三島由紀夫『金閣寺』

 こういう風に、金閣はいたるところに現われ、しかもそれが現実に見えない点では、この土地における海とよく似ていた。舞鶴湾は志楽村の西方一里半に位置していたが、海は山に遮ぎられて見えなかった。しかしこの土地には、いつも海の予感のようなものが漂っていた。風にも時折海の匂いが嗅がれ、海が時化ると、沢山の鴎がのがれてきて、そこらの田に下りた。
 体も弱く、駈足をしても鉄棒をやっても人に負ける上に、生来の吃りが、ますます私を引込思案にした。そしてみんなが、私をお寺の子だと知っていた。悪童たちは、吃りの坊主が吃りながらお経を読む真似をしてからかった。講談の中に、吃りの岡っ引の出てくるのがあって、そういうところをわざと声を出して、私に読んできかせたりした。
 吃りは、いうまでもなく、私と外界とのあいだに一つの障碍を置いた。最初の音がうまく出ない。その最初の音が、私の内界と外界との間の扉の鍵のようなものであるのに、鍵がうまくあいたためしがない。一般の人は、自由に言葉をあやつることによって、内界と外界との間の戸をあけっぱなしにして、風とおしをよくしておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。鍵が錆びついてしまっているのである。
 吃りが、最初の音を発するために焦りにあせっているあいだ、彼は内界の濃密な黐から身を引き離そうとじたばたしている小鳥にも似ている。やっと身を引き離したときには、もう遅い。なるほど外界の現実は、私がじたばたしているあいだ、手を休めて待っていてくれるように思われる場合もある。しかし待っていてくれる現実はもう新鮮な現実ではない。私が手間をかけてやっと外界に達してみても、いつもそこには、瞬間に変色し、ずれてしまった、……そうしてそれだけが私にふさわしく思われる、鮮度の落ちた現実、半ば腐臭を放つ現実が、横たわっているばかりであった。
 こういう少年は、たやすく想像されるように、二種類の相反した権力意志を抱くようになる。私は歴史における暴君の記述が好きであった。吃りで、無口な暴君で私があれば、家来どもは私の顔色をうかがって、ひねもすおびえて暮らすことになるであろう。私は明確な、辷りのよい言葉で、私の残虐を正当化する必要なんかないのだ。私の無言だけが、あらゆる残虐を正当化するのだ。こうして日頃私をさげすむ教師や学友を、片っぱしから処刑する空想をたのしむ一方、私はまた内面世界の王者、静かな諦観にみちた大芸術家になる空想をもたのしんだ。外見こそ貧しかったが、私の内界は誰よりも、こうして富んだ。何か拭いがたい負け目を持った少年が、自分はひそかに選ばれた者だ、と考えるのは、当然ではあるまいか。この世のどこかに、まだ私自身の知らない使命が私を待っているような気がしていた。
「何だ、吃りか。貴様も海機へ入らんか。吃りなんか、一日で叩き直してやるぞ」
 私はどうしてだか、咄嗟に明瞭な返事をした。言葉はすらすらと流れ、意志とかかわりなく、あっという間に出た。
「入りません。僕は坊主になるんです」
 皆はしんとした。若い英雄はうつむいて、そこらの草の茎を摘んで、口にくわえた。
「ふうん、そんならあと何年かで、俺も貴様の厄介になるわけだな」
 その年はすでに太平洋戦争がはじまっていた。
 ……このとき私に、たしかに一つの自覚が生じたのである。暗い世界に大手をひろげて待っていること。やがては、五月の花も、制服も、意地悪な級友たちも、私のひろげている手の中へ入ってくること。自分が世界を、底辺で引きしぼって、つかまえているという自覚を持つこと。……しかしこういう自覚は、少年の誇りとなるには重すぎた。
 誇りはもっと軽く、明るく、よく目に見え、燦然としていなければならなかった。目に見えるものがほしい。誰の目にも見えて、それが私の誇りとなるようなものがほしい。例えば、彼の腰に吊っている短剣は正にそういうものだ。
 ……右のような記述から、私を詩人肌の少年だと速断する人もいるだろう。しかし今日まで、詩はおろか、手記のようなものさえ書いたことがない。人に劣っている能力を、他の能力で補填して、それで以て人に抜きん出ようなどという衝動が、私には欠けていたのである。別の言い方をすれば、私は、芸術家たるには傲慢すぎた。暴君や大芸術家たらんとする夢は夢のままで、実際に着手して、何かをやり遂げようという気持がまるでなかった。
 人に理解されないということが唯一の矜りになっていたから、ものごとを理解させようとする、表現の衝動に見舞われなかった。人の目に見えるようなものは、自分には宿命的に与えられないのだと思った。孤独はどんどん肥った、まるで豚のように。
 有為子の体を思ったのは、その晩がはじめてではない。折にふれて考えていたことが、だんだんに固着して、あたかもそういう思念の塊のように、有為子の体は、白い、弾力のある、ほの暗い影にひたされた、匂いのある一つの肉の形で凝結して来たのである。私はそれに触れるときの自分の指の熱さを思った。またその指にさからってくる弾力や、花粉のような匂いを思った。
 私は暁闇の道をまっすぐに走った。石も私の足をつまずかせず、闇が私の前に自在に道をひらいた。
 そこのところで道がひらけ、志楽村字安岡の部落の外れになる。そこに一本の大きな欅がある。欅の幹は朝露に濡れている。私は根方に身を隠し、部落のほうから有為子の自転車が来るのを待った。
 私は待って、何をしようとしたのでもない。息をはずませて走ってきたのが、欅の木蔭に息を休めてみて、自分がこれから、何をしようとしているのかわからなかった。しかし私には、外界というものとあまり無縁に暮して来たために、ひとたび外界へ飛び込めば、すべてが容易になり、可能になるような幻想があった。
 藪蚊が私の足を刺した。おちこちに・鳴が起った。私は路上を透かし見た。遠く白い仄かなものが立った。それは暁の色のように思われたが、有為子だったのである。
 有為子は自転車に乗ったらしかった。前燈が点けられた。自転車は音もなく辷ってきた。欅のかげから、私は自転車の前へ走り出た。自転車は危うく急停車をした。
 そのとき、私は自分が石に化してしまったのを感じた。意志も欲望もすべてが石化した。外界は、私の内面とは関わりなく、再び私のまわりに確乎として存在していた。叔父の家を脱け出して、白い運動靴を穿き、暁闇の道をこの欅のかげまで駈けて来た私は、ただ自分の内面を、ひた走りに走って来たにすぎなかった。暁闇の中にかすかな輪郭をうかべている村の屋根々々にも、黒い木立にも、青葉山の黒い頂きにも、目前の有為子にさえも、おそろしいほど完全に意味が欠けていた。私の関与を待たずに、現実はそこに賦与されてあり、しかも、私が今まで見たこともない重みで、この無意味な大きな真暗な現実は、私に与えられ、私に迫っていた。
 言葉がおそらくこの場を救う只一つのものだろうと、いつものように私は考えていた。私特有の誤解である。行動が必要なときに、いつも私は言葉に気をとられている。それというのも、私の口から言葉が出にくいので、それに気をとられて、行動を忘れてしまうのだ。私には行動という光彩陸離たるものは、いつも光彩陸離たる言葉を伴っているように思われるのである。
 私は何も見ていなかった。しかし思うに、有為子は、はじめは怖れながら、私と気づくと、私の口ばかりを見ていた。彼女はおそらく、暁闇のなかに、無意味にうごめいている、つまらない暗い小さな穴、野の小動物の巣のような汚れた無恰好な小さな穴、すなわち、私の口だけを見ていた。そして、そこから、外界へ結びつく力が何一つ出て来ないのを確かめて安心したのだ。
「何よ。へんな真似をして。吃りのくせに」
 有為子は言ったが、この声には朝風の端正さと爽やかさがあった。彼女はベルを鳴らし、ペダルにまた足をかけた。石をよけるように私をよけて迂回した。人影ひとつないのに、遠く田のむこうまで、走り去る有為子が、たびたび嘲けって鳴らしているベルの音を私はきいた。
 ――その晩、有為子の告口で、彼女の母が、私の叔父の家へやって来た。私は日ごろは温和な叔父からひどく叱責された。私は有為子を呪い、その死をねがうようになり、数ヶ月後には、この呪いが成就した。爾来私は、人を呪うということに確信を抱いている。
 寝ても覚めても、私は有為子の死をねがった。私の恥の立会人が、消え去ってくれることをねがった。証人さえいなかったら、地上から恥は根絶されるであろう。他人はみんな証人だ。それなのに、他人がいなければ、恥というものは生れて来ない。私は有為子のおもかげ、暁闇のなかで水のように光って、私の口をじっと見つめていた彼女の目の背後に、他人の世界――つまり、われわれを決して一人にしておかず、進んでわれわれの共犯となり証人となる他人の世界――を見たのである。他人がみんな滅びなければならぬ。私が本当に太陽へ顔を向けられるためには、世界が滅びなければならぬ。……
 弁当包みを持って家を抜け出して、隣りの部落へ行こうとしていた有為子が、待ち伏せしていた憲兵につかまったこと。その弁当は脱走兵へ届けるものに相違ないこと。脱走兵と有為子は海軍病院で親しくなり、そのために妊娠した有為子が病院を追い出されたこと。憲兵は脱走兵の隠れ家を言えと詰問しているが、有為子はそこに坐ったまま一歩も動かず、頑なに押し黙っていること。……
 私はといえば、目ばたきもせずに、有為子の顔ばかりを見つめていた。彼女は捕われの狂女のように見えた。月の下に、その顔は動かなかった。
 私は今まで、あれほど拒否にあふれた顔を見たことがない。私は自分の顔を、世界から拒まれた顔だと思っている。しかるに有為子の顔は世界を拒んでいた。月の光りはその額や目や鼻筋や頬の上を容赦なく流れていたが、不動の顔はただその光りに洗われていた。一寸目を動かし、一寸口を動かせば、彼女が拒もうとしている世界は、それを合図に、そこから雪崩れ込んで来るだろう。
 私は息を詰めてそれに見入った。歴史はそこで中断され、未来へ向っても過去へ向っても、何一つ語りかけない顔。そういうふしぎな顔を、われわれは、今伐り倒されたばかりの切株の上に見ることがある。新鮮で、みずみずしい色を帯びていても、成長はそこで途絶え、浴びるべき筈のなかった風と日光を浴び、本来自分のものではない世界に突如として曝されたその断面に、美しい木目が描いたふしぎな顔。ただ拒むために、こちらの世界へさし出されている顔。……
 私は有為子の顔がこんな美しかった瞬間は、彼女の生涯にも、それを見ている私の生涯にも、二度とあるまいと思わずにはいられなかった。しかしそれが続いたのは、思ったほど永い時間ではなかった。この美しい顔に、突然、変容が現われたのである。
 有為子は立上った。そのとき彼女が笑ったのを見たように思う。月あかりに白い前歯のきらめいたのを見たように思う。私はそれ以上、この変容について記すことができない。立上った有為子の顔は、月のあからさまな光りをのがれて、木立の影に紛れたからである。
 有為子が、裏切りを決心したときのこの変容を、私が見られなかったのは残念なことだ。つぶさにそれを見ていれば、私にも人間を恕す心が、あらゆる醜さを含めて恕す心が、芽生えたかもしれないのだ。
 私にはすべてが遠い事件だとしか思えなかった。鈍感な人たちは、血が流れなければ狼狽しない。が、血の流れたときは、悲劇は終ってしまったあとなのである。しらぬ間に私はうとうとしていた。目がさめたとき、皆の置き忘れた私のまわりは、小鳥の囀りにみたされ、朝陽がまともに紅葉の下枝深く射し込んでいた。白骨の建築は、床下から日をうけて、よみがえったように見えた。静かに、誇らしげに、紅葉の谷間へ、その空御堂をせり出していた。
 私は立上って、身ぶるいして、体のそこかしこをこすった。寒さだけが身内に残っていた。残っているのは寒さだけであった。
 そうして考えると、私には金閣そのものも、時間の海をわたってきた美しい船のように思われた。美術書が語っているその「壁の少ない、吹ぬきの建築」は、船の構造を空想させ、この複雑な三層の屋形船が臨んでいる池は、海の象徴を思わせた。金閣はおびただしい夜を渡ってきた。いつ果てるともしれぬ航海。そして、昼の間というもの、このふしぎな船はそしらぬ顔で碇を下ろし、大ぜいの人が見物するのに委せ、夜が来ると周囲の闇に勢いを得て、その屋根を帆のようにふくらませて出帆したのである。
 私が人生で最初にぶつかった難問は、美ということだったと言っても過言ではない。父は田舎の素朴な僧侶で、語彙も乏しく、ただ「金閣ほど美しいものは此世にない」と私に教えた。私には自分の未知のところに、すでに美というものが存在しているという考えに、不満と焦躁を覚えずにはいられなかった。美がたしかにそこに存在しているならば、私という存在は、美から疎外されたものなのだ。
 金閣はしかし私にとって、決して一つの観念ではなかった。山々がその眺望を隔てているけれど、見ようと思えばそこへ行って見ることもできる一つの物だった。美は、かくて指にも触れ、目にもはっきり映る一つの物であった。さまざまな変容のあいだにも、不変の金閣がちゃんと存在することを、私は知ってもいたし、信じてもいた。
 金閣は私の手のうちに収まる小さな精巧な細工物のように思われる時があり、又、天空へどこまでも聳えてゆく巨大な怪物的な伽藍だと思われる時があった。美とは小さくも大きくもなく、適度なものだという考えが、少年の私にはなかった。そこで小さな夏の花を見て、それが朝露に濡れておぼろな光りを放っているように見えるとき、金閣のように美しい、と私は思った。また、雲が山のむこうに立ちはだかり、雷を含んで暗澹としたその縁だけを、金色にかがやかせているのを見るときも、こんな壮大さが金閣を思わせた。はては、美しい人の顔を見ても、心の中で、「金閣のように美しい」と形容するまでになっていた。
 私は窓外のどんよりした春の曇り空を見た。父の国民服の胸にかけられた袈裟を見、血色のよい若い下士官たちの金釦をはね上げているような胸を見た。私はその中間にいるような気がした。やがて丁年に達すれば、私も兵隊にとられる。しかし、私はたとえ兵隊になっても、目の前の下士官のように、役割に忠実に生きることができるかどうか。ともかく、私は二つの世界に股をかけている。私はまだこんなに若いのに、醜い頑固なおでこの下で、父の司っている死の世界と、若者たちの生の世界とが、戦争を媒介として、結ばれつつあるのを感じていた。私はその結び目になるだろう。私が戦死すれば、目の前のこの岐れ道のどっちを行っても、結局同じだったことが判明するだろう。
 ……しかしさすがに鹿苑寺総門の前に立ったとき、私の胸はときめいた。これからこの世で一等美しいものが見られるのだ。
 日は傾きかけ、山々は霞に包まれていた。数人の見物が、私たち父子と前後してその門をくぐった。門の左方には、鐘楼をめぐって残んの花をつけた梅林があった。
 父は、大きな櫟の木を前に控えた本堂の玄関に立って案内を乞うた。住職は来客中なので、二三十分待ってほしいと云われた。
「その間に金閣を見てまわってこ」
 と父が言った。
 父は多分顔を利かして、只で、参観門をくぐるところを、息子の私に見せたかったらしい。しかし切符やお札を売る係の人も、参観門で切符を検める人も、十数年前に父がよく来たころの人とはすっかり変っていた。
「この次来るときは、又変ってるんやろな」
 と父はうそ寒い面持で言った。しかし「この次来るとき」を、もう父が確信していないということを私は感じた。
 しかし私は、わざと少年らしく(私はこんな時だけ、故意の演技の場合だけ、少年らしかった)、陽気に先に立って、ほとんど駈けて行った。そこであれほど夢みていた金閣は、大そうあっけなく、私の前にその全容をあらわした。
 私は鏡湖池のこちら側に立っており、金閣は池をへだてて、傾きかける日にその正面をさらしていた。漱清は左方のむこうに半ば隠れていた。藻や水草の葉のまばらにうかんだ池には、金閣の精緻な投影があり、その投影のほうが、一そう完全に見えた。西日は池水の反射を、各層の庇の裏側にゆらめかせていた。まわりの明るさに比して、この庇の裏側の反射があまり眩ゆく鮮明なので、遠近法を誇張した絵のように、金閣は威丈高に、少しのけぞっているような感じを与えた。
「どや、きれいやろ。一階を法水院、二階を潮音洞、三階を究竟頂と云うのんや」
 父の病んだ肉の薄い手は私の肩に置かれていた。
 私はいろいろに角度を変え、あるいは首を傾けて眺めた。何の感動も起らなかった。それは古い黒ずんだ小っぽけな三階建にすぎなかった。頂きの鳳凰も、鴉がとまっているようにしか見えなかった。美しいどころか、不調和な落着かない感じをさえ受けた。美というものは、こんなに美しくないものだろうか、と私は考えた。
 もし私が謙虚な勉強好きの少年だったら、そんなにたやすく落胆する前に、自分の鑑賞眼の至らなさを嘆いたであろう。しかし私の心があれほど美しさを予期したものから裏切られた苦痛は、ほかのあらゆる反省を奪ってしまった。
 私は金閣がその美をいつわって、何か別のものに化けているのではないかと思った。美が自分を護るために、人の目をたぶらかすということはありうることである。もっと金閣に接近して、私の目に醜く感じられる障害を取除き、一つ一つの細部を点検し、美の核心をこの目で見なければならぬ。私が目に見える美をしか信じなかった以上、この態度は当然である。
 さて父は私を導いて、うやうやしく法水院の縁先に上った。私はまず硝子のケースに納められた巧緻な金閣の模型を見た。この模型は私の気に入った。このほうがむしろ、私の夢みていた金閣に近かった。そして大きな金閣の内部にこんなそっくりそのままの小さな金閣が納まっているさまは、大宇宙の中に小宇宙が存在するような、無限の照応を思わせた。はじめて私は夢みることができた。この模型よりもさらにさらに小さい、しかも完全な金閣と、本物の金閣よりも無限に大きい、ほとんど世界を包むような金閣とを。
