町田康『告白』

 安政四年、河内国石川郡赤阪村字水分の百姓城戸平次の長男として出生した熊太郎は気弱で鈍くさい子供であったが長ずるにつれて手のつけられぬ乱暴者となり、明治二十年、三十歳を過ぎる頃には、飲酒、賭博、婦女に身を持ち崩す、完全な無頼者と成り果てていた。
 父母の寵愛を一身に享けて育ちながらなんでそんなことになってしまったのか。
 あかんではないか。
 といってでも、一概にあかんともいえぬのは熊太郎がそうして情け無い人間になってしまったのには、熊太郎の生みの母、高が熊太郎三歳の折に病没、平次が後添を迎えたことが関係しているかも知れぬからである。
 後添の豊が継子いじめをした訳ではない。豊は産みの母でないからこそよりいっそう熊太郎を大事に育てたし、平次も幼くして母と別れた熊太郎を不憫に思い、これを慈しんだ。
 人間というものは不可思議なもので大事に慈しんで育てていればよいかというと必ずしもそうではなく、「かしこいな。かしこいな」とちやほやすると、あほのくせに自分はかしこいと思い込む自信満々のあほとなって世間に迷惑を及ぼす。
 ところが、「あほぼけかす」「ひょっと」「へげたれ」などと罵倒されて育つと、おのれの身の程を弁えるのと、なにくそ、と思う気持ちがちょうどよい具合にブレンドされて世間の役に立つ人間になる。
 熊太郎は、ことあるごとに、「かしこいな」と言われ、ちょっと紙にいたずら書きをしただけで、「字の稽古をしてえらいな」とほめそやされる、茶碗を割ると、「活発な」と褒められるなどして成長したので、十やそこらでとてつもなく生意気な餓鬼に成り果てていた。
 しかし熊太郎は頭のよい子供であった。
 熊太郎はいつしか、父母はああしてほめそやすが、実は自分はそんなに偉くも賢くもないのではないか、と思うようになっていた。
 家にいればこそ父母はほめそやし、隣近所の人もやさしいがちょっと家から離れると、大人は鬼のような形相で、「このド餓鬼がっ」と熊太郎を罵倒した。なぜ罵倒したかというと例えば熊太郎が庭になった枇杷をとって食らうなどしたからであるが、近所で枇杷をとって食らっても少しも叱られず、逆に「枇杷食てんのか。えらいのお」とほめそやされた。ちやほやされた。熊太郎は、この落差が不思議でならなかったのである。
 熊太郎が自分はそんなえらくも賢くもないのかも知れないということを明確に意識したのは慶応三年、徳川十五代将軍一橋慶喜公が朝廷に大政をお還し奉り、熊太郎が独楽回しを独習した頃である。
 熊太郎は大得意であった。
 緊密に巻きつけた緒がほれぼれするほど美しく、熊太郎はうっとりとこれを眺めて飽きない。
 私はなんて上手に緒を巻きつけたのだろう。うっとり。
 なんていつまでうっとりしとんのんじゃド阿呆。それでは独楽が回らない。やがて熊太郎は、しゅっ、鮮やかな手つきで独楽を中空に放つ。独楽は回転しつつ着地し、小気味よく回りつづける。熊太郎が独楽の回るその様を眺めていると周囲の大人が、「上手やないけ」「上手やわ」と褒めそやし、一部の女は、「粋やわ」とまで言い、熊太郎は大得意の体で、俺はなんて上手なんやろ、と鼻をおごめかせるのであった。
 俺ほど独楽のうまい者はない。大得意の熊太郎はどこに行くのにも独楽を携行し、ところ構わず独楽を回した。
 そんな熊太郎が、もわもわするような春のある日、池の畔を歩いていると近所の、駒太郎、市吉、鹿造みたいなド餓鬼が七、八人集まってわあわあしているから、なにをしているのだろう、と様子をうかがうと、くはは、独楽をしている。
「独楽やったらまかさんかい」
 熊太郎は彼らに近づいていき、自分も参加させてくれ、という意味のことを言った。駒太郎は、「ええよ」と言って参加を許してくれ、「くほほ」熊太郎は薄く笑って、いつも通り独楽に緊密に緒を巻きつけるとうっとりこれを見つめたるのち、しゅっ。独楽を空中に放った。
 地面に着地した独楽は小気味よく回っている。
 熊太郎は、「くほほ。小気味よい。幽趣よろこぶべし」と悦に入り、周囲のド餓鬼の賞賛の言葉を待った。ところが周囲のド餓鬼はいつまで経っても熊太郎を賞讃せず、それどころか独楽を回して傲然としている熊太郎を奇妙なものを見るような目でみつめて沈黙し、ちっとも賞讃しない。なぜ賞讃せえへんねやろ。訝る熊太郎に駒太郎は言った。
「熊やん、なにしてんね」
「なにしてんねて独楽まわしてんね」
「ひとりで独楽まわしてどないすんね」
「ほなふたりでまわすんけ」
「ちゃうが。わいら独楽鬼してにゃんけ」
「独楽鬼てなんや」
「熊やん、独楽鬼知らんのんか」
 と言って駒太郎は目を剝いた。
 独楽鬼とは独楽鬼ごっこほどの意味であり、ルールは通常の鬼ごっこと同じであるが、ただ一点の制約がある。いかなる制約かというと、鬼もその他の者も掌の上で独楽を回し、その独楽が回っているとき以外、移動できぬという制約である。
 逃げる者もそれを追う鬼も掌の上で独楽を回し、バランスをとりながら走らねばならず、独楽が停まったり、落ちたりした場合はただちに立ち止まって再度、掌の上で独楽を回さなければならぬのである。
 駒太郎は熊太郎にルールを説明、「後からきた熊やんが鬼や」と言い放つやいなや、素早く緒を巻きつけ、しゅっ、鮮やかな手つきで独楽を中空に放るとこれを掌で受けた。独楽は掌のうえで小気味よく回っている。
 駒太郎はこれを地面に落とさないように保持しつつ、しゅらしゅらっ、と池の向こうの雑木林の方へ駆けだした。
 これを見た他の、市吉、鹿造、番太、三之助みたいな者まで、しゅっ、鮮やかな手つきで独楽を中空に放り、なんなく掌で受けると、しゅらしゅらっ、と四方へ駆けだした。
 今度は熊太郎が目を剝いた。熊太郎は中空に放った独楽を掌で受けるなんてことをこれまで一度もしたことがなかったからである。
 鮮やかな真似しょんなあ。
 熊太郎は舌を巻き、自分にあんなことができるのだろうか、と暗くなったが直きに、
 なんということはない。親や近所のおばはんに上手や上手や、しまいには、粋やわとまで言われた俺のこと。やったことはないけど、あんな鹿造のような者にできることができないはずがない、と考え直し、いつも通り、緊密に緒を巻くと、うっとりしないで、しゅっ、いつもよりやや高めに独楽を放ると同時に、駒太郎や他のド餓鬼がしたように、掌を独楽の方へと差しだした。ところが独楽はいつもと違う見当で放ったのが災いしたのか、あさっての方角にぶっ飛んでいき、回りもしないで地面に転がって、熊太郎は掌を前に突きだした不細工な屁っ放り腰で、あわわ、となって恥辱にまみれた。
 熊太郎は、あらぬ方角に飛んでいってここにない独楽を追って屁っ放り腰であわあわしてる自分はなんと惨めなのだろう、と思った。
 顔面が、かっ、と熱くなった。
 独楽を回して掌で受けられない熊太郎はしかし、駒太郎は兎も角も、あんな鹿造、番太みたいなやつらにできたことが俺にできないということはなく、つまりできなかったのはたまたまなのではないか、とも思った。
 熊太郎は再び緒を巻き、しゅっ、目の高さに独楽を放った。
 同じことであった。独楽はあらぬ方向に飛んでいき、熊太郎はまたぞろ掌を前方に突きだして、あわわ、不細工な恰好をして恥辱にまみれた。
 なぜだ。なぜできないのだ。熊太郎は、わっ、と泣きだしたくなるのを堪えながら独楽を拾いに行った。
 できないのは当然であった。掌の上で独楽を回すためには、緒を引くようにして可能な限り身体の近くで独楽を回し、垂直に落下する独楽を掌で迎えに行くようにしなければならない。しかるに、熊太郎は独楽を水平に投げたうえ、走ってこれを追いかけてたのであり、これでは何百回やっても掌の上で独楽を回すことはできない。
 しかし自分を独楽の達人だと思っている熊太郎は、できないという事実に逆上してそのことに気がつかず、そんなはずあるかい、そんな訳あるかい、という一心で独楽を追いかけ拾い上げして、しかも内心の焦りがつのるにつれ、その動作は次第に乱暴粗雑になり、しまいにはただ独楽を投げつけそれを追いかけるという、訳の分からぬ狂気的な仕草と成り果てた。
 その狂態を木立の影から見ていた駒太郎は隣でやはり呆れたように見ている番太に言った。
「あいつなにしとんねん」
「さあ」
 番太は不思議そうに首を傾げた。
「なにしてんねやろ」
 鬼がちっとも追いかけてこないので不審に思った鹿造、三之助らその他のド餓鬼もやってきて首を傾げて議論の揚げ句、結局、熊太郎は掌の上で独楽を回すことができないのだ、という結論に達した。
「ははは。よう回しよらへん。あほとちゃうか」
 ド餓鬼どもは喜んで、「よう回さん熊」「よう回さん熊」と囃したてながら熊太郎を取り囲み、これみよがしに掌の上で独楽を回した。
 よう回さん、というのは、え回せぬ、すなわち、回せないという意味である。
 熊太郎にとってこんな屈辱はなかった。
 すくなくとも熊太郎は鬼である、他の者は鬼である熊太郎の姿を見たら逃げ惑うべきである。
 ところが、みな逃げ惑うどころか、みな熊太郎のすぐ近くに、にやにや笑いながらつっ立っている。これは鬼として屈辱であったし、さらに二重に屈辱なのは彼らがそんな挙に出るのは熊太郎が掌の上で独楽を回せぬからで、これは独楽の達人としては屈辱だった。さらに自分より下だと思っていた者がやすやすとすることをできぬという事実に逆上していた熊太郎にとっては、人間としての尊厳に抵触するほどの屈辱であった。その熊太郎に追い討ちをかけるように駒太郎は言った。
「なにしとんね。早よ独楽回して追いかけなあかんやんけ」
 そんなことを言われて熊太郎はますます焦った。しかし熊太郎は気力を振り絞って言った。
「いま回す」
「ほたら早よ回さんかい」そういうと駒太郎はこれみよがしな鮮やかな手つきで独楽を中空に放って掌で受け、
「熊やんが回したらわいら逃げるさかい、さっ、早よ回せ」
「ま、回すわい。まっとれ」
 進退窮まった熊太郎は全神経を集中して、ばっ、独楽を擲げ、すかさず掌を前方に突きだしてこれを追った。しかし同じことである。独楽は虚しく前方の叢に落下し回ることすらせずに転がり、熊太郎はなにか抽象的なことをしている人のような姿勢で不細工に固着した。ド餓鬼どもが、どっ、と笑った。
 このとき熊太郎は身体のなかでふたつの異なる流体がぶつかりあって押しあいへしあいしているような感じがして、うっ、と息を停めたがそれは一瞬のことであった。
 ひとすじ涙が流れると後は堰を切ったようにとめどない涙が流れ、また、いったんそうして涙を流してしまうと、後はもうなにも堪えるものがない、身体の奥から発せられるままに熊太郎は声を放って泣いたのであった。
 ド餓鬼が容赦ない、「うわあ、泣きよった、泣きよった」と囃したて、熊太郎は、波のように押し寄せる悲しみの感情にまかせて大声を放って泣き続けた。ド餓鬼どもは泣き止まぬ熊太郎を嘲弄するようなことを言いたてながら対岸の塚の方へ走り去った。熊太郎は暫くの間、ひとりで泣いていたが、やがて泣きやみ、ぜいぜい言いながら独楽を拾ってひとりで家に帰った。
 金剛山の中腹に霞が立っていた。

 独楽のことがあって熊太郎は父母そして周囲の大人が嘘を言っていることを知った。
 俺のことを「上手や」とか「粋やわ」とかゆうてるけどちっともそんなことはない。俺は本当はド下手だった。それを父母が上手ともてはやしたんはどういう訳だろうか。
 熊太郎は悩んだ揚げ句、以下の如くに考えた。
 物事にはなにによらず水準・基準というものがある。俺はその水準・基準はひとつだと思っていた。ところがそうではなく、世の中にはまた別の水準・基準があったのだ。
 そして父母、お婆ンらは俺の独楽を上手だ粋だと褒めたけど世間にいたら上手でも粋でもなく、むしろ鈍くさかった。
 ということはつまり父母、お婆ンの基準は世間の基準・水準に比べて劣った水準・基準ということになる。ところで俺は十歳の餓鬼やのになぜこんな思弁的なのだ。まあ、それはまた別の話だが、と熊太郎は考えた。つまり熊太郎はこのとき初めて世界に触れたのであった。
 こんなことは別に熊太郎に固有のことではなく、誰にでもあることであるが、しかしこのことは熊太郎のその後の生涯を決定したといってよい。
 なんとなれば熊太郎も自ら述懐しているように、慶応三年頃、河内の百姓や百姓の小倅で右の熊太郎のように思弁的な人間は皆無であった。思考すなわち言葉であり、考えたことが即座に言葉となって口からだだ洩れた。その言葉たるやなにかと直截で端的な河内の百姓言葉である。
 他の言動に疑問があれば、なにしてんね。と無邪気に尋ねた。
 そんななかでひとり思弁的な熊太郎はその思弁を共有する者もいなかったし、他の者と同様、河内弁以外の言葉を持たず、いきおい内省・内向的になった。もちろん熊太郎が明確に自覚していたわけではなかったが、このことが熊太郎の根本の不幸であったのは間違いない。
 父母や周辺の大人が物事を世間より劣った基準・水準で判断していると知った熊太郎はそのことをひどく引け目に思うようになった。
 ちょっとしたことで父母や周辺の大人が褒めると熊太郎は恥ずかしくてならなかった。おどれらは知らんかも知らんけど、それは世間では非常に恥ずかしいことなのだ。と熊太郎は身悶えた。
 そして熊太郎はいつしか父母の言うことが恥ずかしいのではなく、父母の言うことに従うこと、そのこと自体が恥ずかしいのだと思うようになっていた。

 明治四年、廃藩置県が実施された年、熊太郎は十四歳になっていた。もともと様々の所領・支配地が錯綜していた河内はこの三年の間に大阪府から河内県となり、この年、堺県となった。
 明治新政府がいろいろ混乱していたからである。
 お上がそんな体たらくだから庶人の生活は苦しかった。
 もちろん、熊太郎の家とて一家で働かねば食うていかれない。もはや十四歳になった熊太郎をただ甘やかしているわけにはいかない、平次は熊太郎に、「いつまで寝とんね。牛の世話でもせえや」などと命令する。
 熊太郎は、そら百姓は牛の世話せなあかんやろと思う。麦焚いて藁刻んで食わんと牛は死んでまうなあ、と思う。
 ところが熊太郎はそうして平次のいうことに従うということに羞恥や躊躇を感じてこれに従うことができず、しかしそのことを適切に説明する言語も持たぬので、仕方ない、悪ぶって、「うたていわれ」と言い捨てて表に飛びだしてしまう。さすればもとより温厚な平次のこと、それ以上強くは言えず熊太郎の我が儘を是認するようなことになってしまう。
 表に出た熊太郎はしかしやることがない。神社の境内で呆然としてなんの変哲もない木の幹のところをじっと眺めて奇妙な顔をしたり、川に浸かって目高をつかんだり、屁をこいたりするのであった。熊太郎は自分のことを音を上げた軍鶏のように思っていた。ひとたび音を上げた軍鶏はつぶされて食われるねや。と熊太郎は思っていた。
 汚れつちまった悲しみに今日も小雪の降りかかる/汚れつちまった悲しみに今日も風さえ吹きすぎる、みたいな言葉は持たないのだけれど。
 そんな熊太郎はまずます虚無・頽廃に追い詰められていき、ついには真面目になにかと一生懸命とり組む、ということは恥ずかしいことだと思うようになっていた。
 といって熊太郎は不真面目だったわけではなく、熊太郎もできれば真面目にやりたかった。しかし脇目もふらず真面目にやることが果たして真面目なのかと熊太郎は真面目に思った。
 脇目もふらず、すなわち周囲に対していっさい顧慮しないで真面目にやるというのは一種のエゴイズムではないかと熊太郎は感じていたのである。
 そして熊太郎はそのことを説明する言葉を持たなかった。
 だから平次やなんかは、なんで熊太郎がこうぐれてしまったのか見当もつかない、なんとか熊太郎を正道にひき戻したいものだと念願していた。
 それは親としての悲しい切実な願いであった。

 明治四年の夏のある日。平次が畑の納屋の脇を通り掛かると、熊太郎が、荷車の上に寝そべり笛もないのに笛を吹く恰好をして腹を揺すぶっていた。なんともあほな恰好をしてござる。これではまるで白痴や。と平次は情け無さに涙こぼるる思いであったが、しかし、なんとか熊太郎を正道にひき戻したいという気持ちから自らを奮いたたせて声をかけた。
「熊、なにしてんね」
 笛もないのに笛を吹く真似をして腹を振るなんてな阿呆な行為をしているところに不意に声をかけられた熊太郎は、とりあえず、うまく誤魔化してあたかもそんなあほなことはしていなかったようなことにしようかと思ったが、しかし平次にははっきり見られてしまっており、誤魔化しても白こいだけである。
 そこで熊太郎は試しにきっぱり言ってみよう、と思った。なにによらず毅然とした態度でのぞめば自ずと道はひらける。そんなわけないか。そう思いつつもでも熊太郎は毅然と言った。
「見てわからんか。笛吹いてんねん」
「笛吹いてんねて、笛みたなもんあらへんやんけ」
「そら笛はない。笛はないけどや、西楽寺の和尚はんが人の一生は先のわからんもんちゅてたで。わいかてやで、いつ何時、笛吹かんならんようになるや分かれへんやろ。しゃあからそんときのためにちょう稽古してんね」
「なにあほなこと吐かしとんじゃ。わしゃ情けないわ。しゃあけど、おまえ、笛吹けるんか」
「ちょっとも吹かれへん。真似してるだけや」
「ほれやったらなんにもなれへんやんけ。ほんな暇なことしてる間アあんにゃったらわしと一緒に田ァ行て草取らなあかんやろ。馬に食わせる草も刈らなあかんやんけ」
「しかしわたしには笛の稽古が……」
「笛がどないしたんじゃ」平次にどやされて熊太郎は悲しかった。
 笛吹く真似なんかしてないで百姓仕事を手伝え。蓋し真っ当な意見である。
 しかし熊太郎はその真っ当な意見に従うことがどうしてもできなかった。
 熊太郎は、荷車の脇に腐ったような雑草がへばりつくように生えているのを見て、やあ腐ったような雑草が生えているなあ、と思った。さらに熊太郎は思った。
 それは自分だってそういう風にした。そうできればどんなにか楽だろう。しかしそんなことをすれば世間はなんというだろうか。はは。熊の餓鬼があんなことをして親の意見に従っている。はは、いい子だと褒められたいのか。根性のない奴だ。望まれたことをして褒められるなどということは誰にでもできることだ。そこをぐっと堪えて余所事にふけるのが恰好ええのやんけ。それをばあの熊のド餓鬼は、はは。真面目に、はは、田ァの草取ってけつかると思うに違いない。それはいかにもつらい。切ない。そやからこそ俺はこんなありもしない笛を吹くなどして苦労しているのだ。それをばお父ンはまったく理解せず、「われ、笛吹けるんけ」などと真っ直ぐな目で訊く。それが俺は悲しい。
 まったく馬鹿なことを考えたものであるが、熊太郎は真剣にそう信じていたのであった。
 しかし十四歳の熊太郎はその心情をうまく説明することができず、また巧妙繊細な冗談を言って韜晦・遁辞するということもできなかった。
「わいは恥ずかしいんじゃ」それだけいうと熊太郎は荷車から飛び下りて、わっ、と駆けだした。
「どこ行くんや、おいこら」と平次はどやしたが追わずにその場に立ちつくした。平次は悲しんだ。いったいなんであのような偏屈者に育ってしまったのだろうか、と訝った。平次はしばらくその場から動かなかった。
 目的を定めずに駆けだした熊太郎が建水分神社の境内までやってくると絵馬堂の前の、小高く盛り上がって小山の頂上のようになったところで小倅が楽しそうにわあわあ言っていた。人がありもしない笛吹いて大変なときになにを楽しそうにわあわあ言っているのだろうか。熊太郎が訝りながら近づくと、ド餓鬼どもは地面に丸く円を描いてこれを土俵とみなし、角力とって遊んでいるのであった。
 独楽回しの一件以来、熊太郎は集団の遊びに参加するのには慎重な姿勢をとってきた。また独楽回しのみならず烏賊揚その他、なにをやらしても熊太郎は鈍くさい子供であった。五寸釘を地面に突き刺して遊ぶ遊びをやったらちっとも釘が突き刺さらなかった。竹馬に乗ったら三歩歩まぬうちに転落した。走ったら遅かった。
 体力において劣っていたのではなかった。なにか真剣に力を入れようとすると例の奇妙な虚栄心、本気になって根性丸だしでやったら笑われるという思い込みのブレーキが働いてなにごとについても半身、力半分でへらついてこれをやったからである。そしてこれは実際的な知恵でもあった。
 力の限りとり組んで敗亡すれば軽侮されたが、本気でとり組んでいないと見せかけることによって熊太郎は決定的な屈辱にまみれることから逃れることができた。
 熊太郎は竹馬から落ちながら土佐の民謡、「ヨサコイ節」を歌って周囲のド餓鬼を笑わせた。熊太郎は落ちてなお痛みを堪えて歌った。家に帰ると足が腫れ上がって三日動けなかった。
「熊やんもすもんとりや」と声をかけられた熊太郎はしかしすぐに、「おう」と答えて帯をぎゅっと締めた。笛のことで精神が動揺し、捨て鉢のような荒んだ気持ちになっていたからである。
 熊太郎が土俵のなかに入ってきただけでド餓鬼が笑った。なにしろ熊太郎は鈍くさい。その熊太郎がいかにも強い角力のような恰好でのしのし土俵に入ってきた。ド餓鬼どもは、「はは。熊やんがあんなことして強そうにしてるわ」と笑ったのであった。
 笑いたかったら笑えばよい。俺は強さにおいて尊敬されるのが恥ずかしいのだ。おまえらのように直線的に力を讃美して疑わない無邪気な奴らに俺の気持ちは分からない。
 そんなことを思いながら熊太郎はわざと横柄な面つきをして蹲踞の姿勢をとった。
 熊太郎の相手は小出という百姓の倅であった。小出の親は手広い経営を行っていた。小出は身体は大きくないが足腰、そして腕の力が強いのかもはや四人を抜いていた。熊太郎に勝てば五人抜きである。細面で鼻筋の通った小出は爽やかなクールミントみたいな顔をしていた。熊太郎の心がぬらぬらした。あんな顔して恥を知らんやっちゃ。
 よいしょ。と立って、がすっ、とはいかない、ふわっ、とぶつかって熊太郎と小出はすぐに四つに組んだ。
 小出は右上手を取って腕力にものをいわせて強引に投げを打ってくる。いつもの熊太郎であれば、すぐに、あははん、と力を抜き地面に転がって奇声を発しただろう。しかしこのとき熊太郎はなぜかすぐには負けたくない気分だった。
 架空の笛のことで平次と心が行き違ってしまったこと。弱い者も強い者もあまりにもなんの疑問も持たずに真っ直ぐに強くなろうとしていることが厭だったこと。有力百姓の倅、小出が爽やかなクールミントみたいな顔をしていて心がぬらぬらしたこと。そんなことすべてが腹立たしく、ただ道化ても転合しきれぬものを或いは感じたからかもしれない。
 右横褌をとった熊太郎は、ぐっ、と踏んばった。小出は左の腕をかえしてこれを切ろうとしつつ右から強烈な力をくわえてくる。熊太郎の身体は右に傾いだ。
 ぎゅうううん。熊太郎は懸命に耐えた。しかし、小出は強力で右からぐんぐん攻めてくる、熊太郎の身体は大きく右に傾いで顔面が空に向いた。
 もはやこれまでか。くち惜しいわい、と熊太郎は思った。
 大木の技が覆いかぶさるそのはるか向こうに小さく青空が見えていた。
 熊太郎の身体がもうこれ以上曲がらぬというところまで屈曲して、誰の目にも小出の勝ちとみえたそのとき熊太郎はふと、いま急に右手の力を抜いたらどうなりよるやろ、と思った。
 小出は全力、全体重を左に向けてかけている。わいはいまその力に逆らっている。これはいっけん俺が攻められてるようにみえるが、別の観点からみると俺が小出を支えているということでもある。その俺が急に力抜いたらどうなるだろうか。支えを失った小出は転倒するに違いなく、どうせこのままでは敗北するのだから一度試してみる価値は充分にあるのではないか。
 そう思案した熊太郎は、ぎゅっ。いったん渾身の力を振り絞って右から押し戻そうとした。しかし小出はびくともせず逆に三倍の力をかけてくる。その瞬間、熊太郎は、ふっ、と右手の力を抜き、直後、右足で小出の左足を払ったからたまらない、小出は、ふわ、と宙に浮き、次の瞬間には小出はいやというほど土俵の土を食らっていた。
 起き上がった小出はもはやクールミントみたいな顔をしていなかった。
 泥にまみれて、麩が欲しくて焦っている鯉のような顔で半泣きになっていた。着物も破れていたし、どうやら突き指もした風であった。
 その様をみた熊太郎は、おほほん、と思ったが同時に驚いてもいた。
 独楽回しのことやその他のこともあり、なにによらず虚無・退嬰に陥って真剣にやらないので曖昧になってはいたが熊太郎は実際のところ自分は鈍くさく、弱いと思い込んでいた。
 ところがこれまで四人を抜いていて強い小出を投げ飛ばしてしまったのであり、熊太郎はそのことが意外でならなかった。
 そして驚いたのは熊太郎ばかりではなく取組を見ていたド餓鬼どもも驚いた。
 これまで弱い鈍くさい笑い者と思っていた熊太郎がいきなり小出を投げ飛ばしてしまったのである。ド餓鬼らは、我と我が目を疑った。
 熊やん、ほんまは強いんか。誰もがそう訊ねたかった。しかし百姓のド餓鬼である。言語で訊ねるよりこっちのほうが早い、とばかりに、竹田という小倅が、「次はわたいと取ろ」と言うと、のそっ、と土俵に上がった。
 肥えていかにも強そうな餓鬼で、よいしょ、と立つや肉圧でぐんぐん押してきて熊太郎はたちまち土俵際に追い詰められたがさきほど試したのと同じ呼吸で頃合いを見はからって左に体を開きながら足で払うと小倅はつんのめって転び、不細工にも露れた木の根で鼻を打ち、鼻血を出して泣いた。
 三人目も同様に投げ飛ばして、熊太郎は漸く、はっはーん、と思った。
 熊太郎は別に自分は強いわけではないのだと悟ったのである。強い弱いでいうと自分は弱いのだと熊太郎は思った。ただ、こいつらが知らぬコツのようなものを会得しただけだ。
 熊太郎はこれを奇知・奇略であると考えた。
 実際は弱い。弱いけれども奇知・奇略で強い相手に勝つ。つまりこれはわずかな兵隊で百万の大軍を蹴散らした大楠公の戦略であり、自分は大楠公の再来なのだ。なめとったらあかんどこらあ。
 そんなことを考えて昂奮した熊太郎は、次に土俵に上がってきた帯という綽名の最近、大伴の方からきた家の小倅に自ら、どーん、とぶつかっていく積極性をみせ、相手の顎を自らの頭の天辺ちょでぐんぐん突き上げ、どやどやどや、と攻めたてる。相手は顎があがって自然に反り身になって後退、熊太郎はここを先途と頭の天辺ちょが痛いのを辛抱して、ますます突き上げて帯は亀が石の上で首を伸ばしているみたいになって、ついには土俵を割った。
 堂々の勝利であった。
 自分を大楠公と重ね合わせて自信をつけた熊太郎は気迫で相手を圧倒、特に奇知・奇略を用いないで勝利したのであった。
 熊太郎は五人目も得意の急に力を抜いて足を払う先方で投げ飛ばして五人抜きをした。
 これにいたってド餓鬼どもは初めて、「熊やん、強いなあ」と感嘆・賛嘆、かくして熊太郎は強い、という評判が水分のド餓鬼の間で確立した。
 しかし熊太郎は自分は一種のフェイクでいつか本当の本来の真実真正の喧嘩をしたら自分が弱いことが露見してしまうだろうと考えていた。

 明治五年の秋、熊太郎のフェイクが露見しそうになったことがあった。
 平野に吹く風の音が変わって大気澄み渡り、生駒葛城金剛の山々が明るさのなかでくっきりみえるなあ、なんてな慨嘆に百姓たちが浸る頃、帯、鹿造、小出と熊太郎が連れ立って村内を歩いていると誰が落としたのか鮮やかな色の組み紐と一尺くらいな樫の六角棒が道に落ちていた。
 最初に見つけたのは熊太郎である。
「なんか落ってるやん」熊太郎が言うのを聞いた鹿造は、「ほんまや」と言うとちょらちょら走っていき、棒と組み紐を拾い上げた。
 追いついてきた熊太郎が、「ちょうめしてえや」と言うと普段、屁垂の鹿造は意外にも、「あかんあかん」と言った。
「なにがあかんねん。めしてくれゆうたらめしてくれや」
「あかん」
「なんであかんねん」
「めしたら熊やんわがのもんにするやろ。そやからあかん。これはわたいが拾たんやで」
「なんかしてんね。みつけたんわしやないか」
「しゃあけど拾たんはわたいや」
「ごじゃごじゃ吐かさんとこっち貸せ。貸せへんかったらしばくど」
 熊太郎が凄んだのにもかかわらず鹿造は強情に組み紐と棒を渡さない。
 屁垂のくせにと熊太郎は腹を立てたが同時にひやりとするものも感じた。
 ことによるとこの鹿造は本当は自分はたいして強くなく、イメージとしての強さを演出しているだけだということを見抜いているのではないかと思ったのである。
 事実はまったくその通りであった。
 楠木正成はダミーの兵をこしらえて寄り手を翻弄したが、熊太郎の強さなるもののその正体は、みなの、熊太郎は強い、という思い込みを資手に様々の、強い、というイメージを空買いしているようなものであった。
 熊太郎はさまざまの威嚇の文言を習得した。
 ときに大声で喚き散らし、ときに小さな声で呟くようにものを言った。逆上するとなにをするかわからないというイメージを村の餓鬼に植えつけるために高いところから飛び下りたり、喚き散らしながら稲荷社の鳥居をぶち壊したりした。そんなときはなぜか馬鹿力が出た。露見して叱られるのではないかと恐怖してひと月かそこらよく眠ることができなかった。
 熊太郎はそうしてイメージとしての強さを操作したが実際は貧しいものであった。まず角力の一件以来、熊太郎はまともな喧嘩をしたことがなかった。熊太郎が威嚇すると餓鬼はたいてい及び腰になったのでそれへさして半ばふざけるような恰好で「腕殴」と「腿蹴」をすると相手は痛さにのたうちまわった。
 いずれも熊太郎の独創で、「腕殴」とは通常の握り拳を拵え、しかる後、中指を折り曲げたまま突出せしめ、その爪に親指の腹をあてがうことによってできる異様に鋭い拳によって相手の二の腕をどつくという技である。軽くどついただけで痛いし、これをもって力任せにどつくなどしたら大変でどつかれた相手は、「おほほほ」という奇声を発し、しばらく動けない。鋭い痛みと鈍い痛みが同時に襲いかかってくるのである。
 たいていは内出血をおこす。腿蹴の方は単純で、ただ単に膝で相手の腿を蹴るだけであったが蹴る場所に熊太郎の独創があった。太腿の正面でも裏でもなく横の筋を蹴るのである。ここを蹴られると相手は片足で飛んで痛がり、暫くの間、跛をひいて歩いた。しかし相手がかわそうとしたり反撃してきたりする本式の喧嘩ではとうてい通用しない冗談技で、相手が笑って受けてくれりゃこそ効果を発する技であった。
 このときも、熊太郎は鹿造に、「きかなんだらこれやぞ」と冗談めかして、腕殴の拳を作ってみせたが鹿造はちっとも笑わず、「それがどなしたんじゃい」と強気で吐かして、試しに二の腕目がけて殴ってみたがかわされて筋に命中しなかった。熊太郎はマジにならなあかんのか、と思ってげんなりした。
 冗談事のもって行き場をはぐらかされて困惑した熊太郎が鹿造の顔を見ると鹿造は王化を拒む頑迷固陋な土民、或いは石亀みたいな顔をして組み紐と棒を握り締めていた。その顔を見て熊太郎は本気でどつこうと決意した。それでもでき得るならどつきたくない熊太郎は、
「貸せゆうたら貸したらどや。貸せへんかったらどつくど、こら」
 と一応は警告を与えた。ところが鹿造は、
「どつけるもんやったらどついてみい」
 となお頑固である。
「よっしゃ。ほんだらどったるわ」
 熊太郎は拳を固め、思いっ切り鹿造の頰桁めがけて突きだした。
 熊太郎のイメージでは、がすん。ぶわーん。拳が当たって鹿造が吹き飛ぶはずであった。ところが実際は、すぽん。と拳が当たったばかりで鹿造はちっともダメージを受けている節はなく、ますます頑なな様子で真っ青な顔をして棒と紐を抱き締めていた。
 熊太郎の拳骨がへなへなの猫パンチであったからである。腕力が弱いわけではない。特別、運動能力に劣っているわけでもない。にもかかわらずこんなへなへなのパンチしか打てないその理由が熊太郎自身にも分からなかった。
 ことによると殴ろうとした瞬間に、相手に悪いとか、或いはもっと功利的な、あまり思いっ切り殴ると相手はもっと思いっ切り殴り返してくるかも知れず、そうした場合、本来は弱い自分はぼこぼこにされてしまうかも知れないので、適当に力を抜いておいた方がよいかも知れない、といった考えも熊太郎の心理の奥底にあった。
 いずれにしても熊太郎は人を殴るのに心理的抵抗感を抱いていたのだが、同時にへなへなの拳骨を繰りだして熊太郎は自らのイメージが崩れるのを恐れた。
 ほほほ。熊やん、強い強いゆうとるけどあれなんやねん。あんなへなへなの拳骨でなにしとんねん。熊の餓鬼、ほんまは弱いんとちゃうけ。
 みながそう思うに違いないと熊太郎は思ったのである。
 熊太郎は振り返ってド餓鬼どもの顔を見た。
 みな黙りこくって無表情であった。
 石の仏が並んでいるようであった。
 熊太郎はその瞬間、果たして本当に俺はあのド餓鬼どもに強いと思われていなければならないのか、と思った。
 熊太郎は大楠公はどうだったのだろうかとも思った。
 そもそも俺は弱い。その弱い俺が強くみえるのはこれひとえに大楠公流の奇知・奇略によってである。大楠公は寡兵であった。衆寡敵せずといって、これは大楠公には悪いが、ある意味、弱いということである。しかし藁人形で味方が大勢いるように見せかけたり、煮え湯や人糞、巨岩を敵兵目がけて落としたりするのは弱い者が強い者に勝つための奇知・奇略、つまり俺の角力や腕殴と同じことだ。では大楠公はなぜそんなことをしたのかというとそれは忠ゆえである。じゃあ俺はなんなのだ。俺はなんのために奇知・奇略を駆使して強いと思われなければならない。忠か。それは違う。俺が強いふりして鹿造に勝って天子様が嬉しい訳がない。それは違う。では孝かというとこれも違う。というか逆に不孝だ。では俺は自分が勝ってよい気分になるためにこんなことをしているのか。俺は人を殴って気持ちがいいのか。というとこれも違う。それは多少はよい気分かも知れぬが、やはりそうはいっても人を殴るのはなんか厭だ。そもそも俺は直線的な力の行使が非常に苦手なのだ。しかしそれにつけてもこの思考の流れはいったいなんなのだろうか。俺はやはりどこかおかしいのではないのだろうか。近所の人間はおそらく誰もこんなこと考えていないだろうし、もちろんこんなことを話題にすることはない。おそらくこのような思考をするのはこの辺では俺だけだ。みよ、こいつらの顔。いい年して洟を垂らしている。しかしそれはそうとして問題はなぜ俺はこんな奴らに気を遣ってうた歌いながら竹むまから落ちたり、奇知・奇略を使ったりしているのかということだ。それがまるで分からない。
 そんな風に熊太郎は考え、そしておぼろげに、義かな……、と思った。
 忠孝ともいうけど忠義ともいう。義。つまり自分は直線的な力の行使、直線的な欲望の発露、直線的なものの筋道、そんなことに抵抗する義の様態としての奇知・奇略を使っているのではないか、と熊太郎は考えたのである。
 自らの行動の裏づけを得たような気持ちになった熊太郎は、ぐいっ、と一歩踏みだして鹿造に近づいた。
 俺は義のために強いふりをしているのだ。そんなねじ曲がった観念を抱いた熊太郎はここはどうしても鹿造をこらさなあかん。しかしながら拳骨は情けない。どないしたらええのだ、と思いつつ熊太郎が鹿造の右腕をとったところ鹿造は、いやんいやん、と言いながら左手で紐と棒を抱いて向こうを向いた。
 しかし熊太郎は腕を放さない。
 鹿造も、いやんいやん、と言いながら逃れようとするので熊太郎が腕をつかんだまま、ぐいっ、と一歩近づくと鹿造は、「いたいいたいいたいいたい」と叫んだ。
 鹿造の右手がその背中で捻られたような恰好になったからである。
 ほとんど力を入れていない熊太郎が訝しげに、「どなしたんや」と訊いたが鹿造は、いたいいたい、と叫ぶばかりである。これにいたって初めて、結果的に自分が鹿造の腕を決めていることに気がついた熊太郎は今度は意識して腕をねじあげた。
「どや。まいったか」
「いたいたいたいたい」
「まいったかちゅとんねん」
「腕が折れる、腕が折れる」
「おお、折ったるわ」
「ほんま痛い、ほんま折れる」
「ほたおまえ、それ貸すんか」
「貸す」
「ほた許したるわ」
 言って熊太郎は手を放した。解放された鹿造は左手で右の二の腕を揉むようにしていたがそれでもまだ紐と棒を乳と腕の間に挟んで離さない。
「なにしてん、さあ。貸しいや」
「しゃあけど、これはわたいが……」
「まだごじゃごじゃぬかすんか。腕折ってもうたろか」
 熊太郎が一歩、踏みだして、それで漸く鹿造は棒と紐を差しだした。熊太郎はこれを受け取りしげしげと眺めた。
 なんらの曲もない、ただの紐と棒だ、とも思った。
 熊太郎はなぜ鹿造がこんな紐と棒に固執したのかちっとも理解できなかった。しかし固執したのは自分も同じだ。ただ違うのは自分は義のために固執したのであってそこが大楠公の思想と行動を受け継ぐ自分と鹿造の違うところだ。そう考えて熊太郎は無理に心に決まりをつけた。
 得心がいった熊太郎は半泣きになっている鹿造に紐と棒を返してやろうと思ったが、ただ返したのでは面白味に欠ける、と考え、背後で石の仏のような顔で熊太郎と鹿造のやりとりを聞いていたご連中を振り返り、
「どや。ええ紐と棒や」と紐と棒を渡した。
「ほんまええ棒や」
「ほんまええ棒や」
「熊やん、ええのん拾たなあ」
 熊太郎はなにをべんちゃらいっているのだと思った。こんな愚劣な紐と棒のどこがええのか。なにを付和雷同しているのだ。と思った。
 熊太郎はド餓鬼らと一緒になってせんどさんざん紐と棒を褒めたうえで鹿造に返してやった。
 鹿造はどうしてよいか分からず、
「え? これわたいにくれんの」と阿呆みたいな顔で聞いたが元々、阿呆みたいな顔なのでそんなに表情は変わらない。
「おまえが拾たんやからおまえが持って帰ったらええやんけ」
 思わぬことを言われた鹿造はちょっと鼻のうえに皺を寄せ、猫が鰹節の嗅をかいでいるような顔をして紐と棒を受け取るとそそくさとこれを懐にしまい豚のように自足した。満足したのである。
 しかし熊太郎も満足であった。
「腕殴」「腿蹴」についで「腕捻」を習得したからである。
 これはいかにも熊太郎好みの技であった。
 まず第一にほとんど力をこめる必要がなく、駘蕩たる春風に吹かれてにやにやしている人のような顔のまま相手を泣かすことができた。
 相手の腕をとってねじあげることによって熊太郎は渾身の力で人を殴るといった直線的な力の行使を微笑みながら、しかし力によって批判できたのである。
 また、「腕殴」「腿蹴」はふざけ半分のほたえ合いのときしか使えなかったが、「腕捻」はけっこう本気な喧嘩のときも使えた。
 これを会得することによって熊太郎は懸案であった、本当は自分は滅茶滅茶弱いということを封印することができた。
 以降、喧嘩ができる度に熊太郎はこの「腕捻」で凌いだ。たいていの者は腕をねじあげられて半泣き、半笑いみたいになって、「参った、参った」と音を上げた。
 しかしある日、それではすまない事態が起こった。
 熊太郎もまた気味が悪かった。
 餓鬼が言っていることに根拠がありそうな気がしたし、餓鬼の容姿、外見に災厄そのもののような無気味なものを感じていた。
 しかし義のためにしりぞくことのできない熊太郎は気色悪いのを我慢して言った。
「あんまりえらそうに言うな。そんな言うんやったらおまえ、わいと角力とってみい」
「おほほん」餓鬼はまた笑った。
「あんたらの角力と僕らの角力は角力がちゃうよ。さいぜんからみとったらあんたの角力はインチキや」
 言われて熊太郎は戦慄した。
 確かに熊太郎の角力はフェイクで村のぼんくらな餓鬼相手なりゃこそ大関であるが、まともな角力においてはまったく通用しないことを熊太郎自身がもっともよく知っていたからである。
 ばれているのか。そう思う熊太郎の胸に汗が光っていた。
 熊太郎は、この餓鬼は俺の秘密、すなわち俺が贋の、自己演出よりなる強者であること、をすべて知っているのか。と思って戦慄した。
 熊太郎は改めて餓鬼の姿を眺め、ぞっとするものを感じた。
 もじゃもじゃの髪の毛、とがった鼻梁、ほんのり赤みのさした頰、つり上がった目が、その脇に立っている見知った餓鬼どもに比べていかにも異質で、邪悪そのもの、災厄そのものがそこに立っているような気がした。
 この餓鬼は俺をちっとも恐れず、しかも俺の角力がインチキであることを喝破した。こいつはいったいなにものだ?
 熊太郎はおののいた。
 赤松銀三は狷介な男であった。
 自分が理解できないことはすべて不正義とみなし、怒鳴り散らす、どやしつけるなどしてこれを排斥した。
 また銀三は節倹な男であった。吝嗇といったほうがよいのかもしれない。三文の銭を惜しんで走りまわり、出すものといえば屁もこれを惜しんだ。そんな銀三が大事の田圃の方に異様の音を聞いたのだからたまらない。
 ド餓鬼。こいつらはあろうことかこのわしの水車をつぶしゃがった。わしはわしや。そのわしの水車をこんな、かっ、こんな箸にも棒にもかからぬ餓鬼どもがいったいどういう料簡からか破壊した。このわしの、わしの持ちもんの水車をつぶしゃがった。こんなとるにたらぬ奴らがわしのもん、それが藁ひとすじであろうがわしのもんやのに、それをつぶしゃがった。そんなことは断じてあってはならぬこっちゃ。とにかくわしは絶対にこいつらを許せへんど。
 そんな意味を込めて銀三はド餓鬼らに向かってたった一言叫んだ。
「どらあ」しかしその一言で意味は充分に通じた様子でド餓鬼らは怯えたような目で銀三を見ている、銀三は嵩に掛かって言った。
「おどれらわしとこの水車になにしたんじゃ。潰れとるやないけ。ただで済むとおもてけつかんのんか」
 狷介な銀三に怒鳴られ鹿造はひどいこと怯えた。
 鹿造は尻の穴がすくすくするように感じ、また周囲から自分が浮き上がっているようにも感じた。指先が膨張して芋のようになったり、ぎゅんと収縮して針のようになったりした。いずれも怖ろしさのあまり精神が動揺した揚げ句の感覚の変調である。そして鹿造はなぜか、「茶渋が落ちるの」と呟いた。まったく意味不明であった。
 呟いて鹿造は、こんな台詞はきっとお婆ンがいうのだ、と思った。
 鹿造の家にお婆ンはいなかった。そう思いつつも鹿造はまたぞろ、「茶渋が落ちるの」と呟いた。その鹿造に向かって銀三が言った。
「こら餓鬼。なにが茶渋じゃ。おちょくっとんのか」
 ぎゅん。鹿造の心が縮んだ。もはや、茶渋が落ちるの、などとはいえない。鹿造の頭脳が恐怖で痺れ、涎と洟が流れた。涙も滲んだ。そのときである。熊太郎が前に進み出て言った。
「おっさん、なにいうてんねん」
「なにいうてんてなにいうてん。おちょくっとったらえらいど、この餓鬼ゃあ」銀三が激しく威嚇して熊太郎は一瞬、怯んだが、しかし熊太郎はなお、「別におちょくってませんやん」とにやにやなめきった口調で銀三に抗弁、その様をみて駒太郎はじめド餓鬼どもはなんたら度胸のある熊太郎であろうか、と感嘆した。
 銀三にそんな口きいたら耳を摑まれて引っぱり上げられ用水に叩き込まれるかなんかするに違いないと思っていたからである。
 事実、銀三はいまにもそんなことをしそうな権幕で怒っていた。
 では熊太郎に度胸があったのかというとそうでもなく熊太郎も鹿造同様に怯えてきっていた。狷介な銀三を怒らせてどんな目に遭わされるのかと想像しただけで狂いそうであった。
 そのように恐怖に追い詰められた熊太郎はしかし鹿造と違って、追い詰まれば追いつまるほど清明な心境になった。頭が澄み、奇妙な、殺すんやったら殺せ、という落ち着きが生まれた。
 といって実際に落ち着いているわけではなく、心臓は早鐘を撞くようであり、時間感覚もおかしくなって時が実体化して皮膚の近くを渦巻いて擦れていくようだった。内面はそのように凄いことになっているのにもかかわらず外見上、熊太郎は落ち着いているように見えた。そんな熊太郎を駒太郎も番太も度胸のある男だと思って眺めていた。
 その視線は用水の波頭を見る視線と少しも違わない。

 身体の中心部は冷えきっているのに皮膚の表面は怖ろしく熱い。身体のなかにおそろしく速いものが疾走しているのに動作はことさらのろのろしているような感覚。そんな奇妙な感覚に熊太郎ははじめ戸惑い、なぜ自分はこんなことになるのか、と訝ったが、しばらくするうちにこの感覚を自ら行う詐術として操ってやろう、すなわち、みかけ上、奇妙に落ち着いているように見えることを利用して、自分自身を怖ろしく度胸のある男に見せかけようと考えたのである。
 そうなると半ばは恐怖を克服したも同然であった。
 しかし完全に克服できぬのは、この詐術が原因となって自らの身体にくわえられるであろう暴力に対する恐怖は消えぬからであった。
 熊太郎は恐怖の十字架を負った道化師であったのである。しかし駒太郎や鹿造や番太にそんな熊太郎の内面は知れない。
 熊やんの肝は鋼の五枚張りなんて文句を心に思い浮かべていた。誤解である。
「最初から言わなわからへんわ。わいらがな、あんまけったいな音やから見に来たんや。ほだ小鬼が逃げるとこやったんや。そやからわいら小鬼が水車つぶすとこはみてへんよ。みてへんけどや……」と熊太郎はこれにいたって初めて銀三に前後の状況を説明した。
「水車つぶすとここそ見てへんけど逃げるとこみてん。しゃあけど村の水車潰されて黙ってられへん。どこ行くんじゃ、こら。言うたってん。ほしたら、僕、水分神社の絵馬堂へ行きます。ちゅいよんがな。ああさよか、とは言われへん。なにい、水分神社の絵馬堂やと、ふざけやがって。だいたいわれどこのどいつじゃ、と聞いたってん。ほたら、僕か。僕は森の小鬼とでも名乗っておこうか。おほほん、ちゅいよってん。腹立つやん? どつきまわしたろ、思てね、ぐわんっ、襟首つかんだってんけどあけへん。なんでてもう、くっさいねん。肉の腐ったんとババと鮒鮨まぜて酢ゥかけたみたいな臭いしとんね。もうげえ吐きそうなって、涙、ぐわあ出てくるし洟も垂れるし、そのまま逃げられてもたんやけど、さいぜんのこっちゃからまだ絵馬堂におりよると思うわ」
 熊太郎の説明を聞くや、銀三は、「絵馬堂か、よっしゃ」と言うなり、「おりゃがったらえらいど」と言いながらそのまま駆けだして熊太郎達の方を振り返りもしない。
 その後ろ姿を熊太郎はぼんやりと眺めていた。早口で喋っているときは次から次へと様々の考え、いまこの瞬間、この局面をどのようにして乗りこえていこうかという小刻みな考えが雲のように浮かんでは消え浮かんでは消えしていたが、銀三が目の前から去り危機が回避された瞬間から、頭にはまったくなんの考えも浮かばず、また熱と冷気が同時同所に存在していたような身体の奇妙な感覚もいつの間にか去り、ただ身体の芯のあたりにどんよりとした疲労感のみが澱のように蟠っているのであった。
 と同時に熊太郎は冷たいものをのみこんだような危機感を感じてもいた。熊太郎は訝った。
 自分は何をひやひやしているのだ。
 小さな嘘はいくつか言ったが、基本的なところで嘘は言っていない。
 実際、小鬼は怪しい奴だったし、それよりなにより自分たちは本当に水車を壊していない。それなのになぜ自分はこんなにも不安なのか。自分の心のなかに蟠るこの黒い不安感はいったいなんなのか。
 熊太郎はその不安の正体が確認できなかったのであるが、それは熊太郎が小鬼の腕を折って絵馬堂に放置したことや、その小鬼の存在を村の大人に喋ってしまったことに起因する不安と考えることができたが実は熊太郎はもっと深いところで別の不安を感じていた。

