心ゆくまで食と向き合い、食べるということを掘り下げていきたいと考えています。

じゃあ、これから私は一体何をするのか。
引退を決意した理由の2つ目
やりたいことが見つかったから
に繋がるところのお話をします。

わたしは、「食」に幸せにしてもらっていた人間です。

だから、改めて「食べる」にもっと広く向き合いたい。
たくさんの方が幸せになるような「食」のあり方をもっとたくさんの角度から見つめ、分析してみたい。
そしてそれを分解再構築してみたい。


私がたくさんたくさん食べ物を食べて、ひしひしと感じたこと。

それは、
愛情のいっぱい詰まったご飯には、必ず愛情の物語があって、その物語とともに食べるから心も体も満たされるんだ。
ということ。

お母さんが毎日作ってくれたお弁当。
おばあちゃんのお漬物。
親戚のおじさんのくれた蜆。
お父さんのチャーハン。
おじいちゃんがお気に入りだったラーメン屋さん。
お昼に配達に来てくれるお弁当屋さん。
友人と一緒に食べるごはん。
思い出に残っている給食。
行きつけの商店街にあるお惣菜屋さん。
大食いの大会で食べた、たくさんのお料理たち。

全部私に様々な体験と記憶を与え、心と体を満たしてくれました。
時に辛い思い出もあるけれど、それがただ辛いものではなく、糧になっているということは「食」に携わる方々の愛情の賜物だと感じています。

食を取り巻く環境が、もっとみんなの「体と心を満たす」ものになるように。
そんな「愛情と共に食べる」をもっともっとたくさんの人が受け取れる世界を作りたい。

「食」に幸せにしてもらったわたしが、食で幸せを作っている方たちと繋がり、さらにまわりを巻き込むことで、「食」で幸せになる母数を増やしていける人間になりたい。
「食」を取り巻く様々な環境が幸せ溢れるものになるようにしていきたい。

そうすることで、
食への恩返しを行っていきたい。
と考えています。

これが今からわたしのやりたいことです。

大食い王決定戦をきっかけに
たくさんの食べ物やそれを取り巻く環境、
関わる人々に出会い、
その経験を活かして会社を立ち上げ、
メディアを作ってきました。

そんなわたしの更なる人生のチャレンジを、
どうぞ面白おかしく一緒に楽しんでください。

色々な場所で共有して行ければいいな、と考えています。
このnoteは、そんなわたしの色々を残していく場所にしようかなと思っています。

どうぞ皆さんこれからもよろしくお願いします👋

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