 しかし私の足は、いつまでも模型の前に止まっていたわけではない。次いで、父は名高い国宝の義満像の前へ私を案内した。その木像は義満の剃髪ののちの名、鹿苑院殿道義の像と呼ばれている。
 それも私には煤けた奇妙な偶像と見えただけで、何の美しさも感じられなかった。さらに二階の潮音洞に昇り、狩野正信の筆と云われる天人奏楽の天井画を見ても、頂上の究竟頂の隈々にのこる、哀れな金箔の痕跡を見ても、美しいと思うことはできなかった。
 私は細い欄干に凭ってぼんやり池のおもてを見下ろした。池は夕日に照らされ、銹びた古代の銅鏡のような鏡面に、金閣の影をまっすぐに落していた。水草や藻のはるか下方に、映っている夕空があった。その夕空は、われわれの頭上にある空とはちがっていた。それは澄明で、寂光に満たされ、下方から、内側から、この地上の世界をすっぽり呑み込んでおり、金閣はその中へ、黒く錆び果てた巨大な金無垢の碇のように沈んでいた。……
 あれほど失望を与えた金閣も、安岡へかえったのちの日に日に、私の心の中でまた美しさを蘇らせ、いつかは、見る前よりももっと美しい金閣になった。どこが美しいということはできなかった。夢想に育まれたものが、一旦現実の修正を経て、却って夢想を刺戟するようになったとみえる。
 もう私は、属目の風景や事物に、金閣の幻影を追わなくなった。金閣はだんだんに深く、堅固に、実在するようになった。その柱の一本一本、華頭窓、屋根、頂きの鳳凰なども、手に触れるようにはっきりと目の前に浮んだ。繊細な細部、複雑な全容はお互いに照応し、音楽の一小節を思い出すことから、その全貌が流れ出すように、どの一部分をとりだしてみても、金閣の全貌が鳴りひびいた。
「地上でもっとも美しいものは金閣だと、お父さんが言われたのは本当です」
 とはじめて、私は父への手紙に書いた。父は私を叔父の家に連れ戻すと、すぐ又寂しい岬の寺にかえっていた。
 折り返して、母から電報が届いた。父は夥しい喀血をして死んでいた。
 父の顔は初夏の花々に埋もれていた。花々はまだ気味のわるいほどなまなましく生きていた。花々は井戸の底をのぞき込んでいるようだった。なぜなら、死人の顔は生きている顔の持っていた存在の表面から無限に陥没し、われわれに向けられていた面の縁のようなものだけを残して、二度と引き上げられないほど奥のほうへ落っこちていたのだから。物質というものが、いかにわれわれから遠くに存在し、その存在の仕方が、いかにわれわれから手の届かないものであるかということを、死顔ほど如実に語ってくれるものはなかった。精神が、死によってこうして物質に変貌することで、はじめて私はそういう局面に触れ得たのだが、今、私には徐々に、五月の花々とか、太陽とか、机とか、校舎とか、鉛筆とか、……そういう物質が何故あれほど私によそよそしく、私から遠い距離に在ったか、その理由が呑み込めて来るような気がした。
 さて、母や檀那たちは、私と父との最後の対面を見戌っていた。しかしこの言葉が暗示している生ける者の世界の類推を、私の頑なな心は受つけなかった。対面などではなく、私はただ父の死顔を見ていた。
 屍はただ見られている。私はただ見ている。見るということ、ふだん何の意識もなしにしているとおり、見るということが、こんなに生ける者の権利の証明でもあり、残酷さの表示でありうるとは、私にとって鮮やかな体験だった。大声で歌いもせず、叫びながら駆けまわりもしない少年は、こんな風にして、自分の生を確かめてみることを学んだ。
 私は得度の折に剃られたばかりの青々とした頭をしていた。空気が頭にぴったりと貼りついているようなその感覚、それは自分の頭の中で考えていることが、薄い敏感な傷つきやすい皮膚一枚で、外界の物象と接していると謂った妙に危険な感覚だ。
 そういう頭で金閣を見上げると、金閣は私の目からばかりでなく、頭からも滲み入ってくるように思われる。その頭が日照りに応じて熱く、夕顔に応じて忽ち涼しいように。
『金閣よ。やっとあなたのそばへ来て住むようになったよ』と、私は箒の手を休めて、心に呟くことがあった。『今すぐでなくてもいいから、いつか私に親しみを示し、私にあなたの秘密を打明けてくれ。あなたの美しさは、もう少しのところではっきり見えそうでいて、まだ見えぬ。私の心の心象の金閣よりも、本物のほうがはっきり美しく見えるようにしてくれ。又もし、あなたが地上に比べるものがないほど美しいなら、何故それほど美しいのか、何故美しくあらねばならないのか語ってくれ』
 その夏の金閣は、つぎつぎと悲報が届いて来る戦争の暗い状態を餌にして、一そういきいきと輝いているように見えた。六月にはすでに米軍がサイパンに上陸し、連合軍はノルマンジーの野を馳駆していた。拝観者の数もいちじるしく減り、金閣はこの孤独、この静寂をたのしんでいるかのようだった。
 戦乱と不安、多くの屍と夥しい血が、金閣の美を富ますのは自然であった。もともと金閣は不安が建てた建築、一人の将軍を中心にした多くの暗い心の持ち主が企てた建築だったのだ。美術史家が様式の折衷をしかそこに見ない三層のばらばらな設計は、不安を結晶させる様式を探して、自然にそう成ったものにちがいない。一つの安定した様式で建てられていたとしたら、金閣はその不安を包摂することができずに、とっくに崩壊してしまったにちがいない。
 ……それにしても、箒の手を休めて何度か金閣を仰ぎながら、私にはそこに金閣の存在することが不思議でならなかった。いつかのように、たった一夜、父と共にここを訪れた時の金閣は、却ってこんな感じを与えていなかったのに、これから永い年月暮らすあいだ、いつも金閣が私の眼前に在ると思うことは信じ難い心地がした。
 舞鶴にいて思うと、金閣は京都の一角に、垣常的に在るように思われたが、ここに住むことになると、金閣は私の見るときだけ私の眼前に現われ、本堂で夜眠っているときなどは、金閣は存在していないような気がした。そのため、私は日に何度となく金閣を眺めにゆき、朋輩の徒弟たちに笑われた。私には何度見ても、そこに金閣の存在することがふしぎでたまらず、さて眺めたあと本堂のほうへ帰りがてら、急に背を反してもう一度見ようとすれば、金閣はあのエウリュディケーさながら、姿は忽ち掻き消されているように思われた。
 ……このような考えが私の裡に生まれてから、金閣は再びその悲劇的な美しさを増した。
 それは明日から学校がはじまる日、夏の最後の日の午後であった。住職は副執事を連れて、どこかの法事に頼まれて出かけていた。鶴川は私を映画に誘った。しかし私が気乗薄だったので、彼も忽ち気乗薄になった。鶴川にはそういうところがあった。
 私たち二人は数時間の暇をもらって、カーキいろのズボンにゲートルを巻き、臨済学院中学の制帽をかぶって本堂を出た。夏の日ざかりのことで、拝観者は一人もなかった。
「どこへ行こう」
 私はそれに答えて、どこかへ行く前に金閣をしみじみ見てゆきたい、明日からはこの時刻に金閣を見ることはできなくなるし、われわれが工場へ行っている留守に金閣は空襲で焼かれているかもしれない、と言った。私のたどたどしい言い訳はしばしば吃り、鶴川はそのあいだ、呆れたようなじれったい表情できいていた。
 これだけ言い了った私の顔には、何か恥ずかしいことを言ったあとのような、夥しい汗が流れていた。金閣に対する私の異様な執着を打ち明けた相手は、ただ鶴川一人であった。が、それをきいている鶴川の表情には、私の吃音をききとろうと努力する人の、見馴れた焦燥感があるだけだった。
 私はこういう顔にぶつかる。大切な秘密の告白の場合も、美の上ずった感動を訴える場合も、自分の内臓をとりだしてみせるような場合も、私のぶつかるのはこういう顔だ。人間はふつう人間にむかってこんな顔をしてみせるものではない。その顔は申し分のない忠実さで、私の滑稽な焦燥感をそのままに真似、いわば私の怖ろしい鏡のようになっていた。どんなに美しい顔でも、そういうときは、私とそっくりの醜さに変貌するのだ。それを見たとたん、私が表現しようと思う大切なものは、瓦にひとしい無価値なものに堕ちてしまう。……
 鶴川と私のあいだには、夏のはげしい直射日光がある。鶴川の若い顔は脂に照りかがやき、光の中に睫を一本一本金いろに燃え立たせ、鼻孔をむしむしする熱気にひろげて、私の言葉の終わるのを待っている。
 私は言い了った。言い了ると同時に怒りにかられた。鶴川ははじめてあってから今まで一度も私の吃りをからかおうとしないのだ。
「なんで」
 私はそう詰問した。同情よりも、嘲笑や侮蔑のほうがずっと私の気に入ることは、再々述べたとおりである。
 鶴川はえもいわれぬ優しい微笑をうかべた。そしてこう言った。
「だって僕、そんなことはちっとも気にならない性質なんだよ」
 私は愕いた。田舎の荒っぽい環境で育った私は、この種のやさしさを知らなかった。私という存在から吃りを差し引いて、なお私でありうるという発見を、鶴川のやさしさが私に教えた。私はすっぱりと裸かにされた快さを隈なく味わった。鶴川の長い睫にふちどられた目は、私から吃りだけを漉し取って、私を受け容れていた。それまでの私はといえば、吃りであることを無視されることは、それがそのまま、私という存在を抹殺されることだ、と奇妙に信じ込んでいたのだから。
 待てども待てども、京都は空襲に見舞われなかった。あくる年の三月九日に、東京の下町一帯は火に包まれたというしらせをきいても、災禍は遠く、京都の上には澄んだ早春の空だけがあった。
 私は半ば絶望して待ちながら、この早春の空が、丁度きらめいている硝子窓のように内部を見せないが、内部には火と破滅を隠していることを信じようとした。私に人間的関心が希薄だったことは前にも述べたとおりである。父の死も、母の貧窮も、ほとんど私の内面生活を左右しなかった。私はただ災禍を、大破局を、人間的規模を絶した悲劇を、人間的物質も、醜いものも美しいものも、おしなべて同一の条件下に押しつぶしてしまう巨大な天の圧搾機のようなものを夢みていた。ともすると早春の空のただならぬきらめきは、地上をおおうほど巨きな斧の、すずしい刃の光のように思われた。私はただその落下を待った。考える暇も与えないほどすみやかな落下を。
 私は今でもふしぎに思うことがある。もともと私は暗黒の思想にとらわれていたのではなかった。私の関心、私に与えられた難問は美だけである筈だった。しかし戦争が私に作用して、暗黒の思想を抱かせたなどと思うまい。美ということだけ思いつめると、人間はこの世で最も暗黒な思想にしらずしらずぶつかるのである。人間は多分そういう風に出来ているのである。
一つの正直な感情を、いろんな理由づけで正当化しているうちはいいが、時には、自分の頭脳の編み出した無数の理由が、自分でも思いがけない感情を私に強いるようになる。その感情は本来私のものではないのである。しかし私の嫌悪にだけは何か正確なものがある。私自身が、嫌悪すべき者だからである。
「そうしてお母さんに同情させて、甘ったれるつもりなんだな」
 鶴川はいつもこうして、私の誤解に充ちた解説者であった。が、彼は私には少しもうるさくない、必要な人間になっていた。彼は私のまことに善意な通訳者、私の言葉を現世の言葉に飜訳してくれる、かけがえのない友であった。
 そうだ。時には鶴川は、あの鉛から黄金を作り出す錬金術師のようにも思われた。私は写真の陰画、彼はその陽画であった。ひとたび彼の心に濾過されると、私の混濁した暗い感情が、ひとつのこらず、透明な、光りを放つ感情に変るのを、私は何度おどろいて眺めたことであろう! 私が吃りながら躊躇らっているうちに、鶴川の手が、私の感情を裏返して外側へ伝えてしまう。これらの愕きから私の学んだことは、ただ感情にとどまる限りでは、この世の最悪の感情も最善の感情と径庭(けいてい)のないこと、その効果は同じであること、殺意も慈悲心も見かけに変りはないこと、などであった。たとえ言葉を尽して説明しても、鶴川にはこんなことは信じられもしなかったろうが、私にとっては一つの怖ろしい発見だった。鶴川によって私が偽善を惧れなくなったとしても、偽善が私には相対的な罪にすぎなくなっていたからである。
 京都では空襲に見舞われなかったが、一度工場から出張を命ぜられ、飛行機部品の発注書類を持って、大阪の親工場へ行ったとき、たまたま空襲があって、腸の露出した工員が担架で運ばれてゆく様を見たことがある。
 なぜ露出した腸が凄惨なのであろう。何故人間の内側を見て、悚然として、目を覆ったりしなければならないのであろう。何故血の流出が、人に衝撃を与えるのだろう。何故人間の内臓が醜いのだろう。……それはつやつやした若々しい皮膚の美しさと、全く同質のものではないか。……私が自分の醜さを無に化するようなこういう考え方を、鶴川から教わったと云ったら、彼はどんな顔をするだろうか? 内側と外側、たとえば人間を薔薇の花のように内も外もないものとして眺めること、この考えがどうして非人間的に見えてくるのであろうか? もし人間がその精神の内側と肉体の内側を、薔薇の花弁のように、しなやかに飜えし、捲き返して、日光や五月の微風にさらすことができたとしたら……
 誇張なしに言うが、見ている私の足は慄え、額には冷汗が伝わった。いつぞや、金閣を見て田舎へかえってから、その細部と全体とが、音楽のような照応を以てひびきだしたのに比べると、今、私の聴いているのは、完全な静止、完全な無音であった。そこには流れるもの、うつろうものが何もなかった。金閣は、音楽の怖ろしい休止のように、鳴りひびく沈黙のように、そこに存在し、屹立していたのである。
『金閣と私との関係は絶たれたんだ』と私は考えた。『これで私と金閣とが同じ世界に住んでいるという夢想は崩れた。またもとの、もとよりももっと望みのない事態がはじまる。美がそこにおり、私はこちらにいるという事態。この世のつづくかぎり渝らぬ事態……。』
 敗戦は私にとっては、こうした絶望の体験に他ならなかった。今も私の前には、八月十五日の焔のような夏の光りが見える。すべての価値が崩壊したと人は言うが、私の内にはその逆に、永遠が目ざめ、蘇り、その権利を主張した。金閣がそこに未来永劫存在するということを語っている永遠。
 天から降って来て、われわれの頬に、手に、腹に貼りついて、われわれを埋めてしまう永遠。この呪わしいもの。……そうだ。まわりの山々の蝉の声にも、終戦の日に、私はこの呪詛のような永遠を聴いた。それが私を金いろの壁土に塗りこめてしまっていた。
 その晩は開枕の読経の前に、特に陛下の御安泰を祈り、戦歿者の霊を慰めるために、長いお経が上げられた。戦争このかた、各宗で簡略な輪袈裟が用いられるようになっていたが、今夜特に老師は、久しく納われていた緋の五条の袈裟を召した。
 皺の中まで洗い込まれたように清浄な、小肥りしたその顔は、今日もまことに血色がよく、何かに満ち足りていた。暑い夜であったので、その衣摺れの音のすずしさが冴えた。
 読経のあとで、寺の者はみんな老師の居室に呼ばれ、そこで講話があった。
 老師の選んだ公案は、無門関第十四則の南泉斬猫である。
「南泉斬猫」は、碧巌録にも、第六十三則「南泉斬猫児」、第六十四則「趙州頭戴草鞋」の二則となって出ている、むかしから難解を以て鳴る公案である。
 唐代の頃、池州南泉山に普願禅師という名僧があった。山の名に因んで、南泉和尚と呼ばれている。
 一山総出で草刈りに出たとき、この閑寂な山寺に一匹の仔猫があらわれた。ものめずらしさに皆は追いかけ廻してこれを捕え、さて東西両堂の争いになった。両堂互いにこの仔猫を、自分たちのペットにしようと思って争ったのである。
 それを見ていた南泉和尚は、忽ち仔猫の首をつかんで、草刈鎌を擬して、こう言った。
「大衆道ひ得ば即ち救ひ得ん。道ひ得ずんば即ち斬却せん」
 衆の答はなかった。南泉和尚は仔猫を斬って捨てた。
 日暮になって、高弟の趙州が帰って来た。南泉和尚は事の次第を述べて、趙州の意見を質した。
 趙州はたちまち、はいていた履を脱いで、頭の上にのせて、出て行った。
 南泉和尚は嘆じて言った。
「ああ、今日おまえが居てくれたら、猫の児も助かったものを」
 ――大体右のような話で、とりわけ趙州が頭に履をのせた件りは、難解を以てきこえている。
 しかし老師の講話だと、これはそれほど難解な問題ではないのである。
 南泉和尚が猫を斬ったのは、自我の迷妄を断ち、妄念妄想の根源を斬ったのである。非情の実践によって、猫の首を斬り、一切の矛盾、対立、自他の確執を断ったのである。これを殺人刀と呼ぶなら、趙州のそれは活人剣である。泥にまみれ、人にさげすまれる履というものを、限りない寛容によって頭上にいただき、菩薩道を実践したのである。
 老師はこのように説明すると、日本の敗戦には少しも触れずに講話を打切った。私たちは狐につままれたようであった。なぜ敗戦のこの日に、特にこの公案が選ばれたのか、少しもわからない。
 私室へかえる廊下で、私は鶴川にそういう疑問を訴えた。鶴川も頭を振っていた。
「わからんな。僧堂生活をしなきゃ、わかりっこないよ。それでも今夜の講話のミソは、戦争に負けた日に、何もその話はしないで、猫を斬る話なんかしたことだと思うよ」
 私にとって、敗戦が何であったかを言っておかなくてはならない。
 それは解放ではなかった。断じて解放ではなかった。不変のもの、永遠なもの、日常のなかに融け込んでいる仏教的な時間の復活に他ならなかった。