 熊太郎の感じていた不安はつまり自らの奇怪な感覚から来る自暴自棄の知略のようなものを銀三に行使することによって社会化してしまったことに対する不安であった。熊太郎は自らの奇知・奇略によって自らがどんどん追い込まれていくような不安を感じていたのである。しかしその不安は熊太郎の意識するところではなく、見かけ上、熊太郎はただぼんやりしているように見えた。その熊太郎に駒太郎が声をかけた。
 狷介な銀蔵がこれまでそれに気がつかなかったのは、ひとつには自分ほどの人間があんな年端の行かぬ子供に騙されるわけがないという自惚れがあったのと、とにかく犯人を見つけだして早く水車修理代金を出させたいという欲にとりつかれていたからで、人間はいつもこうして自惚れと欲で身を滅ぼす。気をつけたいものである。
「城戸おるか。こらあ、城戸、おい、出てこい」と初手から掛合のつもりで乱暴な銀三の声を熊太郎は家の裏で聞いた。熊太郎は胸か心がじんじんするのを感じた。この場から逃亡しようかとも考えたが、自分のいないところで事態が進行していくのが怖ろしくて逃げられなかった。かといって自ら応接に出ることもできない。大八車の根際につくもって身をすくませていると、たまたま家にいた平次が応対に出たらしく、銀三の、「われとこのド餓鬼がわいとこの水車を」とか、「わいは朝から富田林行て」とか、「嘘つきさらしゃがって」とか、「弁償いさらせ」といったさらなる怒鳴り声が聞こえてきた。
 それに答える平次の声は聞こえず、どう応対しているか熊太郎には分からなかったがやがて、「熊、どこいきゃがった、おい、熊」と平次が呼ぶ声が聞こえた。
 その声を聞いた熊太郎は、固く目を閉じ、身体を小さくして拳を握り締め大八車の陰に隠れるようにして震えていたが、「あ。こんなとこに隠れてけつかる」という声がしたかとおもったら、いきなり襟首を摑まれ、無理に立たされた。
 平次であった。
 平次は怖い声で、「熊、ちょうこい」と低い声で言い、熊太郎を表に引っぱっていった。
 城戸平次方の表に熊太郎、平次、銀三の三人が立っていた。周囲に、田園の、いかにも平和な午後の景色が広がっていた。でも三人の心はそれぞれに修羅である。
 知恵つけられた平次は、「ほなそないさしてもらいます」と言い、銀三はしゃらしゃらして帰っていった。平次は戸口で頭を下げてその後ろ姿を見送っていたが頭を上げるなり、「このド餓鬼がなんちゅことさらしゃがったんじゃ」と怒鳴るなり、土間にぼうと立っていた熊太郎のどたまを思いきり殴りつけた。
 ぐわん。殴られた熊太郎はあっけなく土間に転がった。
 平次にこれほど殴られたのは初めてだった。
 鼻のあたりがぬらぬらするのを感じて手を当てると鼻血がでていた。
 熊太郎は手についた血を口のあたりにぬすくった。
 熊太郎はもの凄い顔になり、平次は一瞬、怯んだような表情を見せた。ちょっとどつき過ぎたかな、と思ったのである。
 しかし三百円という金のことを考えてすぐに立ち直って怒鳴った。
「おどれなんでそんなおとろしことさらしたんじゃ、なんとか吐かさんかい、こら」
 土間に転がったまま熊太郎は屋根の裏を眺めていた。
 構造が一箇所大きく破損しているところがあった。
 熊太郎は父親はこの事に気がついているのだろうかと思った。
 これをこのまま放置しておけばいつか屋根が落ちてくる。起きているときであればよいが寝ているときに落ちてきたら屋根は重いから父母も弟の光蔵もみな潰れて死んでしまうのではないか。そのことをいま父に教えるべきだろうか。でもいま言っても父は怒っているから聞かぬだろう。しかし屋根が……。鼻がじんじんする……。そんなことを考えながら熊太郎は土間に倒れていたが、屋根のことを考えているうちにさきほどまで恐怖で狂いそうであったのに、どういうわけかすうと気持ちが落ち着いて、自分のことがまったく自分とは無関係な他人のこと、或いは芝居でもしているかのような、本当の自分と自分のやっていることが離れているような気楽な気持ちになった。
 水越峠を越えた熊太郎らは長尾街道を左に折れ、顔面の醜い、一言主という神を祀った神社の脇を通りがかった。
 熊太郎たちはこんなところに小鬼がいるかも知らん、とか言いながら鳥居をくぐり、なんだか白けたように田の間を貫く参道を正面の暗い森に向かって歩いた。
 神社はなんとなく気色の悪い、暗い穴のような神社であった。巨大で面妖な暗闇。形の不分明な黒いものが街道の脇に蟠って蒟蒻のようにぶるぶる震えているようだった。
 そもそも一言主という神様からして不気味な神様で、顔が醜くて、悪事も一言、善事も一言で言い放つ、言離の神である。この世のすべてのことを一言で言い放つ。善いことも一言で言う。悪いことも一言で言う。言離というのはなんのことか分からぬが言葉で物事を離つ、世の中のすべてのことをばらばらで単純な言葉に分解してしまうようなイメージがある。突然現れてすべての問題を一言で解決してしまう。
 これは救いに似てけっして救いではない。
「ええっと、蕎麦とうどんとどっちにしようかなあ」と悩んでいる人の前に突然現れて一言、「蕎麦」と言い放って去っていく。そこまではっきり言われるともはや悩むことすらできず、やむなく蕎麦にするのだけれども理由も知らされずにただ蕎麦と断言されたのだから釈然としない気分が残る。だからといって、「うるさい、俺はうどんにする」と言って無理にうどんを食べても、やはり蕎麦の方がよかったのだろうか、という思いがつきまとってうまくない。
 人をそんな気分にさせておいてその理由も動機も明らかにしない一言主は不気味な存在である。一言主は雄略天皇の前に姿を現して人に知られるようになったが、そんなだから雄略天皇は一言主を尊崇し、着物をささげたという話があると同時に、そのうち喧嘩になって土佐に流したという話もある。
 いずれにしても不気味な神であることには違いない。
 そんな不気味な一言主の神域に佇み熊太郎たち、ことに熊太郎は緊張していた。
 空気や木々の佇まい、ちょっとした家の造り、神社の構造までもが自分たちの村とは違っていて、熊太郎は異境・異界という印象を受けびびっていたのである。
 実際、熊太郎たちの住まいとする水分というのはもっと粗い、農村風の風情で、人気も風景も、洗い晒した河内木綿のようであったが、この大和の側は、いたるところに神話の影、歴史の影のような黒い虚無がしみ込んでいて、人も景色も鞣した脱皮のような、洗練された邪悪のぬめりのようなものを熊太郎は界隈のそこここに感知するのであった。
 例えばこんなものは水分にはない、と熊太郎は境内にある石造りの建造物を見上げて思った。
 熊太郎が見上げたのは二丈ばかりの自然石を積み上げて造った碑であったが、実に複雑な建造物だった。そもそも材料からして異様で、とろけたようなつるつるの石や焼け爛れたようなざらざらの石、四角い墓石のような石がぐしゃぐしゃに混じりあって碑の基底部を成していた。
 ところがそうしてぐしゃぐしゃな基底部が立ちあがるにつれ、次第に一体の石となっていて、中程ではできもののようにぶつぶつした突起がある一体の石となり、上の方では完全にひとつの巨岩となっていた。そのくせ継ぎ目はどこにもみあたらず、まるで生き物のようであった。
 そんな碑の表面には上といわず下といわず、びっしりと人名と年号が刻んであり、碑の禍々しい印象を際だたせていた。
 熊太郎の襟首をつかんだ男は固まって震えている駒太郎らを睨めつけ、「おまえら、なんや」と怒鳴った。怯えきったド餓鬼どもはなにも答えられない。男は一番手前にいた駒太郎に言った。
「おまえらこいつの仲間か」
「へ、へぇ」
「仲間やったら一緒にこい。復讐や。えらい目にあわしたる」
「へ、へぇ」
「なにしてんねん。はよこんかい」
「へぇ、あの……」
「なんや」
「べ、べつにわいら仲間っちゅう訳とちゃうね」
「ほんだらなんやね」
「ここまで一緒に来ただけや」
「ほんだら関係ないんか」
「関係あらへん」
「それやったらさっさと行け」
 男が怒鳴ると同時にド餓鬼どもは一斉に丘の下に駆けだした。恐怖で足がべらべらになっていたのだろうかちょっと行って鹿造が転倒した。三之助がこれを助け起こした。そのとき三之助が一度だけ熊太郎の方を振り返ったが、その表情になんらの感情も見てとれなかった。三之助は自分とは無関係な、透明な膜の向こう側をみるような目で熊太郎を見たのであった。
 明け暮れ顔を合わせているド餓鬼どもがそそくさと丘を駆け降りていき、すぐに見えなくなった。
 熊太郎は衝撃を受けた。
 以前は確かに鈍くさい奴と認定され馬鹿にされていたが、角力で強かったり、「腕殴」「腿蹴」「腕捻」などの技を行使することによって連中はすっかり心服、俺は名乗りこそせぬもののあの四人をはじめとする村のド餓鬼どもは城戸熊太郎一家の乾分のようなものだと思っていた。ところが俺がつかまってみるとあいつらは振り返りもしないで逃げ出した。しかもそれが完全に利己的な動機に基づいてのことかというと、必ずしもそうではないらしいのが転倒した鹿造は助け起こした。おそろしい化け物が背後からいつ襲いかかってくるかわからない状況である。利己的にふるまうならば転倒した仲間など捨てて行くのが当たり前だろう。ところがそんなおそろしい状況で三之助は鹿造を助け起こした。その間、駒太郎たちも立ち止まって待っていた。これは彼らが底から利己的ではないということの証左である。しかるにその同じ彼らが、自分が男につかまった際はこれを助けようとはせず、そそくさと立ち去った。駒太郎にいたっては、仲間ではないと明言した。つまり、俺は奴らを仲間だと思っていたが彼らの方は俺を仲間だなんてさらさら思っていなかったのだ。そしてあの目。なんらの感情もこもらない、馬か犬かを見るような三之助の目は、彼らが俺のことを自分たちとは違った異質ななにかと思っているということを証しだてていた。俺は仲間だと思っていたのに! 連中にとって俺はむしろ小鬼やこの化け物のような小鬼の兄の側に属する人間だったのだ。
 そんなことを考えて熊太郎は、気味悪い、顔の大きな小鬼の兄を見上げた。
 相変わらず気色の悪い顔であった。
 間近にみるとなお怖ろしい。
 しかし熊太郎は男に奇妙な親近感、自分たちは普通の人間とは違って、決定的な生涯消えぬ烙印のようなものを押された人間なんだという連帯感を覚えた。
 だからといって男がやさしくしてくれる訳ではない。
 男は熊太郎の襟首をつかんで丘の上の方へ引っぱっていった。
 丘を登りきると、やや開けた木がまばらに生えているところがあって、土に半ば埋まった石があった。
 男は熊太郎を石のところまで連れてきた。
 大きな、蓋をしたような石の下に、小さな石がいくつも乱雑に積み重なっている。
 男が石を取り除けると、人ひとりがやっと通れるくらいの穴が開いた。奥は暗くてよく見えない。男は熊太郎に、穴に入れ、と命令した。熊太郎は腰をかがめて穴の奥へ進んだ。真っ暗ななか、熊太郎が進むにつれ低かった天井は次第に高くなり、普通に立って歩けるようになったかと思うと、突如として周囲が明るくなって、熊太郎が振り返ると奇怪な男が蝋燭に灯をともして立っていた。
 穴のなかは巨大な岩室だった。
 横幅は一丈あまり、縦は三丈、天井までの高さは一丈二、三尺もあり、壁には巨石・巨岩がそそりたつように積み上げてあり、天井はひときわ巨きな石で覆ってあった。足元は泥濘で岩室の中央に蓋の半ば開いた石の棺がおいてあった。
 男はこの棺の蓋の上に蝋燭を立てた。蓋の上には蝋燭の垂れた跡がいくつもあった。
 石棺の周囲にはまた別の箱や盆のようなもの、また四角い石の装飾品や盃、瓶、鞠のようなものが散乱していた。
 狭苦しい岩室のなか、蝋燭の黄色い光に照らされて男の巨大な顔面がひときわ気色悪く、熊太郎の脳は痺れたようになった。男が言った。
「おまえ、ここがどこかわかっとんか」
「わかりません」
「はっ気楽なやっちゃ。ここはなあ、よお聞けよ。ここは古の貴い人の御陵さんや。おまえ、そんなとこ入ってただで済むとおもてるんか」
 男が怒鳴るのを聞いて熊太郎はまた戦慄した。御陵といえば墳墓。そんななかへこんな怖ろしい男と入りごんで自分はいったいどんなことになるのか。わからない。わからないが、おそらくこれが、このことが露見したら自分は死罪。梟首獄門になるに違いない。子供でも梟首獄門になるのか。わからない。おそろしい。がしかしわからないと言えばこの男の言っていることもわからない、と熊太郎は思った。
 熊太郎は自ら意志して岩室のなかに入ってきたわけではない。男が無理に襟首をつかんで引きずってきたのである。にもかかわらず男は、こんなところに入ってただで済むと思っているのか、と熊太郎を脅した。先ほどから熊太郎は恐怖で口をきけないでいたが、おかしい、と思う気持ちが熊太郎を奮いたたせた。
 熊太郎は震える声で、しかし精一杯、虚勢を張って、「おまえはええんか」と男に問うた。
「僕らにおまえとかいわんほうがええよ」と答えたのは男ではなく小鬼だった。
 小鬼は、さきほど見せた弱気な表情とはうって変わって、初めて水分神社の境内であったときのような自信満々な表情でにやにや笑っていた。
「君は知らんかもしらんが僕らにおまえとか言うたらえらいことやよ」
 自信たっぷりな口調で言う小鬼の顔を見ているうち、熊太郎の口のなかに苦いものが湧くようなむかむかするようか心持ちになって、それで言った。
「なにがえらいこっちゃね」
「おほほ」と小鬼は笑った。
「なにがえらいことか知りたいの。教えたろか。教えたるわ。君はさっき、おまえはええんかい、と言ったよね。ええよ。ええに決まってるよ。この御陵に入っても僕らはぜんぜんかまへん。おまえはあかんけど。なんでか言うたろか。ここは僕らの家のお墓やからや。このお墓に祀られてんのは僕らの先祖さんで天皇さんとも親戚やよ。そやから僕らはなんぼこのなか入ったかて別条あらへんのや。そんな天皇さんの親戚の僕らにおまえとか言うたらあかん。ただではすまん。そのうえ御陵のなかにはいって、そのうえ僕の腕まで折ってしもとんねや。もうおまえは先、ないわ」
 熊太郎は小鬼の話を半信半疑で聞いた。
 この小鬼とその兄が古の貴人、古墳時代の豪族の子孫やなんて、そんなことあるかあ、と熊太郎は思った。しかし、二人の明らかに常人とは異なった外見、常識外れな態度はとんでもなく卑賤なものか或いはとんでも無く高貴なものかのいずれかで、その中間はないように思え、熊太郎はことによると小鬼は本当のことを言っているのかも知れないと思った。
 なにも言えないでいる熊太郎をじっと見据えつつ小鬼は兄の傍らに立っていった。
「兄さん。こいつどないしたりましょ」
「うん」と奇怪な男は頷き、「可愛い弟の腕折った憎いやっちゃ。殺してもうたるわ」と憎々しげに言った。本当に憎々しげに言っているところをみるとこの巨大な顔面の膨張した男は心の底から弟を愛しているようで、熊太郎は、本当に殺されるかも知れない、と思った。小鬼は兄が、殺してもうたるわ、と言うのを聞いて暫くの間、「ひっひっひっひいっっっ」とひきつけを起こしたようにヒステリックに笑っていたが、ふと笑いやんで言った。
「けんど兄さん。こいつ殺したら邏卒が僕ら捕まえにきょりまへんやろか」
「うん。そやなあ。なんや日本は法治国とやらになりょったらしわ。きょるかもしらん」
「嫌やなあ。やっぱり殺すのやめとこか」
「そやなあ」と兄は俯いて思案の様子であったが作り物めいた顔はちっとも考えているように見えず、ぱっちり開いたお目目が蝋燭の明かりに照らされて輝いていた。しばらく考えていた兄はやがて顔を上げると熊太郎の方を見て言った。
「おまえどこのもんやねん」兄がなにを考えてそんなことを聞いたのか知れぬがとにかくすぐには殺さぬ様子で熊太郎は慌てて答えた。
「河内の水分からきた」
「おまえ河内者か」
「そや」
「ほんならおまえ盆踊りの歌うたえるか」
 唐突に尋ねられて熊太郎は当惑した。
 盆踊りの歌。盆に御霊を迎え慰めるために歌い踊る死霊のための歌である。
 死霊のための歌というと暗いイメージで、また物語も理不尽で圧倒的な暴力によって非業の死を遂げたもののための復讐譚の類が多く、それだけ聞くと陰気でじめじめした印象であるが、水分で歌われる盆踊りの歌は節も拍子も馬鹿馬鹿しいくらいに陽気で明るく、長編の物語には台詞もあり、台詞にはチャリといって洒落や冗談が盛り込んであり、陽気なうえにおもしろい。
 しかしなぜ男はそんな、おろしろおかしい音頭をいまこの、殺すの殺さぬのと言っているタイミングで熊太郎に歌えと言ってきたのか。その真意が読めずに熊太郎は困惑したのであった。
 しかもこんな陰気な岩室のなかで死の恐怖に怯えつつ奇怪な兄弟二人にみつめられて陽気浮気に音頭を歌う気にはとうていならない。熊太郎は言った。
「わい、盆踊りの歌知らんねん」
「なに? おまえ盆踊りの歌知らんのんか」
「知らん」
「そうか。知らんのんか。ほなしゃあないわ。殺そ」男が言うのを聞いて熊太郎は飛び上がった。
「ちょ、ちょっと待って」
「なんや」
「うたわんと殺すんけ」
「そや。おまえを殺すか殺さんか、俺は迷たんや、ほて、おまえに歌うたわして、それ聞きながら殺すか殺さんか考えよ、思たんやけどな。しゃあけど知らんねやったらしゃない。殺すわ」
 男はそういって熊太郎の方へ歩きだした。
「ちょ、ちょう待ってくれ」
「なんや」
「なんか急に盆踊りの歌、思い出したわ」
「思い出したんか」
「思い出した」
「それやったら」と小鬼が口を挟んだ。
「それやったらうとてみたらどやの。なんぼ僕らが高貴な生まれや言うたかて僕らも人間や。おまえの音頭聞いて、おもろいな、楽しいな、と思たらやっぱり助けたろかなとおもうかも知れへんよ」
「う、歌う」と熊太郎は言った。
 音頭はまあ歌えた。毎年、盆になると櫓が立って音頭取りが来て、毎年聞くうちに節やなんかは自然と覚えてしまっている。熊太郎はこの真似が得意であった。こんな陰気な岩室のなかで気色の悪い兄弟を相手に音頭を歌うのは気が進まぬが、うまく歌えるば殺されずに済むかも知れぬのであり、ここはやはり度胸を決めて歌うべきだろう。
 熊太郎はそう心に決めて歌いはじめたがやはり場所が墓穴で観客が不気味な兄弟、しかももう少ししたら殺されるかも知れないという過酷な状況が災いして、熊太郎の音頭は悲惨であった。
 ヤ、コリヤドッコイセ、この場の皆様やうかがいまする演題はー、とありきたりに始めたものの、か細い声が恐怖と緊張のため震え、古テープのようにゆらゆらしている。
 また情けないのは、通常、呼び掛けると周囲のものが、ソラヨイトヨーイヤマカドッコイサノセ、と囃してくれるものなのだけれども、囃してくれるものがないので熊太郎はやむなく自ら、ソラーヨイトヨーイヤマカドッコイサノセと囃し、これが実に孤独で熊太郎は、なんと情けない、と思った。
 また唯一の観客である兄弟は、おもしろい、楽しい、と思ったら助けてやる、と言ったわりには面白がろうとする態度など微塵もなく、弟は、明らかに馬鹿にしたようににやにやと笑ったり、急に俯いてチンポをまさぐったり、肩の凝ったおっさんのように首を回したりと落ち着かぬこと夥しく、逆に兄の方は座布団のような巨大な顔面でじっと熊太郎を睨んでぴくりとも動かず、元々の顔の気味悪さに、読めぬ心のうちという気味悪さが加わって、ますます熊太郎は楽しく音頭を歌うことができない。
 こんな状況で楽しく御陽気にしろと言われても土台無理な話で、熊太郎は絶望的な気分で歌った。
 実際、酷な話であった。
 例えば女が美しく装いたいのは自分がよい気分になりたいからである。他人が美々しく装った自分をみて美しいと思うのが気分がよいのである。
 しかしたとえば自らの意志に反して売色を強制され、その際、嫖客の気分を盛り上げるために美々しく装うというのはこれは情けない話であろう。
 熊太郎の絶望はこれに似ていた。
 なんにせよ歌舞音曲は楽しいものである。
 働かないで一生、歌舞音曲にうつつを抜かしていたいなあ、と思ったことのない人はないはずである。しかしそれは自ら意志してやるからこそ楽しいのであって、人に強制されていやいや歌う歌か楽しい訳はない。しかしとりあえず歌うことによってしか当面の危機を先送りできない熊太郎はいやでも歌うしかない。熊太郎はうろおぼえの節を懸命に歌った。
 ヤーマト名物数あれどオーオオ鹿の煎餅ごくつぶしイ、猿の沢なら蟹尽くし、着物に染めだす柄にさえ、蟹の紋様染めだして、豚にも見紛う、阿呆姿、ソラーヨイトヨーイヤマカドッコイサノセ……、
 そして不思議なことが起きた。
 そうして嫌々でも歌っているうちに熊太郎の気分がだんだんに盛り上がって楽しくなってきたのである。情けない声でいやいや歌っていたのになぜそんなことになったのかを先ほどの喩えで言うと、化粧をしたり美しい着物を着たりして美しくなればなるほど、後で嫌な思いをしなければならぬのだから、普通に考えれば化粧もなにもおざなりになるはずである。
 ところがそうはならずに、それなりに美々しく装ってしまうというのは、女にとって美しく装うことそれそのものが結果を求めない快楽であるからで、これは音楽についても同じことが言える。
 上司や取引先に阿るためにいやいや歌っていたカラオケであるが歌っているうちに楽しくなってきてしまいには乗り乗りで歌っていたなどというのも音楽がそもそも快楽であるからである。
 そうなるとか細かった声も揺らぐ節もしっかりして、言葉がリズムの波に乗って上がり下がりしながら疾走し始め、
 姿ア、見せない吉熊にイーイーイイ、暴れ太鼓が乗オりイイこんで砂かけ掛合いに、婆とみせたる長ドスの、光、煌めーく、秋の空、ソラーヨイトヨーイヤマカドッコイサノセ……、と節に力をこめて熊太郎は、こらいける、と思っていた。
 熊太郎が力を込めて歌うと兄弟もそれに反応した。
 小鬼は節に合わせてやや俯き加減になってもじゃもじゃ頭を上下に揺らし、両の手を中空に掲げて、ひらひらさせ、ときおり足も小さくあげて女踊りのようなことをしていたが、さらに驚くべきは、あの奇怪な大顔面の兄までが、口を開いて目を閉じ陶酔したように首を横振りして音頭に乗っているのである。熊太郎はますます、こらいける、と思い、
 エー、猿の軍団引き連れてエー、足りない言葉は隠さずともオー、名代の名物豚煎餅、豚に煎餅食らわして、暴れる豚の豚足を、すっぱり斬ったる、はーれすーがーたー、ソラーヨイトヨーイヤマカドッコイサノセ……、と歌い、それから、
「お客人、ちょっと待って貰いまひょ」「なんや。わいになんか用あるんかえ」「へえ、豚の足でっけど」「わいの豚足がなんぞ問題あんのんかい」「じゃかあっしゃい。とぼけさらすのもええ加減にさらせ、こら。うちの子鹿ちゃんが殺されたその晩、裏庭に豚の足跡ついとったんじゃ。やりゃがったんはおどれやないけえっ」と、啖呵までいれ、
 言うが早いか白太郎は、腰にさしたる長脇差、鞘を払って斬りかかる、斬られてならじと吉熊は体をかわして灰神楽、さすがに武道の心得で、尻の抜けたるエーロガアッパ、ソラーヨイトヨーイヤマカドッコイサノセ……、とたたみかけ、兄弟の様子をうかがうと、兄弟はもはや我慢できなくなったのか、ふたりで輪になって踊っているから熊太郎はそのまま調子を落とさず一気に終盤まで語り、
 凶状持ちの急ぎ旅、知らぬ他国をにーしひーがーしー、ソラーヨイトヨーイヤマカドッコイサノセ……、と歌い終わって、「お粗末でした。まずこれまで」と頭を下げ、そして兄弟の様子をうかがった。
 兄弟は心の底から感動したという様子で拍手をし、それから小鬼が言った。
「いや、びっくりしたわ。おまえがそんな音頭が上手やとはおもえへんかったわ。おもろいと思たし、楽しいと思た、そやんなあ、兄さん」
「そやな。おもろかったわ。おまえは上手やわ」
「ほんまほんま、上手や」いずれも好意的な反応である。ということは殺すのはやめて逃がしてくれるのだろうか。そう思って熊太郎がふるふるしていると、兄は、「でも待てよ」と言って首を傾げた。大きい頭が傾いて落ちかけの看板のようになった。
 兄は小鬼に言った。
「いまこの状況であれだけ歌うというのはどういうことやろ」
「どういうことや、ってどういうことですの」と尋ねる弟に兄は言った。
「だってそうと違う? こいつはいま殺されるかも知らんていう状況にあるわけでしょ」
「そうよ」
「その状況のなかであんな乗り乗りで歌うっていうのおかしないか」
「いわれたらそうかも知れへんわ」
「普通そやろ。自分が殺されるかもしれんのにあんな余裕で歌えるっちゅうのはどういうことやと思う?」
「そら僕らをなめてるということやろな」
 と小鬼が言うのを聞いて熊太郎は飛び上がり、
「ちゃ、ちゃいます、わいはただ、一生懸命うとただけで……」と抗弁したが、小鬼とその兄はそれを無視して、
「そうでしょ。つまりこいつは僕らをなめてるのよ。それにさあ、そもそも人の腕、折っといてこんな楽しく歌えるておかしいんと違う?」
「ちゃいますっ。その心を慰めようという謝罪の気持でわいは……」
「ほんとね。そやとしたらごっつい腹立つわ。でも兄さん、僕らわたしらなんか男女みたいな喋り方になってへん?」
「それは僕ら兄弟が烈火の如くに怒ってる証拠よ。ほら、こないだも竹田村の丑松の足の膝から下斬って土に埋めたとき男女さんみたいな喋り方なったやんか」
「あ、そやったね、あれ活花みたいでおもしろかったわ」
 という兄弟の話を聞いて熊太郎は慄然とした。
 生きている人間の膝から下を斬って土に埋めるとはなんという残虐なことをするのだろうか。しかもそれを活花になぞらえるとはなんと狂った兄弟だ。その丑松という人はどんなにか痛かっただろう、苦しかっただろう。その痛み苦しみが今度はほかならぬ自分に襲いかかってくる。こんな理不尽なことがあってたまるものか。こんなとき大楠公ならどうしただろうか。従容として死を受け入れただろうか。そんなことはあるまい。勅命ならいざしらず、こんな奴らの手に掛かってむざむざと殺される大楠公ではない。俺もここはなんとか切り抜けるべきであろう。
 そう考えた熊太郎は先前、兄弟が話していたことを思い出して言った。
「ちょう待ちや」
「なんや、なにを待つんよ」
「あんたらさっき言うてたやんか」
「なにをよ」
「日本は法治国やから人、殺したらとらまえにきょるちゅうてたやんか。きょるで。ほんまにきょるで。ほたらあんたら大阪の裁判所言うとこつれていかれて牢に入れられんで」
「兄さん。あんなこと言うとるわ。どないしょ」
 問う弟に兄は答えた。
「大事ないわ」
「なんで大事ないのん」
「ここがどこかよう考えてみい。貴い御陵さんやで。こいつ殺してやで、死骸がみつかったら、そら僕らが殺したちゅわれるわ。けど死骸がみつからへなんだらただの家出人か走り人やで。けんどここは畏れ多い御陵さんやで。この棺にこいつの死骸入れて岩で入口ふさいどいたら誰が入ってこれんね。誰もはいってこられへん」
「ちゅうことは?」
「死骸がみつかれへん、ちゅうことで僕らはなんぼ殺してもつかまれへんちゅうことやんか」
「あ、そうか。さすがは兄さんや。ほんだら丑松もここに入れといたらよかったな」
「こんど死骸とんにいってここにもってこう」
「そないしょう、そないしょう。けど兄さん」
「なんや」
「いつの間にか僕ら男女みたいな喋り方やなくなってるな」
「それは僕ら兄弟がほんまにこいつ殺す気になってるからやよ」と兄が言うのを聞いて熊太郎はまた戦慄し、しかし黙っていると殺される、今度は小鬼が言っていたのを思い出して言った。
「しゃあけど小鬼さん」
「なんや、まだ文句あんのか」
「文句やない、文句やないけど殺生やんか」
「なにが殺生やねん」
「そらそうやん。あんたらが歌え、うまいことうとたら助けたるちゅうからわいは一生懸命うとたんや。それをふざけてるちゅうのは殺生や。わたいは真心こめて歌たんやで。それは手ェ怪我したあんたの心を慰めたい、ちょっとでも早よなおって欲しい、その一心で歌てんやんか。そやのに殺すやなんてむごい。むごすぎる」
 理に訴えて斥けられた熊太郎は今度は情に訴えてみたのであった。
 ところが兄はにべもない。
「ところが弟の心は慰められへんかったんじゃ。逆に腹立った。おまえがなんぼ心こめても客にとどけへんかったらそれはおまえの自己満足じゃ。それが芸能の宿命と知れ。殺す」
「そういうこっちゃ。そういうこっておまえ殺すわ。いまのうちに念仏唱えときや。それからおまえらみたいなもんにほんまの名前いうのん勿体ないから森の小鬼て言うてたけど冥土の土産に僕らの名前教えたるわ。僕は葛木モヘア、兄は葛木ドールいうて葛木神の子孫、つまり僕らは神様や。天皇さんとも親戚付き合いしてるわ。その神様の骨折って、おまえはここで死ぬねん。後の世の人はおまえをこの墓の主やと思て拝むわ。ははは、皮肉な話やね。河内の百姓が貴人の墓に祀られんねん。僕はこんな皮肉な話が大好きやわ。愉快やわ。あはは。あはは」
 笑う小鬼に兄のドールが言った。
「ほんだら僕が殺す。殺すけど誰か通り掛かってちょうどそのときこいつが叫び声でも上げたら面倒や。あんた見張りに立ってンか」
「大事ないよ。こんなかでなんぼ声上げても外に聞こえるかいな」
「そらそうかもしれんけど念には念いうからな。ちょっといてきて」
「さよか。ほないてくるけど人が来たらどなしたらええの」
「なんぞけったいなことしい。けったいなことしたら人は注意をそらされる。人間の気持ちちゅうのは一箇所向いたら他のこと聞こえんようなんねん」
「ほならチンチン出して目ェ剥いて祝詞いおか」
「それくらいやっといたら大丈夫やろ」
「ほな行ってくるわ」と小鬼が横穴を出ていった。
 男は弟の後ろ姿を見送り、ふっ、と笑みをもらした。弟が可愛くてならぬという表情であった。しかし振り返った男はまた元の通りの無表情に戻っていて。熊太郎は三度戦慄した。男は無表情で熊太郎に近づいてきた。両手を大きく広げ前に差しだしているのは首を絞めて殺すからだろうと思った熊太郎はよろよろっと後退した。男は相変わらず無表情で、ぐいっと迫ってくる。熊太郎はさらに後退、また男がぐいっと迫ってきて、熊太郎がもう一度下がったらもう後はない岩窟の壁なのであった。背中に石があたって冷たかった。
 もう後はない。熊太郎は天井を見上げた。
 天井までは約六尺、男は石棺の脇に立っていて擦り抜けて逃げるのも難しい。万事休す、と熊太郎が思ったとき、男がさらに一歩、ぐいっ、と近づいてきた。
 男の不気味な顔面はもはや熊太郎の目の前にあった。
 熊太郎は怖ろしくてそれ以上、男の顔を正視していられなくなり思わず左下に顔を背けた。
 そのときあるものが熊太郎の目にとまった。
 副葬品であろう。剣が落ちていた。
 反りのない直刀で柄のところを玉や金で荘厳してあった。
 瞬間、熊太郎はこの剣で男を斬るか突くかしてやろうかと思ったが、しかし待てよ、とも思った。
 一刀のもとに斬り捨てることができればそれでよい。しかし斬り損なった場合、どうなるだろうか。また、剣の状態も心配である。外観は剣の形を保っているが、長いこと岩室のなかに放置されており腐蝕している可能性は大である。ということは相手になんらの損耗も与えられぬまま反逆・反抗したという事実だけが残るということで、そうなると損だ。だったらやめとこうか、ってなにを言っているのだ。いずれにしても相手は殺すと言っているのであり、殺されてしまってはなににもならない。ここはやはり一か八か、やってみるに如くはない。
 そう考えた熊太郎はかがみ込んで宝剣の柄をつかんだ。
 こうして文章で書くと熊太郎は長いこと考えていたようであるがそれらはみな刹那のできごとである。ばっ、と来て、ばっ、とかがんで、ばっと、と振り回した。
 そして熊太郎は叫んだ。
「しまったあ」
 予想したとおり宝剣は腐蝕していて、葛木ドールの顔面にぶつかるやいなや、ぼろぼろに崩壊してしまったのである。
 まあいずれにしても殺されることは確定している。
 それにしても恭順の意を示していれば葛木ドールといえども人間で中途で気が変わり、やはり許してやろうかなと思うということがまったくないわけではないだろう。しかしいったんこうして反抗というか、宝剣でどつき回してしまった以上、絶対に許さないと言うか、その可能性の芽すらつんでしまった訳で熊太郎は、こんなことなら宝剣でどつかなければよかったと後悔の臍をかんだ。
「もうあかん。殺される」熊太郎は叫んで観念し、目を閉じた。
 ところがいつまで経っても葛木ドールが襲ってこないので、どうしたことかと目を開けると、ドールは目を押さえて踞っていた。
 宝剣の腐蝕は見た目よりも進行していて、ドールの顔面に当たった瞬間、粉々に砕け、その砕けた破片が目に入ったためドールはかく苦しんでいるのであった。
 熊太郎は再び迷った。
 いまドールは苦しんでいる。つまり弱っているということである。そこにつけこんで攻撃をすれば或いはこの難局を切り抜けられるかも知れない。しかし、大した損耗を与えられなかった場合、勢力を挽回したドールは激怒しておそろしい暴力をふるうだろう。というのはさっき悩んだのと同じことだ。ただひとつ違う点があるとすれば俺はすでにドールを宝剣でどつき回していて、現段階でドールは無茶苦茶に怒っているという点が違う。そらそうだろう。あんなに目が痛くなって怒らない人はいない。ということは俺はやはりここで一気にドールを殲滅してまった方がよいということになるが、でもどうやって殲滅するのだ。俺にできるのは、「腕殴」「腿蹴」「腕捻」のみっつだが、あんなものはインチキで水分のド餓鬼相手ならいざ知らず怒り狂った大人相手に通用する技ではない。だったらやはりあかんのか。しかしなにもしないでいたら怒り狂ったドールにむざむざと殺されるだけだ。ということはやはりやった方がいいのか。いまならドールは弱っている。
 さあ、ここが思案のしどころだ。と熊太郎が考え込んだとき、ドールが立ちあがった。目から手を放して胸の前で拳を作り、気合いを入れるように顔を小刻みに振っている。
 しまった。ドールが回復してきた。やるならこの瞬間しかない。この瞬間を逃せばもうドールを倒す機会はない。
 咄嗟にそう思った熊太郎は渾身の力をこめてドールの顔面を拳骨で殴った。
 そして熊太郎は絶望した。まるで手応えがなかったからである。やはり俺の拳骨はへなちょこなのだ。やめとけばよかった。
 熊太郎は激しく後悔して、上目遣いでドールを見た。ドールは目を見開き、やや俯き加減でじっと立っていた。拳は握り締めたままでもう首を振っていない。
 もの言えないくらいに激怒しているのだ。宝剣といい拳固といい、せでよいことをしてしまった。
「もう駄目だ」
 叫んで熊太郎は観念した。
 ところがいつまで経ってもドールが襲いかかってこない。
 いったいどうしたのだ。まだ目が痛いのか。
 熊太郎がおそるおそるドールの様子をうかがうと、ドールの左の頰、といっても顔面が広大だから目鼻からずいぶん離れているが、とにかくそのあたりが焼き餅が膨らむようにどんどん膨れてきて、最初はビー玉くらいな大きさだったのが、みているうちに蜜柑くらいな大きさになり、とうとう鞠くらいな大きさになり、もともと奇ッ怪だったドールの顔面がますます気味悪くなった。丸く膨らんだ頰の表面に静脈が透けている。
 これどういうこと? と熊太郎が見るうちに、膨らみは西瓜ほどの大きさになり、そして熊太郎は、「うわあっ」と叫んで顔を背けた。
 限界まで膨らんだドールの頰が、ぽんっ、という音とともに爆発、同時に大量の透明な水がどぼどぼと噴出したからである。
 胸から足にかけてドールの水を浴びた熊太郎は思わず、「うわっ、気持ち悪っ」と声をあげたが、同時にひやっとした。自分で大変なことにしておいてまるで他人事のように、うわ気持ち悪っ、などといったのでは葛木ドールが気分を害するのではないかと思ったのである。しかしドールはそれどころではない様子だった。広大な顔面の一部が破れた袋のようになって垂れ下がり、そこから水が滴っていた。
 痛いのか苦しいのか、ドールは目を閉じ、ピアノを弾く盲人のように両手を前につきだし仰向けた首を左右に振っている。熊太郎は、今度こそドールは怒っただろうと思った。
 なにしろ顔面の一部を破壊して水を噴出させてしまったのだ。まったくなんということをしてしまったのか。あの水はいったいなんなのだ。ドールは残虐な復讐を企てるに違いない。
 痺れるような恐怖を感じた熊太郎は夢中でドールの横鬢を拳固で殴った。
 しかし恐怖で身体が痺れたようになっているからちっとも力が入らず、さきほどよりずっとふにゃふにゃの拳固になってしまった。ところが、煎餅が砕けたような手応えがあって、これにいたって初めてドールは、ひいいいいいっ、と怪鳥のような甲高い声をあげて前のめりになった。
 あんな弱い拳固がなぜこんなに効くのだ、と訝った熊太郎が拳固がぶつかったあたりをみると拳固の形にへこんでいた。
 ちょっと殴っただけで他愛もなく砕けるとはなんたら頭の骨の柔いひとだ。
 熊太郎は驚いたが、しかしこの悲鳴が外にいる小鬼に聞こえたらまずい、と思った。
 目が潰れ、頰が破れて垂れ下がり、頭蓋骨が陥没しているというひどい体たらくのドールをみたら小鬼はきっと人を呼びに行くだろう。そしたら俺はどうなる? 貴い陵墓でこんなことをしているのだ。牢に入れられるに決まっている。とにかくこの悲鳴をとめないと。
 と考えた熊太郎は、口を手で塞ごうとして前にのめっているドールの髪の毛を摑んで顔を持ち上げたところ、ドールの頭の皮が髪の毛ごと、ずるっ、と剝けて頭蓋骨が丸だしになった。
 左の側頭部の骨が砕けなかから脳がのぞいて骨片がつきささっている様子がまざまざとみえた。
 それでもドールはまだ独力で立っていた。
 後はもう訳がわからない。
 なにをどうするというのではなく熊太郎は、ただただ闇雲な恐怖に追われるように目の前にあるドールの顔面を拳固で殴ったり膝で蹴ったりした。
 ドールはまったく無抵抗で、そしてこのドールの顔面というのが先ほどの頰も頭の骨もそうだったが、ごく軽く殴っただけでばきばき崩壊して、その脆さたるやまさに煎餅かおこしのごとくで、その脆さは熊太郎をして、つくりもの、人工物の脆さを想起せしめた。
 人間の顔がそんなもろくてよいのか。
 最終的にドールの顔はぐしゃぐしゃになった。まず巨大な顔面全体を支えていた薄い骨がすべて砕け、破れた顔の皮が皺皺になって肩に垂れ下がっていた。
 ずり落ちた毛髪が襟巻のように肩に巻きついていた。血は不思議に出ておらず、ちぎれた脳と少しの水が垂れ下がった顔の皮にこびりつき、滴っていた。
 ところが顔の中心部に固まった目鼻は原形をとどめていて、皮の重みで目尻が下がり、また頰のあたりの皮が肩に引っ掛かって引き攣れている関係上、口角があがって、そんなことになりながら笑っているように見えるのが不気味だった。
 そして驚くべきは、これだけ顔面が崩壊しながら葛木ドールは、右にふらり、左にふらりと揺れながらも独力で立っているということである。
 恐怖と絶望に突き動かされてこれまで衝動的にふるまっていた熊太郎は、これをみて初めて怒りのようなものを感じた。
「ええ加減にさらさんかあ」熊太郎は怒鳴ると、前蹴りでドールの腹を蹴った。
 正面からまともに腹を蹴るのは初めてだった。これまでは無我夢中で目をそむけるようにしながら弱い顔面を殴り続けていたのである。
 ドールはあお向けに倒れた。その際、ドールの後頭部、といってももはやぐしゃぐしゃになって垂れ下がった皮を纏う訳の分からない塊であった、が石棺の角にぶつかって、ごんっ、という鈍い音が岩室のなかに響いた。
 倒れたドールに熊太郎は喚き散らした。
「かかってこんかい、こらあ。わいを殺す言うてたんとちゃうんか、こらあ。殺せ、早よ、殺さんかあ、なにしとんじゃこら。早よ、わいをどつけや、殺せや」
 ところがドールはぴくりとも動かない。
「なにさらしとんじゃ。かかってこんかい。立たんかい、こら。おい、おっさん」と熊太郎はなお怒鳴り、それでもドールが動かないのをみると、おそるおそる石棺に凭れかかるようにして倒れているドールに近づいた。ドールはぐしゃぐしゃの皺皺のなかで目をかっと見開き、天井を仰いでいる。
 熊太郎はドールの肩に手を伸ばした。
 肩に触れるか触れないか、といったときドールの首が傾いて、ごん、岩室の床に落ちた。
 熊太郎は怒鳴った。
「おまえが殺す言うからこんなことしてもうたやんけ。おまえのせいやど。おまえが、おまえが、強そうな感じやったからどついてんやんけ。ほななんやねん。滅茶苦茶弱いやんけ。それやったら最初からもっと弱そうにしてくれや。そんなおとろし顔してるから、わいはくわかったのに。人殺しになってもたやんけ。わいは知らんど、わいは知らんど」
 逆上して熊太郎は喚き散らした。
 熊太郎が他人に対してまともな暴力をふるったのはこれが初めてであった。
 結果、熊太郎は自分が暴力というものを極度に厭悪していることを知った。
 自分が関係することによって他の肉体や精神が毀損することは熊太郎にとって苦痛に他ならなかった。しかしこれは熊太郎がモラル的であったということではなかった。
 ではなぜ熊太郎が暴力を厭悪したのかというと、罰を恐れたからであった。
 暴力を振るえばその暴力を振るった相手、或いは周囲の者、或いは法によって罰せられるのではないか。先回りしてそう考えた熊太郎は自然と暴力を忌避、半分ふざけたような「腕殴」「腿蹴」「腕捻」でお茶を濁してきた。
 しかしこのことは熊太郎が結果として暴力を行使してしまったことの原因でもあった。
 葛木ドールの復讐、つまり罰をおそれたからこそ熊太郎は徹底的な暴力を振るってしまったのであり、熊太郎は窮鼠である自分が猫を嚙んだのだと思っていた。ところが葛木ドールが威圧的なのは外見ばかりで実際は木偶同然で、これが熊太郎の最大の誤算であった。
 熊太郎はいわば影に怯え、とりかえしのつかない罪を犯してしまったのである。
 しかし熊太郎はそもそも暴力を厭悪していたはずの自分が暴力をふるってしまったこの状況を不条理であると感じ、逆上したのであった。
 田の間の道、蛇穴のあったあたりまで戻ってくると、駒太郎らが立っていた。
 熊太郎は駒太郎らが熊太郎を心配して待っていたのが意外であったが心は乾いていた。
 こんなところで心配そうに待ってたってあかん。本当にほんまに俺が危ないときにたすけてくれるのが友達だ。それをばこいつらは、自分らは関係がないと言って立ち去った。それはそれがこいつらの本心なのだろう、つまりこいつらにとって俺は異質ななにかであってそれは例えばあの独楽鬼をやってたときこいつらが俺に感じた異質な感じがずっと底流として持続していたということでこいつらにとって俺は仲間ではなかったということなんだ。なのに仲間みたいな顔をして明け暮れ一緒に遊んでいたし、俺はこいつらは俺の配下みたいなものだと思っていたのだ。裏切られた。孤独だ。寂しい。
 そんなことを考えながら熊太郎は駒太郎らに近づいていった。
 ところが駒太郎らはぼうと立っているばかりではかばかしい反応を示さない。
 通常、奇怪な悪漢にとらまえられ連行されたものがひょっこり一人で戻ってきた場合、いやあ、大丈夫だったのかあ、よかった、よかった、と自分に後ろめたいところがあればあるほど大騒ぎするものだが、ぼうと立っているとはどういうことだろう。
 訝りつつ熊太郎が近づくと駒太郎が熱のない調子で言った。
「熊やん、大事ないけ」
「ああ大事ない。待っててくれたんか」
「ああ、待ってたんやけどな」
 と言って駒太郎は困惑したような表情を浮かべ、救いを求めるように番太を見た。
 番太もまた困惑したような表情を浮かべて言った。
「ああ、心配やさけな、しばらくあの丘の上でまてたんや。ほいだら穴からあの森の小鬼が出てきてな、わたいらおとろしなってもてな、わあ、駆けだしたんや、ほいでここまで逃げてきたらな、後ろでぎゃああておとろし声してな、振り返ったら鹿蔵がいてへんがな。どこいたんやおもて探したら鹿やん、あんじょうころこんで蛇穴に落ちてもとんね。そいでどないしょう言うてたんやけどなんしょあの蛇やろ、わたいらもおとろしよってによう助けんでおったんやがな、なあ、駒やん」
「そやねん、そやねん」
 と頷く駒太郎と勢い込んで報告する番太の顔を見て熊太郎は先ほど来の駒太郎らの不審な態度の理由をすべて了解した。
 すなわち駒太郎らが奇怪な巨顔の怪人の魔手から無事帰還した熊太郎を見てめぼしい反応を示さなかったのはここにはもうひとつのアクシデント、すなわち、鈍くさい鹿造が転倒して蛇穴に落下するというアクシデントが起きて、その対応に苦慮しているからで、だからこそ本来であれば後ろめたい部分があるがゆえにことさら大仰に反応すべき熊太郎の帰還についてたいした反応を示さなかったのである。しかしそれが分かったから納得したという訳ではなく、熊太郎は内心に激しい怒りと深い悲しみを感じていた。
 熊太郎は思った。
 鹿造が落下したのはたかが蛇穴である。もちろんそのなかに毒蛇がいればたいへんだが、みたところ毒蛇はおらず、それどころか蛇穴の蛇は半分以上は死んでいるようである。ということはそこにある問題は蛇というものの外観が人間にとって気味が悪いという程度のことで、いわばそんなものは気分の問題である。だったら俺はどうなる? 俺はおそろしい顔が常人の何倍にも膨らんだ奇怪な男に連れ去られ、しかもその男ははっきり復讐すると明言したのであり、つまり俺は間違いなく生命の危機にさらされていた。ところがこいつらはそんな危機的状況に陥った俺を捨てて逃げ、そのくせ別に生命の危機に陥った訳でもない鹿造のことは心配していつまでも穴の脇に立っていた。これはどういうことかというと、つまりこいつらは鹿造のことは仲間だと思っているが俺のことは仲間だとは思っていないということだ。こいつらは俺が牛の角に腹を破られても平然としているくせに自分らの仲間だったら蚊に刺されても、大丈夫かっ、と心配するのだろう。なぜだ。なぜ俺だけがそのようにハミゴにされるのだ。悲しい。悲しすぎる。
 と熊太郎は思ったが、自分が異質で仲間だと思われていないという考えは熊太郎にとってあまりに辛いことだった。熊太郎は、或いは……、と別の可能性について考えをめぐらせた。
 或いは確かに奴らは蛇穴に落ちた鹿造を捨てていくのは忍びないと思ったのでなすすべもなく立っていた。しかしそこには俺の不在ということも幾分かは関係していないだろうか。つまり確かに鹿造が気の毒でそこにいたのだけれどもそのなかに何割かは俺を待っている気持があった。そんなもんあるかれ。やはりこいつらは俺になにか異質のものを感じて排除していやがるのであって、だからこそ俺を捨てて逃げ、鹿造はこれを捨てなかったのだ。そしたら俺はどうしたらよいのだろうか。俺は知らんと言ってひとりで水分に帰るのか。いや、そんなことをしてもなににもならない。というかだったらこういうことをしたらどうだろうか。そんなに俺を異質なものとして排除するなら、その異質な俺が敢然と蛇穴に入っていって鹿造を救う。となるとこいつらはどう思う? 自分が見捨てて逃げた異質なものが仲間を救い自分たちはなにもできなかったということを愧じる。くはは、恥の刻印だ。俺は自らの英雄的行為によってこいつらの心のなかに恥を刻印するのだ。
 熊太郎はそう考えて軽くわなないた。
 鹿造を救うためには気色の悪い蛇がおごめく穴に入っていかなければならない。
 しかしそんなものはいまの熊太郎にとってなんでもなかった。
 葛木ドールの頭を殴ったときの感触。葛木ドールの顔面が破れて噴出した白濁水のぬらぬらした感触がいまも手に残っている。この感触は生涯拭えない。そしてあの岩室に漂うなんともいえぬだるい空気。そんななかで音頭を歌った屈辱。恥と恐怖の刻印。殺人の汚名。いまや懐のなかでいやな精神のしこりのようにしか感じられない宝玉。そんないやなものを身にまとわりつかせた俺はもうかつての俺ではない。というか俺はもう決まった人間だ。蛇なんて言うものはなんでもないんだ。かつて独楽を回せなくて泣いた日の青空が懐かしい。
 そんなことを考えつつ熊太郎は言った。
「ほれやったらわいが鹿造すくたるわ」
「えっ、熊やんが」と案の定、駒太郎が意外そうな顔で言った。
 ほらな。やっぱしゃっ。やっぱしこいつらは俺を見捨てた意識がある。だから驚く。
「そや。わいがすくたるよ」
「大事ないか」
「大事ない」
 言いながら熊太郎は蛇穴に降りた。
 穴は思いの外深く、熊太郎は腰まで蛇に漬かった。
 腰から下に蛇の皮のぬらぬらした感触、そして蹠に蛇の潰れるぶしゅぶしゅした感触を感じながら熊太郎は、屈み込み、半ば蛇に埋まって昏倒している鹿造の脇の下に手を伸ばした。
 蛇が迷惑そうな顔をして仲間の身体のなかに頭を突っ込んだ。
 褌のなかにも蛇がめりこんでわしゃわしゃした。
 ぐにゃぐにゃの鹿造の脇の下を持ち、ぐん。足を踏んばってこれをさしあげると、ずぼっ。さらに一尺ばかり身体が下がって熊太郎は胸まで蛇に埋まった。
 着物が持ち上がって帯のところに蟠り、生きた蛇、死んだ蛇が素肌に触れている。
 駒太郎たちはそんな熊太郎を穴の上から客観的に見下ろしている。
 熊太郎は怒鳴った。
「おい、なにぼおっとみとんね、誰ぞひっぱってくれや」
「お、おお」
 ぼんやり見ていた三之助と駒太郎が返事をして穴の縁に四つん這いになり、鹿造の肩のあたりをつかんで引っぱり熊太郎は下からこれを押し上げた。
 ずっ。
 熊太郎の身体がまた沈んだ。
 熊太郎は、いったいこの蛇穴はなんぼほど深いのだろうか、と思った。
 そして鹿造さえ助かったら駒太郎たちは、ほだらな、と言って首まで蛇に漬かった熊太郎を捨てて行ってしまうのではないか、とも思った。
 熊太郎たちはぼやんとしてしまった鹿造を連れて夜分に村に戻った。
 鹿造は発狂していて、そのことで村は騒ぎになり水車破壊犯人探索のことは有耶無耶になった。
 湯を沸かしたり、立ち止まって橋の上で話したり、提灯を持って森屋の方へ急ぐ人々をみながら熊太郎は自分が以前の自分と決定的に違ってしまっているのを感じていた。

 明治十四年。二十三歳になった熊太郎は完全な極道者になり果てていた。
 生業を抛棄して博奕場に入りびたる。昼から酒を飲むなど遊蕩に身を持ち崩して、その生活態度たるやふざけきっていった。
 あかんではないか。
 しかしそんなことは熊太郎本人が一番よく分かっていた。生家には多少の田畑があったがこんなことをしていたらその田畑もいつかなくするだろうし、悪評も立ってみんなに迷惑がかかると思っていた。でも熊太郎は遊蕩をやめられなかった。
 わかっていながらなぜやめぬのか。
 それはもちろん熊太郎の意志が薄弱だからだけれども、熊太郎にはそれなりの理由があった。
 まずひとつは明治五年のあのことである。
 あれきり森の小鬼は熊太郎の前に姿を現わさなかった。その後、熊太郎は御所に足を運んだ。しかし界隈で小鬼の姿をみることはなかった。
 岩室についてはあの岩室のなかに葛木ドールの死骸がいまもあると思うと足がすくんで近くにも寄れなかった。その後、堺県令・税所篤は頻繁に管内の遺跡発掘調査を実施した。明治五年には鳥糞清掃にかこつけて大山古墳(仁徳稜)の発掘を行っている。明治十年には南河内郡国分村の松岳山古墳をあばき、また藤井寺の長持山古墳を掘った。
 熊太郎はこんな話を聞くたびに戦慄した。
 あの御所の岩室を税所があばけば当然、ドールの死骸が発見される。殺人をしてその死骸を山陵に捨てた奴がいるとなれば大騒ぎになると決まっていて、あのとき自分が村を出て奈良の方面に出掛けたというのは村の大人が知っているし、駒太郎、番太、鹿造、三之助は自分が葛木ドールと連れだってどこかへ行ったのを知っている。
 それは駒太郎らも進んで同村に住む自分に不利な証言はしないだろう。しかし、あいつらの普段の自分に対する態度から考えて、詰問されればたいした心理的抵抗もなしに喋る。だから自分は遠からず終わる。
 十四歳の時から熊太郎はずっとこのように考えていた。
 人間というものは将来があるからこれに備えて頑張る。しかし明日、大地震がきてすべてが壊滅すると分かっていて誰が田を耕すだろうか。収穫できるのは秋になってからであり、その秋が来ないのは分かっているのである。
 酒を飲み、やけくそになって暴れ散らすに決まっている。
 熊太郎はつねに右のような心境にあった。
 どうせ決まった身ィや。まともに働くだけあほらしわ。
 嘯いて熊太郎は遊蕩に身を持ち崩していたのであった。
  熊太郎は怏々として楽しまず、盆茣蓙の前で一心に丁半の目を読んでいる間こそ、憂きこと、すなわち自分自身が明日にでもなきものになってしまうということを忘れていられるのだけれども、勝負済んで有り金をみな取られ土橋の上に佇み、川の流れを眺めているときなど身の内から噴出する寂寥に五体が裂けるような心持ちがしてなんともやりきれぬ気分になって、今度はよい加減な店に入りごんで意識がなくなるまで酒を飲むのであった。
 しかし熊太郎とてただ漫然と酒を飲み丁半の勝負に耽っていたわけではなく、それなりの手を打とうともしていた。熊太郎は考えた。
 自分の運命は村の連中が自分のことを他に喋るかどうかにかかっている。しかしやつらは自分を以前から異質なものとしていたうえ、いまやこんな自分を極道みたいに思って毛嫌いしている。まあ事実、極道なのだが。そこで自分はどうすればよいのかというと、熊やんはあんな極道だけれども根はけっこうええ奴、と連中が思うようにすればよい。なぜなら根はけっこうええ奴を密告することは人間はなかなかしにくいからだ。ではけっこうええ奴、と思われるためにはどうすればよいのか。それは簡単、けっこうええことをすればよい。
 そんな風に考え、熊太郎はけっこうええことをしようとして村をぶらぶらした。
「なんどこう、ええことないかな」
 熊太郎が思案しながら牛滝堂の前を通って音滝橋を渡りかけると向こうから駒太郎が牛を連れて歩いてきた。
「駒やん、牛連れてどこ行くねん」
 熊太郎は立ち止まって親しげに話しかけたが駒太郎はしかし足をとめずに、「牛のようじょこィいくにゃがな」と言ってそのまま通り過ぎようとした。
「ほーん。ようじょこなあ」
 熊太郎はわかったような分からぬような口調で鸚鵡返しに言い、踵を返して駒太郎の後を追った。
「駒やん、駒やん」
「なんや熊。おまえ、むこからきたんとちゃうんかい」
「せや」
「ほでこちいてしもたら戻ってもとんが」
「大事ないね。それより駒やん」
「なんや」
「牛のようじょこてなんやねん」
「熊、おま、百姓の小倅のくせにようじょこ知らんのかいな」
 と駒太郎は驚いたようであったが熊太郎はそんなものはついぞ聞いたことがなかった。
 熊太郎は不思議でならなかった。
 駒太郎たちはようじょこなどという専門用語を駆使して自由闊達に百姓仕事をしている。ところが同じ村の同じく百姓の家に生まれた熊太郎はその言葉の意味がさっぱり分からない。
 彼らはいったいいつの間にそんな言葉を習い覚えたのか。
 少なくとも自分にはそんなことは誰も教えてくれなかった。というとそれはおまえが百姓仕事をさぼって遊蕩に明け暮れているからだ、と批判するものがあるかも知れないがそれは違うと熊太郎は思った。
 百姓仕事に関する用語だけではなく、その他の行事についても熊太郎だけが知らぬことが多く、例えば、毎年十月になると秋祭りがあった。
 秋祭りにはだんじりが出て建水分神社の氏子である十八箇村がそれぞれ神輿を舁く。
 神輿を舁くのは勇壮だし盛り上がるし、みな昂奮して大分と前から手並み足並みを揃えて舁く稽古をする。
 ところが熊太郎はつい最近までみながそんなことをやっているのを知らなかった。
 なぜ知らなかったかというと知らされていなかったからであるが、ではみなはどのようにして知ったのか。熊太郎にとってはそれが最大の謎であった。
 しかし、駒太郎らは別に通知書のようなものを回覧して秋祭り開催を知ったという訳ではない。
 というか行事などというものはそもそも、「もうじき秋祭りやな」「そやな」「地車舁く稽古しゃなあかんな」「そやな」という自然な会話のなかで周知せられていくのだけれども、熊太郎はどうもそうした自然な会話ができず、結果、誰でも知っている村の行事や百姓仕事の用語などについて熊太郎だけが知らないということになるのであった。
 なぜ熊太郎は自然な会話ができなかったのか。
 それは熊太郎が無暗に思弁的であることが原因であるらしかった。
 このことは最近、熊太郎本人もどうも自分の考え方は周囲の人達と違っているのではないか、と気がつき始めていた。
 熊太郎は、俺はどうも頭のなかでひとつのことをずっと考え過ぎんにゃ、と思っていた。
 熊太郎は、たとえばこの、と目の前の牛を連れた駒太郎を見て思った。
 熊太郎は駒太郎を改めてみた。駒太郎は橋の上に立ち牛を連れ、早くようじょこに行きたいなあ、というような顔をして、そして言った。
「熊やん、おまえも百姓してんにゃったら覚えとき。ようじょこちゅうたらな牛の爪切るこっちゃ。ほなわし急くよって行くで」
 ほらね。と熊太郎は思った。
 駒太郎はまず頭で早くようじょこに行きたいなあ、と思った。そして早く行きたそうな顔をした。そして言葉で、「早くようじょこに行きたい」と言った。つまり駒太郎においては、思いと言葉がひとすじに繋がっている。思いと言葉と行動が一致している。ところが俺の場合、それが一致しない。なぜ一致しないかというと、これは最近ぼんやりと分かってきたことだが、俺が極度に思弁的、思索的だからで、つまり俺がいまこうして考えていることそれを俺は河内の百姓の言葉で現すことができない。つまり俺の思弁というのは出口のない建物に閉じ込められている人のようなもので建物のなかをうろつき回るしかない。つまり思いが言葉になっていかないということで、俺が思っていること考えていることは村の人らには絶対に伝わらないと言うことだ。例えばちょっと言ってみようか。熊太郎は言った。
「駒やん」
「なんや」
「わしな」
「うん」
「頭ン中に思てることをな、口で言お思てもな、その言う言葉がな自分でいっこも思いつけへんね」
「それ分かるわ。わしもそんなことようあんね」
 ほらね。俺の意図がまったく伝わっていない。だから俺の思いと言葉と行動はいつもばらばらだ。思ったことが言葉にならぬから言葉でのやり取りの結果としての行動はそもそも企図したものではなく、思いからすればとんでもない脇道だし、或いは、言葉の代替物、口で言えぬ代わりに行動で示した場合、そもそもその言おうとしていること自体が二重三重に屈曲した内容なので、行動も他から見れば、鉄瓶の上に草履を置くとか、飯茶碗を両手に持って苦しげな踊りを踊るといった訳の分からぬこととなって、日本語を英語に翻訳したのをフランス語に翻訳したのをスワヒリ語に翻訳したのを京都弁に翻訳したみたいなことになって、ますます本来の思いからかけ離れていくのだ。
 といったようなことを熊太郎は考えたが、このことはどういう結果を招いたか。一言で言うと熊太郎に対する村人の軽侮を招いた。
 村人からみれば熊太郎はごく簡単な、あほでもできることができぬ大たわけであった。
 例えばトラック競技をしているとすると、村の人はなにも考えずに走っているのだけれども、自らの思弁を現す言葉を持たぬ熊太郎は、暗黒舞踏を踊りながら走っているようなもので、その内面の事情を知らぬ人から見ればアホにしかみえなかったのである。
 そして大抵の場合、他人の内面など分かるはずがないから熊太郎はアホの無能だと思われていたのである。或いはもっと分かりやすく言うと、熊太郎は言葉のまったく分からない国に突然迷い込んだ人のようなものであった。
 もちろん言葉が通じる国に行けば普通人として、というかそれ以上に知性的な人である。
 ところが相手の言っていることはおぼろげに分かるものの、自分の考えを伝えるということがまるでできぬため日常生活すら満足に送ることができず、その国の人は、うどんの注文ひとつまともにできぬ白痴という烙印を押すのである。自分よりアホな人間に白痴と断定されるほど情け無いことはない。
 しかし言語を持たぬ悲しさで自分の立場を主張することもできず、なんとか説明しようとしてもアホと思われているから、「はいはいはい。わあった、わあった、わあった」などとあしらわれまともに取りあって貰えず、そうなると人間は焦るからますます失敗を繰り返す。
 このようじょこのときの熊太郎もそうだった。
 そもそも熊太郎が音滝橋の上で駒太郎に声をかけたのは駒太郎らに迎合、懐柔することによって、葛木ドールの死骸が見つかった際、熊太郎が葛木ドールと連れだってどこかに行ったと証言するのを防止するためである。
 熊太郎は駒太郎にようじょこに行くんだったら手伝おうかと申し出た。
 駒太郎は一度はこれを断ったが熊太郎が熱心に申し出たので、「では」と熊太郎に牛を託した。
 というのは、駒太郎の隣に駒太郎の叔父の杉蔵が住んでおり、杉蔵方の牛をようじょこに連れていくべきなのだけれども、生憎、杉蔵は昨日から富田林の親戚の家に行っていて、駒太郎が杉蔵の牛をようじょこに連れて行くことになっていた。しかし一度に二頭の牛を曳いていけぬので駒太郎はいったん自家の牛を連れて行き、それが済んだら自家の牛を戻し、それから杉蔵の牛を連れてくる算段をしていたが、そこへ熊太郎の申し出があった。駒太郎は言った。
「ほだ、この牛曳いて先、ようじょこ場にいといて」
 ようじょこ。養生講と書く。当時の農家にはどこにも田を鋤くための牛が飼ってあったが村には定期的にこの牛の爪を切るために専門の人間が巡回してきた。
 簡単な健康診断、祈禱のようなこともした。
 駒太郎に牛を託された熊太郎はこの牛を曳いてようじょこ場近くまでやってきた。
 当時、ようじょこ場があったのは水分神社から程近い、川の近くのちょっとした広場になったようなあたりで、これにいたる道はいったん棚田の間の道を高巻くように登ってさらに川の方に下る細い道しかなく、さらにようじょこ場の手前に欄干のない橋があって、その狭い道を上り下り、さらに橋を渡って近隣から牛が集まってくるのでやや険呑であった。熊太郎は棚田の上から、ようじょこ場の混雑している様を見下ろして歎息した。
「なんとも仰山の牛が集まっているではないか」

 熊太郎はそのままようじょこ場に降りていくのを躊躇した。
 なんとなればようじょこ場にはあまりにもたくさんの牛が犇いて、げしゃげしゃになっていたからである。
 いまようじょこ場に行ってもまだ駒太郎が来ていないから駒太郎が来るまで待つことになる。しかしようじょこ場には牛が犇いていて待つ場所を確保するのも大変だ。ほおら、あんなに牛糞が散乱している。見苦しい。ということは駒太郎が来るまで降りていかないでここで待っていた方がよいかも知らん。その方が広闊だし眺めもよいし、俺も牛も楽だ。あいつらはそういうことに気がつかないであんなところに犇いていてアホだ。
 熊太郎がそんなことを考えていると、熊太郎がやってきた方から赤松銀三が牛を曳いて近づいてきた。
 はっ。相変わらず狷介な風さらしてけつかる。と熊太郎は思ったがしかし熊太郎はもはや赤松銀三に襟首を摑まれて怯えた餓鬼ではない。別段、恐れる風もなく傲然と立ち、牛の鼻面を撫でていると赤松銀三は熊太郎の真ァ側まで来て言った。
「熊やないけ」
「ああ」
「おまえ牛連れて珍しな、ようじょこ行くんけ」
「友達に頼まれての」
「かっ。友達ちゅたてどうせ村のド餓鬼やろ」
「あかんのかい」
「かっ。しょうもない。家の水車、つぶしゃがった連中や」
 と銀三は執根深く水車のことを言っている。熊太郎は、いつまでぬかしとんねと呆れたが、そんなことはまったく感知しない銀三が言った。
「おまえ、行くにゃったら早よ行けや」
「わしゃここで友達、来んの待っとんのんじゃ」
「わしゃようじょこ行くね」
「行くにゃったら行たらええやんけ」
「行くけどおまえがそこ立てたら行かれへんやんけ」
「根際抜けられるやろ」
「狭もて抜けられるかれ」
 実際、道は狭かった。しかしどうしても通り抜けられないというわけではない。互いに気を遣いあえば牛二頭がぎりぎり通り抜けられる程度の幅があった。それを銀三が通り抜けられないというのはこの世に我一人と思っているからで、熊太郎はまったく因業な親爺だと思って言った。
「こんだけ幅あたら通り抜けられるやろ。通り抜けていけや。わしゃ待ってんとあかんにゃ」
「なんかしとんねん。こんな狭いとこ通り抜けられるかれ。どなしても通り抜けちゅうにゃったらわれが田ァ降りんかい」
 田はよく鋤いてあった。
 熊太郎は田ァに降りたら足がずくずくになって嫌だと思い、それから俺ひとりであればと思った。
 俺ひとりであればかつての小童じゃあるまいし、あれから人も殺してる。こんな銀三ずれ、怖いこともなんともない、賭場で覚えた俠客の喋り方で、「銀三、われ、ええ度胸やな、この水分の熊太郎に田ァに入れと吐かすんかい。おもしろいやないかい。はっはっはっ。あんまりおもろいから笑うてもたわい。笑ろたらちょっとだけ肺が痛なったわ。まあそれはええとしても田ァに入れちゅうんやったら器用に入ったろ。そのかわり笑わせてもろた礼はするで」などと言って脅すこともできる。しかしいまは駒太郎の牛を連れている。それで牛がようじょこができなかった場合、駒太郎に悪く、そうすると俺の印象が悪くなり、そうすると俺が葛木ドールと連れだって古墳の方へ行ったということを言い触らされるのであって、それは俺にとって損なのであって、なにも意地ずくでそんな損なことをする必要はない。しかもいま考えた状況は俺がひとりだったらという前提の話だが、もし俺がひとりで牛を連れてなかったらなにも田に入らなくても銀三は俺を追い越してようじょこに行けた訳で、その前提自体が無効だ。というか、俺が一人だったらなにもこんな牛のようじょこなどというところに来る必要はなかったのであって、つまりだから俺はいまはようじょこ場に降りていけばよいと言うことだ。
 いつものように迂回的に思考した末、熊太郎は銀三に言った。
「ほんならわしは先にようじょこ場に行くわ」
「早よ、いかんかい」
 熊太郎は先に立ってようじょこ場に降りていった。
 ようじょこ場は狭く、牛を十頭つないだらもう一杯で大抵の牛はその手前の橋のこちら側、一方は立ちあがった低い土手のようになって斜面の雑木がぐしゃぐしゃになっていて、もう一方は田が紡錘形にすぼまって、そのすぼまって田が減じた分、道幅が広がって、でも空き地になっているわけではなくて、なんだか奇怪な黄土色の樹脂みたいな金属みたいな部材が積み上げてあったり、真ん中が盛り上がって大の字を書いたようなええ石が置いてあったりしてごしゃごしゃした、ちょっとした広場のようになったところに固まって、なにを考えてるか分からないみたいな顔をしてもうもう言っている。なかにはくつろいで座りこんでいる牛もあって、糞や小便は随意にするし、なんだか牛の坩堝みたいになっているようじょこ場の様子を見て熊太郎はうんざりした。
 熊太郎と銀三が降りてきた道の他に、橋の左から藪を回り込んでくる道もあってそこにも牛が犇いている。しかし、適当なところに牛をつないだ百姓たちは気にした風もなく、銀煙管、達磨煙管をくわえて葉煙草や腐ったような粉煙草をすぱすぱやりながらのんびりと話をしていた。
「なんでこない狭いとこようじょこ場にすんにゃろな」
「ほんまやな」
「そやけど前は広いとこでしてたんよ」
「あそうなんかえ」
「そうやがな。いんまの坂口つぁんとこの家たったあるとこあるやろ、前はあこでしてたんや。あこやったら広いさかよかったんやけどな」
「ほんまやな。ほたなんであこやめたんやいな」
「そら坂口つぁんが家たてたさかいや」
「そらそやな。はは。大笑いや。あ、ちょっと前いたわ。いのかな」
 百姓はそういうと牛を曳いて橋の方へ進んだ。
 狭いところに人と牛がひしめいてげしゃげしゃになっているから、一人二人が動くと全体が動く。よりようじょこ場に近い橋の方に進む者があったかと思うと、空いた空間に、すぼっとばまりこむ者もあった。
 一人が動くとその動きの影響が周囲に伝播するその様は人と牛のさざ波のようであったが、しばらくすると、大抵の者が落ち着く場所に落ち着き、藪を背にしたり、石に腰かけたりして先ほどの百姓のように悠然と会話を交わしたり煙草を喫んだりしていた。
 そんななか熊太郎だけがいつまで経っても適当な場所に落ち着くことができなかった。
 熊太郎は四方八方から押し寄せる人と牛に翻弄されきりきり舞いを舞っているようだった。
 後から人がぶつかってくるので身をよじって避けると避けたところに人がいて、「痛いなあ」と言われた。「すんません」と謝っていると橋の方から牛を曳いた人が来て、「退けこら」と言われて退いたら、退いた先にもまた人がいる。これをかわしているうちにまた人が来て……、といった調子で、熊太郎は、うわっ、うわっ、と言いながら右往左往していた。
 ところが他の者はみな落ち着き払ってそんな風にきりきり舞いしているものはない。熊太郎は、なんで俺だけが……、と思った。
 なんで俺だけがこんな風にして人を避けなければならないのか。混雑しているという意味では他の者も同じだ。ところが他の者は落ち着き払っている。俺と一緒に、というか俺より一歩遅れてここに来た赤松銀三などは藪を背にした一番よい場所で悠然と煙草を喫んでいる。他の者もそれぞれがそれぞれの場所を占めて泰然としている。ところが俺だけが落ち着かぬ場所でぶつかられ小突かれ、うわっうわっなどみっともない声をあげ周章狼狽しているのだ。なんでこんなことになるのか。というのはつまり俺が通路に立っているからか。つまり、このようじょこ場前のここには、あの向こうの棚田から来る奴、そしてあの銀三の藪の向こうの道から来る奴がいて、ここでいったんぐしゃぐしゃに混じりそれからようじょこ場のある橋の方に向かう。そしてまた今度はようじょこが終わった奴が橋を渡って戻ってきてぐしゃぐしゃになる。そのまさに、人の行き交う道筋の中心のところに俺は立っているからこのように翻弄されるのか。いや違う。なぜならさきほどから俺は人と牛の波に翻弄され続けてじりじり移動、先ほどはどちらかというとあの銀三のいる藪ぎりぎりに近いところにいたのに、いまやこっちの田が窄まって物置みたいになったところに近い方に大きく移動している。もし俺が人と牛の移動する道筋の中心のところに立っているのだとすればこうして移動した時点で、俺はその道筋から外れているはずだ。にもかかわらず俺は翻弄され続け、他の者は翻弄されず悠然としている。このことはいったいなにを意味するのかというとつまり、俺のいるところが道になるということで、これは実に情けない話だ。なぜ情けないかというと、人のびっしりいるところを通り抜けようとした場合、それは相手に少しばかり避けて貰わなければならぬ訳だから、相手に遠慮や恐れがあった場合、人は、その人ではなく、少々ないがしろにしてもよいと思っている奴のところへいって、おいちょっと通してくれと言う。そしていま、みなが俺にばかり通してくれと言うということは村の人間全員が俺のことを少々ないがしろにしてもよいと思って、なめられてるということになるからだ。一時は大楠公の生まれ変わりと言われ、というかまあ、俺が勝手に自分を大楠公に重ね合わせていただけだけれども、それにしても、一時は角力の実力と「腕殴」「腿蹴」「腕捻」の技を以て村のド餓鬼をみな手下にしてしまったほどの俺が実はそんなにもなめられているのだ。という原因はひとつ、やはり俺のこの頭のなかでいろんなことを考え過ぎてそれを言葉にできず、考えているうちに迷いが生じてまごまごしてしまうという癖にあり、いまひとつは俺自身がこんなことして俠客っぽく振る舞っているのではなく、十代のときに百姓仕事を習得しそびれ、同輩がいっぱしの百姓面をしているいま、基礎からこれを始めるのはきまりが悪く、それを誤魔化すために虚勢を張って俠客っぽく振る舞っているのに過ぎぬのであって、つまり俺は贋の俠客というわけで、そこいらを村の奴らは感覚的に察知して俺を馬鹿にしていやがるのだ。くそう。おもろない。「あっ、すんません」あっ、また退いてもうた。というのはしかし、そうだ。俺は俠客っぽく振る舞っているけれども心のどこかでこうして百姓仕事をしないで極道をしていることを申し訳ないと思っていて、だから人がきたりすると咄嗟に、あっ、すんません、などと言って自分が避けてしまう。だから俺が駒太郎に手伝いを申し込んだのも実は、俺の立場を悪くしないため、と俺は思っていたけれども本当はそうではなく、それは俺のみなに申し訳ないという基本的な思いから出たものかも知れず、その申し訳ないという気持ちがどことなく態度に表れているからみなが俺にばかり、退け、というのか。案外それが一番大きいかも知れない。
 そんなことを熊太郎は考えていたが、そんな熊太郎の気持ちを誰が知ろう、人々は各々その意に随って自分の行きたい方角に移動し、その都度、熊太郎は押され小突かれ押し退けられ、人波に押されて、いつの間にかようじょこ場のなかに入り込んでしまっていた。
 ようじょこ場では赤松銀三の牛が爪を切って貰っていた。
 熊太郎は思った。
 なんたらはしこい男であろうか、先ほどまで藪を背にしたもっともよい場所で悠然と煙草を喫んでいたのに、いま見たらもうようじょこ場に入り込んでいる。俺はあんな奴には一生勝てない。
 その赤松の後に一頭牛を連れた百姓がいて、その後にもうひとり百姓がいて、その後が熊太郎の番だった。ようじょこそれ自体はそんなに時間のかかるものではないらしく、専門家というちょっと見、商家の手代のような目のつり上がった愛想のない男が牛に尻を向け、くわっ、と牛の肢をもっちゃげる。いきなり肢を持ち上げられた牛は怒って、もう、とかいうが、そんなことを言っても駄目で、爪が伸びすぎると牛は立っていてもぐらぐらして、もう、ぐらぐらするやんか、と嫌な気持ちになって病気になるので、いくら、もう、とか言っても爪はこれを切らなければならず、もうというのを男が聞かない振りをしているとこんだもう一人の男が、小ぶりの鎌や鉈、鑢を使って牛の爪を削っていくのである。
 熊太郎は初めて見るこのようじょこの光景が珍しく、はっはーん。玄妙なものだなあ、と思いながら口を開いて眺めていたが、いつの間にか銀三の牛もその次の牛もようじょこが終わって、次が自分の番であることに気がついて慌てた。
 なんとなればようじょこが終わったらみなようじょこの人に礼の銭を渡していたが、熊太郎はなんぼ渡せばよいか分からなかったし、それに昨日、大和高田の博奕場で有り金をみなとられて懐には一文の銭もなかった。そのことに気がついて慌てた熊太郎は背伸びをして橋の向こうを眺めたが、いまだ駒太郎の姿はなかった。
 そこで熊太郎はいったん橋の向こうの溜まりに戻って駒太郎を待つことにして、牛を曳いて橋へ向かった。
 熊太郎が戻るのをみてとった中年の百姓が牛を曳いて橋を渡ってこようとしてたので熊太郎はこれをやり過ごしてから渡ろうと橋の袂で待っていた。
 ところが、男が渡りきったのを見届け、熊太郎がさあ渡ろうとしたそのとき、あろうことかその後からまた別の牛を連れた百姓が渡ってきて、しかし牛と人でいっぱいの狭いようじょこ場には入れず橋の中程で立ち止まった。
 橋といっても欄干もない情けない橋である。
 ひとり立ちどまったら行き交うのに難儀をするくらいに幅が狭い。熊太郎は百姓に怒鳴った。
「おまはんがそこで止まってもたらわしがそっちいかれへんがな、戻れ、戻れ」
 熊太郎としてはきわめて分かりやすく言ったつもりである。ところが、百姓は、「あかん、あかん。後、おまえ、人いっぱいで戻られへんが」とこんな理不尽なことを言う。
 熊太郎は呆れ果てた。
 なにをあほなことを言っているのだ、と思った。
 ここは狭いようじょこ場である。爪を切り終えた牛がいつまでも滞留していたらぐしゃぐしゃになってようじょこもなにもなくなってしまう。だからようじょこ場に余裕がないときは無暗に橋に進入してはならない。それをば後先考えずに橋に進入するからこんなことになるのであって、それを棚に上げて、戻られへんが、などと気楽なことをいっているが、俺が橋の向こうに行かぬ以上、あいつだってようじょこ場に入れない。
 熊太郎はそのことを相手に伝えようと、
「戻られへんちゅけどやな、おまえがこっち入って、俺がそっち行かなようじょこ場入られへんやんけ。おまえが先に後、行けや」と言った。
 しかし熊太郎の真意が伝わらなかったようで百姓は重ねて言った。
「しゃあけんど後からせんぐりせんぐり人が来て下がらりひんにゃ」
「しゃあから」と熊太郎は大きな声を出した。
「人がおって下がらりへん、ちゅてんねん」
 熊太郎はなぜこうも話が通じないのかと思って絶望した。
 ほしたら好きなようにさらせ、と言って牛をようじょこ場に置いて帰ってやろうかと思った。しかしそれでは駒太郎に悪い。躊躇しているうちに、熊太郎の牛の次の牛のようじょこが終わり、飼い主がこれを曳いて橋の方へやってきた。
 ところが前には熊太郎がいて渋滞している。男は熊太郎に言った。
「なにしとんねん。早よ、橋渡りィや」
「いや、ちゃうねん。あこにあいつが入ってきてて渡られへんにゃ」
「あ、ほんまやなあ。おい。おまえ、ちょう下がれや。おまがそこおったらわしら渡られへんがあ」
「そうかて、後がぎゅうぎゅうでな下がらりひんにゃあ」
「そんなことちゅてもおまがそこおたらわしらがそっち行かれへんやんけ。無理にでも下がれや」
 後ろの男が言うのを聞いて熊太郎は、そうそうその通り、と思って言った。
「せやせや。おまえ無理にでも下がれや」
 ところが男は相変わらずで、
「それが無理にも下がらりひんくらい人がぎゅうぎゅうやね」と言って恬然としている。
 熊太郎は呆れ果てた。熊太郎は後の男に言った。
「あいつあんなこと言うてんで。あほやなあ」
「ほんまやなあ」
 と言った男は眉毛が太く、唇が厚く、眉の横に疣のある精力のありそうな男だった。熊太郎はこの男があの橋の上で頑張ってるあほに強く言ってくれるだろうという期待を込めていった。
「どないしょう」
「しゃあないやんか」
「ちゅうと?」
「おまえがまず向こう側渡れや、ほんで空いたこっちゃ側にあいつが来て、ほんでわしが渡ったらええやん」
「え? まずわしが渡んの?」
「どかれへんちゅうもんしゃあないやんけ」
「しゃあけどあんな狭い橋やで。牛、すれ違われへんやん」
「しゃあないやんけ。なんとかしていけや」
 男に強く言われた熊太郎は、悪いのは後先考えずに無理無理橋の上に進入してきたあの男である。それを放置してなんで俺がその責任をとらされるのか。訳が分からないと憤懣やるかたなかったが、橋の上の男は後ろに下がる気配を見せず、なんで俺やねん、と思いつつもやむなく牛を曳いて橋に向かった。
 そろそろ橋を渡りかけた熊太郎に橋の上の男は言った。
「うわうわっ。無茶したらあかんがな」
「なにが無茶じゃ。おまえが最初に無茶したんやんけ」
 そういいながら熊太郎はまず自分が先に立って男の牛の脇をすり抜け、それから向きなおって綱を持ち牛を引っぱった。牛は奇妙な、とりあえず我慢しているけど基本的にむかついているけどなににむかついてるかはいまは言わないみたいな顔をしてそろそろ歩いている。そして男の牛とすれ違うのだけれども、男が自分の牛をちっとも脇に避けようとしないので熊太郎はむかついて言った。
「おまえこら」
「なんや」
「ちょっとくらい脇ィ寄らんかれ」
「寄らんかれちゅても、こんな狭いとこで、これ以上、寄ったら落つがな」
 そんなことを言って男は恬然としている。熊太郎はまたむかついた。
「落つがなておまえ、おまえの牛の足、みてみいこら。まだ端までごっつい間ァあるやんけ。わしの、おまえ、みてみいこの牛の足。もう、いっぱいいっぱいやんけ。おまえ、もっと寄れ、どあほ」
「なに言うてんね、おまえが無理に渡ってんにゃんけ、なんでわしが寄らなあかんね」
「なにかんとんね、おどれが無理に橋に入ってきたんやんけ。ほんで、ようじょこ場がぎゅんぎゅんなったんちゃうんか。つまり、あんたは、ほんまはあ、わしが向こうに渡って、ようじょこ場に、居場所でけてから、橋渡らな、あかんかったの」
 熊太郎は言葉を句切っていったがそれに対して男は、
「そうかてわし、牛のようじょこせなあかんが」と没論理なことを言い、熊太郎は絶望した。
「わあった。わあった。ほんなもうええわ。わしが無理矢理、橋渡ってんねん。そいでええわ。その代わり頼むわ。頼むからわしの言うようにしてくれへんか」
「なに頼むね」
「わしがないまから牛、曳くさかい、おまえもこう、斜交いなるように牛曳いてくれや。ほんで、こうじりじり進んだら擦れ違えるやろ」
「うたていのう。しゃあない、ほなやったるわ」
 と恩着せがましく言う男の口調に熊太郎はまたふるふるした。自らその原因を拵えながら非協力的な男の態度にむかついた。
 しかしこんな狭い橋の上で牛を連れて悶着を起こすわけにはいかないので、そろそろ手綱をひっぱった。
 牛は無表情ながらときおり口を開いたり首を振ったりし、せっまいなあ、という意思を表明しつつ、じりじり進んで、ちょうど二頭の牛が交錯したそのときである。もはやようじょこを済ませた牛なら大丈夫だったのかも知れないが、熊太郎の牛も相手の牛もまだようじょこが済んでおらず、爪がずいぶん伸びていて足元がおぼつかない。しかも橋はラフな丸太で組んであるからなおさらで、相手の牛が丸太の隙間に足をとられて、ぐらっ、と傾き、熊太郎の牛に、ぼーん、とぶつかった。
 ぶつかられた熊太郎の牛も他愛なく、ぐらっ、と傾いてよろめき、しかしそれでも気丈に後肢を踏みだして踏んばったが、そもそもぎりぎりの端っこを歩いていたため、踏んばったところはもはや虚空、一瞬、あれっ? という顔をし、直後、ドナドナみたいな顔をしてずるずる落ちていった。熊太郎は、あっ、と声をあげつつも必死で手綱を引っぱったが、人間一人で牛一頭の重みを支えられるはずがない、すぐに耐えきれなくなって手綱を放してしまった。
 熊太郎は、しまったあ。牛を川に落としてしまった。と思ってぼうとなった。
 落ちていく瞬間の牛の悲しげな顔と中空に高く上がった前肢が目に焼きついていた。
 幅は狭いが崖が切り立って深く、また川には大きな岩がごろごろしていて、その岩で頭脳を強打した牛は横倒しになったまま、流されていった。