 寺の日課は敗戦のあくる日から、又同じようにつづけられた。開定、朝課、粥座、作務、斎座、薬石、開浴、開枕。……その上、老師は闇米を買うことを厳しく止められたので、檀家の寄附にかかる米だの、あるいは副司さんが発育ざかりの私たちのために、寄附と称して買うわずかな闇米が、乏しい粥の椀に沈んでいた。甘藷の買い出しにもときどき行った。粥座は朝だけでなく、昼も夜も粥や藷の食事がつづき、私たちはいつも飢えていた。
 鶴川は東京の生家にたのんで、ときどき甘いものなどを送らせた。夜が更けてから、私の枕許へやってきて一緒に喰べた。深夜の空にはときどき稲妻が走っていた。
 そんな豊かな生家と、慈愛の深い父母のもとへ、どうして帰らないのかと私は尋ねた。
「だってこれも修行だもの。どうせ僕も、おやじの寺を継ぐんだもの」
 彼には少しも物事が苦にならぬらしかった。箸箱にきちんとはまっている箸のように。私は更に追究して、これから想像もつかない新らしい時代が来るかもしれない、と鶴川に言った。そのとき私は、終戦後三日目に学校へ行った折、工場の指導者の士官が、トラック一杯の物資を自分の家へもちかえった、という話を、みんながしていたのを思い出した。士官は公然と、これから俺は闇屋になるのだ、と言ったそうである。
 あの豪胆で、残酷な、鋭い目をした士官は、まさに悪へ向って駈け出したのだと私は思った。彼の半長靴が駈ける道のゆくてには、戦争における死とそっくりな貌をした、朝焼けのような無秩序があった。胸もとに白絹のマフラーをひるがえし、盗んだ物資を背が曲るほど背負い込んで、夜のなごりの風に頬をさらして、彼は出発するだろう。彼はすばらしい速さで磨滅するだろう。しかしもっと遠くで、もっと軽やかに、無秩序の輝やく鐘楼の鐘は鳴っている。……
 そういうものすべてから私は隔てられていた。私には金もなく、自由もなく、解放もなかった。しかし「新らしい時代」と私が言うとき、十七歳の私が、まだそれとはっきりは形を成さぬながら、一つの決意を固めていたことはたしかである。
『世間の人たちが、生活と行動で悪を味わうなら、私は内界の悪に、できるだけ深く沈んでやろう』
 しかし手はじめに私の考える悪は、老師に巧くとり入って、いつか金閣を手に入れようというほどのことでしかなく、又ほんの空想の中で、老師を毒殺して、そのあとに私が居据ると云った、他愛もない夢でしかなかった。この計画は、鶴川に同じ野心のないことを確かめ得て、私の良心の安らぎにさえなった。
「君は、未来のことに、何の不安も希望も持たへんのか?」
「持ってないんだ、何も。だって、持っていて何になるんだ」
 こう答えた鶴川の語調には、わずかな暗さも、投げやりな調子もなかった。そのとき稲妻が、彼の顔だちの唯一の繊細な部分である細いなだらかな眉を照らし出した。床屋がそうするままに、鶴川は眉の上下を剃らせるらしかった。そこで細い眉はいよいよ人工的に細く、眉のはずれの一部に、剃りあとの仄かな青い翳を宿していた。
 私はちらとその青さを見て、不安に搏たれた。この少年は私などとはちがって、生命の純潔な末端のところで燃えているのだ。燃えるまでは、未来は隠されている。未来の燈芯は透明な冷たい油のなかに涵っている。誰が自分の純潔と無垢を予見する必要があるだろう。もし未来に純潔と無垢だけしか残されていないならば。
 ……その晩、鶴川が自分の部屋へ戻って行ってから、残暑のむしあつさに私は寝つかれなかった。あまつさえ、自涜の習慣に抗しようとする気持が眠りを奪った。
 ときたま私は夢精をすることがあった。それも確たる色慾の影像はなく、たとえば暗い町を一匹の黒い犬が駈けていて、その炎のような口の喘ぎが見え、犬の首につけられた鈴がしきりに鳴るにつれて昂奮が募り、鈴の鳴り方が極度に達すると、射精していたりした。
 自涜の折には、私は地獄的な幻想を持った。有為子の乳房があらわれ、有為子の腿があらわれた。そして私は比類なく小さい、醜い虫のようになっていた。
 ――私は床を蹴って起きて、小書院の裏手から忍び出た。
 鹿苑寺の裏手、夕佳亭のあるところより更に東に、不動山という山がある。赤松に覆われた山で、松のあいだに生い茂る笹にまじって、うつぎ、躑躅などの灌木があった。その山には夜道でも躓かずに登れるほど馴れていた。頂きに登れば上京中京、はるかに叡山や大文字山を望み見ることができた。
 私は登った。おどろかされた鳥の羽音の中を、わき目もふらずに、木の株を除けながら登った。何も考えないこの登攀が、たちまち私を癒やすのを感じた。頂上に着いたとき、涼しい夜風が来て、汗にまみれた体を捲いた。
 目の前の眺望がわが目を疑わせた。久しいあいだの燈火管制を解かれた京都市は、見わたすかぎりの灯であった。戦後になって、夜、一度もここへ登ったことがなかったので、この光景は私にとって殆んど奇蹟であった。
 灯は一つの立体をなしていた。平面のそこかしこに散らばる灯が、遠近感を失って、燈火ばかりでできた透明な一つの大建築が、複雑な角を生やし、翼楼をひろげて、夜の只中に立ちはだかっているように思われた。これこそは都というものだった。大きな黒い洞のように、御所の森にだけは灯が欠けていた。
 かなた、叡山の片ほとりから暗い夜空にかけて、時折稲妻がひらめいた。
『これが俗世だ』と私は思った。『戦争がおわって、この灯の下で、人々は邪悪な考えにかられている。多くの男女は灯の下で顔を見つめ合い、もうすぐ前に迫った、死のような行為の匂いを嗅いでいる。この無数の灯が、悉く邪まな灯だと思うと、私の心は慰められる。どうぞわが心の中の邪悪が、繁殖し、無数に殖え、きらめきを放って、この目の前のおびただしい灯と、ひとつひとつ照応を保ちますように! それを包む私の心の暗黒が、この無数の灯を包む夜の暗黒と等しくなりますように!』
 米兵は雪をたわわに積んだ葉かげに見える青木のつややかな赤い実を、あれは何かと私に尋ねたが、私は「アオキ」としか答えることができなかった。巨きな体躯にも似ず、彼は抒情詩人なのかもしれないが、その澄んだ青い目は残酷に感じられた。「マザア?グウス」という外国の童謡に、黒い目のことを意地悪で残酷だと歌っているが、異国的なものに託して人間は、残酷さを夢みるのが通例なのであろうか。
「本当に君はそんなことをやったのか?」

 ……私は自分の暗黒の感情に直面した。鶴川がこんな追いつめるような質問で以て、私をそれに直面させたのだ。
 どうして鶴川は私にそれを訊くのだろう。友情からだろうか。私にそんな質問をすることによって、彼が自分の本当の役割を放擲していることを、彼自身知っているだろうか。彼がそんな質問によって、私の深いところで私を裏切ったことを知っているだろうか。
 私はたびたび言った筈だ、鶴川は私の陽画だと。……鶴川がもし彼の役割に忠実であったら、私を問いつめたりせずに、何も訊かずに、私の暗い感情を、そっくりそのまま、明るい感情に飜訳すべきであったのだ。そのとき、嘘は真実になり、真実は嘘になった筈だ。鶴川の持ち前のそういう仕方、すべての影を日向に、すべての夜を昼に、すべての月光を日光に、すべての夜の苔の湿りを、昼のかがやかしい若葉のそよぎに飜訳する仕方を見れば、私も吃りながら、すべてを懺悔したかもしれない。が、このときに限って、彼はそれをしなかった。そこで私の暗黒の感情が力を得たのだ。……

 私はあいまいに笑った。火の気のない寺の深夜。寒い膝。古い太い柱が、幾本もそそり立って、ひそひそ話をしている私たちを囲んでいた。
 私が慄えていたのはおそらく寒さからだった。しかしはじめて公然と、この友に嘘をつく快楽も、私の寝間着の膝を慄わせるに足りた。
「何もせえへんで」
「そうか。じゃ、あの女は嘘を言いに来たんだな。畜生。副司さんまでそれを信じるなんて」
 彼の正義感はだんだん高じて来て、明日は私のために、ぜひとも老師に対して釈明してやると息巻くまでになった。そのとき私の心には、ふいに老師の、あの茹でた野菜のような剃りたての頭が浮んだ。それから桃いろの無抵抗な頬が浮んだ。この心象に、何故か突然甚だしい嫌悪を感じた。鶴川の正義感は、発露せぬうちに、私の手で土に埋めてしまう必要があった。
「そやかて、老師は僕のしたことやと信じていやはるやろか」
「さあ」と忽ち鶴川の考えは窮した。
「ほかの人はどないに蔭口をきいても、老師だけは黙って見とおしてて下さるよって、安心しとったらええのや。僕はそう思うとる」
 そして私は、鶴川の釈明が却って私に対するみんなの猜疑を深めるのにしか役立たないことを納得させた。老師だけは私の無辜を知っておられればこそ、すべてを不問に附したのだ、と私は言った。言ううちに私の胸には喜びが兆し、喜びは次第に鞏固な根を張った。『目撃者はないのだ。証人はないのだ』という喜び……。

 さて私は、老師だけが私の無辜をみとめている、などと信じていたわけではない。むしろその反対だ。すべてを老師が不問に附したことは、却って私のこの推測を裏書している。
 もしかしたら二カートンのチェスタフィールドを私の手からうけとったとき、老師はすでに見抜いていたのかもしれない。不問に附したのはただ、私の自発的な懺悔を、遠くからじっと待つためであったかもしれない。そればかりではない。大学進学の餌を与えておいて、それと私の懺悔とを引換えにして、もし私が懺悔をしなければ、その不正直の罰に進学を差止め、もし懺悔すれば、改悛のしるしを見究めてから、今度は格別に恩着せがましく、大学進学を許すつもりかもしれない。そしてもっとも大きな罠は、老師が副司さんに、このことを私に告げるな、と命じた点にあるのだ。私がもし本当に無辜なら、かくて、私は何も感ぜず、何も知らずにその日その日を送ることができる。一方、私がもし非行を犯していれば、そして私に多少の知恵があれば、無辜の私が送るであろう純潔な沈黙の日々を、つまり決して懺悔の必要のない日々を、完全に模倣することができる。いや、模倣すればよいのである。それが最善の方法であり、それが私の身の明しを立てる唯一の道なのだ。老師はそれを暗示している。その罠に私を引っかけている。……ここに思いいたると、私は怒りに駆られた。
 私とて、弁疏の余地がないわけではない。もし私が女を踏まなかったら、外人兵は拳銃をとり出して、私の生命をおびやかしたかもしれない。占領軍に反抗することはできない。私はすべてを強いられてやったのである。
 しかし私のゴム長の靴裏に感じられた女の腹、その媚びるような弾力、その呻き、その押しつぶされた肉の花ひらく感じ、或る感覚のよろめき、そのとき女の中から私の中へ貫ぬいて来た隠微な稲妻のようなもの、……そういうものまで、私が強いられて味わったということはできない。私は今も、その甘美な一瞬を忘れていない。
 老師は、私の感じた中核、その甘美さの中核を知っていた!

 それから一年、私は籠に捕えられた小鳥のようになった。籠は私の目にたえず見えていた。決して懺悔しまいと思いながら、私の毎日には安堵がなくなった。
 ふしぎなことである。あの当座には少しも罪を思わせなかった行為、女を踏んだというあの行為が、記憶の中で、だんだんと輝やきだしたのである。それは女が流産したという結果を知ったからだけではない。あの行為は砂金のように私の記憶に沈澱し、いつまでも目を射る煌めきを放ちだした。悪の煌めき。そうだ。たとえ些細な悪にもせよ、悪を犯したという明瞭な意識は、いつのまにか私に備わった。勲章のように、それは私の胸の内側にかかっていた。
 私たちは凝然とこれを見送っている。総門を出て、二人の姿がすっかり消え去るまでは、見送っている身にはずいぶん永い。
 そのとき私の内には異様な衝動が生れていた。大事な言葉が迸ろうとして吃音に妨げられる時と同様、この衝動は私の咽喉元で燃えていた。私は解き放たれたかった。母がかつて暗示した、住職の跡を襲う望みはおろか、大学進学の望みもこのときにはなかった。無言で私を支配し、私にのしかかっているものから遁れたかったのである。
 このとき私に勇気がなかったのだと云うことはできない。告白者の勇気などは知れている! 二十年間というもの黙りこくって生きてきた私には、告白の値打などは知れている。私を大袈裟だと云うだろうか? 老師の無言に対抗して、告白をせずに来た私は、「悪が可能か?」ということ一つを試して来たのだと思われる。もし私が最後まで懺悔をしなければ、ほんの小さな悪でも、悪はすでに可能になったのだ。
 しかるに、老師の白い裾と白い足袋が、木立の影に隠見しながら、暁闇の中を遠ざかるのを見るにつけ、私の咽喉元で燃える力は、ほとんど制しがたい力になった。すべてを打明けたいと私は思った。老師を追って行って、その袖にすがり、大声で雪の日の逐一を述べ立てたいと思った。老師に対する尊敬がそんなことを思いつかせたのでは決してない。老師の力は、私にとっては一種の強力な物理的な力に似ていた。
 ……しかしもし打明ければ、私の人生の最初の小さな悪も、瓦解するのだという思いは私を引止め、何ものかが私の背をしっかりと引いていた。老師の姿は総門をくぐり、明けやらぬ空の下に消え去った。
 皆はふいに、解き放たれて、ざわざわと玄関の中へ駈け入った。ぼんやりしている私の肩を鶴川が叩いた。私の肩は目ざめた。この痩せた見すぼらしい肩は、矜りを取戻した。
 名を柏木ということを私は知っていた。柏木の著しい特色は、可成強度の両足の内飜足であった。歩行は実に凝っていた。いつもぬかるみの中を歩いているようで、一方の足をぬかるみからようやく引き抜くと、もう一方の足はまたぬかるみにはまり込んでいるという風なのである。それにつれて全身は躍動し、歩行が一種の仰々しい舞踏であって、日常性というものがまるでなくなっていた。
 入学当初から、私が柏木に注目したのは、いわれのないことではない。彼の不具が私を安心させた。彼の内飜足は、私の置かれている条件に対する同意を、はじめから意味していた。
 柏木は、裏庭のクローバアの原っぱで弁当をひらいていた。唐手部や卓球部の、ほとんど窓硝子の破れ落ちた廃屋の部室が、この裏庭に面していた。五六本の痩せた松が生え、空っぽの小さなフレイムがあった。フレイムに塗られた青いペンキは、剥げて、けば立って、枯れた造花のように巻きちぢれていた。かたわらには二三段の盆栽の棚があり、瓦礫の山があり、ヒヤシンスや桜草の花圃もあった。
 クローバアの草地は坐るのに佳かった。光りはその柔らかな葉に吸われ、こまかい影も湛えられて、そこら一帯が、地面から軽く漂っているように見えた。坐っている柏木は、歩いているときとちがって、人と変らぬ学生であった。のみならず、彼の蒼ざめた顔には、一種険しい美しさがあった。肉体上の不具者は美貌の女と同じ不敵な美しさを持っている。不具者も、美貌の女も、見られることに疲れて、見られる存在であることに飽き果てて、追いつめられて、存在そのもので見返している。見たほうが勝なのだ。弁当を喰べている柏木は伏目でいたが、私には彼の目が自分のまわりの世界を見尽していることが感じられた。
 彼は光りの中に自足していた。この印象が私を搏った。春の光りや花々の中で、私の感じる気恥かしさやうしろめたさを、彼の持っていないことが、その姿を見てもわかった。彼は主張している影、というよりは、存在している影そのものだった。日光は彼の硬い皮膚から滲み入らないのにちがいなかった。
 一心に、それでいてひどく不味そうに、彼の喰べている弁当は貧しく、朝、典座で私自ら詰めて来る弁当に、おさおさ劣らなかった。昭和二十二年は、まだ闇でなければ、滋養分を摂ることのできなかった時代である。
 私はノオトと弁当を持って、彼のそばに立った。弁当が私の影で翳ったので、柏木は顔をあげた。ちらと私を見ると、又伏目になって、蚕が桑の葉を噛むのに等しい単調な咀嚼をつづけた。
「一寸、今の講義でわからんところを、教えてもらおうと思って」
 と私は吃り吃り、標準語で言った。大学へ入ったら、標準語を喋ろうと思っていたのである。柏木は、
「何を言ってるのかわからん。吃ってばかりいて」
 といきなり言った。私の顔は紅潮した。彼は、箸の先を舐めながら、更に一気に言った。
「君が俺に何故話しかけてくるか、ちゃんとわかっているんだぞ。溝口って言ったな、君。片輪同士で友だちになろうっていうのもいいが、君は俺に比べて自分の吃りを、そんなに大事だと思っているのか。君は自分を大事にしすぎている。だから自分と一緒に、自分の吃りも大事にしすぎているんじゃないか」
 のちに彼が、同じ臨済宗の禅家の息子だと知れたとき、この最初の問答に、多少彼の禅僧気取のあらわれていたことがわかったが、それでもこのとき私の受けた強烈な印象を否定することはできない。
「吃れ! 吃れ!」と柏木は、二の句を継げずにいる私にむかって、面白そうに言った。
「君は、やっと安心して吃れる相手にぶつかったんだ。そうだろう? 人間はみんなそうやって相棒を探すもんさ。それはそうと、君はまだ童貞かい?」
 私はにこりともしないでうなずいた。柏木の質問の仕方は医者に似ていて、私は嘘をつかぬことが身の為であるかのような気持にさせられた。
「そうだろうな。君は童貞だ。ちっとも美しい童貞じゃない。女にももてず、商売女を買う勇気もない。それだけのことだ。しかし君が、童貞同士附合うつもりで俺と附合うなら、まちがってるぜ。俺がどうして童貞を脱却したか、話そうか?」
 柏木は私の返事も待たずに話しだした。
 …………………………。
 …………………………。
 俺は三ノ宮近郊の禅寺の息子で、生れついた内飜足だった。……さて俺がこんな風に告白をはじめると、君は俺のことを、相手かまわず身の上話をやりだす哀れな病人だと思うだろうが、俺は誰にでもこんなことを話すわけじゃない。俺のほうでも、恥かしいことだが、君を打明け話の相手として最初から選んでいたんだ。というのは、どうやら俺のやって来たことは多分君にとっていちばん値打があり、俺のやって来たとおりにすれば、多分それが君にとって一等いい道だと思われたからだ。宗教家はそういう風にして信者を嗅ぎだし、禁酒家はそういう風にして同志を嗅ぎだすことを君も承知だろう。