 やがてやってきた駒太郎は激怒した。そらそうだろう。頼みもしないのに牛をようじょこ場に連れていってやるといわれ、そんなら、と頼み、行ってみたら、「牛は水にはまって死にました」と言ってへらへらしている。
 もちろん熊太郎は事態を深刻に受けとめ、へらへらしているつもりなど微塵もなかった。
 ただ、あまりにも衝撃が大きいと人間はどうしてよいかわからなくてにやにやしてしまうことがあり、熊太郎もそんな状態に陥っていただけである。
 しかし駒太郎にはただにやにやしているようにしかみえなかった。
 駒太郎は馬鹿にされたように感じた。
「おほほん。牛、落ちてもたわ。ごめんな」と言われ、「ううん。仕方ないいわー。ううん。いやんいやん」かなんか言う度し難いアホと思われていると思ったのである。
 駒太郎は血相を変え、「熊、おんどりゃ、わしとこの牛、殺して、そいでごめんで済むと思てんのんか。おちょくっとったらえらいど」と、熊太郎に迫った。
 しかし熊太郎にも言い分はあった。
 熊太郎にすれば悪いのは自分ではなく、あの横着な百姓が無茶をするからこんなことになったのであって、自分としてはなにも駒太郎を馬鹿にして牛を疎略に扱ったわけではない。そこで熊太郎はその前後のいきさつを駒太郎に説明しようとしたが、牛が川に落下したことによって、ようじょこ場は大混乱に陥っていた。
 めいめいが勝手にしゃべり、慌てふためき、わさわさして、ようじょこ場全体が、わっ、と唸るような音を立てていたのである。
 そのうえ駒太郎はもの凄い剣幕で怒っており、熊太郎は前後の事情を順序だてて話そうとしたが、周囲が喧しいため手短に話そうとしたのが災いしてうまく話せない。
「いやそうとちごてな」
「なにがそうとちゃうねん」
「いや、ちゃうんねん、駒やんがおもてんのと、ちゃ、ちゃうねん」
「なんや、熊。おまえ、このうえ俺がまちごうてるちゅうのかい」
「ちゃうて、わしがな牛をな……、ああ、やかましな」
「誰が喧しいんじゃ。俺は牛、水に落とされて大人しい黙ってなあかんのか」
「ちゃうがな。誰もおまえがやかましちゅてへんやん。わいは、このようじょこ場全体が喧しちゅてんね」
「それがなんやねん。どなしてん。わしゃ牛一頭わやにされとんねど。やかましくらいなんやねん」
「ちゃうねんて。ちょ、ちょう聞けや。わしが言うてんのはな、このようじょこ場全体のな、雰囲気の問題を言うとんねん」
 と言った瞬間、熊太郎の抑制の箍が外れた。
 熊太郎は、理屈にならぬことを言って無理を通し、結果、起きたこのことに対してなお、ただ騒ぎ立てるだけのようじょこ場の人々に対して怒りを爆発させた。
 熊太郎はまくしたてた。
「なんやね、これ。この雰囲気は。なにをわあわあ騒いどんねん。俺にしたらおもろがってるようにしか見えんわ。なにしとんね。なにいうとんね、こいつらは。だいたい俺はむかついとったんや。なんやねん、こいつら。こんなせまいとこにこんだけ牛と人たまっとんねん。つかえとん。我一人ちゅてみなが好き勝手にいのいたらどないなるかくらいアホでもわかる理屈ゃろ。それをばなんやこいつら。わがの都合であっちいたりこっちいたり好き放題さらしゃがって、ほいで俺はアホ扱いや。俺はなあ、ちゅうか、俺がなんで牛、水にはめたかわあってんのか。俺が鈍くさいからちゃうど。俺はなあ、もっと全体のこと考えとったんや、全体のこと。それをおまえあいつが後先考えんとぐんぐんようじょこ場入ってくるさかいこんなことなんにゃんけ。そのくせえで、おどれはいっこもどきゃがらんと俺にどけちゅいよんにゃ。なんでやねん。おまえが後さがったら済むこっちゃが。それをちょっともどきゃがらんと、ほいで俺は牛、水にはめたんやんけ。あのまま俺がようじょこ場におったらどうなってた。誰もようじょこ場に入られへん。それ考えて俺は牛をいのかしてそれで水にはめたんや。言うたら俺は犠牲者やんけ。それをみなでおもろがってわあわあぬかしゃがって、俺はその心底を憎む」
 そもそも自分が怒っていたはずが突然、逆上してわめきだした熊太郎に驚いた駒太郎はしばらくの間、熊太郎が喚き散らすのを黙って聞いていたが、しかしそれで牛をわやにされた怒りが収まった訳ではなく、
「ちょ、ちょうまてや、熊」
「なんや」
「おまえなにを言うとんね」
「なに言うとんねて、こいつら全員、無茶苦茶やちゅうとんねやんけ」
「無茶苦茶て、俺に言わしたらおまえの言うことの方が無茶苦茶でわけ分からんわ」
 なにがわけ分からんね、
 と熊太郎は目を剝いて説明しようとして突然、疲れた。
 深い疲れであった。
 熊太郎はやはり俺の言うことは誰にも伝わらぬと思った。
 熊太郎は一転、静かな口調で言った。
「なあ、駒やん」
「なんや」
「さい前、わいが頭ン中に思てること口で言お思ても言う言葉がいっこも思いつけへんちゅうたん覚えてるか」
「ああ、なんやそんなこと言うとったな」
「そんときおまえ、わかるわかる、ちゅうたけどやっぱおまえちっとも分かってへんわ」
「なに言うてんね。なにが分かってへんじゃ。おまえそんなこと言うてごまかそおもてもあかんど。牛の代はきっちりまどてくれよ」
 駒太郎が凄い形相で牛の弁償代のことを言うのを熊太郎は虚無的な心情で聞いていた。
 くほほ。弁償代か。銭か。君らは銭さえまどてもろたらその前後の事情はどうでもよいのか。或いはそのこと、すなわち銭のことが気になって余のことはいっさい考えられないのか。自分の銭さえ戻ってきたらそれでよいのか。くほほ。
 熊太郎は牛滝堂のところで駒太郎に会って以来、はじめてきっぱりした口調で言った。
「牛の代はきっちり全額、弁済する」
「ほれやったらええねけどな」
 と駒太郎は急に弱々しい口調で言った。
 銭を払って貰えると分かった途端、張り詰めていた気持ちが萎んだのと、熊太郎が急に毅然とした、宣言するような口調、もっというとまるで権威ある者のような口調になったのが気味悪かったからである。
 熊太郎は独り言のように言った。
「俺は牛の代をまどう。しかしおまえらは将来、別のものを俺に払わんとあかんようになるやろ」
 駒太郎は聞き返した。
「え? よう聞こえへんかった。いまなんちゅたんや」
 その駒太郎に熊太郎は、「牛の代がなんぼか家におるから報してくれ」とだけ言うと村人の右往左往するようじょこ場を後にした。
 歩きながら熊太郎は、なんで俺はあんなことを言ったのだろうと思っていた。
 十一年後、熊太郎の予言は現実のこととなる。
 しかしこの時点で自分の言ったことの意味が分からない熊太郎は、ああは言ったものの牛の代金をいったいどうやって工面しようかとくよくよしていた。
 金剛山の上空に黒雲がたちこめて驟雨。
 熊太郎は波に乗って勝ちつづけた。こんなに勝ち続けたのは熊太郎が博奕場に出入りするよになって初めてのことであった。思う目が出る度、熊太郎は、うほほほほ。きょほほほほ。と大声で笑いだしたいような気分になった。でも賭場でそんな風にしてい笑うのは恰好が悪いので我慢して小声で、おほほ、と笑うにとどめた。
 熊太郎は一方的な勝負の行方に昂奮して冷静な判断力を失ってごんごん挑んでくる客や節ちゃんからおもっくそ銭を巻き上げていた。
 熊太郎の懐にはすでに十円近くの銭があった。
 熊太郎は銭で身体が冷えるようだと思った。
 しかし熊太郎はこれをとんでもない僥倖だとは思わず、本来あるべき状態に戻っただけだと思っていた。もちろん本当はそうではなく、偶然が重なってたまたま勝っただけだ。だから正気の人間だったら、たまたま十円も勝ってしまったのを幸い、「えらい儲けさしてもらいました。どなたさんもごめんやっしゃ」と賭場を去るに違いない。
 しかし熊太郎は正気ではなかった。
 これまで負けていたのが間違いで、勝っているいま現在が正しい弥勒の世の中だと思っている。帰るなどというのは熊太郎にとってはとんでもない話で、熊太郎は銭を張り続けた。
 ところが勝負の波というものはわからないもので、熊太郎はそのまま勝つつづけ、とうとう熊太郎の懐には二十円という銭ができてしまった。
 他の客は、おっそろしい博奕の強い奴がきやがったものだと畏怖の眼差しで熊太郎を見やり腹を掻いたり屁をこいたりしていた。節ちゃんは身体の節々に鈍い痛みを感じていた。神経痛であった。若い頃から好き勝手に生きてきた報いをいまになって受けているのだ。或いは風邪の前兆かも知れない、と節ちゃんは思っていた。
 そんな風にして熊太郎に大敗しながらも人々が勝負をやめないのは彼らも熊太郎と同じく、自分は絶対に勝つと頑なに信じていたからであろうし、実際的なところで言えば、ここでやめて損失が確定してしまうのを避けたいという気持ちもあったからである。
 しかし二十円という銭を手にした熊太郎は少し現実的な感覚を取り戻した。熊太郎はこの博奕場に来て初めて、博奕というのは勝ったり負けたりするものだ、と思った。
 博奕というものは勝ったり負けたりする。いまたまたま勝ちつづけて二十円という銭が懐にある。最初は三十円と言われたが、その後、二十円でよいということになったので、この銭があれば駒太郎に牛の弁償い代を払うことができる。しかし負けてしまえば払えない。ということはここで切り上げて去んだ方がよい。
 熊太郎はそう考え、ではいま正確になんぼ勝っているのだろうか、と懐の銭を数えた。
 二十一円九十五銭あった。熊太郎は再び考えた。
 二十一円九十五銭あるということは駒太郎の牛を弁償い、さらに一円九十五銭余るということでここで問題なのはこの一円九十五銭をどうするかということだ。まあ持って帰ってたまには親父に、俺が儲けてきた銭や、と言って渡して親孝行をするという考え方もある。まあ穏当な考え方だ。しかしそれではあまりにも寂しいというか、ここまで頑張って勝ってきた俺の苦労というものはどうなるのだろうか? 俺は二十円勝つまでに結構苦労して賽の目を読んできた。その俺の苦労には誰が報いてくれるのだ? 誰も報いてくれない。だからこの一円九十五銭は自分への御褒美ということにしたらどうだろうか。つまり、博奕というものは勝ったり負けたりするものだが、この一円九十五銭については別に負けてもよい、勝ってもよい、ただ純粋に博奕を楽しむ、そんな銭として考えたらどうだろうか。つまり俺は一円九十五銭分についてはゆったりとした気分で勝っても負けてもにこにこして博奕を楽しむ。それで全部負けて残金が二十円になった時点で、「ああ、おもしろかった」と言って帰ればよい。そうだそうしよう。うふふ、博奕などというものはこういう風にきっちり算段してやれば実に愉しいもんなのだよ。意外に。って、俺、誰に言うてんね。
 と自分自身に言いながらも思案なった熊太郎に正味の節ちゃんが、「さあ、丁が五十銭、正味、足らんわ。どや、さいぜんからつき通しの兄さん、どないや、張れへんか」と言った。
 熊太郎はにこにこ笑い、余裕をかましまくりながら、「おお、受けたるで」と言って五十銭を盆に出した。他の客はみな目を血走らせて壺ザルを凝視している。熊太郎は、ふっ。銭のない奴は哀れなもんや。と、ひとり余裕のある態度である。
「ええか。ほな、開けるで、正味、勝負やで」
 五・二の半であった。丁張りの熊太郎は負けた。しかしただ純粋に博奕を楽しんでいる熊太郎はちっとも悔しくないはずであった。
 ところが熊太郎はぬらりとした不快感を感じていた。
 熊太郎は、この五・二という目がむかつく、と思った。
 せめて四・三くらいならまだ俺に対して多少の気を遣っている気がする。ところがこんな五・二なんてとんでもない目でありながらなんら憚るところなく、上を向いて恬然としているところが小憎らしい、と思った。
 半座の客がいかにも嬉しそうな顔をしているのも熊太郎は気に入らなかった。
 いずれも二十銭とか十銭とかそんな銭しか張っていない。そんな僅かな銭で男がにこにこするなアホらしい、と苦々しい気分であった。
 だからといってあからさまに不機嫌になると場の者に、あの兄ちゃんは五十銭負けて怒ったはる、と思われるに違いなく、それがまたむかつくので熊太郎はなんら気にしていないという体を装って、「おほほん」と発音した。
「ほなかぶるでええか」正味の節ちゃんが言って、こころこん、賽子が壺ザルに投げ込まれ盆に伏せられた。
「さあ、張った、張った。お、兄ちゃんはこんだ三十銭だっか、ほたら、ええっと、はい、丁と半が正味、一緒ですわ。ほた、正味、開けまっせ。よろしか。勝負っ。一・二の半ですわ」
 また負けた。
 熊太郎の顔面が強張った。熊太郎はますます侮辱されたような気持ちであった。
 その次も熊太郎は五十銭負け、その次も四十銭負けて、その次には二十五銭負け、忽ちにして熊太郎は一円九十五銭を負けた。ということは熊太郎の遊びはこれでおしまいのはずである。ところが熊太郎は席を立たなかった。なぜか。
 それは熊太郎のプライドであった。
 熊太郎はこれまで勝ち通しに勝ってきた。いわば王者でありチャンピオンであった。
 その王者たる俺が無様な連敗を喫したまま、すごすご帰るわけにはいかないと熊太郎は思った。最低でも一回は勝って、それから帰る。そう思って熊太郎は、また八十銭を張った。
「勝負」正味の節ちゃんが壺ザルを開けた。
 壺のなかは四・三の半であった。熊太郎はまた負けた。
 だんだんに熱くなっているのを隠さなくなった熊太郎は、「次こそ俺の勝ちじゃ」とおめいて、三十銭を張った。その意気込みが天に通じたのか三・三の丁が出て熊太郎はついに勝った。
 よかった。これで熊太郎は席を立って水分に帰ることができる。ところが熊太郎は席を立たなかった。なぜか。それはその前に八十銭負けた段階で、熊太郎の銭は十九円二十銭になっていて、いま五分のテラ銭を引いて五十八銭五厘を貰っても合計で十九円七十八銭五厘にしかならず、それでは駒太郎の牛代が払えないことに気がついたからである。
 そこで熊太郎はあともう一回だけ勝って、所持金を二十円七十二銭くらいにして帰ろうと考えた。七十二銭と半端をつけたのは、そろそろ腹も減ってきたので富田林でモツ煮込みとうどんと酒をちょっとアレしてから帰ろうという計画を立てたからである。
 熊太郎は五十銭を張った。負けた。
 後はもう一瀉千里であった。
 銭が十八円になった段階でうどんも煮込みも諦めて、とにかく二十円になったら帰ろうと考えたが甘かった。十二円を切った段階では、とにかく十五円。駒太郎には訳を言ってとにかく十五円の銭を拵えて帰ろうと決意して頑張った。しかし駄目だった。
 銭が七円あまりになった段階ではとにかく十円、三円ちょっとになったときには、もう駄目だがとりあえず五円、五円にして帰ろう、とその都度、熊太郎は目標を切下げて張り続けたがやはり一度も勝てず、ついに熊太郎の所持金はたったの二銭になってしまった。
 熊太郎はせめてこれを十銭にしてめしを食べてから帰りたいと念願、祈るような気持ちで丁に賭けたが、「勝負。六・三の半や」と正味の節ちゃんに宣せられ、とうとう熊太郎は有り金すべてをなくしてしまった。
 二円五十銭の原資が二十円になったかと思ったらあっという間にゼロになっていた。
 熊太郎は悄然として席を立ち、これから空き腹を抱えて四里あまり、水分まで歩いて帰ることを考えて激烈に情けない気持ちになった。
 いったいなんのために富田林まで出てきたのか。なんのために危険を冒して玉を売ったのか。あの時点でやめていればなんの問題もなかった。それをつまらぬ見栄や欲にとらわれてすべてを失ってしまった。
 少年は膝頭を胸にくっつけるようにして丸くなり、両の手で後頭部を庇うようにして地面に転がり攻撃に耐えている、正味の節ちゃんが蹴りつけながら怒鳴っていた。「すんまへん、ちゅわんかあ。かにしてくだはい、ちゅわんかあ。東井一家へ行きまへんちゅわんかあ」
 しかし少年は音を上げない。正味の節ちゃんはなおも、「正味、なんとかちゅわんかあ」と怒鳴った。少年に一方的な暴行を加えている節ちゃんであったが、その声はなぜか少年に哀願泣訴している声のように響いた。
 熊太郎は立ち上がり、腕組みをして壁際でこの様を見ていた。
 熊太郎はこの暴力の、「感じ」に根源的な不快を覚えていた。そしてなぜこの、「感じ」が不快なのか熊太郎はよく分かっていた。
 蠟燭の炎の揺らめいてその頼りない光に照らされた世界のこれまた頼りなくちらちら揺らぐ感じ。その揺らぎたるや本当にちらちらといったなにか視覚異常のような揺らぎで、世界よ、どうせ揺らぐならもっと大きく揺らげと言いたくなるようなみみっちい揺らぎ。
 鼻孔を絶えず刺激する黴のような埃のような匂い。その匂いに混じって血の匂い。切迫した気配、肉と骨の軋む音。獣の焦燥。落下の感覚とそそりたつ壁。
 そう、この農具小屋に横溢する暴力の気配によって、熊太郎の頭脳には、あの忌まわしい十四歳の記憶、この世の行き止まりのような穴ぼこで葛木ドールを結果的に撲殺してしまったあの日のことが甦り、熊太郎は胸中にどす黒い汚泥が充満しているよな不快感を覚えるのであった。
 熊太郎が歯を食いしばって不快感に耐えていると、すぐ前にいた客が振り返った。
 半座にいて五銭とか三銭とかそんな勝負ばかりしていた情けない百姓である。口のあたりがぼさっとしてぎょろ目だった。口の回りにまばらに伸びた髭がみすぼらしい。
 熊太郎は男に言った。
「やめとけや」
「かあ?」と男は顎を上げた。
「もう、蹴んのんやめとけや」と、熊太郎は止めた。
 これが清水次郎長伝とかそういう物語であれば、親分の感覚、俠客の貫禄、大勢でよってたかって弱いものを攻撃するのはみっともないという恥の感覚から発せられたということがこの後、説明せられるのだけれども、もちろん熊太郎の場合は違って、少年が気の毒というより自分が居たたまれない、そのような暴力を見て自分が不快だったから、やめろ、と言ったに過ぎない。
 百姓はおもしろくなかった。何者か知らぬが、我ひとり貴し、みたいな顔で乙に澄まして暴行に加わらず、それどころかやめろなんていう。まったくもってなんちゅう奴だと百姓は思い、こんな奴にはこの子供から巻き上げた銭を分けてやらない方がよい、と思ったのでその思った通りに、
「おまえ、一人だけ蹴らへんにゃったら銭、わけたらへんど」と、ぼさっとした口を無理矢理に尖らせて言った。
 熊太郎は男の口がなにかの魚に似ていると思った。
 あれはなんという魚だっただろうかと思った。
 俺はなんであの魚を知っているのか。そうだ。子供の頃、父親に連れられて魚釣りに行ったときに釣れた魚だ。口のぼそっとして馬鹿みたいな魚。俺は本当はもっとしゅっとした、いけてる感じの魚が釣りたかった。しかし釣れるのは口のぼさっとした魚ばかりだった。しかし父親は魚がなんぼでも釣れるのが嬉しいらしく、ぎゃはぎゃは笑って口のぼさっとした魚を釣っていた。そんな父親の口のあたりがみるとぼさっとしていた。そしていまこの男の口がぼさっとしているのはいったいどういう因果の巡りあわせだろうか。おそらくなんの巡りあわせでもあるまい。しかしそれにつけてもこの男はそんなぼさっとした口でなんというせせこましいことを言うのであろうか。十円をみなで分けるから子供を蹴れだと? 俺があの岩室でどれほど怖かったか。どれほど厭な気持ちだったかこの男は分かっているのか。崩壊しながら呪いを発散させてまとわりついてくる人体というものがどんなものなのかこいつは分かってるのか。あんな恐怖を一円かそこらで購えると思っているのか。口のぼさっとした魚で。それだったらせめて十円だ。
 そんなことを考えた熊太郎は男の肩に手をかけ、ぐい、と力を込め手前に引くようにして言った。
「おい。ほんまにもうやめとけや」
 ところが昂奮している男はそれだけのことに過剰に反応、「じゃかあっしゃ」と叫ぶと、必要以上に力をこめて右手を水平に振り熊太郎を振り払ったため、期せずして熊太郎の顔面にエルボーが炸裂した。
 視野に閃光が走ると同時に激烈な痛みを感じた熊太郎の脳裏に、酢醤油、という言葉が浮かんだ。ガラス小瓶に入った酢醤油が森を疾走する。ひとつではない。何百ものガラス小瓶だ。何百ものガラス小瓶に入った酢醤油が中空に浮かび森を走る。森というものは木が密生しているから無茶苦茶な速さで空を飛んでいる酢醤油の瓶は当然、木に激突して割れる。割れたガラスは月の光にきらきら輝きながら下草の這う闇のような森の地面に落ちていく。そして周囲には酸っぱい匂いがたちこめる。かすかに甘い匂いを含んだ酸っぱい匂いがたちこめる。匂いは四囲に漂い、まだ割れないガラス瓶は匂いのなかをなお疾走し、一瞬後には割れてきらきら輝くのだ。一方、木の幹はというとなにしろ中身が酢醤油だからねとねとになってしまって木の方では気色悪いなあと思っている。雨が降ってこのねとねとを洗い流してくれないかなあ、と思っている。ねとねとは気色わるい。しかし雨はけっして降らぬのだ。
 と思う熊太郎の手が血でねとねとだった。
 怒りのあまりに頭脳の線を切った熊太郎は、頭のなかでは何百ものガラス瓶に入った酢醤油が森を疾走して森の木に激突して割れて砕けるというビジョンを浮かべたが実際にはエルボーをかまされた瞬間、反射的に口のぼさっとした百姓をどつき回していて、百姓の鼻からぴゅっと吹き出した鮮血の拳にねとつく感じを感じて初めて我に返ったのであった。
 熊太郎は無意識裡に、子供の頃に自ら考案した「腕殴」の技で用いた。
 通常の握りこぶしから、中指を折り曲げたまま突出せしめ、その爪に親指の腹をあてがうことによってできる異様に鋭い拳で百姓を殴っていた。
 十年のときを経て拳の威力は絶大であった。
 ひゃああああ。
 血が出たのと痛みに驚いた百姓は情けない声をあげてへたりこんだ。鼻が曲がっていた。
 突然、背後であがった怒声と悲鳴に驚いた正味の節ちゃん合羽の清やんと四人の客はいっせいに振り返った。全員が全員とも欲に狂ったような顔をしていた。正味の節ちゃんが怒鳴った。
「正味、けったいなやっちゃと思てたけど、おどれ正味なんや? 賭場荒らしか? この餓鬼と共謀か?」
 賭場荒らし、と聞いた瞬間、熊太郎はほんまに賭場荒らしをやってこましてやろうかと思った。
 熊太郎は自分のなかにある、僅かな銭のことで目の色を変えて狂奔する正味の節ちゃんや賭場の客に反発する力、口のぼさっとした魚を得てこと足れりとしているみすぼらしい心と口のぼさっとした魚そのものに対する怒りを解放しようとしていた。
 そして熊太郎は賭場荒らしに成功して銭を儲けて帰ろうとはさらさら思ってなかった。熊太郎は、それがガラスに入った酢醤油の瓶のようなもので、ただちに木の幹に激突して砕け散るものであることも理解していた。いくら拳の威力が絶大でも相手は六人。勝てるわけがないのである。
 熊太郎は、俺はこの場で滅亡してやろう、と思って叫んだ。
「どうせ俺はひとり殺しとんね、ここで死んでも構うことあるかい。かかってこんかい、口ぼさのあほんだら」
 叫んで熊太郎は内心で、あっ、と思った。熊太郎はいまの瞬間、自分の思想と言語が合一したことを知ったのである。思ったことがそのままダイレクトに言葉になった幸福感に熊太郎は酔った。しかし熊太郎はこうも思った。
 俺の思想と言語が合一するとき俺は死ぬる。滅亡する。そもそもは横溢する暴力の気配を厭悪する感情に端を発した騒動であった。それが結果的に暴力を生む。豆を煮るのに豆殻を焚く。暴力の気配から逃れるために暴力を行使、その暴力がさらなる暴力を生む。因果なことだ。
 などと詠嘆している暇はなかった。
「いてまえ」誰かが叫んですぐに拳が飛んできた。
 ぐわん。熊太郎の顔面に拳が炸裂した。大人の、情け容赦ない拳であった。
 重苦しい不快の塊のようなものが熊太郎の顔面にじわじわ広がった。
 熊太郎はいずれ敗亡するにしても相手方に相応のダメージを与えてやろうと考えていた。
 ところが顔面に咲く鈍痛の花、重苦しい痛みで身体が思うように動かせない、せめて拳を「腕殴」にして、この痛みが去ったらどいつでもいい、目の前にいる奴を一発殴ってやろう。というのは攻撃ではなく、仕返しでもなく、巻き添えでもなく、俺という生命が滅びるための祭り。生命の祭り。生命の躍動だ。
 と熊太郎は考えたが甘かった。鼻先の痛みが去る前に後頭部にぐわん、今度は重苦しいばかりでなく熱と痺れをともなう強烈な打撃を受け、頭脳を白熱に支配された熊太郎はなにも考えることができなくなって、ギターを弾くカルロス・サンタナのような顔をして前にのめった、ところへさして正面から腹を蹴られ、さらには横鬢を拳固で殴られて、ついに熊太郎は一発も殴り返さないうちに地面に倒れた。
 しかし意識は鮮明である。さきほどみた少年と同じく、膝頭を胸にひっつけるようにして丸くなり、両の手で後頭部を庇うようにして地面に転がっていた。
「おどりゃなめとったらあかんど」
「へげたれがっ」
「正味、殺すぞ、こらあ」
 博徒らがそんなことを言いながら腹といわず頭といわず蹴りつけてくる。
 熊太郎は、一発蹴られるたびに身体が砂袋のようになっていくように感じた。
 或いは内臓の詰まった俵。赤黒くい暗い熱。熊太郎は、この暴力の果てになにがあるのだろうか、と思い、それから動かなくなった葛木ドールの形相を思い出して慄然とした。そのときである。
「ぎゃん」と短く叫ぶ声に続いて、「いたたたたたたたたた」という泣き声がして攻撃が止んだ。
 薄目をあけてみると丁座にすわっていた盤台面の百姓が立て膝をつき、左手で額を押さえ、右手で足首を押さえて、「痛いよお、痛いよお」と泣き叫んでいた。誰かが叫んだ。
「この餓鬼、短刀のんでけつかった」
 まったくもって肝の太い子供であった。
 節ちゃんや百姓にどつき回されて倒れ伏した少年は全員の注意が熊太郎に向かったのを見はからって懐にしのばせていた短刀の鞘を払い、目の前にあった盤台面の百姓のアキレス腱を横に切ったのであった。少年は素早く起き上がると中腰の姿勢で怒鳴った。
「おどれらようもこのわいから銭とってくれたなあ。ほんでそのうえどつきまわしゃがって。膏薬代もろていくど」
 怒鳴ったうえで少年はしゃがみこむような恰好で短刀を前方に突きだし全員を睨みつけながら手探りで胴の銭をつかみ取っては懐に入れ始めた。
 こんなことをされては正味の節ちゃんの面目は丸潰れで、節ちゃんは、「正味、なにさらすんじゃ、この餓鬼、正味」とつかみかかろうとするのだけれども、少年が、「やんのんか、こらあ」と言いながら短刀を振り回すので容易に飛びかかることができず、間合いを計りかねてへどもどしている。
 その様子をみつつ熊太郎は自分が立ちあがることができるかどうか確認していた。
 全身に重苦しい痛みがあり、何ヶ所かに間歇的に激しい痛みを感じたが、せいぜい罅が入っている程度で完全に骨が折れたり砕けたりしているところはないように思われた。
 大丈夫や。立てる。
 確認した熊太郎は傍らに割木が転がっているのもまた確認、いますぐ行動を起こせば自分はこの割木を手にしていま少年の方をみて呆然としている百姓の頭をどつき回すことができる、と思った。
 そもそもこんなことになったのはこいつらのせいだ。自分が暴力を厭悪する意志を表明したときに少年への暴力を中断していればこんなことにはならなかった。ところがこいつらはそれをやめず、わずかな銭に拘泥、俺を賭場荒らしと邪推したのだ。俺はそんなんだったら俺は本当に賭場荒らしをしたろかと思ったのだ。それは俺の滅亡への指向性の賜物で、その前は俺も切れて頭のなかに酢醤油の瓶が走っていたけれども、そう思ったとき実は俺はもう冷静だった。ただ滅びてやろうと思ったのだ。あすこにある銭は大方三十円もあるのではないか。俺がこんなことを考えるのは自殺者が最後まで生への執着を捨てられないようなものなのか。五十円あれば俺の抱えているたいていの問題は解決するのだ。
  思うやいなや熊太郎は素早く立ちあがった。
 熊太郎は割木を手に取り、目の前にいた百姓の側頭部を横殴りにぶわんと殴り、さらに尻メドに膝蹴りを食らわした。百姓は無言で倒れた。
 無言で倒れた百姓は意識を失う直前、なんだか尻のあたりがぶわっと温かいな。こんな不条理な痛みのなかにこんな幸せな温かさがあるなんて不思議だな、と思った。しかし思っただけで言わないから誰も百姓がそう思ったことを知らない。
 少年に気を取られていた節ちゃんと合羽と客が一斉に振り向いた。
 熊太郎は割木を油断なく構えて全員を威嚇しつつ少年に向かって叫んだ。
「おい。俺がこいつらやってる間に早よ、銭とってまえ」
 言われた少年はここを先途と銭を浚う、正味の節ちゃんが気圧されて手を出せぬまま言った。
「おどれらやっぱ、正味、端から共謀やったんか」
「そういうことを言わんといてくれへんかなあ。すぐそういう共謀とか、一円がどうの五十銭がどうのとかぼさっとした口で言うのんやめといてや。それが俺の一番、気ィに障んね。頭に酢醤油の瓶が走りょんね。それが森の木ィに当たって粉々や。ほいで手エが血ィでべとべとなってよけ気色悪なりよるわ」
 自分でもこれでは伝わらぬだろうと思いながら暴力と同じく、始めた以上、途中でやめられなくなって話した熊太郎に向かって合羽の清やんが、「なに訳の分からんことぬかしとんね、こら」と怒鳴りつつ、殴りかかろうとしたのを正味の節ちゃんが止めた。
「清やん。正味、やめといた方がええかも知れんど」
「なんでやね、賭場荒らし黙ってかやすんかいな」
「いや。こいつ正味、なにしよるかわからんど。正味、わいらみな殺しよるかもしれんわ」
「なんでそう思うね」
「目ェ見てみい」
 言われてつくづく熊太郎の顔をのぞき込んだ清やんは背筋がぞうと寒くなるのを感じた。
「ほんまや。正気の目ェやあらいん」
 清やんが呟くのを聞いた熊太郎は、おっかしいなあ、自分は正気なんやけどなあ、と思いつつも、そうすれば相手は引き下がるのかと思うから知って目を剝いて口を半開きにし、兇悪な気ちがいみたいな顔をした。
「三人くらい殺ってきたみたいや」
 呟く清やんの足元に割り木で殴られた百姓が倒れていた。その脇には少年にアキレス腱を切られた盤台面の百姓が、「痛い、痛い」と泣いていた。その向こうには口のぼさっとした百姓が曲がった鼻を押さえてよらよらしていた。合羽自身も乾いた鼻血が口の回りにこびりついて、牡丹餅を盗み食いした河童みたいなことになっていた。正味の節ちゃんが言った。
「なあ、兄ちゃん」
「なんや」
「すまんけど、そこにある銭持って去んだってくれるか」
「言われんでも帰るわ、ぼけ」
「そこで相談やねんけどな」
「なんやね」
「銭みな持って去なれたらわいらかて明日から飯食われへん。せめて半分だけでも置いていってくれへんやろか」
 なんかしとんね。と熊太郎は思った。
 そもそもおまえらがせせこましいことを言って一円、二円に拘泥、或いはそのうえ子供の銭を取りあげて暴力を振るっている、その光景がみすぼらしくて見ているのが嫌だからこんなことになったのにこのうえまだそんな交渉をしてくる。それやったらさっきの続きやったろか、という気持ちになりそうなものだがそれは無理な話で、なぜ無理かと言うと先ほどまでは俺も昂奮して自分も滅亡する覚悟でいたからあんな割り木振り回すみたいなことをしたが、さっき正味の節ちゃんが、清やんに諦めて銭渡して去んでもらお、と言うのを聞いたくらいから俺のなかの緊張の糸が切れて垂れ下がってくにゃくにゃになって、いまさらもう一回、割り木を持って闘うなんてことをしたくない気持ちになっている。しかしそれを悟られてはまずいから一応、気がおかしい振りをしてるけどね。それにもっと言うと、こいつらは共謀だと思てるからそんなこと言うけど俺とあの子供は共謀ではないから、俺に半分置いていってくれとかいうても仕方ないのだけれども。あ、ということは俺はこれだけやって銭を貰えないのか。というのは後であの子供とけっこうマジで話し合わねばならんが、しかしあの子供は短刀を持っている。
 熊太郎がそんなことを考えていると、銭を浚え終えた子供が言った。
「兄さん、あんなこと吐かしとんで。どないしょ」
「兄さんちゅとるわ。やっぱ共謀か」
 と清やんが言うのを聞いて熊太郎は、それは違って、年上の男性のことをただ一般的に兄さんと呼称することもこの地方ではよくあるじゃないか、と反論したくなったがいまそんなことを言って議論が紛糾してまた闘いになるのだったらそこは無視したほうがよいと思ったのでそのことには敢えて言及せず、少年に直接言った。
「そこに銭、なんぼあんね」
「五十円からあるわ」
「そないあんのんか」と熊太郎は目を剝いた。
 熊太郎は素早く頭のなかで銭の計算をした。
 正味の節ちゃんは銭を半分置いていってくれと言った。五十円の半分なら二十五円である。まあ、二十五円あれば駒太郎に二十円払ってまだ五円あまる。しかし、それはこの少年の分け前をまったく考慮しなかった場合の話であって、実際上、銭を懐に入れたのは少年だし、短刀で盤台面の足首を切ったのも少年である。ということはやはり普通なら半分の十二円五十銭、年齢等勘案して十円、それをさらに値切っても最低八円は払わなければならぬだろう。となると二十円に二円足らぬ計算となる。
 頭のなかで銭勘定をした熊太郎は少年に言った。
「まあ、三円がとこ置いとったれや」
「そら正味、殺生や」と正味の節ちゃんが叫んだ。
「なにが殺生やね。おまえさっき明日、飯、食われへんちゅたやんけ。三円あったら飯くらいなんぼでも食えんがな」
「そらそやけども……」
「それやったらええがな。おい、去の」
 と声をかけられた少年は懐から三円の銭を摑みだし、「さ、くらいさらせ」と土足で踏み荒らされてぐしゃぐしゃになった盆茣蓙目がけて投げつけると、「いきまおか」と熊太郎に言った。
「邪魔したな。また来るで」
 明朗快活だけれどもやはりどこかしらおかしい。そんな印象を聞く者に残すように注意を払いつつ熊太郎は言って表に出た、少年も出た。
 もはや夕景であった。向こうから来る人の顔がみえない。熊太郎と少年は段々畑の間を上り下りする細道を連れ立って歩いた。
 振り返ると、五十円からあった場銭をみな浚われて納得がいかぬ節ちゃんと合羽の清やんらが見えかくれしつつかそこそ後をつけてきていた。
「おい。あいつらついてきょんが。うっとおしい奴らやで」
 熊太郎は吐き捨てるように言った。本当は気味悪くて仕方なく、大事ないやろか、と相談したかったのだけれども相手は子供で、その子供に頼りない兄ちゃんやと思われたくないので虚勢を張って吐き捨てるように言ったのだった。
 ふらふら後をつけてくる正味の節ちゃんらはしかし襲いかかってくるということはなかった。彼らは熊太郎と少年のことをなにをするか分からぬ不気味な半狂人だと思い込んで恐れていて、そうしてつけてくるのはただただ銭に対する執着、腹を減らした腑抜けが飯屋の前で指をくわえているような、なんらの実効性をともなわぬ行為だったからである。それが証拠に富田林の繁華なあたりまで来ると彼らの姿は見えなくなった。
 熊太郎は目の前の飯やの提灯を見たまま少年に聞いた。
「まだついてくるか」
「もうきてへんわ」
「あきらめよったんかいな」
「わいらが東井一家に言いに行くと思いよったんちゃうか」
 少年が言うのを聞いて熊太郎は急に肩が軽くなったような気がした。熊太郎は言った。
「おい。おまえ腹減れへんけ。ここの家でなんぞ食うていこか」
 少年はにっこり笑って頷いた。少年の顔が提灯に照らされて赤い。赤いわれ。
 と言って入った飲食店。特に贅沢な店ではなく、反った板壁に破れ襖、赤茶けた畳は毳立っているし、なんだか分からぬお婆ンが出てきて要領を得ぬことを言うから、話しあっても無駄だと熊太郎は判断し、思いつくままに飯と鮎の甘露煮と蕗をどうにかしたのと蛸を酢に無茶苦茶にしたものと豆に奇怪な細工を施したものに清酒を誂えた。
「待たされんのかなんさかい、早いことしてや」
 と言ったのがよかったのかどうなのか、暫くして運ばれてきた料理はどれも珍しいもの、上等のものではないのだけれども腹が空いていたうえに虎口を逃れて食事にありつける嬉しさからか、どれも無暗にうまそうに見えて熊太郎は少年に、「さ、早よ食おで」と促して箸を取ってはっとした。
 こうして料理を誂えたものの懐には一文の銭もなく、あてにできるのは少年の懐なのだけれども、少年とまだ金の分け方を決めていない。もしかしたら少年は全部、自分のものにする気かも知れない。となると俺は一文無しということになり、この年下の少年に、「すまんけど奢ってくれや、兄貴」と頼まなければならぬと言うことでそれは少しく格好悪い。かといって、ほほ。しょせん子供のこと、ちょっとその銭貸せ、と上からものを言って強奪すると正味の節ちゃんみたいな憂き目にあうかも知れない。
 熊太郎は嘆息して少年の方を見た。
 少年は黙って料理の皿を見つめていたがやがて居ずまいを正すと、熊太郎の方に向き直ると、「おおきにありがとさんでした」と畏まって言いぎこちなく頭を下げた。熊太郎はその様をぼんやり眺めていたがなぜ礼を言われるのか分からない。「いやあ」と言ってくにゃくにゃしていたら、少年は、「今日ほどうれしかったことなかってん」と言って照れくさそうに俯き、これにいたって熊太郎は漸く、なぜ少年が礼を言っているのかを悟った。
 すなわち少年は、正味の節ちゃんらに銭を取りあげられ袋だたきにされている少年を熊太郎が純粋の善意から助けたと思って礼を言っている、と熊太郎は悟ったのだった。
 しかし熊太郎は後ろめたい。なぜならば熊太郎は純粋の善意から少年を救ったのではなく、最初のうちは自分が見ているのが不愉快だったから、やめとけや、と軽く言っただけだし、つまり熊太郎は自身の自我を守ろうとしただけであって、少年を救おうとしたわけではない。
 次に熊太郎が百姓を殴ったのは百姓のエルボーが熊太郎の顔面に入ったのに逆上してのことだし、最終的に暴れたのは熊太郎自身のなかにある滅亡への意志、すなわち明治五年の夏、人知れぬ岩室で葛木ドールという奇怪な男を図らずも殺してしまい、そのうえ宝玉二顆を偸んでしまって以来、なにをしてもつきまとう、いずれ捕縛されて処罰されるのではないかという恐怖に耐えかね、いっそひと思いに殺されて、すべてにカタをつけてしまいたいと願う意志によってである。
 さらに最終的に正味の節ちゃんが熊太郎のことを曲解して、「どうぞ銭を持って去んでください」と言って以降は、具体的に銭の計算をしていたようなありさまで、つまり熊太郎は終始一貫、利己的な動機によって行動したのであって、少年の身を思いやったことはただの一度もないのである。にもかかわらず、少年は、熊太郎に恩義を感じ丁重に礼を言っているのである、熊太郎は後ろめたくてならなかったが恩義を感じさせておけば銭を分けるときに有利に働くかもしれないと考え、本当のことを言わず余裕をかまして、
「まあ、とにかく飯、食おや」と少年に食事を勧め、自らも箸をとった。
 飯はうまかった。熊太郎は無言で酒を飲み、飯を食べた。少年も腹が減っていたらしくものも言わないで食べ終えた。
 熊太郎は銚子に僅かに残った酒を盃に注ぎ、これを飲み干したうえで少年に尋ねた。
「ほんでおまえ名ァはなんちゅうね」
「谷弥五郎ちゅうね」
「ふーん。われ谷弥五郎か」
「そや。谷弥五郎や」
「ほで、どっからきたんや」
「どっからちゅてもね、それがなかなか言いにくいね」
「なんで言いにくいね」
「それはつまりね……」
 と谷弥五郎が口ごもったのはつまり自分は幼少時から各地を転々としていたため、どこの人間とは一口に言えないということであった。といって親が転勤族という訳ではなく、というか物心ついたときには父母がなく、三つ下の妹とともに、あっちの親類、こっちの親戚に預けられ十二の年に農奴に売られたが過酷な労働に耐えかねて逃亡、いまは野宿生活をしており決まったところはない、と弥五郎は説明したのであった。
「なるほどなあ」と熊太郎は言いつつ、酒をもう一本頼もうかどうしようか考え、弥五郎の懐のあたりを二秒くらい見つめてそれから、
「姐さん。ちょっとお酒持ってきてくれるかなあ」と優男みたいな口調で頼んだ。
「おまえはなんかいらんか」
「飯、もらうわ」
「後、飯な、飯」と今度はぞんざいな口調で注文し、弥五郎に向きなおって言った。
「ほで、子供のおまえがなんでまた博奕しよう思たんや」
「そら決まってるやん。博奕で銭儲けよ思たんやんか」
「あほ、ぬかせ。博奕ちゅうのは儲かれへんで。損するばっかっしゃ」
「ひとつ聞いてええか」
「なんやね」
「ほた、なんでおまはんら大人は博奕すんね」
「そらおまえ……、儲けよ思てすんねやんけ」
「ほな一緒やんけ」
「あほんだら。子供と一緒にすな」
「しゃあけど、今日は嬉しかったわ」
「なにが嬉しかってん」
「わいらみたものどつき回されておっきなってきたやろ。滓みたいにいわれてきたやろ。今日みたいに助けてもろたん初めてや」
「さよか」
 まったく利己的な動機に基づいて行動したのにもかかわらず感謝されて気まずい熊太郎は、くっしゃみをして言った。
「へっくしょい。なんや寒いな。おまえ、もう飯、ええんか」
「食てまうわ」
「そうせえや。わしもこれ飲んでまうわ」
 二人は黙って酒を飲み、飯を食べた。
 だとすればもはやここにいる理由はなく、さようなら、と手を振って別れればよいのだけれども熊太郎がそうしないのはすなわち弥五郎の懐の銭である。
 あれはいったいどうなるのか。或いは弥五郎は、銭を分けないで全部持って帰るつもりか。それはひどい。賭場荒らしをするにあたっては俺も一応、働いた。にもかかわらず銭はなしか。それはちょっとあまりにも。
 と考えた熊太郎だったが、しかし善意の人と思われているので、直截に、銭を分けんのんがあたりまえと違うのか、とは言いにくく、そこで周辺からじわじわ話をしようと、「ところで、なんで子供のくせに博奕してまで銭儲けしょうおもてん?」と尋ねた。
 尋ねられた弥五郎は最初のうちは、「そら、銭は誰かて欲しもんや」などとぐずぐず言っていたが、やがて意を決したように言った。
「わたいの妹が奉公ィ行てん」
「われの妹ちゅたら、年ゃなんぼや」
「十一ゃ」
「ほん」
「その妹が兄やん奉公は辛いさかいにやめさいてくれちゅいよんにゃ。しゃあけどそれまでわいらがいてた親戚の家の治兵衛ちゅうおっさんが給金を前借りしとるさかいにやめられへんにゃんけ」
「なるほどわかった。つまりおまえは妹の前借りを払たろうとこないおもて博奕場に行たんちゅうこっちゃな」
「そういうこっちゃ。しゃあけどお陰で銭がでけた。おおきにな、兄さん」と弥五郎はまた頭を下げた。
 年端もいかぬ少年が妹のために銭を拵えようとする。蓋し美談である。
 しかし、熊太郎は困惑した。なまじ義俠の人と思われたがために、ビジネスライクな銭の話をしにくくなっていたところへさして、弥五郎の身の上、さらには幼い妹のために身を賭して銭を拵えようとしていた、ということを知ったいま、ますます銭を分けようとは切りだしにくい。
 そこで熊太郎は腹をくくった。
 すっぱり銭を諦めたのである。分け前を諦めて急にさばさばした熊太郎は、ここに、この場所にいること自体が面倒くさくなったような心持ちがして、とってつけたように「ほんなら、行こか」と言うと店のお婆ンを呼び訊ねた。
「なんぼや」
「五十銭でふ」
 やる気なさそうに言うお婆ンをじろっと睨んで熊太郎は言った。
「五十銭? ちゃっ。高いのお。まあ、ええわ。俺はなあ、水分の百姓で城戸熊太郎ちうもんや。いま持ち合わせがないさかい、明日、とんにきてくれ、ええか。水分の城戸や。なんや頼んないお婆ンやな。わかってるか、水分の城戸やで、キ・ドて言うてみ? ほれ」
「あのう……」
「なんやね。まだ覚えられへんの。水分の城戸や」
「いや、そうやなく……」
「そうやなくちゅたかて俺は城戸やね」
「いやちゃいまんがな兄ちゃん」
「なにがちゃうねん」
「うちゃ貸売あきまへんね。どうぞ現銀でお願いしまふ」
「それ先吐かさんかい」熊太郎は怒ったがしかし銭がない。
「そこをなんとか」
「そりゃ困る」
 言い争いをしているところへさして弥五郎が割って入った
「あのお、なんやったらわいが払とこか?」
「あかんあかん。年下のわれに払わすわけにはいかん。それにその銭は大事な妹の身代金やろ」
 と一応言ったのは熊太郎の見栄、しかし弥五郎は熊太郎の予想通り、
「五十銭やそこら大事ないよ」と言うと懐から銭を摑みだし、
「お婆ン、ここ置くで」と言って立ちあがった。
「弥五やん、すまんなあ」
「かめへん、かめへん」
 まるであべこべだ、と思いながら弥五郎に続いて表へ出ようとした熊太郎にお婆ンが言った。
「あんた猪の実いらんか」
「猪の実てなんや」
「猪の肉や。温もるで。うちの親戚が今日山で獲ってきた肉やよってに新しよ」
「毒性なお婆ンやで、まだ商いさらっしよる。いらんいらん」と断る熊太郎の横手から弥五郎が、「なんぼやね」と聞いた。
「なんぼほどいんね」
「十匁もあったらええよ」
「ほな十銭ももろとこか」
「そりゃ高い。やめとけやめとけ。そんなもん買おてどないすんね」
「知り合いとこに土産でもっていくね。おい、お婆ン、五匁ずつに分けて竹の皮に包んでんか。あ、おおきに。さ。兄さん、これ持って去んで」
 そう言って弥五郎は熊太郎に包みを渡した。
「え、これわしに? えらいすまんなあ」と礼を言いながら熊太郎は、ますます兄弟の順が逆だと思った。しかし、そのことによって弥五郎の熊太郎への感謝の念が薄らいだということはないらしく弥五郎は店の表に出ると、「城戸はん。今日はほんまにおおきありがとう」と頭を下げた。
 熊太郎は弥五郎が自分の名前を知っているのに一瞬、驚いたが、すぐに気がついて、
「そうか。さっきお婆ンにいうてたもんな」と薄く笑い、それから知り合いの家に行くという弥五郎と別れ、富田林街道を水分に向かった。
 なんとなく寂しいような気分だった。
「へっくしょい」熊太郎は、またくっしゃみをして、「おお、寒」と言うと背を丸めてせかせか歩きだして、自分が暗い気分であるのに気がついた。
 弥五郎といるときは気が張っていたというか、賭場荒らしの後の昂奮、さらには銭の分け前のことやなんかで精神が激動していたので暗い気分になっている暇がなかったが、弥五郎と別れて一人になった途端、富田林で一銭も工面でけなかったという事実が熊太郎にのしかかってきたのである。
 熊太郎は、俺は富田林でけっこう活躍したと思った。
 怪しまれながらも玉を売った。それを元手に博奕をして、二十一円儲けてすぐに全部負けた。谷弥五郎という少年を結果的に庇うようなことになり、正味の節ちゃんらと対立して最終的には賭場荒らしみたいなことになって谷弥五郎が五十円からの銭を浚えた。しかし俺は虚栄心のためにそれを分けてくれとは言えなかった。ということはあれだけいろいろ活躍したのにもかかわらず俺が得たのは無だ。
 そう思って熊太郎は情けなかった。
 ときおり人家が点在し、軒先から明かりが洩れていたが、右は藪で斜面をなし、左は真っ暗な畑でそのさきに別井の集落があるはずであったが、人家は闇に溶けこんでその姿形が判然としなかった。
 神山、森屋まで行かぬと街道沿いに集落はない。
 月に照らされて青暗い街道を歩きつつ熊太郎は後悔した。
 あの時点で博奕をやめてしゅっと帰っていたら今頃はなんの問題もない、二十円を抱いて温い布団で眠っていたのだ。それを勝負師の磊塊みたいな怪ッ態なことを言って儲けた銭をみななくした。或いは、妙な見栄を張らずに、谷弥五郎に、おまえには妹があるかもしらんが俺は俺でようじょこの手伝で失敗して弁償わんなん銭があるから半分よこせと言って二十五円とか貰って、飯代もそっから斬り合い、割り勘定にするなどすれば、それはそれで問題がなかった。もっというと見栄どころか本能を丸だしにして谷弥五郎をどつきまわすか騙すかして五十円まるまる自分のものにしてもよかったのだ。ところが妙な見栄を張ってええ恰好するからこんなことになった。俺は今後の人生においてもう二度と、見栄を張ったりええ恰好をしたりするのはやめる。博奕も全部、勝ち逃げでいったる。というのはええけど、いったい俺はどうするわけ? 駒太郎の二十円どうするわけ? どうにもならないじゃないの。って俺なに東京弁しゃべっとんね。俺、だれ? なんかぞわぞわするなあ。
 そんなことを考えつつ歩いていた熊太郎はまたくっしゃみをして、「おお、寒。おお寒」と呟いて暗い。
 そら熊太郎も初めは働こうと思った。
 よし。もうこれで自分が人殺しとして捕縛される可能性はかなり減ったのである、遅ればせながらまともな百姓としてやっていこうと思った。
「お父っつあん、わしは明日から博奕はやめて精だして働くで」と熊太郎は平次に宣言した。
 しかし平次は喜ばない。熊太郎には何度も煮え湯を飲まされているからである。
 そんなこと言うて今度はどんな悪さをたくらんどんね。平次は疑わしそうに目を細めて熊太郎の様子を窺った。そんな平次をみて、熊太郎は気を腐らせた。せっかく人が真面目になろうと思っているのにその態度はなんだと思った。
 以前の熊太郎であれば、そっちがそういう態度なんだったらこっちだってもう真面目になるのはやめる、かなんかいって酒を飲みにいくか博奕場へ行くかしただろう。
 しかし熊太郎は変わった。気を腐らせながらも、ここで挫けたらこれまでと変わらないと自分に言い聞かせ、「わしはもう寝る」と言って寝間へ下がった。
 翌日。誰よりも早く起きた熊太郎は土間にあった鍬をかたげて自家の田に向かった。
 四月であった。
 田に水を入れる前にこれを耕さなければならない。熊太郎は、くほほ、まずそれをやってこましたろう、と思った。
 熊太郎は田の真ん中に立ち、鍬に寄り掛かって容子をしつつ田全体を見渡した。容子をするとは外見を気にして気取る、取り繕うという意味である。誰も見てないのに田で容子をしている。
 阿呆である。
 田はいわゆるところの棚田であった。熊太郎は田を見渡してせせら笑った。
 くほほ。なんたらせせこましい田圃だろうか。人間というのはこんなわずかな土地に田を作って生活をしている。いじらしいというか、微笑ましいというか、まあしかしそれが営みというものなのだろう。くほほ。ほんの一回りじゃないか。よし、こんなもの俺ひとりで耕してやるよ。父や村の者らは二言目には、農作業、農作業と言うが、なんだこんなもの。夜を徹して丁半の目を読むほうがよほど神経だ。労れる。楽勝とはこのことだ。くほほ。
 熊太郎はそう言って笑うと、いきなり鍬を振り上げて、がすっ、田に打ち込んだ。鍬は一寸かそこら土にめりこんだ。熊太郎は、ぐいと力をいれてこれを手前に引いた。土が隆起したかと思ったら、ばらばら、手前にこぼれた。
 ほら耕った。けど、たがやった、というのは妙やね。耕された。誰が? 田が。田が。田が俺によって耕された。なんか妙やね。通常の百姓はこういう場合、なんていうのだろうか。田が耕すことができた? これもおかしい。
 鍬をうち入れた熊太郎はそんなどうでもよいことを考え、そして再び鍬を振りあげ振りおろした。
 くほほ。また、耕った。ウウム。どうしても耕ったというのが俺のなかから出てくる自然な表現なのだけれども、これはやはり言葉としてはおかしいよ、と熊太郎がいちいちそんなことを考えるのは、たった二回鍬を振りおろしただけで田を耕すのが嫌になったからで、しかし正面から嫌だと思うとマジでできなくなるのでなんとか別のことを考えてごまかそうとしたからである。
 正直なところでは熊太郎は、うわっ、面倒くさ。と思った。
 熊太郎の鍬が掘り返した土はわずか一寸かそこらである。しかしちゃんとした水田にしようと思ったら五寸は掘り返さなければならない。熊太郎は、そんなことをしたら疲れてしまうではないか、と思った。
 そんなものはあたりまえの話で疲れない農作業などない。熊太郎は、ここだ、と思った。
 ここが我慢のしどころであって、ここでちゃんとすれば、ちゃんとした人間になることができる。耕る。疲れるのを我慢して鍬を振りあげ鍬を振りおろす。地面を掘り起こす。それが肝要だ。
 そう考えた熊太郎は、それからしばらくの間、もくもくと、耕るという言葉が正しいかどうかについてもあまり考えないで、鍬を振りあげ降りおろし続けた。
 しかしなかなか前に進まない。なぜならば人力で五寸耕すのはけっこう大変だし、まして鈍くさい熊太郎がふわふわ土の表面をひっ掻いたところで、そう簡単には「耕ら」なかったからである。
 熊太郎はなぜこうも、耕らない、のだろう。と思いながら鍬をふるったが、そもそもそこが熊太郎の駄目なところであって、つまり耕すというのは他動詞である。熊太郎が田を耕す。これが正しい表現である。ところが熊太郎は先ほどから、耕った、耕った、と自動詞的な表現をしている。もちろんこれは無意識裡にやっていることでだからこそ熊太郎本人も、なんか妙だな、と思ってこれにひっかかっている振りをして目の前の労働の辛さから目を背けようとしたのだけれども、これは無意識裡に、田というものは本来はひとりでに、耕る、ものであって、我々はそのお手伝いをするだけだ、といった甘えたことを考えているからである。
 この、耕った、という言葉は労働に対する熊太郎のこれまでの生涯が形づくった思想の全力の抵抗だったのである。
 そんな思想の抵抗、言葉の圧力をはね除けるように熊太郎は鍬をふるった。
 鍬をふるう速力が次第に上がっていった。
 熊太郎は人間じゃない、まるでロボットのような速さで鍬を振り上げ振りおろし、畑をぐんぐん進んでいった。しかし悲しいかな、鍬をふるう速力があがればあがるほど、労働の本来の意味、目的が失われていった。早くなるにつれ熊太郎の鍬の先は田の、ほんの表面を申し訳程度に掘り起こすだけになって、実質、なにも耕されていなかったのである。
 もちろん熊太郎もそのことに気づいていなかったわけではない。熊太郎はそれを知りながら、というか、それを知れば知るほど内心の鬱屈、思想の抵抗が高まり、それに、もう一度、身体の側の抵抗を試みるために鍬をふるう速力を上げていったからである。そうするとますます田は耕らない。
 しまいには熊太郎はただ無意味に鍬を振り回しながら早朝の田のなかをものすごい速力で移動しているという抽象的な行為をしている人のようになってしまった。
 悲しい奴である。
 速力が人間の限界に達して熊太郎は鍬を投げだし昏倒した。
 土の匂いと水の気配がした。朝の空気が爽やかであった。
 空が青く、その青が無窮って感じで広かったり深かったりした。
 熊太郎はそんな空や自然の広がり連なりを見ているのがせつなく顔を横に向けた。熊太郎は田の表面を間近に見た。
 ねらねらに練られた黒い土の表面に申し訳のような鍬の痕跡があった。地面の下にいたのが掘り返されて出てきたのであろうか、黄みがかって白い、ごく小さな虫が土の上をよたよた這っていた。これにいたって熊太郎は勃然と悟った。
 俺は間違っていた。なにが、耕る、だ。なにを甘えたことを言っているのだ。そんなことだから俺は駄目だというのだ。田というものは俺が、この城戸熊太郎が耕さぬ限りひとりでに耕ることはない。そうだ。俺は田を耕さねばならぬのだ。それも貴人の鍬入れ式のように形だけ鍬を土に当てるのではなく、確実に五寸だったら五寸と決めてこれを耕す。そんなことを俺はしなければならなかったのだ。時間がかかったっていいじゃないか。ゆっくりと確実にやればよいのだ。
 熊太郎は再び立ちあがった。熊太郎は今度はゆっくりと確実に鍬を入れ始めた。
 したところ、さっきはまったく耕らなかった田が、ゆっくりとではあるが確実に耕されていく。
 熊太郎は、これだよ、と思った。
 この感じで確実に耕していくことが重要なのだ。それが真に田を耕すということなのだ。俺はいま初めて真に田を耕すということを知ったような気がするよ、って誰に言うてんねん?
 ゆっくりと田が耕っていく。しかしその速度はあまりにもゆっくりで、五分ばかり田を耕していた熊太郎はふと鍬をふるう手を止めて立ち止まった。こんなペースで耕していて、いったいいつになったらすべての田が耕るのか、という疑念を抱いたのである。
 熊太郎はいま自分が耕した地面とこれから耕さなければならない地面を見比べた。
 耕した部分はほんの僅かでこれから耕さなければならない部分は広大であった。しかも耕した部分というのも、最初のうちこそ深く耕っているものの、その先はむらがあって浅かったり深かったりして実に不細工な耕り方をしていた。
 あこはもっかいやり直しやな。そう思ったとき熊太郎は自分のなかからなにかがしゅぼんと抜けていくのを感じ、それから腰とそれから二の腕のあたりに強い痛みを感じた。
 熊太郎は鍬を地面に置き、腰に手を当てそれから二の腕をさすった。そして再び鍬を持ちこれにもたれ掛かって立つと、「しかし、百姓というのは偉いもんや」とまるで自分が百姓ではないような調子で独り言を言った。熊太郎は思った。
 こうして田を耕すということがしんどいことであるというのは俺も予測していた。そのしんどさというのはまあ予測をうわまわってしんどかった訳だけれども、それでもしんどいという基準の延長線上にあるのには違いない。ところが俺はいままったく予想しなかった問題に直面して驚いている。その問題はなにかというと、田を耕すということが、まったくなんにもちっともおもしろくない、という問題だ。いや、そら俺だって百姓がおもしろずくで田を耕しているとは思っていなかった。しかしそれはそれ、人間の営みでやったらやっただけのやり甲斐を、ざくっ、鍬を振りおろすたびに感じるくらいのことはあるかなと思っていたのだ。労働に対する神様からの御褒美として。ところがそんなものは微塵もなく、ただただつらいだけで、それどころか自分の未熟な仕事ぶりをまざまざと見せつけられて嫌な気持ちになる始末だ。これが百姓仕事なら、こんなことを苦もなくやっている百姓というのは凄い奴らだ。
 百姓というのは偉いもの、と述懐する熊太郎の意識はもはや自分は百姓ではない地点まで後退していた。なんで後退したかというと深刻に悩みたくないからで、百姓が田を耕せないということはギタリストがギターを弾けないのと同じで、本来であれば大問題である。
 しかし、ギタリストが津軽三味線を弾けないのは大した問題ではない。
 熊太郎はギタリストが試みに太棹を弾いてみたが思うように弾けず、「いっやー、三味線というのは難しいものですなあ」と明るく言っているような調子で、「いっやー、百姓仕事とは難しいものですなあ」と言ったのである。
 あかんではないか。そもそも熊太郎はちゃんとしようとしていたのではなかったのか。その決意は嘘だったのかというとそれは嘘ではなかった。だから熊太郎は朝早くに起きて鍬を担いで田にやってきたのである。しかし、計算外だったのは、ちゃんとなった状態になるまでの時間である。
 熊太郎は自分さえちゃんとすればすべてちゃんとなると思っていた。自分がちゃんとすれば田などすぐ耕ると思っていた。ところが田はちゃんと耕らなかった。
 そんなものはあたりまえの話でいくら自分が主観的にちゃんとしても、一定の力を加えないと田は耕せないし、また、どんな小さな田でもこれを耕すには一定の時間がかかる。しかし熊太郎はこの力にも時間にも耐えられない。特に時間に関しては致命的で、熊太郎は自分がちゃんとなった以上、田にもただちにちゃんとなってほしかった。これが無理な相談なのは「耕る」という言葉が誤りであることと分かった段階で明白なのだけれどもそのことを知ってなお、熊太郎は堪え性がなかった。
 そんな風に堪え性がないのは熊太郎が甘やかされて育ったからであるが、熊太郎が博奕場に入りびたっていたことも深く関係していた。
 田などというものは耕すばかりでなく、その他にもなにくれとなく手間をかけた上で結果が出るのは早くて半年後だし、土壌のことなどを考えれば一年以上の時間を費やさねばならない。そこで初めてちゃんとしたかどうかが判明するのである。しかるに博奕においては、壺振りが賽子を壺に抛りこみ、くるくるして伏せ、中盆が、「勝負」と声をかけて壺を開ける数十秒の間に結果が出る。そしてたとえ負けても賭け金をとられるだけで博奕場においてそんなものは快、不快をあらわす抽象に過ぎないから人間の根本の部分は少しも痛まない。
 そんな時間の感覚のなかにいた熊太郎が農業の時間になかなか馴染めないのは当然であった。
 こういう堪え性のない人というのは時折あって、「自分はロック・スターになりたいのです」と真顔で言うから、「では、どれくらい歌えるのか歌ってみたまえ」と言うと照れもせず、ギターをかき鳴らして歌いだす度胸というものは大したものなのだけれども肝心の歌が破壊されていて、猿が憤激しておがっているようにしか聞こえない。では伴奏のギターはどうかというと一応、弾いているような恰好はしているものの、音楽にもなににもなっておらず、演奏を終えて鼻を膨らませているのに、「ロック・スターもよいが、それだったらいま少し修業を積んでからなったらどうだ」とアドバイスすると、彼は、「いや。そうではなく自分はいまの自分の状態のままでロック・スターになりたいのです。修業なんて悠長なことはやってられません」と傲然と言い放つ。
 熊太郎はそこまで羞恥心の欠如した男ではなかったが、地道な時間に耐えられず結論を急ぐという点では同じであった。駄目なら駄目でよいからいま決めてください。というやつである。
 熊太郎は半笑いで、「いっやー、すごいね。耕しは」とかなんとか言いながら、またぞろ鍬をふるったが身体が鉛のように重く腕にちっとも力が入らず、浅く地面にささった鍬をようよう引き抜いたら、もう鍬を振り上げる気力がない。
 頭では、こんなことでは駄目だ。最低でも半分、それが無理ならせめて三分の一でも耕して帰らないと。と思うのだけれども、どうにも身体が動かず、「ちゃんとしょうと思てんやけどなあ」と呟いたところへ、後から、「おいっ」と声をかけられ熊太郎は飛び上がるほどに驚いた。
「ああ、びっくりした。ああ、びっくりした。心臓がぎゅんとなったわ」
 鳩尾の辺りを押さえて言う熊太郎に、「なにをそないびっくりしてんね」と笑ったのは番太である。むかし熊太郎に腕殴をされ、配下のようにつき随っていた番太もいまでは一人前の百姓のおっさんであった。
「不意に後から、おい、ちゅうわれたら誰かてびっくりするわ」
「そらすまんことしたけど、それはそうと熊やん、こんな朝、早よからなにしてんねん」
 訊ねられて熊太郎は野良仕事をしているとは答えなかった。かつて使い走りのように扱っていた番太に、「いやあ、遅ればせながら百姓仕事始めましてん」と言って先輩面されたり、初心者扱いされたりするのが嫌だったからである。熊太郎は咄嗟に適当な嘘を考えた。
「訳言わな分からんね。昨日の晩な酔うてここら歩いとったんや。ほで、おまえ家帰って朝起きて煙草吸うたろ思うたらな、煙草の雁首あらへんが。んなもんどこでなくなりょんやろ、おもて考えたら、ちょうどここら通ったときな煙管振り回したんや。あんときに飛びよったんやなあ、おもたからな鍬持ってきて探しとんね」
「そうやろ、そうやろ。わしもおまえが朝はよから鍬持って田ァにおるから、まさか熊やんが朝から野良仕事しとるはずないおもっとったんやけどやっぱそうか」
「あたりまえやんけ。わいがこない早よから野良仕事なんかするはずないやんけ」
「そらそやな、はっはっはっ」
「あたりまえやんけ、はっはっはっ」
 と二人は楽しく笑ったが熊太郎は実はちっとも楽しくなかった。
 以前の熊太郎であれば、野良仕事なんか阿呆らしい、と傲然としていたから心から笑えた。
 毎日、汗水流して働いている番太らを芸のない奴ら、色気のない奴らと軽侮していたし、その気になれば自分はそんなことは安々とできるのだ、と思っていたからである。しかも以前はそうして毎日働いている番太たちは熊太郎を羨ましいと思っているに違いないと思っていたし優越感を感じていた。ところが熊太郎はそれらがすべて逆であったことを知ったのである。
 俺は田を耕す能力がない。真剣にやろうと思ってもできない。優越感を感じていた番太らは実は逆に熊太郎を軽侮していて、むしろ気の毒な奴だと思っている。俺は馬鹿にされていたのかっ。くち惜しいわいっ。もっと早い時期にちゃんとしようと決意しておけばよかった。しかし葛木ドール殺しのこともあってそれもできなかった。ほんたうにくち惜しいわいっ。
 熊太郎は心のなかで血の涙を流した。
 しかし外見上はそんな素振りも見せずに笑っていた。
「ははははは」
 虚しい笑いであった。
「ははははは」
 熊太郎につられて笑っていた番太が、ふと笑いやんでいった。
「……けどおかしいな」
「なんやいな」
「そんな夜中になんで煙管振り回しててん? それもこんな田圃の根際で」
 聞かれて熊太郎、「そ、それは」と言葉に詰まったが、「そらおまえ、踊りの稽古しとったんやんけ」と苦しまぎれに答えた。
 番太はまた、「ばはは」と笑い、「熊やん、そらおまえらしいわ」と言いなお笑った。
 夜中に田圃で踊りの稽古するのがおまえらしいと笑われて熊太郎は傷ついた。
 おまえのような男に俺の気持ちが分かったまるか、ど阿呆、と思った。
 しかし自分から言いだしたことでなにも言えない。熊太郎は暗く低い声で、「まあな」と答えた。
 かくして熊太郎は百姓仕事に挫折した。
 爾来、挫折しっぱなしだったかというと、そんなことはなく、こんなことではいけないと猛省、今度こそ心を入れ替え、酒と賭博を断って精だして働こうと誓うことが何度かあった。
 誓うのはたいてい深夜深更であった。
 なんだかわからないかそこそいう音や風の音、遠吠えする犬の声などが耳について眠れない冬の夜。家人の寝返る音や溜息のような寝息にその暑苦しい寝姿が想像せられ、いくら目を閉じていても眠れない夏の夜。或いはあらゆるものが冬に向かって滅びていく気配が寂しい秋の夜長。
 熊太郎は自分というものがこの先どこに行くのか。上も下も右も左もない真っ暗な無明をどこに行くのかも分からぬまま、ただひとりで歩いているような不安にかられ、がばと飛び起きると土間に裸足で降りたってがぶがぶ水を飲み、今度こそ。今度こそ真面目になろう、と誓うのであった。
 そのまままんじりともしない熊太郎は明るくなるのを待ちかねて田に畑に赴き、農作業を行い、さすがにちょっとやって、楽しくない、などといって投げだすことはなく、一心にこれに取組み、翌日も、またその翌日も朝早くから田に畑に精勤するというのは感心であった。
 しかしこれがひと月経たぬうちに熊太郎は田に行くのが嫌になった。
 なぜか。それは絶望的な彼我の差であった。
 熊太郎はこの十年、博奕と飲酒ばかりして暮らしてきたので百姓仕事のスキルがまるでない。ところがかつての遊び仲間である小出や番太や駒太郎はこの十年間、ずっと百姓をしてきたのであり、その間、着実にキャリアを積み上げていた。
 十年先に出発したものに一ヶ月で追いつくことはまずできない。
 まあそれも相手が止まっていればいずれは追いつくことができるかも知れない。しかし相手は相手で日々、先に進んでいるのであって、自分が相手と同じ速さで走ったとしても十年分の距離はそのままである。まして自分が相手より遅いとなればその距離は開く一方だ。
 作物がうまく生長せず、枯死したり腐ってしまった作物を抱えて茫然としている、愕然としている熊太郎を横目で見て、小出や駒太郎たちは車に山盛も作物を積んで、にやにや笑いながら通り過ぎていく。まあそんなものは、「ほおら、おまえとこうまいこといとんのお。どないしたらそんなうまいこといくんか教えてや」と、問えば済むことなのに、なにかと内向する熊太郎は、腹の奥から酸のような敗北感が沸き上がるのを感じ、少年の頃、ひとり独楽鬼ができずに泣いたときの感覚が甦るのを感じた。
 あのときもそうだった。俺はみなが易々とやっていることができない。なぜできないのか。それは俺のこの思弁癖が関係しているのかも知れないし、少年の頃から続いている直線的な物事の筋道に関する厭悪も関係しているだろう。それこそが、独楽鬼や百姓仕事といった、人が普通に易々とやっていることができない原因の一つなのかも知れん、と熊太郎は思った。
 女たちが語らいながら仕事をしているのをみて熊太郎は、ここだ、と思った。
 つまりここで、「ごきげんさん。ええお天気だんなあ」とか、「どうです? 洗いもんの具合は?」といった尋常の挨拶をするのはよろしくなく、駒太郎らがやっていたように、「おお」とか、「くほほ、なにしてん?」みたいな同じ若い者として気楽さ、気さくさ、そんな雰囲気で話しかければよい。そしてそれが難しいことかというとそんなことはなく、まあ、相手が知らない人であれば突然そんなことをいうのはどうも言いにくいし、言われた方も当惑するに違いない。しかし相手は娘とはいえ、近所の者で小さい時分から顔を知っている。家も名前も知っている。突然、「おお」と言っておかしいということはない。
 そう考えた熊太郎は娘たちが野菜を洗っているのをたまたま見かけ、なんの気なしにぶらぶらやってきたという体を装い、娘らに、「おお」と声をかけた。
 予定では、ここで娘らは、「げらげらげら」と笑うはずであった。ところが熊太郎が、「おお」と言った途端、それまで楽しげに語らっていた娘らがぴたりと話しやめ、離れたところからみても分かるくらいに身を固くして、絶対に熊太郎と目が合わぬよう、俯いて一心に大根を洗いはじめた。熊太郎は心のなかで、なんでやあ、と叫んだ。
 おお、と呼び掛けたのが、おい、と聞こえたのか。「おお」「おい」似てる。だとしたらまずい。おい、というのはなんか誰何してるみたいな、いかにも文句あるみたいな言い方で、そう聞こえたとしたら緊張するのも無理はない。
 そう思った熊太郎は今度は、もっと馴れ馴れしく、気楽に聞こえるように留意して、「なにしてん?」と訊ねた。
 逆効果だった。娘たちはますます身を固くし、なかには目を閉じて恐怖に耐えるような表情をしている娘もあった。
 熊太郎は悲しんだ。
 同年の村の青年である駒太郎や小出ならあんな楽しそうに笑って、あまつさえ夕方に牛滝堂でほたえる約束までしている。ところが俺が同じことを言うとこんな怪漢かだだけ者が暴れ込んできたみたいな顔をする。なぜだ。しかしこのままではおかしげな奴だと思われる。こないだの斜面につくもってずくずくになっていたときのこともある。考えてみればなにもない斜面のところにつくもってずぶ濡れで腹を押さえて黙りこくっている奴は気色が悪い。娘たちが怯えるのも無理はない。そういうことも含めて、おかしげな奴、という評価が定着するのはできればこれを避けたい。
 悲しみ、そして娘たちの態度を訝りつつもそう思った熊太郎は自分は怪しいものではない、ということを説明しようと、できるだけ気さくな感じになるように留意して娘たちに話しかけた。
「いまわしは、おい、っていうてへんで。おお、ちゅたんやで。おお。久しぶりやなあ、みたいなね、そんな挨拶。へてから、なにしてん? ちゅたんも咎めてんにゃあれへにゃで。それはごく、気軽な、なにげない人間としての興味でなにしてん? てたんねただっきゃで。ちゅうか、なにしてるも、かにしてるもだいこ洗ろてんにゃろ。そんなもん見たら分かるわいな。分かるけどや、一応、なにしてん? 聞くやん? ほんだら、だいこ洗てまんね、ちゅうやん? ほんだ、ほーん、ええだいこやね、みたいなことちゅてね、話になって話がこう、なんちゅうの繋がっていくやんかあ。そういう軽い気持ちでいうただけやねんで。ちゅうか言うやん? 言えへん? どこ行っきゃ、とか、なにしてまんねん、とか言うやんか」
 熊太郎はそんな風に事を分けて話をした。ところが娘たちはまだ身を固くしている。
 熊太郎は、あっ、と思った。
 娘たちのこの頑なな態度というのはこないだの斜面でのことが原因ではないかと思ったのである。であれば誤解を正さなければならない。熊太郎は慌てて言った。
「ちゅうか、もしかしてこないだの崖でわいがずくずくなっとたでて誰かちゅうてん聞いて気色悪なってんちゃん? ちゃうねん。まあずくずくにはなっとんてんけどな、あこ粘土みたいなっとってな、水ごっつ漏っとってな……」と、話しながら熊太郎はあるもどかしさを感じていた。このような話し方ではなにも伝わらないと思ったのである。
 しかしだからといって堅苦しい喋り方をすると娘たちは警戒して話を聞いてくれないし、それにもっと言うと熊太郎は自らの思弁を的確に表現する言語を持たず、相手が娘でなく、親や駒太郎たちであってもうまく話が伝わらない。熊太郎はそもそも不如意な手持ちの言葉をさらに崩した形で使う他なかった。熊太郎はそれでもなるべく伝わるように努力して話を続けた。
「しゃあけど、わし水、漏ってんの知らんかってんやんかあ、ほいでずくずくなってもてんけどな。しゃあけど、分かるよ。気持ち分かるよ。あんななんもないとこにつくもってるちゅうことそのものが、なんや気色悪いやんな、ちゃうね。腹痛やんか、腹痛。あこ通ってようじょこ場の方ィ降りて行く途中やってんけどな、急にぐわあ腹痛なってきょってなあ、うう、なってもて、ほてつくもっとったんやんかいさ。腹痛いやろ? もうなんちゅうの? 水が垂れてるとか、もうそんなん腹の痛さで分からんようなってもてな、ほんでずくずくなってもうててんやんかあ。え? なんで? なんで? なんで絶対こっちみんようにぎゅうなってんの? ちゃうやん。そやからいま言うたやん。わし、水、漏ってんのん全然、気ィつけへなんだんやんか。ほんでそれは腹痛やったからやねん。そんなことようあるやん。いっこのことじいっと考えとったら他のこと気ィつけへんことてあるやろ? ない? ある? ない?」と熊太郎は問うた。
 しかし娘たちは、いまや野菜を洗う手すらとめ、恐怖に身を竦ませていた。熊太郎の言っていることがただの一語も理解できなかったからである。
 娘たちは熊太郎から顔を背け、固く目を閉じていた。これにいたって熊太郎は弁解・弁疏すら不調に終わったことを知って焦ったが、焦れば焦るほど言葉は迷走した。
「ちゅうかわしを気ちがいやとおもてんの? それはちゃうで。あ。雀が天麩羅食べてるよ、って、あ、しまった。これは冗談のつもりで言うたんやけどね、いまこんなこと言うたらよけおかしいとおもわれるやんなあ。ちゃうで、冗談や。冗談を言えるゆうことは正気の証拠やとおもてゆうたんやけど、あかんかったわ。よけいおかしいとおもわれたっちゅうことをわかってるゆうことは正気やとおもわへん? おもわへん?」
 熊太郎は完全にド壺にはまっていた。