 そうだ。俺は自分の存在の条件について恥じていた。その条件と和解して、仲良く暮すことは敗北だと思った。怨みようならいくらもある。両親は俺が幼児のときに、矯正手術をしてくれるべきだったのだ。今となってはもう遅い。しかし俺は両親に対しては無関心で、怨みを持ったりするのは億劫だった。
 俺は絶対に女から愛されないことを信じていた。これは人が想像するよりは、安楽で平和な確信であることは、多分君も知っているとおりだ。自分の存在の条件と和解しないという決心と、この確信とは、必ずしも矛盾しない。なぜなら、もし俺がこのままの状態で女に愛され得ると信じるなら、その分だけ、俺は自分の存在の条件と和解したことになるからだ。俺は現実を正確に判断する勇気と、その判断と戦う勇気とは、容易に馴れ合うものだと知った。居ながらにして、俺は戦っているような気になれたのだ。
 こういう俺が、友だちのするように、商売女で以て、童貞を破ろうと心掛けなかったのは、当然だと云わなければならない。なぜなら、商売女は客を愛して客をとるわけではない。老人でも、乞食でも、目っかちでも、美男でも、知らなければ癩者でも客にとるだろう。並の人間なら、こういう平等性に安心して、最初の女を買うだろう。しかし俺にはこの平等性が気に喰わなかった。五体の調った男とこの俺とが、同じ資格で迎えられるということが我慢がならず、それは俺にとっては怖ろしい自己冒涜に思われた。俺の内飜足という条件が、看過され、無視されれば、俺の存在はなくなってしまうという、君が今抱いているような恐怖に、俺も捕われていたわけだ。俺の条件の全的な是認のためには、並の人間より数倍贅沢な仕組が要る筈だった。人生はどうしてもそういう風に出来ていなければならぬ、と俺は思った。
 われわれと世界とを対立状態に置く怖ろしい不満は、世界かわれわれかのどちらかが変れば癒やされる筈だが、変化を夢みる夢想を俺は憎み、とてつもない夢想ぎらいになった。しかし世界が変れば俺は存在せず、俺が変れば世界が存在しないという、論理的につきつめた確信は、却って一種の和解、一種の融和に似ている。ありのままの俺が愛されないという考えと、世界とは共存し得るからだ。そして不具者が最後に陥る罠は、対立状態の解消でなく、対立状態の全的な是認という形で起るのだ。かくて不具は不治なのだ。……
 こんなときに青春(この言葉を俺はひどく正直に使うのだが)の俺の身の上に、信ずべからざる事件が起った。寺の檀家の子で、その美貌が名高く、神戸の女学校を出ている裕福な娘が、ふとしたことから、俺に愛を打明けた。しばらく俺は自分の耳を信じることができなかった。
 俺は不幸のおかげで人間の心理を洞察することに長けていたから、簡単に、彼女の愛の動機を同情にもとめて、それでつむじを曲げたりしたわけではない。同情だけで女が俺を愛したりする筈もないことは、百も承知だったからだ。俺の推量したところでは、彼女の愛の原因は並外れた自尊心だった。十分美しく、女としての値打を十分知っていたから、彼女は自信のある求愛者を受け入れるわけにゆかなかった。自分の自尊心と求愛者の己惚れとを秤にかけるわけにゆかなかった。いわゆる良縁ほど彼女に嫌悪を与えた。ついには、愛におけるあらゆる均衡を潔癖にしりぞけて、(この点で彼女は誠実だった)、俺に目をつけるようになった。
 俺の答は決っていた。君は笑うかもしれないが、女に向って、俺は、「愛していない」と答えたのだ。これ以外に答えようがあっただろうか? この答は正直だったし、些かの衒いもなかった。女の打明けに対して、奇貨居くべしという気になって、「俺も愛していた」と答えることは、俺がやれば滑稽を通りすぎて、ほとんど悲劇的に見えただろう。滑稽な外形を持った男は、まちがって自分が悲劇的に見えることを賢明に避ける術を知っている。もし悲劇的に見えたら、人はもはや自分に対して安心して接することがなくなるのを知っているからだ。自分をみじめに見せないことは、何より他人の魂のために重要だ。だから俺はさらりと言ってのけた、「愛していない」と。
 女はたじろがなかった。その俺の答は嘘だと言うのである。それから女が、俺の自尊心を傷つけぬように用心しいしい、俺を説得しようとしたやり方は見ものだった。彼女にとっては、男であって彼女を愛さない人間などは想像の外であり、もし居るとすれば、彼は己れを偽わっているのである。彼女はかくて、俺の精密な分析をやってのけ、とうとう実は、俺は彼女を以前から愛していた、と決めつけた。彼女は聡明だった。もし彼女が本当に俺を愛していたと仮定すれば、手のつけようのない相手を愛していたわけで、美しくもない俺の顔を美しいとでも言えば俺を怒らせたろうし、俺の内飜足を美しいと言えば俺はもっと怒ったろうし、俺の外見でなく内容を愛していると言えば俺は更に怒ったろうことを計算に入れて、ただ、俺を「愛している」と言いつづけたのである。そうして俺の中にも、分析によって、それと対応する感情を見つけ出したのである。
 俺はこういう不合理に納得がゆきかねた。その実俺の欲望はだんだん烈しく募って来ていたが、欲望が彼女と俺とを結ぶとは思われなかった。彼女がもし他人をでなくこの俺を愛しているのだとすれば、俺を他人から分つ個別的なものがなければならない。それこそは内飜足に他ならない。だから彼女は口に出さぬながら俺の内飜足を愛していることになり、そういう愛は俺の思考に於て不可能である。もし、俺の個別性が内飜足以外にあるとすれば、愛は可能かもしれない。だが、俺が内飜足以外に俺の個別性を、俺の存在理由を認めるならば、俺はそういうものを補足的に認めたことになり、次いで、相互補足的に他人の存在理由をも認めたことになり、ひいては世界の中に包まれた自分を認めたことになるのだ。愛はありえない。彼女が俺を愛していると思っているのも錯覚だし、俺が彼女を愛していることもありえない。そこで俺はくりかえし言った。「愛していない」と。
 ふしぎなことには、俺が愛していないと言えば言うほど、彼女はますます深く、俺を愛しているという錯覚の中へ溺れた。そうして或る晩、とうとう俺の前へ体を投げ出すようなことをやってのけた。彼女の体はまばゆいばかり美しかった。しかし俺は不能だったのである。
 こんな大失敗は、凡てを簡単に解決した。やっと彼女には、俺が「愛していないこと」が証明されたらしかった。彼女は俺を離れた。
 俺は恥じていたが、内飜足であることの恥に比べれば、どんな恥も言うに足りなかった。俺を狼狽させたのはもっと別のことである。不能の理由が俺にはわかっていた。その場になって、俺は自分の内飜足が彼女の美しい足に触れるのを思って、不能になったのだ。この発見は、決して愛されないという確信の持っていた平安を、内側から崩してしまった。
 何故なら、そのとき、俺には不真面目な喜びが生れていて、欲望により、その欲望の遂行によって、愛の不可能を実証しようとしていたのだが、肉体がこれを裏切り、俺が精神でやろうとしていたことを、肉体が演じてしまったからだ。俺は矛盾に逢着した。俗悪な表現を怖れずに言えば、俺は愛されないという確信で以て、愛を夢見ていたことになるのだが、最後の段階では、欲望を愛の代理に置いて安心していた。しかるに欲望そのものが、俺の存在の条件の忘却を要求し、俺の愛の唯一の関門であるところの愛されないという確信を放棄することを要求しているのが、わかってしまったのである。俺は欲望というものはもっと明晰なものだと信じていたので、それが少しでも己れを夢見ることを必要とするなどとは、考えもしていなかった。
 このときから、俺には精神よりも、俄かに肉体が関心を呼ぶものになった。しかし自分が純粋な欲望に化身することはできず、ただそれを夢みた。風のようになり、むこうからは見えない存在になり、こちらからは凡てを見て、対象へかるがると近づいてゆき、対象を隈なく愛撫し、はてはその内部へしのび入ってゆくこと。……君は肉体の自覚というとき、或る質量をもった、不透明な、確乎とした「物」に関する自覚を想像するだろう。俺はそうではなかった。俺が一個の肉体、一個の欲望として完成すること、それは俺が、透明なもの、見えないもの、つまり風になることであったのだ。
 しかし忽ち内飜足が俺を引止めにやって来る。これだけは決して透明になることはない。それは足というよりは、一つの頑固な精神だった。それは肉体よりももっと確乎たる「物」として、そこに存在していた。
 鏡を借りなければ自分が見えないと人は思うだろうが、不具というものは、いつも鼻先につきつけられている鏡なのだ。その鏡に、二六時中、俺の全身が映っている。忘却は不可能だ。だから俺には、世間で云われている不安などというものが、児戯に類して見えて仕方がなかった。不安は、ないのだ。俺がこうして存在していることは、太陽や地球や、美しい鳥や、醜い鰐の存在しているのと同じほど確かなことである。世界は墓石のように動かない。
 不安の皆無、足がかりの皆無、そこから俺の独創的な生き方がはじまった。自分は何のために生きているか? こんなことに人は不安を感じて、自殺さえする。俺には何でもない。内飜足が俺の生の、条件であり、理由であり、目的であり、理想であり、……生それ自身なのだから。存在しているというだけで、俺には十分すぎるのだから。そもそも存在の不安とは、自分が十分に存在していないという贅沢な不満から生れるものではないのか。
 老いた寡婦の皺だらけの顔は、美しくもなく、神聖でもなかった。しかしその醜さと老いとは、何ものをも夢みていない俺の内的な状態に、不断の確証を与えるかのようだった。どんな美女の顔も、些かの夢もなしに見るとき、この老婆の顔に変貌しない、と誰が云えよう。俺の内飜足と、この顔と、……そうだ、要するに実相を見ることが俺の肉体の昂奮を支えていた。俺ははじめて、親和の感情を以て、おのれの欲望を信じた。そして問題は、俺と対象との間の距離をいかにちぢめるかということにはなくて、対象を対象たらしめるために、いかに距離を保つかということにあるのを知った。
 見るがいい。そのとき俺は、そこに停止していて同時に到達しているという不具の論理、決して不安に見舞われぬ論理から、俺のエロティシズムの論理を発明したのだ。世間の人間が惑溺と呼んでいるものの、相似の仮構を発明したのだ。隠れ蓑や風に似た欲望による結合は、俺にとっては夢でしかなく、俺は見ると同時に、隈なく見られていなければならぬ。俺の内飜足と、俺の女とは、そのとき世界の外に投げ出されている。内飜足も、女も、俺から同じ距離を保っている。実相はそちらにあり、欲望は仮象にすぎぬ。そして見る俺は、仮象の中へ無限に顛落しながら、見られる実相にむかって射精するのだ。俺の内飜足と、俺の女とは、決して触れ合わず、結びつかず、お互いに世界の外に投げ出されたまま。……欲望は無限に昂進する。何故なら、あの美しい足と俺の内飜足とは、もう永久に触れ合わないですむのだから。
 俺の考え方はわかりにくいだろうか。説明を要するだろうか。しかし俺がそれ以来、安心して、「愛はありえない」と信ずるようになったことは、君にもわかるだろう。不安もない。愛も、ないのだ。世界は永久に停止しており、同時に到達しているのだ。この世界にわざわざ、「われわれの世界」と註する必要があるだろうか。俺はかくて、世間の「愛」に関する迷蒙を一言の下に定義することができる。それは仮象が実相に結びつこうとする迷蒙だと。――やがて俺は、決して愛されないという俺の確信が、人間存在の根本的な様態だと知るようになった。これが俺の童貞を破った顛末だよ。
 …………………………。
 …………………………。
 柏木は語り終った。
 きいていた私はようやく息をついた。烈しい感銘に見舞われ、今まで考えもしなかった考え方に触れた苦痛から醒めなかった。柏木が語り終ると、ややあって、あたりの春の日ざしが私のまわりに目ざめ、明るいクローバアの草生がかがやきだした。裏手のバスケットのコートから、ひびいてくる喚声もよみがえった。しかしすべては同じ春の真昼のまま、意味をすっかり変えて現われて来たように思われた。
 黙っていることができなかったので、私は何か合槌を打とうとして、吃りながら、へまなことを言った。
「それで君は、それ以来孤独なわけなんだね」
 柏木は又意地悪く、ききとりにくいふりをして、私にもう一度その言葉をくりかえさせた。しかしその答には、はや親しみがあった。
「孤独だって? どうして孤独でなくちゃならんのだ。それ以後の俺についちゃ、附合っているうちにだんだんわかってくるよ」
 午後の講義の開始のベルが鳴りひびいた。私は立上ろうとした。柏木は坐ったまま、私の袖を邪慳に引張った。私の制服は禅門学院時代のものを修理して、釦をつけ代えただけであり、生地は古く、傷んでいた。あまつさえ、体には窮屈で、貧しい体をなおのこと小さく見せた。
「今度は漢文だろう。つまらんじゃないか。そこらへ散歩に行こう」
 柏木はそう言うと、一度体をばらばらにほぐして又組立てるような大変な労をとって立上った。それが映画で見る駱駝の起居を思わせた。
 私はかつて講義を怠けたことがなかったが、柏木についてもっと知りたいという思いは、この機会を逸しがたくさせた。われわれは正門のほうへ歩きだした。
 正門を出たとき、柏木のまことに独特な歩き方が、ふいに私の注意を喚起し、恥かしいというのに近い感情を起させた。自分がそういう風に、世間並の感情に加担して、柏木と一緒に歩くのが恥かしいと思ったりするのは奇異なことであった。
 柏木は私に私の恥の在処をはっきりと知らせた。同時に私を人生へ促したのである。……私のすべての面伏せな感情、すべての邪まな心は、彼の言葉で以て陶冶されて、一種新鮮なものになった。そのためか、われわれが砂利を踏んで、赤煉瓦の正門を出てきたとき、正面に見える比叡の山は、春日に潤んで、今日はじめて見る山のように現われた。
 それもまた、私のまわりに眠っていた多くの事物と同じく、意味を新たにして再現したもののように思われた。叡山の頂きは突兀としていたが、その裾のひろがりは限りなく、あたかも一つの主題の余韻が、いつまでも鳴りひびいているようであった。低い屋根の連なりの彼方に、叡山の山襞の翳りは、その山襞の部分だけ、山腹の春めいた色の濃淡が、暗い引きしまった藍に埋もれているので、そこだけが際立って近く鮮明に見えていた。
 大谷大学門前は人通りも少なく、自動車の数も少なかった。駅前から烏丸車庫前をつなぐ市電の路線にも、たまにしか電車のひびきは伝わらなかった。通りのむこうには大学グラウンドの古い門柱が、こちらの正門と相対して立ち、左方に若葉の銀杏並木がつづいていた。
「グラウンドをしばらくぶらぶらするか」
 と柏木が言った。私に先立って電車通りを渡った。体全体の動きを猛烈にして、ほとんど車の通らぬ車道を、水車のように狂奔して渡るのである。
 グラウンドは広大で、講義を怠けているか休講かの学生が、幾組か遠くでキャッチ?ボールをしており、こちらでは五六人がマラソンの練習をしていた。戦争がすんで二年しかたたないのに、青年たちは再び精力の消耗を企てていた。私は寺の貧しい食事を考えた。
 われわれは朽ちかけた遊動円木に腰かけて、楕円の上を近づき又遠ざかるマラソンの練習者たちを、見るともなしに眺めた。学校を怠けている時間の、下ろしたてのシャツのような肌ざわりが、周囲の日ざしや微かな風のそよぎから感じられた。競技者たちは苦しい息の一団をなして徐々に近づき、疲労が増すにつれて乱れた跫音を、舞い立つ土埃と共に残して遠ざかった。
「阿呆な奴らだな」と、負け惜しみにきこえる余地を少しも残さずに柏木は言った。「あのざまは一体何だろう。奴らが健康だというのか。それなら健康を人に見せびらかすことが何の値打があるんだい。
 スポーツはいたるところで公開されているね。まさに末世の徴さ。公開すべきものはちっとも公開されない。公開すべきものとは、……つまり死刑なんだ。どうして死刑を公開しないんだ」と、夢みるようにつづけた。「戦争中の安寧秩序は、人の非業の死の公開によって保たれていたと思わないかね。死刑の公開が行われなくなったのは、人心を殺伐ならしめると考えられたからだそうだ。ばかげた話さ。空襲中の死体を片附けていた人たちは、みんなやさしい快活な様子をしていた。
 人の苦悶と血と断末魔の呻きを見ることは、人間を謙虚にし、人の心を繊細に、明るく、和やかにするんだのに。俺たちが残虐になったり、殺伐になったりするのは、決してそんなときではない。俺たちが突如として残虐になるのは、たとえばこんなうららかな春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に、木洩れ陽の戯れているのをぼんやり眺めているときのような、そういう瞬間だと思わないかね。
 世界中のありとあらゆる悪夢、歴史上のありとあらゆる悪夢はそういう風にして生れたんだ。しかし白日の下に、血みどろになって悶絶する人の姿は、悪夢にはっきりした輪郭を与え、悪夢を物質化してしまう。悪夢はわれわれの苦悩ではなく、他人の烈しい肉体的苦痛にすぎなくなる。ところで他人の痛みは、われわれには感じられない。何という救いだろう!」
 しかし今や私は、こういう彼の血なまぐさい独断よりも、(もちろんそれはそれとして魅力のあるものではあったが)、童貞を破ったのちの彼の遍歴のほうをききたかった。私がひたすら彼から「人生」を期待したのは、前にも述べたとおりである。私は口をさしはさみ、そういう質問を暗示した。
「女かい? ふん。俺にはこのごろ、内飜足の男を好きになる女が、カンでちゃんとわかるようになった。女にはそういう種類があるんだよ。内飜足の男を好きだということは、もしかすると一生隠されたまま、墓場へまで一緒にもって行きかねない、その種の女の唯一の悪趣味、唯一の夢なんだが。