 熊太郎はがっくり疲れて農村地帯を歩いていた。
 農村地帯というのは生まれ育った水分であったが、いまや故郷は熊太郎にとって、よく知らない農村地帯であった。
 熊太郎はなんであんなことになってしまったのだろうかと後悔した。
 いくら気安く喋っても、娘らは怯えるばかりでそれをほぐそうとして言った冗談がさらに相手の警戒心を煽ることになったというか、はっきり言って気がおかしいと思われてしまい、それで余計焦って、最後はもう冗談にもなっていないというか、熊太郎は自分でも訳が分からない、
「蛇がにゅうめんを飲み込む様子というものが活写されてんね。田ア耕すとき、牛が猿を抱くようにやれなんちゅうけど嘘やで、丁目が出るか半目が出るかちっとも分からん状況で、わがの銭を全部、突っ込む。そんな気持ちでひと鍬、ひと鍬、精魂こめて田アにうちつけていく。それがわいら無職の野良よ。ああん。どうも口から蛇が出てきて空に昇ってくわ。その蛇がにゅうめんを。回る回るシャッポーが……」
 などと訳の分からぬ、奇妙な、さんざん堪えたあげく発語するたびに、ああもう駄目だと諦めてする失禁のような快感を伴う言葉を娘たちに浴びせかけたのだった。
 そんなことを言うから娘たちはますます気味悪い。
 最初のうちこそ気丈にも身を固くして堪えていたが、あまりの訳のわからなさに堪えきれなくなって泣きだした。娘が泣きだして、やっと正気に返った熊太郎は、
「すまん、すまん、ちゃうね。わいはそんなつもりはちょっとも……」となんとか泣き止まそうとしているところへ、近所のお婆ンがやってきて騒ぎだした。熊太郎は、
「お婆ン。ちゃうね、わいは別に、ちょっと声かけただけで……」と弁解したがお婆ンは聞かず、
「えらいこっちゃ。極道者の熊太郎が女子の子ォに転合してるで」と絶叫した。
 そこへ通り掛かったのは湧水場にいた玉という娘の父親で、源兵衛は一も二もない、
「おんどれ、なにさらしゃがった」と怒鳴るといきなり熊太郎につかみかかってくる、熊太郎は、「違う、違う」と言いながら畦道を走って逃げだしたのであった。
 逃げに逃げ、源兵衛が追ってこないのを確認した熊太郎は一息つき、そしてふらふら歩きだしたのであった。歩きながら熊太郎はなぜこんなことになるのかと考えていた。
 小出や駒太郎が話しかけると娘らは笑ってこれに答え、熊太郎が話しかけると身を固くしてしまいには泣きだす。俺と駒太郎のどこが違うのだ。それは確かに俺は蛇がにゅうめんを飲むとかそんなことを言った。しかし、それは最後の方で言っただけで、最初のうちは駒太郎らと同じく、おお、とか、どないや、調子は? みたいなことを言っただけで別に妙なことも言ってない。ということはどこが違うのか。顔か。確かに小出は涼やかな顔をしている。貴族的でもあるし大家の若旦那のようでもある。しかし本物の貴族や若旦那と並べてみれば間違いなく百姓だし、それに最近はおっさんになって、爽やかなおっさんという奇妙な感じになってきている。では、駒太郎はと言うと子供の時からじゃが芋のような顔だったのが、成長するにしたがってますます、じゃが芋っぽくごつごつしてきて、目は細いし、鼻は胡座をかいているし、いかにも田舎の青年という感じで女が好む顔ではない。竹田の倅は奈良の大仏を無教養にした上でさらに貧乏にしたような顔をしていたし、番太は踏み潰された牡丹餅のような顔をしていた。それに比して俺はどうなんだ。俺の顔は。
 と熊太郎は自らの容貌について考えた。熊太郎はそんなに不細工ではないはずだと思った。
 事実、熊太郎は、目が大きく、唇が厚く、若干、あくのある顔であったが、鄙にはまれな整った顔立ちをしていた。子供の頃は周囲の大人に、ええ顔や、と言われたし、少年時代は、年増のちょっと蓮っ葉な感じのする主婦や料理屋のようなところに出入りしている半玄人みたいな、一膳飯の土間で馬子に混じって焼酎を飲んでいるみたいな女に、「あんた、ええ顔してるなあ」と言われた。
 熊太郎は女にとってちょっと危険な頽廃、背徳の気配の漂う美男であったのである。
 容姿に劣る駒太郎らが歓迎され、自分が警戒される。というとやはり異なるのは言語だろうかと熊太郎は考えた。
 つまり子供の頃からの思弁癖。そしてその思弁を表現する言語を持たぬことが原因なのか。
「なにしてん?」「どこ行っきゃ?」駒太郎たちがそんな気楽な口調で喋っているのを聞き、同じように気楽な口調で訊ねた。にもかかわらず自分の場合だけ娘らが身を固くして返事をしないというのは、つまり駒太郎らの場合、思ったことをそのまま言っている。娘さんたちはなにをしているのだろうか。と思うから、「なにしてん?」どこに行くのだろうか、と思うから、「どこ行っきゃ?」思いと言葉がひとすじに繋がって真っ直ぐである。ところが俺は違う。まあ、子供のときに比べたら大分と言葉を覚えたが、それでも頭のなかでいろんな考えが渦巻いて、それが言葉をともなって口から出ていかないから、思いは不快に曲がりくねって、御所の蛇穴の蛇みたいなことになっている。そんな蛇の揚げ句、口だけ真似をして、「なにしてん?」とか、「どこ行っきゃ?」とか言っても、娘たちはそうしてちょっと聞いただけでは無邪気に聞こえる言葉も、駒太郎たちのそれと違って、思弁の毒にまみれていることを敏感にも察知しているのではないか。だからあんなに警戒する。だからといって俺が俺の思っているすべてのことを言おうと思ったら、「なにしてん?」みたいな短い言葉ではとうてい表せず、ものすごく長い話になって時間がかかるし、説明のための説明から話をしなければならないし、そうなったらそうなったで娘らは俺をますます気ちがいだと思う、というか、さっき思われた。そう。さっきだってそうなのだ。あまりにも娘たちが警戒しているものだからこそ俺はどういうつもりで話しかけたかという根本の土台について説明を始めたのだ。しかし、普通に考えれば、なぜ短い言葉で気さくに話しかけたかということを長い言葉で緊張して説明する奴はやはりおかしい奴なのだろう。それは喋っているうちに俺もわかった。だから焦った。焦って、自分の考えを言葉にしないでだだ洩れに洩らしてしまった。淀川の水飲んで腹だだ下り。警戒されて焦って思弁だだ洩れ。自分はきさくないい奴だと言おうと思っていたのに、ずぶ濡れで斜面に座りこんでいたのは急に腹痛が起こったからだと説明しようとしただけなのに、いつの間にか、いもしない雀が群がって天麩羅を盗み食いしているとか、蛇がにゅうめん飲み込むとか、口から大蛇が出て昇天するのだとかそんな空想的な戯言を洩らして余計に恐がらせてしまった。あげくの果てにお婆ンに騒がれ、いかついおっさんに石もて追われる。それも元はといえば俺の思弁癖が原因で、駒太郎らのように真っ直ぐな言葉が喋れないからだ。というのはでもどうだろうか。となると娘たちは俺が喋って初めてその言葉に思弁の毒が混入していることを知ったことになるが、あの娘らは俺が湧水場に近づいていった段階でもうすでに身を固くして絶対にこっちを見ないようにしていた。ということは俺の言葉が原因ではない。ということは後はなんなのだ。
 と考えて熊太郎は、「あっ」と声をあげた。
 顔が不細工だからでもない。言葉や思想がキショイからでもない。となると考えられるのは噂、と思ったからである。
 噂。評判。百姓仕事もろくにできないアホの酒飲みの博奕打ち。まあ、それはそうだ。しかしそれくらいのことは誰でもしているというか、こないだ鹿造は池田専太郎方で酒を飲み、飲みすぎて失神の揚げ句、小便を洩らした。アホの酒飲み極道である。ところが昨日、鳥居の根際で女と楽しそうに喋っていた。或いは博奕にしてもそうでまあ俺ほどではないにしても、そこらで小博奕する者はある。だから噂と言ってもその程度の噂ではなく、つまりはっきり言うと御所の蛇穴の近くの岩室で葛木ドールを殺した。俺は殺人者だ、という噂があのときあそこにいた、駒太郎、番太、鹿造、三之助のうちの誰かが娘らに言い触らしているということである。
 そう考えて熊太郎は戦慄した。
 確かにあの日以降、俺と駒太郎らの間にははっきりと溝ができた。葛木ドールに、「おまえら仲間か」と問われて、駒太郎が、「別に仲間と違います」と言ったとき、俺はがーんとなった。愕然とした。俺らは仲間じゃなかたのか、と思った。そしてあいつらが蛇穴の前で屯ってたとき俺は二度、衝撃を受けた。だってそうだろう、あいつらは俺は岩室に見捨てて逃げた。ところが蛇穴に落ちた鹿造は見捨てないで見守っていたのだ。つまり彼らが芯から利己的なのであれば鹿造も俺同様捨てて逃げただろう。ところがあんなに気色の悪い蛇穴だというのに鹿造についてはこれを見捨てず見守っていた。つまり俺はあいつらにとって鹿造以下の存在だったということで、くわあ。俺は鹿造以下なのか。と俺は思ったんだ、思ったんだ、思ったんだ。三回も思ってしまう。だからその後も、俺が百姓をしないで、遊んでいてもあいつらは当然のような顔をしてにやにや笑い、「熊やんは極道者やのお」とか言っていたのである。しかしもし自分らの仲間がそんなことをしていたら、真面目な顔をして、「そんな極道してたらあかんやんけ」とか言うて説教をしただろう。しかし俺には言わない。つまり俺はのっけからはみごで、つまり、俺はあの独楽鬼ができなかった段階ですでに予め村の餓鬼からはみごにされていたのだ。だから俺は大楠公流の奇知・奇略で一時的にあいつらを部下のように従えていたが、それが有効だったのはあの御所に行った日までであの日から俺はずっとはみごにされていたということなのである。それを知らぬものだから俺はあいつらにとりいろうとして、代わりにようじょこに行ってやって牛を川に落としてまた親に迷惑をかけたりした。でもあいつらは俺が窮地に陥っても別になんとも思わないし、牢屋にいれられても、おほほん、と笑って終わりで、近所の者だから庇うといったことはしない。というか、逆におもろがって、「ちょっと、ちょっと知ってる? あの熊やんおるやろ。そうそう、あのあほの極道。あいつ人殺ししとんねで」とか半笑いで言い触らして歩いているのだ。だから女は俺をみて異常に怯え、なにを言っても返事をせぬのだ。
 熊太郎はこのように考えて初めて得心したが、しばらくして、違うかな、と思った。しかしだとすればおかしいのはそうすっと岩室が暴かれて葛木ドールの死骸が出てこややんとあかぬのだけれどもそんな話はとんときかないし、ではあいつらが自分で御所に行って岩室を調べたかというとあいつらにそんな度胸があるわけもなく、またもし万が一、奴らがそうして死骸を見つけたとしたら小心な奴らが黙っていられるわけはなく、すぐに駐在所に駆け込んでいるはずだ。
 熊太郎はそんなことを考えて農村地帯に腕組みをして立ちつくしていた。
 せんど考えて熊太郎は、やはり駒太郎らが葛木ドールのことを知っているはずはないと結論した。
 どのように考えても遺跡発掘マニアの税所篤より先にきゃつらが葛木ドールを見つけるはずがないし、その税所篤は二月に辞任しているわけで、となるともはや、そんな御陵を暴くてなことをする奴はないから、だから俺が人殺しだという噂が村内に流れることもないし、これまで流れたこともないはずだ。
 熊太郎はそのように考えていちおう安心したが、しかし抑鬱的な気分が熊太郎の心に蟠った。
 このところ娘らとじゃらじゃらすることを熱望していた熊太郎は苦しく切ない思いであったが、その一方で浮き立つような気分でもあった。しかし、右の俺ははみごにされているのではないか、という考えによって熊太郎は実に厭な、抑鬱的な気分になるのであった。
 農村地帯が急速に暗くなっていった。
 そんな風にして踊るうちに、音頭取りがもう少しうまい兄弟子に交代し、櫓の周囲で踊る人も次第に増え、盆踊りは少しずつ熱を帯びてきた。
 月明かりと提灯の明かりぐらいしかないのであたりは暗い。その暗いなかに粗野で直接的な拍子、情感をあおる節、急きたてるような囃子が続いて、意識しなくても身体が自然に動く。とはいっても娘衆やそれ目当ての若い男たちはまだほとんど来ておらず、櫓の周囲で踊っているのは、お婆ンや熊太郎の母親ほどの年齢のおかみさん、後は飲酒をして赤い顔をしたおっさんといった連中ばかりで、熊太郎は、なかなかきょらひんな、と思いつつ踊っていた。
 熊太郎は娘らがなかなか来ないことも気になって半乗りみたいな状態で踊っていた熊太郎であるが、リズムというものはおもしろいもので人間をどこか別の次元に連れていく。
 踊るうちに熊太郎は全乗りになってきた。
 熊太郎自身も気がつかぬ間に動作が大きくなり、ヤレコラセェドッコイサ、ソラヨイトコサッサノソラヨイヤサ、囃す声も大きくなった。
 頭が痺れたようになり、熊太郎の身体と音楽のリズムがひとつになった。熊太郎はリズムに乗って踊っていたのだけれども、熊太郎には、自分が手足を動かすたびにリズムが変化するように思えた。或いは、身体とリズムが同時に律動しているように。
 というのは熊太郎の周囲で踊っているその他の人々も同様で、熊太郎の周囲ではおっさんが盛り上がり、お婆ンが狂乱していた。ひとりびとりが個として音楽に向かいあうのでなく、ひとりびとりが音楽そのもの、全体そのものになっていた。
「くわあ。ええ感じや」熊太郎はときおり唸った。
 ヤレコラセェドッコイサ、ソラヨイトコサッサノソラヨイヤサ、お婆ンのしわがれ声が響いた。
 こんなことをしているうちに女はみんな連れて行かれてしまう。しかし言葉が出てこない。そんなことを考えるうち、しゅらしゅらっ。しゅらしゅらっ。あちこちから黒い影が出てきて娘の脇で踊り出した。こうしてはいられない。焦った熊太郎はあることを思いついた。言葉がでてこないのであれば、踊りによって感情を表現すればよいのではないか、と考えたのである。
 子供の頃、近所のおっさんが番の十姉妹を飼っていた。ある日、熊太郎がおっさんの許可を得て十姉妹を眺めていると雄の十姉妹が突如として、訳の分からぬ歌を歌うと同時に、身体を左右に揺すぶったり、頭を上下させたりして踊りはじめた。真ァ隣に雌の十姉妹がいたが、平然としているというか、まん丸な、「あきれました。はっきりいって」みたいな目をして冷たく雄の十姉妹をうち眺めている。しかし雄の十姉妹はめげずに踊り狂っている。
 気が違ってしまったのか、と心配した熊太郎がおっさんにこれはいったいどういうことなのかと訊ねると、おっさんは面倒くさそうな口調で、これは十姉妹の求愛行動であると説明してくれた。
 熊太郎は、つまりあれやあれや、と思った。言論で、「ちょう向こ行て休めへん?」と言えないのであれば、十姉妹のように踊りで自分の気持ちを表現すればよいと思ったのである。
 熊太郎は石川五右衛門のように頭が爆発した娘に狙いを定め、その脇に踊りながら近づいていき、いっそう激しく踊りはじめた。
 熊太郎は踊った。悶えるように踊った。
 この熱い気持ちを伝えたいんや。この熱い魂を伝えたいんや。
 そんなことを思いながら手足を激しく震わせ、ときに十姉妹のように頭を上下させた。
 鳩のように胸を膨らませ、鳩胸みたいなこともやってみた。
 言葉で表現できない思いを踊りに込める。そんな気持ちで踊るうち、熊太郎は自分が驚くほど自由になっているのに気がついた。
 この調子、この調子。熊太郎は目を閉じ、もう無茶苦茶に踊り狂った。五体が裂けるほどに。血管がちぎれるほどに。
 このちぎれた血管をみてほしいんや。
 熊太郎は自分の思いが伝わっただろうか、と目を開けた。
 娘の姿はなかった。
 娘は突如として踊りはじめた熊太郎をみて即座に、暑苦しいと思い、そそくさとその場を離れたところ、信やんという男に声をかけられ、踊りの輪を離れて休みに行ったのであった。
 熊太郎は踊りが足りなかったのだと思ったが、それは誤りであった。
 相手が十姉妹であれば或いはそれでもよかったのかも知れないが、相手は人間の女である。やはりそうして無茶苦茶に踊るよりもダイレクトに言った方が希望が伝わりやすいに決っている。
 しかし熊太郎は踊りようが足りなかったのだと信じ、さらに無茶苦茶に踊った。
 ヤレコラセェドッコイサ、ソラヨイトコサッサノソラヨイヤサ。
 怒鳴りながら踊るうち、また熊太郎の頭脳は痺れたようになってきた。
 それまでは謀略的というか、女をどうにかしようと思って踊っていた訳で、いちおう乗りながらも、魂を伝えたいとかそういう自分の意志があって、脳の一部が覚醒していた。ところが踊るうちに乗り乗りになってきて、熊太郎の頭脳のなかに、なにか軍馬のようなものが走り始めた。
 軍馬は全身がまっ黒でその数は百万。平原のようなところを西から東へ耳を聾せんばかりの蹄の音を轟かせてどこまでも駆けていく。ヤレコラセェドッコイサ、ソラヨイトコサッサノソラヨイヤサ、その上空には半透明の阿弥陀如来が浮遊して、三味線をかき鳴らしている。ヤレコラセェドッコイサ、ソラヨイトコサッサノソラヨイヤサ、突如として地面が隆起、軍馬がばらばらと斜面を転げ落ちたかと思ったら地面は三万尺ほどの山となり、おまけに山頂から黒い煙が噴き出ているというのは火山に違いなく、どーん、どーん、どーん、地響きとともに噴火口から上空に噴出したのは米俵や餅や砂金で、同時に大小さまざまの七福神が何組も上空に噴き上げられ、阿弥陀の三味線に合わせて琵琶をかき鳴らしたり、にやにや笑って鯛をまき散らしたり、杖でそこらをめったやたらと打ちのめし始めたりする。米俵や七福神とともに空中に噴き上がった軍馬は空を飛べるらしく、そこいらをゆるゆる飛びまわっている。空には七色の雲が漂い、極彩色の龍も浮遊して、また虹が三十も四十もかかっていた。おかしなことに狆や鶏も飛んでいた。火山は絶え間なく米や金、餅やうどんを噴出していた。
 というのは熊太郎の脳内の風景で、つまりそれくらいに熊太郎は我を忘れ、陶酔していたのであった。しかし、そうして我を忘れているのは熊太郎だけではなかった。
 時間が経つにつれ、周囲の者もみな音楽と一体化、我を忘れて狂乱していた。
 熊太郎はいつしか所期の目的を忘れ、そんな周囲の者の様子を見て、みんな音楽の一部だ。一は全体であり、全体は一。死者も生者もみんなハッピーな仲間だと思ってにやにやした。
 ヤレコラセェドッコイサ、ソラヨイトコサッサノソラヨイヤサ。
 富田林街道に出た熊太郎はあたりの様子を窺った。家の灯り以外になにもみえず、後は闇であった。しかし闇はただ一色の闇ではなく、背後の金鋼の山並みが漆黒の闇であったのに比して、前方に広がる田圃や畑は薄墨のごとき闇である。平地のところどころに蟠る雑木林は、茄子みたいな中途半端な闇で、熊太郎は、なるほど一口に闇と言っても様々の闇があるものだ、と思った。
 そしていま俺の心のなかは闇だが、その闇にもいくつか種類があって、せっかく喜んで盆踊りに行ったのに娘とじゃらじゃらできずに帰ってきたと思うと暗い気持ちになり、それは薄墨色の闇だ。そして森の小鬼が水分に姿を現したというのは漆黒の闇。もし小鬼が騒ぎだし、明治五年のあのことが明るみに出たら、俺は娘とじゃらじゃらどころではなくなるからだ。そういう風に俺の心のなかには二種類の闇が混じりあってあり、それはどちらも俺にとって厭な闇だ。ああ。博奕がしたい。
 熊太郎は俺はいったい俺はなにをしていたのだろうかと考え、すぐに自分が無意識裡に切腹をしていたのだということに思いいたった。しょうむないことを言ってしまったため富に軽蔑され、絶望のあまり死んでしまいたいという気持ちになって、つい切腹の仕草をしてしまったのである。
 まったく阿呆な仕草をしてしまったもので、こんな仕草をみられたのだからますます軽蔑されたに違いない。そういえば子供の頃、ありもしなに笛を吹く真似をしているところを平次に見られて恥ずかしい思いをしたことがあったなあ。
 熊太郎はそのようにしてくすくす笑ったり、手足をばたつかせたりしていたが、突然、「あっ」と大声を上げ、暗闇で絶望した。
 富と並んで歩けたことが嬉しくて、余のことをすっかり忘れていた熊太郎であったが、せんどほたえ、ほたえ疲れてうとうとしかけた頃になってようやく、盆踊りで森の小鬼の姿を見かけたことを思い出したのである。
 あっ、という大声はそのことをすっかり忘れていたことにまず驚き、一瞬遅れて深い悲しみと絶望に襲われた熊太郎が瞬間的に発した歎声であった。
 熊太郎はふわふわする雲の上を歩いていたところ急に足を踏み外して奈落まで一直線に落ちたような気持ちになった。熊太郎の脳裏に黒雲のごとき念慮がたちこめた。
 放蕩無頼の輩は、どつきまわされても刺されても痛いことも痒いこともない、苦痛に無感覚な、自分たちとは別種の生き物と思っているのである。そんなことはないのに。
 めったやたらと興奮した熊太郎は、盆の前に座り、「なめとったらあかんど」と呟きながら張った。勝負事と恋愛は似たところがあって、より冷静な者は主導権を握り、自らのペースでことを進め得るが、より熱中した者は常にペースを乱される。とするとこんな体たらくの熊太郎が勝てる訳がない。熊太郎はいきなり二円負けてなお逆上、その後も負け続けた。
 連戦連敗するうち熊太郎の頭は霞がかかったようにぼうとなり、熊太郎は現実と自分が薄い膜で隔てられているように感じていた。そんな現実感を喪失したような状態で、いまや熊太郎は勝利して熊次郎を見返すとは考えていなかった。熊太郎はま逆のことを考えていた。
 思えば子供の頃から俺は直線的な力の行使を憎んでいた。軽蔑していた。饅頭が欲しいからといって饅頭、饅頭と絶叫したり、手づかみでこれをとって食らう駒太郎らを情けない奴らだと思っていたのだ。そして博奕。人間はなんで博奕をするのかというと、目と出たときの気色の良さを味わうためで、別に銭を儲けたいからではない。純粋に銭を儲けたいのであれば、商いをすればよいし、その才能がないのであれば最悪の場合、強盗という手だってある。それをしないで博奕をするのはやはり、目と出たときの、自分と世界が合一したようなあの疼痛的な快感を味わうためだ。そのためには銭を損したってよいし、財産をなくしたってよい。というかそれはあの疼痛的な快感を味わうための代価であって、つまり一見、目腐れ銭のやり取りに狂奔しているようにみえる博奕場は、そのように屈曲した快楽を求めて人の集まる場所なのであり、あの身もふたもない直線的で粗野な力とはもっともほど遠い場所なのである。そんな博奕場でこの熊次郎ときたらいったいなにをやっているのだ。直線的に、まるで労働するかのような汚い勝負をしてひとりで駒を集めている。
 熊太郎は、熊次郎、おまえに敗北のおとろしさをみしたる、と心のなかで言った。
 おまえはそうやって勝ち誇っている。そのおまえの隣に凄惨な敗北を喫し、それでもやめず負け続けて敗北の美を体現する者のあることを、熊次郎、おまえにみせつけてやる。色気もなんにもない、勝負にはただ勝てばよいと思っているおまえに。ふっ。おまえの精神はそれに耐えられるかな?
 熊太郎はそんなことを考え、狂したようになって負け続け、あっという間に三円の銭を失い、さらに熊次郎に三円を借り、これも負けた。
 負けながら熊太郎は敗北に酔った。
 みよ。熊次郎。いじましい百姓のおまえは一生かかってもこんな負け方はできんだろう。俺は真の俠客だ。大楠公の再来だ。羨ましいでしょう。
 そう思って熊太郎は熊次郎の横顔を見た。
 ちっとも羨ましそうにしていなかった。札束を前に熊次郎の頰は幸福に輝いていた。
 外は土砂降りであった。上空に黒い雲がかかって、山も川も田も畑も墨で染めたように黒かった。
 この様をみて熊太郎は狂喜した。
 熊太郎は折からの雨とて誰も歩いていない村内をずぶ濡れになって歩きながら呟いた。
「くほほ。雨が降っている。雨が降っているということはどういうこと? 嫁入りの行列ができないということやないけ。くほほ。くほほ。おほほ」
 熊太郎は思った。
 この雨では嫁入りの行列はできない。無理にやったら行李も箪笥もずくずくになってまう。はは、おもろ。喜んで歩くうち熊太郎は道の脇にちょっとひっこんだところがあって木々の間に神さんが祀ってあるところを通りがかった。古くて小さい祠でなんの神さんが分からない、ただ、木ィのとこの神さん、とみなが呼ぶ祠である。
 熊太郎は祠の前にぬかつくとこれを拝み、それから願をかけた。
「神さん。この雨をやまさんといてください。ずっと降らしてください。お願いします。もしこの雨をずっとやまさんといてくれたら私はいまから酒やめて一生懸命精出して働いて、立派な石の灯籠を建ててさしあげます」
 熊太郎がそう祈って立ち上がると、東の空、金剛山の上空に幾条もの金色の筋が現れ、ぴたりと雨がやんだ。
 金色の筋は木立の間を斜めに貫き、地を這うものを遍く照らした。
 木々から、下草から、苔からしたたる水滴に光が反射して輝いた。空を低く覆っていた黒雲は忽ちにして散り、金色の清浄な光に照らされてあらゆる生命が希望に輝いているようだった。
 熊太郎ひとりが絶望していた。
 熊太郎は静かな、しかし威嚇するような口調で、祠に向かって言った。
「おまえ、なめとんのか?」
 祠は当然ながらなにも答えない。
 熊太郎はうつむいて落ちていた木の枝をひらうと、急に卑屈で投げやりな口調になって言った。
「ははん。あははん。別に、別になめてませんやん。なんもなめてませんやん。ただ、俺が雨、降らせ言うたからやましただけですやん。俺が雨やましてください、言うたら降らしたんちゃいますの? ははん。あははん。それが神さんちゅうもんですやん。ははん。わあった。わありました。神さん。これでもくらいさらせっ」
 言うなり熊太郎は手に持っていた木の枝でおもいっきり祠を叩きのめし、「この、アホ神がっ」と毒づいた。
 木の枝が真っ二つに折れた。祠はびくともしない。ただ脇に黒い筋がついただけである。
 熊太郎はこれをみて急に神罰が恐ろしくなり、しかし罵倒しておいて急に謝るのもきまりが悪い、
「バチあてんねやったらあてさらせ。その前に自分で酒、むちゃくちゃ飲んで飲み過ぎて死んだらあ。あほんだら。ごめんな」と虚勢を張って池田方まで走って行き、息もつかず三合飲んで、ぐでぐでになったのであった。
 それは熊太郎の自己処罰であったのであろうか。
 しかし飲むうちに気が大きくなってきてはいた。
 なにが富じゃ。あほんだら。あんなもんただの女子やないけ。女子みたいなもん、銭もっとったら、なんぼでも寄ってくるんじゃ。富みたいなものに拘泥するいわれはなにもない。熊太郎はそんなことを考えて酒をあおった。
 店先を人が通って行った。どの人も朝から酒を飲んでいる熊太郎の姿を認めるや、顔をしかめたり、軽蔑したような表情を浮かべたりして通り過ぎて行った。慌てて目をそらす者もあった。
 熊太郎は、かっ。アホどもが。と思った。
 こうして朝から酒を飲んでいる俺。堕落、淪落しているこの俺をみて、そんな顔をしてござる。熊次郎は敗北のなかに鳴る人間のぎりぎりの音を聞かなかった。おまえらもそうだ。その音がどんな音か教えてやろうか? それは、きゅう、という音さ。樽の栓を抜いたみたいな音。はっ。ばかばかしい。そんな音がなにになるというのだ。なんにもならんさ。でも、勝負といって、勝つことの残酷さをお前らは知っているか。勝つ者があるということは負ける者があるということだ。だからみんなで勝とうなどというのは空念仏で、がつがつ勝とうとする者があれば必ず、それに踏みにじられる敗者がある。よい例が、例のようじょこ場で、みなが我勝ちに先へ先へ進もうとする。だから俺は犠牲になって牛を水にはめてしまった。俺が犠牲にならなければ他の誰かが犠牲になったに違いないのだ。その犠牲者は、おまえや、おまえ。いま俺の前を顔をしかめて通ったおまえかも知れなかったのだ。にもかかわらず、あいつはアホだ、と俺を馬鹿にしくさる。大楠公は湊川で敗死した。大楠公くらいになれば自分が勝つための戦略はいくらもあったに違いない。しかし君に忠たらんとして負ける戦いをしたんやんけ。俺かて同じなんじゃ。俺はおまえら全員の代わりにたったひとりで負けたってんにゃんけ。なんでそれがわからんのんじゃ、どあほ。あんな顔して通り過ぎやがって。ちゅや、でも富も同じこっちゃ。自分は村の奴とは違う、みたいな顔してたかて結局は金持ちのぼんのとこ嫁に行くにゃんけ。俺みたいな貧乏たれの酒飲みの博奕打ちのとこにはきょらひん。女子ちゅうのは結局そんなもんなんか? ちゅうか、富だけは、富だけは違うと思てたのになあ。と熊太郎はまた未練なことを思い、盆踊りの後、一度だけ富とあったときのことを思い出して、ぐい、と酒を呷った。
 そのとき熊太郎は溪口十吉という者に二十銭の手間を貰って車を曳いていた。
 熊太郎が丘に続く見晴らしのよい道を歩いていると田を隔てた向こうの道に富と友達らしい二人の娘が立っていた。よそ行きらしい着物を着て三人で一方向を見ているというのは、誰かが来るのを待ってるらしかった。熊太郎は立ち止まって汗を拭う振りをしながら久しぶりに富の姿をうち眺めたが、どうせ気ィつきょらひんにゃろ、と思っていた。ところが富は車を曳く熊太郎の姿を認め、これに向かって大きく手を振ったのである。しかも嬉しそうに笑って。
 熊太郎は嬉しくてならなかった。
 富はあの夜、連れ立って帰ったことを忘れていなかったのだ。でなければ友達の手前もあるのに、あんな好意的な手の振り様をする訳がない。
 そう思った熊太郎は、できれば荷車を捨て、田の真ん中を突っ切って、富のところに走って行きたい心持ちだった。しかしそんなことをするとまた、連れの娘らが、突然、襲いかかってきたと曲解して、きゃあきゃあ騒ぎ立てて、そうなるとせっかく富が自分を認めて手を振ってくれた、その行為そのものを台なしにしてしまうと考えて小さく手を振って応ずるにとどめ、また車を曳き始めたのであった。
 しかしこのことがあったから熊太郎は希望を抱いて今日まで生きてこられたのであった。
 そのとき熊太郎は、確かに間ンが悪く、富とは会うことができない。しかし富はいまだ俺に好意を抱いているのだ、と確信したのである。
 あははん、あははん。熊太郎はにやにや笑いながら車を曳き、荷を降ろし、荷を積み、溪口十吉のところに戻ってもまだにやにや笑い、溪口に、「なんや。気色悪いやっちゃな」と言われ、それでもまだ笑っていた。
 なのに富は嫁にいってしまう。だったらあの笑顔はなんだったのだ。
 熊太郎は未練にもそんなことを思い、ぐらぐらであるのにもかかわらず、またぞろ、酒をつごうとしたがもはや銚子はむなしかった。熊太郎はふらふらと立ち上がった。池田はこれ以上、貸し売りをせぬだろうと思ったからである。
「おおきにごっつぉはん、また来るわ」と言って店を出る熊太郎に池田専太郎は小声で、「二度と来んでええわ」と呟いた。
 池田は小声で呟いたつもりであったが、熊太郎はこれを聞いていた。熊太郎は聞こえなかった振りをしてことさら上機嫌な風を装って表に出た。
 ずぶずぶに落ち込んでいたのにもかかわらず。或いは、ずぶずぶに落ち込んでいたからこそ。

 熊太郎は店の外に出た。
 日の光は酷烈であった。
 熊太郎が祠に祈ったとき、日の光は金色に輝き、地を這う者に恩寵のようであったが、いま日の光は試練のようであった。
 苛烈な光が地上を這うすべての者に容赦なく照りつけ、その身体から水分を奪った。農夫はみるみる体力を失った。頑健な牛や馬でさえ捗らぬ道のりに難渋した。牛や馬でさえ、健康な農夫でさえそうなのだから、ろくに眠っておらず、そのうえしたたか酔っている熊太郎はなおさらであった。
 座って飲んでいる最中はさほどでもなかったが立ち上がって歩き出した途端、頭がぐわんぐわんした。吐き気。めまい。動悸。
 あまりに短時間に大量の酒を飲んだため、熊太郎は早くも宿酔に陥り始めていた。
 その熊太郎の背に凶暴な日の光が容赦なく照りつけた。
 熊太郎は、くわあ。こらきついなあ。と呻いた。
 そんなにきついのであれば家に帰って休めばよい。
 にもかかわらず熊太郎は自宅とは逆の方角に歩き始めた。熊太郎は呟いた。
 わいは負けへん。わいは負けへんで。
 熊太郎はいったいなにを気張っているのだろうか。ついさっき、直線的に勝利しようとする者への憎しみについて考えを巡らせていたのではなかったのか。
 熊太郎は安楽な家に帰らず、この強烈な日差しのなかを歩き続けることによって自身の魂をより高めることができるはずと思い込んでいるのであった。熊太郎はこの過酷な行軍を個人的な行のように感じているのだ。
 しかしそれがいったいなぜ行になるのであろうか。
 苦しい自己犠牲によって他人を助ければそれは崇高な菩薩行である。或いは、定められた方式に則って修行するのも行であろう。しかるに彼の場合、宿酔の状態で炎天下を歩いているというだけであって、そんなものはただ本人が辛いだけであって、なんの役にも、誰の役にも立たない。
 尊敬ということもされない。例えばこれが禁煙とか減量みたいなことだったら、「ほお。意志がお強いのですな」と感心されるだろう。しかし、「ぐでぐでに酔っぱらって炎天下を倒れるまで歩き続けました」と言ったところで、「あほちゃう?」と言われて終わりである。
 しかし熊太郎はこれを行と信じていた。
 泥酔し、脈絡を欠いた思考で熊太郎は、こんな辛いことに耐えているのだから大丈夫だ。こんな苦しみを受けているのだからきっと報われるはず、と無根拠に思い込んだ。
 実際、熊太郎は惨憺たる状態だった。
 全身に重苦しい不快感が広がると同時に、頭が割れるように痛んだ。腐ったこんにゃくのような頭。汗が噴出して滴った。嘔吐感はやまなかった。実際に何度も嘔吐した。水が飲みたかった。水はなかった。

 いつしか熊太郎は両側が林の坂道を登っていた。
 熊太郎は、一足歩むごとに思わず知らず、はん、はん、はん、はん、と声を上げていた。声をあげると少し楽になるような気がしたからである。
 苦しい上り坂を歩きつつ、熊太郎は、ここや、と思った。
 ここや。この難局、難所を乗り切ればなんとかなる。この難局さえ乗り切れば。
 そんなことを考えながら熊太郎は歩き続けた。
 道が下り坂になって、下りきったところで、はんはんが停まった。と同時に歩みも停まった。全身の不快感耐え難く、熊太郎はもはや一歩も歩けないのであった。
 熊太郎はあたりを見回し、中佐備や、と思った。
 中佐備っちゅことは中佐備や。こんなところでへたってたらあかん。ここで諦めたらわいは終わる。熊太郎は立ち上がった。苦しいことこのうえない。けどここで倒れたら俺は滅亡するのだ。それに比べたらこれくらいなんじゃ。
 熊太郎はなんでもないような風をよそおって立ち上がった。
 無駄な努力であった。
 熊太郎は鯉がえずいているみたいな顔をしていた。頭がぐらぐらであった。右へ川沿いの低地を行けば富田林、真っ直ぐに再び立ち上がる坂を上れば滝谷不動であった。
 熊太郎は真っ直ぐ進んだ。
 上り坂はきつかった。
 はん、はん、はん、はん。
 またぞろ熊太郎は一足踏み出すたびに、はんはん、言い始めた。
 人通りは絶えてなかった。太陽はもはや中天に近く、いや増して酷烈であった。影が濃かった。
 はんはん、はいつしか、もうあかん、に変わっていた。
 熊太郎は一歩歩むたびに、もうあかん、もうあかん、と言いながら誰もいない峠道をただひとり歩いた。
 まったく無意味な苦役を行だと信じて。

 一時間後。熊太郎は滝谷不動明王寺にいた。
 滝谷不動明王寺は弘仁十二年、弘法大師によって開かれた古刹である。眼病平癒に霊験あらたかと言われ、また、一言だけなら願いを聞いてくれる一言成就の不動さんとしても有名である。
 熊太郎はその滝谷不動明王寺の、山を背にした本堂ではなく、滝行場のある渓谷の方に下っていった。滝行をしようと思ったのではない。熊太郎は、まったくなにも考えずただ、水の気配のする方角に向かって歩いていったのである。
 滝行場にいたる道は樹木に覆われて薄暗く涼しかった。
 水の流れる音が聞こえていた。
 少しばかりましだ、と思いながら熊太郎が坂を下って行くと途中に崖を背にして不動堂があった。不動尊の前に水盤と柄杓がある。これで不動に水をかけ祈念すれば眼病が平癒する、或いは願いが成就すると信じられているのである。
 しかし喉が渇ききっている熊太郎は、柄杓を手に取るとこれを貪り飲んだ。
 立て続けに三杯飲んで、ううっ、と呻き、それからもう二杯飲んだ。
 喉の渇きはそれでとまったが、身体の不快感はなお甚だしかった。熊太郎は、息のような、歎声のような情けない声を上げつつ、等閑に不動尊に水をかけ、拝んだ。そんな風にいい加減に拝むのさえ大儀なくらいに身体が辛度かった。
 それでも一応は拝んだ。そう納得して振り返った熊太郎は、ひっ、と声を上げて飛び上がった。
 あたりには誰もいないと思ったのに、不動堂の向かいにお婆ンが踞っていたのである。
 こんなところにお婆ンが踞っているなんて奇怪だと熊太郎は思った。
 しかもお婆ンはただ踞っていたのではなかった。お婆ンの前には木の台が置いてあって、台のうえには粗末な椀がいくつも並べてあった。いったいなにをしているのか。訳が分からない。
 かかわり合いにならぬのが一番だと、目を合わせないようにしてそのまま行こうとした熊太郎にお婆ンが声をかけた。
「兄ちゃん」
 頭の真っ白なお婆ンに似つかわしくない、低い、地獄の底から響いてくるような声だった。
 熊太郎は一瞬、首をすくめ、それからようよう振り返った。熊太郎をひたと見据えるお婆ンの目は、しわくちゃの顔のなかで不釣り合いなくらい獰猛な目つきであった。
 熊太郎はお婆ンの目に戦慄したが、しかし、ここで気後れしたところ、挫けたところを見せれば相手につけ込まれると思ったので精一杯虚勢を張って、「なんじぇえ?」と答えた。
 怖がりながら言っているからちっとも迫力がなく、逆に屁垂が言っているみたいになって熊太郎は後悔したが言ってしまったものは仕方ない。言ったことやったことは取り返しがつかない。
 そんなこととは無関係にお婆ンは横柄な口調で言った。
「兄ちゃん、滝行にいくんかえ?」
「いや、ただのお参りや」
「そうしい、そうしい。あんなことしたかてなんにもならへん」
 とお婆ンは愛想のない口調で言うと、「それより兄ちゃん」と言って熊太郎の目をひたと見据えた。
「な、なんやね」
「どじょう放したりや」
「どじょうてなんや」
「兄ちゃん、どじょう知らんのか」
「どじょうは知ってるわな。どじょうをどないすんねな」
「この下の川に放したりちゅうね」
 これにいたって漸く、熊太郎はお婆ンが、どじょうを放生すれば功徳になると言っているのを理解、お婆ンを恐れて損したと思った。
「しゃあけどどじょうみたなもんどこにおんね」
「お前、目ェ開いとんのんか。こっちきて見てみいな」
 お婆ンに言われて熊太郎が台の上を覗き込んだところ、椀の底に三寸かそれくらいの黒い長細いものがじっとしているのがみえた。熊太郎の自分が思うどじょうとよほど違って見える、と思った。
 熊太郎の知っているどじょうはもっと生き生きしていた。ぷりぷりと弾力に富み、活発に活動し、これを食さんと掬いとれば猛烈に暴れた。死んで椀になってさえ、その肉に分厚い実感のようなものがあった。しかるにこのどじょうはなんだ、と熊太郎は思った。
 熊太郎はもう一度、椀のなかを覗き込んだ。
 椀の底にどじょうがただ一匹、はかなく揺らいでいた。まったく生気がなかった。諦めきったように椀の底で動かず、生きているかどうかすら疑わしかった。
 熊太郎は椀を手に取り、これを左右に揺すぶった。しかし、どじょうはだらりとのびきったまま左右に揺れるばかりである。熊太郎は言った。
「これ生きとんのんかいな」
「生きてるがな。ぴちぴっちゃ」
「どこがやねん。ほな放したるわ。一匹貰うで」
 そう言って行こうとする熊太郎をお婆ンが呼びとめた。
「兄ちゃん、兄ちゃん」
「なんやね」
「銭、銭」
「なんや銭とんのんかい。毒性なお婆ンやな」
「なんの毒性なことがあるかいな。銭払うから功徳になんにゃんか。一銭」
「高っかいなあ。ほな、これ一銭」
「兄ちゃん、ええことしなはるわ」
「そやろ。わしゃええことしいやねん」
 そんなことを言って椀を持って滝行場に降りて行こうとする熊太郎にお婆ンが言った。
「どこ行くにゃいな。そっから放したりや」
「いや。わしはもっと下の方で放したんね。ほうせんとまたおまえに捕まって売られるやんけ」
「後で椀かやしてや」
「言われんかてかやすわい」
 言い捨てて熊太郎は滝行場に降りて行った。
 不動堂から溪沿いに少し降り、小さな橋を渡って右側が滝行場である。正面に小さな堂があり、その左にどうどうと音を立てて落つる滝があった。
 滝の左手に磨崖仏が彫ってあった。
 滝の音。そして鳥の鳴き声が聞こえていた。
 樹木の枝に遮られ、青空が切れ端のようであった。
 熊太郎は椀を持ったまま堂の脇の滝行場にいたる細道を降りかけて立ち止まり、滝を見上げて、「くはっ」と言った。
 熊太郎は小さな橋のところまで戻り、欄干から身を乗り出して水面の様子をうかがった。水面までは大人の背丈ほどの距離、川の両側は切り立った崖で川幅は狭かった。反対側に堰が設けてあるためか、水深は浅く流れは緩やかで、川底の砂や小石がはっきり見てとれた。
 椀のなかのどじょうは相変らず動かない。熊太郎は心のなかで、いまはそうやって絶望してるかも知らんけど、いまわいが川に放したるよって、ほしたらおもっきし自由闊達に泳ぎ回れよ。とどじょうに語りかけ、それから椀を傾けた。わずかな水とどじょうが水面に向かって落ちていった。
 ぽちゃん。という音もたてないでどじょうは川に還った。熊太郎はさらに身を乗り出してどじょうの様子をうかがった。
 目を凝らして波紋のおさまった川底を見るとはたしてどじょうは、右の崖下の、砂地が露れて水が淀んで動かないところにいた。
 しかしどじょうは、せっかく川に還ったというのに狭い椀のなかに居たときと同じように、棒のようにじっとしてちっとも自由闊達にせず、みたところ黒い木の枝のようにしか見えない。
 熊太郎はどじょうを見て苛々した。
 人がせっかく放してやったのになにさらしとんね。或いは長いこと椀のなかに居たため、どうせ俺はあかんどじょうや、と思い込んでしまっているのか。そんなことはない。いまやおまえは俺によって救われ、天然自然の川のなかどこでも好きなところに行ける愉快などじょうとして暮らすことができるのだ。しかしおまえはいまだそのことを知らない。
 熊太郎はどじょうに気合いをいれることによってその精神を活性化させてやろうと考えた。
 熊太郎は手頃な石を拾うと、どじょうの居るあたりめがけて投げた。水が揺れてどじょうがくにゃくにゃした。しかし、よく見るとただ水が揺れるに任せてくにゃくにゃしているのではなくして、自分でも身体をくにゃくにゃさせているようにも見える。
 その調子だ。熊太郎はさらに石を投げた。
 したところどじょうは、今度ははっきりと、石を投げちゃいやんいやん、と言っているかのように身体をくにゃくにゃし始めた。
 ますますええ調子や。それや、それや。その調子で頑張れ。熊太郎は喜んでさらに石を投げた。
 したところどじょうはついに、つっ、と十センチほどではあるが自分で泳いで移動をした。その様をみて熊太郎はこれで大丈夫だと思った。
 それだけ泳げるのであれば天然自然のこの川のなかでどじょうとして楽しく暮らして行けるだろう。熊太郎は喜んでどじょうの様子をうかがった。
 どじょうは絶好調であった。椀のなかに居るときは絶望しきって棒のように動かなかったのが、いまや勢いよく左右に身体をぷりぷり振るわせ、ついっ、ついっ、と水の中を快活に移動している。そしてどじょうは見えなくなり、おおいに満足を覚えた熊太郎がお婆ンに椀を返しに行こうと思ったそのときである。
 どこからともなく嘴の長い、鮮やかな色の小鳥が飛んできて、ばしゃ、水面に到達したかと思ったら、なんたら早業だろう、どじょうをくわえて即座に飛び上がり、崖からにゅうと突き出した木の枝にとまった。どじょうは加えられたままくにゃくにゃ身悶えしている。
 しばらくの間、小鳥はつぶらな瞳で小首を傾げ、このくにゃくにゃするものをどうしようかな、と思案する風であったが、やがて、頭を激しく上下させてどじょうを木の枝にがんがん叩きつけ、これを絶息せしめ、うがいをするように上を向いて丸呑みに呑み、呑み終わると何事もなかったかのようにどこかへ飛び去った。
 熊太郎は絶望した。
 せっかく俺が助けても鳥が来て食ってしまう。結局どじょうは救われないのだ。今頃、ちょうど富の嫁入りの行列が出た頃や。
 熊太郎は橋の上で動けなかった。切り立った崖に生えている羊歯がゆっくりと上下していた。
 熊太郎はゆるやかに上下する羊歯を見て、おいでおいでをしているようだ、と思った。
 羊歯が自分をどこかへ招いているようだと思ったのである。
 熊太郎は、当然それはよいところではないだろうと思った。熊太郎は決意した。
 いってこましたろやないかい。どうせ、俺もどじょうも救われへんね。それやったら一生、やたけたでいったるわ。どうとでもなりさらせ、あほんだら。
 熊太郎の心はたぎり、そして渓谷は静かだった。どうどうと滝の落つる音だけが響いていた。
 池田はにやにや笑った。人が困っていると聞いてにやにや笑っている奴を困らせてやろうと思ってにやにや笑っている奴がいる。まったく人の世というのは恐ろしいところである。
 熊太郎は難儀なことになったと思ったが行きがかり上、仕方ない。俺の人生はこんなことの連続だ、と思い、こうなった以上、度胸据えてかかってあかなんだら、そんときはそんときやと爽やかな秋空を見上げた。

真剣な表情の高橋とへらへらした池田とげっそりした熊太郎が連れ立って水分神社の表参道を登っていくと、境内でひとりの若い男と数人の村の男が立って話をしていた。
 傍らに若い者がかたまって心配そうに見守っており、その脇には二本の丸太にウェイトをくくりつけた練習用の地車が置いてある。
 若い男はへらへら笑って丁寧らしい口調でなにか言っていたかと思うと、突如として激昂して大きな声で威嚇したりしていた。それに対して村の男らは、ひたすら謝ったり頭を下げたりしている。
 熊太郎は若い男を見ておののいた。
 顔立ちはなかなかの男前なのだけれども全体に荒んだ印象があり、もとがよい顔をしているだけにその崩れたようすになお凄みがあった。荒い稼ぎをしているせいか筋肉が隆起して、上半身など捏ねあげたようである。
 村の大人たちは頑固者ぞろいで、平生であれば若い者が愚図ったくらいで容易に耳を貸さないのだけれども、この若者のどこか捨て身みたいな、言うことを聞かぬのであれば自分もこの場で死ぬ代わりにおまえらも全員殺す、と言っているみたいな迫力に気圧され、なんら反論できないでいた。
 いったんは度胸を決めた熊太郎であったが男の様子をみるにつけ意気沮喪、その場に立ち止まってしまった。高橋が言った。
「どないしなはったんでっか。あれでんが」
「ああ。わかったある」
 熊太郎は答えて、もうこうなったら、ほんまに度胸決めてかかるよりしゃあないが、相手が懐に短刀をのんでいて、そんなもので、ずぶっ、といかれた場合は痛いだろうなあ、嫌だなあ、などと早くも負けることを考えつつ、男らに近づいて行ったが、そんな弱気をみせるわけにはいかない、熊太郎は精一杯虚勢を張り、「おい、若いの」と声をかけた。
 ところが雰囲気にのまれて気が挫けているため大きな声が出ず、男は気がつかない、やむをえずもう一度、「あのお、すんません」と言って漸く若い男と村の大人たちは熊太郎に気がついた。
 大人たちはなぜ熊太郎がここに来たのかと訝り、追い払うような仕草をする者もあった。
 その一方で若い男はもっとはっきりした反応を示した。
 男は熊太郎を睨みつけ、「なんじゃ、おどれは」と怒声を発した。
 熊太郎は男の顔を間近に見てぼやんとなった。
 間近で見る男の顔はおそろしかった。狂った獣のようであった。鬼神のようでもあった。熊太郎にもはや恐怖心はなかったが、気力がまったく湧いてこないというか、男の顔を見るにつけ、やる気がエクトプラズムのようになって鼻から垂れているような心持ちになった。
 どうとでもなれ、と腹をくくっている熊太郎にとって、鬼神のような男やその前にひれ伏す村の大人たちはガラスケースの向こう側の人たちのように見えた。熊太郎にとって、この境内全体が秋空の下で非現実のようであった。
 熊太郎はいったん空を見上げ、それからもう一度、男の顔を見て、しかし、あ? と思った。
 確かに男は凶悪、凶暴な顔をしている。しかし意外にもその凶悪、凶暴な表情のなかにどこか話が通じるのではないかと思わせるようなところがある、と熊太郎は思ったのである。
 それに比して、と熊太郎は思った。
 例えば、駒太郎はけっして凶悪、凶暴な表情をしていない。していないけれどもその顔つきに、絶対に話が通じない。思いがつながらないと思わしむる鉄仮面のような拒否的ななにかがある。ところがこの男は、こうしておもいっきり威嚇的な顔をしているのにその拒否的なものがなく、むしろ逆に、相手を受容しよう、別の言い方で言うと、相手に関係しよう、関係したいという意欲が感じられる。言わば人なつこさのような。ということはでもけっして俺の言い分が通るとか、話がまとまるとかそういったことではなく、もちろんあいつは俺が仲裁に入ったことそれ自体にむかついて、俺をどつきまわし、挙げ句の果てに半殺しにするだろう。ところがあいつの顔を見てたら、それも納得できるというか、たとえ半殺しになっても、それは十分に議論を尽くしたうえの半殺しというか、お互いに納得して、こうなったらもう半殺ししかないよなと互いに認めたうえでの爽やかな半殺しみたいな、そんな半殺しになりそうな気がするのだ。といってでもそんなものは気がするだけで実際は話し合いも納得もない、無茶苦茶な半殺しな訳やけどもな、はは。
 熊太郎は心のうちで笑った。最悪の結果を予測しつつもどこか楽観したような精神状態であった。
 人々は一言も発しないで熊太郎と男を交互に見比べていた。
 咳ひとつ聞こえなかったが、ひそかに屁をこく者はあった。
「兄さん。わしはこの村に住まいする城戸熊太郎いうもんやねんけど、この喧嘩、わいに預からせてくれへんか」と若い男に語りかけた熊太郎の声はまったく平静であった。
 若い男はなにも答えない。熊太郎は続けて言った。
「話は聞いてるで。そら確かに最初に手ェ出しょんたあいつらは悪い。それについてはわしがこのとおり謝る。すまなんだ。しゃあけど兄さん、膏薬代二十円ちゅうのはちょっと吹っかけ過ぎとちゃうか? 見りゃあ、たいして怪我もしてへん様子や。ここはわしの顔に免じて二円くらいで堪忍したってくれや。なあ、兄さん」
 と一息に言って熊太郎は驚いた。
 自分がこんな風にすらすらものを言えるとは思っていなかったからである。
 ところが熊太郎がこれだけ事をわけて話しているのにもかかわらず男は、この強い俺にそんなことを言う命知らずがあるなんて信じられない、みたいな顔をして黙っている。
 熊太郎は村の者の顔を見た。
 村の者は熊太郎がいったいどのように始末をつけるのか、あるいはどつきまわされて半殺しにされるのか、それはそれでおもろいなみたいな、興味津津みたいな顔で事の成り行きを見守っていた。
 熊太郎は、なんちゅう奴らだ、と思った。
 ついさっきまで脅されて半泣きだったくせに、もうおもろがってわくわくしてけつかる。
 熊太郎はむかついたが、しかしいま後へ引けばあの村の奴らに、くほほ。熊の餓鬼、口だけで仲裁みたいなものようしょらへんやんかと嗤われるに違いなく、それはそれで業腹で、ならばいっそ、と思った熊太郎はついに大声を出した。
「おい、兄ちゃん、わしがこないして割って話しとんね。しゃあのに黙って口きかんちゅうのはどういうこっちゃね。それともなにかい? 仲人がわしでは不足かい? こっちゃ腕ずくでもかめへんねんど。それがいややったらなんとかぬかさんかい、こら」
 言ってしまって熊太郎は、いよいよ進退窮まったと思った。
 ここまで言われたら相手も黙ってないだろう。とりあえず餓鬼の時分にやった、「腕殴」か「腿蹴」でもやってこましたろか? くほほ。そんなもんきくかれ。俺はこいつにいまからどつきまわされてぼろぼろになる。でもそれは傍観者みたいな顔をして他人を嘲笑っている奴よりまだましだ。くほほ。
 そんなことを思って熊太郎が身構えると若い男は熊太郎の目をひたと見据え、ぐい、と一歩踏み出した。熊太郎と男の間には火花が散るような緊張感が漂ったが、少し離れたところでみている若い者や池田の親爺らはだらだらである。ひとりが隣の奴に小声で話しかけた。
「おい、熊はん、えらいこと言いよったなあ。腕ずくでこい、いいよったで」
「ほんまやねぇ。しゃあけどそんな言うて大丈夫なんか、みてみいな、あの若いの。あら相当喧嘩なれしとんな」
「ほやねん。身のこなしがちゃうわ。あの若いのは、どしっとしとるけど、熊はんはなんや猿が人形芝居の稽古してるみたいなね」
「どんなんやね。しゃあけどほんま大丈夫かいな。あないえらそうに言うて。どつきまわされよんど」
「おもろいな」
「こらっ。おまえなんちゅうこと言うね」
「すまん。けどおもろないか?」
「そら、おもろいわ」
「おまえかておもろがっとるやないけ」
 そんなことを言って傍観者はおもしろがっていたが熊太郎は絶望していた。
 結局いつもこんな事になってしまう。俺は別にこんな風になるのを一度も望んだことはないのだが。森の小鬼のときもそうだったし、周囲の者にわあわあ言われて気がついたら俺がもっとも危険な役割を背負わされるのだ。なんでこういうことになるのかというと、それはまあ俺が慌てもので、思慮に欠けるからだが、しかしそれは俺が元々馬鹿だからではなく、対人的にいつも焦っているからだと思う。つまり自分の言葉は相手に通じていないのではないか。相手は本当は別のことを言いたいのではないか、なんて考えていつも焦っているから、ついまともな判断ができなくなって、気がついたら俺が損な役割を負わされている。しかしそんなことを考えない横着な奴はいつも高みの見物だ。後は、虚栄心。ここで断ったら格好悪いかな、とか、普段、いい格好をしている手前もあるしな、とかそんなことを考えている。自分の行動に論理的な整合性を求めすぎるのだ。みな、そんなことはないがしろにして楽に生きている。けど俺は苦しく生きている。いまもそうだ。この兄ちゃんにどつかれる。
 熊太郎はそんなことを考えつつ、しかしこの期に及んでなお体裁のことを考えた。
 そして俺はいまから負けるわけだけれども、同じ負けるにしても、恐怖と痛みで泣くとかそういう見苦しいことはしたくないものだ。まあ、どつかれるのは仕方ないとして、そのどつかれ方が問題で例えばこういうのはどうだろうか。とりあえず、ばんばんばーん、とどつかれる。どつかれておいて、相手の顔を見て、にやっ、と笑い、「どや? 兄ちゃん、これで気ィ済んだか」と言う。つまり、鈍臭くてどつきまわされる訳ではなく、その気になれば相手をどつきまわせるのだけれども、あえて相手にどつきまわさせるといったポーズをとる。さすれば相手は、この余裕はなんなんだ? ことによるとこいつは底なしに強いのではないか? と不気味な気持ちになってそれ以上、どついてこず、また、一部始終をみていた群集も、やはり仲裁をするためにわざと殴られてみせるとは、なんたら肝の太い男か、と感嘆するに違いない。ただ、この方式に問題があるのは、ばんばんばーん、とどつかれ、にやっと笑う前にさらに、ばんばんばーん、とどつかれたら痛くて笑えず、逆に泣いてしまうかもしれないという点だ。相手の力が強かった場合、一発目のばばばーんで泣いてしまって、にやっと笑えないということも考えられるが、それは俺自身の耐久力にかかってくるだろう。つまり俺自身がどこまで頑張れるかっちゅうことやな。まあ、油断しないで下腹に力をいれ、歯を食いしばって、ぐっ、と堪えて、それから、にやっと笑う。けっこう難しいよ、これ。ぐっ、と堪えて急に、にやっ、と力抜く訳やからね。これが力抜くの早すぎたら、ばーん、いかれてまうでしょ。反対に、いつまでも、ぐっ、と我慢しとったら、「気ィすんだんかい」と言うとき迫力でえへんからね。ぐっ。にやっ。ちゅうこの間合いね、つまり呼吸と間ァ、これが肝心や。
 そんなことを考えて、熊太郎は、さあ、どつけ、とばかりに、男の方に顔を突き出し、男の方も、さらにもう一歩、熊太郎の方へ踏み出して、緊張感がいや増した。
 さすがにもう無駄口を叩く者もない、水分神社の境内に一触即発、ただならぬ気配が漂って、いよいよくるな、と思った熊太郎が、下腹に、ぐっ、と力を入れた瞬間、男が意外なことを言った。
「わかった。この喧嘩、あんたに預けるわ」
「はあ?」
「この喧嘩、あんたに預けるちゅてんにゃ」
 熊太郎は我と我が耳を疑った。訳が分からないと思った。
 熊太郎自身が訳が分からないのだから傍のものはもっと分からない、口々に、「喧嘩、預けるちゅうてんで。どないなっとんね」「さあ、わからん」などと言い合って首を傾げており、熊太郎も、「つまりなにかいな、わいにこの喧嘩預けてくれるちゅてんねな。ほんまに? ほんまに?」と重ねて訊ねるなど、いまだ半信半疑であったが、なんだかわからぬが面目が保たれている以上、このまま仲人を続けるよりなく、内心の動揺を隠し精一杯落ち着いた振りをして村の大人を呼んだ。
「みな、こっちきてくれ。きたな。さて、この人はわいにこの喧嘩預けるちゅてんにゃけど、おまえらもそんでええか」
 大人のなかのひとりが答えた。
「ああ、かまわん、かまわん、おまえに預けるわ。そのかわり二十円てな大金……」
「わあったる、わあったる、任した以上、横手からごじゃごじゃ言わんとってくれ。ほな、どちらさんもわいに喧嘩預けてもろてありがとさんに存じます。さて、そこの若いの。おまえ、あかんで。村に住む以上は村のしきたり、掟を守ってもらわんとどもならん。横車押して地車舁かせとかそんなん言うてもあかんね。そんなんはみな村方で決めてるこっちゃさかいな。そやからおまえ、村の者にまず謝れ」
 熊太郎にそう言われて男は素直に、「へえ。ほなあやまるわ」と言うと、首に巻いていた手拭をとり、「皆はん、えらいすまなんだのお」と頭を下げた。
 次に熊太郎は村の者に向かって言った。
「それからおまえらもおまえらやで」
「そうか」
「そやがな。大勢を頼んでひとりに殴りかかったらあかんやないけ。この男が強かったからええようなもんの、弱かったら半殺しにしてもたかも知れん訳やろ。あかんやん、そんなん。しゃあから村からこの人に膏薬代、いや、二十円とは言わんわい、一円五十銭くらい出したれや。そんくらいの銭、すぐにでも集まるやろ。銭、集めていま渡してまい」
 熊太郎がそう言うのを聞いて村の大人は、あきらかにほっとした様子であった。
 熊太郎は満足し、そして、しかも俺は最初二円と言ったのを五十銭値切ってやったのだ。そこも感謝してほしいものだと思った。
 村の大人のなかのひとりが銭を集め始めた。
「はい、みな銭出してや。ひとり十銭も出しゃあええにゃ。え? おまえ銭持ってないの? しゃあないな。ほな、おまえ。え? おまえも? おまえも?」
「そらそやがな。わいら地車舁く稽古しとったんやで銭みたいなもんあるかいな」
「しゃあないなあ。ほな、わしらで取り替えとくけども後で払えや。ほな、私ら五人や、一人三十銭ずつやで。え? 十銭よりないんけ? 情けない奴やの。おまえは? え? 五銭。ええ加減にせぇや。大の男が五銭やそこら持って道、歩くな。え? そういうおまえはなんぼ持ってんね、てか。なんかしとんね。わいらそんな五銭や十銭持って表歩くかあ、ぼけ、いま出すから待っとれちゅうね。あ? あれ?」
「なんぼ出ましたんや」
「二銭」
「わしらより少ないやないけ」
 わあわあ言いながら銭を集めているこちら側では若い者が熊太郎について話をしていた。
「あの熊太郎て、わしアホやと思とってんけど強いねんなあ」
「ほんまほんな。わしもてっきりただのイチビリやと思ててんけど、ごっつい貫禄やねんなあ。能ある鷹は爪を隠す、なんちうけど、あらああみえて相当の俠客やね」
 そんな声が熊太郎の耳にも入って熊太郎は大満悦であったが、そんな素振りはつゆほどもみせず、素知らぬ顔をして爪先で地面を掘ったり、首を左右にかくかく曲げたりしているうちに大人が銭を持ってくる。
「熊やん、すまんのお。五十銭より集まらなんだんや。残りの一円は後で届けるよっていまはこれで堪忍したって」
「ああ、かまわん、かまわん」
 銭を受け取った熊太郎はこれを若い男にそっくり渡すと、
「聞いての通りや。残りの銭は後で届けるそうやさかい、もし届かなんだり、後でまだごじゃごじゃいう奴があったら、すぐにわしにいうてくれ」と言って村民の方を振り返り、
「そっちもそうや。わしが預かった以上、後でまた揉めるてなことせんといてや。ほしたら、さいならごめん」と言い捨てて裏参道の方へ歩いて行った。
「そうか。ほた言うわ。わいはいまからちょうど十年前、富田林の正味の節ちゃんの賭場であんたに危ないとこを助けられた谷弥五郎ちうもんや」
 と男が名乗って初めて熊太郎は、「あ。あのときの」と声を上げた。谷は、「実はそうやね」と頭をかいて笑った。
 十年の歳月はまだ少年であった谷弥五郎を逞しい青年に変えていた。そして十年の間に熊太郎はどうしようもないのらくら者になった。熊太郎は思った。
 あの頃であれば俺はまだ引き返せた。けどもうあかん。あの子供がこんなに成長してしまうほどに時が経ったのだものな。はは。そらあかんはずや。しかし、あのときはあのときで俺はもうあかんと思っていたのやがな。くほほ。あのときは実はまだまだ頑張れた。それを頑張らなかった。
 そんなことを思いつつ熊太郎はじろじろ弥五郎の姿を見て、しかし、と思った。
 確かに弥五郎は筋骨逞しい若者に成長はしている。しかし逞しい若者に成長といっても、日の光を浴びて農耕したり、漁撈をしたり、或いは微笑んで草笛を吹くみたいな健全な若者に成長したのではなく、どちらかというと弥五郎は、暗がりで酒を飲んで婦女と戯れたり賽子や花札を弄んだり、短刀を振り回して暴れ散らすみたいな頽廃と淪落の気配を漂わせる、崩れたような若者に成長している。つまりは極道者になりゃがった、ちゅうこっちゃ。
 と熊太郎は納得した。その極道者の弥五郎が十年前のことを恩に着て俺の言うことを聞いたというのは因縁、因果なこっちゃ。
 そんな因果因縁に思いを馳せている熊太郎に谷が言った。
「そんなこってその節は世話なったのお」
「なに言うてんね。そんなもんかまへんが」
「それはそうとあんた、この後、なんぞ用あんのんけ」
「何の用のあるけぇ。ただぶらぶらしとんにゃ」
「ほしたら、あんときの礼がしたいにゃ、そこらでちょっとこんなことどや」
「ああ。結構やな」
「ほしたら、いこか」
 熊太郎と弥五郎は連れ立って裏参道を降りていった。
 熊太郎より弥五郎の方が三寸ばかり背ィが高く、歳も離れていたがどこか似通った二人連れであった。参道の梢の上に梟がとまっていた。
 遠ざかる二人の姿を見送った梟が、ほう、と鳴いて金剛山の方へ飛んで行った。