 そうだな。内飜足を好く女を一目で見分ける法。そいつは大体において飛切りの美人で、鼻の冷たく尖った、しかし口もとのいくらかだらしのない……」
 そのとき一人の女がむこうから歩いてきた。
 さてその女は、グラウンドの中を歩いていたのではない。グラウンドの外側に、屋敷町に接した道がある。道はグラウンドの地面よりも二尺ほど低い。そこを歩いてきたのである。
 女が出て来たのは、宏壮なスペイン風の邸の耳門であった。二つの煙出しを持ち、斜め格子の硝子窓を持ち、ひろい温室の硝子屋根を持っている邸は、いかにも壊れやすい印象を与えるが、当然そこの主人の抗議で設けられたにちがいない高い金網が、道をへだてたグラウンドの一辺にそそり立っていた。
 柏木と私はネットの外れの遊動円木にいたのである。女の顔を窺った私は愕きに搏たれた。そのけだかい顔は、柏木が私に説明した「内飜足好き」の女の人相に、そっくりであったからだ。しかし後になって私はこの愕きを莫迦らしく思うのだが、柏木はその顔をずっと前から見知っていて、夢みていたのかもしれないのである。
 私たちは女を待ち設けていた。春の日光の遍満の下に、むこうには濃紺の比叡の峯があり、こちらには次第に歩み寄って来る女があった。私はさきほどの柏木の言葉、彼の内飜足と彼の女とが、二つの星のように、互いに触れ合わずに実相の世界に点在し、彼自身は仮象の世界に無限に埋もれつつ欲望を遂げるという奇怪な言葉、あの言葉の与えた感動からまだ醒めずにいた。このとき雲が日のおもてをよぎり、私と柏木は稀薄な翳に包まれたので、私たちの世界は、たちまち仮象のすがたを露わすように思われた。すべては灰色に覚束なく、私自身の存在も覚束なくなった。そしてかなたの比叡の紫紺の頂きと、ゆっくり歩いてくる気高い女と、この二つのものだけが実相の世界にきらめいて、確実に存在しているように思われた。
 どこへ向って急いでいるのか、私自身わからなかった。電車が徐々に紫野へさしかかるころから、私は自分のせきたつ心が金閣を志しているのを知った。
 平日にもかかわらず、観光季節であったので、その日の金閣をめぐる人ごみは甚だしかった。案内の老人が、人を分けて金閣の前へいそぐ私の姿を訝かしそうに見た。
 こうして私は、舞い立つ埃と醜い群衆に囲まれている春の金閣の前に在った。案内人の大声がひびいている中では、金閣はいつもその美を半ば隠して、空恍けているように見えた。池の投影だけが澄明だった。しかし見ようによっては、聖衆来迎図の諸菩薩に囲まれた来迎の弥陀のように、埃の雲は、諸菩薩を包んでいる金色の雲に似かよい、金閣が埃に霞む姿も、古い褪色した絵具や、すりきれた絵柄に似かよっていた。この混雑と喧騒が、繊細な柱のたたずまいの裡に澄み入り、小さな究竟頂や頂きの鳳凰の次第に細まり聳え立って接している白っぽい空へ、吸い込まれてゆくのは奇異ではなかった。建築は、そこに存在するだけで、統制し、規制していた。周囲のさわがしさが募れば募るほど、西に漱清を控え、二層の上に俄かに細まる究竟頂をいただいた金閣、この不均整な繊細な建築は、濁水を清水に変えてゆく濾過器のような作用をしていた。人々の私語のぞめきは、金閣から拒まれはせずに、吹き抜けのやさしい柱のあいだへしみ入って、やがて一つの静寂、一つの澄明にまで濾過された。そして金閣は、少しもゆるがない池の投影と同じものを、いつのまにか地上にも成就していたのである。
 私の心は和み、ようようのこと恐怖は衰えた。私にとっての美というものは、こういうものでなければならなかった。それは人生から私を遮断し、人生から私を護っていた。
『私の人生が柏木のようなものだったら、どうかお護り下さい。私にはとても耐えきれそうもないから』
 と私は殆んど祈った。
 柏木が暗示し、私の前に即座に演じてみせた人生では、生きることと破滅することとが同じ意味をしか持っていなかった。その人生には自然さも欠けていれば、金閣のような構造の美しさも欠けており、いわば痛ましい痙攣の一種に他ならなかった。それに私が大いに惹かれ、そこに自分の方向を見定めたことも事実であったが、まず棘だらけな生の破片で手を血みどろにせねばならぬことは怖ろしかった。柏木は本能と理智とを同じ程度に蔑んでいた。奇怪な形をした鞠のように、彼の存在そのものがころげまわり、現実の壁を破ろうとしていた。それは一つの行為ですらなかった。要するに彼の暗示した人生とは、未知の仮装でもってわれわれをあざむいている現実をうち破り、再びいささかも未知を含まぬように世界を清掃するための、危険な茶番だったのである。
 というのは、私はのちに、彼の下宿で次のようなポスターを見たからだ。
 それは日本アルプスを描いた旅行協会の美しい石版刷で、青空に浮んだ白い山頂に、「未知の世界へ、あなたを招く!」という活字が横書きになっていた。柏木は毒々しい朱筆で、その字と山頂を斜め十文字に抹消し、さてかたわらには、内飜足の歩行を思わせる彼の躍るような自筆が、
「未知の人生とは我慢がならぬ」
 と書きなぐっていた。
 そのとき私は彼の詐術を見たように思ったのだが、わざわざああして路上に崩折れたのは、女の注意を惹くためであったのは勿論だが、怪我の仮装で彼の内飜足を隠そうとしたのではなかったか? しかしこの疑問は一向彼に対する軽蔑とはならず、むしろ親しみを増す種子になった。そして私はごく青年らしい感じ方をしたのだが、彼の哲学が詐術にみちていればいるほど、それだけ彼の人生に対する誠実さが証明されるように思われたのである。
 鶴川は私と柏木との交渉を、好い目で見ていなかった。友情に充ちた忠告をして来たのが、私にはうるさく感じられた。のみならずそれに抗弁して、鶴川なら良い友人も得られようが、私には柏木が相応のところだ、というふうな口を利いた。そのとき鶴川の目にうかんだ、言うに言われぬ悲しみの色を、のちのち私は、どんなに烈しい悔恨を以て思い起したかしれない。
 五月であった。柏木が休日の人ごみを忌み、平日に学校を休んで、嵐山へあそびにゆく計画を樹てた。彼らしく、もし晴天だったら行かず、曇った暗鬱な日だったら行こうと言った。彼は例のスペイン風の洋館の令嬢を伴い、私のためには彼の下宿の娘を連れて来てくれる手筈になった。
 私はわが耳を疑った。戦争末期に南禅寺の山門から鶴川と二人で見た、あの信じがたい情景が蘇った。娘にわざとその思い出は話さずにおいた。というのは、もしも口に出してしまったら、今この話をきいたときの感動は、あのときの神秘な感動を裏切ってしまうように思われ、口に出さずにいることによって、今の話はあの神秘の謎解きどころか、むしろ神秘の構造を二重にして、一そうそれを深めるような気がしたからである。
「優雅の墓というものは見すぼらしいもんだね」と柏木が言った。「政治的権力や金力は立派な墓を残す。堂々たる墓をね。奴らは生前さっぱり想像力を持っていなかったから、墓もおのずから、想像力の余地のないような奴が建っちまうんだ。しかし優雅のほうは、自他の想像力だけにたよって生きていたから、墓もこんな、想像力を働かすより仕方のないものが残っちまうんだ。このほうが俺はみじめだと思うね。死後も人の想像力に物乞いをしつづけなくちゃならんのだからな」
「優雅は想像力の中にしかないのかい」と私も快活に話に乗った。「君のいう実相は、優雅の実相は何なんだ」
「これさ」と柏木は苔むした石塔の頭をぺたぺたと平手で叩いた。「石、あるいは骨、人間の死後にのこる無機的な部分さ」
「ばかに仏教的なんだね」
「仏教もくそもあるものか。優雅、文化、人間の考える美的なもの、そういうものすべての実相は不毛な無機的なものなんだ。龍安寺じゃないが、石にすぎないんだ。哲学、これも石、芸術、これも石さ。そして人間の有機的関心と云ったら、情ないじゃないか、政治だけなんだ。人間はほとほと自己冒涜的な生物だね」
「性欲はどっちだね」
「性欲かい? まあその中間だろうな。人間と石との、堂々めぐりの鬼ごっこさ」
 私は彼の考える美について直ちに反駁を加えようと考えたが、議論に飽きた女二人が、細径を引返しかけたので、その後を追った。細径から保津川を望むと、そこは渡月橋の北の、あたかも堰の部分であった。川むこうの嵐山には陰鬱な緑がこもっているのに、川のその部分だけは、いきいきとした飛沫の白の一線が延び、水音があたり一面にひびいていた。
 川にうかぶボートの数は少なくなかった。しかしわれわれ一行が川ぞいの道を進み、つきあたりの亀山公園の門を入ったとき、散らばっているのは紙屑ばかりで、きょうは公園の中の行楽客の稀なことがわかった。
 門のところでわれわれはふりかえり、もう一度、保津川と嵐山の若葉の景色をながめた。対岸には小滝が落ちていた。
「美しい景色は地獄だね」と又柏木が言った。
 どうやら柏木のこの言い方は、私には当てずっぽうに思われた。が、私も亦、彼に倣って、その景色を地獄のつもりで眺めようと試みた。この努力は徒ではなかった。若葉に包まれた静かな何気ない目前の風景にも、地獄が揺曳していたのである。地獄は、昼も夜も、いつどこにでも、思うがまま欲するがままに現われるらしかった。われわれが随意に呼ぶところに、すぐそこに存在するらしかった。
 私には令嬢と柏木とのそんなに親しい間柄が、いまだに半信半疑であった。気むずかしそうなこの女が、どうして柏木のような内飜足の貧書生と懇ろにしているのかわからなかった。この疑問に答えるように、二三杯呑んだ柏木は言いだした。
「さっき電車の中で喧嘩をしていたろう。あれはね、彼女が家からやかましく言われて、厭な男と結婚を迫られているからなんだ。彼女はすぐ弱気になって負けそうになるんだ。それで俺が、その結婚を徹底的に邪魔してやると云って、慰めたり脅かしたりしていたんだよ」
 これは本来、当人の前で云い出すべきことではなかったが、柏木はかたわらに当の令嬢がまるでいないかのように平気で言った。それをきいている令嬢の表情にも、何らの変化が現われていなかった。しなやかな頸筋には陶片をつらねた青いネックレースをかけ、曇り空を背に、たわわな髪の輪郭がその鮮明すぎる顔だちをぼかしていた。目は過度に潤み、目だけがそのためになまなましい裸かな印象を与えた。だらしのない口もとも、いつものように、薄くあいていた。その唇と唇との薄い隙間から、細かい鋭い歯並が、さえざえと乾いて白くのぞかれた。それは小動物の歯のような感じがした。
「痛い! 痛い!」と柏木が急に身を屈して、脛を押えて呻きだした。私もあわてて、うつむいて介抱しようとしたが、柏木の手が私を押しのけざま、ふしぎな冷笑的な目くばせを私に与えた。私は手を引いた。
「痛い! 痛い!」と柏木は真に迫った声で呻いた。思わず私はかたわらの令嬢の顔を見た。その顔には著しい変化があらわれ、目は落ちつきをなくし、口は性急にわななき、冷たい高い鼻だけが物に動じないでいるさまが奇異な対照を示して、顔の調和と均衡は打ち破られていた。
「かんにんえ! かんにんえ! 今治してあげるから! 今じきだから!」――彼女の甲高い傍若無人な声を私ははじめてきいた。令嬢は長い首をもたげて、周囲を見まわすようにしたが、忽ち東屋の石の上に膝まずき、柏木の脛を抱いた。頬をすりつけ、はてはその脛に接吻したのである。
 私は再びあのときのような恐怖に搏たれた。下宿の娘を見た。娘はあらぬ方を眺めて鼻歌を唄っていた。
 ……このとき日が雲間を洩れたように思われたが、私の錯覚であったかもしれない。しかし静かな公園の全景の構図に違和が生じて、私たちが包まれていた澄明な画面、その松林、川の光り、遠い山々、白い岩肌、点在する杜鵑花の花々、……こういうもので充たされた画面の隅々まで、細かい亀裂がいちめんに走ったように感じられた。
 実際のところ、起るべき奇蹟は起ったらしかった。柏木は次第に呻きをやめた。顔をあげ、あげかけたとき、又私のほうへ、冷笑的な目くばせを投げた。
「治った! ふしぎだなあ。痛みだしたとき、君がそうしてくれると、いつも痛みがとまるんだからな」
 そして女の髪を両手でつかんでもちあげた。髪をつかまれた女は、忠実な犬の表情で柏木を見上げて微笑した。白い曇った光線の加減で、この瞬間、私には美しい令嬢の顔が、いつか柏木の話した六十幾歳の老婆の顔そのものに見えたのである。
 ――しかし奇蹟を果した柏木は陽気になった。狂気にちかいほど陽気になった。彼は大声で笑い、たちまち女を膝の上へ抱き上げて接吻した。彼の笑いは凹地の松の梢の枝々に谺した。
「なぜ口説かないんだ」と黙っている私に言った。「折角君のためにも娘さんを一人連れて来たんだのに。それとも吃って笑われるのがはずかしいのか。吃れ! 吃れ! 彼女だって吃りに惚れるかもしれないんだ」
「吃りやったの?」と今気づいたように下宿の娘は言った。「ほな三人片輪の二人揃ったわけやな」
 この言葉ははげしく私を刺し、いたたまれぬ気持にさせた。娘に感じた憎悪が、しかし、一種の目まいのようなものを伴って、そのまま突然の欲望に移って行ったのは奇異だった。
「二組別々にどこかへ身を隠そうよ。二時間たったら又ここの東屋へかえって来よう」
 柏木が、まだ飽きもせずブランコに乗っている男女を見下ろしながら、そう言った。

 柏木や令嬢と別れた私は、下宿の娘と共に、東屋の丘から北へ降り、また東のほうへ迂回してゆく緩い坂を登った。
「あの人はお嬢さんを『聖女』に仕立てたんよ。いつもあの手や」
 と娘が言った。私はひどく吃って反問した。
「どうして知ってる」
「そやかて、わてかて、柏木さんと関係があるのやもん」
「今は何でもないんだね。しかしよく平気でいられるね」
「平気やわ。あんな片輪、しようがない」
 この言葉は今度は逆に私を勇気づけ、次の反問がすらすらと出た。
「君もあいつの片輪の足が好きだったのとちがうか」
「やめといて、あんな蛙のような足。わて、そうやな、あの人の目はきれいな目や思うけど」
 これで又私は自信を喪った。柏木がどう考えようとも、女は柏木の気づかぬ美質を愛していたことになるが、自分について何一つ気がついていないところはないと思う私の傲慢さが、そういう美質の存在を、自分にだけは拒んでいたからである。
 ――さて私と娘は、坂を登りつめて深閑とした小さな野に出た。松と杉のあいだから、大文字山、如意ヶ岳などの遠山が、おぼろげに望まれた。竹藪が、この丘陵から町へ下りる斜面をおおい、藪の外れに、一本の遅桜がまだ花を落さずにいた。それは実に遅い花で、吃り吃り咲き出したために、こんなにも遅れたのではないかと思われた。
 私の胸はふたがり、胃のあたりが重くなっていた。酒のためではない。いざとなると欲望は重みを増し、私の肉体から離れた抽象的な構造を持ち、私の肩にのしかかるのだ。それはまるで真黒な、重い、鉄製の、工作機械のように感じられる。
 柏木が私を人生へ促してくれる親切あるいは悪意を、私が多としていたことはたびたび述べたとおりである。中学時代に先輩の短剣の鞘に傷をつけた私は、人生の明るい表側に対する無資格を、すでに自分の上に明確に見ていた。しかるに柏木は裏側から人生に達する暗い抜け道をはじめて教えてくれた友であった。それは一見破滅へつきすすむように見えながら、なお意外な術数に富み、卑劣さをそのまま勇気に変え、われわれが悪徳と呼んでいるものを再び純粋なエネルギーに還元する、一種の錬金術と呼んでもよかった。それでも、事実それでもなおかつ、それは人生だった。それは前進し、獲得し、推移し、喪失することができた。典型的な生とは云えぬにしても、生のあらゆる機能はそれに備わっていた。もしわれわれの目に見えぬところに、あらゆる生の無目的という前提が与えられていたとしたら、それはますます他の通例の生と等価の生であった。
 柏木にだって酩酊がないとは云えまい、と私は考えた。どんな暗鬱な認識にも、認識そのものの酔のひそんでいることを、私は夙に知っていた。そして人を酔わすものは、ともかくも酒なのである。
 ……私たちが腰を下ろしたのは、色あせて蝕まれた杜鵑花の花かげであった。下宿の娘がどうしてそんな風に私と附合う気になったのかはわからなかった。私は自分に対して酷い表現を故ら用いるが、どうして娘がわが身を「けがしたい」という衝動にかられているのかわからなかった。世には羞恥とやさしさに充ちた無抵抗もある筈だが、娘はその小肥りした小さな手の上に、昼寝の体にたかる蠅のように、私の手をただたからせていた。
 しかし永い接吻と、柔らかい娘の顎の感触が、私の欲望を目ざめさせた。ずいぶん夢みていた筈のものでありながら、現実感は浅く稀薄であり、欲望は別の軌道を駈けめぐっていた。白い曇った空、竹藪のざわめき、杜鵑花の葉をつたう七星天道虫の懸命な登攀……、これらのものは、依然何の秩序もなく、ばらばらに存在しているままであった。
 私はむしろ目の前の娘を、欲望の対象と考えることから遁れようとしていた。これを人生と考えるべきなのだ。前進し獲得するための一つの関門と考えるべきなのだ。今の機を逸したら、永遠に人生は私を訪れぬだろう。そう考えた私の心はやりには、吃りに阻まれて言葉が口を出かねるときの、百千の屈辱の思い出が懸っていた。私は決然と口を切り、吃りながらも何事かを言い、生をわがものにするべきであった。柏木のあの酷薄な促し、「吃れ! 吃れ!」というあの無遠慮な叫びは、私の耳に蘇って、私を鼓舞した。……私はようやく手を女の裾のほうへ辷らせた。

 そのとき金閣が現われたのである。
 威厳にみちた、憂鬱な繊細な建築。剥げた金箔をそこかしこに残した豪奢の亡骸のような建築。近いと思えば遠く、親しくもあり隔たってもいる不可解な距離に、いつも澄明に浮んでいるあの金閣が現われたのである。
 それは私と、私の志す人生との間に立ちはだかり、はじめは微細画のように小さかったものが、みるみる大きくなり、あの巧緻な模型のなかに殆んど世界を包む巨大な金閣の照応が見られたように、それは私をかこむ世界の隅々までも埋め、この世界の寸法をきっちりと充たすものになった。巨大な音楽のように世界を充たし、その音楽だけでもって、世界の意味を充足するものになった。時にはあれほど私を疎外し、私の外に屹立しているように思われた金閣が、今完全に私を包み、その構造の内部に私の位置を許していた。
 下宿の娘は遠く小さく、塵のように飛び去った。娘が金閣から拒まれた以上、私の人生も拒まれていた。隈なく美に包まれながら、人生へ手を延ばすことがどうしてできよう。美の立場からしても、私に断念を要求する権利があったであろう。一方の手の指で永遠に触れ、一方の手の指で人生に触れることは不可能である。人生に対する行為の意味が、或る瞬間に対して忠実を誓い、その瞬間を立止らせることにあるとすれば、おそらく金閣はこれを知悉していて、わずかのあいだ私の疎外を取消し、金閣自らがそういう瞬間に化身して、私の人生への渇望の虚しさを知らせに来たのだと思われる。人生に於て、永遠に化身した瞬間は、われわれを酔わせるが、それはこのときの金閣のように、瞬間に化身した永遠の姿に比べれば、物の数でもないことを金閣は知悉していた。美の永遠的な存在が、真にわれわれの人生を阻み、生を毒するのはまさにこのときである。生がわれわれに垣間見せる瞬間的な美は、こうした毒の前にはひとたまりもない。それは忽ちにして崩壊し、滅亡し、生そのものをも、滅亡の白茶けた光りの下に露呈してしまうのである。
 ……さて私が幻の金閣に完全に抱擁されていたのは永い時間ではなかった。われに返ったとき、金閣はすでに隠れていた。それはここから東北のはるか衣笠の地に、今もそのまま存在している一つの建築にすぎず、見える筈はなかった。あのように金閣が私を受け入れ、抱擁していた幻影の時は過ぎ去った。私は亀山公園の丘のいただきに横たわり、周囲には草の花や昆虫の鈍い飛翔と共に、放恣に寝そべっている一人の娘がいるだけだった。
 娘は私の突然の気後れに、白い眼を投げて身を起した。腰をひねって、うしろ向きに坐り、手提から出した鏡をのぞいた。物は言わなかったが、その蔑みは、たとえば着物に刺った秋のいのこずちの実のように、万遍なく私の肌を刺していた。
 空は低く垂れた。軽い雨滴が、あたりの草や杜鵑花の葉を叩きだした。私たちはあわただしく立上り、さきほどの東屋への道をいそいだ。
 父の死のためにも流さなかった涙を私は流した。何故なら鶴川の死は父の死にもまして、私に喫緊の問題とつながりがあると思われたからだ。柏木を知ってから鶴川をいくらか疎略にしていた私であったが、失って今更わかることは、私と明るい昼の世界とをつなぐ一縷の糸が、彼の死によって絶たれてしまったということであった。私は喪われた昼、喪われた光り、喪われた夏のために泣いたのである。
 彼の住んでいた世界の透明な構造は、つねづね私にとって深い謎であったが、彼の死によって謎は一段と怖ろしいものになった。この透明な世界を、丁度透明なあまりに見えない硝子にぶつかるように、横合から走り出たトラックが粉砕したのだ。鶴川の死が病死でなかったことは、いかにもこの比喩に叶っており、事故死という純粋な死は、彼の生の純粋無比な構造にふさわしかった。ほんの瞬時の衝突によって接触して、彼の生は彼の死と化合したのだった。迅速な化学作用。……こんな過激な方法によってしか、あの影を持たぬふしぎな若者は、自分の影、自分の死と結びつくことができなかったのに相違ない。
 鶴川の住んでいた世界が明るい感情や善意に溢れていたとしても、彼は誤解や甘い判断によってそこに住んだのではなかったと断言できる。彼のこの世のものならぬ明るい心は、一つの力、一つの靱い柔軟さで裏打ちされ、それがそのまま彼の運動の法則なのであった。私の暗い感情をいちいち明るい感情に飜訳してくれた彼のやり方には、何か無類に正確なものがあった。その明るさは私の暗さとあまりに隅々まで照応し、あまりに詳細な対比を示していたので、時折鶴川は私の心を如実に経験したことがあるのではないかと疑われた。そうではなかった! 彼の世界の明るさは、純粋でもあり偏頗でもあって、それ自体の細緻な体系が出来上り、その精密さは悪の精密さに殆んど近づいていたのかもしれない。この若者の不撓な肉体の力が、たえずそれを支えて運動していなかったら、忽ちにしてその明るい透明な世界は瓦解していたのかもしれないのだ。彼はまっしぐらに走っていた。そしてトラックがその肉体を轢いたのである。
 鶴川が人々に好感を与える源をなしていたいかにも明朗なその容貌や、のびのびした体躯は、それが喪われた今、又しても私を人間の可視の部分に関する神秘的な思考へいざなった。われわれの目に触れてそこに在る限りのものが、あれほどの明るい力を行使していたことのふしぎを思った。精神がこれほど素朴な実在感をもつためには、いかに多くを肉体に学ばなければならぬかを思った。禅は無相を体とするといわれ、自分の心が形も相もないものだと知ることがすなわち見性だといわれるが、無相をそのまま見るほどの見性の能力は、おそらくまた、形態の魅力に対して極度に鋭敏でなければならない筈だ。形や相を無私の鋭敏さで見ることのできない者が、どうして無形や無相をそれほどありありと見、ありありと知ることができよう。かくて鶴川のように、そこに存在するだけで光りを放っていたもの、それに目も触れ手も触れることのできたもの、いわば生のための生とも呼ぶべきものは、それが喪われた今では、その明瞭な形態が不明瞭な無形態のもっとも明確な比喩であり、その実在感が形のない虚無のもっとも実在的な模型であり、彼その人がこうした比喩にすぎなかったのではないかと思われた。たとえば、彼と五月の花々との似つかわしさ、ふさわしさは、他でもないこの五月の突然の死によって、彼の柩に投げこまれた花々との、似つかわしさ、ふさわしさなのであった。
 とまれ私の生には鶴川の生のような確乎たる象徴性が欠けていた。そのためにも私は彼を必要としたのだった。そして何よりも嫉ましかったのは、彼は私のような独自性、あるいは独自の使命を担っているという意識を、毫も持たずに生き了せたことであった。この独自性こそは、生の象徴性を、つまり彼の人生が他の何ものかの比喩でありうるような象徴性を奪い、従って生のひろがりと連帯感を奪い、どこまでもつきまとう孤独を生むにいたる本源なのである。ふしぎなことだ。私は虚無とさえ、連帯感を持っていなかった。
 又、私の孤独がはじまった。下宿の娘とはその後会わず、柏木とも前のように親しく附合うことはなくなった。柏木の生き方の魅力はなおしっかりと私をとらえていたが、少しでもそれに抗して、自ら望まずとも疎遠にしていることが、鶴川への供養のような気がしたからだ。母には手紙を書き送り、一人前になるまでは訪ねて来ぬように、ときっぱり書いた。それは前にも母にむかって口で言ったことではあるが、もう一度強い語調で書き送らなければ安心できぬような気がしたのである。その返事には、訥々とした文章で、伯父の農事の手つだいにいそしんでいる状況やら、単純な教訓がましいことが書き列ねられた末、「おまえが鹿苑寺の住職になった姿を一目見て死にたい」という文句が添えられていた。この一行を私は憎み、それから数日、この一行が私を不安にした。
 夏のあいだも、私は母の寄寓先を訪ねなかった。貧しい食事のために夏は身にこたえた。九月の十日すぎのある日のこと、大きな颱風が襲うかもしれぬという予報があった。誰かが金閣の宿直をすることになり、私が申し出てそれに当った。
 このころから微妙な変化が、私の金閣に対する感情に生じていたものと思われる。憎しみというのではないが、私の内に徐々に芽生えつつあるものと、金閣とが、決して相容れない事態がいつか来るにちがいないという予感があった。亀山公園のあのときから、この感情は明白になっていたが、私はそれに名をつけることを怖れた。しかし一夜の宿直に金閣が私に委ねられたのはうれしく、私は喜びを隠さなかった。
 私は究竟頂の鍵を渡された。この第三階はわけても貴ばれ、楣間には後小松帝の宸筆の扁額が、地上四十二尺の高さにけだかくかかっていた。
 ラジオは刻々に颱風の接近を伝えていたが、一向にその気配はなかった。午後のしばしばの雨は霽れ、夜の空には、あきらかな満月がのぼった。寺の者たちは庭に出て空工合を見ては、嵐の前の静けさだなどと噂していた。
 寺が寝静まる。私は金閣に一人になる。月のさし入らぬところにいると、金閣の重い豪奢な闇が私を包んでいるという思いに恍惚となった。この現実の感覚は徐々に深く私を涵し、それがそのまま幻覚のようになった。気がついたとき、亀山公園で人生から私を隔てたあの幻影の裡に、今私は如実にいるのを知った。
 私はただ孤りおり、絶対的な金閣は私を包んでいた。私が金閣を所有しているのだと云おうか、所有されているのだと云おうか。それとも稀な均衡がそこに生じて、私が金閣であり、金閣が私であるような状態が、可能になろうとしているのであろうか。
 風は午後十一時半ごろから募った。私は懐中電燈をたよりに階段を上り、究竟頂の鍵穴に鍵を宛がった。
 究竟頂の勾欄にもたれて立っている。風は東南である。しかし空にはまだ変化があらわれない。月は鏡湖池の藻のあいだにかがやき、虫の音や蛙の声があたりを占めている。
 最初に強い風がまともにわが頬に当ったとき、ほとんど官能的と云ってもよい戦慄が私の肌を走った。風はそのまま劫風のように無限に強まり、私もろとも金閣を倒壊させる兆候のように思われたのである。私の心は金閣の裡にもあり、同時に風の上にもあった。私の世界の構造を規定している金閣は、風に揺れる帷も持たず、自若として月光を浴びているが、風、私の兇悪な意志は、いつか金閣をゆるがし、目ざめさせ、倒壊の瞬間に金閣の倨傲な存在の意味を奪い去るにちがいない。
 そうだ。そのとき私は美に包まれ、まさしく美の裡にいたのだが、無限に募ろうとする兇暴な風の意志に支えられずに、それほど私が十全に美に包まれていられたか疑わしい。柏木が私を「吃れ! 吃れ!」と叱咤したように、私は風を鞭打ち、駿馬をはげます言葉を叫ぼうと試みた。
「強まれ! 強まれ! もっと迅く! もっと力強く!」
 森はざわめきだした。池辺の樹の枝々は触れ合った。夜空の色は平静な藍を失って、深い納戸いろに濁っていた。虫のすだきは衰えていないのに、そこらをけば立たせ、そぎ立てるような風の遠い神秘な笛音が近づいた。
 私は月の前をおびただしい雲が飛ぶのを見た。南から北へむかって、山々の向うから、次々と大軍団のように雲がせり出して来る。厚い雲がある。薄い雲がある。広大な雲がある。雲のいくつかの小さな断片がある。それらが悉く、南からあらわれて、月の前をよぎり、金閣の屋根を覆って、何か大事へいそぐように北へ駈け去ってゆくのである。私の頭上では金の鳳凰が叫ぶ声を聴くように思った。
 風はふと静まり、又強まる。森は敏感に聴耳を立て、静まったりさわいだりする。池の月かげが、そのたびに暗み明るみして、時には散光をひきつらせて、池の面を迅速に一?掃きする。
 山々のむこうにわだかまる雲の累積が、大きな手のように空いちめんにひろがり、うごめきひしめいて近づくのは凄まじかった。雲の絶え間に当って明澄に見えていた空の半ばも、忽ちにして又、雲におおわれた。しかしごく薄い雲がよぎるときには、これを透かして、おぼろな光輪をえがいている月が眺められた。
 夜もすがら、空はこのように動いていた。しかしそれ以上、風のつのる気配はなかった。私は勾欄のもとに眠っていた。晴れた朝早く、寺男の老人が私を起しに来て、颱風が幸いに京都市を外れて去ったと告げた。
 私は鶴川の喪に、一年近くも服していたものと思われる。孤独がはじまると、それに私はたやすく馴れ、誰ともほとんど口をきかぬ生活は、私にとってもっとも努力の要らぬものだということが、改めてわかった。生への焦躁も私から去った。死んだ毎日は快かった。
 学校の図書館が私の唯一の享楽の場所になり、そこでは禅籍は読まず、手あたり次第に飜訳の小説やら哲学やらを読んだ。その作家の名や哲学者の名をここに挙げることを私は憚る。それらは多少とも影響を及ぼし、のちに私のした行為の素因となったことは認めるが、行為そのものは私の独創であると信じたいし、何よりも私はその行為が、或る既成の哲学の影響として片付けられることを好まぬからである。
 少年時代から、人に理解されぬということが唯一の矜りになっており、ものごとを理解させようとする表現の衝動に見舞われなかったのは、前にも述べたとおりだ。私は何ら斟酌なく自分を明晰たらしめようとしていたが、それが自己を理解したいという衝動から来ていたかどうか疑わしい。そういう衝動は人間の本性に従って、おのずから他人との間にかける橋ともなるからだ。金閣の美の与える酩酊が私の一部分を不透明にしており、この酩酊は他のあらゆる酩酊を私から奪っていたので、それに対抗するためには、別に私の意志によって明晰な部分を確保せねばならなかった。かくて余人は知らず私にとっては、明晰さこそ私の自己なのであり、その逆、つまり私が明晰な自己の持主だというのではなかった。

 ……大学予科へ進んで二年目、昭和二十三年の春休みのことである。その宵も老師は御留守であったので、幸いの自由な時間を、友をもたぬ私は一人で散歩に費やすほかはなかった。寺を出て、総門をくぐった。総門の外側には溝をめぐらし、溝のほとりに制札が立っている。
 永らく見馴れたものであるのに、月に照らされた古い制札の文字を、私はふりかえってつれづれのままに読んだ。
 注 意
 一、許可ヲ受ケタル場合ノ外現状ヲ変更セザルコト
 二、其他保存ニ影響ヲ及ボスベキ行為ヲナサザルコト
 右注意セラレタシ 若シ之ヲ犯シタル者ハ国法ニ依リ処罰セラルベシ
  昭和三年三月三十一日内務省  
 制札は明らかに金閣について云っているのである。しかしその抽象的な語句は何を暗示しているとも知れず、不変の不壊の金閣は、こんな制札とは別のところに立っているとしか思えなかった。何かこの制札は、不可解な行為、あるいは不可能な行為を予定していた。立法者はおそらくこの種の行為を概括することに戸惑ったに相違なかった。狂人でなければ企てられない行為を罰するためには、事前にどうやって狂人を嚇かすべきか。おそらく狂人にしか読めない文字が必要になるだろう。……
 私がこんな由ないことを考えていたとき、門前の広い鋪道を、こちらへ向って来る人の影があった。昼の見物人の群はのこらず消え、月に照らされた松と、かなたの電車通りをゆきかう自動車の前燈のひらめきだけが、このあたりの夜を占めていた。
 影は突然柏木だと認められた。歩き方でわかったのである。すると永い一年の、こちらから選んだ疎遠は棚に上げて、私はただ、かつて彼に癒やされたことへの感謝だけを思い起した。そうだ。はじめて会ったときから、彼はそのぶざまな内飜足で、無遠慮に傷つける言葉で、その徹底した告白で、私の不具の思いを癒やしたのだった。私はあのとき、自分がはじめて同格で話し合う喜びをさとった筈だ。坊主であり吃りであることの、確乎とした意識の底に身を沈める、悪徳を行うに似た喜びを味わった筈だ。それに反して鶴川との附合では、そのいずれの意識も拭い去られるのが常であったが。
 その宵、私が柏木とどんなことを語り合ったか、よく憶えていない。おそらく大して実のあることを語らなかったものと思われる。柏木が第一、いつもの奇矯な哲学や毒のある逆説を、少しも口に出す気配がなかった。
 彼は私の想像もしなかった別の側面を、故ら私に示すために、やって来たのかもしれなかった。美の冒涜にだけ興味を惹かれていたようなこの毒舌家は、まことに繊細な別の側面を私に見せた。彼は私よりもさらにさらに精密な理論を、美に関して抱いていた。それを言葉ではなしに、身ぶりや目や、吹き鳴らす尺八の調べや、月光の中へさしだしたその額などで語ったのである。
 私たちは第二層の潮音洞の手摺にもたれていた。ゆるやかに反った深い軒庇のかげのその縁側は、下方から、典雅な八つの天竺様の挿肘木で支えられて、月を宿した池のおもてへ迫り出していた。
 柏木はまず「御所車」という小曲を吹いたが、その巧みさに私はおどろいた。真似て、唇を歌口に当てたものの、音は出なかった。彼は私に教えて、左手を上にした持ち方からはじめ、腮当りへ腮を当てる具合や、歌口にあてがう唇のひらき方、幅の広い薄片のような風をそこへ送るコツなどを、念入りに習得させた。何度試みても音は出なかった。頬にも、目にも力が入って、池に宿る月は、風もないのに、千々に砕けてみえるような気がした。
 疲れ果てた私は、或る瞬間には、柏木がわざわざ私の吃りをからかうために、こういう苦行を強いるのではないかと疑ったりした。しかし徐々に、出ない音を出そうと試みる肉体的な努力は、吃りをおそれて最初の言葉を円滑に出そうとする普段の精神的努力を、浄化するもののように思われてきた。まだ出ぬ音は、この月に照らされた静寂の世界のどこかに、すでに確実に存在しているように思われた。私はさまざまな努力の果てにその音に到達し、その音を目ざめさせさえすればよかったのである。
 いかにしてその音に、柏木が吹き鳴らしたような霊妙な音に到達するか。他でもない熟練がそれを可能にするのであり、美は熟練であり、柏木がその醜い内飜足にもかかわらず澄んだ美しい音色に到達したように、私もただ熟練によってそれに到達できるのだという考えが私を勇気づけた。しかし別な認識も私に生れた。柏木の「御所車」の調べがあんなに美しく聴かれたのは、月のあたら夜の背景もさることながら、彼の醜い内飜足のためではなかったか?