 正味の節ちゃんの賭場で熊太郎に助けられた弥五郎とその妹、梁はその後も、いろいろなところを転々とし、最終的には中村に住まう遠い親戚の谷善之助という者の養子になり、梁は、二河原邊の新田兵五郎という人のところへ奉公することになり、弥五郎は辻本という山をしている人の仕事を手伝うこととなって、竹田市五郎という人の土間をあわせて僅か八畳ばかりの借家を一箇月十銭で借りて住まっていたのである。
 森屋の飲食店で右のごときを熊太郎に語った弥五郎は、「水分にいたらあんたに会えるかおもてたんやけろ、ずっと山におったやろ、ようよう今日会えてうれしわ」と言って本当に嬉しそうに杯を傾けた。
 熊太郎は、なぜこの弥五郎はかく俺を慕うのか、と訝ったが、しかしそれも当然であった。
 幼少期から辛酸をなめた弥五郎にとって、大人というのはおしなべて弥五郎からなにかを奪おうとする者であった。
 大人はこともあるごとに弥五郎から奪った。弥五郎の労働を奪い、その代価として与えるべき報酬も、弥五郎が子供であるのをよいことにまともに払わなかった。そんな風に自分が奪われていると知った弥五郎は大人や社会から奪い返すのは当然だと思うようになった。なのに大人たちは、自分たちが奪うときは当然のように奪うのに、そのように弥五郎が奪われたものを奪い返すと無頼漢、悪徒と憎み誹った。また、正味の節ちゃんがそうであったように、弥五郎が奪い返したものをまた奪う大人があった。ところが、そういう大人を非難する者はなかった。これが弥五郎には不思議でならなかった。大人が子供である自分から奪っても平然としている一方で子供の自分が大人から奪い返すと、極悪みたいに言われるのである。
 そんな風にして育った弥五郎に熊太郎は鮮烈な印象を残した。
 なんとなれば熊太郎は弥五郎を庇ったただひとりの大人であったからである。
 熊太郎は、「わいを助けてくれたんはあんただけや」という弥五郎の話を聞きながら酒を飲み、なるほどなあ、と思った。
 あのとき俺がこいつに加勢した。俺はそんなことは忘れていたけれどもそれが今日になって俺を助けた。つまりあのとき俺がこいつを助けなんだら俺は今日、面目を施すということはなかった訳で、こういうことを称して、情けは人のためならず、というのであって、なるほど。ええことちゅうのはしとくものやなあ。と思ったのである。
 しかし、その、ええことをしなければ後年の惨事は起きなかったかも知れず、まこと人の有為転変は計り知れぬものである。
 この日、熊太郎と弥五郎は兄弟分の盃を交わした。
 男持つなら熊太郎弥五郎と昭和の御代まで名を残すと河内音頭に歌われた義兄弟の契りが結ばれたのである。といって正式の盃事をしたわけではなく、もたれたら壁土はぼろぼろ剝がれ落ち、障子は破れ放題という情けない飲み屋の座敷でよい加減な肴を突きながら、「われと俺とは今日から兄弟分や」と酔った挙げ句に叫びつつ、献酬しただけの話である。
 そんな程度のことはしかし珍しくもなんともなく、平成のいまでも高架下の焼鳥屋などで酔った挙げ句に感極まって、「俺とおまえは兄弟分だ」などといって盃のやり取りをして、「あー、ええ感じや」なんて叫んでいる人はなんぼでもある。そして翌日は互いに知らん顔をして仕事をしているのだ。
 しかし、弥五郎は本気だった。翌日になっても知らん顔をして仕事をするということなく、熊太郎を兄哥、兄哥と奉って、どこにいくのにも付き従った。
 このことは熊太郎に多大な利益をもたらした。熊太郎は博奕は好きであったがどちらかと言うと盆暗であった。しかし、弥五郎は違った。世間育ちの弥五郎は嗅覚が鋭敏で、熊太郎が賭場で鈍臭いことをしようとすると、「兄哥、そらあかんわ」と言ってとめ、熊太郎は損失を未然に防ぐことができた。
 また、熊太郎はそのことをおおっぴらにはしておらず、そこのところは曖昧にしてごまかしていたがきわめて喧嘩が弱かった。しかし、弥五郎は見るからに強そうだし、実際、強かった。その弥五郎が、「兄哥、兄哥」と慕っているのであり、熊太郎はこの様をみれば誰も俺が弱いとは思わぬだろうと思った。
 子供の頃、自らを大楠公に擬した熊太郎は、自分はむしろ自らは武力を持たない後醍醐帝ではないかとも思った。そして熊太郎はそのことについて忸怩たる思いがあったので、ときに弥五郎のとめるのも聞かず、独自の方法論にこだわって鈍臭い負け方をしたりした。
 それでも熊太郎にとって弥五郎はきわめて便利な弟分だった。ときおり熊太郎は弥五郎のことを、この男はもしかしたら俺にとって宝石のような存在ではないのか。と思った。そう思うとき熊太郎はみずからを本当に石ころであると思い、それを知れば弥五郎は自分から去るだろうと思っていた。
しかし、そういえば不思議なのは俺はいま弥五郎相手に賭博者の心理という精妙複雑なことをちゃんと言葉で話すことができた。村の者が相手であれば絶対に無理だっただろう。というか、俺がいまこんな吉野川の河原で懐中に一文の銭もなく、盗んだ酒飲んで野宿するてな因果なことになったのは、子供の時分から思いと言葉が一筋につながらぬという特殊の事情が主たる理由であるのに弥五郎にだけは忌憚なく思ったことを話せたのはなぜだろう。
 そんなことを考えた熊太郎が弥五郎の姿をみやると弥五郎はさきほどまで話をしていたのにもかかわらずもう口を開いて眠っていた。着物の襟が大きくくつろいで腹当てが丸出しになっている。
 熊太郎は、「ふっ、気楽なやっちゃ」と笑ったが、熊太郎自身も身体のなかは酒で暖かく、身体の表面は焚き火で暖かい。弥五郎を笑った熊太郎もまた思わず知らず眠りに落ちた。
 深閑たる闇のなかでただ火が燃えていた。
 火は闇のなかでいかにも頼りなく心細かった。
「なんや、おまえ奈良の大仏みたことないの」
 と表面上はなんでもない口調で弥五郎に言いながら熊太郎は明るい口調で奈良の大仏をみたことがないと言う弥五郎に無限の悲しみを覚えていた。
 もちろん弥五郎とて奈良に言ったことはあるはずだ。しかし、せっかく奈良に行っても彼は遊郭と博打宿にしか行かず、お寺やお宮さんに参るということはけっしてないのだ。なぜなら、幼き頃より弥五郎は過酷な労働に明け暮れ、奈良のお寺に参るような時間的精神的余裕はなかったし、長じてよりは奈良に行っても木辻にばかり行っていたのであって精神的文化的に荒廃しきった生活を送ってきたのだ。それというのも貧しさゆえ。いかにも可哀そうなやっちゃのお、と思ったのである。
 熊太郎は言った。
「ほんだら奈良行こ。奈良行ってあちこち見物してうまいもん腹一杯食て遊んで歩こで」
 弥五郎は明るく答えた。
「そらけっこやの、そないしょう」

 そんなことでごく気楽な二人連れ、街道を北へ向い、途中、桜井で日が暮れたが銭はたんとある、宿屋へ泊まってうまいものたんと食べてお酒も飲んで、その日は早くに寝て、翌日の午過ぎに奈良に着いた。
 ふたりは奈良の三条通をぶらぶら歩き、南円堂の前までやってきてそれから北へ、東大寺の方へ向かい、南大門をくぐって大仏殿にやってきた。
「さあ、弥五、これが奈良の大仏や」
「へぇ、おっとろしいおっきいのお」
「なんでも身の丈が五丈三尺五寸あって鼻の穴を傘さして通れるちゅうからの」
「しゃあけど兄哥、なんでこんな大っきい仏さん拵えてん」
「そら、おまえ……、大っきけりゃ大きいほどありがたいからとちゃうんけ」
「あ、なるほど。耳もおっきもんなあ。わいらの願いもよう聞こえるもんなあ」
 と弥五郎、誤った理解をし、
「ほた、ちょっと拝ませてもらうわ」
 と大仏に向かって熱心に祈り始めた。
 熊太郎も一応、手を合わせたが弥五郎があまりにも真剣に拝んでいるのが気になって祈りに身が入らず、すぐにやめてしまった。ところが弥五郎はまだ拝んでいる。熊太郎は後ろに下がり弥五郎の祈りが終わるのを待ちつつ、弥五郎はまったく神仏を信じないというのではなく、ただ、余裕がなかったのだ、と思っていた。
 そんなことをしているうちに熊太郎は恥ずかしくなってきた。
 なんとなれば薄暗い大仏殿にはせんぐりせんぐり人は入ってきて人は多い。しかしみな、無暗に巨大な大仏を見てへらへら笑ったり、弥次喜多が抜けなくなった柱の穴をくぐってほたえるなどするばかりで、弥五郎のように真剣に祈っているものは一人もない。と思ってうち眺むれば、巨大な大仏はあまりありがたくなく、少しばかり物の分かった人間はこんな大仏は見るもので拝むものではないと心得ていて、まともに拝む場合は二月堂、三月堂などで拝むに違いない。それをば知らずあんな真剣に拝んでいる弥五郎というのはそういう、通の人たちの目から見ればいかにも田舎者と言うか、鈍くさい奴に見えるに違いなく、また、その連れの俺というのも同じく鈍くさい田舎のあほと思われているに違いない。格好悪い。早く拝むのをやめてほしい。
 そんなことを思って熊太郎がじりじりして待っているとようやく祈りを終えて戻ってきた弥五郎が伽藍中に響き渡るような大きな声で、「兄哥、待たしたのお」と言うから、熊太郎はますますきまりが悪く、「行こ」と小声で言ってそそくさ大仏殿を出た。
 それからやって参りましたのが若狭の呼び水良弁杉、二月堂。熊太郎は弥五郎に言った。
「ここが有名な奈良のお水取りするとこや。十一面観世音菩薩が祀ったあんね。肌に温みがあって肉身の像ちゅわれてんね」
「兄哥、その十一面観世音菩薩てなんやね」
「なんやねて、観音さんやんけ」
「いや、観音さんは分かっとんねけどな。その十一面てなんやね」
「顔が十一個あんにゃんけ」
「十一個てどないなってんね」
「顔がな、前と後ろと横に四つついとんにゃ。ほんで、頭の天辺ちょからちんまい頭がぶわあ、吹き出しとんにゃ」
「おとろしな」
「おとろしことあるかれ。ありがたいにゃで。どんな悪いことしとっても、この観音さんに、すんません言うたら許してもらえんね」
 そう言って熊太郎は真剣に拝みたいような気持ちになって言った。
「わい、ちょう拝むわ」
 熊太郎は真剣に拝んだ。
 葛木ドールをどつきまわして殺したこと。山陵を暴いたこと。父母を敬わず労働を忌避して飲酒や賭博ばかりしていること。そんなことを許してくれと祈った。
 掌と首筋が熱くなって汗が噴出した。
 それからやって参りましたのが春日大社。熊太郎が弥五郎に言った。
「ほれ、みてみい。いまそこ通ってきたやろ。あれが若草山や。ほてここが春日大社やんか」
「なるほど、きれいな山やね。しゃあけど、兄哥、いっこたんねてもええか」
「ええよ」
「わいな、前から不思議やったんやけど、なんでここらにゃこない仰山、鹿おんね」
「ここらの鹿はみな春日明神のお使いやね」
「ほんまかいな」
「ほんまか嘘か知らんけどそういうことになったんね。しゃあからここらの鹿は大事にせんといかんね」
「ほんまかいな。ほな、向こでお婆ンが鹿の餌ェ売っとるやんか。あれ買うてきてやったほうがええのんかなあ」
「そら、やったら功徳になんのとちゃうけ。知らんけど」
「ほな、わいちょう買うてくるわ」
 言うが早いか弥五郎はお婆ンのところに駆けていき、鹿の餌を買って戻ってきて、「へ。これ兄哥の分や」と言って熊太郎に手渡した。
「なんや、わいのんも買うてきたんかい」と熊太郎が受け取った鹿の餌は、米糠で拵えた粗雑な煎餅十枚で、煎餅を束ねた紐を解くやいなや、目ざとくこれをみつけた鹿が熊太郎を取り囲み、鼻をふんふんさせまん丸な目で熊太郎を見上げた。
 弥五郎も同様に鹿に取り囲まれ、「ぐほほ。つぶらな瞳がかいらしやんけ」とやくざ者に似合わぬメルヘンな気持ちになって喜んでいる。
 熊太郎は初め、くれくれと言ってくる鹿に餌を与えた。
 身体の大きな鹿で、首をくんくん振って餌をくれと言っているその姿が愛らしかった。
 熊太郎はその鹿に煎餅二枚を与え、次にその後ろのちょっと小さな鹿にも餌を与えようとした。なぜならその鹿も腹を減らしているらしく、小規模にくんくんしていたからである。
 ところが熊太郎が後ろの鹿に、「はい。お前も食え」と言って餌を与えようとした瞬間、大きい方の鹿が、「いやーん、僕のえさー」と言って割り込んで、熊太郎の手に顔を押しつけて無理矢理に餌を食べた。熊太郎は激怒した。
 なんたらあつかましい鹿であろうか。少しは後ろの奴にも分けてやるという精神はないのか。つぶらな瞳をしているだけによけいにむかつく。
 そう思っている間にも大きい鹿は熊太郎の手に首を押しつけてきた。
 まったくもってなんというあつかましい鹿だ。と呆れ果てた熊太郎は、「おまえにはやらんちゅとるやろ」と鹿を一喝し、後ろにいた小さい鹿に餌をやった。
 小さい鹿はうまそうに餌を食べ、残り七枚の餌はついにむなしくなった。小さい鹿は満足そうに鼻をむずむずさせ、どこかへ行ってしまった。
 ところがあつかましい方の鹿は立ち去らないでまだくんくんしており、熊太郎は鹿に、「もうしまいじゃ、どあほ」と言い、両の手をはらって、もはや餌のないことを鹿に示した。
 その様をみた鹿は、信じられない、という顔で立ち尽くしていたが、やがて熊太郎の目をじっと見たまま、世にも悲しげな声で、「ひいいいいいっ」と泣いた。
 人の心を打つ声であった。行く人が何事かと振り返り、熊太郎の顔をまじまじと見た。
 熊太郎は心のなかで、違う、と叫んだ。
 違う。こいつがこんな声で悲泣するから一見、俺がこいつになにかしたように見えるがそれはまったく逆で、むしろ俺はこいつに餌を与えたのだ。にもかかわらずこいつがあまりにもあつかましく他の鹿に餌を分けてやろうとしないから、むかついて、それ以上、こいつに餌をやらなかっただけで俺は虐待とかそういうことをしているわけではない。
 熊太郎のそんな心中をみすかしたように鹿は、ここを先途と泣き叫び、行人はますます熊太郎の顔をじろじろ見た。
 くっそう。汚い奴だ、と熊太郎は口惜しかったが、世間に負けた熊太郎は自ら鹿の餌を購め、これをあつかましい鹿に与えた。くっそう、むかつく。と憤りながら。
 そんなことをしながらぶらぶら歩いてやってきたのが猿沢の池。
「魚半分水半分ちゅけど、どないやねん? 実際のとこ」などとしょうむないことを言いながら通り過ぎ、それから、さらにあちこちを見物して歩いて、さあ、もう大方、夕景になってきた。
 さあ、そろそろ今晩の宿を決めんならん。銭はあるこっちゃし、三条通に戻って印番屋か小刀屋ィでも泊まろかい、という意見も出たが、「やっぱし木辻ィいってみょう」ということになって猿沢の池のところを左へ曲がり、熊太郎弥五郎は木辻へ向かった。
「他人事みたいにいうてけつかる。よっしゃ。おまえが同村の人間と知れたらほっとくわけにいかん。助けたるわ」
 熊太郎がそう言うのも聞いて弥五郎が驚いた。
 だってそうだろう。松永傳次郎の次男であるということはあの松永熊次郎の弟ということで、その松永熊次郎は五条の博奕場で熊太郎と弥五郎にどんな態度を取っただろうか。
 はっきり言って鹿十である。
 普通だったら、熊太郎、弥五郎が持っている銭を全部とられたのが分かっているのだから、同村の者として少しくらい銭を回そかと言うのが当たり前である。ところが熊次郎ときたら、それどころか挨拶すらしないでそっぽを向き、ときおりこちらを皮肉な目で盗み見てはにやにやしているのである。そんな奴の弟をなにも助ける必要はない。
 しかし熊太郎には別の考えがあった。
 ひとつには、だからこそ救ってやろうというのがあった。
 熊太郎は、はっきりと悪意を抱いて接した相手が意外な善意をもって応対したら人間はどんな気持ちになるだろうかと考えた。
 当惑。そして恥の感覚に満たされるだろう。自分はこの人がかく善意の人だということも知らずにあんな悪意をもって接してしまった。自分はなんたら卑劣な人間なのか。恥ずかしい。そう思って人は落ち込む。そこに追い込んでこましたる。自分は仰山、駒札を集めて儲けている。にもかかわらず困窮している同村の者を鹿十した。ところがその鹿十した相手が、こんだ自分の弟が困窮しているのを救うのである。熊次郎は困惑するに決っている。そしてそればかりでない別の思惑が俺にあるというのは、例えばこの谷弥五郎である。俺は正味の節ちゃんの博奕場で期せずして弥五郎を救った。別に救おうと思ったのではなかったが結果的に救った。しかしそのことが後日、俺を救った。水分神社で暴れていた男が谷弥五郎で、俺に恩義を感じていた弥五郎は俺の仲裁をあっさり受け入れ、俺は村の連中に面目を施すことができたのである。いまここで寅吉を救い、松永家に恩を売っておけば、弥五郎と違って金もあり、また多くの田地山林を持つ松永家のこと、後日、大きな利を生むのではないか。もちろん功利的な考えであるが、しかし俺はただ功利的なのではなく神のこともちゃんと考えている。昨日、俺は二月堂で十一面観世音に、葛木ドールをどつきまわして殺したこと。山陵を暴いたこと。父母を敬わず労働を忌避して飲酒や賭博ばかりしていること。そんなことを許してくれ、と祈った。その際、掌と首筋が熱くなって汗が噴出した。以前であれば、どうせ罪障にまみれているのだから多少よいことをしたところでどうせ自分は助からないと思ってよいことなどする気になれなかった。しかし、十一面観世音に祈ったいま、俺はそうした罪障がチャラになったかも知れない状態にあるのであり、ちょっとでもええことをすればその分だけ、ええ人になれる好機なのだ。
 そんな都合の良いことを考えていて果報が願える訳がないが、熊太郎はそんなようなことを考えて、松永寅吉を救おうと思ったのである。
 ややあって。一階の間で、熊太郎が煙草を吸っているその隣に谷弥五郎が胡座をかいて座り、少し離れたところで寅吉が神妙に正座、熊太郎らの向かいには妓夫太郎が座り、金を数え、その隣に津金翠が座って、いひゃいひゃしていた。
「四ィ五ォ六円、へ。ほた、二十五銭の釣りになりまんな」
「おかんかれ。二十五銭やそこらもろてもしゃあない。おまえにやるわ」
「へ。こらどうも仰山に頂戴いたしまして」
 へらついて言う妓夫太郎とは対照的に苦りきったような口調で熊太郎は言った。
「それにつけても、寅よ。われ、おっとろし遊びやがったの。わいら二人分より、まだよけやんけ」
「おかしいですね。なにかが包縮したのかな」
 と寅吉は訳の分からぬことを言ってごまかした。津金翠が歌うように言った。
「困っているお友達を助けるなんて、まさに現代の幡随院長兵衛……」
 熊太郎は、殴りたいな、と思った。

 岩谷楼を出た熊太郎は改めて寅吉の顔をじんわり見た。
 何度見ても男前であった。しかもどこか賢そうな顔であった。
 にもかかわらず一文の銭も持たず娼館に登楼するなどという阿呆なことをすると言うのはどういう訳だろうか。そんなことを思っている熊太郎に寅吉が言った。
「どうもすみませんでした。このご恩は死ぬまで忘れません。お借りしたお金は一生かかっても返そうかな」
「はあ?」
「え。ですからね、ご恩は忘れません、とこない申し上げた」
「そら、わかったる。その後、なんちゅたんやな」
「お借りしたお金は一生かかっても返そうかな」
「ちょう待て。その返そうかなてなんやね。普通は、一生かかっても返しますちゅうんちゃうけ?」
「まあ、普通はそうかも知れないね」
「知れないね、てなんちゅう口きくね。ほた、聞くけどおまは普通とちゃうのんかい」
「まあ、普通ですけどね。ただ、普通というのはどこまでいっても普通であってやはり面白くないでしょ。面白くないのはやはり面白くないので面白くするためにちょっと変えてみたんですよ」
 谷弥五郎が言った。
「それっておちょくってるということとどこがちゃうね」
「どこも違いませんよ」
「兄哥、どつきまわしてええかなあ」
「兄哥、どつきまわされてええかなあ」
「掛け合いやな」
 言いながら熊太郎は、はっはーん、と思っていた。つまり、この松永寅吉という男は、とにかくなにか面白いことを言って常に人を笑わしているつもりで実際には自分が笑われているという類いの人間だということが分かったからである。
 しかし熊太郎は意外にも腹が立たなかった。
 それはなんだか話し様も妙な、寅吉のなかに自分に似たなにかを見いだしたからであり、また、寅吉の兄であるところの熊次郎の、あまりにも実利的実際的な生き方と正反対の生き方を寅吉の中に見いだしたからである。
 こいつとは友達になれそうだ。そんなことを漠然と思っている熊太郎に寅吉が言った。
「ところで、あんたらこれからどないすんね?」
 熊太郎は、こいつ普通にしゃべれるやんけ、と思いながら言った。
「決めてへん」

 ほれやったら伊勢へ行けへんか。ええ博奕がでけてんで。という寅吉の誘いに乗って熊太郎弥五郎に寅吉の三人連れは伊勢へ向かった。
 最初むかついていた弥五郎も松永熊次郎とは正反対に気安い寅吉とすっかり意気投合し、酒を飲むのも三人、飯を食うのも三人、なにをするのも三人で、しかも懐にはまだ仰山にお金が残ったある、貸座敷にあがる、博奕場巡りをする、おもしろおかしい旅行をして、あった銭をば全部使おて、すっからかんで水分へ戻ってきた。
「はは。おもろかったな」
「ほんまやな。そやけどもう銭一文もあらへんで」
「そやな、またどっかの飯屋ィ行て百円拾おか」
「そうさいさい落ってるかあ、あほ」
 しょうむないことを言いながら、松永の家の近くまで戻ってくると、一軒の家の前に村の者が集まって、わあわあ言っている。「なんやろね」「なんぞあったんかな」と、熊太郎らは近寄って行き、一番後ろにぼんやり立っていた今田鹿造に、「なんどあったんけ」とたんねたところ、鹿造は、「ここの家の娘が石見銀山嚥みよったんやがな」と答えた。
 ここの家というのは戸口にさしてみなが立っている竹田山三郎という男やもめの宅で、山三郎方にはくみという一人娘があったが、この娘が石見銀山という殺鼠剤を嚥んで自殺を図ったというのである。
 自殺の原因は失恋であった。
 相手は富田林の酒造業を営む家の息子で、息子は東京の大学に通っていたのだが夏季休暇で帰省した際、親戚に頼まれて手伝に来ていたくみとできあってしまったのであった。といって息子がくみを愛していたという訳ではなく、そら口では愛しているというようなことを言ったがそんなものは口先だけで、実はただ性欲に任せてくみを我がものにしただけのことである。それが証拠にその際、息子は自分の家はようけ銭を儲けている大きな造り酒屋で地主。相手は三反百姓の娘。きっと自分に逆らうことはできんだろう、と計算していた。
 というとでも実際その通りで、ご大家のぼんに言うことを聞けと言われたくみは身分を考えると、じゃかあっしゃ、ぼけ、などと邪険なことも言えず、弱めに、「やめてください」と懇願したが、弱めだとやはり弱いのでついに言うことを聞かされてしまったのであった。
 地位や立場を利用して女にいうことを聞かせるとはまったくもって呆れ果てた馬鹿者で、大学に行って立派な学問を修めながらいったいなんということをするのだと思うが、平成のいまでもこんなことはよくあって、男というのはしばしば理性を失ってこういうことをしてしまうのであり、まことにもって困ったことである。
 その後、くみと息子は逢瀬を重ねた。その都度、息子は愛しているとか嫁になってくれとか一緒に東京に行こうなどと言った。もちろん口から出任せに言っただけである。しかしくみは無邪気にもこれを信じ、息子の嫁御寮になれるものと信じていた。当然のことながら息子はそんなことは考えていない、最初のうちこそそんなことを言っていたが、やがてくみが、「お嫁さんにしてくれはんにゃろ」と言うと、「まあ、基本的にはそういう方向性でいきたいと思ってるんだけどね」などと誤魔化すようになってきた。
 そうなるとくみも不安だからしつこく聞く。しつこく聞かれるとうっとおしいから息子はだんだん面倒くさくなり、ついには本性を現して、「最初は本気で結婚しようと思っていたのに、しつこく言うから嫌になってきた。ここは重要だよ。僕は最初は結婚しようと思っていたんだ。でも君がしつこいから嫌になったんだよ。つまり原因を作ったのは君だ。僕じゃないからね。僕を恨んだらあかんぜ」
 と身勝手なことを言い、予定より早く休暇を切り上げて東京に帰ってしまったのである。
 しかもそれだけ言っておきながら別れ際には、またぞろくみにのしかかっていったというのだから卑劣である。
 まったくもって家に銭があって、子供の頃から大勢の奉公人や出入りの者にかしずかれ、ぼんち、すぼぼん、と言われて大きくなるからこんなエゴイスティックな痴れ者が出来上がるのであり、いくら家に銭があってもこんな了見では身代はもちかねる。事実この家も明治の末、この息子の代になって身代限りをしてしまったそうである。
 それはそうとして、しかしかわいそうなのは息子に裏切られたくみで、毎日悲嘆にくれていたが、さらに具合の悪いことにはくみは息子の子供をみごもっていた。
 親にも打ち明けることができず相談する相手もないくみはついに思いあまって石見銀山を嚥み、気息奄々、嘔吐に苦しみながら右の経緯を涙ながらに親に打ち明け、「おとうはん、すんまへん」と謝ったというのはいと哀れである。
 そうした経緯を鹿造やその他の者に聞いた熊太郎は、なんたらあくどい息子やと思い、かいらしい娘やったのにあたらそんな者に騙されて村の男としてむかつくと思った。熊太郎は鹿造に尋ねた。
「ほて死んだんかい」
「いやまだ死んでへんけどな。お医者の先生が言うには薬嚥ましても明日の明け方までもつかもたんかちゅてたらしよ」
 鹿造はそういって尻を掻き、それからなにを思ったか自分の乳を揉んだ。
 結局、くみは苦しみ抜いたあげく夜半過ぎに亡くなった。
 涙を流し、何度も何度も父に謝ったと言う。村の者は、もともと浮気蓮っ葉なところがあった娘だなどと噂したが、それにしても哀れである。
「兄貴には気ィつけや」
 兄貴には気ィつけや、他人に対して実の弟がそんなことを言うのはよほどのことである。
 しかし宇治から戻り、最初こそ挨拶に来るなどしていたのが、そのうち露骨に熊太郎を軽侮するようになり、ついに五條では完全な鹿十をした熊次郎は熊太郎にとって実害はないのだけれども非常に不快な存在で、その不快な熊次郎を第三者が批判するということは、その不快な圧迫感が多少なりとも軽減されるということで熊太郎は精神が按摩されるようで気色よかった。
 しかもその批判をしたのは、熊次郎にもっとも近い肉親の寅吉である。熊次郎に敵対する者が熊次郎を批判したのであれば或いはそれはためにする批判であるかも知れない。しかし、寅吉は本来であれば仮に熊次郎を批判する者があればこれを擁護するべき立場にある身内である。その身内があえて批判しているのだからその批判はきわめて正当な批判であろうと熊太郎は思い、なおのこと気色がよいというか、精神にアロマテラピーとフェイシャルマッサージを受けているようで心地よかった。その心地よさをなるべく持続させたいものだと思いつつ熊太郎は訊いた。
「なに? 熊次郎てそない根性腐っとんのんか」
 訊いてから熊太郎は、ちょっと表現がどぎつかったかな。こんな言い方をしたら寅吉もむっとして黙るかな、と思ったが寅吉は気にせずに言った。
「根性は弟のおれから見ても腐りきってるわ。兄貴はね、目的のためやったら手段を選べへん。冷たいちゅうのかな。なに考えているかわからないようなとこもあるし。ときどき黙りこくって小一時間も牛を眺めていることがあんにゃけど、なんや、ぞっとするような目つきしてるわ。なに考えてんのかな思たら、分からんけど弟のおれでもなんか怖いもん」
「なるほどなあ」
 そんなことを話しながら三人は焼香した。
 哀れなもんやなあ。熊太郎は仏の前で手を合わせて思い、また、焼香にも来ない、大学生の息子に対して腹を立てた。しかし、だからといってどうする訳でもないし、どうすることもできない。熊太郎は、まあ、成仏してや。と念じて掌を合わせた。
 あの不遜な松永熊次郎が頼むと言って畳に頭をこすりつけているのである。
 熊太郎は優越感を感じたが、しかし同時に、このことは高くつくのではないか、と不気味な思いもなり、再三、手をあげるように促したが、熊次郎は、「うんと言うてくれるまで頭はあげへんで」と言って頑張る。
 熊太郎はぼんやりと熊次郎の背後の土間に日が射しているのを眺めつつ、いっそのこと引き受けてこましたろか、と考えた。
 熊次郎の依頼を引き受けるという考えは、税所篤の影に怯え、頼まれもしないのに、駒次郎の牛をようじょこに連れて行って以来熊太郎がずっと抱いていた、村の役に立ちたい、という願望を刺激する魅惑的な考えで、実のところ熊太郎は熊次郎の依頼の趣旨が明確になった時点からずっと、その申し出に魅力を感じていたのだった。
 しかし、ようじょこのこともあり、調子に乗ってかかる申し出を受けると結果的に自分が大変な損害を負うということを熊太郎は経験的に知っており、だから余計者の自分が村の役に立つという魅力的な申し出を受けられないでいるのであった。
 熊次郎はまだ、畳に頭をこすりつけて、「頼む、頼む」といってわなないたり、尻をぷりぷり左右に揺すぶったりしている。その姿を見ながら熊太郎は、やった場合、やらんかった場合、それぞれの利害得失について思いを巡らせた。
 やって得るものは第一に名誉である。熊やんは偉いやっちゃ。凄いやっちゃ。みなが尊敬する。いままで俺を阿呆の極道だと思って馬鹿にしてた連中が尊敬する。女が惚れる。さらには、木辻で寅吉を助けたときも思ったが、よいことをしておくと後でそれが自分の利益になる可能性が大ということで、例えばいま熊次郎がこのことを俺に頼みにきたのは、木辻で俺が寅吉を助けた、その信頼感に負うところが大きいのかも知らん。というとでも俺は利己的なことばかり考えているようだが、必ずしもそうではないというのは、二月堂で俺は十一面観世音に祈った。そのことによって俺のこれまでの罪障が消滅していたとしたら、俺はこれまでと違ってよき人として生きることができるのであって、手始めに竹田のために働くというのは仏教的見地から考えてもけっして悪いことではない。では翻って失うものはなんだろうか。というとまず先方に行き、まあ、手荒い掛け合いに行く訳だから先方も俠客を頼んでいて、その際、こっちがやられたら痛いだけ損である。また、そうしてどつかれるなどして、詫び状も銭もとれなかった場合に失うのもまた名誉である。なんや、熊の餓鬼、偉そうに言うて乗り込んで行て、どつきまわされて泣いて帰ってきよったがなと言われる。そこいらのあたりの目算はどのようになっているのだろうか。
 最初のうちはそれでも低い声で言っていたのが、話すうち我と我が言葉に興奮、しまいには大声で怒鳴ってしまっていた熊太郎は興奮しながらも頭のどこかで、これでもう引き返し不能地点まで来てしまったな、と思っていた。
 もはや通常の話し合いはできない。後は憤激を爆発させ続けるしかないのだ。爆発がやんだとき、すなわち滅びるときだ。熊太郎はそんな決意をしていた。絶望的な決意であった。
 番頭の後姿を見ながら熊太郎は煙管をくわえ煙草盆にかがみ込んだ。
 煙草に火がつき、熊太郎は上体を起こした。
 番頭はまだ、若い者と話していた。
 そして熊太郎は見てしまったのであった。番頭は、右手の人差し指で自らの側頭部を指し、指を三度、回転させたのである。
 熊太郎の感情が決潰した。
 最初はちょろちょろ流れている水だった。
 人間の湧き水。人間の脇腹や頭脳に小さな罅がはいってそこからちょろちょろ水が流れるのだ。卑小な者の涙。俺はこの大きな大きなお店の前で卑小な存在だった。小さき者だった。安手の茶碗も岩にぶつかれば割れる。俺は毎日、安手の茶碗で飯を食っている。酒を飲んでいる。ここの家の者は、さぞかし素晴らしいお茶碗で御飯を食べているのだろう。そんな俺から水が流れている。それは怒りの水。だんだんに水の流れが激しくなってくる。それはそうだろう、いくら俺がとるにたらぬやくざ者だからといって、或いは、竹田山三郎が貧乏たれの百姓だからといって、事実、実際やったことを、なんのことかしら? みたいな白こい芝居してやっていないことにし、ひとが一生懸命必死になって説明しているのも、表面上は親切そうな顔で、へえへえ聞いている振りをして、陰に回るとあいつは気ちがいだなどといって笑い者にする。そんなことでいいんですか? そんなことでいいんですか? 権勢にまかせて、財力にまかせて、必死で訴える小さな者を笑って踏みにじる。そんなことでいいんですか? 人間としてあなた方は本当にそれでいいと思っているのですか? と内心で叫ぶ熊太郎から、いまや、おそろしい量の水が噴出していた。
 滔々と流れる怒りと悲しみの大河であった。
 大河は岩を嚙んで流れる暴流、濁流に比べると静かに流れているようにみえる。
 しかし、流れる水の量とそのエネルギーは岩を嚙んで流れる暴流を遥かにしのいで凄まじい。
 熊太郎は茶碗を手に取ると戻ってきた佐兵衛に静かな口調で言った。
「佐兵衛はん。これなんやね」
「それはお茶ですが、なにか」
「おまはんとこの商売はなんやね」
「ご覧の通り酒屋渡世をいたしております」
「それやったらなんで茶ァ持ってくんね。酒、持ってこいや」
 あくまで低い声であった。番頭は呆気にとられて熊太郎の顔を見た。
 怒りのあまり白目が充血して真ッ赤いけであった。
 熊太郎の顔を見た番頭は、正気の目ェやあらひん、と思った。つまり熊太郎はそれくらいに腹を立てていたのであった。しかし熊太郎を狂人だと思いこんでいる番頭は、いまは逆らわない方がよいと判断、家の者を呼び、酒を持ってこさせた。
 熊太郎は茶碗に酒をつぐとこれを飲んだ。弥五郎も飲んだ。
 茶碗を畳の上に置いて熊太郎は言った。
「さあ。佐兵衛どん。もっかい同じこと言うわ。わしは赤阪村の水分ちゅとこから来た城戸熊太郎。ここにおんのは弟分の谷弥五郎。わざわざ御当家までやってきたその訳は、御当家の息子さんにええようにされて死んだ、水分の百姓、竹田山三郎の娘、くみへの詫び状と香典、それもよけやない、たった二百両、それを頂戴にあがりました。それさえもろたらさっさと去ぬにゃさかい、さあ、詫び状と香典、いますぐ出したってくれや。あ、そうそう、言い忘れてたけろな、もし、どなしても出さんちゅうにゃたらしゃあない。すぱっと諦めるわ、しゃあけどこっちゃにも意地ちゅうもんがあるからのお、大坂の新聞ちゅうもんにあらいざらいみな載せさせてもおて、世間の人にどっちゃが間違うてるか決めてもらうつもりやからのお、そこらよお考えて決めてくれ」
「さ、そないおっしゃられても当方にはとんと見当が……」
「つかんちゅうのかい」
「さいでふ」
「さよか。ほな、ええわ。おい、谷君、ちょっと例のもん貸してくれるか」
「例のもん? ああ、例のもんね」言うと弥五郎は懐から牛糞の包みを取り出した。
「これかいな」
「ちゃうちゅうね。もう一個のほう、もう一個のほう」
「あ、あっちか。すまん、すまん」
 謝って谷が懐から取り出し熊太郎に手渡したものをみて番頭は腰を抜かした。
 番頭は、左手を後ろについて上体をのけぞらせ、右の掌を熊太郎に見せて顔の前で振って言った。
「ちょ、ちょっと待っとくなはれ、そ、そんなペストルみたいなもん出してどないしなはんね」
「うん? 別に殺すだけやけど」
「やめとくなはれ。殺さんといとくなはれ」
「ほな、詫び状と香典出すんかい?」
「そ、それは……」
「ほな、しゃあない。殺すわ」
 そう言うと熊太郎は拳銃を構えて番頭の額に狙いを定めた。
「ひいいいっ」
 番頭は空気が洩れたような悲鳴を上げ、そして小便をちびった。
 番頭は四つん這いで逃げようとしたが腰がかくかくして逃げられない。
 熊太郎と弥五郎は畳の目を伝って流れてくる小便をよけようとして立ち上がった、ちょうどそのときである。表の方から「ごめん」と言って入ってきた者があった。
 巡査かも知れないと思った熊太郎は咄嗟に拳銃を懐にしまったが、入ってきたのは一目で分かるやくざ者であった。番頭に耳打ちされた若い者が近所の親分を呼びに走ったのであった。
 熊太郎は、やっぱりな。と思った。
 誠実に話を聞く振りをして裏ではこんなことをしている。汚い奴だと思った。
 やくざ者は、熊太郎弥五郎と番頭の様子を見るなり、状況を察知して、
「おどれら、正味なに考えとんど。足元、正味、明るいうちに帰らんかれ、ど阿呆」と怒鳴った。
 怒鳴られて熊太郎弥五郎は怯んだだろうか。まるで怯まなかった。
 なぜならその口調に聞き覚えがあったからで、そう、番頭が店の者に呼びに行かせた俠客は、明治十四年、谷弥五郎と初めて出会った野天博奕のしがない胴元、正味の節ちゃんその人であったからである。
 正味の節ちゃんの後ろにはゴム引きの合羽を来た河童そっくりの中年男が立っていた。合羽の清やんである。後のふたりは熊太郎の知らない若い男であるが、いずれもぼけみたいにもっさりした若い衆である。そんな奴らが人を威嚇しようとして気張り、土間に立ってふんふんしている様子が気に障って仕方ない熊太郎は怒鳴った。
「おおっ、こら。おどれまだここらうろうろしてけつかったんか。おまえみたいな蠅がうろちょろしてたら目障りでかなんね。さっさと失せさらせ、ど阿呆」
「ハエ? なんちゅことぬかしゃがんね。われ、この俺が誰か分かってそんな口きいてんのんか」
「分からいでか。われ、正味の節ちゃんやろ」
「お? 俺の名前知っとんのお。どこぞで会うたことあるけ?」
「会うたがな」
「会うたかなあ?」
「忘れたんやったらしゃあない。教たるわ。明治十四年や。おまえのしょうむない仕切り盆で遊んで五十円の小遣い貰て帰った粋な兄ちゃんがあったやろ。ありゃわっしゃがな」
「あ。あれは忘れへんで。あれは忘れへんで。ほ、ほんなら隣におんのは……」
「あんときの子供や。あの子供がこないおっきなったんやさかい、お互い年とるはずやの」
「じゃかあっしゃ。あの後、わしは銭がのおてどえらい苦労したんじゃ。ここで会うたが百年目、どつきまわしたるさかい覚悟せえ」
 熊太郎は思った。
 復讐に燃え、どつきまわしたるさかい覚悟せえと言い、迫ってくる正味の節ちゃんたちは四人。背後には店の者が十人ばかり、割り木を提げて突っ立っている。いくら弥五郎が強いといえどもこれでは勝ち目がない。となると拳銃を見せびらかして逃げるより他ないが、そうすると脅迫の実、脅迫の実というのも妙な話だが、先方に、撃退したという印象が強く残って、実を得ることができないまま、こいつらは自らの欺瞞をまるで省みないで相変わらず嘘をついて傲然とするだろう。それはあまりにもむかつく。いったいどうしたものか。
 そう考えた熊太郎は一計を案じた。
 明治十四年、節ちゃんの賭場で熊太郎が追及されなかったのは、節ちゃんらが逆上した熊太郎を狂人だと思いこんだからである。なにをするか分からん奴。そう思って正味の節ちゃんはびびったのである。熊太郎はあれでいってこましたろ、と考えたのである。
 知って気のおかしい奴の振りをして正味の節ちゃんをびびらせ、相手に恐怖心を抱かせてから引き上げる。あいつらはびびって反省する。これだ。これだよ。
 熊太郎は弥五郎に、「いまからわし、ちょうけったいな奴の振りするけど、びびらんと調子合わしとけよ」と耳打ちし、一度懐にしまった拳銃を取り出して、正味の節ちゃんに銃口を向けた。

 節ちゃんらは、「うわあっ」と悲鳴を上げて立ち止まる。
 それをみてとった熊太郎は、「もうやめてくれませんか」と低く悲しげな声で言った。
 全員、息を飲んで黙りこくっている。
 店の間に熊太郎の声だけが響いた。
「もう嘘はやめてもらえませんか。私は嘘が嫌いなのです。というか、嘘に耐えられないのです。私は奈良で十一面観世音菩薩に罪を許してくれと頼みました。正直言って私の罪が許されたかどうか、それは私にも不明です。ただ私は私が十一面観世音菩薩に祈った、その一点のみにおいて、私を今後、厳しく律して行こうと思ったのです。それは万分の一かもしれないけれども、もし私が許されていたらという目に賭けて今後は正しいことだけをやって生きて行こうと思ったのです。私の生命を掛け金として」
 節ちゃんが清やんに囁いた。
「正味、あれ、なに言うとんねん」
「さっぱり分かれへん」
 番頭が、そうっと奥へ這っていこうとして弥五郎に蹴り倒された。
 熊太郎は続けた。
「私がここに来たのもそのためです。貧しい者が殺され、金持ちがそのことを認めないで平然としている。私はこれを改めようとしてここにきた。ところが金持ちは貧乏人を踏みにじってなんら恥じることがないばかりか、そのことを告げようとしてきた私の話をうわべでは誠実に聞く振りをしながら、嘲り、果てはならず者を呼んで私を痛めつけようとするのです」
 熊太郎は、「そのことが私に新たな罪を犯させるのです、例えば……」と言って言葉を切ると、中の間と口の間の境のところに立つ店の者に近づき、こめかみに拳銃を突きつけ、「ちょっとその割り木を貸してください」と言い、目を閉じて顔を背ける店の者から割り木を受け取ると、手をだらりと下げ、百万円入りの財布を落として途方に暮れている人のような足取りで歩いて土間に降り、息を飲む節ちゃんたちに近づくと、突然、割り木を振り上げ、「馬鹿者があっ」と怒鳴ると、手前にいた合羽の清やんの側頭部に力任せに打ちつけた。
 ぎゃん。
 一声あげて清やんは土間に崩れ落ちた。
 熊太郎はその清やんの背中をなお割り木で激しく打ちつつ叫んだ。
「なんで嘘つくんじゃ。なんで嘘つくんじゃ。おまえらが見え透いた嘘つくから、俺はこんなこと、俺はこんなことせんならんのんじゃ。なんで正直に言わへんのんじゃ。俺はこんな人殴るとか、ほんまはしいとないのんじゃ。ほんまは嫌いなんじゃ。それをおどれらが嘘ばっかしつくからこんなことせんならんにゃんが。観音さんはもう許してくれはらへんど。いくとこまでいったろか、ぼけぇ」
 しまいの方は涙を流して絶叫した。
 右手に拳銃を持ったまま割り木を振り回したのでときおり引き金が引かれ天井に向けて何発か発射され、節ちゃんたちや店の者はその都度、首をすくめた。
 小便をちびる者も複数あり、店土間や座敷がずくずくになった。
 銃声と熊太郎の泣きわめき声と若い衆のうめき声が店土間に響いた。
 節ちゃんが思わず呟いた。
「正味、ほんまもんや」
 からん。
 熊太郎は土間に割り木を投げ捨てると、口の間にあがり放心したように座り込んだ。
 正味の節ちゃんたちも店の者たちも恐怖に身がすくんで動けない。
 やがて熊太郎が拳銃を持ったままの右手を動かした。
 弥五郎を除く全員がびくっとして身を固くした。しかし熊太郎は拳銃を左手に持ち替えただけであった。熊太郎は空いた右手を伸ばして片口をとると、酒を茶碗に注ぎ、一口飲んで、
「うまい酒やなあ」と言った。まったく尋常の口調であった。
 茶碗の酒を飲んでしまうと熊太郎は番頭に、
「言いたいことは全部、言うたよって今日のとこは引き上げるわ。近いうちにまたくるよってに、主人、息子ともよお相談しといてや。頼むで」と言った。
 なんだか知らないがとにかく帰るといっているのは重畳、と胸を撫で下ろし、また安堵の小便を洩らす番頭に熊太郎は、「ただし」と言った。
 番頭は、震える声で、「ただし、なんだっしゃろ」と聞いた。
 熊太郎は、にや、と笑って言った。
「わいは前から、こんなうまい酒がいったいどなしてでけるのやろ。いっぺん、酒のでけるとこ見てみたいと思ててん。せっかくお宅へ寄せてもろたんや。酒のでけるとこめしてもらえるか」
 これだけの狼藉を働いたうえで酒造りを見学したいなどとのんびりしたことを言う熊太郎の真意を測りかねた番頭は、「へぇ」と曖昧に答えた。
「へぇ。ちゅことはええちゅことやろ。さあ、弥五ちゃん、めしてもらお」と熊太郎が立ち上がり、弥五郎もこれに従う、番頭は慌てて言った。
「すんまへん。うち方ではそういう見学みたいなことやってまへんね」
「あ、ほんまあ。残念やわあ」明るい口調で言うと熊太郎は、拳銃を番頭のこめかみにぴったり押しつけると撃鉄を起こし、「ほな、死んでな」と言った。
「ご、ご案内させていただきまふ」番頭は震える口調で言った。

「はっはーん。これが仕込み樽かい」
 酒蔵に案内された熊太郎は、八尺もあろうかという仕込み樽を見上げて言った。
「さいでふ」
「ほた、あれかいな、なんや唄うたいもって、棒で、ばー、掻き回してんがこれかいな」
「さいですわ」
「ふーん。玄妙なもんやね。わしゃ長いこと酒飲んでるけどこら見始めやわ。ちょっとなかのぞかしてもらうで」
 そう言って熊太郎は、樽に立てかけてあるはしごに足を掛け、弥五ちゃん。例のもん」
 と言って弥五郎から包みを受け取り、とんとんと駆け上がると、
「番頭はん、酒がうもなるようにええもんいれといたげるわな」と言いいつつ、仕込み樽のなかに大量の牛糞を投げ入れ、「あっ。なにしなはんね」と言って足にすがりつく番頭を蹴り飛ばして飛び降り、猿のように素早い動作でずらりと並ぶ仕込み樽すべてに牛糞を投入した。
 番頭は土間に這いつくばりつつ、「なに入れなはった、なに入れなはった」と、熊太郎ににじり寄る。店の者、節ちゃんは呆然と立ち尽くしている。
 熊太郎は足に取りすがる番頭に向かって言った。
「酒造り、ちゅもんはその家の主の性格が味に出るちゅこと聞いてるわ。その家の主がひつこいやっちゃったらひつこい味になるし、あっさりしたやっちゃったら淡白な味になるらしやんけ。ほた、おまえとこの主はどやね? 根性糞色や。そうかてそやないけ。やったことやった言わんと白きって、人を気ちがい扱いしたり、話、聞く振りして裏でやくざ呼んだりしとるやんけ。そやさかいにわしがおまえとこらしい酒の味になるように樽ンなかに牛の糞いれたってんやんけ。ありがたいと思いなさい」
「きゅう」番頭は一声哭くと、大事の仕込み樽に牛糞を入れられたという事実に精神が耐えられなくなり、錯乱したようになって、
「あぴゃぴゃ。あまま。ロシアの牛鍋、金鍋で食べたいわあ」などと訳の分からぬことを喚き、転げ回って失禁、慌てて駆け寄った一同を後目に、熊太郎弥五郎は、
「邪魔したな。またくるで」と言って田杉屋を後にした。

「おほほ。すっくりいたな」
「ほんまほんま」
 田杉屋に暴れ込んで、さんざんに脅かすという所期の目的を達成した熊太郎と弥五郎は上機嫌で街道を歩いていた。弥五郎が言った。
「しゃあけど兄哥、うまいなあ」
「なにがやね」
「なにがて、とぼけたらあかんが、気ちがいの真似やがな。あいつら芯からびびっとったんやんけ」
 弥五郎に言われて熊太郎は複雑な心境だった。
 確かに最初のうちは、けったいな奴の振りをしてやろうという気持ちが多少あったが喋るうちに次第に気持ちが昂ってきて、最終的には正直な自分の気持ちのみを述べ行動し、なんらの演技もしていなかったからである。
 ということは俺は狂人なのか、と熊太郎は思った。
 いや、そんなことはないはずだ。ではなぜ、俺が正直な自分の気持ちを述べ行動したら、みな俺を狂人と思うのだ? ということは俺はやはり狂人? いややなあ。まあ酒蔵に行く頃は平静な気持ちに戻っていたのだが。
 そんなことを考える熊太郎に追い打ちをかけるように弥五郎が言った。
「しゃあけど、あいつら警察にいいに行っきょらへんやろか」
 熊太郎は実に厭な気分になった。
 警察と聞くたびに熊太郎は、明治五年のあのことが露見してしてしまうのではないかとつい考えてしまうからである。熊太郎は自分に言い聞かすように言った。
「そらそんなことないと思うよ。そうかて、あいつらがもし警察いたらやで、わいら新聞にみな言うちゅてんねんもん。それがおとろしてよう行きよらへんとおもうわ」
「そらそやの」
 そんなことを言いながら水分に還り、松永熊次郎に、かくかくしかじかで精だい暴れてきたと報告すると、熊次郎は、熊太郎の手を取って感謝し、君たちは他のために身をなげうって正義をなす義しい人である。というようなことを言って感謝、とりあえずこれでうまいもんでも食て」と言って一円二十銭を差し出したので熊太郎は大いに面目を施し、警察のことを考えて暗くなっていたのも忘れて弥五郎と森屋の知った家に行き、酒を飲み御馳走を食べ三味線を弾いたり、出鱈目のワークソングを歌って、妓に、「俺がこんな唄うたうのつるくせへんと思てるやろ。アホンダラ。わいは今日は牛糞酒こしらえたんやで。ここまでくるのに十年かかったんやで」と、訳の分からぬことを言うなどして高揚していた。
 とにもかくにも田椙屋に報せようということになって、佐兵衛が田椙屋に赴いた。
 話を聞いた田椙屋は青くなった。
 だってそうだろう、たかが百姓の娘と侮って、抗議に来た竹田山三郎も軽くあしらい、その後、なにも言ってこないから、終わった話だと忘れていたのが、突如として狂人二人が自家と間違えて他家に乱入、暴れ放題に暴れていったというのだから恐ろしいに決っている。
 しかも、佐兵衛がいかにも恐ろしいように話した。
 佐兵衛は、悪鬼のごとき狂人はピストルや棍棒で武装、復讐の念に凝り固まっているため、交渉は不能で、割れ鐘のようなおそろしい声で喚き散らすや、駆けつけた俠客を棍棒で叩きのめして瀕死の重傷を負わせ、また、屋敷内で拳銃を乱射し、また、店内の器物を破壊し、さらには酒の仕込み樽に牛糞を投げ込むなど、非道の限りを尽くした。そのうえ、狡猾にも狂人は、このことをけっして警察に言うな。言わば大阪の新聞にこの家の恥をみな喋る、と脅し、また、交渉不調なる場合も新聞に喋ると言う。実に極悪非道なる狂人というべし。と話したのである。
 物事を悪く悪く考える癖のある田椙義値は話を聞いただけでちびりそうになった。
 訳の分からぬ狂人がなんの前触れもなく店に乱入、にたにた笑いながら理不尽で圧倒的な暴力を行使して、店の者をひとりずつ惨殺していく。店の者は恐怖に震えながら土間にうずくまっているしかない。狂人はなにか言っているのだけれど、その内容は、「賽子が発狂しているから色肉の大八車が入れ替わってしまうんよね」などと意味不明で、迂闊に頷いたり、返事をしたりすると、「おまえになにがわかる」と怒鳴られ、問いつめられ、真っ先に殺される。その間、狂人は同時に店も破壊、畳建具から商売道具まで、滅茶苦茶に壊され、最終的には店に爆発物が仕掛けられ、轟音とともに店は吹き飛び、紅蓮の炎に包まれた店は、灰燼に帰し、なにもかもが駄目になって全員死ぬ。滅びる。
 佐兵衛の話を聞いた田椙義値はそんなイメージを抱いて怯えた。
 もちろん、田椙屋からは相応の金が支払われた。
 心配性の田椙義値は、このまま田杉屋が潰れるなどすれば、自暴自棄になった田杉重吉がどんな報復をしてくるか分からない、と思って怯えた。
 悪鬼と化した田杉重吉が白髪を振り乱して店に乱入してくる。そのとき田杉重吉は乞食になっているから、全身から異臭を発していて、身体から虱や得体の知れない粉のようなものがぼろぼろこぼれ、また、全身に癰瘡ができていて血膿がどろどろ流れ出ている。その様におそれをなして誰も近づけないのをよいことに妻や娘に抱きついてほっぺたをべろべろ舐める。妻子は恐怖で発狂する。さんざんに暴れ狂った重吉は、「おれが穢いからみんなが嫌がるねんな。ほしたら風呂はいるわ」というと、蔵に行き、仕込み樽に頭から飛び込み、やがて浮かび上がってくると、立ち泳ぎしながら、「わっはっはっ。酒風呂じゃあ」などと怒鳴る。酒は出荷できなくなり、なにもかもが駄目になって全員死ぬ。滅びる。
 そんなことを考えた田椙義値は一も二もなく田杉屋の損害を賠償したのである。
 熊次郎、番頭の佐兵衛、正味の節ちゃん、合羽の清やんが熊太郎宅の表の方に立ったちょうどそのとき、ひとり自宅にいた熊太郎は座敷に寝転んで悶えていた。
 弥五郎と自分が暴れ込んだのは別の家だったということを聞いて以来、熊太郎はきまりが悪くて仕方がなかった。
 なんという阿呆なことをしたのだろう、と熊太郎は思った。
 全然、関係のない家に行って関係のないことをまくしたて、相手が関係ないというのに激怒して暴れ散らし、しまいには興奮のあまり号泣して無関係な者を割り木で殴ったりしたのだ。勘違いした大馬鹿。自分が無知なのも相手が偉いのも知らずに当代の碩学に、君は間違っている、と議論を吹っかけるみたいな。
 そんなことを考えて熊太郎はまたいてもたってもいられなくなり、「あ。うーん」と意味不明の音声を洩らし、畳の上をごろごろ転がって静止、海老反りのような格好をした。そんなことをしてもなににもならないのは分かっているのだが、そんなことでもしないときまりの悪さに耐えられなかったのである。
 ここ数日、熊太郎はそんなことばかりしていた。
 道を歩いていて突然、暴れ込んだときの自分の台詞を思い出し、「あ。うーん」と呻き、両手で顔を覆って畦道にうずくまったりした。或いは、大きな声で、「えべらぼんべん」などと意味不明のことを口走るなどした。
 そうすることによって一瞬、恥ずかしさ、きまりの悪さをごまかすことができたのである。
 しかし、そんな熊太郎の内面を知らない村人たちは、熊太郎のそうした姿をみて、「やっぱりねぇ……」と呟いた。
 そして熊太郎が、「うーん。えげれはやっぱしパンやね」とまた異言を口にしたとき、土間の方から、「熊やんいてるか」という声がした。
 自意識の苦悶がちょうど頂点に達したときの来客に、熊太郎は心臓が破れんばかりに驚き狼狽え、慌てて立ち上がると、「はいはい」と頓狂な声を上げて口の間に出た。
 しかし、佐兵衛たちも緊張していた。熊太郎らが間違えて襲撃したということを知ったときは怒りのあまり、店の者と一緒になって、絶対に報復する、と息巻いていた佐兵衛であるがいざ熊太郎に会うという段になると、あの日の熊太郎の形相が脳裏に蘇って恐ろしくてしょうがない。
 とはいうものの今更ひきかえす訳にもいかず、途次、佐兵衛と節ちゃんは、少しでもおかしいと思ったときは無理をせず身の安全を最優先しましょうと確認するなど初手から逃げ腰である。
 佐兵衛らは怯え、熊太郎は訳もなく周章狼狽している。
 どっちもどっちの情けない面会である。
 しかし、怯えているとはいえ、この対面はどちらかというと佐兵衛らに有利であった。なぜなら、佐兵衛らは最初から熊太郎に会うというのは分かっていて、心の準備ができているのに比して、熊太郎はまったく心の準備ができなかったからである。
 土間からは、「熊やんいてるか」という声がした。ということは熊太郎は、周章狼狽したとはいえ、来客は見知った村の者であると思って口の間に出た、ところが、出てみると土間には、村の者である松永熊次郎以外に、村の者でない者が立っていたのである。しかも、それは、ここ数日、思い出すたびにのたうち回るような、あの自らの失敗の、その当事者が土間に立っていたのである。
 熊太郎は内心で、ぎゃん、と叫び、そして、ついに来たか、と思った。あれだけのことをして先方が文句を言わず黙っているとは思わなかったからである。
 そう思った時点で熊太郎はすでに敗北していた。
 ちょうど戸口に立っていた熊次郎は、番頭らに、「ほんだら、ごめんやっしゃ」と挨拶、後ろ手で戸を閉め、熊太郎に向き直ると、番頭らに対する慇懃な口調とは打って変わった太い口調で、「なんじゃい、こらあ」と言った。太い態度をとったことはあるものの熊次郎が熊太郎にこんな乱暴な口をきいたことはこれまでなかった。
 しかし熊太郎もむかついていた。熊太郎は怒鳴った。
「おまえ、なめとんのんか」
「なめとんのかあ? はっ。なんかしとんね、ぼけ」
「誰がぼけじゃ、こら。おまえ、おちょくっとったらあかんど、こらあ。おまえ、わしとこ来て、頼んだやないけ、それがなんやね、嘘に決ってるちゅて、せせら笑いやがって、あんまりおちょくっとったらしばき倒すど、こらあ」
 そう言って熊太郎は熊次郎の襟首をつかんだが、熊次郎はこれを激しく振り払って言った。
「誰がおちょくっとんじゃ。ええか。おまえはな、誰にも頼まれへん、自分の俠客としての評判あげよ思て、勝手にええ格好して、ほて間違えて田杉屋行て暴れた鈍臭い阿呆なんじゃ。おれがおまえに頼んだて、そんな夢で屁ェこいたみたいなこと吐かして誰が信用するかあ、あほんだら」
 熊太郎は言葉を失った。
 といって言うべきことがなかったのではない。
 それどころか熊太郎のなかに言うべき百万言がひしめいていた。だからこそ、熊太郎はなにから話したらよいか分からない。相手の主張があまりにも滅茶苦茶で、反論すべき点が山ほどあり、どの論点から手をつけていけばよいか咄嗟に判断がつかなかったのである。
 熊太郎はようやっと、「おまえなあ」と言った。しかし、その後、言葉がうまく出てこず、「ええ加減にせぇよ」とだけ言った。
 一方の熊次郎は余裕綽々である、「なにをええ加減にせぇちゅうねん」と落ち着いた口調で言った。これにいたって熊太郎は漸く、反論の突破口を見いだして言った。
「嘘つくのもええかげんにせぇちゅてるんじゃ」
「なにが嘘やね」
「おまえ、恥ずかしないんか」
「はっ。よう吐かすのお。おまえこそ恥ずかしないんか。それまで黙ってたくせに三百円て聞いた途端、顔色変わって、熊次に頼まれましたやなんて吐かしゃがって、おまえそれでも男か、こらあ」
 言われて熊太郎は恥ずかしいと思ったが、しかし自分の言っているのは事実であり、熊次郎の言っているのはまったくの虚偽ではないかと思い直して言った。
「じゃかあっしゃ。しゃあけどおどれの吐かしとんのはまるっきりの嘘やないけ。わいの言うてんのはほんまの話や。あんまり白きんにゃったら、おんどれがわしに富田林行て暴れてくれて頼んだて村中に触れて歩くど、こらあ。ほしたら難儀すんのはおどれやど」
 と熊太郎に言われた熊次郎はにやにや笑って言った。
「おお。好きなようにしたらええやんけ」
 そんなことを考えて熊太郎は暗い。
 弥五郎は熊太郎が突然黙り込んだので、なにか考え事をしているのだろう、と思い、それならば自分も考えごとをしようと考え、辛い奉公をしている妹のことを考えようと考えたが妹のことをちょっと考えたかと思うと、その考えのなかに、大坂での相方のこと、千日前でみた爺さんの背中の灸の痕、豆腐の表面のすべらかな感じなど様々の考えがぐるぐるに混ざってなにも考えられなくなるのであった。
 二人が池田屋の前まで来るともはや夕景であった。
 弥五郎が、「大坂であんだけ遊んでくすぼった家、帰んのん切ないから、一杯飲んでいけへんけ」と言った。
 どっぷり暗い熊太郎は一も二もない。
 熊太郎は言った。
「それって素敵」
 そんなことで夜這いもできないとなって、恋に悩んだ村の若者がどうしたかというと、そうして自分からなにもできぬのなら向こうに気に入ってもらうように、縫の方から声をかけてくるようにしようと思った。
 能動的な態度ではなくして、受動的な態度をとるようになったのである。
 ということはどういうことかというと、一般的な十代の少女の好むところに従って自己を改造するということで、では、村の若者たちが一般の十代の少女がなにを好むと判断したかというと、感傷とメルヘンを好むと判断した。
 この判断は間違っていない。例えばいまでも十代の少女を対象とするロックバンドの多くは、感傷とメルヘンを主題とすることが多く、その外貌は西洋の王子様のごとくであるか、そのバリエーションであることがほとんどである。
 歌われる内容もそのような内容で、邪悪な力によって傷ついた王子が無垢な少女の愛によって蘇生する。或いはその逆、邪悪な力によって傷ついた無垢の少女が王子の愛によって蘇生する、というパターンが多い。
 そしてロックバンドがそんなことを歌ったり、そんな格好をしたりするのは、自分が王子の格好をするのが好きだからではなく、その方が女にもてるからである。
 そのように男が女に対して受動的になると、女が男に対して受動的になるよりも、より徹底して受動的になるというのは、男性ストリッパーや昔の男性アイドルの潤んだ瞳や仕草からも知られる。
 いくら技術が発展しても人間の心事、心底というものがそう変わる訳ではなく、明治二十四年河内国赤阪村の百姓の兄ちゃんたちも、右と同じく少女の好むであろう感傷とメルヘンの対象に自らを擬したのである。
 という内容の寅吉の説明を聞いた熊太郎と弥五郎は同時に、「なるほどなあ」と歎声を洩らし、寅吉の話を聞いてか聞かずか、まだ、ぐずぐず飯を食べている若い者をじろじろみやったところ、相変わらず、潤んだ目をして、
「湖に口づけして、大空に飛んでいきたいにゃんかあ」みたいな愚劣なことを言ったり、卓の上の一輪挿しに挿してある花を見て涙ぐんだりしている。
 熊太郎はもう一度「なるほどなあ」と呟いて酒を呷り、それから褌に手を突っ込んで睾丸の位置を整えた。
 翌日の午過ぎ。熊太郎、弥五郎、寅吉の三人は南畑の森本縫の家の周辺をうろついていた。そのような美人であればいっぺん顔を拝みたいということになって寅吉が案内して来たのであった。
 秋であった。
 空が高く、村のそこここが黄金色に輝いていた。
 あちこちでなにかが爆発するような音が鳴り響いていた。もの凄い早さで訳の分からない鳥がぶっ飛んでいく。用水の音がここまで聞こえてきていた。弥五郎が言った。
「なんやさっきから若い奴がえらい内股で歩いとんのお。ほおら、また来よった。えらいなよついとんな。肥たんご担いでなにしとんね」
「そらおまえ、わいら一緒や。お縫ちゃん出てけえへんかな、と思とんにゃ」と言って笑う寅吉の言葉を聞きとがめて、熊太郎は言った。
「お縫ちゃんでおまえ、えらい心安ういうけど、おまえは大丈夫なんかいな」
「大丈夫てなんやいな」
「おまえはお縫ちゃん惚れてへんのんか、ちゅうことを聞いてんにゃ」
「わいかいな。わいはこんな人間やさかいな。真剣に恋患いみたいなことでけへんね。どないしても物事おもろいようにおもろいように考えてまうからな、あいつらみたいにはならへんわ。ちゅうか、あんなん見てたらなにより先にあほらしなって笑てまうさかいな」
 と言う寅吉の話を聞いて熊太郎は、直線的な行動に対する厭悪という点において自分に似たところがある、と思ったが、すぐに、しかし、と思った。
 しかし、自分がそのことにおいて様々の不自由な思いをしているというのに、この寅吉はそのことを逆に楽しんでいるような気がする。この違いはなんなのだろうか。
 そんなことを考えている熊太郎が寅吉に言った。
「しゃあけど、熊やん。おまえは大丈夫なんかいな」
「大丈夫てなにがやね」
「おまえがお縫に惚れるちゅうことはないのんかい」
 熊太郎は言下に答えた。
「あほか」
 熊太郎は自分が十七の小娘に惚れるなどということは絶対にあり得ないと思った。
 明治二十一年、富という娘に失恋、滝谷不動で、わいは一生やたけたでいったる。と誓ってから熊太郎は多くの女、といって殆どが娼妓である、と戯れたが、女に惚れる、恋着するということはただの一度もなかった。
 稀に娼妓の身の上を聞いて同情、可哀相にと思って馴染みになってやるなんてなこともあったが、その身の上話なるものが大抵は嘘であると分かってからはそんなこともなくなって、女と見ればただ自らの情欲を満たすための存在としか思わなくなっていたし、ちょっとしたことで、きゃあすう言い、生きるの死ぬの言って騒ぐ素人の娘に惚れるなどということは富の一件以来、絶えてなかったのである。熊太郎は寅吉に言った。
「おまえも大分とぼけやの。ちょっとはひと見てもの言え、ひと見て。この俺を誰や思てけつかんねん。水分の城戸熊太郎やど、ふざけやがって。わしら、木辻でも古市でも、新町でも松島でも、そらもう震えがくるようなんの馴染みになっとんね。なんぼ別嬪か知らんけど、こんな田舎の百姓の、それも十七かそこらの小娘になんでわしが惚れるのんじゃ、あほんだら。おまえらと一緒にすな、ど阿呆」
「ああ、兄哥、そらすまなんだ」と言って寅吉は笑った。
 熊太郎は、寅吉が自分を兄哥と呼んだのはこれが初めてだと思った。弥五郎が言った。
「あ、なんや、出てきょったで。あの娘とちゃうんかい」
「ぞお?」熊太郎は身を乗り出した。
 水汲み桶を両手に抱えて娘が戸口から出て来ていた。戸口の左に竹林があって、その手前に井戸があった。娘は井戸のところまでいくと、桶に水を汲み、今度は両腕でぶら下げるようにして、これを運んで家のなかへ入っていった。
 娘が戸口から出て来て水を汲み、家のなかに入っていくまで熊太郎は一言も口をきかず、呆然としてこれを見ていた。
 熊太郎には、なにか魂と陶然とさせる正体不明のものが、突如として農家と竹林の前に現れ、風景を切り裂き、忽然と姿を消したように思えた。
 熊太郎は、可憐でそして撓うようだ、と思った。もう一度、その姿を見たいと熱望した。
 それはその正体を確認したいからではなく、一瞬でもよいからもう一度、その姿を見て陶然としたいからであった。
 熊太郎は、あの魂を陶然とさせるものが、あの竹林の前に存在するだけで自分は幸福だと思った。
 呆然として口をきかない熊太郎の態度を不審に思った寅吉が言った。
「熊やん、どないしたんやな?」
 熊太郎は小さな声で答えた。
「惚れてもた」
「はあ?」
「惚れてもた」
「弥五ちゃん、どないしょう。惚れてもたちゅとんで」
「え? ほた、あれかいな、兄哥、おまえも湖の白鳥になって花に口づけして大空に飛んでいくんかいな、どんならんなあ」
 と、さっきまであれほど強がりを言っていた熊太郎の体たらくに弥五郎も寅吉も呆れ果てたが、しかし、「他ならん兄哥のこと。もし、おまはんが本気で惚れてもおたんやったら、事がうまいこと運ぶように、及ばずながらわいらも二人して手伝もお取り持ちもすんで」ということに相成った。
 さあ、それからは熊太郎、縫のことが頭から離れないというのは俗にいう恋煩いである。
 なにか別のことをしていても、縫の顔や体つき、仕草、表情が頭に浮かび、また、ちょっと間があると、ふと会話を交わすならば、どんな会話になるのかといった妄想に耽る。
 しかし、空想上の会話はすぐに途切れてしまう。なぜなら熊太郎は縫のことについてほとんどなにも知らないからである。
 熊太郎は、じりじりするような思いにかられ、枕を抱いておうおう吠えながら座敷を転げ回った。
 しかしそんな状態になりながらも熊太郎はやがて、こんなことでは駄目だ、と思うようになった。自分ももはや三十四。二十代の餓鬼ではない。こんな風にただ恋い焦がれたり、向こうの気を引くためにくにゃくにゃして、自らがそれにとりこまれメルヘンで感傷的な精神状態になって花や月をみて涙ぐんでいるようでは駄目で、そこはやはり大人の男として、具体的に自分がどうしたいのか。そしてそのためには具体的にどうすればよいのかということを考えるべきだ、と思ったのである。
 熊太郎は枕を投げ捨て畳の上に正座、そのうえで先ず、自分がどうしたいのかについて考え、そして、初めて縫を見たとき、俺はこの存在、この、驚嘆すべき存在が存在し、ただ眺めているだけで幸福だと考えたが、それは誤りだった、と思った。
 確かにあのときは、その姿形を眺めているだけで幸福だと思った。しかし、その不在をひりひりと感じるいま、俺は思う。俺は、どうしても、あの風景を切り裂いて鮮烈であると同時に、不可思議な魅力をもって見る者をして夢幻の陶酔に誘うあの、驚くべき奇蹟をどうあっても我と我がものにし、この手で抱きしめなければ気がすまない。つまり俺は、縫と添いたいのだ。
 縫と添いたい。自らがいったいどうしたいのかを自らに問い、そして自ら答えたこの答えに熊太郎は小さな当惑を感じていた。
 俺が誰かと添う? いったいどうなっているのだ? 俺はこれまでそんなことを一度も考えたことがなかった。例えば、富。ああ富。その名前を想うだけで胸が痛んだ、富。あの富と俺は添いたいとは思わなかった。しかし、俺は縫とは添いたいと思うのだ。添う。添うとはどういうことだろうか。それはあの縫と日々をともに暮らすということだ。朝な夕な、暑いにつけ寒いにつけ、つねに傍らにあの縫が存在するということなのだ。うわあっ。うわあっ。
 爆発的な歓喜が突如として熊太郎を襲った。
 うわあっ。添う。うわあっ。添う。
 そんなことを口走りながら熊太郎は歓喜して暴れた。
 両手をぐるぐる振り回しつつ、目を閉じて口を開き、半泣き半笑いみたいな表情をわざと造って首を縦に振り、どしどし畳を踏みつけながら座敷を歩き回り、しばらくすると、いやああっ、と絶叫して座敷の隅に倒れ込み、手近にあった枕に顔面を強く押しつけつつ、首を左右に振って痙攣するなどしていたが、やがて動かなくなった。
 暫くの間、熊太郎はそのままじっとして動かなかったが、しばらくすると何事もなかったように身体を起こして正座、ということは、と考えた。
 ということは次に俺は具体的になにをすればよいのか。添うということは、嫁にもらうということだが、俺の村での評判を考えれば、尋常の仲人を立てての縁談というよりは、やはり当人同士のどれ合いというのがまず順当だろう。
 そのためにはまず縫当人と逢引をしなければならないが、これについてもやっぱり思い出されるのは富のことで、考えてみれば俺もあのときは若かった。というか幼かった。富のあの、ある種、聖性を帯びたような美しさに気後れして、声をかけることすらできなかったのだ。さらにもっと言うと、盆踊りで踊っている凡庸な村の娘に声をかけることすらできなかったのだ。しかし、俺はいまや成長した。いまでは逆にあほらしくて声をかけないのだ。しかも、富の美しさと縫の美しさは、なにか根本的に質が違うように思えてならない。確かに俺は富に恋着したが、富をどうしても我がものにしたいとは思わなかった。つまり富は、美しいが実在感に乏しい、なにか架空のような存在であった。しかし、縫は違う。縫は奇蹟のようでありながら、いまこうしていても、その髪や唇がすぐそこにあるように想起せられるのだ。そう。俺は縫にどこまでも引かれていくのだ。だからこそ、俺は具体的な手だてを考えなければならないのだ。どないしょう。
 と、熊太郎は考え込んだ。遠くで太鼓が鳴っていた。