 柏木を深く知るにつれてわかったことだが、彼は永保ちする美がきらいなのであった。たちまち消える音楽とか、数日のうちに枯れる活け花とか、彼の好みはそういうものに限られ、建築や文学を憎んでいた。彼が金閣へやって来たのも、月の照る間の金閣だけを索めて来たのに相違なかった。それにしても音楽の美とは何とふしぎなものだ! 吹奏者が成就するその短かい美は、一定の時間を純粋な持続に変え、確実に繰り返されず、蜉蝣のような短命の生物をさながら、生命そのものの完全な抽象であり、創造である。音楽ほど生命に似たものはなく、同じ美でありながら、金閣ほど生命から遠く、生を侮蔑して見える美もなかった。そして柏木が「御所車」を奏でおわった瞬間に、音楽、この架空の生命は死に、彼の醜い肉体と暗鬱な認識とは、少しも傷つけられず変改されずに、又そこに残っていたのである。
 柏木が美に索めているものは、確実に慰藉ではなかった! 言わず語らずのうちに、私にはそれがわかった。彼は自分の唇が尺八の歌口に吹きこむ息の、しばらくの間、中空に成就する美のあとに、自分の内飜足と暗い認識が、前にもましてありありと新鮮に残ることのほうを愛していたのだ。美の無益さ、美がわが体内をとおりすぎて跡形もないこと、それが絶対に何ものをも変えぬこと、……柏木の愛したのはそれだったのだ。美が私にとってもそのようなものであったとしたら、私の人生はどんなに身軽になっていたことだろう。
 ……柏木の導くままに、何度となく、飽かず私は試みた。顔は充血し、息は迫って来た。そのとき急に私が鳥になり、私の咽喉から鳥の啼声が洩れたかのように、尺八が野太い音の一声をひびかせた。
「それだ」
 と柏木が笑って叫んだ。決して美しい音ではないが、同じ音は次々と出た。そのとき私は、わがものとも思われぬこの神秘な声音から、頭上の金銅の鳳凰の声を夢みていたのである。
 小さな盗みが私を快活にしていた。柏木と結びつくとき、いつもまず私には、小さな背徳や小さな涜聖や小さな悪がもたらされ、それがきまって私を快活にさせるのだが、そういう悪の分量をだんだん増してゆけば、快活さの分量もそれにつれて際限もなく増してゆくものか私にはわからなかった。
 柏木は私の贈物を大そう喜んで享けた。そして下宿の主婦のところへ、水盤や水切りに使うバケツなどを借りに行った。家は平屋で彼の部屋は離れの四畳半であった。
 床の間に立てかけてある彼の尺八をとって、私は唇を歌口にあて、小さな練習曲を吹いてみたが、これは大そう巧く行き、帰ってきた柏木をおどろかせた。しかし今夜の彼は、金閣へ来たときの彼ではなかった。
「尺八だとちっとも吃らないな。俺は吃りの曲をきいてみたいと思って、尺八を教えたんだのに」
 この一言で、われわれは初対面のときと同じ位置に引き戻された。彼が自分の位置を取戻したのである。そこで私も、例のスペイン風の家の令嬢について、気楽にたずねることができた。
「ああ、あの女か。とっくに結婚したよ」と簡単に答えた。「生娘でないことがばれない方法を、俺は痒いところに手が届くようにして教えてやったんだが、相手の花婿が堅物だったから、どうやら旨く行ったらしいや」
 言いながら彼は水にひたした杜若を一本一本とりだして丹念に眺め、鋏を水にさし入れて、水の中で茎を切った。彼の手にとられる杜若の花影は、畳の上に大きく動いた。そして又、突然言った。
「君は『臨済録』の示衆の章にある有名な文句を知ってるか。『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、……』」
 私はあとをつづけた。
「『……羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん』」
「そうだ。あれさ。あの女は羅漢だったんだ」
「それで君は解脱したのか」
「ふん」と柏木は切った杜若の花を揃えて眺めながら言った。「それにはまだ殺し方が足らんさ」
 水が清く湛えられた水盤の内部は銀いろに塗られていた。柏木は剣山の曲ったのを丹念に直した。
 私は手持無沙汰になって喋りつづけた。
「君は『南泉斬猫』の公案を知ってるだろう。老師が終戦のとき、皆を集めてあれの講話をしたんだけど、……」
「『南泉斬猫』か」と柏木は、木賊の長さをしらべて、水盤にあてがってみながら答えた。
「あの公案はね、あれは人の一生に、いろんな風に形を変えて、何度もあらわれるものなんだ。あれは気味のわるい公案だよ。人生の曲り角で会うたびに、同じ公案の、姿も意味も変っているのさ。南泉和尚の斬ったあの猫が曲者だったのさ。あの猫は美しかったのだぜ、君、たとえようもなく美しかったのだ。目は金いろで、毛並はつややかで、その小さな柔らかな体に、この世のあらゆる逸楽と美が、バネのようにたわんで蔵われていた。猫が美の塊まりだったということを、大ていの註釈者は言い落している、この俺を除けばね。ところでその猫は、突然、草のしげみの中から飛び出して、まるでわざとのように、やさしい狡猾な目を光らせて捕われた。それが両堂の争いのもとになった。何故って、美は誰にでも身を委せるが、誰のものでもないからだ。美というものは、そうだ、何と云ったらいいか、虫歯のようなものなんだ。それは舌にさわり、引っかかり、痛み、自分の存在を主張する。とうとう痛みにたえられなくなって、歯医者に抜いてもらう。血まみれの小さな茶いろの汚れた歯を自分の掌にのせてみて、人はこう言わないだろうか。『これか? こんなものだったのか? 俺に痛みを与え、俺にたえずその存在を思いわずらわせ、そうして俺の内部に頑固に根を張っていたものは、今では死んだ物質にすぎぬ。しかしあれとこれとは本当に同じものだろうか? もしこれがもともと俺の外部存在であったのなら、どうして、いかなる因縁によって、俺の内部に結びつき、俺の痛みの根源になりえたのか?こいつの存在の根拠は何か? その根拠は俺の内部にあったのか? それともそれ自体にあったのか? それにしても、俺から抜きとられて俺の掌の上にあるこいつは、これは絶対に別物だ。断じてあれじゃあない』
 いいかね。美というものはそういうものなのだ。だから猫を斬ったことは、あたかも痛む虫歯を抜き、美を剔抉したように見えるが、さてそれが最後の解決であったかどうかわからない。美の根は絶たれず、たとい猫は死んでも、猫の美しさは死んでいないかもしれないからだ。そこでこんな解決の安易さを諷して、趙州はその頭に履をのせた。彼はいわば、虫歯の痛みを耐えるほかに、この解決がないことを知っていたんだ」
 解釈はいかにも柏木一流のものであったが、それは多分に私にかこつけ、私の内心を見抜いて、その無解決を諷しているように思われた。私ははじめて柏木を本当に怖れた。黙っていることが可怕かったので、さらにたずねた。
「君はそれでどっちなんだ。南泉和尚かい。それとも趙州かい」
「さあ、どっちかね。今のところは、俺が南泉で、君が趙州だが、いつの日か、君が南泉になり、俺が趙州になるかもしれない。この公案はまさに、『猫の目のように』変るからね」
 さて、こんな話をしつつも、柏木の手は微妙に動いて、錆びた小さな剣山を水盤の中に並べ、天に当る木賊をそれに挿し並べてから、三枚組の葉組を整えた杜若をこれに配して、次第に観水活けの形を作って行った。洗い込まれた白や褐色の細かい清らかな玉砂利も、仕上げを待って水盤のかたわらに積まれていた。
 彼の手の動きは見事という他はなかった。小さな決断がつぎつぎと下され、対比や均整の効果が的確に集中してゆき、自然の植物は一定の旋律のもとに、見るもあざやかに人工の秩序の裡へ移された。あるがままの花や葉は、たちまち、あるべき花や葉に変貌し、その木賊や杜若は、同種の植物の無名の一株一株ではなくなって、木賊の本質、杜若の本質ともいうべきものの、簡潔きわまる直叙的なあらわれになった。
 しかし彼の手の動きには残酷なものがあった。植物に対して、彼は不快な暗い特権を持っているように振舞った。それかあらぬか鋏の音がして茎が切られるたびに、私は血のしたたりを見るような気がしたのである。
 観水活けの盛花は出来上った。水盤の右端に、木賊の直線と杜若の葉のいさぎよい曲線がまじわり、花のひとつは花咲き、他の二つはほぐれかけた蕾であった。それが小さな床の間にほとんど一杯に置かれると、水盤の水の投影は静まり、剣山を隠した玉砂利は、いかにも明澄な水ぎわの風情を示した。
「見事なもんだな。どこで習ったの」
 と私が訊いた。
「近所の生花の女師匠だよ。もうじき、彼女はここへやって来るだろう。附合いながら、俺は生花を習っていて、こんな風に一人で活けられるようになったら、俺はもう飽きが来たんだ。まだ若いきれいな師匠だよ。何でも、戦争中、軍人と出来ていて、子供は死産だったし、軍人は戦死するし、その後は男道楽がやまないのだ。小金をもってる女で、生花は道楽に教えているらしい。何だったら、今夜、君がどこかへ連れて行ってもいいよ。どこへでも彼女は行くだろう」

 ……このとき私を襲った感動は錯乱していた。南禅寺の山門の上からその人を見たとき、私のかたわらには鶴川がいたが、三年後の今日、その人は柏木の目を媒介として、私の前に現われる筈なのである。その人の悲劇はかつて明るい神秘の目で見られたが、今はまた、何も信じない暗い目で覗かれている。そして確実なことは、あの時の白い昼月のような遠い乳房には、すでに柏木の手が触れ、あの時華美な振袖に包まれていた膝には、すでに柏木の内飜足が触れたということだ。確実なのはその人がすでに、柏木によって、つまり認識によって汚されているということだ。
 この思いはいたく私を悩まし、その場に居たたまれぬ気持にさせた。しかしなお好奇心が私を引き止めていた。有為子の生れかわりとさえ思われたその人が、今、不具者の学生に捨てられた女として、姿を現わすのは待ち遠しかった。いつか私は柏木に加担して、自分の思い出をわれとわが手で汚すかのような錯覚の喜びに涵った。

 ……さて女がやって来ると、私の心には何も波立たなかった。今も私はありありと憶えている。その心もちかすれた声、その大そう行儀のよい起居と行儀のよい言葉づかい、それにもかかわらず目に閃めく荒々しい色、私を憚りながら柏木にむかって言う喞ち言、……そのときはじめて、柏木が今夜私を呼んだ理由がわかったのだが、彼は私を防壁に使おうと思ったのである。
 女は私の幻影と何のつながりもなかった。それは全くはじめて見る別の個体の印象にとどまった。行儀のよい言葉づかいのまま次第に取乱して、女もまた、私のことなど見ていはしなかった。
 とうとう自分のみじめさに耐えられなくなった女は、柏木の心を飜えそうとする努力から、しばらく立退いていようと思ったらしい。今度は突然落着きを装い、せまい下宿の一室を見まわした。床の間に大々と置かれた盛花に、女は三十分も居て、はじめて気づいたらしかった。
「結構なお観水どすな。ほんまによう活けてはる」
 この言葉を待っていた柏木は、止めを刺した。
「巧いでしょう。このとおり、もう、あんたに教わることは何もないんだよ。もう用はないんだよ、本当に」
 私は柏木のこの切口上で、女が顔色を変えたのを見て目を外らした。女はやや笑ったようだったが、そのまま行儀よく膝行して床の間に近づいた。私は女の声をきいた。
「何や、こんな花! 何やね、こんなん!」
 そして水が飛び散り、木賊が倒れ、花ひらいた杜若は引き裂かれ、私が盗みを犯して採った花々は、狼藉たるさまになった。私は思わず立上ったが、なすすべを知らずに、窓硝子に背を押しあてていた。柏木が女の細い手首をつかむのが見えた。それから、女の髪をつかみ、平手打ちを頬にくれるのが見えた。そういう柏木の荒々しい一聯の動作は、実に先程、活け花をしていて葉や茎を鋏で切っているときの、静かな残忍さと寸分ちがわず、そのままの延長のように思われた。
 女は両手で顔を覆うて、部屋を駈けて出た。
 柏木はというと、立ちすくんだままの私の顔を見上げて、異様に子供っぽい微笑をうかべて、こう言った。
「さあ、追っかけて行くんだ。慰めてやるんだ。さあ、早く」
 その柏木の言葉の威力に押されたのか、それとも本心から女に同情したのか、そこのところは我ながら曖昧だったが、ともかく私の足はすぐ動きだして女を追った。下宿から二三軒さきで追いついた。
 そこは烏丸車庫裏の板倉町の一劃であった。曇った夜空を車庫へ入る電車の反響がとよもし、スパークのうす紫の光りが隈取った。女は板倉町から東へ抜け、裏道づたいに上った。泣きながら歩いている女に、私は黙って雁行したが、やがて気づいて、私に寄り添うてきた。そして涙のために尚更かすれた声で、しかも行儀のよすぎる言葉づかいは崩さずに、永々と柏木の非行を愬えた。
 私たちはどれだけ歩いたことだろう!
 私の耳もとで縷々と述べ立てられている柏木の非行、その悪どい卑劣な細目、それらはすべてただ「人生」という言葉を私の耳にひびかすだけだった。彼の残忍性、計画的な遣口、裏切り、冷酷、女から金をせびりとるさまざまな手、それらはただ彼の言いがたい魅力を解説しているにすぎなかった。そして私は彼の内飜足に対する彼自身の誠実さを信じていればよかったのである。
 鶴川の急死このかた、生そのものに触れずにいた私は久々で、別個の、もっと薄命でない暗い生、その代り生きつつある限り他人を傷つけてやまない生の動きに触れて鼓舞された。彼の「殺し方が足らんさ」という簡潔な言葉は、よみがえって私の耳を搏った。そして私の心に思い起されるのは、終戦のとき不動山頂で京都市街のおびただしい灯にむかって、こめた祈願のあらまし、あの「私の心の暗黒が、無数の灯を包む夜の暗黒と等しくなりますように」という祈りの文句であった。
 女は自分の家へ向って行くのではなかった。話のために、人通りのすくない裏路ばかりを辿って、当てもなく歩いた。そこでようよう女の一人暮しの住居の前まで来たとき、そこがどのへんの町角なのか私にはわからなくなった。
 すでに十時半であったので、別れて寺へ帰ろうとしたが、女が強いて引止めるままに上った。
 先に立って、女は明りをつけて、いきなりこう言った。
「あんた、人を呪わはって、死んだらええと思いやしたこと、あるのん」
 言下に私は「ある」と答えた。おかしなことに、その時まで忘れていたのだが、私の恥の立会人であるあの下宿の娘の死を、明らかに私はねがっていたのだ。
「こわいこと。うちもやわ」
 女は崩折れて、畳の上に横坐りに坐った。部屋の電燈は多分百ワットで、電力制限のころに珍らしい明るさであり、柏木の下宿の電燈に比べると、三倍の光度であった。女の体ははじめてあかあかと照らし出された。白博多の名古屋帯が鮮明に白く、友禅の着物の藤棚霞の紫が浮き上った。
 南禅寺の山門から天授庵の客間までは、鳥でなければ飛べぬ距離があったが、数年の時をかけて私は徐々にその距離を近づき、今ようやくそこに達したような心地がした。あのときから微細に時を刻んで、私は天授庵の神秘な情景の意味するものへ、確実に近づいて来たのだった。そうあらねばならぬ、と私は考えた。遠い星の光りが届くときには、すでにこの地上の相貌が変っているように、女が変質してしまっていることは余儀なかった。そして南禅寺の山門の上から見たとき、私と女とが、今日を予定して結ばれていたならば、そんな変貌などは、わずかの修正で旧に復し、再びあのときの私とあのときの女とが相見ることができると考えられた。
 そこで私は語った。息せき切って、吃りながら語った。あのときの若葉が蘇り、五鳳楼の天井画の天人や鳳凰が蘇った。女の頬にはいきいきと血の気がさし、その目には荒々しい光りの代りに、定めない乱れた光りが宿った。
「そうやったの。いやァ、そうやったの。何ていう奇縁どっしゃろ。奇縁てこんなことやわ」
 今度は女の目は昂ぶった喜びの涙に充ちた。今しがたの屈辱を忘れて、思い出の中へ逆様に身を投げ、同じままの昂奮のつづきを別の昂奮に移し変えて、ほとんど狂気のようになった。藤棚霞の裾は乱れていた。
「もうお乳も出えへんわ。ああ、可哀想なやや子! お乳は出えへんけど、あんたに、あの通りにして見せたげる。あのときから、うちを好いててくれはったんやもん、今、うち、あんたをあの人と思いますわ。あの人と思うたら、恥かしいことあらへん。ほんまにあの通りにして見せたげる」
 決断を下す口調で言ってから女のしたことは、狂喜のあまりとも見え、また、絶望のあまりとも見えた。おそらく意識の上には狂喜だけがあって、その烈しい行為を促した本当の力は、柏木の与えた絶望、もしくは絶望の粘り強い後味だったと思われる。
 かくて私は、目の前で帯揚げが解かれ、多くの紐が解かれ、帯が絹の叫びをあげて解かれるのを見た。女の衿は崩れた。白い胸がほのみえるところから、女の手は左の乳房を掻き出して、私の前に示した。

 私に或る種の眩暈がなかったと云っては嘘になろう。私は見ていた。詳さに見た。しかし私は証人となるに止まった。あの山門の楼上から、遠い神秘な白い一点に見えたものは、このような一定の質量を持った肉ではなかった。あの印象があまりに永く醗酵したために、目前の乳房は、肉そのものであり、一個の物質にしかすぎなくなった。しかもそれは何事かを愬えかけ、誘いかける肉ではなかった。存在の味気ない証拠であり、生の全体から切り離されて、ただそこに露呈されてあるものであった。
 まだ私は嘘をつこうとしている。そうだ。眩暈に見舞われたことはたしかだった。だが私の目はあまりにも詳さに見、乳房が女の乳房であることを通りすぎて、次第に無意味な断片に変貌するまでの、逐一を見てしまった。
 ……ふしぎはそれからである。何故ならこうしたいたましい経過の果てに、ようやくそれが私の目に美しく見えだしたのである。美の不毛の不感の性質がそれに賦与されて、乳房は私の目の前にありながら、徐々にそれ自体の原理の裡にとじこもった。薔薇が薔薇の原理にとじこもるように。
 私には美は遅く来る。人よりも遅く、人が美と官能とを同時に見出すところよりも、はるかに後から来る。みるみる乳房は全体との聯関を取戻し、……肉を乗り超え、……不感のしかし不朽の物質になり、永遠につながるものになった。
 私の言おうとしていることを察してもらいたい。又そこに金閣が出現した。というよりは、乳房が金閣に変貌したのである。
 私は初秋の宿直の、台風の夜を思い出した。たとえ月に照らされていても、夜の金閣の内部には、あの蔀の内側、板唐戸の内側、剥げた金箔捺しの天井の下には、重い豪奢な闇が澱んでいた。それは当然だった。何故なら金閣そのものが、丹念に構築され造型された虚無に他ならなかったから。そのように、目前の乳房も、おもては明るく肉の耀きを放ってこそおれ、内部はおなじ闇でつまっていた。その実質は、おなじ重い豪奢な闇なのであった。
 私は決して認識に酔うていたのではない。認識はむしろ踏み躙られ、侮蔑されていた。生や欲望は無論のこと!……しかし深い恍惚感は私を去らず、しばらく痺れたように、私はその露わな乳房と対坐していた。
 …………………………。
 こうして又しても私は、乳房を懐ろへ蔵う女の、冷め果てた蔑みの眼差に会った。私は暇を乞うた。玄関まで送って来た女は、私のうしろに音高くその格子戸を閉めた。

 ――寺へかえるまで、なお私は恍惚の裡にあった。心には乳房と金閣とが、かわるがわる去来した。無力な幸福感が私を充たしていた。
 しかし風にさわぐ黒い松林のかなた、鹿苑寺の総門が見えて来たとき、私の心は徐々に冷え、無力は立ちまさり、酔い心地は嫌悪に変り、何ものへとも知れぬ憎しみがつのった。
「又もや私は人生から隔てられた!」と独言した。「又してもだ。金閣はどうして私を護ろうとする? 頼みもしないのに、どうして私を人生から隔てようとする? なるほど金閣は、私を堕地獄から救っているのかもしれない。そうすることによって金閣は私を、地獄に堕ちた人間よりもっと悪い者、『誰よりも地獄の消息に通じた男』にしてくれたのだ」
 総門は黒く静まっていた。朝鳴鐘のときに消燈される耳門のあかりが仄かにともっていた。私は耳門の戸を押した。内側で、錘りを吊り上げる古い錆びた鉄鎖の音がして、その戸はあいた。
 門番はすでに寐んでいた。耳門の内側には、午後十時以後は、最後の帰山者が戸締りをする旨の内規が貼られ、まだ表へ返されていない名札が二枚あった。一枚は老師の名札であり、一枚は年老いた庭男の札であった。
 歩くほどに、右側の作事場に横たえられている五米にあまる数本の材木が、夜目にも明るい木の色を見せていた。近づくと、こまかい黄いろい花が散り敷いたように、大鋸屑が落ちちらばり、闇のなかにあでやかな木の香が漂っていた。作事場の外れの車井戸のわきから、庫裡へ行こうとして、私は立戻った。
 床へ入る前に、今一度金閣に会わねばならぬ。眠りに静まっている鹿苑寺本堂をあとに、唐門の前をとおって、私は金閣への道を辿った。
 金閣が見えはじめた。木立のざわめきに囲まれて、それは夜のなかで、身じろぎもせず、しかし決して眠らずに立っていた。夜そのものの護衛のように。……そうだ、私は寝静まった寺のように金閣が眠っているのを見たことがない。人の住まぬこの建築は、眠りを忘れることができた。そこに住んでいる闇は人間的法則を完全に免かれていたのである。
 ほとんど呪詛に近い調子で、私は金閣にむかって、生れてはじめて次のように荒々しく呼びかけた。
「いつかきっとお前を支配してやる。二度と私の邪魔をしに来ないように、いつかは必ずお前をわがものにしてやるぞ」
 声はうつろに深夜の鏡湖池に谺した。
 総じて私の体験には一種の暗合がはたらき、鏡の廊下のように一つの影像は無限の奥までつづいて、新たに会う事物にも過去に見た事物の影がはっきりと射し、こうした相似にみちびかれてしらずしらず廊下の奥、底知れぬ奥の間へ、踏み込んで行くような心地がしていた。運命というものに、われわれは突如としてぶつかるのではない。のちに死刑になるべき男は、日頃ゆく道筋の電柱や踏切にも、たえず刑架の幻をえがいて、その幻に親しんでいる筈だ。
 従って又私の体験には、積み重ねというものがなかった。積み重ねて地層をなし、山の形を作るような厚みがなかった。金閣を除いて、あらゆる事物に親しみを持たない私は、自分の体験に対しても格別の親しみを抱いていなかった。ただそれらの体験のうちから、暗い時間の海に呑み込まれてしまわぬ部分、無意味のはてしれぬ繰り返しに陥没してしまわぬ部分、そういう小部分の連鎖から成る或る忌わしい不吉な絵が、形づくられつつあるのがわかった。
 するとその一つ一つの小部分とは何だろう。時折私はそれを考えた。しかしそれらの光っているばらばらな断片は、道ばたに光るビール罎の破片よりも、もっと意味を欠き、法則性を欠いていたのである。
 と云って、これら断片を、過去に嘗て形づくられていた美しい完全な形姿の、落ち崩れた破片だと考えることはできなかった。それらは無意味のうちに、法則性の完全な欠如のもとに、世にもぶざまな姿で打ち捨てられながら、おのがじし未来を夢みているように見えたからだ。破片の分際で、おそれげもなく、無気味に、沈静に、……未来を! 決して快癒や恢復ではないところの、手つかずの、まさに前代未聞の未来を!