 明治二十四年十月十七日夕。牛滝堂の前で熊太郎は困惑していた。
 熊太郎は落ち着かぬ様子で立ったり座ったりしていた。
 縫をわがものにしたい。縫と添いたいと強く念願する熊太郎は、そのための方策を脳漿を絞るようにして考え、やがてひとつの結論を得た。すなわち、弥五郎に呼びにいってもらって人気のないところに縫を呼び出し、思いの丈を打ち明けようというのである。
 脳漿を絞るようにして考えた割には単純なアイデアであるが、もちろんこの結論にいたるまで、熊太郎は様々の奇知奇略、謀をめぐらせた。
 例えば熊太郎は、縫が暴漢に襲われているところを助ければ縫は自分に惚れるのではないかと考えた。しかし、これには問題がふたつあって、ひとつは縫が暴漢に襲われるところにうまく居合わせなければならないということで、そのためには二六時中、縫の後をついて歩かなければならず、そんなことは不可能だし、それにもし、そうしてずっと縫の後をついて歩いたからと言って、近々、縫が暴漢に襲われる保証はどこにもないというのが一点、さらには、その暴漢が強かった場合、熊太郎は反対にどつきまわされ、かえって縫に軽蔑される可能性があるというのが一点である。
 これを解決するたのに熊太郎は、或いは、弥五郎か寅吉、もしくはその両者を暴漢となし、縫を襲わせてみたらどうだろうか、とも考えた。
 二人が、うわあっ、とか阿呆なことを言って縫にふざけかかる。縫が困惑したところへさして、「こらあ、おどれらなにさらしとんじゃ」と止めに入る。二人が、「えらいすんまへなんだ」と恐れ入って、縫は、「うわあ。強い人やわあ。好っきゃわあ」となる。
 というのはしかし、弥五郎と自分の関係を縫が知っていた場合、そのからくりが露見する可能性が高い、と熊太郎は考えた。
 さすれば卑劣なことをする奴と思われて嫌われるのは間違いない。そんなことを考えて、熊太郎はこの案の採用を見送った。
 困惑する縫を助けるという意味では右と同じだが、荷物をぶっちゃけた縫を助ける、というプランもあった。
 大荷物を持って縫が歩いている。突如としてバランスを失った縫は荷物を路上にぶっちゃけてしまって大いに困惑する。そこへ偶然通りかかった熊太郎が、荷物を拾ってあげる。「親切な人やわあ。好っきゃわあ」というこのプランも、しかし、右のプランと同じく、縫が荷物をぶっちゃけるところにたまたま居合わせる可能性という意味で現実的でなく、物陰から弥五郎が釣り針をつけた釣り糸を投げて荷物に引っ掛けてひっぱり、人為的に荷物をぶっちゃけさせる、という奇略も右と同じ理由で却下された。
 熊太郎はさらに、突然、牛が四十頭ばかり走り出て来てあたりを滅茶苦茶にしてしまう。突然、爆弾が降って来てそこらへんのものがすべて爆発炎上する。川が逆流して波の上で五色の猿がかんかんのうを歌い踊っている。空から下駄や三味線が雨霰と降ってきて、地上で砕けてその破片が全部、鰯になってぴちぴち跳ねるといった状況を考え、そんな状況で縫を救い出すという筋立てを考えたが、筋立てが複雑になればなるほど、綻びもまた目立つと思うにいたった。
 そこまで考えぬと分からぬのであろうか。
 ここにいたって熊太郎は、困惑する縫、という前提を放棄することにした。
 熊太郎は、だいたいにおいて好きな人を困惑させてどうするのだ、と思った。
 そんなことを考えるから話が複雑になるのであって、むしろ困惑するのは自分であるべきなのだ。
 そのように考えて熊太郎はもっとも単純な、弥五郎に呼び出してもらって告白するという手段をとり、そして困惑しているのであった。
 なぜ困惑しているかというと、そう決断してからずっと考え続けていたのにもかかわらず、呼び出されてやって来た縫にどのような言葉で自分の思いを伝えたらよいのか、さっぱり見当がつかなかったからである。また、熊太郎は縫の前でどのような態度をとり、どのように振る舞うかについても決めかねていた。
 はるか年上の大人として振る舞えば縫は信頼してくれるのか。或いは、それではやはり煙ったくて、もっと気安い、同世代みたいな感じで喋ればよいのか。また、俠客っぽい、ちょっと無頼な感じに振る舞った方がよいのか。或いは、村の若い奴らみたいな、湖の白鳥とかいって内股で涙ぐんでいた方がよいのか。
 熊太郎が、自らの態度を決しかねて困惑しているその内面とまったく無関係に、さきほどから周辺では、「せんがあ、せんがあ」という複数の男の低い唸り声や、「ああっ」という絶叫が響いて、空気の躍動するような気配が熊太郎のいる牛滝堂まで伝わってくるというのは、この日は、建水分神社の秋祭で、実りの秋、今年も収穫があったことを建水分大神に感謝するための祭りの開催日であったからである。
 偉大な神に感謝するため、近隣十八村から地車、だんじりという装飾的で巨大な車輪付きの輿を威勢のよい若い者が曳いて集まってくる。谷弥五郎が参加させろと言って恐喝していたあれである。
 感謝される側の神は、宮で待っているのではなく典雅な神輿にてお旅所といわれる比叡の前・へのまえまで神幸され、そこで十八箇村の地車が参集するのを待つのである。
 参集した地車は、故意に上下に、そして左右に揺すぶられてくんくんする。
 なんでそんなことをするかというと、そうしてエネルギーを発散することによって、俺は祝福してます。俺は感謝しています。という態度を表現するのである。
 巨大で装飾的な地車が十八カラ、十八台も集まって、神輿を取り囲み、くんくんしている様は勇壮なことこのうえなく、日が暮れて提灯に火が入れば勇壮なうえに情感を刺激する美しさもあるし、また、神前には仁輪加も泰納され、かく盛り上がる秋祭は全国でもすけない。だから近所のものは、みな心が浮いたようになって見物に出かけていて、そんな群衆のわあわあ言う声もまた四囲に谺しているのであった。
 熊太郎は、なんや喧しな、と思い、それから、あ、今日は水分神社の祭礼だったか、と思い、しまった、と思った。
 祭礼の日に呼び出すなんて俺はなんたらことをしてしまったのだ。俺はいつもそんなものはあえて無視するような態度をとっているが、村の者はみな祭礼とか盆踊りとかが好きだ。ということは、縫だって祭り見物に行きたいに決まっていて、だとすればこの場にはやってこないのではないか。或いは、弥五郎が無茶を言って連れて来たとしても、それはいやいや来ているのであって、そんな縫にいくら好きだと言っても、好かん蛸と思われるに決っている。俺は比較的、蛸は好きなのだが……。ちゅうか、俺がいくら蛸が好きでもそんなことは相手には関係がなく、そもそも不機嫌な相手に俺はいったいどういう態度を取ったらよいのか? というか、そもそも弥五郎は縫を連れてくるのか? ああもう、俺はどうしたらよいか分からない。分からないのだ。
 熊太郎がそのように懊悩して、頭を抱えたそのとき、
「兄哥、えらい遅なってすまん」という能天気な弥五郎の声がして、はっ、とその方を見ると弥五郎が立っており、果たしてその隣に縫その人が立っていた。
 その立ち姿があまりにも美しく、熊太郎は隣の弥五郎が珍妙で不様で間抜けきわまりない生き物のようだと思った。そして直後に、実は俺もそちら側の生き物だ、と思って、なかなか縫を直視できなかった。
 熊太郎が弥五郎に視線を移すと、弥五郎は、それを早く消えろ、と言われたのだと解釈、「ほた、わいはこれで」というと石童丸を歌いながら言ってしまい、熊太郎と縫の二人がその場に残された。
 熊太郎は周章狼狽して絶句したが縫はまるで気に留めぬ様子で、熊太郎の目を見て、「こんばんは」と言い、熊太郎も慌てて、「こんばんは」と返した。
 その際、熊太郎が見た縫の瞳は、黒く濡れて輝き、熊太郎をじっと見つめていた。
 熊太郎は縫の瞳に自らが告発されているように感じた。
 と同時に熊太郎はその瞳に誘われるようにも感じていた。
 熊太郎ははるか年下の縫の前で自分がとるにたらぬ卑小な存在であるように感じた。
 熊太郎はなにを喋ってよいかまったく分からなかったが、とにかくなにか言わなければと思って口を開いた。
「急に呼び出して悪かったなあ。祭り見ィに行きたかったんやろ」
 焦り、狼狽しているにもかかわらず、まずは尋常の文句が口をついて出たというのは熊太郎にしては上出来であった。
 かつて同じような状況下、熊太郎はなにを言ってよいか分からず焦って、地から蛇が湧いて昇天、その蛇がにゅうめんを呑む、みたいな話をして娘らに狂人と誤解されたことがある。そんな熊太郎も十年の歳月を経て、とりあえずは尋常の文句を口にできるようになった。たいしたものである。
 そのように尋常なことを言う熊太郎に縫は言った。
「ちっとも悪いことないわ」
 熊太郎は有頂天になった。縫は呼び出されたことを訝ってもいなければ怒ってもいないということがその口調から知れたからである。しかも女性にしてはやや低いその声、ややぶっきら棒なその喋り方は熊太郎を魅了した。熊太郎はその声をいつまでも聞いていたいと思いつつ縫に尋ねた。
「なんでやね。地車、見ィにいかへんのんか?」
 と尋ねた熊太郎はそれに対する縫の答えを聞いて喜びに震えた。
 縫は、「あんなもんは阿呆が見るもんや」と言ったからである。
 熊太郎は、なんという出会い、なんという奇蹟であろうかと思った。
 子供の頃から熊太郎は、村の者が当然のこととしてやっていることができず、また、村の者が熱狂していることについても少しも楽しいと思えなかった。しかし、そんな人間は熊太郎だけで、そのことが原因で熊太郎はさんざんに苦労をして来たのである。ところが自分と同じ思想を持つ美しい女が自分の前に現れたのである。これは自分にとっては信じがたい僥倖だと思った。
 そういえば、十年前、熊太郎の姿を見ただけで身を固くしていた愚鈍な村の娘たちはたいていは三人とか五人とかで固まって行動していた。ところが縫が村の同年代の娘と一緒に行動している姿を見たことがない、というのはやはり縫もあんな奴らとつきあうのがあほらしいからだろう。
 そのように思った熊太郎の口からは、いつもは、頭で思っていることが思うように言葉になって出てこず、なにも言えなくなってしまうか、訳の分からないことを喋ってしまうか、思ってもいないことをべらべら喋ってしまうというのに、そういう事態にもならずに頭で思ったことがすらすら出てきて、いつものような思弁の渋滞がまるでないのであった。なぜなら瞬間にして縫が自分と同種の人間であるとみてとったからである。熊太郎は縫に尋ねた。
「あんた、ほんなら、最近、村の若い者が怪体なことになってんのん知ってるか」
「知ってるわ。私が好きで、私に好かれようと思てあんなことしてるんでしょう」と言って縫はいったん言葉を切り、そして言った。
「馬鹿だと思う」
「俺も馬鹿やと思う。けど男が女に気に入られようと思たときは大体あんな感じなると思うよ」
「ふーん。そうなんや」
「そうやねん。まあ、ひとつは褌いっちょうなって、ぷりぷりの尻見せて、地車舁いて、くわあ、言うか。もうひとつは、あなして、お月さま、お星さま、言うて花見つめて涙ぐんでるみたいになるやな。しかし、女子の方ではそんなものはあほらしいと思てる。ちゅうてもあれか、女子というのは、あほらしいと思いながら違う考えがあって、そう思いながら、そのあほらしさに乗った振りして、ええわあ、とかいうのかな。ちゅうことは、いつも三人とか五人とかでつるんでんのんも、そのええわあ、の頼母子みたいなもんなんかな。ええわあ、ちゅうことにしとくちゅうことを、そやそや、ちゅうための他人ちゅうか」
「ふーん。そうなんや」
「そうやと思うよ。ちゅうかまあ、もしかしたら、そんなことも頭で思てることと違て、気持ちのなかで勝手に思てることかも知らんけどな」と言って熊太郎はふと黙った。
 自分ばかり喋りすぎていると思ったからである。
 そもそも熊太郎は縫の声を聞きたかった。その話を引きだそうとして話すうちに、ついつい自分の考えをうかうかと述べてしまったのであった。
 しかしそれにしても言葉が溢れた。なぜこのように自然に話すことができるのだろうか、と思いつつ熊太郎は縫の目を見て、この目だ、と思った。
 これまで戯れた妓のなかにもきれいな妓はこれはあった。しかしそれらの妓に対してこのように言葉が溢れてくるということはなかった。逆に彼女らは熊太郎にその身の上を語った。熊太郎はそれを、「ふーん、そうなんや」と言って聞いていた。
 ところが縫を前にして熊太郎が、うかうかと自らの思想を語ってしまったのは、縫の、誘うと同時に射るような、その目の光に導かれてのことだ、と思ったのであった。
 熊太郎は縫の存在そのものが謎であると思った。しかし、その謎は美しく、また、巨大な磁力をもった謎で、この謎に魅入られてしまったら人は発狂するか破滅するしかないのだ。熊太郎は、実は俺はいま発狂しているのかも知れないな、と思い、また、あの内股の白鳥たちだったらきっと即死だな、とも思った。
 そう思いながらも熊太郎は幸福であった。なぜならいま縫と一緒にいて、その姿形、声、匂いと間近に感じ、また、その縫の前にあって、自らの思想と言語が合一して、これまでつきまとって離れなかった不如意な感じから解放されたと感じたからである。
 くほほ。いま、俺の思想と言語は合一している。そう思った瞬間、熊太郎は戦慄した。
 というのは、いつどういう状況だったか忘れたが、自分の思想と言語が合一するとき、自分は滅亡する、と強く思ったのを思い出したからである。
 なんでそんなことを思ったのだろうか。熊太郎は考えたが、思い出せない。
 縫が言った。
「ところで」
「なんです」
「熊太郎さん。なんの用で私を呼び出したん?」
 と言って縫は熊太郎の目を見た。熊太郎は頭がぐらぐらになるのを感じ、それから、もはや死んでもよい、と思って言った。
「お縫さん。あなたが好きだからです。俺はあなたの近くに居て、あんたの声を聞き、その髪に触れ、唇に触れたいと思たから呼び出した」
 言い終わった瞬間、熊太郎は、かちゃ、という滅亡のスイッチが入った音を聞いたような心持ちがした。しかし、四囲の景色に変わったところはなく、夕焼け空に群衆の唸り声が響いていた。
 そしてそのような熊太郎の告白を聞いてなお、縫は平静であった。
 縫は声の調子をまったく変えないで言った。
「あなたは私に触れたいというのですか」
 熊太郎は言った。
「気が狂いそうです」
 縫は小さく笑い、「そんなことだったら」と言うと、つと熊太郎に近づき、身体を反転させて熊太郎に背中を預け、「あなたの思うようにしなさい」と言った。
 縫の身体の感触を感じた途端、熊太郎はあまりの幸福に本当に気が狂いそうになった。縫の肩を抱きながらも全身が硬直している熊太郎の方が縫よりも娘のようであった。後ろから抱きすくめられた縫はそんな熊太郎の方に、振り返るように顔を向けて言った。
「私はあなたの顔が好きです」
 熊太郎の感情が発火した。熊太郎は力一杯、縫を抱きしめ、縫の唇に自らの唇を重ねた。縫はくすくす笑っていた。
 そんな騒ぎを見るにつけ聞くにつけ熊太郎は大得意であった。有頂天であった。
 縫のあの声、あの目、あの腕、あの手、あの香り。それらに自分はいつでも触れることができるのだ。そう思っただけで熊太郎は嬉しくてたまらず、足をばたばたさせつつ、両肘を脇腹につけ、肘から先をくにゃくにゃ動かしながら蛇のような目つきで左右を睥睨、ひゃーあー、ひゃーあー、ひゃらららー、と歌いながら座敷をぐるぐる歩き回るのであった。いったいなにをしているのかというと、これは熊太郎が考案した踊りで、一見したところまったく嬉しそうに見えないのだけれども、当人のなかでは爆発するような歓喜が渦巻いていて、その嬉しさをあえて表現しないという克己力を自分が持っているというのは、自分が猛烈に幸福であり、精神に余裕があるからそういうことができるのだ、ということを感じるということそれ自体がまた幸福、という具合にどこまでいっても幸福の皮膜で覆われるという複雑精妙な心の動きを表現した踊りなのであった。
 しかし、その踊りは熊太郎自身のためのもので、熊太郎はこの踊りを他人に披露するつもりはないし、ましてや、こんな恥ずかしい姿をもし縫に見られたなら自分は自決するだろうと思っていた。
 そんな風に熊太郎は幸福であったが、人間というものは因果なもので、あまりにも幸福だと、ふと、通常、こんな幸福はありえない。これはなにかの間違いではないのか。と不安になり、疑心暗鬼を生ず、疑い恐れる心を持つと存在しない恐ろしい鬼を見たりするもので、そういえばあのとき、あんなことがあったが実はあれには裏の意味があったのではないか、と疑うようになり、せっかくの幸福を台無しにしてしまう。
 というのは、せっかく手にした思いもよらない幸運を絶対に手放したくないという強い気持ちのあらわれで、それは偶然によって巨富を手にした貧乏人が周囲の人間を全員、泥棒だと思うのと同じ気持ちである。
 そのような不安を抱いた熊太郎は、何度か逢瀬を重ねるうちに、縫に対してかすかな不信感を抱くようになっていた。
 まず、熊太郎が不満に思ったのは縫の秘密主義で、縫は再三再四、二人の関係が多くの人の知るところとなった後も縫は、「このことは誰にも話してはなりません」と言い続け、人目のあるところで逢うのをきらった。
 熊太郎は別にいいではないかと思った。
 縫と自分は同じくアウトサイダーであり、村の奴らになにを言われても自分たちが惚れ合っているのならそれでいいではないか。別段、悪いことをしている訳でもなし、なんの人目を憚ることがあろうか、と思ったのである。しかも、いつまでこんな下駄を表に出しておくなどという姑息なことをするのか、と熊太郎は思った。
 俺はそんなことはしないで堂々、森本家を訪問できるようになりたい。
 そう思った熊太郎はついにある日、縫に、「俺の嫁になってくれ」と言った。正式に祝言をあげようといったのである。熊太郎は惚れ合っているのだからもちろん一も二もないだろうと思っていた。
 ところが、そう言った途端、縫は視線を左右に反らし、まともに答えようとしない。
 苛立った熊太郎は、「なんでやね、俺のどこが気に入らんね」とついに乱暴な口をきいた。
 これにいたって縫は、例の誘いつつ拒むような瞳で熊太郎の目をじっと見ると、表情をちっとも変えずに、「母がそれを許さないでしょう」と言うと、立ち上がりそのまま行こうとした。熊太郎は慌てて縫の後を追い、「なんでやね。なんでやね」と言いながら後ろから縫の肩を抱いたが、縫は身を固くして、「さあ」と言うばかりで答えない。
 このとき熊太郎は初めて、縫と自分の将来について明確な不安を抱いたのであった。
 熊太郎の恋は初期のただただ幸福な時期を終え、惑乱と懊悩の時期を迎えつつあるのであった。熊太郎はきりきり回転しながら真っ黒い雲のなかへ急降下していくような心持ちであった。
 その後、熊太郎の恐怖と不安は増大する一方であった。
 というのは、どういう訳か縫になかなか会えなくなってきたからである。
 以前は、三回行けばそのうち一回は下駄が出してあったというのに、それが次第に間遠になって、最近は二十回行ってもまったく下駄が出してないのも珍しくないのであった。
 まあ、熊太郎は日に二十回は縫の家の前を通ったから無理はないのであるが。
 それにもはや十二月であった。金剛山の山裾の集落である水分では各所に雪が積もり、もはや戸外で逢引するなどというのは不可能である。
 そんな日々が続くものだから熊太郎は、ことによると縫は変心して自分を見限ったのではないかと考え、気が気でなく、不安でほぼ発狂したような状態であった。

 そんな十二月のある日、熊太郎は、座敷に正座して神妙な顔をし、それから竹ベラを腹に押し当てては苦悶するような顔をしていた。さきほどから、その様をみていた平次はついに我慢ができなくなって、「熊、先前からなにしてん?」と訊ねた。熊太郎は答えた。
「切腹の稽古しとんね」
 三十五にもなってなにを阿呆なことをしているのか。わが息子のあまりの阿呆さ加減に悲しくてなにも言えない平次が黙ってしまうと、熊太郎はなお、腹に竹ベラを押しあて奇妙な顔をしていたが、やがて唐突に立ち上がると、「ちょう行てくるわ」と言って家を出て行った。
 絶望した平次は豊に、「気分悪なってきた。ちょう寝るわ」と言うと布団をかぶって寝てしまった。
 竹ベラを持ったまま家を出た熊太郎は、縫の家の前まで行き、下駄がないのを確認してから弥五郎の家に向かった。
 土間とも八畳の小屋のような家である。「いてるか」と声をかけ、がらっと戸を開けると、もう弥五郎の姿が見える、寝そべって「正直新助」という速記本を読んでいた弥五郎は戸口に熊太郎の姿を認めるや起き直って言った。
「お、兄哥やんけ。どないしてん? 怪体な顔して」
「わし、怪体な顔してるか」
「怪体やで。顔、強ばっとるがな。顔色わっるいし」
「そうかな」
「そうやで、大丈夫かいな。まあ、あがってくれや。いま茶ァいれるさかい、ちょうまってや。それとも酒の方がええか」
「あ、ちょう寄っただけやから構わんとって。おまえにな、これやろ思て持てきてん」
 言いつつ座敷に近づいた熊太郎は手に持っていた竹ベラを弥五郎に見せた。弥五郎は言った。
「これなんやねん」
「竹ベラやんけ。ええ竹ベラやろ。切腹の稽古すんのに絶妙やで」
「兄哥、おまえ大丈夫け?」
「びっくりするほど大丈夫や。そんでな、この竹ベラ、恩に着せる訳やないねけろな、ちょう頼まれたってくれへんけ」
「なんやそんなことかいな」と言って弥五郎は笑った。竹ベラのことは冗談だと理解して安心したからである。弥五郎は笑って竹ベラを受け取り、言った。
「なんでも言うてくれや」
「ちょう、森本いてな、縫、呼んできてくれへんか」
「なんや、そんなことかいな。かまへんで。ここに呼んできたらええねな。よっしゃ、行てきたるわ。ちょう待っとりや」
 そう言って弥五郎は表へ駆け出した。
 熊太郎は主の去った室内を見渡した。鍋や薬缶が土間に転がり、畳の上には雑誌や猿股が散乱していた。土間とも八畳の侘しい住まいであった。熊太郎は、ああして俺の用を嫌な顔ひとつせずにしてくれるが、自身はこんな侘しく暮らしている。妹は新田という家に奉公しているらしいが、その妹も苦労をしているのだろう。かなしい兄妹だ、と思った。
 そんなことを思いつつ立ち上がった熊太郎は、散乱していた衣類を畳んで押し入れにいれ、散らばっていた本を拾い集めて座敷の隅に積み上げた。
 土間に降りて、鍋や薬缶をとり片付け、水を汲み、炭の残り少ないのに舌打ちしながら、火をおこして湯を沸かした。
 熊太郎は弥五郎を思いやってそんなことをしたのだろうか。
 そうではなかった。
 弥五郎たちを不憫な奴らだなあ、と思いやった直後に、こんなむさい部屋に呼んだら縫に嫌われるかも知れないと思ったのである。
 いい加減なやつである。
 世間はもはや四月であった。
 村内を毛細血管のように走る水路に冷たい雪解け水が奔り、しかし空気はもわもわして生き物が芽吹いてくる生暖かい気配がして、なんだか楽しいような陽気浮気な気分になってくる。しかし、熊太郎の心は闇であった。
 今日も今日とて熊太郎は、池田屋で黙りこくって大酒を呑んでいた。寅吉はこのところ姿を見せず、弥五郎は山の仕事に行っていて二、三日留守にしており、熊太郎はただのひとりである。
 ひとりということは話し相手がいないということで、熊太郎は黙って酒を飲んでいるのだけれども頭のなかではいろいろなことを考えていた。なにを考えていたかというと、最初のうちこそ、縫が変身したということの周辺のことばかりを考え、沁みるような憂鬱に心を腐らせていた熊太郎であったが、これが酒の功徳であろうか、酔いが回るにつけ、思考は連続性を失い、熊太郎は、ばらばらで意味のないことを思い浮かべてはぐじゅぐじゅするのであった。
 熊太郎は店の隅に積み上げてある縄を見て思った。
 こんなところに泥付きの縄があるということが、不愉快と言うか、縄に泥がつくような作業というのはいったいなにをしたのか。井戸替えか。でもここは酒屋であって、俺は酒を飲むときはそこいらにこんなどろどろの縄があるのが嫌なのだ。道具類、ちゅうかな。竹ベラとかはでも好きだった。あれはええ竹ベラやった。けど弥五郎はあんまし喜ばんやったねぇ。て、九州の言葉やんけ。そういえば昔、九州から来たちゅう、いかにもあかんおっさんとどっかの博奕場でおおたなあ。あのおっさんもう死んだやろ、多分。けど、昔と言えば、昔、俺が拾た棒に鹿造が執着して喧嘩になったことがあったけど、俺が竹ベラをええとおもうのはあのときの鹿造みたいなもんか。ほんなら俺、阿呆やんけ。あのとき鹿造らとつるんでたからあんなことになった。それにつけても葛木ドールの死骸はどこに消えたのか。誰かがどこかに運んだ? そうなると俺はやばいことになるんじゃ、ぼけ。
 考えが葛木ドールのことに及んで熊太郎は慌てて別のことを考えようとした。せっかくの酒の力で憂さを散じているのに、そんなことを考えたら底まで陰になってしまうからである。熊太郎は酒を飲み干して考えた。
 そんなことはいまは考えない、考えない。ちゅうか、あすこに縄が積んだあんのがむかつくと俺は思っていたのだ。北野田。ほんま、むかつくよね。むかつくことを考えると自分を反省したりしなくてええよね。世間の方が悪いと思えてええよね。むかつくっちゅうたら、松永熊次郎むかつく。なんじゃあ、あの餓鬼は。おどれが頼んどいて、頼んでへんちゅうて白切って、しまいには村の寄合で熊太郎は気ちがいやからあいてにすな、てこんなこと吐かしゃあがる。おまえが頼みにきたんやんけ、おまえが頼みにきたんやんか。どこまで汚い奴やねん。猿がっ。ちゅうか、しかもそれを信じる村の奴も村の奴で、俺がほんまのこと言うてるてなんで分からんのじゃ。そろいもそろて明き盲ばっかしやんけ、どあほ。そんなことばっかししとったら風間みて火ィつけて、村中、焼き尽くしてまうぞ、ぼけ。豚がっ。ほんまむかつくわ、松永。あいつのこっちゃからそれ以外にも、俺の悪口を言い触らして歩いとんに違いないわ。あっ。ということはこういうことかいな。つまり縫が俺を避けるようになったんはあの松永が俺を狂人やとかなにをするか分からん凶暴な奴とか、或いは、ことによると殺人者やとかそんなことを縫に言うて、それで縫は俺を避けるようになったんか。ああ、最低や。違う、違うんや。そんなことなんで信じんね。ああ、縫というその名前を思っただけで胸が痛い。
 そんなことを考えて熊太郎はついに頭を抱え、卓に突っ伏してしまった。突っ伏しつつ熊太郎は、あかん、陰や。もっと陽気なことを考えな、と思い、無理に、そういえばそこの隅にどろどろの縄があって、と考えるのだけれども、熊次郎が縫に、「熊太郎は縄つきですよ」とか言ってにやにや笑っている姿が浮かぶなど、どうしても熊次郎が縫に自分の悪口を言っているという図が頭から離れず、しばらく突っ伏していた熊太郎はついに耐えきれなくなり、頭を起こして両手で卓を叩くと、「おどれ、松永っ」と絶叫した。
「うわっ、びっくりした」
 松永寅吉であった。
 ちょうど、熊太郎が卓に突っ伏しているときに池田屋に入ってきた寅吉は熊太郎の様子がおかしいので、声をかけずにいたところ突然、「おどれ、松永っ」と怒鳴られて飛び上がったのである。驚いて立ちすくんでいる寅吉の姿を認めた熊太郎は言った。
「寅ちゃん、すまん、すまん、おまえがそこにおんのん知らんかってん。ま、一杯いこ」
「一杯いこやないで。出し抜けに、おどれ、ちゅわれたら誰かて吃驚すんが」
 ぼやきながら寅吉は熊太郎の前に腰掛けた。
「ほんますまん。いや、松永ちゅうてもおまえのこっちゃないね」
「知ってるよ。兄貴のこっちゃろ。竹田のことではえらい目に遭わしてもたもんな。ほんま、わが兄貴ながら嫌なる。ほんま、すまんなあ、熊やん」
「いや、おまえにそう言われたら辛いわ」
「そんでな、熊やん。その兄貴のことについてやねんけど、ちょっとあんたの耳に入れといた方がええかなと思うことがあってやってきてん」
「なんやね」
「それが言いにくいこっちゃねんけどな」
 寅吉はそう言って鼻の頭をこすった。
「実はな、うちの兄貴に縁談が持っちゃがったんや」
「結構やんけ」
「うん。まあ、結構やねんけどな、その相手が結構やないね」
「なんでやね。不細工で貧乏で性格悪うて夜中に首伸びて油舐めるてな娘さんなんかい」
「いや、そやないね。別嬪で大人しい娘やね」
「ほな、ええやんけ」
「うん。うちゃ、かまへんねけど、熊やん、あんたが……」
「なんでやね。わし関係あらへん」
「それがあんにゃんか。ああ、もう思いきって言うわ。うちの兄貴の嫁ちゅうのはおまえもよお知ってる娘ォや」
「しゃあから誰やね」
「しゃあから、あの、お縫ちゃんやんか」

 世界に薄墨が垂れていた。池田屋の薄汚い壁にも、寅吉にも、空にも金剛山にも薄墨が垂れた。やあ、世界に薄墨が垂れているな、と思ったけれども、まあ、いずれとまるだろうと高をくくってなにもしないでいたら、どこから垂れてくるのか、薄墨はちっとも止まらず、やがて全世界が薄墨に染まってしまった。こんな薄墨が垂れて厭だな。ぼんやりそんなことを思って悲しくなったがその悲しさは、この薄墨の世界が存在していることそのものに関係する悲しみで、改めて悲しいと実感するまでもない、持続的恒常的悲しみであった。そんな世界にひとりで立っていた。といって、あたりはすべて天も地もなく、立っているのか横になっているのか宙に漂っているのか分からないという心細い状態だった。天も地もないし、遠いも近いもなかった。自分以外の人間がいるのかいないのか、まるで分からなかった。しかし、いたとしてももはや薄墨の悲しみそのものになってしまっていて声を発することもできない。そしてそれは俺とて同様なのだ。これが死ということなのか。薄墨色の悲しみの世界に、あの世から聴こえてくるラジオのような寅吉の声だけが響いていた。「しゃあから、俺はこれはお縫ちゃんの気持ちは別やと思とんねん。こらみな、あの、向このお母ンの強欲から始まったこっちゃ。こんなん言うて悪いけど、なんちゅてもうちゃ村のなかでは持っつぁんや。お父ンかて村会議員しょるしな。結納とは別に月々の養い料出すちゅとんねもん。おトラ婆にしてみたらこんなぼろい話ないがな。それを娘の言うこと聞いておまえとこに嫁にやって、なんの得があんね、とこない考えやがったんやろ。ほんま毒性な婆やで。お縫ちゃん可哀相やんなア。あんな不細工でちんちくりんの嫁にされて」
「熊次、このとおりや」
「しゃあからなんの話やね」
 問われて熊太郎は顔をあげ、熊次郎の目を見ると、
「縫との縁談はなかったことにしてくれ」と言い、またぞろ地面に額をこすりつけた。
 熊太郎の心底をみてとった熊次郎は冷笑した。
 熊太郎を完全になめた。
 熊次郎から言わせれば、直接交渉相手のところに行っていきなり自分の希望を述べ、土下座をするなどというのは愚の骨頂であった。そんなことをしたら相手に自分の手のうちがすべて読まれ、まず間違いなく希望通りにことは運ばない。
 熊次郎はこれでもこいつは博奕打ちかと訝った。
 現にこの時点で熊太郎は大失敗をしていた。なぜなら、この時点で熊次郎は縫を嫁にもらう意志がまったくなかったからである。というのは熊次郎は縫のような誰が見ても美しいと思う女にはまるで食指が動かず、誰が見ても不っ細工みたいな女をみると、「お。ええ女やね」と腹の底から思うという風変わりな審美眼の持ち主であったからである。
 目がいがんでいるのであろうか。
 確かに熊次郎の目は極端なつり目であった。
 つまりだからこの縁談は、寅吉の報告通り、村の有力者で資産もある松永家に娘をやりたいという森本トラが人を介して松永家に持ち込んだ話であって、熊次郎本人はちっとも乗り気でなかったのである。
 だから熊太郎はいきなり絵馬堂の裏みたいなところに呼び出して土下座をするなどという拙劣なことをするのではなく、道で行き会った際にさりげなく、「おまえ、森本縫、嫁に貰うねんなあ。よかったなあ、おめでとうさん」と訊ねるとか、或いは、それこそ寅吉のもっと詳細な報告を待つなどすれば、熊次郎が縁談に乗り気でないことがすぐ知れたはずである。
 ところが熊太郎はいきなり呼び出して土下座をしてしまったのであり、これが心の奇麗な相手であれば、「熊ちゃん、手ェあげて、手ェあげて。早とちりしたらいかん。そらそんな話も向こから言うてきたけろ、こっちゃそんな気持ちあらひんにゃ」と言ってくれただろう。しかし、熊次郎はそんな人間ではなかった。
「おおきに、おおきに。ほな、五百円こしらえるさかい、でけたらおまえとこいくさかい、それまで待っとってや。さいならごめん」
 そう言って熊太郎は立ち上がっていってしまう。その後姿を見送って熊次郎は、
「いてまいやがった。はっ、阿呆が。おまえみたいな者に五百円ちゅう銭がでけるかあ、っちゅうんじゃ。しゃあけど、待てよ。そういやあいつ、田杉屋に百円の迷惑料持ていきゃがったんやなあ。あれどないして工面さらしゃがんたんやろ。いっぺん、寅吉に訊ねなあかんなあ。しゃあけど、あいつが五百円持ってきたらこんなぼろい話ないわ。あはは、やっぱりあいつは阿呆やな。うどん食お」と独り言を言って立ち去った。
 そのとき、絵馬堂の裏からひとりの男が出てきた。
 谷弥五郎であった。弥五郎は、帰って待っていろとは言われたものの、いざどつき合いになった際は飛び出していって加勢しようと絵馬堂の裏に隠れてことの成り行きを見守っていたのであった。
 弥五郎は独り言を言った。
「よう聞こえへなんだけど、なんやね、あの態は。どんな事情があるにしろ、あんな情けない格好して、そのうえ小便かけられても黙ってんにゃ。それでも男か。わしゃ、あんな男を兄哥、兄哥ちゅて、用してんのがあほらしなってきたわ。しゃあけどなあ。いまわしまでが兄哥、見捨てたらどないなんね。もう、くにゃくにゃなってまうやろな。しゃあない。乗りかかった船や、まして、生まれたときは別やけど死ぬときは一緒と誓うた兄弟分。わしゃ、今日のことはみんかったことにしてこれからも兄弟ちゅうことでいったろか。わしゃ、なんとのう、あの人が好っきゃねん。そや。うちに寄るちゅてたな。待っとるかも知れん。去なな」
 弥五郎はそんなことを言って裏参道を駆け下りていった。

 弥五郎が自家に帰り着くと案の定、熊太郎が来て待っていた。熊太郎は弥五郎に言った。
「弥五、実は、急に五百円ちゅう銭を拵えんならんことになってんけど、それについて手ェ貸してくれへんけ」
 五百円と聞いて弥五郎は目を剝いて言った。
「なんやね、いきなり五百円ちゅわれても訳分かれへんやんけ。分かるように言うてくれや」
 普段であれば、なにを頼んでも、ああ、かまへんで、と引き受ける弥五郎がいつになく、理由を話せと言い、またその言い方に険があるのを察知して熊太郎は困惑した。
 五百円必要な訳を言われ、熊次郎に縫との縁談を断って欲しかったら五百円出せ、と言われたので五百円が必要なのだ、と言うと弥五郎に、言われるなりにおめおめ五百円差し出すなんて、と侮られそうでどうも言いにくかったからである。
 しかし熊太郎は弥五郎にすべての経緯を話した。なぜなら、ことの起点が恋情というある種の狂気から出発していたからで、その狂気が熊太郎が普段持っている美意識や自意識のこわばりをすべて薙ぎ倒して暴走したのである。
「まあ、大方そんなこっちゃろと思てたわ」
 嘆息まじりに言った弥五郎は、「ほな、兄哥、行こけ」と言って立ち上がった。
 弥五郎はすべての経緯を話す熊太郎の顔を見ながら、わしはこの人のこういうとこが好きなんや、と思っていたのであった。
 子供の頃から他人のなかで育った弥五郎は人間が自らの卑小な欲望を満足させるためにあらゆる嘘をつくということをよく知っていた。
 しかるに熊太郎はそのような嘘をまるでつかず、苦しそうな顔で正直に打ち明けている。
 弥五郎は、弱きを扶け強きを挫くというが、この人の場合は、自分を挫いている、しかもその自分は弱い。でも自分を挫くときの姿勢は無茶苦茶強気や。ということは、いったいこれは弱いのか、強いのかどういうことやね? わけ分からんわ、と思った。
 そんなことを考えている弥五郎を見上げて熊太郎が言った。
「行こけ、て、どこ行くね」
「決っとるやんけ。御所行くね。ほて、あの御陵さんの宝物みなさらえて大坂へ売りに行くにゃ。兄哥もその積もりやったんやろ」
 と言う弥五郎の口調が先ほどと違って明るかった。
 熊太郎は立ち上がって、「おお、そや」と答えつつ内心で、さっき弥五郎の口調に険があったのは、たまたま機嫌が悪かったのだろう、気の変わりやすい奴だ、と思っていた。
「はははは。阿呆なやっちゃ。ほんまに五百円持て来やがった。それに、わしが盗掘ちゅうたときのあいつの顔よ。真っ青なって手ェ震て、しまいに足もべらべらなってもとったやんけ。ほんまに阿呆なやっちゃで」
 熊次郎は独り言を言うと、五百円の札束を地袋にしまってあくびをした。目尻に涙が流れた。
 熊次郎は目白を飼いたいなと思った。
 そんな風に笑われているのをちっとも知らない熊太郎は森本縫の家に向かって歩いていた。
 熊太郎は、俺はもう遠慮はしない、と思った。
 もちろん縫に口止めされているからというのもあったが、自分が極道であるという引け目からこれまでは縫に逢いに行くのもこそこそして合図を決めたり、弥五郎に行って貰ったりしていたわけだが、こうして堂々、熊次郎と話をつけた以上、もはや遠慮する必要がなく、懐には証文まで入っているのだから、よし森本トラが出てきて、縫は縁談が持っちゃがってる最中なので面会させられないなどといったら証文を取り出し、これこのとおり熊次郎とは話がついていると言ってやればよいのだ。そしてそれが逆に俺の財力の証明にもなる。
 そんなことを考えた熊太郎はふんふんいって森本方までやってきたが門口に立つと、やはり、たじろいだ。
 村の有力者、資産家に娘をやって、銭を貰おうとする因業な婆である。そんな婆のことだから、俺みたいなのが行ってなんか言っても、軽くあしらうか、ぼろくそに怒鳴りつけるかしょるかも知れない。俺の精神はそんなことに弱いのだ。顔がかっと熱くなって、手が震えて、声が掠れて、足がべらべらになる。いやだなあ。
 そう思って熊太郎は躊躇したのだが、ここまで来て引き返すのもなにだし、もはやぎりぎりのところで、ええい、ままよ。と博奕で大勝負をするときのような気分で、がらがらっと戸を開けなかに入ると、奥に向かって、「ごめんやで」と声をかけた。
 直後、熊太郎の魂がぶっ飛んだ。熊太郎は目の前に見えているものが現実のものでないように思えた。口の間には、森本トラではなく、縫その人が立っていたのである。
 年が明けてからこっち熊太郎は縫のことばかり考えていたので、熊太郎のなかで縫は、愉楽と苦痛を同時にもたらす不分明な観念と化していた。その縫が現実の人間の形をとって目の前に立っているという事態は、それが本来の姿であるのにもかかわらず、いざ直面してみると、縫を愛し慕うあまり、縫のことを考え続けた熊太郎にとって、奇蹟のようなものであった。
 奇蹟は苦痛と快楽に満ちていた。
 熊太郎は痺れるようだ、と思った。
「久しぶりやな」とゆっくりした口調で言って熊太郎は驚いた。
 精神が激動してるのにもかかわらず、尋常の口調で話すことができたからである。
 しかし、いかにも狼狽して声がひっくり返ったり、あわわ、となってなにも喋れなくなるよりはよかった。今後、なにかの拍子でそうならないように注意しよう。なぜなら恰好悪いから。
 熊太郎が思っていると縫が、「あ。熊ちゃんやん」と言って、熊太郎は二度驚いた。なぜならその口調が屈託のない、つい昨日別れた人に会ったような口調であったからである。
 あまりにも意外であった。だってそうだろう、自分の方から連絡を断ち、しかもその間、他家に嫁に行く話が進行しているのである。気まずいに決っているし、後ろめたくもあるだろうし、大いに迷惑でもあるはずで、熊太郎に対して当然、よい顔はせず、口ごもったり、逆に、木で鼻をくくったような態度で追い返しにかかるのが普通だろう。
 しかるに縫は、そのような素振りをまったくみせないばかりか、もっというと、熊太郎の顔を見て、嬉しそうな顔すらしているのであって、熊太郎はことによると松永との縁談など本当はなかったのではないか、とさえ思った。
 そんなことを思うと、これまでは縫をどこかに連れ出して話をしようと思っていたのだけれども、もはやそんなことをする必要もなく、この家で話をすればよいのではないか、という気になった。熊太郎は試しに問うてみた。
「ちょう話あんにゃけどあがらしてもろてもかめへんか」
「ちょっともかめへんわ」
 熊太郎は履物を脱ぎつつ冗談めかして言った。
「わしがあがったら困るんとちゃうんけ?」
「なんで困るん?」
「怒ってくる奴がおるやろ」
「誰が?」
「松永熊次郎やんけ」
 熊太郎があえてにやにや笑って言うと縫は急に無表情になって土間へ降りた。
 熊太郎のために茶を淹れにいったのである。
 その姿を目で追いながら熊太郎は、やはり縁談のことは本当だったのだと思った。
 立ち働く縫の姿を眺めながら熊太郎はぬらぬらした不快を抑えられなかった。
 あのようにしていそいそ立ち働きながら、あのようにして俺の顔を見て嬉しそうにしながら、その陰で着々と松永熊次郎との縁談を進めている。或いは、もはや熊次郎とできあっているのか? くけぇー。きょー。たまらんわたまらんわ。もしそんなことになっているとしたら、俺はどうしたらいい? 鶏みたいな恰好で日本国中を掃除して回ればいいのか? そんなことをしてもこの不快や苦痛は拭われない。
 そんなことを熊太郎は考えたが、しかし四箇月ぶりに会って、そのような不快を相手にぶつけたのでは相手に嫌われるから、相手が屈託なくしている以上、自分も心の蟠りをいったん捨てて話をしようと思い、やがて茶を運んできた縫に、なるべく明るく聞こえるように注意して、「おおきにありがとう」と言った。
 熊太郎は明るく屈託のない口調で、「四月ぶりやねぇ」とか、「お母ァはんは元気にしてんのんかいな」と世間話をした。
 しかし、ともすれば腹のなかのぬらぬらした不快、釈然としない気持ちが表に出て、皮肉なにやにや笑いを浮かべてしまったり、「あ、ほんまァ」と嫌みな感じで言ってしまったりして、そうこうするうちに熊太郎はついににやにや笑いながら、
「しゃあけどあれやろ? 自分、結局は松永熊次郎ンとこ行くからわいを避けてたんちゃうん?」
 と言ってしまった。言ってから熊太郎は、しまった、と思った。自分の言葉があまりにも嫌味に響いたからである。しかし、縫は気にした様子もなく平然と答えた。
「それは違うわ」
「なんでやね、ほれやったらなんでわしと逢えへんね。今年になってからいっぺんも会うてへんやんか」
「いま逢えてるやん」
「そらそやけどや。おまえが熊次郎のとこ行くっちゅうのはほんまなんやろ」
「はい」
 と、縫はなんらごまかさず、そしてこれまでまったく変わらぬ調子で答え、熊太郎のなかで、カシャッ、もしくは、パシャッという音がした。熊太郎の意識が水だとすると、それまで、その熊太郎の意識は桶か盥に入っていた。カシャッ、もしくは、パシャッという音は、その桶か盥の箍が外れた音である。
 実はその少し前から箍は少しばかり緩んでいて、隙間から水が漏ったりしていたのだけれども、ついに水圧に耐えきれなくなって箍が切れてしまったのである。続いて、バシャ、という音がした。箍が外れて桶か盥が崩壊したため、水、すなわち、熊太郎の意識が周囲にぶちまかった音である。
 意識は言葉となってぶちまかった。
 それまで熊太郎は、縫に悪印象を与えたくない、事態を複雑化、泥沼化させたくない、という考えから、表現には様々に配慮をしてきた。しかし、箍が外れたいま熊太郎は、一切の配慮なしに、その都度、思ったことをそのまま縫にぶつけたのであった。
 熊太郎は言った。
「ほな、やっぱりほんまに熊次郎とこ行くんや。ほな、やっぱ熊次郎とこ行くからわしと逢えへんかったんやんけ。そやんか。そやんけ。わしはおまえに騙された。おまえがそんな、いっつもと変われへんみたいにしてるし、去年、会うたときもそやったやん。ちょっとも会われひんから弥五に呼びに行かして、ほんで来たら、いっつもと変わらひん。そやからわしは今日の今日までおまえは前通りやろと思てたんや。しゃあけどやっぱりそやった。ほんであれやろ? 人目のあるとこでわしと逢うのん嫌がったり、二人のこと誰にも言うたらあかんちゅてたんも、結局、わしとは祝言あげる気ィははなからなかったちうこっちゃん。ちゃううの?」
 と熊太郎の意識がぶちまかった。もはやあたりはずくずくである。ところが、縫は嫌な顔ひとつしない。それどころか、縫は、「あはは」と快活に笑った。熊太郎の意識がまたぶちまかった。
「あはは? あはは? ちゅうのはおまえ笑ろとんか? ちゅうことは、やっぱおまえは初手からわしのこと馬鹿にしとったんか? わしのことなんかどうでもええ、おまえがほんまに惚れとんのは熊次郎ちゅうことなんか?」
 そう問われて縫は少し真面目な口調になって言った。
「それは違います」
「ほんならなんやねん」
「私はあなたが好きです」
「嘘ぬかせ。ほれやったらなんで熊次郎のとこ行くね」
「母が決めたことですから」
「そら聞いてる。しゃあけど、おまえはどやね。行きたいのんか行きとないのんか」
 言われて縫は黙って俯いた。熊太郎は拒まれていると感じた。
 なぜ素直に自分の気持ちを言ってくれないのか。あれほど逢いたかった縫がいま手を伸ばせば届く距離にいる。しかし熊太郎には、縫と逢えなかったときのほうがかえって近くにいたように感じられた。熊太郎は、いま縫は自分の手が届かない遥か遠くにいると思った。
 だとすればどうするのだ? このまま引き下がるのか。いや、そんなことはできない。俺は絶対に縫を諦めない。或いは、縫が俺より熊次郎に惚れているというのなら仕方ないかも知らん。しかし現に縫は、俺が好きだ、と言っている。だったらなんで諦めやなあかんのか。だからつまりは母親が銭が欲しいだけなのだろう。それだったら、どんなことをしてでも婆を説得する。しかし、その前に縫に俺との結婚を承諾させなければならない。
 そう考えた熊太郎は懐から証文を取り出し、
「お縫ちゃん。おまえと熊次の縁談はもうないで。わしがもはや話つけてきたんや。これ読んでみい」と言って縫に証文を手渡した。
 縫は黙ってこれを読んでいたが、やがて顔を上げると熊太郎に証文を返して言った。
「読みました」
「どや?」
「どやって?」
「そこに書いたあること聞いてどない思たか、ちゅてんね」
「別にどないも思えへんわ」
「どないも思えへん、ておまえほんまに読んだんけ? 熊次はおまえを嫁には貰わんて書いたあんにゃ。それ読んで嬉しいと思えへんの? なんも思えへんの?」
「うん」
「あんな。おまえ、ちょうおかしいんちゃうんか? 先前、おまえわしが好きや言うとったやんけ。それやったらわしンとこ来たいはずや。そやけどお母ンに言われて無理矢理、松永に行かされることになってた。それを向こが貰わん言いよったんやで。ちゅうことはわしと一緒になれるっちゅうこっちゃで。嬉しいと思うのが当たり前と違うんかぇ。それともなにかい、わしを好きやちゅうたんは嘘で、わしとは一緒になりとないのんか?」
「それとこれとは話が別やん」
「どこが別やね。一緒やないけ。おかしいやないけ」
「そしたら話します。母はお金が必要です。私が松永に行けば松永ではそのお金を出すと言った。だから私は松永に行くことになったのです。私はあなたが好きです。でもそのことは、母がお金が要るということとは別のことです」
「ちゃうがな。俺が聞いとんのんは、おまえは、おまえ自身の気持ちはどやね、ちゅうことを聞いてんねん」
「私の気持ちは問題じゃない。なぜなら、私の気持ちとは関係なしに母はお金が要るからです。私の気持ちとは無関係に日は昇るし、日は沈みます。人が生まれ、死にます。これらは私の気持ちとなんの関係もありません」
「なに言うてんね、俺の言うてんのんはそういうことでなく……」
 と、熊太郎が言いかけたとき、表の戸が開いた。
 森本トラが帰ってきたのである。
 振り返った熊太郎は背筋を伸ばし、襟に手をやって居ずまいを正すと小さく頭を下げた。
 縫は黙っていた。
 熊太郎の姿を認めたトラは、熊太郎がそうして挨拶をしているのにもかかわらず、真正面から熊太郎の顔を猜疑に満ちた目で睨みつけた。
 なんらの愛嬌もない婆であった。
 まだ、五十かそこらなのに、年以上に老けこんでいた。
 しかし、人を疑わしげにじろじろみつめるぎょろっとした目は、縫に似たところがあるなど、よくよく注意してみると、若い頃は縫ほどではないにしろ、そこそこの美人ではなかったか、と思うところがあった。
 それだったらまだ五十かそこらなのだから、それなりに好ましく装えば後添えの口もことによるとあるかも知れないが、しかしいまのトラの姿をみてそんな話を持ち込む人はあるべくもなかった。
 というのはトラを見た人は、嫌なものをみたなあ、醜怪なものをみたなあ、という気持ちになったからである。もともと美しかったかも知れないトラがなんでそんなことになったかというと、それはトラの性格が極悪だったからで、性格の悪さが年齢を重ねるとともに内側から外側に滲み出て外見まで極悪になってしまったのである。
 ではトラの性格はどのように極悪なのか。
 一言で言うと銭の亡者であった。
 狂人と言ってよかった。
 トラはおそろしく銭に執着し、銭を愛した。
 銭さえあればなんでもできる。銭のためなら命も要らぬと思っていた。しかしトラは、いわゆる吝嗇家ではなかった。トラは意外にくだらないことに銭を使った。というかくだらないことばかりに銭を使っていた。トラにとって銭は力であった。トラは銭の力を獲得し、銭の力を行使するのが好きなのであった。
 だったら銭に生き、銭に死ぬ商人になればよいではないか、てなものであるが、女のトラは商いの修行である丁稚奉公はできなかったし、それに、奉公をしたとしても続かなかっただろう。なぜならトラにとって銭はあくまでも幻想としての銭であり、見果てぬ夢、けっして手にできないが永遠に憧憬し続けるなにものかであったからである。
 事実、トラはそんなにも銭を欲しながら、多くの銭を得たことが一度もなかった。それはトラが現実的に銭が儲かるような方策をなにも立てていなかったからであり、また、あまりにも銭、銭というものだから、銭の方で嫌がって逃げて行くからでもあった。
 雑業に雇われ、あっちの溝掃除、こっちの留守番に行った際なども雇い主に、「それで銭はなんぼ貰えますのや?」「それでは銭がすけない」など、あまりにも銭の話をうるさくするものだから、向こうでも嫌になってあまり雇わないし、たまに雇っても、くれくれ乞食は貰いが少ない、というように、なんだか銭を払うのが嫌になって少なくしか払わなかった。
 だからこそトラは銭が欲しいし、銭に執着した。
 あまりにもトラが銭、銭とうるさいのにむかついたある人がトラに嘘を教えた。
 その人はトラに、「願いというものはそれを常時、口にしていればいつかは叶うものだよ」と教えたのである。トラはこれを真に受け、ことあるごとに、「どうぞ銭が儲かりますように」と言うようになった。しかし、日に何度も口にするので、次第に短縮され、トラは、ただ、「銭」というようになった。
 朝起きて、「おはよう。銭」寒い日に、「今日は冷えるなあ、銭」「あ、こんなとこに馬糞、落ってるやん、銭」という具合である。
 しかし、それだけ銭、銭といってもちっとも銭が儲からないのだから、いい加減言うのをやめれば良さそうなものなのに、トラは、銭、銭、言うのをやめなかった。というのは、ひとつにはもはや完全に口癖になってしまっていて、別に意識しないでも銭、銭言うようになってしまっていたし、それにトラは、恋愛している人が、相手の名前を口にしただけでなんとなく嬉しい気分になるのと同じように、「銭」というだけで、なんとなく愉快な、心浮き立つような気分になるのであった。
 まあ他人からみれば渋面をつくって、譫言のように、「銭、銭」と言っている亡者にしか見えないのだが。
 縫と一緒に生活するようになった熊太郎は当初、有頂天であった。
 なにしろそれまではろくに逢うこともできず、たまに逢えても神社の境内や墓場、山林、弥五郎の部屋などでの密会で不如意なこと夥しかった。それが一日中、縫と一緒にいられるのだからこんな嬉しいことはない。
 では熊太郎はずっと家にいたかというとそんなことはなく、以前ほどではないにしろ、方々を出歩いて家に帰らないこともしばしばであった。
 なぜか。嬉しいのなら家にいて縫とうちゃうちゃしていればよいではないか、てなものであるが熊太郎がそうしなかったというのは、ひとつは、欲しいものが手に入って満悦至極といった体で、目を細めてこれを愛玩する、賞玩する、みたいなことが恥ずかしく、また、しゃらくさかったからである。
 熊太郎はこれを、男の沽券の問題であると考えていた。
 熊太郎はそんなことをしたら、「はは、あいつあんなもん手に入れていかにも満足ちゅう体で喜んでけつかるわ。はは、阿呆ちゃう?」と思われると思った。
「自足しきった子豚のよう」と批判されると思った。
 しかし、誰がそんなことを思うだろうか。他人の内面をそこまで仔細に観察するほど人間は世間は暇ではなく、悲嘆にくれる人間がいれば、「気の毒だな」と思うか、「はは、おもろ」と思うだけだし、希望が叶って喜んでいる人間を見れば、「よかったな」と思うか、「羨ましい」と思うだけである。
 ということはそういうことを思うのは熊太郎本人ということで、つまりは熊太郎は自分で自分のことを、「はは、阿呆ちゃう?」と思うのを恐れていたのであって、それだったらなにも無理に、そこいらをほっつき歩かなくてもよいのだけれども、当人はそんな自縄自縛に陥っているとはついぞ気がつかず、縫と一緒にいたいのを我慢して弥五郎と連れ立ってそこいらをほっつき歩き、博奕をしたり、人中で無意味に草履を投げたり、お寺で祈ったりしているのであった。
 そうして、寅吉が酒を飲み始めた頃、熊太郎と弥五郎は何日かぶりに水分の近くまで戻ってきていた。
 熊太郎は抑鬱的な気分だった。なぜそんなに抑鬱的だったかというと、餓鬼同然と侮って臨んだ、五條のしょうむない博奕で十五円も負けたからで、なんであんなやつらにわしらが負けんねん、という敗北感、屈辱感にうちひしがれていたからである。
 熊太郎がそうして抑鬱的に黙っているものだから、弥五郎も仕方ない、黙って歩いている。
 男が二人でものも言わないで黙って歩いているのは陰気なもので、そうして陰気にしていると、自分らはいま陰気な感じなのだなあと思い、俺らは陰気な行けてない奴らなのだと思って、ますます陰気になる。
 これでは陰気の暗闇をスパイラル状に降下していくようなもので、熊太郎も弥五郎もときおり無理に明るい声で、「鯛っていうのはうまい魚やんなあ」とか、「草冠に申と書いてなんと読むんにゃろ」とか言ってみるのだけれども、土台、無理に喋っているものだから、「そやなあ」「知らんなあ」より先、会話が続かず、なにも言わないときよりもっと陰気になって、言った方は内心で言わなければよかったと後悔するのであった。
 熊太郎はそうして陰気で抑鬱的な気分を縫のことを考えることによって晴らそうと考えた。熊太郎の懐に一足の利休下駄が入っていた。五條で見つけ、思いついて縫のために買ってやったものである。
 熊太郎は縫が喜ぶだろうかと思ってふとまた陰気になった。
 縫はものに喜ぶということがほとんどなかったからである。
 熊太郎は一緒に暮らすようになって初めてそのことに気がついた。
 男によらず女によらず、他人に物を貰ったり、親切にしてもらったりしたら嬉しい。嬉しいとどうなるかというと、「げはは」とか、「うはは」とか言って笑う。ところが、縫がそのような嬉しそうな笑顔を熊太郎に見せたことは一度もなかったのである。
 熊太郎は考えた。
 というか、もっと言うと縫は、おのれの希望、願望というものを持っていないのではないか? つまり人間にはさまざまの希望がある願望がある。例えばトラは日本国中の銭を自分のところに集めたいという希望がある。駒太郎は作物を仰山、収穫したいという希望がある。官吏であれば昇進して上の役につきたいと希望しているだろうし、女にもてたいと思っている奴もいれば、うまい物を腹一杯食てみたいと思ってる奴もいる。俺にだって希望がある。俺は博奕をしたいし、女と遊びたいし、酒も飲みたい。そして人に俠と言われたい。ところが縫の場合、どういう訳か、そういう希望、願望というものがいっさいないような気がするのだ。こないだだってそうだ。晩のお菜はなんにしょうちゅて、俺は別に食いたいもんはなし、「おまえのほしもん買うたらええ」ちゅて、多めに銭渡しても、「欲しいものはない」と言う。そこで、「そんなことないやろ。芋、蛸、南京なんてなこと言うやないけ。弥五あるやろ、あいつぁ、南京かなんねん、ちゅいいよるけろ、わしゃそんなことないね、南京であろうと、芋であろうとなんでも食うにゃさかい、遠慮せんとおまえの食べたいもん買うてきたらええねん」と言ったら、「私には希望がありません」と言った。そのときはなにを虚無的なこと言うとんねん、と思ったが、しかし、考えてみればそんな、お菜という水準のことでなくても、縫が自分の希望を口にしたことはない。ということはどういうことなのだろうか? 俺は縫に来てもらうことを希望して縫にきてもらった。つまり希望が叶ったということだ。嬉しいことだ。げはは。しかし、縫はどうなのだろうか。縫は俺のところに来ることを希望したのか? 確かに縫は、熊次郎のところにいくことを希望している訳ではない、と言った。その時点で俺は、すなわち俺のところに来たいのだ、と思ったが、はっきりいって縫が、あなたのところに行きたい、と明言したことは一度もない。ということは縫は、自分がどこに嫁くかについての希望は一切なく、彼女にとっては、熊次郎が南京で俺が蛸のようなもので、たまたま蛸の方が買い得だったから蛸にしたまでの話なのか。そんなことは俺は嫌だ。男と女が惚れ合うというのはそんなことではないだろうし、やはり、俺が縫を好いているのと同じくらい、俺を好きでいて欲しいのだ。というのは俺の甘えか? いやそんなことはないはずで、好いた者同士というのはそういうもののはずで、「なんであの人と結婚したんですか」「頼まれたから」というのはないだろう。しかし、俺は一方的に縫に希望しているけれども、縫は俺になにも希望していない。これを別の言い方で言うと、俺は縫を愛しているけれども、縫は俺をぜんぜん愛していないということになるのだ。そんなあ。嫌だなあ。
 そんなことを陰気に考えながら歩くうちに熊太郎方に着く、熊太郎が弥五郎に、「いま嫁はんに酒、買いにやらすさかい、一杯飲んでいけや」と陰気な口調で言った途端、家のなかから、「ばはははははは」という陽気な笑い声がして、二人は顔を見合わせた。
「あれ、家、間違うてんのかいな」
「そんなことあるかれ」
 そう言って熊太郎が戸に手をかけ、がらっ、と開けると、座敷に向こう向いて座っているのは着物に見覚えのある寅吉、もう大分に食らい酔っているとみえ、上半身がぐらぐらして、ときおり、その向こう側に座っている縫に顔をくっつけるようなことになるときもあり、二人の間には随分、親しげな気配が漂っていて、熊太郎は一瞬、まさかそんなことはないだろうが、ことによるとこの二人はすでにできあっていて、そのうえでこんなことをして酒を飲んでいるのか、とさえ思った。
 熊太郎は、おのれ亭主の留守中に男、家にあげて酒、飲ます奴があるかっ、と内心に激しい怒りを感じ、「おんどれなにさらしとんじゃ、ど阿呆」と怒鳴ろうかと思ったが、果たしてそれは縫に向かって怒鳴るのか、それとも寅吉に向かって怒鳴るのか、どちらだろうか、と考えて躊躇した。
 亭主の留守中に男を上げたという点においては縫が悪い。だからといって、縫を叱れば、亭主の留守中に上がり込んで酒を飲んでいるという寅吉については、そんなに悪くないとこっちが思っているようにとられる恐れがあってそれは困る。だからといって、寅吉に重点的に文句を言えば、縫のやったことについては曖昧なまま終わってしまう可能性がある。だとすれば、俺はどういう態度をとればよいのだろうか。
 そんなことを考えて躊躇していた熊太郎は、一瞬後、「ひっ」と叫び、尻を後方に突き出して悶えた。
 熊太郎が帰ってきたのに気がついた寅吉が、「あ、熊やん、却ってきよった。待っとったんやで」と言いながらよろよろ立ち上がると熊太郎に抱きつき、頰を舐めると同時に着物のうえから陰茎を揉んだからである。
 その態度に後ろめたい様子はまったくなく、相手がそこまでこだわりのない態度をとっているのに、自分ばかり内向して嫉妬するというのはどうも恰好が悪いと思った熊太郎は、胸の内にぬらつく不快感を押し殺して、「おひゃひゃーん」などと意味不明の奇声を発して、寅吉の陰茎を握り返したうえで、「よっしゃ、飲も飲も」と言って座敷に上がったのであった。
 そうして寅吉の持って来た酒を飲み始めたのだけれども、三人いればそんなものはひとたまりもない。足りなくなって縫が買いに行って酒宴は深夜まで続いた。初めのうちこそ、縫が自分の留守中に寅吉を家にあげたことに対する不満が心に蟠り、それを振り払うように無理に阿呆なことを言って騒いでいた熊太郎であったが、そうして騒いでいるうちに、酔いで頭が痺れて本当に楽しくなってしまい、仕舞いには歌ったり踊ったり家鳴りがするような阿呆騒ぎになってしまった。
 しかしそうして酔っぱらったうえでなお、頭のどこかに、留守中に勝手に上がり込まれた、ということについてひっかかりがある熊太郎であった。
 楽しくしながら熊太郎は寅吉に、いまは楽しいが、しかし今後は俺の留守中には家にあがらないでくれよ。なぜなら間違いがあってはならないからと注意しなければならないなと思っていた。と同時に熊太郎は、こんなに楽しくしているときにそんな嫌なことを言うのは嫌だなとも思っていた。
 しかし、それを言わないで留守中に縫と寅吉が差し向かいで酒を飲むのはもっと嫌だ。
 そう思った熊太郎は弥五郎と肩を組み、「親爺ゃ朝からねぶかの面倒。金蔵のねきから酒湧いた。村人全員、はとポッポ」と訳の分からない自作の歌を歌いつつ踊り、げらげら笑いながら座って、下唇を突き出して酒を飲んでいる寅吉に声をかけた。
「なあ、寅」
「なんや、熊」
「今日はおもろいなあ。しょうむない博奕でぼろ負けしてかやってきてんけど、おまえと飲んどったら気ィ晴れたわ」
「そらよかったやんけ」
「しゃあけどな、いっこだけ言うときたいことあんね」
「なんや。あんたとわしの仲やんか。なんでも言うて、なんでも言うて。なに? わしを愛してんの?」
「そうとちゃうねけどな。あんな、これからはわしのおらんときでも遠慮のお、うちで酒飲むとかしてくれな」
 言ってしまってから熊太郎は、しまった、と思った。
 言おうとしていたことのまったく逆を言ってしまったのである。
 熊太郎はなぜ自分がそんなことを言ってしまったか分からなかった。熊太郎にそれが分からぬのは当然であった。なぜならそれは熊太郎の心の奥底にある気持ちの気持ち、心の心みたいなものが熊太郎に言わせた言葉であったからである。
 ではその心の心はなにを考えていたのか。
 ひとつは他人に対していい恰好をしたいということを考えていた。
 そしてそのいい恰好にも二通りのいい恰好があった。攻めのいい恰好と守りのいい恰好である。
 攻めのいい格好というのはつまり、自分は気前、気風のよい人間であって、自分の友人が飲みたいと思ったら自分の留守中でも女房に命じて酒を用意させるような男だ、といういい恰好である。
 そして守りのいい恰好はというと、確かに自分はそのことにむかついている。しかし、そのむかついていることを相手に悟られると、なんだ。こんな小さなことでこいつはいちいちむかつくのか? 小さな男だ。はは。と嗤われるのを防止するために、気前、気風のよいふりをするといういい恰好である。
 心の心は、そのふたつのいい恰好をしたいと考えたのである。
 そして熊太郎の心の心はさらに別の働きもした。
 心の心は元々、他人に嫌なことを言うのが嫌だった。
 しかし、心のなかの理性という部署の担当者が、「いまこれで言っとかないと後々、大変なことになるよ」と言ってきたので嫌々ながら承認の印鑑を押したのである。
 しかし心の心は甚だしく嫌だったので、いざ実行という段になって、直接の担当者の携帯電話に電話をかけ、急に状況が変わったので相手には、今後は本人不在の際でも随意に来訪し、飲酒などしてもらってもさしつかえないと指示、これを受けて直接の担当者、すなわち熊太郎は、「これからはわしのおらんときでも遠慮のお、うちで酒飲むとかしてくれな」と言ってしまったのである。
 しかし、熊太郎は自分がなぜ咄嗟にそんなことを口走ってしまったか分からない。なぜなら心の心の考えることは、よほど突き詰めて考えない限り本人にはけっして分からないからである。
 熊太郎はそんなことを言ってしまって、しまった、と思ったが、しかしすぐに、大丈夫かも知れない、と思った。
 確かに俺は俺の留守中でもあがって酒を飲んでよいと言った。しかし、人間というものは物事をそう額面通り受け取るだろうか。世の中には社交辞令というものがあるし、嫌味、皮肉もある。発言には表の意味と裏の意味がある。「おまえは長生きするわ」と言われ、褒められたと思う奴はいない。この場合の寅吉もそのように裏の意味に気がついたのではないか? つまり俺がわざわざ、俺のいないときでも来ていいよ、と言ったということは、とりもなおさず俺が、寅吉が留守中に勝手にあがりこんで酒を飲んでいたということについて、こだわり・こわばりを持っていて、だからこそあえて逆に、「ああ、来ていいんだよ、別に」と言った。そしてその裏には、「ああ、いいんだよ。ただし、いつかむかついた俺にどつきまわされる覚悟があるんならね」という意味がある。そんな風に寅吉は考えないか? だとすれば寅吉は、「熊やん、今日は勝手にあがってすまなんだ。今度からはあんたのおるときに来るようにするわ。ごめんな」と言うに違いないが、果たしてなんちゅうよるやろ。
 そう思って顔を注視する熊太郎に寅吉は言った。
「おおきに、おおきに。ほな、遠慮のお、寄らしてもらうわ」
「ああ、そないして」熊太郎は弱気に言って酒をがぼがぼ飲んだ。
 熊太郎はあかねこをつまみ食いしながら考えたが、いくら考えても銭が殖えるわけがなく、となると一生懸命、百姓仕事をするか、三十五円を元手に小商いでもするか、どこかの傭人になるか、くらいしか手がないのは明白である。
 にもかかわらず熊太郎がきな粉餅を食べ食べいつまでも考えているのは、できればそういう辛いこと苦しいこと悲しいことをしないで、なんとかならないかと思うからで、そんな抜け道みたいなことばかり考えているとこの先もっと悲しくなるということに気がついていないからである。
 下にもあかぬ扱いを受けて熊太郎は、頭では、これはなにか裏があると思いつつも、気分のレベルでは次第に自分が大親分になったように思えてきた。熊太郎は思った。
 ここは油断してはならない。熊次郎の心底をしっかり見極めなければならない。相手に巻き込まれてはならない。相手になめられてはならない。そのためには余裕、貫禄のあるところをみせなければならない。
 そう思った熊太郎は、酒を飲むのでもせわしなく飲むのではなく、いかにも貫禄のある男のように、ゆっくりとした動作で盃を置いた。すかさず熊次郎が酌をする。熊太郎は余裕のある態度でこれを受けつつ、低い声で、「おおきにやで、熊次」と言った。
 しかしそれは本当に貫禄があってやっているのではなく、表層の部分をなぞっているだけだから、態度の如何にかかわらず相手の心底をみきわめるといった真の余裕や観察力が生まれるということはなく、ただ、そうして偉そうな態度をとることによって自分の心に隙や油断が生まれるだけで、つまり熊太郎は、いい気持ちにさせられて油断してはいけないと思ってやったことが原因で結果的に油断してしまっているのであった。
 それが証拠に大親分のような態度をとりながら熊太郎は内心で、さすがに高田屋でこれは非常によい酒だがあかねこを食い過ぎて腹がいっぱいでせっかくのよい酒を堪能することができなくて残念だ、といった卑小なことを考えていたのであった。
 熊太郎は、勘当がえらいことだと言っている熊次郎はやはり村の有力者の息子で良衆のぼんぼんだと思った。相続すべきさしたる資産も、また親の庇護もなしに生きている貧乏たれの息子は勘当されたところでなんら状況は変わらない。例えば、この弥五郎の前にいまになって親が現れて、「おまえは博奕ばかりして行状が悪いから勘当する」と言ったところで弥五郎は爆笑するばかりだろう。しかし、この熊次郎は勘当をこの世の一大事のように怯え、やくざの一家に借金があることを父親に知られるのを恐れている。ははは。笑止千万である。しかし、その笑止千万な奴がうまいこといって危ない仕事を俺にやらせ、その責任は俺に押しつけて自分はうまいことやったり、俺から五百円せしめたり、俺の顔に小便をかけたりしている。博奕場でも村のなかでも如才なく立ち回り、蛭子駒では負けたのかも知らないが大概はいい調子に儲けて勝ち逃げしているようだし、家の経営も順調に行っているのだ。腹立つ。
 熊太郎はそんなことを考えて腹を立てたが、しかし表面上は落ち着き払ったような口調で言った。
「勘当? 結構やんけ。熊次、おまえも男やったら、いつまでも半玄人みたいなことしてんど、この際、すぱっと勘当されて無宿人なって日本国中旅して男磨いたらどやね。お前やったらええ男になるで」
「いやあ、もうそれだけは堪忍して欲しねん」
 泣くように言った熊次郎は再び畳みに頭をこすりつけ、頭の上で両の手を合わせ、
「頼む、三十円。一生のお願いや、三十円、お願いします。熊太郎様ァ」と絶叫した。
 尖った肩甲骨が着物の上からみてとれた。
 熊太郎は言った。
「弥五、拝んどるけどどないしょう」
「やめとき、やめとき」
「そうかの」
「そらそやんけ。兄哥、わしらがこいつにどんな目に遭わされたか忘れたんか。まあ、博奕場で鹿十するくらいはしゃあないわれ。しゃあけど竹田の娘の一件ではあんたどんな目に遭うたんや。こいつが頼みにくるさかいに暴れ込みに行て、ほてそれが間違いやったと分かった途端、わしゃ知らん、ありゃあいつらが勝手にやったこっちゃ、てぬかしゃがったんやで。こないだかてそやんけ。あんたがお縫さんを嫁に貰いたいちゅて言いに行たときこいつあんたになにさらしゃがったんや……」
 と言って弥五郎は言葉を濁した。
 熊太郎が足蹴にされ、頭に小便をかけられたその姿を自分が見ていたとは言えない、それはあくまでも知らないことにしておかなければならないと思ったからである。
「……五百円ちゅう大金吹っかけて、まるまるあんたから取ったやんけ。そんなもん五十円がええとこやで。横で見てて口惜してならなんだわ。そんな奴が勘当になるさかいちゅて、なんでこのうえ銭貸さんなんね。たとえ三十円が三銭でもこんな奴に銭貸すことないわ。ちゅうか、よう兄哥に銭貸ひてくれなんて言えたもんやな。ほんま阿呆らしわ。さ。去の去の」
 額に頭をこすりつけ熊太郎を拝みつつ、「頼む、三十円」と哭くように言いながらびくびく痙攣している熊次郎を冷然と見下ろしながら弥五郎は言った。
 熊太郎は席を立とうとしなかった。
 熊太郎は弥五郎の言うことはいちいちもっともだと思った。
 しかし熊太郎はだからこそ逆に熊次郎に金を貸そうかと思い始めていた。
 確かに熊次郎にはえらい目に遭わされた。だからといってここで銭を貸さなかったらどうなるだろうか。熊次郎が勘当になる。それはいい気味だ。ざまあみさらせ、あほんだら。と思う。しかし、俺の心には熊次郎によって恥と恐怖が刻印されている。恥というのは、騙され賺され、いいようにあしらわれた挙げ句、頭を土足で蹂躙され、小便をかけられ、五百円を貢がされたという恥。恐怖というのはこいつの顔がどういう訳か森の小鬼に酷似しているために感じる漠然とした恐怖だ。がために俺は遥か年下のこいつになんとなく頭が上がらないというか、おい、熊、などと呼び捨てにされても、「誰にいうとんじゃ、ど阿呆」と強い態度に出ることができない。恥というのもせんじつめればその恐怖が元になっているのかもしれない。しかし、あの岩室でのことが幻覚、幻想だったのかも知れないという説も浮上したいま、俺はいつまでもそんなことにとらわれていたくないのだ。そのためにもここは熊次郎に三十円を貸し、優位な立場を確保しておいた方が今後のためによいのではないかと俺は思うのだ。
 熊太郎は内心でそんなことを考え、ほぼ、熊次郎に銭を貸すつもりでいたが、弥五郎には思った通りのことを言わなかった。なぜかというとひとつには、恩を売る、貸しを作る相手の熊次郎が目の前で聞いていたからで、もうひとつは、先ほどからお親分ぶっていた手前、そんな細かいことを口にしたくなかったからである。
 熊太郎は言った。
「弥五ちゃん。人間ちゅうのはな、そなして自分がされたことをいつまでも恨みに思てたらあかんね。そら熊次はそんなこともしたかも知らん。しゃあけど見てみい、あない頭こすりつけて頼んどんにゃないけ。弥五、おまえ、窮鳥懐に入れば猟師もこれを殺さずちゅうこと知ってるか。助けを求めてくる奴がおったらどんな訳があってもそいつは助けやんとあかんちゅこと言うてんにゃで。情けはひとのためならずちゅうことも言うたあるわ。な、弥五。いつまでも人を恨んどったらあかんね。人を呪うわば穴ふたつ」
 熊太郎は不服顔の弥五郎にそう言うと財布を取り出し、紙幣を数えて三十円を取り出した。弥五郎が言った。
「おい、兄哥、それ渡してもてかまへんのんか。こないだから負け詰めやのに」
 言われて熊太郎は内臓がぞくぞくするような気がして、やはりまずいかと思ったが、その思いを振り切るように、「おい、ほな、これとっとけ」と無愛想に言って銭を差し出した。
 熊太郎はそんなことを言って料理を注文しつつ、熊次郎というのはやはり根本のところで油断のできぬ男だと思い、先ほどまでの自分の態度になにか付け入られるような点、侮られるような点はなかったかどうか注意深く振り返り、思い当たる節は特になかったので安心して酒を飲んだ。
 そのころ、三十円を懐に自家に立ち戻った熊次郎は独り言を言っていた。
「はは。熊の餓鬼、やっぱり寅吉の言う通り銭もってやがったわ。これで蛭子駒の借金が親父に露見せんで済んだわ。ははは。すっくりいた。しゃあけどそれにしても熊太郎ちゅうのは阿呆な餓っ鬼ゃなあ。ちょっと下手に出ておだてたらすっかり親分みたいな気ィになって羽織の紐いじくって収まってけつかんね。はっ、笑止な。おまえみたいな奴は俺に一生、便利に使われとけ、ちゅうね、ど阿呆が。偉そうにしやがって。なにが、熊次、じゃぼけ。けどまあええわ。折りみてまた、ど頭に小便かけたろ。ちゅうか今度はババかけたろか。ははは」
 熊太郎はうす暗い座敷で三十円を握りしめてひとり笑った。
 そんなことを思いながら熊太郎は次のような夢想をした。
 すなわち、尋常ならず美しい縫はこの世の埒外にあるものであって、神仏の化身もしくは神仏の使者である。そのため、深い洞察に満ちた考えを持つが、縫は自らその考えや意見を周囲に洩らすことはない。なぜなら縫はこの世に住まう者の意志を試すために神より使わされたものであるからである。縫をもっぱら自己の利益のために使おうとした森本トラは縫に試されていたのであり、また、その縫と所帯を持ちながら家に銭を入れず遊び呆けている自分もまた縫によって試されている。
 熊太郎は幼い頃、自分を大楠公の再来だと信じていたのを思い出した。
 大楠公は後醍醐天皇に仕え、忠臣として神に恥じることなく死に、死後、神になった。その段、おれはなにをやっているのだ。博奕ばかりして。こんなことでは駄目で、俺はいまからでも真面目な百姓になろうか。あかん。もはや十一月で米はもう獲れてしまっている。いまが六月だったらなあ。田植えとかもっと手伝えたのに。このままでは俺は縫に試され、いつの日か、駄目、という結論を出されるに違いない。そうしたらどうなるのか。縫は出て行くのか。でも出て行ってどこに行くのだ? 森本家に帰るのか? そんなことを言ったら森本トラだって、縫に試される訳で、あんな銭の亡者を神が許す訳がない。では熊次郎の妾にでもなるのか? それは駄目だ。なぜなら俺が証文をとってある。というか人間同士の関係をそんな証文で拘束するような寛容でない態度こそがあかんのか。
 熊太郎はそんなことを考えて憂鬱な気分になったが、それというのも縫への執着が深いゆえであるというのは、結局、最終的には縫が別の男のところに行くのではないかということを心配していることからも知れる。
 しかし、なのであれば縫が幸福になるように精を出して働き、銭も余計渡してやればよいようなものであるが熊太郎はそれをしなかった。というのは、神の使いであるかどうかは別としても縫がこの世の些事に無関心かつ超越的であるのは自分を試しているからではないか、という考えがなかなか頭から去らない熊太郎は、縫が本当に試しているのかどうか試したくなったからである。
 熊太郎は、以前は家を空けるといってもせいぜい二日か三日であったのを、一週間も十日も帰らないなどということをした。そんなことをしているくせに家を空けている間は縫のことばかり気になってちっとも楽しくない。
 久しぶりに家に帰れば、縫が平然としていることにがっかりしたり、また、ほっとしたり複雑な気持ちになり、不安な気持ちから縫を抱いたが現身の縫は熊太郎の愛撫によく答えて喜悦の声をあげ、熊太郎は没我の境地に諸問題をまやかした。
 そんなことで今日も今日とて熊太郎は、弥五郎と連れ立ってあちこちで遊んで歩き、素寒貧になった熊太郎は、下の土橋のところで弥五郎と別れ、ひとりで自家に戻ってきた。
 十一月の終わり頃で、そこここで籾干しの筵が広げてある根際を通り、家の近くまで熊太郎が帰ってくると、神楽をする人が細道の石垣に背を持たせかけて座り込んでいた。
 痩せた若い男で獅子頭を脇に置いて絶望した人のように頭を抱えており、熊太郎は、はは。あまり銭を貰えなかったのであのように絶望しているのだろう、おもろ。と思いつつ脇を通り過ぎ、自家の前にたどり着き、戸障子に手をかけた。
 ところが奇妙なことにこれが開かない。なかから心張り棒をかってあるのである。夜分ならともかく、ここらで昼間からそんなことをする家はない。不審に思った熊太郎は戸を激しく揺すぶり、「おい。わしや、いま戻った。いてへんのんか」と呼ばった。
 ところが返事がない。
 なお心配になった熊太郎は、「おい、わしや。縫、どないしたんや、なんぞあったんか」と大声で怒鳴った。それにいたって漸く、なかから、「はい」という声が聞こえ、続いて、「いま開けます」という声がした。
「おかえり」そう言った縫の声が嗄れていた。
 髪が乱れ、目が充血していた。
 縫は戸を開けるとすぐに家になかに入っていき、熊太郎もこれに続いた。
 家のなかは薄暗く淀んだ空気が充満していた。
 熊太郎は土間に立ち、すべてを了解した。
 座敷には食い散らかした折り詰め、銚子、薬缶、湯呑などが散乱していた。そして押し入れの前に寅吉が座っていた。兵児帯の結び目が横っちょにいっていた。
 寅吉はへらへらして言った。
「兄哥。お帰りやす。先に、俺がいてへなんでも家ィ寄って酒とか飲んでくれ、言われたんでお言葉に甘えて一杯やらしてもろてましたわ。ちょうどよかった。兄哥も一杯、どうだ? さ、お縫ちゃん。なにしてんねな。兄哥に酒注いだりいな」
 そんな寅吉の言い草を聞いて熊太郎は二重三重四重に不快だった。
 まず第一に不快なのが、寅吉のへらへらした口振りである。だいたいにおいてこれまで、寅吉が俺のことを兄哥と呼んだことはほとんどなく、熊はん、とか、熊やん、とか言っていた。それを今日に限って兄哥と言うのはどういう訳か。それは、自分に後ろめたいことがあるからで、それを誤魔化すためのべんちゃらとして兄哥と言っている訳だが、では普段は俺を尊敬していないということになるし、また、そんな程度のことで俺が懐柔できると思っていること自体が腹立たしい。次に不快なのは、先に勝手に上がり込んで酒を飲んでいたときに、俺がつい言ってしまった言葉をたてに居直りのような発言をしている点である。それについても、確かに俺は酒を飲むとかしていいよ、とは言った。しかし、なにをしてもよいとは言っておらず、寅吉は、とか、を意図的に拡大解釈していて、その言葉尻につけ込んで勝手なことをする姿勢が腹が立つ。さらにむかつくのは、縫に向かって、「お縫ちゃん。なにしてんねな。兄哥に酒注いだり」などと馴れ馴れしい口をきいているということで、人の女房をなに勝手に使とんねん。という点である。というか、そんなことよりなにより腹が立つのは、この「姦通」「間男」という事実……、ちゅうか、うわあ、こうやって明確に言語化して考えるときっついなあ。俺はもうどうしたらよいか分からない。とりあえず、「なに姦通しとんねん、こらあ」と言って怒ればよいのか。或いは、そんな風に言論で言うのではなく、いきなりどつきまわすべきなのか。わからない。いま、俺のなかには激しい怒りと悲しみが渦巻いている。怒りと悲しみは出口を求めてのたうち回っていて、それが俺の皮にぐんぐんあたって身体の内側が痛い。ところが出口が見つからない。出口はどこや。
 と、熊太郎はそんなことを考えていたが、本人も意識しないうちに、しょんぼり土間に立ったままの縫に言った。
「なんで昼間から心張り棒こうとったんや」
 言って熊太郎は絶望した。
 自分の声が地獄の底から響いてくるように低く暗く恨みがましく、また、それだけのことを言うのに唇がわなわなして声が震えていたからである。
 熊太郎が問うと、縫ではなくすかさず寅吉が答えた。
「兄哥、そらあれや。神楽がきょってな、そこまで勝手に入ってきて獅子舞舞うて、銭くれ、銭くれ、ちゅて、どひつこいもんやさかい、うちらから閉めてもたんや:
 と言う寅吉の声と同時に、熊太郎は、ばすっ、という音を聞いた。身体のなかで渦巻いていた怒りと悲しみが、ついに皮を破って外に出た音である。
 熊太郎は、「獅子舞に銭ぐらいやれっ、ど阿呆」と絶叫するとそのまま表に駆け出した。
 石垣の下に先ほどの獅子舞の若者がまだ蹲っていた。熊太郎は獅子舞の若者に言った。
「おい、おまえ」
「なんや」
 獅子舞は無気力に頭を上げた。
「われなに絶望しとんねん」
「わいが絶望してる理由、教たろか。教たるわ。例年は森屋の方の料理屋で仲居や親方に包みもん貰うんやけど、今年はあんまり貰われへなんだから、こっちゃの方まで来たんやけど、なんやね、ここらのど百姓。なんぼ舞うても二銭とかそんなんしか呉れさらさんにゃ。なかには一銭も呉れさらさん家もあって、ほんでもうなにもかも嫌になって、歩くんも嫌になってここでへたりこんで絶望してんにゃ」
「あ、そうか。実はな、訳あって俺も絶望してんねん。そやからゆう訳やないけど、おまえに五十銭やるわ」
「仰山、呉れんねんな。ほな、ちょう舞おか」
「いや、舞わんでもええ。そのかわりその獅子頭、わしに貸してくれへんか」
「ああ。ええよ。あいたらかやしてや。舞い方、教たろか」
「いや、ええ。わしのんは獅子の狂い舞いや」
「ほうか。ほんならかぶしたら。向こう向き」
 神楽の若者はそう言って立ち上がると熊太郎に獅子頭をかぶせた。
 獅子頭をかぶった熊太郎は、頭をかくかく上下させ、右に左に身体を揺すぶりながら憤怒の形相、歯をむき出しにして家のなかへ暴れ込んだ。
 寅吉は驚いて言った。
「あ、兄哥、なにしてんね」
「じゃかあっしゃ。どや、これが獅子の狂い舞いじゃ、よお、見とけよ、どあほ」
 くぐもった声で怒鳴ると獅子は、尻をあげつつ、顎が地面につくくらいに低い体勢をとり、頭を小刻みに上下させつつ座敷の方へじりじり進んだ。そんな風にして框のところまで進んだ獅子は、顔をわずかにあげると、左右を睥睨し、それから大きく口を開いて咆哮した。
 獅子は座敷に上がると、この事態にどのように反応してよいか分からず、呆然としている寅吉めがけて一直線に走り、頭を斜めにして寅吉の周囲をぐるぐる回っていたかと思ったら、大口を開いて寅吉の頭に嚙みついた。「あひゃひゃひゃひゃ」寅吉は半笑いで、これを避けようとするが獅子は許さず、頭を嚙んでしばらくくちゃくちゃやり、それからは怒り狂ったように暴れ回って、終いには、寅吉に抱きつき、頭を寅吉のでこにがんがんぶつけるなどと始めた。これには寅吉もたまらず、「い、痛い。やめてくれー」と絶叫したが獅子は、なおパチキをやめず、その後もパチキをしていたかと思ったら、突然、地面に頭を下げ、首を左右に振ってかくかくさせながら後ずさりしていき、そのまま土間に降りて寝そべった。
 獅子は暫くそのまま眠っていたが、やがて目覚めると今度は姿勢を低くして縫の方へじりじり近づいていった。
 獅子のなかで熊太郎は奇妙に混乱していた。
 熊太郎の目は獅子頭の内側と世間を半々に見ていた。
 獅子頭の内側で熊太郎は誰にも気づかれずに暗闇に蹲って笑ったり怯えたりする世間の様子を除き見ているような気がしていた。しかし、その世間は獅子である熊太郎をみて笑ったり怯えたりしているのであり、熊太郎はけっして傍観者などではなく、当事者張本人なのであった。
 ところが獅子頭の内側と外の世界を半々に見ている熊太郎には、外の様子を覗き見ている内側の自分と暴れ狂うという形で外の世界と激しく関係している自分とそれを見て混乱している世間というものが、一筋につながっているように思えず、それぞれがばらばらに存在しているように思えてならなかったのである。獅子として頭をかくかく小刻みに上下させ地を這うように縫に近づいていきつつ熊太郎は思った。
 しかし、この感覚は獅子頭をかぶっているゆえの感覚だろうか。確かに獅子頭の内側は闇で外は明るい。その闇に阻まれて俺自身と獅子がひとつながりにならないのかも知れない。けれども俺はいつもこんな闇を意識していた。俺の思弁は闇に遮られて言葉につながらない。俺の思いは闇に閉じ込められて光のなかに放たれることはない。つまり俺はずっと獅子頭のなかにいて内側の闇、内側の虚無をみて生きてきたのだ。北野田。ところが光しか見ないものには、俺がそんな闇や虚無をみているとは知らないから、俺が暴れ狂うのは、ただ暴れ狂いたいから暴れ狂っているのだと思って俺を馬鹿にしている。違う! 俺が暴れ狂うのはそのような内側の虚無が絶えず視界に入って人間としていたたまれないから暴れ狂うのだ。咆哮するのだ。
 うおお。
 咆哮しつつ獅子である熊太郎はついに縫の足元にたどり着いた。
 獅子頭の内側とそして縫の白い足が熊太郎の目に入った。
 縫は熊太郎が買い与えた利休下駄を履いていた。
 獅子は首を右に傾けたり、かくかく上下させたりしながら、次第に頭を上げた。
 足、腰、腹、胸が見え、そして縫の顔が目の穴の向こうに見えた。
 縫の目は獅子の目の穴越しに熊太郎の目を真っ直ぐに見据えていた。
 縫の目にどのような感情も浮かんでいなかった。
 熊太郎は、この目だと思った。
 この目が俺を試みる。けれども俺のなにを試みるというのだ。姦通したのはおまえではないか。というか、その姦通自体が俺を試みるために行われたのか。じゃかましいわい。俺はおまえを嚙む。俺は獅子だ。
 獅子たる熊太郎は、
 うおお。
 と咆哮すると、大口を開いて縫に嚙みつこうとしたが嚙みつけず、口を開いたまま頭を傾け、激しく頭を上下し、歯をカタカタ鳴らして舞い狂った。
 熊太郎は何度も嚙みつこうとしたが嚙みつけなかった。
 獅子はいつまでも土間で舞い狂っていた。
 弥五郎は黙って通り過ぎたが、むかついてしかたなかった。
 熊太郎が言われ放題に言われているのが分かっていたからである。弥五郎は、熊太郎がおとろしがってよういかんやろと言われているのを聞くたびに切歯扼腕した。あほんだら。わしらはそんな腰抜けとちゃうわい、ど阿呆。と怒鳴りたい気分であった。ところが怒鳴れない。なぜ怒鳴れないかと言うと、縫と寅吉の姦通が発覚して以来、熊太郎は本当に腰抜けのようになってしまい、いつまで経っても松永に乗り込む気配がなかったからである。
 実際、熊太郎はぼんやりしてしまっていた。
 獅子頭の裏の虚無は獅子頭を脱いだ後も熊太郎の視界から去らなかった。
 熊太郎は自分の皮の内側に、萎縮してひからびた自分がいて、その自分が自分の皮の裏側をみているような気分であった。しかもその皮はぼろぼろで、本来、思弁、思想と一筋につながっているべき発生装置の位置がずれていて、思うことをうまく言えなかったり、皮と本然の自分の間に奇妙な隙間があって、自分の行動が自分の行動のように認識できなかったりする一方で、逆にいろんなところに裂け目、破れ目があり、意識の上に登ってこない心の心が考えたことが穴から洩れ、また、人間のなかに本来ある、やる気、向上心、勇気みたいなものもまた、穴からどんどん抜けてとまらぬのであった。
 熊太郎は家の前にある自然石の上に腰掛けて空を見上げていた。
 自分の感情が色や言葉になって身体の破れ目から洩れ、世間に浸出、しばらくそこらを漂った後、情けなく空に立ち上って行く様を眺めていたのである。
 しろい・あし・しろい・うつくしい・あし・からみ・つく・あし・よんほん・の・て・からみつく・しろい・あし・からみあう・らしん・ため・いき・すすり・なき・ねくたれ・かみ・くろい・はしら・いえ・はしら・ぜに・しろい・からみ・あう・もとめ・あう・からだ・ぬい・の・いし・ぬい・の・からだ・ぶた・やぎ・ぎせい・の・やぎ・きゅうしゅう・の・たん・こう・はたらく・ぬい・の・くちびる・やわらかい
 そんな言葉が冬の空に立ち上って行った。
 中天に太陽が輝いていた。
 熊太郎が目を細めて太陽をみると、太陽の中心から陰茎が垂れ下がっていた。あんなところにあるなんていったい誰の陰茎だろう? 熊太郎は訝った。
 空に立ち上った言葉たちは陰茎を目指しているようであったが、太陽のずっと下の金剛の山並みの、それよりもはるかに下の、左手の竹藪の天辺ちょを過ぎたあたりで陽炎のようにゆらゆらと揺れたかと思うと空気のなかに消えてなくなるのであった。
 陰茎はそれを嘲笑うかのようにみるみる怒張、しかし、不思議なのは、熊太郎が頭を右に振ると陰茎も熊太郎から見て右に振れ、熊太郎が頭を左に振ると陰茎も左に振れて、その様は恰も熊太郎の頭と陰茎が糸で繋がっているかのようであった。
 おっかしいなあ。あの陰茎は俺の言葉、すなわち俺の本然を嘲笑するかのように怒張したはずだ。にもかかわたず俺の動作に同調して右に左に振れている。
 嘲笑しつつ同調している。どういうことだ。
 熊太郎がそんなことを考えながら頭を右に左に振っていると、そこへ声をかける者があった。弥五郎である。弥五郎は言った。
「兄哥、どないしたんやな」
 熊太郎は頭を振るのを止めて言った。
「どないしたて別にどないもせぇへんよ」
「どないもせぇへんことあらへん、いまおまえ、なんやえらい頭振っとったやんけ。なんのまじないやね」
「ははは。これかいな。これはな、あこにお日ィさんめぇたるやろ。あの真ん中にようみたらめぇるわ、チンポ生えたあんねん。そのチンポがな、へっ、おかしゃないけ、俺が頭、右に振ったら右に左振ったら左にぶらぶら揺れよんねん。なんで揺れよんにゃろな、思て頭振ってたんや」
「なに夢で屁ェこいたみたいなこと言うてん。おい、兄哥、しっかりしいや。村の者はみなあんたの話して笑ろとんにゃで」
「なに、笑ろとんねん」
「なにて決っとるがな。お縫さんと寅吉のこっちゃがな」
 縫と寅吉の話をされ、熊太郎は一転、暗い調子で言った。
「笑いたい奴にゃ笑わしといたらええねん」
「おい。なに言うとんね。おまえ、顔潰されとんにゃで。村の奴がおまえのことなんちゅうてるか知ってるか。松永傳次郎がおとろしよってに間男されてもなんもよう言わん腰抜け言われとんにゃで。そんでおまえ黙ってんのんか。えっ、どないやね、兄哥」
 弥五郎に迫られて熊太郎は考え込んでしまった。
 なぜ自分は復讐をしないのか。
 腹のなかには沸騰するものがあった。
 しかし、熊太郎はその沸騰するものをどうしていいか分からなかった。
 沸騰するということはどういうことかというと、そこにエネルギーが生じているということで、弥五郎の言うようにそのエネルギーにまかせて暴れれば或いは、ひとつの決着がつくのかも知れない。弥五郎がつけたい決着は社会的な決着であり、俺がつけたいのは心的な決着であるという違いがあるにしても。ただ、いま俺がそのように沸騰するエネルギーにまかせて暴れることができないのは、ひとつは、俺の頭が獅子頭になってしまったというのがあって、確かに俺の心には沸騰するものがあるのだが獅子頭と俺の間に隙間があることによって、俺の沸騰が訳の分からない穴から洩れていって、現実の世間に真っ直ぐ繋がっていかない。暴れられない。もちろんその穴ができてしまったのは、沸騰するエネルギーによってなのだが。それからもうひとつあるのが、そうして獅子頭の内側の闇を見ているうちに、しょせん自分は現実に対して傍観者であるという気持ちになってしまっているという点で、現実の世間で起きていることが膜の向こう側で起きていることのような、他人事のような、暗い部屋のなかから明るい外を見ているようなそんな気持ちになって、なかにある沸騰するエネルギーをぶちまけたところでなんにもならない、みたいに思えてしまう。さらにもうひとつあるのは、実はこれが最大の理由なのかも知れないが、俺を試す縫のあの目だ。縫はあれからなんら悪びれることなく、また、以前と変わることなく日常生活を送っている。というか逆に俺の方が気まずいような、後ろめたい気分だ。なんでそんなことになるかというと縫はこの世の者を試すために神より使わされた者だからだ。俺も寅吉も森本トラも熊次郎もみな縫によって試されている。縫は自らの欲望に従って姦通をしたのではなく、寅吉を試したのだ。寅吉を誘惑し、寅吉がこれをしりぞければ寅吉は試みに打ち勝ったことになる。ということは。くわあ、やはり縫が寅吉を誘惑したのか。どんな顔で、どんな声で誘惑したのだ。くわあ。狂う。沸騰する。しかし、寅吉はこれに屈した。だから死んだら地獄に行く。そして縫は同時に俺をも試している。俺が姦夫姦婦を殺すということをした場合、俺は人殺しをしたため地獄へ行く。以前の俺であれば、そんなもん関係あるかれ、と思って怒りに任せて縫と寅吉を殺したかも知れない。なぜなら、俺はもうすでに葛木ドールを殺しているのであり、人殺しで地獄に行くのは同じことだし、それに俺はこの世で既に地獄にいたからだ。しかし、駒太郎によると俺は葛木ドールを殺していない。なのにいままた人を殺してまたぞろ地獄へ舞い戻る必要はない。というか、あっ。あっ。あっ。俺はいまもの凄いことに気がついてしまった。というのは、あれは幻覚・妄想でもなんでもなく、俺は実際に葛木ドールを殺していたということが分かったのだ。ではなぜ、葛木ドールの死骸がなくなっていたのか。なぜ、駒太郎はあのようなことを言ったのか。俺は弥五郎と奈良へ行ったとき三月堂で十一面観世音菩薩にこの世の罪障消滅を祈った。観音様は俺の祈りを聞き届けてくれはったのだ。観音様は岩室のドールの死骸を消滅させ、駒太郎を思い違いさせた。そんなことができるのか? そら観音なのだからそんなことくらいできるだろう。そして俺はその後、木辻遊郭へ行き難儀していた寅吉を助けた。その後、俺は縫と出合い、所帯を持ち、そして寅吉が縫と姦通した。この一連の出来事が果たして偶然だろうか。いや、違う。これらはすべて観音の演出した因果であり、俺はその因果によって正しい人間かどうかを試されているのだ。そして正しい人間だと判断されればよいがそうでないとわかったらどうなるのか。まあ、当然、地獄へ行くのだけれども、しかし、俺の場合、三月堂で観音に今後は正しく生きるから俺の罪障を消滅させてくれ、と祈ってしまった経緯がある。そして観音はその祈りを聞き届け、俺の罪障をこの世から消してくれた。にもかかわらず俺が復讐による殺人を行うなどした場合、それは観音の好意を無駄にしたということになり、俺は通常の地獄行き以外に現世において、おとろしい「罰」をあてられるだろう。それは嫌やなあ。そんなら縫も寅吉も慈悲の心で許して、ふたりが所帯を持てるように尽力するのか。そんなことは絶対にできない。これまで、ぼやんとしていたが考えているうちにはっきりとしてきた。俺の気持ちは滾っている。沸騰している。俺は絶対にあのふたりを許せない。しかし、観音に頼んでしまったしなあ。
 考え込んでしまった熊太郎に痺れを切らして弥五郎が言った。
「ほんで、わい聞いてきてんけど、なんや、姦通罪ちゅうのんもあるらしやんけ」
「姦通罪。あるねぇ」と、熊太郎は弥五郎を見上げていった。
「なんや、日本国は法治国たら言うもんになりよったさかい、うちの嫁が間男さらしゃがったちゅて旦那に言いに行たらお上の方で捕まえてくらはるちゅいよんにゃ」
 熊太郎は弥五郎が姦通罪というのを聞いて、それだ、と思った。
 自分で復讐するのであれば観音の罰が当たるが法律で裁くのであれば罰は国にあたり、自分は罰を免れるのではないかと考えたのである。しかし、熊太郎はすぐにこの場合は姦通罪が成立しないことに気がついた。熊太郎は言った。
「あかん、あかん」
「なんでやね」
「縫はな、まだ城戸の籍に入ってへんね」
「ほんまかい」
 弥五郎は目を剝いた。
 ほんまであった。
 熊太郎は何度か森本トラに送籍するように言ったのだが、トラはその都度、言を左右にして送籍せず、縫はいまだに森本籍のままなのであった。弥五郎は言った。
「兄哥、そらあかんわ。そやからこんなことになんにゃ。早よ、入籍しやんとあいつらしいたい放題で」と、弥五郎が言うのを聞いて熊太郎の脳裏に、縫と寅吉の放恣で大胆な性交のさまが浮かんだ。熊太郎は言った。
「弥五。わし、ちょっと行てくるわ」
「藪から棒に、どこ行っきゃ」
「森本に決ってるやんけ。すぐに送籍さす」
「わいも一緒に行こか」
「家に縫おるわ。酒飲んで待っとってくれ」
 熊太郎はそう言って二、三歩行き、立ち止まって空を見上げた。
 もはや、陰茎も立ち上る言葉もみえなかった。熊太郎は振りかえって言った。
「弥五。わしは松永傳次郎なんかちょっともくわいことない。わしがおとろしのんはもっとごっつい奴や。しゃあけど、わしはもう辛抱たまらんわ。地獄でもなんでもかまへん。わしゃやるで」
 そう言って熊太郎は歩き始めた。
 熊太郎は、言ってしまった、と思っていた。
 熊太郎は森本トラの家、目指してもの凄い早足で歩いた。
「なんかしとんじゃ、どあほ」
「なにがどあほじゃ、どあほ」
「なにがどあほじゃどあほじゃ、どあほ」
「なにがどあほじゃどあほじゃどあほじゃ、どあほ」
「なにがどあほじゃどあほじゃどあほじゃどあほじゃ、どあほ」
「なにがどあほじゃどあほじゃどあほじゃどあほじゃどあほじゃ、どあほ」
 争っていたのは森本トラと赤松銀三であった。昔から因業だった赤松銀三は年を取ってますます因業になった。
 森本トラももとより因業で、因業と因業が真正面から衝突して双方一歩も引かぬのである。
 二人はもうかなり前から怒鳴り合っているらしく、二人ともへとへとであったが、しかし、どちらもそんな素振りを少しでも見せれば忽ちにして譲歩を余儀なくされると心得ており、相手を圧倒しようと、目を血走らせ、怒鳴りすぎた挙げ句の掠れ声で自らの正当性をまくしたてるのであった。
 熊太郎はその言い争いの最中に森本方の前に着いたのであった。熊太郎はもの凄い形相で睨み会う二人に声をかけた。
「なんや、どなしたんやな」
 声をかけられて振り向いた二人の顔が対照的だった。
 トラは熊太郎の来訪を歓迎するような顔をし、赤松銀三は明らかに苦々しい顔をした。というのは、トラにとっては熊太郎は娘婿であり、身内であるから当然、援軍であるし、銀三にとっては新手の敵であったからである。熊太郎の顔を見るなり銀三はすかさず言った。
「じゃかましわい。餓鬼はへっこんどれ」ほぼ同時にトラが、
「まあ、熊はん、話聞いとくなはれな、銭、銭」と言って話を始めた。
 トラの話によると、トラの家の前に行商人が来て、トラに飛び魚を買わないかと勧めた。これから帰るところであった行商人は五銭でよいと言った。
 安値でしかもさらに値切れそうな気配であったがトラは躊躇した。なぜならトラは一人暮らしで飛び魚一尾を買ったところで持て余すと思ったからである。そこへちょうど赤松銀三が通りがかった。話を聞いた赤松はトラに飛び魚を一尾を共同購入しないかと持ちかけた。
 トラはこの話に乗り、赤松銀三とふたりで行商人相手に値引き交渉を行った。銀三とトラの交渉は苛烈で、行商人はその人格を破壊されたうえ、五銭の飛び魚を一銭まで値切られ、泣きながら帰っていった。
 後にトラと銀三と飛び魚が残った。トラはいったん家に入ると、包丁と俎を持って出てきた。
 これで半分に切ろうというのである。
「ほな切るさけな、銭、銭」そう言ってトラは飛び魚を真ん中から切断しようとした。しかし、トラの気持ちのなかに、銀三よりもより多くを手にしたいという気持ちがあって、その気持ちが強いあまり、手元が狂って真ん中から一寸ほど頭よりの所から切断してしまった。
 しかも、切っている途中でより多くを得たいという気持ちがいっそう高まり、トラは真っ直ぐに切りおろさず、峰を若干、尾よりに傾けて切りおろした。ということはより頭の側が短くなったということである。
 飛び魚を切断した当人であるトラはそのことを十分認識していたので、しゅしゅっと猿のような素早い手つきで尾の側をとると、「ほな、あんたそっちな。銭、銭」と言ってそそくさと家の中に入っていこうとした。
 しかし一連のトラの動作を食いいるように注視していた銀三がこれを見逃す訳がない。
 熊太郎とトラと厳密に半分に切り分けられた飛び魚がその場に残った。
「どや。わしがうまいこと収めたったで」
 得意げに言う熊太郎に向かってトラが憤懣やるかたないといった表情で言った。
「この、ど阿呆が」
 揉め事に決着をつけ、礼を言われるかと思っていたら反対に怒鳴られて訳が分からない熊太郎はやや憤然として言った。
「おい。おトラはん。なにがど阿呆やね。わしゃ、公平に決着つけたったがな」
「それがあかんちゅうてんのんじゃ。ほな聞くけど誰が公平に決着つけてくれちゅうたんじゃ。決着つけんにゃたら、わしの得になるように決着つけんなあくかあ。おどれがけぇへなんだら飛び魚の斜めのとこ、わしのもんになるとこやったのにおどれが来ていらんこと言うもんやさかい斜めのとこ取られてもたんやないけ。どないしてくれんねん。わしのあの斜めのとこ」
「斜めのとこ、斜めのとこて、あんなもん僅かなもんやないけ。あんまり毒性なこと吐かすなよ」
「じゃかましわい。なんでおどれにそんなこと言われんならんねん。ちゅうか、おどれ、だいたいそんなこと吐かせた筋合いかい。いま何月やと思てんね。そうや。十二月や。師走や。ここらの者はな、嫁娶った年の十二月には鰤持てくんね、鰤。おどれ、持てきたか、鰤。持てけぇへんやろ。なに? いまに持てくるう? 阿呆ぬかせ。おどれのいまに持てくるが当てにならんのはこちゃ先刻承知じゃ。それが証拠に二円五十銭の養い料、最初の二月はそら確かに貰たわい。しゃあけどその後、七、八、九、十、十一と五月の間、一銭も呉れさらさんとどないなっとんねて訊ねたら、いまに払う、いまに払う、ちゅうてもう十二月やないけ。今月分も入れて、六月分しめて十五円、さあ、耳そろえて払いさらさんかい、さあ。それと、鰤と飛び魚の斜めのとこ。さっさと払わんかあ」
 と、それを言われるのが熊太郎はもっとも辛かった。
 もとより初手から頰かむりをしようと思っていた訳ではなく、きちんと払うつもりでいたし、当てもあった。ところがその原資をみな熊次郎に貸してしまい、以降、日々の暮らしの銭にも事欠くような有様であったのである。熊太郎は唸った。
「ううっ。それ言われると辛いわ」
「辛いのはこっちゃの方じゃ、ど阿呆。だいたい、そんなど甲斐性なしやから間男されんのんじゃ。ははは、ざまあみさらせ。おもろ。ははは。おもろ。なんや、顔色変わったのお。なんやね。わしをどつくんかい。どつくんやったらどつきさらせ。しゃあけど、どついたら怪我するわ。怪我したらお医者はんへ行かんならんねん。そのお医者はんに渡す銭、ここへ積んでからどつき。はは、よう積まんにゃろ。貧乏人が。銭もない癖に人どつくな、あほんだら。ここらのもんみな陰でおまえのことなんちゅうてるか知ってるか。知らなんだら教たるわ。間男された貧乏たれのど阿呆ちゅとんね。ええざまやの。ははは。あはははは。銭銭」
 それだけ言うとトラは、いつまでもこんな阿呆の相手してられへん、と言うと、飛び魚の切り身と俎と包丁を持って家のなかに入り、音を立てて戸を閉めてしまった。
 立ちつくす熊太郎の目に白い障子がまぶしかった。
「そらそやの。間男さらしゃがった奴の身内にいつまでも銭貸しとくことないわ」
 弥五郎がそう言うのを聞いて熊太郎は暗澹たる気持ちになった。
 寅吉は弥五郎と同じく、熊太郎がその危機を救った人間である。しかも熊太郎は寅吉には格別の感情を抱いていた。というのは、自分のなかで言葉や思いが屈曲して真っ直ぐに外に出て行かないという意味において、寅吉と自分が同じ種類の人間であると思っていたからで、熊太郎は、なにかにつけ直線的に思考し、行動する弥五郎よりも寅吉に、より親近感を覚えることがときにあった。
 その寅吉が手ひどく自分を裏切ったのであり、縫が自分を裏切ったことによる衝撃の大きさに隠れて、それまで目立たなかったが、縫の不実の相手が寅吉であるということが自分に二重の苦しみ、悲しみを与えていることに熊太郎は気がついたのである。
 熊太郎は思った。
 その寅吉が実兄であるところの熊次郎を悪く言うのを聞いて俺は嬉しかった。なぜなら、身内を庇うという自然な感情を超えて、俺たちは分かり合えていると思っていたからだ。しかし、今度のようなことができるということは、その兄を悪く言っていたことそのものが彼の屈曲した感情であり、しかも俺の屈曲はただ訳もなく曲がりくねっているだけだけれども、あいつの屈曲は合理的な目的のある屈曲、つまり意図的な嘘だとしたら、あいつは兄をぜんぜん悪く思っていないということで、俺を油断させるために兄を悪く言っていたということになる。そしてその兄は俺と敵対関係にある。ところが俺は、ああ、なんちゅうことをしてしまったのだ、寅吉の嘘の親近感を信用して、盗掘して銭を拵えたことや、葛木ドール殺しのこともみな寅吉に喋ってしまった。ということは、あっ。熊次郎に五百円の銭を渡したとき、「こんな銭、強盗か盗掘でもせんとできひんからのお」と言って、にやにや笑っていたのは、寅吉が盗掘のことを熊次郎に喋ったからか。だったとしたら、俺はもう終わりだ。せっかく観音の霊力で罪障を消滅して貰ったというのに俺はこうして自分から罪障を作り出している。そしていままた、復讐をすることによって新しい罪障を作り出そうとしている。しかし、それは誰にとっての罪なのか。神仏に対する罪なのか。現世の法に対する罪なのか。多分、両方だ。むしろその二者が対立していてくれると私も随分と楽なのやが。と、そんなことを考えると、身体の力が脱けてぼんやりしてしまい、なにもできなくなる。気力がなくなる。こういうことを難しい言葉で虚脱というのや。ああ、布団敷いて寝たい。
 どっかと座って傲岸不遜な熊次郎を見て、あの高田屋でのへえへえした態度はなんだったのか、と熊太郎は思った。
 実際、熊次郎は偉そうというか熊太郎が訪ねてきた事自体が不作法で、その不作法に対してむかついているみたいな態度で腕組みをして不機嫌をまったく隠そうとせずに熊太郎を睨みつけていた。
 そんな熊次郎を見るにつけ熊太郎はまるで自分が借金を申し込みに来たような気持ちになって心が挫けたが、違う。俺は資金を取り立てにきたのだと自らを勇気づけ、頑張って熊次郎を睨み返した。
 がしゃん。
 熊太郎の視線と熊次郎の視線が空中で衝突して押し合いになった。しかし、どういう訳か熊太郎の視線は終始劣勢、ともすれば熊次郎の視線に押されがちで、なにくそ。こっちは資金の取り立てに来とんのんじゃい。証文もあるんじゃ、と渾身の力を振り絞って押しまくるのだけれども、ぐいぐい押されて後退してしまって、ついには土俵を割った。
 熊太郎は目を逸らしてしまったのである。
 熊太郎は内心で、なんの目を逸らすことがあろう、俺は親切にも利息もとらんと貸した銭をかやしてもらいに来ただっきゃ。なんの遠慮があろうとなお思う。
 しかし目を逸らしてしまうのはいつも脇にいるはずの弥五郎がいない心細さであった。
 当初、熊太郎は弥五郎が一緒に来てくれるものと信じていた。
 ところが弥五郎は意外にも用があっていけない、といつになくつれないことを言った。
 それは、是ッ非、一緒に行ってくれと頼んだら弥五郎は来てくれるだろう、と熊太郎は思った。
 しかし俺は意地になった。そして自分が意地になっているのをみせないように、ごくあっさりと、ほなひとりで行ってくるわ、と言った。その意地が仇となっていまこんなことになっている。
 そんなことを思っている熊太郎に熊次郎が野太い声で言った。
「ほんで今日はなんの用やね」
「ああ、それがな」と熊太郎は話を始めた。
「こないだおまえと高田屋で会うたやんけ」
「それがどないしたんじゃ」と熊次郎は喧嘩のような声で怒鳴った。
「いや、どないもせえへんねけろな」と熊太郎は弁解するように言った。
「あんとき、おまえに貸したもんがあったやろ。いや、別にいつでも構へんねで。しゃあけど、ちょう聞いてぇや、熊次。わいもこのところてんとつかへんでな、恥、言うようやけど、全然、銭あらへんね。そこで相談やねんけど、おまえにこないだ三十円貸したやんけ。あのうち、二十円でええねん。かやしてくれへんけ。悪いけど。こないして証文も持ってきたあんね」
 と熊太郎は言って証文を取り出したが、なぜ熊太郎がこのように遠慮がちなのかと言うと、ひとつには弥五郎のいない心細さもあったが、ちょっとしたはずみで破れかぶれ、自己を完全に放下して、千尋の谷に身を躍らせるような、どうそろばんを弾いても自分が損みたいな大暴れ、粗暴な振る舞いに及ぶ癖のある熊太郎にはその反面、なぜかちょっとの駒の狂いで、なぜかむかつけばむかつくほど卑屈で迎合的な態度をとってしまうこともこれはあって、そうしているうちにますますむかついて、ますます卑屈で迎合的になっていくという癖もあるからで、しかし、だからといってむかついていることには変わりなく、というかむかつきは内向していつまでもくすぶって、最終的にはよりひどい事態になるのだけれども、なぜか度外れて横柄な熊次郎に対して熊太郎は、かく卑屈な態度をとっているのであった。
 と嵩にかかって言い募る熊次郎の顔をぼんやり見上げた熊太郎は内心で熊次郎を殺したいと思い、殺すとすればどのような方法があるだろうか、と考えていた。
 ただ殺すのは面白くない。やはり死の恐怖と苦痛を十分に味わわせて殺したい。「ヤメテケレー」「タスケテケレヤー」と言って悲泣するのを、「じゃかましい」と言ってじわじわ嬲り殺しに殺したい。というのはこいつはそれだけのことをしたからだし、こんな恥知らずはそのようにして死ぬるべきなのだ。そのときこいつは心から悪いことをしたと思って反省するだろうか。わからない。しかし、こいつはそれに値することをしたのであって、その恐怖と苦痛を味わうべきなのだ。そのためには具体的にどのような段取りをすればよいのだろうか。
 と熊太郎は考えたがただ、熊次郎を殺す、という言葉が何度も頭のなかに谺するばかりでそのための具体的な方策がなにも浮かんでこず、熊太郎は困惑した。
 それどころか、獅子頭のなかから見た縫の人間を試す目のことを思い出して、熊次郎よりもむしろ自分を消滅させたいような気持ちになった。
「ほんまに言いに行くんけ」
「ほんまに言いに行くわい」
 と熊太郎の言うのを聞いた熊次郎の顔面が蒼白であった。
 唇がわなわな震えてなにも言えなくなっていた。
 その様をみて熊太郎は、ざまあみさらせ、と思うと同時に内心に苦々しいものを感じていた。
 というのはさっきまで熊太郎は追い詰まっていた。なぜ追い詰まったかというと、熊次郎の言動如何によって熊太郎は監獄へ行くことになるかもしれなかったからである。
 そしてそのとき熊次郎はへらへら笑っていた。
 そしていま熊次郎は熊太郎と同様に追い詰まっているが、なぜ追い詰まったかと言うと熊太郎の言動如何によって熊次郎は勘当されるからである。そして熊次郎は蒼ざめて震えている。このことがどういうことかというと、熊次郎においては、熊太郎が監獄に入って公民としての権利を失い、身体と心の自由を奪われるよりも、自分が勘当になって、せいぜい親の経済的な庇護を得られないということが、その悲しみ、苦しみがはるかに勝るということである。
 これを分かりやすく言うと、他人が死んだり大怪我をしているのをみてへらへら笑っている人間が、いざ自分のこととなると、指先に棘が刺さっただけで生きるの死ぬのと大騒ぎをするみたいなことである。
 もちろん人間というのはそもそもそのように利己的なもので、熊太郎もそのこと自体を苦々しく感じているのではなかった。
 熊太郎がもっとも苦々しく感じたのは、そこではなく、そうして自分を追い詰めた熊次郎の意識の持ち様であった。
 熊太郎は相手の一切の自由を剥奪するつもりであれば、自らも一手間違えば同様の憂き目に遭うという覚悟を持つべきであると思っていた。相手を殺すつもりであれば自分もまた死ぬ気でかかるべきたと思っていたのである。
 ところが熊次郎はそんなことはつゆ思わず、自分は安全な位置に居て、自分の足元は揺るぎないものだと信じていた。
 熊太郎は子供の頃、トンボやバッタを捕えて慰みものにしたときのことを思い出した。
 もちろん熊太郎はトンボやバッタが自分に反撃してくるとは思わなかった。
 熊次郎も同様であった。つまり熊次郎は熊太郎をトンボやバッタと同程度の存在と見なしていたことが、熊次郎が勘当程度のことでかく動揺していることから知れ、熊太郎はそのことが実にいまいましいのであった。
 熊太郎はそうして激しく動揺している熊次郎を見て田椙屋の息子のことを思い出した。熊太郎は思った。
 田椙屋の息子もまた、竹田山三郎の娘のことをその程度にしか見ていなかったのだろう。つまり金持ちの坊ちゃんなどというものはみなこんなもので大した覚悟もなく、親の庇護の下で嵩にかかって面白半分に他人をいたぶり、自分はそうする権利を天から神から賦与されたと思いこんでいるが、いざ反撃されると、自分は攻撃する一方で他人から攻撃されるということを想像もしたことがないから、すぐに動揺して半泣きになるのであって情けないことこのうえない。そして腹立たしいのは自分がそんな金持ちの弱々ぼっちゃんに追い込みをかけられたという事実で、しかしでも逆に考えれば、だからこそこうして簡単に追いつめることができたのであり、苦々しいのはいっとき我慢をしていまは優勢なのだから敵を追いつめることに専念することにしよう。
 熊太郎がそんなことを考えていると、ひとりでわなわなしていた熊次郎が突然、膝をつき、それから両手をついて頭を下げて言った。
 傅次郎は半ばそら笑いのように笑った。なんでそんなことをするかというと熊太郎を馬鹿にするためである。
 馬鹿にされた熊太郎は当然のごとくに口惜しかった。
 というとあっさりしているが熊太郎の口惜しさは並大抵の口惜しさではなかった。
 胸をかきむしり、心臓をつかみ出してぐしゃぐしゃにしてしまいたいような、髪をかきむしった挙げ句、引きちぎり、頭から血液を噴出させて連獅子をしたいような口惜しさで、そしてその口惜しさは右のような無茶苦茶なことを実際にしたような痛みを伴っていた。しかし熊太郎は、自分がそうして軽侮されたから口惜しいのではない、と思った。では熊太郎はなにが口惜しかったのか。
 熊太郎は自分自身が口惜しかった。熊太郎は心の底、腹の底から、俺は阿呆やった、と思った。餓鬼やった、と思った。
 熊太郎は自分や弥五郎や博奕場で会う愉快な仲間たちは世の中のルールから外れて生きているが、世の中には正義というものがあると思っていた。そして傅次郎のごとき、「大人」がその正義に則って世の中を公平、公正に運営していると思っていたのである。
 したがってルールを逸脱するものがあると知れば、傅次郎のごとき大人がこれを公平に裁いてくれると熊太郎は信じていたのである。
 しかし、当然の話であるが現実にはそんなことはなく、みんなひとりひとりがてんでに、その都度その都度の自分の都合で生きているのが世の中というところで、だからこそ世の中には紛争や揉め事が絶えぬのであるが、そのことを知らなかった熊太郎はなるほど子供であった。
 ことあるごとに、「先生に言うたろ」という児童があるが、この児童は、正義の体現者である、「先生」が、すべて公平に裁きをつけてくれ、だからこそ不正を行った者は、「先生」を恐れるという考えに基づいて、ことあるごとに、「先生に言うたろ」と言って相手を威嚇する。
 熊次郎にたばかられた熊太郎も同様で、熊太郎は、「先生」「大人」であるところの、松永傅次郎に、「言うたろ」と言ったのである。しかし、松永傅次郎は正義の体現者でもなんでもなく、自分の都合を最優先して生きている有力な市民に過ぎず、当然、公平な正義など行わない。
 そのことを知った熊太郎はこれまで漠然と、社会には社会正義というものがあって、その正義に則って社会は運営されていると信じ、のこのこやってきて訴えるなどという餓鬼同然、小児同然の自分の間抜けぶりがやりきれないほどに情けなかったのである。
 熊太郎は、何度も何度も、俺はなんたらあほであったか。と思った。
 三十面さげて、餓鬼みたいに告げ口に来たのだ。大人はみな庇護者だと信じている無垢な餓鬼。泥棒の親方のところへ行って、「家に泥棒が入りました。懲らしめてください」と言っているみたいな阿呆だ。というか俺は滝谷不動で、「俺は一生、やたけたでいったる」と誓い、活火山の噴火口で宴会してるみたいな気持ちで生きてきたがあれはなんだったのか。俺はがつがつ直線的な繁栄を願ってそれを隠さない奴らにずっと厭悪の感情を抱いていたし、あえて敗北すること、あえて滅亡することは辛いけれども、苦しいけれども、人にできないそう言うことを笑ってやるのは粋なことだと思っていた。それだけを杖に俺は困難な人生をこれまで生きてきた。しかしそれは俺が社会の埒外の荒野みたいなところにいるからこそ成り立つのであって、俺が子供で大人の庇護を前提に無茶苦茶をしていたとしたら粋でもなんでもなくて、逆に無茶苦茶に恰好の悪いことということになる。と考えれば腑に落ちるのは駒太郎や村の奴の俺に対する視線で、俺が暴力的に振る舞えばそれは恐れたが、しかし、と同時に俺に対する侮蔑的な視線に、一部、なにか気の毒な人を見るような、そんな要素が混ざっていたのはつまり俺を社会の埒外の荒れ野にあえて立つ粋な奴、と思っていたのではなく、いつまでも成人できない未熟な奴と内心で思っていたからなのだ。
 そう思った瞬間、熊太郎の血液が沸騰した。
 沸騰するということは、液体が煮えたつということで、血管というものは全身くまなく駆け巡っているから、つまりは煮えたった液体が身体の内側をくまなく駆け巡ったということである。
 そんなことに人間が耐えられる訳がなく熊太郎は、「おほほほほほほ」と奇声を発して悶え苦しんだ。
 発狂しそうな痛みのなかで熊太郎は思った。
 この痛み、苦しみが今後も続けば自分は死ぬか、発狂するかしてしまうに違いないので、早急にこの痛み、苦しみを根本的に除去しなければならないが、そのためにはいろんなことをしなければならないはずで、ということは早急にこの痛み、苦しみを取り除くことはできないということで、ということは自分は死ぬか発狂をしてしまうということで、それは困る。ということはどうすればよいかというと、とりあえずいま一時的にこの痛み、苦しみを軽減するための処置をとらねばならないが、そのためにはどうすればよいかというと、いま目の前に居て直接的に痛み、苦しみの原因となっている傅次郎を除去、すなわち殺せばよいということだ。
 そう判断した熊太郎は立ち上がり、「おほほほほほほほ」と奇声を発しつつ、傅次郎につかみかかっていった。
 熊太郎は頭をひねって馬屋の方を見た。藁が積んであってその手前に鉈が転がっているのが見えた。なんとかあしこまで転がっていき、何人やれるか分からんけどやれるだけやって腹切って、座敷中に腸まき散らして死んでこましたろか。もちろんそれは命をかけた嫌味。
 そう思った熊太郎は身体が動くかどうか確認した。
 なんとか馬屋まで転がって行けそうだった。
 よし。やってこましたる。
 決意した熊太郎はもう一度頭をひねって愕然とした。土間にはたくさんの履物が脱いであったが、そのなかに熊太郎が縫に買ってやった利休下駄があったのである。熊太郎は混乱した。
 履物が脱いであるということはその家にその持ち主が居るということで、ということは縫がこの家に居るということである。というのはどういうことなのか。というとつまり、松永家は俺にとっては敵で、その敵の家に俺の女房の縫が居るということは、縫と寅吉はまだ切れていない、というか、親の家で公然と会うような関係ということになって、つまり、松永家の奴らの悪だくみを縫も知っていて亭主の俺はなんも知らんと騙されて、ちゅうことか。きっつー。きつい。それはあまりにも、あまりも……。
 と考えた熊太郎は全身の力が抜け、馬屋に転がっていって鉈を持って暴れるなどという気力はなくなってしまって動けない。それへさして、
「おまえら正味、いてまえ」という節ちゃんの声。応、と答えた若い衆が熊太郎めがけて迫り来る。血の気の荒い若い衆に袋だたきの目にあいながら熊太郎、ただただ心のなかで、無念、口惜し、と念仏のように唱えるばかりであったが、そんな念仏で救われる訳もなく、ぼろぼろにどつきまわされて血まみれさんばら髪、息も絶え絶えになったところを、「二度ときさらすな、ど阿呆」という罵声とともに表に叩きだされた。
 血と泥にまみれて熊太郎はもはやなにも考えられない。首をもたげてぴしゃりと閉じられた真っ白な障子。この障子の向こうに縫がいる。この障子の向こうに縫がいる。とただそれだけを思って真白な障子を見つめていた。

 血と泥にまみれて表の方に立った熊太郎を見て弥五郎は叫んだ。
「兄哥、どなしたんじゃ。誰にやられたんじゃ」
「松永でやられた」
 言うなり熊太郎は土間に倒れ込んだ。
 這うようにしてようよう弥五郎方までやってきたが、もはや立っておられず、「大丈夫かっ」と駆け寄った弥五郎に、「弥五。わしゃ、無念じゃわい」と言って気を失ってしまったのであった。
 弥五郎は後悔した。
 熊太郎の不甲斐ない様子に愛想を尽かし、こんな奴を兄哥、兄哥と奉っているのは阿呆らしいと見放してひとりで松永へいかせたからこんなことになった。俺が一緒におればこんな目には遭わさんかった。と後悔したのである。弥五郎は思わず知らず言った。
「兄哥すまなんだ。兄哥すまなんだ。兄哥すまなんだ。あんたをひとりで行かせたばっかりにこんなことになった。わしが悪かったんや。こうなったうえはわしゃ、どんなことしてでもおまえの身体を治すで。ほれから許せんのは松永や。いまは兄哥、あんたの看病があるさかいに行かれへんけど、あんたがひとりで歩けるようになったら、わしゃ松永ィ乗り込んで、熊次郎と寅吉、叩っ斬ったんねんさかい、いまにみとれよ」
 弥五郎の声が聞こえたのか、正気づいた熊太郎が言った。
「弥五……」
「なんや、兄哥、気ィついたんけ、しっかりせぇよ」
「おまえ、いまなんちゅうた?」
「あんたの身体はどんなことがあってもわしが治したるちゅうたんやで」
「その後や」
「その後かいな、その後はな、松永兄弟はわしが叩っ斬ったるちゅたんや。そやさかいあんたは安心しい」
「弥五、わしも、わしも一緒に……」
 苦しい息をしながらようやっとそう言った熊太郎の目から一筋の涙がこぼれた。

 金剛山から寒風が吹いて木を揺らし、家を揺らした。火が燃えて湯が沸いて温かいはずの室内であるが、窓の隙間、戸の隙間から冷気が侵入して、火の近くは暖かいのだけれども、部屋、土間の隅は冷え冷えとしていた。それでも身体を動かしているものはよいが、じっと動かない熊太郎は布団に入っていてなお寒い。
 弥五郎方で応急的な処置を行ったうえで戸板で自宅に運ばれ、翌日になってから医師の診察を受けた熊太郎は思いの外重傷で十二月は寝て過ごし、年が明けて明治二十六年一月になっても熊太郎は臥していた。
 世間では、わあい、正月ゃ、と言って、「正月きたらなにうれし、雪みたいなまま食べて、割り木みたいなとと添えて、炬燵でねんねこそりゃうれし」みたいな歌をうたって、喜んで酒飲んで遊んでいたが、熊太郎方に正月めいた雰囲気はさらになかった。
 正月の飾りはしてはあった。しかし、それにふさわしい春めいた気分がまるでなく、毎日顔を出す弥五郎がいつもと同じなりで午後二時頃やってきて小声で、「おめでとうさん」と言っただけであった。
 縫も普段とまったく変わった様子がなかった。これについては弥五郎も首をひねった。いったいこの女はなにを考えているのだ、と思ったのである。
 しかし、臥せる熊太郎は縫の何事もなかったかのような振る舞いを当然のこととして受け止めていた。
 なにしろ縫は俺らを試しているのだから。
 熊太郎はいまやまったくそのように考えて納得していた。
 熊太郎は周囲の人物について縫が得るであろう結論について考えた。
 森本トラは銭のために娘を売り、公平に飛び魚の干物を分配した娘婿を批判して銭をもっと持ってこいと言った。この強欲は罪障である。
 松永熊次郎は、謀をもちいて俺から多額の現銀を騙りとり、我ひとり貴しとして他の人間を無慈悲に扱った。この偸盗と差別は罪障である。
 松永傅次郎は、世の中の正義や倫理を歪め、正義を信じる者を侮蔑、破落戸を使ってこれに傷を負わせた。当然のごとくにこの私欲は罪障である。
 松永寅吉は、有夫の女と関係し、また、友人のような顔をして人に近づいて知り得た事実を他に洩らした。この邪淫は罪障である。
 松永傅次郎に殴られて土間に転落、柱の根石で打った頭が破れて血が噴出、視界が朱に染まった瞬間から熊太郎は松永一家を皆殺しにしなければならないと考えていた。
 なぜならあいつらは縫の試しによって罪人と認定されたからだ、と熊太郎は思った。
 一方、俺はどうなのか。俺は罪人ではない。なぜなら俺は二月堂で十一面観音様にすべての罪障を消滅させてもらったからだ。では、俺は自分の罪がないからと言って恬然としていてよいのか? そんなことはないはずだ。なぜ、観音が俺の罪を浄化してくれたのか考えてみればよい。観音は、「頼まれたから」と言うだろうか。そんなことはないはずで、あのとき周囲にはたくさん人が居てみな真剣に拝んでいた。あのひとらみんなが罪を許されたとは考えにくい。ではなぜ俺だけ罪を許されたのか。それは、俺ができなかったとしても滝谷不動でどじょうを救おうとしたのを不動明王が見ていて、十一面観音のところに行き、「あいつもちょっとはええとこあるよ」と言ってくれたのかも知れない。しかしそれだけではいかにも弱く、やはり観音様にはもっと深い考えがあった。どういう考え方と言うと、この世に正義を実現させるためだ。腐りきった松永や森本を糾すためだ。そのために観音様はすべての人を試す使い姫としての縫を俺の側につかわしたのだ。そしてその縫によって松永の腐敗が暴かれた以上、俺は松永を皆殺しにするしかない。だいたいにおいてあいつらはなんなのだ。なめているのか。あいつらがこの世に生きていること自体が村の恥だ。あいつらの不浄な息で空気が腐る。水が汚れる。そしてあんな奴が村会議員をしている。村で勢力を持っている。多くの山林を所有し、多額の現銀を持っている。やくざと交際し、反対勢力を暴力で排除する。他家の嫁を陵辱し、素知らぬ顔で村を歩き回っている。祭りになれば多額の寄附をして、神社にも多額の寄進をするから特別扱いを受けて貴人のように振る舞う。そんなことが許されていいんですか? いいんですか? いいんですか? よい訳がない。ところが村の連中ときたら同じような方向性に腐敗・堕落して、寄附を貰ったから。酒を奢ってもらったから。祝儀、香典を仰山もらったから。といっていっこうにあいつらを糾そうとせず、あいつらを批判する義しい人をかえって辱めるようなことをしている。このままでは俺の怨みは村全体に拡散して、全村に付け火して婦女子を含むすべての村人を殺さなければ治まらなくなってしまうし、そんなことにならないうちに悪の芽はこれを摘んでおかなければならない。正義のために。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。
 というのはいまや熊太郎の個人的な真言であった。
 縫が立ち上がって障子を開け放った。
 仰臥しつつ頭のなかで、殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す、と唱える熊太郎の腹のあたりに穏やかな正月の陽がさした。

 一月十四日。熊太郎はひとりで杖にすがって水分神社に詣でた。
 全員殺す、という真言を始終、唱え続ける熊太郎はしかし、なお考えていた。
 確かに観音様は私を選んで正義を実現させようとした。しかし、なぜ私なのかという、もっと強い根拠があれば私はもっと強い心であいつら全員を滅ぼすことができる。腸を抉るような悲しみとともに腸を抉るような正義。沛然として腸を抉る。松永熊次郎の腸を抉る。俺の腸と入れ替えてやろうか。おまえの脳は俺といっぺん入れ替わったほうがええんとちゃうけ。いっぺんは。いっぺんぐらいは。恐ろしいことだ。雨が降っている。頭のなかにもざあざあざあざあ雨が降っている。
 雨が降っていた。
 神社には人気はなかった。熊太郎は本殿には参らずに真っ直ぐ、裏手の摂社に向かった。
 熊太郎は思った。
 三角の浮遊物体。あれこそが俺にこの世に正義を実現させ、悪人の腸と生首を諸人にさらさせんがために現れた神。俺が参れば神は必ずそこらにおわすはずで、以前、俺は雑木林のなかの名もない小祠にぬかついて祈り、嘲弄されたけれどもあんなもんやないで、あんなもんやないで。でももし現れへんかったら私はどうすればいいのか。
 そう思って熊太郎は南木神社の鳥居前に立った。
 乱舞していた。
 尋常の量ではなかった。
 大小合わせて八千万ほどの輝く浮遊物体が満ちあふれ、白銀のように輝いていた。その残照によって熊太郎の顔、そして、身体も真っ白に輝いた。
「おおおおっ」と熊太郎は喚き、「もうこんなもんは要らん」と杖をへし折った。
 さらに熊太郎は、
「空からにゅうめんがっ」「空からにゅうめんが」「空からにゅうめんが」
 と、三度、おめいた。
 子供の頃から熊太郎はにゅうめんが大嫌いだった。
 なぜそんなことを喚いたのか熊太郎自身にも分からなかった。しかし、熊太郎は輝く光を浴び、自分のなかの厭悪や呪詛が完璧で曇りない正義に変わって行くのを確かに感じていた。熊太郎は光のなかでおめき続けた。
 急に泣きだしそうな梁の顔を見た弥五郎は、初めは遠くに働きに行って当分の間会えぬのだ、と尋常の暇乞いを言ってごまかそうと思っていたが、急にそんな風に取り繕うのが面倒になって言った。
「実はな、わしゃ、今度、死なんならんことになってな。おまえとも今日で別れんならん。おまえもわしがおらんようなったら寂しかろうが、ええ人間みつけてその人頼りに、達者で暮らしてや」
 南向きの斜面に陽がさし、穏やかでよい午後であったが、弥五郎がそういうのを聞いた途端、梁は周囲が真っ暗になり、大地がぐらぐら揺れているように感じた。
 破落戸、無頼漢と世間に憎まれてはいても梁にとってはただひとりの兄で、幼い頃より梁は弥五郎のみを頼りに生きてきたのである。
 もちろん弥五郎には兄らしいことをなにひとつとして貰ったことがなかった。
 逆に奉公先に押し掛けてきて酒や銭をねだられたりし、その都度、主家に嫌な顔をされて梁は肩身が狭かった。しかし梁は、本当の本当の本当に自分が危機に陥った際、世の中のすべての人から見放され、絶望と孤独のなかで滅びそうになったとき、手を差し伸べてくれるのは兄ひとりだと思っていた。
 そう思えばこそ他人のなかで働くことができ、この世で生きていくことができるのであった。
 その兄が死ぬるという。梁は五体が裂けるような心持ちになって、「どうしても死なんならんのんか」と言うのがやっとで、後は滂沱たる涙が頰を伝うばかりであった。
「お梁、そう泣くない」
 弥五郎はそう梁を諭しつつ、梁が泣きやんだら行こうと思っていたが梁はいつまで経っても泣きやまない。
 兄妹に午後の光がさしていた。
 熊太郎は自分が陰気なのが不思議だった。
 傅次郎方で正味の節ちゃんらにどつき回された熊太郎は、よろぼい歩いてようよう弥五郎方にたどり着いたが、額から流れる血汐で視界は朱に染まり、山も村も朱色に染まって、それが熊太郎には焔にみえた。
 自身の怒りで世界が燃えているようにみえたのである。
 以来、血がとまり傷は治ったが、世界は燃え続けていた。
 それくらいに熊太郎の怒り、恨みは激しかったのであり、傅次郎、熊次郎、姦夫姦婦、送籍を渋った森本トラをなき者にしない限り、怒りはおさまらない、気が済まないと思い、殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す。殺す。殺す。殺す。殺す。全員殺す、と個人的な真言を唱えることによって漸く精神の平衡を保ってきた熊太郎であった。
 そしてこれは真言であると同時に、宣言、声明でもあった。
 だからこそ熊太郎は財産を売り払い、銃や刀剣を入手し、本来、七月に執り行うべき先祖の法事も繰りあげて済ませるなど着々と準備をしてきたのである。
 そしていよいよ今日は五月二十五日、主上のために命を捨てて戦い、後の世まで忠臣として名を残した楠木正成公の命日。かねてより弥五郎と相計り定めた決行の日、すなわち、この間の恨みがすべて晴れる日で、本来であればこんな愉快な日はないはずである。
 にもかかわらず俺はなぜ陰気なのだろうかと熊太郎は考えた。
 身体の表面に細かい、ちりちりするような不快があり、胸と腹の中間の奥の当たりに漬物石くらいの大きさの、どんよりした黒い不快の塊が蟠っていた。
 指の先が無性に痒く、搔きむしるとまた別のところが痒くなった。
 寝不足で全身がだるく、髪の毛がべとべとしていた。
 こんなことで傅次郎、熊次郎がやれるのか。しっかりせんかい、俺。熊太郎がそう思って酒をあおったとき、向こうから井上貞次郎が歩いてくるのが見えた。
「ほだ、撃つで」
「待て」
 弥五郎を押しとどめた熊太郎は風呂敷包みを解いた。
 現れたのは獅子頭である。
 熊太郎はこれをかぶり、取り付けた紐を襷がけにして身体に結わえつけた。
 熊太郎の眼前に内側の虚無が現出した。
 雨降る暗い夜よりもっと暗い闇が俺と世間の間にはさまったのだ。はさまっていたのだ。
 熊太郎は、「弥五、撃て」と叫び、自らも松永傅次郎方の戸口めがけて撃った。
 銃声が響いた。その音を聴いても熊太郎の心にはなんの感情も浮かばなかった。
 熊太郎には傅次郎がスローモーションで現れたように見えた。
 不自然なくらい緩慢な動作で土間に駆け下り、なにか叫んでいるのだけれども聞き取れない。
 視界には傅次郎と獅子頭の内側が等分に入っていたが、やがて傅次郎が内側の虚無に入り込んだのか、内側の虚無が外側に浸出したのか、その境界が曖昧になった。
 熊太郎はまったくなにも考えずに刀を振り上げ、そして振り下ろした。
 血汐が飛んだ瞬間、熊太郎は、溶融しつつあるふたつの世界で今田鹿造が殴られたときのような、きわめて弱気な目をして怯えている傅次郎の顔をはっきりとみた。
 そのとき、暗かった家のなかが真昼のように明るくなり、思わず熊太郎が顔をあげると口の間の、袖搦や錆槍がかけてある長押に三角の浮遊物体が出現して発光しつつわなないていた。
 これをみた瞬間、熊太郎の頭脳のなかに快美の閃光が走った。
「おほほほほほほ」熊太郎は爆笑して土間に駆け上がった。
 熊太郎は獅子頭の内側にある自分の頭のさらに内側から四囲を見渡した。
 何百という臼が闇の中を疾走していた。にもかかわらずなんと不用意な人たちだろうか、何百という臼が暴走している真の闇という危険な状況であるのにもかかわらず、数人の男女が伏せるとかそういうことすらしないで、そこいらをぶらぶら歩き回っていた。しかも、全裸または腰巻きを巻いただけという無防備な姿でである。臼の材料は欅である。なぜなら欅は堅いからで、つまり臼というのは堅くて頑丈に拵えてある。ということは重いということでもある。その堅くて頑丈な臼がもの凄い速度で疾走しているのであり、そんなところを全裸でふらふら歩いているのはまったくもって自殺行為に等しい。ぐわん。臼が側頭部にまともに命中し脳漿を撒き散らしながら、叫び声をあげる間もなく女が斃れた。死にきれぬ女は四肢をひくひく痙攣させている。その他の男女も、ぐわん、次々と臼に脳を砕かれて斃れた、そのとき、暗闇の臼が疾走して行く奥の方から、二尺六寸ばかりの白い光の筋が二筋、規則的に交差したり、平行したりしながら、手前側に進んできた。その間も臼はどんどん疾走し、ついに二筋の白い光と臼が交錯したその瞬間、白い光の筋は、急に不規則に動き始め、疾走してくる臼の横腹を薙いだ。臼は胴から真二つに分かれ、それぞれ上下に飛びなにかにぶつかって粉々になった。轟音が鳴り響き硝煙の匂いがした。粉塵が舞っていた。白い光はそのようにして臼を胴切りにしつつ進み、いまやあれほど飛んでいた臼の数もめっきり少なくなって、散発的に二つか三つ、力なく飛んでくる程度で、それも忽ちにして白い光の筋によって斬られ、こなごなに砕けてしまう。臼によって脳を砕かれ斃れ伏してひくひくしていた男女はこの様を見て、あの二尺六寸の白い光は自分たちを助けにきたのだと思っただろう、白い光が近づいてくると、頭が痛いのを堪え、利かぬ身体を操ってなんとか起き上がりこれに縋りつこうとした。ところが白い光はまったく逆のことをした。二筋の白い光は縋りついてきた女の前後にそれぞれまわりこむと、背と腹をざっくり斬りおろした。「ぎょえええええっ」獣のような叫び声をあげて女は再び斃れ、二度と動かなかった。この様を見ていた若い男は逃げようとしたのだけれどもあまりの恐ろしさに腰が抜けて歩けない、小便を垂らしながら乙女のように座って手の力でじりじり這って行くのだけれども、そんなことで逃げられる訳がない、光が一閃、耳から頰にかけてざっくり切れたかとおもうと、別の光が腹を横に薙ぎ、ぼんっ、という音がして臓腑が噴出した。「おおおおおおおおおっ」わめき声をあげながら自分の腸を左手でつかんだ男はそれでも光から逃れようと右手で這うのだけれども同じところをぐるぐる回るばかりでちっとも逃げることができない。その間も臓腑は噴出し続ける。二筋の光は暫時、空中にとどまり、規則的に交差したり平行したりしていたがやがて、一筋の光が動いたかと思うと、ぶすっ、若い男の喉に突き刺さった。若い男は熱い塊が喉に溢れるのを感じつつ、それでも暫くのたうち回っていた。もはや臼は飛んでこなくなっていた。ただ粉塵が舞っているばかりである。二筋の光は漂うように飛び、座敷の隅で動けなくなっている少女の左腿に突き刺さり、また、脇腹に刺さった。
 熊太郎は激痛で我に返った。
 指がぬらぬらしていた。返り血ではなく自らの血であった。
 傅次郎の妻、かけの腹を斬り、三男、佐五郎の首を突き、そして三女、すえに斬りつけようと刀を振り上げた際、鴨居に斬りつけてしまい、白鞘で鍔がないため右手が滑って指を切ってしまったのである。
 ずきずきする痛みを感じながら熊太郎はぼんやりと思った。
 疾走する臼というのは俺の抵抗感。
 でもその抵抗感が奴らの脳を砕いたのだ。そして俺はその抵抗感に逆らって奴らを斬った。
 熊太郎はぼんやりと傅次郎方の天井のあたりを見上げた。
 白い光はいまだ浮遊してあたりは明るかった。
 しかし眺めるうち、わななきながらも三つの頂点が等しい力で引っ張り合っているような美しい均衡が破れ、三角形は不定形に変じていた。白い光は次第に赤みを帯び、耐え難い匂いと熱を放った。いつのまにか部屋のなかに黒煙が充満していた。
 弥五郎の声が聞こえた。
「傅次郎の餓鬼、表ィ逃げやがったど」
「おお」と答えた熊太郎は、俺はついにここまで来てしまった、と思った。
 熊太郎は以前、俺の思想と言葉が合一したとき俺は死ぬ、と口にしたことがあるのを思い出した。
 熊太郎は獅子頭を外すと火中に投げこんだ。
 にもかかわらず内側の虚無はなお熊太郎の眼前にあった。
 熊太郎は、俺の思想と言葉と世界がいま直列したと思った。
 獅子が目を瞠いて真っ赤な炎に包まれていた。
 熊太郎は無意味に銃を撃ちながら、「おおおおおおおおっ」と喚いて走った。
 血刀を下げて熊次郎方に戻った熊太郎弥五郎は、熊次郎の内縁の妻、りえを刺殺、その子で五歳の久太郎、三歳の幸太郎をも斬殺した。
 りえも久太郎も無言で殺された。りえは恐怖のあまり口がきけなくなり、久太郎と幸太郎は父の死を知らずに眠っていたのである。
 熊太郎ひとりが饒舌だった。
 熊太郎は刀を振り回しながらぶつぶつ呟いていた。
「思弁と言語と世界が虚無において直列している世界では、とりかえしということがついてしまってはならない。考えてみれば俺はこれまでの人生のいろんな局面でこここそが取り返しのつかない、引き返し不能地点だ、と思っていた。ところがそんなことは全然なく、いまから考えるとあれらの地点は楽勝で引き返すことのできる地点だった。ということがいま俺をこの状況に追い込んだ。つまりあれらの地点が本当に引き返し不能の地点であれば俺はそこできちんと虚無に直列して滅亡していたのだ。ということはこんなことをしないですんだということで、俺はいま正義を行っているが正義を真の正義とするためには、俺はここをこそ引き返し不能地点にしなければならない。」
 熊太郎はそう言って刀を、生後四十日のはる江に突きたてた。
 熊太郎は無明の闇のなかを駆けていた。
 気がつくと傍らに弥五郎がおらなかった。
 熊太郎は、おそろしくなって逃げたのだ、と陽気に思った。
 闇のなかに森本トラが立っていた。熊太郎の姿を見るなり、ものも言わずに家に逃げ込もうとするトラに斬りつけんと刀を抜いて苦笑した。熊次郎方で刀を振り回した際、またぞろ鴨居にでも斬りつけたのか、刀が折れていたのである。
 銃を構え、狙いを定めた熊太郎が引き金を引こうとしたその瞬間、遠くでドーンという爆発音がして、驚愕したトラが家の手前で転倒した。
 熊太郎は、愉快だ、と思った。
「虚無において世界が直列したため、同時多発的に俺と同じようなことをしでかして自分のなかに行き止まりを作っている奴が居る。臼の抵抗感を克服して。その抵抗感がもとでやらなければならなくなったことを臼を破壊して抵抗感をなくしさらに激しくやっている。世界が臼のように粉々になる、天地が革る。俺が滅びる。罪が滅びる」
 熊太郎はそう言うと倒れたトラのところまで歩いて行き、起き上がりかけたトラの背中に銃口をあてると引き金を引いた。ダーン、ダーン、ダーン、銃声が三度響いてトラは絶命した。
 森本トラが背中を撃ち抜かれて死したる頃、火事に気がついた城戸平次は身支度をすると妻の豊に、「なんや火事らしさけ、わしゃちょう様子見ィに行てくるけろ、家の用心ちゃんとしとけよ」と言うと火事場に向かった。
 平次が出ていった直後、平次方にやってきた者があった。
 熊太郎であった。熊太郎は主屋には入らず納屋に向かった。
 縫や縫の妹が平次方に泊まる際、主屋ではなく納屋で眠るのが常であったからである。
 熊太郎は納屋の戸を開けた。縫もうのも起きていた。
 熊太郎は縫だけがこのことを了解すると考えていた。
 己の意志や欲望を持たず、ただ他を計量するためだけに存在する縫は、縫だけが熊太郎の行為を正しく義挙と認定するはずであった。熊太郎は、縫はそのためだけに自分に嫁入り、寅吉と姦通したのだ、と考えていた。ところが縫は猟銃を携え、血まみれで入ってきた熊太郎の姿を見るや悲鳴を上げ、裾を乱して逃げ去ろうとした。しかし戸口には熊太郎が立っている、窓に駆け寄り、これに首を突っ込んだ縫は、「助けて、寅ちゃん」と叫んだ。
 これにいたって熊太郎は初めて、縫が、深い洞察力を持ちながらそれを口にすることはなく、人の意志を試すために神仏より使わされたものではないことを悟った。
 縫が単なる淫乱であったことを悟ったのである。
「平たい土地に松の木が生えている。くだらない。切り倒せ。そこに松があることを含めて宇宙そのものが徒労だ。面倒くさい。死にたい。死ね」
 熊太郎はそう言って銃を発射した。
 縫の後頭部が砕けた。
 その様を十五歳のうのはじっと眺めていた。
 熊太郎の目とうのの目が合った。
 どちらの目にも一切の感情が浮かばなかった。熊太郎はうのに聞いた。
「おまえは悲しかったり恐ろしかったりせぇへんのか。俺がこわないんか」
 うのは黙って頷いた。熊太郎は言った。
「逃げろ。逃げんと殺す」
 うのは初めて口をきいた。
「どこへ?」
「わからん。どこへ逃げたらええのかわしも分からん」
 そういうと熊太郎は納屋から出ていった。
 相変わらず周囲は闇であったが熊太郎はもはや走っていなかった。
 ただとぼとぼ歩いていた。世の中の人のうち騒ぐ音、谷川の轟々と流れる音、火焔に屋根の大竹が爆発する音が聞こえ始めていた。
 さっきまではなにも聞こえなかったというのに。

 血まみれの着物を着換え、手指の傷を水で洗って、熊太郎が激痛に顔を歪めた瞬間、戸口ががたがたいった。熊太郎は、松永が復讐にきたか、と身構えたが転げるようにして入ってきたのは血と泥にまみれた弥五郎であった。熊太郎は言った。
「松永かと思たら弥五やんけ。どこ行ててん」
「すまんすまん。堪忍してくれ。ことの序でにと思たもんやさかい、浅井伝三郎とこ行てな床下に火薬つめた竹に導火線ひきまわして爆発さしててん」
「あ、あらおまえやったんか。おもろいことすんのお」
「おもろいことすんのお、て、兄哥、なに収まっとんね、早よ行こで」
「行くてどこ行くね」
「兄哥、しっかりせぇよ。肝心の寅吉まだやってへんやんけ」
「あ、そうか」
「あ、そうかやないで。ここにおったら直きに警察の餓鬼きょんが。ここはいっぺん逃げて、ほて寅吉やらなどんならんやんけ」
「それもそやの」
「それもそやのやないで。早よ、行こ」
「早よ、行こちゅうけど、おまえどろどろやんけ、着物着替えていたらどやね」
「なに悠長なことぬかしてんね。そんなんしてる間ァにも……」
「そやけどその恰好は人目につくで」
「それもそやの。ほな兄哥、着物貸してくれるけ」
「ああ、そこにつくねたあるやろ、着替え」
 そんなことを言って弥五郎は着物を着替え法被を羽織った。
 ほな行こけ、と言った熊太郎は羽織を着していた。
 折れた刀を床下に隠し、用意した仕込み杖や黒鞘の短刀に持ち替え、弾薬、火薬も持って熊太郎、弥五郎は表に出た。
 熊太郎はうっすらと明るくなってきた世間を見わたした。
 農家の土壁の前を黒い鳥が歩いていた。竹藪が風に揺れてざわめいていた。雨はやんでいたがなにもかもが濡れてどっしり水分を含んでいた。
 もはや世界は熊太郎の言葉と直列していなかった。
 熊太郎の思弁は熊太郎の顔の皮の内側で膿んでいた。
 熊太郎は、いま俺の頭ははりぼてのようだ、白イルカのようだ、と思った。
 熊太郎は、今後のことをいっさい考えられなかった。なぜなら十人を斬れば自分はもはや引き返し不能の行き止まりにいたると思っていたからである。熊太郎は思った。
 ところがここが行き止まりだとおもってぶち当たった壁は紙でできていて、ぶち当たった途端に破れ、その先には変わらぬ世界があったのだから笑う。というか笑えない。その紙とは縫のこと。正義をなせと言ったのは観音だが不正を暴いたのは縫のすべてを試す目だと思っていた。なのに縫はただの淫乱だったのだから笑う。笑えない。俺はとんでもない思いをしてどこにも辿り着かなかった。なんの意味もなく、ただぐるっと一周回って元の世界に戻ってきたのだ。しかし、俺自身は元通りではない。おそろしく疲弊して、そして他人の死、十人の死が、自分の死として自分のなかに蘇る。死は人にとって自分だけの死であるが、俺は十人の死を自分の死として死ななければならない。それは恐ろしいことでそんな他人の死を背負って自分の死まで生きるというのは、元の困苦よりいっそう辛い困苦だ。行き止まりが行き止まりでなかったということは恐ろしいことだ。そしてこんな思いや考えもいまや言葉となって世界に出て行くことはなく、俺の頭のなかで行き場を失い腐敗して膿となる。白イルカになる。こんな頭でどうやって逃げればよいのだ。どこに逃げればよいのだ。
 熊太郎は弥五郎に言った。
「弥五、ほて逃げるてどこに逃げたらええね」
 弥五郎は明るく言った。
「ぜんぜん考えてへん」
 一大惨事の出来に村は鼎の沸くような騒ぎになっていた。東竹次郎と同じように、快哉を叫ぶ人が多かった。傅次郎や熊次郎らにひどい目に遭わされている人が多かったのである。
 土地を売って代金を払ってもらえない人があった。用水をめぐって筋の通らぬことをいわれた人があった。通りがかりに腹を殴られにやにや笑われた人があった。そんな人たちがみな松永がやられたという話を聞いて、ざまあみさらせ、と思ったのである。
 いまの社会であれば無慈悲きわまりない犯行として人々のもっとも憎むところとなったであろう、乳幼児までも殺害したことについても、人々はいまの世の中と同じような感じ方はしなかった。
 人間というものは因果なもので、別に啓蒙され、進歩発展したから慈悲忍辱の心を持つようになったのではない。ではどうしていまの人間が当時の人間より慈悲深くなったのかというと、それは食う心配がなくなったからで、人間というものはまず自分の生存、それをなによりも優先し、それが満たされて初めて他のことを思いやることができるのである。
 それが証拠にいまでも後進国に行けば人間の値段は安い。わが邦においても、今後、経済が悪化し、国民が等しく食うや食わずの生活になれば、モラルが荒廃した分、以前よりもずっと他人の死に対して無感覚になるだろう。
 ということはどういうことかというと、つまりいまの人間が昔の人間に比べて慈悲深くなったのではなく、ただナイーブになっただけで、食うのに精一杯であった当時の人の方がより強い精神を持ち、より透徹した死生観を持っていたとも言える。
 もちろん幼子を手にかけ、その首まで刎ねた行為を当時の人も残虐だと思い憤った。
 ただ底流にそのような死に対する感覚をもっていたため、そのことが原因でヒステリーやパニックに陥るということがなかったのである。
 その一方で、悲嘆にくれ、また憤る人もあったというのは当然で、松永家に連なる人たちや松永家と親しい人たちは怒り、歎き、怒りのあまり胸を搔きむしって地面に倒れ、転げ回る人もあった。さすがにそこまでする人は一人くらいしかなく、周囲の人は呆れてこれを眺めていたのだけれども。
 河内の寒村で十人の人が一時に殺されたというのは大事件で、二十七日には新聞記者が取材にやってきた。記者は出張所に入りびたって警察の話を聞くと同時に村内を回って村民の話も聞いた。
 しかし後難を恐れ、或いは松永に気を遣って、或いは城戸に気を遣って余所者になかなか話をしてくれない村民に苛立ちながらも記事をまとめ、五月二十八日の新聞に「河内の拾人殺し」と題する詳報が掲載された。
 記事の反響は大きく、二十九日にはさらに詳しい情報が出て、世間の耳目がいよいよ事件に集中した。そうして世間の耳目が集まり始めると、村民のなかにも、「実はな……」と詳しい話をするものが出で来る。
 その話を元にますます詳しい話が新聞に載り、熊太郎、弥五郎の生活ぶりや自宅の様子、松永熊次郎一家の無残な殺され方や現場のその後の様子、凶行に使用した刀の値段、薄幸の少女、うののその後、犯人に間違えられ逮捕された間抜けの話その他のサイドストーリーが語られ、姦通と借銭、すなわち色と欲が原因のこの事件に人民大衆は大いなる興味を抱き、人々はよるとさわるとこの話をし、となると新聞は売らんがためにますますこの事件に紙面を割き、ついには、「十人斬恨の刃」なる小説まで出る始末である。
 そうなると熊太郎弥五郎は、一部村民が松永をやったという意味で喝采を送ったのとは違う意味で英雄であった。
 人々は自分たちの心のなかにある凶暴な衝動や日々の鬱憤を十人斬りに投影して、熊太郎弥五郎に憤り、また、同時に賞賛した。
 職場で家庭で学校で、ちょっと乱暴な素振りをみせる者に、「おまえは熊太郎か」とか、横暴なことを言う者に、「弥五郎に言うど」とか言うのが流行した。
 そんなことをするうち、人々の頭のなかでストーリーは、熊太郎の行為は恋の恨みを晴らさんがための仇討、と単純化された。しかもその仇討をなした者はまだ生きていて逃亡、潜伏中であるという事実に人々は興奮した。
 熊太郎弥五郎はいまや有名人、時の人であった。
 そんな風になると、その有名人をたまたま知っているというだけで、他に対して自分もその有名人と同じく賞賛されるはずと勘違いするおっちょこちょいが必ず出てくる。
 自分はあの有名人と同じ小学校に通っていた。と他に自慢する。同じ小学校に通っていたのはただ近所に住んでいたからだけなのだけれども、自慢する。或いは、「みな、あいつを凄いと言っているが俺の知っているあいつはただの餓鬼だったよ」などとこき下ろす。
 小学生がただの子供なのはあたりまえである。
 そんな人がわあわあ言って、新聞記者は取材がしやすいのでますます記事が出る。記事が出るとますます盛り上がって、だから井上貞次郎なんかは嬉しくて仕方なく、本人がいないのをよいことに、「わしゃ、熊とは飲み分けの兄弟分やってんで」などと言って歩き、真っ赤になってふんふんしていた。
 その洞穴の入り口近くに蹲る熊太郎の目から耳から鼻から口から顔の内側で行き場をなくした思弁の膿が垂れていた。
 膿は乾いて顔面に固着し、熊太郎は表情を失していた。
 そして指の痛み。熊太郎は指が痛むたびに、他人の死を思い、自分の死を思った。痛みは持続的であった。
 洞窟に籠って四日経っていた。
 熊太郎は岩肌にへばりつくように生えている羊歯の、風に揺れてゆっくり上下する様をうち眺め、手招きをしているようだ、と思い、そしていつか同じような光景をみて同じようなことを思ったことがあったが、あれはいつだっただろうか、と考えた。
 考えた熊太郎はすぐに滝谷不動のことを思い出した。
 あのときも同じように静かだったなあ、と熊太郎は思った。
 あのとき、あのせっかく助けた泥鰌が鳥に食われて、俺が助けても結局、鳥が食うと絶望して渓谷に座り込んでいたときも、あのように羊歯が手招きしているようにみえた。そして俺はそのとき直感的に、その羊歯が招く場所はけっしてよいところではないと俺は思ったが、果たしてその通りで、あのとき羊歯に招かれてそれに従った結果、俺はこんな洞穴に追い詰まって指の激痛に耐えている。お医者へ行きたい。でも思うのはあのとき、俺はあそこがいよいよ行き止まりでもうこれ以上、行き場はなく自分はもはや終わったものと考えていた。ところが羊歯が、こっちこっちと俺を呼んだ。俺は羊歯についていった。なぜなら他に道がなかたからね。しかし、その道は滅びにいたる道で俺はまた行きどまりに辿り着き、その行き止まりで十人殺し、こんどこそもうどうしょうもない行き止まりだと思っていたら、また羊歯が現れて招いている。まだ先があるんですか、羊歯さん。もうやめませんか、羊歯さん。と言うのなら羊歯の招きを無視すればよいのだが、行き止まりにいたった人間はそれが滅びにいたる道であるのが分かっていても、道がある以上、歩いていってしまう。歩いていきさえすればなにかよいことがあるのではないかという錯覚と迷妄を抱く。そのよいこととはなにかというと、例えばいまの俺にとってのこの太陽の光。日の射さぬ洞穴で終日、指の痛みに耐えて蹲っている俺にとってこの日の光は黄金の光だ。一時から三時までおれは光を浴びて嬉しいみたいな気持ちになっている。しかし、そんな喜びが何日続くというのだ。あと二日もすればここからみて日々、左に左に位置を変えている日は、この穴のなかにはささなくなるだろう。その頃には、村からぺちってきた米もなくなり、また辛い道中が始まる。つまり生きている限り辛い道中は際限なく続き、俺は際限なく苦しくなっていく。楽になろうと思ったら死ぬしかない。しかし本当に、どんどん悪くなっていくばかりなのだろうか。この痛み、苦しみから解放されるということはないのだろうか。博奕でもそれまでずっと負け負け負けできて、ずくずくの状態になって、それでもあるとき突然、目と出始め、最終的には銭で腹が冷えるくらいに勝つときがある。あんな風に突然、なにもかもがうまく回転し始めるということはないのか。ということの具体的な段取りを考えれば、まず指の傷が治る。うまいこといって弥五郎に浅井伝三郎を殺すのを諦めさせる。警察の網をかいくぐって山伝いに南に逃げ、十津川から紀州に抜けて、名前を変え、土地の娘を娶って愉快に暮らす。みたいなことはまずない。ということは俺がこの痛苦から解放されるためには、ここを最終の行き止まりとして羊歯の招きを拒絶する、つまり死ぬしかないということだが、俺が一番おそれるのは、もしかして死後の世界があるかもしれないということで、俺が死んで、さあ、死んだ。死んだのだからいよいよ本当の行き止まりだろう、と思っていたらそこにも羊歯が生えていて俺を手招きしていて、仕方なくついていったらとてつもない困難が俺を待ち受けているみたいなことになったらどうしょう。というか、あそうか。それが地獄ということなのか。つまり、この世で悪いことをしたら人は地獄にいく、善いことをした人は極楽にいく。俺は人を十人殺し、善いことはなにひとつしなかったから地獄にいく。地獄というものは辛いところで、おそらくこの指の激痛を六万倍くらいにした痛みが全身を襲う。そんなことをされたら普通、人間は死んでまうのだが、それもできない。なぜならもう死んでいるから。そんなところには行くのは嫌で嫌でたまらない。なんとかならないのだろうか。そもそも俺が十人殺したのは正義のためだった。あんな邪悪な奴らがのさばっていたらろくなことにならないと思ったからだ。子供も殺した。それはそもそも臼が疾走したからで、あんな臼が世の中にあったこと自体の罪も俺の罪になるのか。大多数の人はあんな臼を黙認して自分の仕事にかまけている。俺はそんなものをすべて犠牲にして臼のことを考えて、親すらも捨てて十人殺した。それが罪になって地獄へ行く。だいたいがあの岩室で葛木ドールを殺した、あんなことになった事がすべての問題の根で、あのとき御所にいかなかったら。赤松銀三にみつからなかったら。森の小鬼に会わなければこんな事にならなかったはずだ。それすら赤松銀三にやってもいないことをやったと言われ、それがために俺は御所に行き、そして葛木ドールと会ったのだ。でもそのことは観音によってなかったことにされた。そのうえで、それだからこそ松永を森本トラをやらなければならない、と思ってしまった俺は、そのことによって、その観音への恩義によってやったことによって地獄に行く。それを避けるためにはなんとかここを生き延びていまの世の中で善いこと、十人殺したよりももっと善いことを積み重ねて、人に喜ばれて生きる。そうすればまた観音が罪障を消滅させてくれる。それしか俺の生きる道はない。しかし、この行き止まりをどうやって抜け出ればよいのだろう、生きるということはしょせん罪を重ねるだけなのか? 俺は善いことをして生きたい。そんなことをもっと早く分かっていたらよかった。もう遅い。指が痛い。あのねとつく感触がまだ指に残っている。その指が痛い。この痛みは自分が生きていることの証であって死ねば痛みはなくなる。そしてこの痛みというのは十人を殺したことに由来する痛みで、しかしそれが消滅するということは死ねば十人を殺したということも消滅するということになる。それだったら死んだ方がよいが、しかしそれだったら地獄というものはないということになる。でも昔からあれだけ言われているものがないということはないはずで、ということは別に死んだから罪が消えるということではなく、ということは俺は地獄に行くということだ。ということは死なない方がよいということだけれども、しかし生きているということはそれはそれで地獄みたいなもので、なぜかというとこの指の痛み、痛みという感覚において十人の死と直結する痛みがあるからで、これがなければ俺は弥五郎になれる。ところが俺の痛いという神経が他人の死んだことと結び合わさってしまって俺は面倒くさいことを考えないようにするということができなくなった。ああ、あのとき刀を振り上げすぎた。それで鴨居に斬りつけて指が滑って怪我をした。突き専門でいったらよかった。或いは鍔のある黒鞘の方を使ったらよかった、といくらいま思っても時間は戻らない。怪我において痛みにおいて俺は罪障と結ばってしまった。しかし、初めのうちはそんな結び目みたいなものは、すぐに解けるか切れるかすると思っていた。傷が治ると思っていたのだ。ところが傷は治るどころか悪くなる一方で、そのうち指が腐って腐りは腕に及び、全身に及んで俺は罪に腐って死ぬ。鈍重な死。罪の痛みを伴いつつ緩やかに進行する死。そうならないためにはいまのうちに腐った指を切断しなければならないが、しかしその傷がまた治らなかったらどうする? 傷は拡大していくばかりだ。罪を断ち切ろうとしても痛みは増すばかりで、もはや手だてがない。ただ、滅びへいたる悪路が続いているだけやないけ。
 熊太郎のそんな思いが腐って顔の内側から溢れ、顔の表面に流れて腐臭を放った。
 日が翳って洞穴のなかが暗くなった。
 熊太郎は頭のなかに考えが蠢くのが苦しく、弥五郎が戻ってくるまで眠ろうと思ったが、指が痛く、また、瞼の裏の闇に恐ろしいものが潜んでいるような気がしてまったく眠る事ができなかった。羊歯がゆっくりと上下していた。
 熊太郎は、いま自分らが洞穴に潜伏していることについて二つの側面から考えることができるとみていた。
 ひとつは、さらなる復讐、すなわち洞穴に潜伏して時機をうかがい、好機と見るやすかさず村に侵入して討ち洩らした者どもを討ち果たすという目的のための潜伏という側面である。
 いまひとつは逃亡という側面である。
 十人を殺したがために当然のごとく警察に追われる身となった。その警察の捜査から逃れるために洞穴に潜伏しているのである。
 そして弥五郎はもっぱら復讐のことについて語るが、しかし警察に捕まっては復讐ができないから、復讐するためには逃亡をしなければならない。
 しかし、いつまでも逃亡をしていては復讐はできない。
 時宜を得れば直ちに反転し村に押し出さなければならない。
 そしてそのいずれをなすにも枷となっているのは負傷している熊太郎である。
 熊太郎が居らず弥五郎一人であれば、それこそ警官の減員された頃合いを見計らい、夜陰に乗じて村に侵入、銃を乱射しながら浅井家に突入して放火、皆殺しにするくらいのことはできるだろう。
 或いは、山伝いに紀州に落ち延びて新宮から名古屋、東京に逃げることもできる。
 復讐、逃亡いずれにしても容易である。
 ところが熊太郎がいることによって弥五郎はそれができない。
 それについて弥五郎はどう思うだろうか。
 熊太郎は、松永傅次郎方に乗り込んだ際、弥五郎が、「用があるから行けない」と言ったときの顔を思い出した。
 また、熊太郎はいつか、弥五郎は自分にとって宝石のような存在だが弥五郎にとって自分は石に過ぎず、そのことを知ったとき弥五郎は自分から去るだろうと思ったことを思い出した。
 熊太郎は弥五郎が外に行くたびに、このまま戻ってこないのではないか、と不安になっていたのである。
 だから畳んだ岩の間から弥五郎が顔を出したときはいつもほっとした。
 このときも弥五郎が、「わしや、わしや」と言って入ってきたとき熊太郎は言い知れぬ安堵を覚えた。しかし、そのような疑心を抱いていることを弥五郎に知られたくない熊太郎は、「なんやおまえかい。巡査かと思て撃つとこやったわ」とわざと無愛想に言った。
「頼むで」と弥五郎は屈託なく言い、また、「指どないや?」と尋ねた。
 熊太郎は、「まあまあ、よおなっとるわ」と答えた。
 まったそんなことはなく傷はますます痛み疼いていた。
 熊太郎はここ数日、痛みのためにほとんど眠っていなかった。弥五郎は、「焼酎、あったらええねけどな」と言って笑った。
「今日村の縁までいたんやけどあかんわ」
「あかんか」
「あかんわ。警察で溢れかえっとるわ。焼酎、盗むどこやあれへん」弥五郎はそういってまた笑ったが気が立っている熊太郎は驚いて言った。
「なんやて、村、警官であふれとんかい?」
「ああ、あふれとんな。二百人かそこらはおるみたいや」
「あかんやんけ」
「なにがあかんね」
「そうかてそやんけ。おまえ、こんなことしてるうちに向こが銭なくなっておらんようになる、ちゅてたやんけ。それがなんやね、逆に増えとんが」
「それがちゃうにゃて」
「なにがちゃうね」
「ええか、兄哥。ここに来て向こが急に人数増やしてきたんちゅうのは向こも必死ちゅうこっちゃ」
「必死てなんや」
「いよいよ銭がないちゅうこっちゃんか」
「そうかて人数増やしとるやんけ」
「そやねけどな、やっぱしいっち銭かかんのは日数やんけ。あんだけの巡査、毎日食わさんならんねからな。しゃあからあいつらここでいっぺんにけりつけてまお思てあんな人数繰り出しよったに違いないとわしゃ思とんね。しゃあから兄哥、ここが辛抱のしどこやで。四、五日ここに籠っとってみ。あいつら銭が続けへんよってみな引き上げてまいよるわ」
 警察は予算が続かないからこそ一気に解決してしまおうと大人数を繰り出したのであり、その目算が外れれば警察は捜査の規模を縮小するに違いない、と主張する弥五郎の意見を聞いて熊太郎は内心で、そうかもしれない、と思った。
 小規模の捜査においてさえ現場の巡査は不平を言っていたのである。それは弥五郎の主張する警察が費用の増大に苦しんでいるという証拠であって、警察は弥五郎の言う通り、大人数を投入して二日または三日程度で解決しようとしているのであり、確かにそれが四日、五日と長引けば警察の戦略は根本から瓦解するだろう。というのは大楠公楠木正成が千早城に立て籠もり関東の大軍百万余騎を迎え撃ったのと状況が似ている。そういえば、子供の頃より俺は自分を大楠公に擬していたが話をしていると弥五郎が楠木正成で俺自身は戦力を持たない後醍醐帝のようだな。
 と熊太郎は思い、すぐに、このことを思ったのは初めてではなくいつかもそんなことを思ったがあれはいつだっただろうか、と思ったがいつのことだったか思い出せない。

「ほんで警察が手薄なったとこ、五條か高田へ逃げんねんな」と熊太郎は言った。
 何気なく言った言葉であった。
 その言葉に弥五郎は激しく反応した。
「なんかしとんね。そんなじゃらじゃらしたことしてられるかあ。警官おらんようなったら浅井伝三郎のとこと松永ンとこ暴れこむのんに決ってるやんけ」
 弥五郎が目を剝いて言うのを聴いて熊太郎は頭の皮がびりびりするのを感じ、また喉や胃に重いものが充満しているような気持ちになった。熊太郎は訊いた。
「ほんでその後、どないすんねん」
「そんなもんわかるかあ。そのときはそのときやんけ。逃げられたら逃げるし、あかんとなったら死ぬだけや。おい、兄哥、おまえなに考えとんにゃ。おまえかてまだ傅次郎と寅吉やってへんやんけ。それともなにか? わががやるだけやったらもう気ィ済んで逃げとなったんかい? 命、惜しなったんかい? わしの恨みはどなしてくれんのんじゃ、わがの恨みさえ晴らしたらわいの恨みはどうでもええのんかい? おい、兄哥、どないやね」
 熊太郎はまったく間をおかずに答えた。
「なんかしてね。そんなことあるかれ。わしはおまえの恨みも晴らすわれ」
「そらそやわな。わがの手伝だけさしてここまできてあと知らんちゅうわけにはいかんわな」
 そう言うと弥五郎は傍らにあった銃を取り上げその銃身を撫でた。

 翌朝。薄暗い洞穴の弥五郎が喋っていた。
 四、五日籠城し、警官の数が減ったところで突入して浅井松永を討つという計画に熊太郎が同意したのに気を良くした弥五郎の口吻にもはや昨夜のような険はなく、むしろ上機嫌にどうでもよいことを言っていて、指の傷が痛んで抑鬱的な気分の熊太郎はほとんどこれを聞き流していたが、弥五郎がふと言った一言が耳に止まった。
 弥五郎はこう言ったのであった。
「わしはな、なんかおまえがいつもほんまのこと言うてへんみたいな気ィすんにゃけど。口で言うてることと腹で思てることがぜんぜんちゃうちゅうか、なんかバラバラみたいな感じすんにゃけど、そこらどやね? 実際のとこ」
 弥五郎にそう言われて熊太郎は咄嗟に、
「そうかあ?」
 と何気ない風を装って言ったが内心では焦っていた。
 弥五郎の言ったこと、すなわち、頭で思ったことが言葉にならず自分のなかから外に出て行かないことに熊太郎は長いこと苛立ち、また、苦しんでいたが、しかし、そのことを他人に気取られることはないはずだ、と思っていた。
 なぜならそうして考えが言葉にならない熊太郎を世間は阿呆もしくは変わり者として侮っていたからである。
 しかし熊太郎は、あほはおのれらじゃ、と思っていた。
 なぜなら熊太郎の考えが言葉にならないのは熊太郎が手持ちの言葉では表現できないこみ入ったことを考えていたからで、「西洋のパンちゅうやつぁ、あら、うまいらしの」とか、「今日、畠しとったら猿きょたさかい鍬でどつきまわしたってん」とか、「豆の値ェやっすいのお」みたいなことを考え喋り、そんなこと以上にこみいったことは自分の内にも外にもないと信じている奴らに俺の考えていることが分かってたまるかあ、ど阿呆、と思っていたのである。
 まあ、そんな奴らに、「また、熊が訳の分からんこと言うとおる」と言って笑われたり、なにも伝わらぬことを前提に、それならばいっそより伝わらない無意味なことをやってみようと前をはだけて仰向けになり、素麺や焼き魚を腹の上に乗せて素手で搔き回していると、「また、熊が酔うて阿呆なことしとる」と言って嘲られ、そんなときは、「お前らになにが分かる」とか、「俺がどんな気持ちでこんなことしてるかおまえら分かって笑ろとんのか」と怒鳴って暴れたくなり、また、実際に怒鳴って暴れたりしたが、そのことが原因でますます阿呆と思われ、嘲られた。
 しかし、ということは当然、そんな奴らに自分の思考と言葉がバラバラであるということは分かる訳がないと信じていたところへさして、弥五郎にそのことを指摘されて熊太郎は虚を衝かれたのであった。
 熊太郎は五條で大敗し、河原で弥五郎に賭博に関する考えを話したときのことを思い出した。
 あのとき俺は、そんなこみいったことをすらすら説明できるのが不思議でならなかった。つまり弥五郎は俺にとって特別な存在でだから弥五郎は俺のバラバラを喝破するのか。そんなことあるかれ。まあ、確かに賭博のことはやややこしいことやが、しかし、そんなものは猿がパン食うて豆の値が下がったのと大差ない話で、俺が縫を殺すにいたった、熊次郎を殺すにいたった本当の理由は弥五郎にはいくら話しても分からんだろう。それだったらむしろ俺は寅吉の方が分かるのかな、と思っていた。しかし実際のところは縫がただの淫乱であったように、寅吉もただのいちびりかも知れず、ということはやはり俺のバラバラは誰にも分からないはずなのに弥五郎にそのことが知れたのはなぜか。
 そう思って熊太郎は弥五郎を見た。弥五郎は竹筒から水を飲み、「そろそろ水ないの」と呟いた。
 熊太郎は思った。
 しかし、ということは俺はいままで一度も他の人に本当のことを言わなかったということになる。ということは俺は死ぬまで一度も他の人に本当のことを言わなかったということで、それは寂しい。やはり誰か自分でない人間に自分の実際のところ、本当のところを知っておいて欲しい。そしていま俺にとっての他人は弥五郎しかいない。となると困るのは、弥五郎は多少前後するとしてもほぼ俺と同時に死ぬ訳で、本当のことを知っている他人がこの世にいなくなってしまうということ。それでも言う意味があるとしたら、一回は本当のことを言ったという事実が残ることと、後は人間の魂が不滅だとすれば弥五郎の魂が俺の真実を保持するということ。
 そのように考えて熊太郎はいまこそ弥五郎に本当のことを言っておこうと決意した。熊太郎は言った。
「なあ、弥五」
「なんや、兄哥」
「俺が松永と森本トラと縫やったほんまの理由知ってるか」
「知ってるよ」
「言うてみい」
「むかついたさかいやろ」
「そらまあ、そうやけれども、ただそれだけちゅうわけやないにゃ。つまりな、むかつきはむかつきやねん。ただ、その都度考えてたことちゅうのがあってな、それは松永ちゅうもん自体のあり方ちゅうのかなあ、森本トラのその因業ちゅうのかなあ、そういうもんがむかつきの根本にあって、それはむかつき言うたらむかつきやけどな、ほんまのこと言うわ。それはむかつきや。むかつきやった。ただ、おまえと奈良行ったやろ。あのとき俺はな、ほんまのこと言おか? あのとき俺は恥ずかしかったわ。おまえ大仏おもいっきり拝んどったやろ。あんなもんおまえ拝むもんちゃうぞ。それおまえ真面目に拝んでるさかい俺は周りに対して恥ずかしかったんじゃ。ちゅうか、そんなことを別に言お思てたんちゃうねけどな、結局、そういういちいち細かい思うことがな、やっぱしあるちゅうことをな、言うてんねんけどな。それ自体が俺はおまえ兄弟分が恥ずかしいと思て先に表出て連れや思われんとことした自分が恥ずかしいとかよ、そんなことあるやんけ。そんな意味でほんまのことちゅうのが、もっと大事なとこでな、いちいちあったゆうことがあってな、そういう意味でただむかついた言うて終いちゅうこっちゃないことのその一個一個のな、そのときそのときで言わな分からんとこがあると思うにゃんけ。ほんで言うと奈良行たやろ。あんときおまえは大仏殿で拝んどって俺は二月堂で拝んだやんけ、そんとき思てんけどな、俺なんか結局、生きてて博奕とかそんなしかしてへん訳やんけ。それはそれでいちいち思うこともあったんやけどな、しゃあけどまあ言うてもおたらそういうこっちゃんけ。ええこと言うのはなんもせんと悪いことばっかししとる訳やろ。けどそんときにゃで、もし観音さんがその悪いことをみな消してしもたとしたらや、俺は逆にその後はええことができるんちゃうかと思たんや。ちゅうのはそれまではやで、ちょっとくらいええことしたかて山ほど悪いことしてる訳やから焼け石に水やんけ。しゃあけどもし観音さんがそれみな消してくれはってたらちょっとええことしただけでもそれは儲けやんけ。ほんまのこと言うと俺はそう思てな、田杉屋行て、けどそんなことしてるうちに結局また悪いことがたまってくるやんけ。それも別に自分が悪いことしょう思てへんでも銭払えとか言われてやあ、ほんでしゃあないから泥棒したりする訳やん? 正味の話が。そんなんでまた悪いことがたまってきたらよっぽどええことしいなあかんと思うやんけ。そんでそれがやっぱし松永とかやってまうことちゃうかて思てな、そらむかつくという気持ちも半分はあるよ、あったよ、そやけどそれは五分五分でやっぱし、半分はええことちゅうつもりやったんや、こらほんまの話や。それが証拠にほんまのこと言おか? 言うわ。あいつらやるて決めたときとやってる最中にな三角の光り出てきてふわふわふわふわしとんね、いやいやいやいやいや、ほんまの話や。ちゅうのは俺はおれは神さんと思うねんな。ちゅうのは神さんが出てきて、やったれやったれ、言うたんちゃうかと思うねん。そらなんで神さんて言えんねん言われたらそら言われへんけどあんなものおまえ、そこら普通にあるもんちゃうし、神さんとしか思われへんやん? ほんでそんなんでな、俺やってんけど、ほんまのこと言うたら、むかつきちゅうのがやっぱし半分ある分、あかんのかなあ、ちゅう気ィもしててな、ちゅうのはほんまのこと言うたら縫な、あれ俺もしかしたら神さんの使い姫ちゃうかと思ててん。いやいや、ほんまに思てたんや。あいつが自分の身体で殺さなあかん奴を俺に教えとんのかなと思たんや。けどそれはやっぱちゃうちゅうことわかったしな。ほんで殺してもうてんけど、それはもうただのむかつきやしな。むかつき言うたら全部むかつきみたいなとこもあって自分で勝手に神さんとか言うてただけかも知れんしな。ほんまのほんまのほんまのこと言うたら、俺けっこう、あんなんしてどやったんやろか? って言うね、そういう気持ちがなんちゅうのかな、指痛いやんかあ? そんなとっから来てる弱気みたいな、そういうもんと一緒なって……、ただおまえからしたら人、巻き込んどいていまさらなんかしとんね、と思うやろけどな、やるよ。そらもちろん浅井やるよ。それは当たり前の話として、ほんまのこと言うたらやめといたらよかったちゃうかみたいなとこもちょびっとやけどあるっちゅうことやねんな。けど結局ほんまのこと言おか? 結局ほんまのこと言うたら、まああんだけのことやったんやから俺は死ななしゃあないと思てるよ。人間、いつかは死ぬ訳やしね。ただ、俺はな、地獄いうもんがほんまにあんにゃったらそれがおとろしいねん。それやったらちょっとでも長生きして善根積むちゅうの? ええことしてから死んだ方がええのかなみたいな、そんなんは、ほんまのこと言え言われたらちょびっとだけ思うわ」
 熊太郎はそう言って唐突に黙った。
 熊太郎は考えたことを可能な限り忠実に言葉にした。
 熊太郎はいっさいの虚偽を交えないで話を始めた。
 しかし話している間中、ずっと熊太郎は言葉が考えの表面をうわ滑っていくようなもどかしさを感じていて、そのもどかしさは話せば話すほど甚だしくなっていった。また、話すうちに熊太郎の頭にある考えが浮かんだが、熊太郎はそのことについては話さなかった。話せなかった。

「水汲みに行てくるわ」
 と弥五郎が言った。
 その口調は妙にさっぱりしていて熊太郎の話からなにをくみ取ったかは熊太郎にうかがい知れなかった。
 弥五郎は立ち上がると腰に帯革を巻き仕込杖を差した。熊太郎は言った。
「そこまで行くだっきゃのになんもそこまでせんでもええやんけ」
「いや、巡査おるかもしれんさけ」
 弥五郎はそう言って村田銃と竹筒を手に取った。熊太郎は、弥五郎はこのまま戻ってこないつもりではないかと思った。
 俺が生き延びて善根を積むべきと言ったのに腹を立てたのだと思った。
 熊太郎は言った。
「わしも一緒に行くわ」

 木の根をつかんで稜線に這い上がった熊太郎は早くも先を歩いている弥五郎の後を追った。
 弥五郎は四囲に抜かりなく注意を払いながら歩いていく。
 熊太郎は圧倒的なものが迫ってくるような気配を感じた。
 すぐこその藪や、あるいは遠くの山の頂きに自分らを注視する視線が潜んでいるような気がした。
 熊太郎はこの嫌な緊張が後四日続くのかと思ってげっそりした。
 熊太郎は小走りに走って稜線が直角に曲がっているところで弥五郎に追いつき、そして言った。
「弥五、いっそこのまま村行てけりつけてまおか」
「それもええかも知れんな」
 弥五郎はそう言って笑ったが、本気でそう思ってはいないらしく、そのまま行ってしまった。
 熊太郎は浅井伝三郎の、それから浅井照の、村の道をとぼとぼ歩いていたり、ひやみぞにつくもって野菜を洗っている姿を思い浮かべた。
 指が相変わらず痛かった。
 熊太郎はさきほど頭に浮かんで言えなかったことをもう一度思った。
 あと四日間、この嫌な感じが続き、そして、この一週間の感じがより増幅されてあと一週間続く。或いは現場で射殺。いま死ぬにしても逃げ延びるにしても、いま積むことのできる最大の善根とはなんなのか。そんなことはさっきから分かっていて、それこそ人の命を助けること。それでも足らぬ負け、借り。
 そう思った瞬間、熊太郎の目が灼けるように痛くなって、視界が真っ暗になった。熊太郎は両の手で目を押さえた。
 腐敗臭が漂った。指はなお痛く、目も激烈に痛かった。
 どれくらい痛みが続いたのか、或いはほんの一瞬であったのか、痛みがひいて熊太郎が目を開けると先に斜面を谷へ降りかけている弥五郎の姿があった。
 岩肌に羊歯が生えていた。
 まったく風が感じられないのにもかかわらず羊歯はゆっくりと上下していた。
 熊太郎は銃を構え、撃った。
 弥五郎が崖下に転がって落ちた。

 崖を背にし、木の根に足を踏ん張って熊太郎は思った。
 大きな厭な気持ちから逃れようとしてあえて小さな厭なことをやったらもっと厭な気持ちになった。救われるのではないかと思ったけど結局は救われなかった。どっちにしろ負けを取り戻すことができないということがいま分かった。だから俺はもっと早く勝負を降りるべきだった。そうすれば負債は負債でもより小さい負債ですんだ。それがいまわかった。けれどもそんなことが分かってなにになる。俺はいま死ぬのに。それも最大限の負債を抱えて死ぬのに。俺はなぜ自分一人で死なず、他の人を巻き添えにしたのか。それは終始、俺が自分のことしか考えてこなかったからで俺はいままで一秒も他人の身の上のことを考えたことがなかった。弥五郎を殺したのもより多くの人の死を事前に防ぐためという風に思ったがさっき転げ落ちた弥五郎のそばに行って手を合わせたときにそうではなかったことが分かった。なぜなら俺は死んだ弥五郎の顔を直視できなかったからで、つまり俺はなぜそんなことをしたかというと自分が、自分が救われたいからやっただけで、本当に浅井家の人たちのためを思ってやったことではなかった。
 熊太郎は空に向かい、涙を流して言った。
「すんませんでした。全部嘘でした」
 そういうと熊太郎は右足に力を入れ、胸に銃口をあて、左足指を引き金にかけ、
「南無阿弥陀仏」と唱えた。
 しかし熊太郎は引き金を引かなかった。
 暫くの間、熊太郎はそのままじっとしていたが、やがて引き金から足を離して呟いた。
「まだ、ほんまのこと言うてへん気がする」
 熊太郎は思った。
 俺はこの期に及んでまだ嘘を言っている。というのは頭のどこかで悔悟して本当のことさえ言って死ねば魂は救われるかも知れないと期待している心があるからだ。しかし、そんなものは俺が滝谷不動に行く途中、この難局さえ乗り切れば道は開けると信じて歩いていたのと同じことで、ただ自分勝手につくりあげた実体のない腐った信仰に過ぎない。しかしそんなことに縋って救われたいと思われて本当のことなど言える訳がなく、俺は嘘を言ったというのは真実だけれどもそんなことが俺にとって本当のぎりぎりの生きた真実ということではない。俺は生きている間に神さんに向かって本当のことを言って死にたい、ただそれだけなのだ。
 そのように考えて熊太郎は焦った。
 なぜなら弥五郎を撃ったときの銃声を聞いた警官がいまにもやって来るに違いないと思ったからである。
 早くしなければならない。
 そう思った熊太郎はもう一度引き金に足指をかけ、本当の本当の本当のところの自分の思いを自分の心の奥底に探った。
 曠野であった。
 なんらの言葉もなかった。
 なんらの思いもなかった。
 なにひとつ出てこなかった。
 ただ涙があふれるばかりだった。
 熊太郎の口から息のような声が洩れた。
「あかんかった」
 銃声が谺した。
 白い煙が青い空に立ちのぼってすぐに搔き消えた。

 夏の夜。夜の夏。人々が狂熱していた。狂熱の中心に櫓があった。
 紅白の布が巻かれた櫓から八方に光と熱とリズムが放射されていた。
 人々はその光と熱とリズムを浴び、我を忘れて陶酔していた。
 あらゆる雑多な人々。ジャアジィ姿のヤンキーの兄ちゃん。姉ちゃん。浴衣姿のおっさんおばはん。子供。年寄り。学生みたいな奴。詩人みたいな奴。学校教師みたいな奴。やくざ者。
 そんな雑多な人がリズムにおいて一体化して踊り狂っていた。
 櫓の上には音頭取りと社中の人々。
 腸に響くような太鼓、狂躁的な三味線、ぎらつくようなギターがじりじり疾走し、演奏は果てしなかった。その果てしない演奏に乗り、ときにあおり立てられつつ音頭取りが、自慢の美声を転がし、文句が一段落するのに合わせて低いところに節を解決させると、節と文句にエネルギーを注入するように、イヤコラセー、ドッコイセという囃子詞が響いた。
 お外題は、「河内十人斬り」別名、「水分騒動」。
 明治二十六年に城戸熊太郎、谷弥五郎の二人が恋の恨み、金の恨みを晴らさんがために十人斬った挙げ句、金剛山に立て籠って自決したという事件を、当時の富田林警察署長お抱えの、音頭好きの人力車夫、岩井梅吉が演じ大評判となって、いまなお演じられる河内音頭のスタンダードナンバーである。
 音頭取りがひときわ力をこめて台詞を詠んだ。
「斬り刻んでも飽きたらんちゅうのはおまえのこっちゃ。こなしてくれるわ、エイッ」
 直後、ひときわ演奏が高まり、群衆の狂熱は極点に達した。
 群衆が熱と光を浴びて狂熱するその様を凝視するものがあった。
 熊太郎であった。
 熊太郎の魂であった。
 いつ果てるともない人間の狂熱のなかを熊太郎は長いこと漂っていた。

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