 こんな不明瞭な省察が、この私にも、われながら似合わないと思う一種の抒情的昂奮を与えてくれることがあった。そういう時には、折よく月の夜であったりすると、尺八を携えて、金閣のほとりへ行って吹いた。今ではかつて柏木の奏でた「御所車」の曲も、譜面を見ずに吹けるようになっていた。
 音楽は夢に似ている。と同時に、夢とは反対のもの、一段とたしかな覚醒の状態にも似ている。音楽はそのどちらだろうか、と私は考えた。とまれ音楽は、この二つの反対のものを、時には逆転させるような力を備えていた。そして自ら奏でる「御所車」の曲の調べに、時たま私はやすやすと化身した。私の精神は音楽に化身するたのしみを知った。柏木とちがって、音楽は私にとって確実に慰藉だったのだ。
 ……尺八を吹き終って、いつも私は思ったが、金閣はどうしてこのような私の化身を、咎めたり邪魔したりしないで、黙過してくれるのだろうか? 他方、人生の幸福や快楽に私が化身しようとするとき、金閣は一度でも見のがしてくれたことがあったか? 忽ち私の化身を遮り、私を私自身に立ちかえらすのが、金閣の流儀ではなかったか? なぜ音楽に限って、金閣は私の酩酊と忘我を許すのか?
 ……こう思うと、金閣がゆるしているというそのことだけで、音楽の魅力は薄れた。なぜなら、金閣が黙認している以上、音楽はいかに生に似通って見えても贋物の架空の生でしかなく、たとえそれに私が化身しようと、その化身はかりそめのものでしかなかったからである。

 私が女と人生への二度の挫折以来、諦らめて引込思案になってしまったなどと思わないでもらいたい。昭和二十三年の年の暮まで、幾度かそのような機会があり、柏木の手引きもあって、私はひるまずに事に当った。しかしいつも結果は同じであった。
 女と私との間、人生と私との間に金閣が立ちあらわれる。すると私の掴もうとして手をふれるものは忽ち灰になり、展望は沙漠と化してしまうのであった。
 あるとき私は、庫裡の裏の畑で作務にたずさわっていた手すきに、小輪の黄いろい夏菊の花を、蜂がおとなうさまを見ていたことがある。光りの遍満のうちを金いろの羽を鳴らして飛んできた蜜蜂は、数多い夏菊の花から一つを選んで、その前でしばらくたゆとうた。
 私は蜂の目になって見ようとした。菊は一点の瑕瑾もない黄いろい端正な花弁をひろげていた。それは正に小さな金閣のように美しく、金閣のように完全だったが、決して金閣に変貌することはなく、夏菊の花の一輪にとどまっていた。そうだ、それは確乎たる菊、一個の花、何ら形而上的なものの暗示を含まぬ一つの形態にとどまっていた。それはこのように存在の節度を保つことにより、溢れるばかりの魅惑を放ち、蜜蜂の欲望にふさわしいものになっていた。形のない、飛翔し、流れ、力動する欲望の前に、こうして対象としての形態に身をひそめて息づいていることは、何という神秘だろう! 形態は徐々に稀薄になり、破られそうになり、おののき顫えている。それもその筈、菊の端正な形態は、蜜蜂の欲望をなぞって作られたものであり、その美しさ自体が、予感に向って花ひらいたものなのだから、今こそは、生の中で形態の意味がかがやく瞬間なのだ。形こそは、形のない流動する生の鋳型であり、同時に、形のない生の飛翔は、この世のあらゆる形態の鋳型なのだ。……蜜蜂はかくて花の奥深く突き進み、花粉にまみれ、酩酊に身を沈めた。蜜蜂を迎え入れた夏菊の花が、それ自身、黄いろい豪奢な鎧を着けた蜂のようになって、今にも茎を離れて飛び翔とうとするかのように、はげしく身をゆすぶるのを私は見た。
 私はほとんど光りと、光りの下に行われているこの営みとに眩暈を感じた。ふとして、又、蜂の目を離れて私の目に還ったとき、これを眺めている私の目が、丁度金閣の目の位置にあるのを思った。それはこうである。私が蜂の目であることをやめて私の目に還ったように、生が私に迫ってくる刹那、私は私の目であることをやめて、金閣の目をわがものにしてしまう。そのとき正に、私と生との間に金閣が現われるのだ、と。
 ……私は私の目に還った。蜂と夏菊とは茫漠たる物の世界に、ただいわば「配列されている」にとどまった。蜜蜂の飛翔や花の揺動は、風のそよぎと何ら変りがなかった。この静止した凍った世界ではすべてが同格であり、あれほど魅惑を放っていた形態は死に絶えた。菊はその形態によってではなく、われわれが漠然と呼んでいる「菊」という名によって、約束によって美しいにすぎなかった。私は蜂ではなかったから菊に誘われもせず、私は菊ではなかったから蜂に慕われもしなかった。あらゆる形態と生の流動との、あのような親和は消えた。世界は相対性の中へ打ち捨てられ、時間だけが動いていたのである。
 永遠の、絶対的な金閣が出現し、私の目がその金閣の目に成り変るとき、世界はこのように変貌することを、そしてその変貌した世界では、金閣だけが形態を保持し、美を占有し、その余のものを砂塵に帰してしまうことを、これ以上冗くは言うまい。例の娼婦を金閣の庭に踏んで以来、又鶴川の急死このかた、私の心は次の問をくりかえした。『それにしても、悪は可能であろうか?』
 昭和二十四年の正月のことである。
 土曜の除策(それは警策を除く意味で、こう云うのである)を幸い、三番館ぐらいの安い映画館で映画を見てのかえるさ、私は久々に新京極をひとりで歩いた。その雑沓の中で、よく見知った顔に行き当ったが、それが誰だか思い出されぬうちに、顔は人波に押し流されて私の背後に紛れてしまった。
 その人はソフトをかぶり、上等な外套とマフラーを身につけて、明らかに芸妓とわかる銹朱いろのコートの女と連れ立って歩いていた。桃いろのふくよかな男の顔、普通の中年紳士にはたえて見られぬ異様な赤ん坊のような清潔感、長めの鼻、……他ならぬ老師その人の顔の特徴を、ソフトが殺しているのだ。
 私の側には何も疚しいことはなかったのに、むしろ私は、私が見られたのを惧れていた。何故なら老師の微行の目撃者になり、証人になり、老師と無言のうちに信頼や不信の関わり合いを結ぶことを、咄嗟の間に避けたい気持が起ったからだ。
 そのとき一疋の黒い犬が、正月の夜の雑沓にまぎれて歩いていた。この黒い尨犬は、こうした人ごみを行き馴れているとみえ、華美な女のコートの間に軍隊外套もまじる行人の足もとを、巧みにすり抜けてあちこちの店先に立ち寄った。犬は聖護院八ツ橋の昔にかわらぬ土産物の店の前で匂いを嗅いだ。店のあかりのために犬の顔がはじめて見えたが、片目が潰え、潰えた目尻に固まった目脂と血が瑪瑙のようである。無事なほうの目は直下の地面を見ている。尨毛の背のところどころが引きつって、それらの硬ばった毛の束が際立っている。
 何故犬が私の関心を惹いたのか知らない。多分この明るい繁華な町並とはまるで別の世界を、犬が頑なに裡に抱いて、さまよっているのに惹かれたのかもしれない。嗅覚だけの暗い世界を犬は歩いており、それは人間どもの町と二重になって、むしろ燈火やレコードの唄声や笑い声は、執拗な暗い匂いのために脅やかされていた。なぜなら匂いの秩序はもっと確実であり、犬の湿った足もとにまつわる尿の匂いは、人間どもの内臓や器官の放つ微かな悪臭と、確実に繋がっていたからだ。
 大そう寒かった。闇屋風の若者たちが二三人、松の内を過ぎてまだ取り払われずにいる門松の葉をむしって通った。かれらは新らしい革手袋の掌をひろげて競い合った。一人の掌にはわずか数本の松葉が、一人の掌には小さな一枝がまるごと残っていた。闇屋たちは笑いながら行きすぎた。
 さて、私はいつのまにか犬に導かれていた。犬は見失われるかと思うと又現われた。河原町通へ抜ける道を曲った。私はこうして新京極よりもいくらか暗い電車通りの歩道へ出た。犬の姿は消えた。立止った私はと見こう見した。車道のきわまで出て、犬のゆくえを目でたずねていた。
 そのときつやつやした車体のハイヤーが目の前にとまった。ドアがあけられ、女が先に乗り込んだ。私は思わずそのほうを見た。女につづいて乗ろうとした男は、ふと私のほうに注意して、そこに立ちすくんだ。
 それは老師であった。どうして先刻私とすれちがった老師が、女と共に一巡して、又私にめぐり会う羽目になったのかわからない。ともかくそれは老師であり、先に車へ乗った女のコートの銹朱いろも、先程見た色の記憶が残っていた。
 今度は私も避けるわけに行かなくなった。しかし動顛して、口から言葉が出ない。声を発しないうちから、吃音が口の中で煮立っている。とうとう私は自分でも思いがけない表情をした。というのは、何らその場との繋がりなしに、老師に向って笑いかけたのである。
 こんな笑いを説き明かすことはできない。笑いは外部から来て、突然私の口もとに貼りついたかのようだった。だが、私の笑いを見た老師は顔色を変えた。
「馬鹿者! わしを追跡ける気か」
 そう叱咤して、忽ち老師は私を尻目に車へ乗り、ドアは音高く閉められ、ハイヤーは走り去った。先程新京極で会った折も老師はたしかに私に気づいていたということが、そのとき突然はっきりした。
 この晴れの焼香の儀式を見ながら、もし私が鹿苑寺を嗣いで、このような嗣香にたずさわるとき、慣例どおり老師の名を告げるだろうかと思い迷った。七百年の慣例をやぶって、私は別の名を告げるかもしれなかった。早春の午後の方丈の冷ややかさ、立ちこめる五種香のかおり、三具足の奥にきらめく瓔珞や本尊の背をかこむきらびやかな光背のさま、居並ぶ僧たちの袈裟の色彩、……もしいつの日か私がそこで嗣法の香を焚けば、と私は夢想した。新命の住持の姿にわが姿を思い描いた。
 ……そのときこそ、私は早春の凜烈な大気に鼓舞されて、世にも晴れやかな裏切りでこの慣習を踏みにじるだろう。座に列なる僧は、おどろきのあまり口もきけず、怒りのために蒼ざめるだろう。私は老師の名を口にしようとしない。私は別の名を言う。……別の名を? しかし私の本当の省悟の師は誰だろう。本当の嗣法の師は誰だろう。私は口ごもる。その別の名は、吃音に阻まれて容易に出ない。私は吃るだろう。吃りながら、その別の名を、「美」と言いかけたり、「虚無」と言いかけたりするだろう。すると満座の笑いが起り、笑いの中に、私はぶざまに立ちすくむだろう。……
 私はいつまでつづくか知れぬ老師の無言の放任に耐えなかった。私に何らかの人間的な感情があれば、それに対応する感情を相手から期待していけないという法はない。愛であれ憎しみであれ。
 折ある毎に老師の顔色を伺うのが、私の情ない習慣になったが、そこには特別の感情は何一つ浮んで来なかった。その無表情は冷やかさですらなかった。もしその無表情が侮蔑を意味しているとしても、この侮蔑は私個人に向けられたものではなく、もっと普遍的なもの、たとえば人間性一般とかさまざまな抽象概念とかに向けられたものと同じであった。
 私はそのころから、強いて老師の動物的な頭の恰好や、肉体的なみっともなさを思い浮べることにしていた。彼の排便の姿を想像し、更には、あの銹朱のコートの女と寝ている姿態を想像した。彼の無表情がほどけ、快感にだらけた顔が笑いとも苦痛ともつかぬ表情をうかべるところを空想したのである。
 つやつやした柔らかい肉が、同じようにつやつやして柔らかい女の肉と融け合って、ほとんど見わけのつかなくなる有様。老師の腹のふくらみが、女のふくらんだ腹と押し合う有様。……しかしふしぎなことに、どんなに想像を逞ましくしても、老師の無表情はただちに排便や性交の動物的な表情につながってゆき、その間を埋めるものがなかった。日常のこまかい感情の色合が虹のようにその間をつなぐのではなくて、一つは一つに、極端から極端へと変貌した。わずかにその間をつなぐもの、わずかに手がかりを与えてくれるものと云っては、あの一瞬の可成卑しい叱咤、「馬鹿者! わしをつける気か」があるばかりであった。
 思いあぐね、待ちあぐねた末、私はただ一つ老師の憎悪の顔をはっきりつかみたいという、抜きがたい欲求の虜になった。その結果思いついた次のような術策は、気違いじみてもおり、子供っぽくもあり、第一明らかに私に不利をもたらすものであったが、私はもう自分を制することができなかった。そんな悪戯が、老師の誤解を進んで裏書することになるという不利をさえ、かえりみなかったのである。
 自室に坐って、学校へゆくまでのその間、鼓動のいよいよ高まるのに任せながら、私はこうまで希望を以て何事かを待ったことはない。老師の憎しみを期待してやった仕業であるのに、私の心は人間と人間とが理解し合う劇的な熱情に溢れた場面をさえ夢みていた。
 老師は突然私の部屋へ来て、私をゆるすかもしれなかった。ゆるされた私は、生れてはじめて、鶴川の日常がそうであったような、あの無垢の明るい感情に到達するかもしれなかった。老師と私はおそらく抱き合い、お互いの理解の遅かったのを嘆くことだけが、あとに残されるに相違なかった。
 短かい間にもせよ、何故私がこんなたわけた空想に熱中したか、説明することができない。冷静に考えれば、つまらぬ愚行のおかげで老師を怒らせ、後継住職の候補から私の名を抹殺させ、ひいては金閣の主になる望みを永久に失うことになる糸口を自分でつけながら、私はそのとき金閣への永い執着をすら忘れていた。
 私はひたすら大書院の老師の居間のほうへ聴耳を立てた。何の音もきこえて来なかった。
 今度は老師の荒々しい怒りを、雷のような大喝を待った。殴打され、蹴倒され、血を流す羽目になっても悔いないだろうと私は思った。
 しかし大書院のほうはひっそりして、何の物音も近づいて来なかった。……
 風のさわがしい日であった。学校からかえって、何気なしに机の抽斗をあけた私は、白い紙に包まれたものを見た。包んであったのは、例の写真である。包み紙には一字も書かれていなかった。
 老師はこんな方法で事件に結着をつけたつもりらしかった。はっきりと不問に附したわけではないが、私に行為の無効を思い知らせたつもりらしかった。しかし写真のこの奇妙な返し方は、俄かに群がる想像を私に与えた。
『老師もやっぱり苦しんだにちがいない』と私は思った。『並々ならぬ思い煩いの果てに、こんな手を考え出したのにちがいない。今や確かに彼は私を憎んでいる。多分写真そのものについて憎んでいるのではなく、こんな一葉の写真が老師をして、自分の寺の中で人目を忍ぶ思いをさせ、人のいない隙に忍び足で廊下を歩かせ、行ったこともない徒弟の部屋を訪れさせ、まるで犯罪を犯すように私の机の抽斗をあけさせたこと、まさにそんな卑しい恰好をせねばならなかったことで、老師は今十分に私を憎む理由を得たのだ』
 そう思いつくと私の胸には、突然、得体のしれない喜びが迸った。それから私は愉しい作業に従事した。
 女の写真を鋏で細かく切り刻み、ノオトの丈夫な紙で二重に包んで、これを握りしめて金閣のほとりへ行ったのである。
 金閣は風のさわぐ月の夜空の下に、いつにかわらぬ暗鬱な均衡を湛えて聳えていた。林立する細身の柱が月光をうけるときには、それが琴の絃のように見え、金閣が巨きな異様な楽器のように見えることがある。月の高低によってそう見えるのだが、今夜がまさにそうであった。しかし風は決して鳴らない琴の、絃の隙をむなしく吹き過ぎた。
 私は足もとの小石をひろった。紙に小石を包み入れ、堅固に絞った。こうして細かく刻まれ錘差りをつけられた女の顔の断片を、鏡湖池の池心へ投げ入れた。のびやかにひろがる波紋は、水際の私の足もとへやがて届いた。
 その年の十一月の私の突然の出奔は、すべてこれらのことが累積した結果であった。
 後から思うと、突然に見えるこの出奔にも永い熟慮とためらいの時期があったが、私はそれを出しぬけの衝動にかられてやった行為だと考えるほうを好む。何か私の内に根本的に衝動が欠けているので、私は衝動の模倣をとりわけ好む。たとえば、父親の墓参りに行こうとして、前の晩から計画を立てていた男が、当日になって家を出て、駅の前まで来たときに、突然思い返して呑み友達の家へ行ってしまうというような場合、彼を純粋に衝動的な男だと云えようか? 彼のその突然の心変りは、それまでの永い墓参の準備よりももっと意識的な、自分の意志に対する復讐の行為ではあるまいか?
 私の出奔の直接の動機は、その前日、老師がはじめて、決然たる口調で、
「お前をゆくゆくは後継にしようと心づもりしていたこともあったが、今ははっきりそういう気持がないことを言うて置く」
 と明言したその言葉に懸っていたが、宣告されたのはこれが最初とはいえ、私はずっと前からこの宣告を予感し、覚悟していた筈である。私は寝耳に水の宣告をうけたのではない。それに今更仰天し、狼狽したわけではない。にもかかわらず、私は自分の出奔が、老師のこの言葉に触発され、衝動によって行われたと考えるほうを好む。
 写真の術策で老師の憎しみを確かめ得てから、目に見えて私は学業をおろそかにしはじめていた。予科一年の成績は、華語、歴史の八十四点を筆頭に、総点七百四十八点で、席次は八十四人中二十四番である。欠席は四百六十四時間中、十四時間を数えるにすぎない。予科二年の成績は総点数六百九十三点で、席次は七十七人中三十五番に落ちた。しかし私が暇つぶしの金もないのに、ただ講義に出ないという閑暇のたのしみのためにだけ学校を怠けだしたのは、三年になってからであり、この新学期は、あたかも写真の事件のすぐあとではじまったのである。
 第一学期がおわったとき、学校から注意があり、老師は私を叱責した。成績がわるく、欠席時間の多いことも叱責の理由であったが、一学期にわずか三日間が充てられている接心を怠ったことが、老師をいたく怒らせた。学校の接心は、夏休みと冬休みと春休みの前に各?三日ずつあり、諸事専門道場と同じ型式で行われるのであった。
 この叱責は老師が殊更私を自室に招いた稀な機会だった。私はただうなだれて、無言でいた。ひそかに心待ちしていたことは一つであるのに、老師は写真の件にも、遡って娼婦の強請の件にも一言も触れなかった。
 しかしこのときから老師の態度は、私に対して目立ってよそよそしくなった。いわばそれは私の望んだ成行であり、私の見ようと希っていた証跡であり、一種の私の勝利であったが、しかもこれを獲るためには怠けるだけで足りたのである。
 三年の一学期間の私の欠席時間は、六十数時間に及んでいたが、これは一年の三学期をあわせた欠席時間のほぼ五倍である。それほどの時間を、本を読むでもなし、娯しみに費う金もなく、時たま柏木と話すほかには、私は一人で何もせずにいた。大谷大学の記憶が無為の記憶と頒ちがたくなったほど、黙りこくって、一人で何もせずにいた。こんな無為も私流の一種の接心であったのか、そうしているあいだ、私は片時も退屈を知らなかった。
 草に坐って、数時間も、こまかい赤土を運ぶ蟻の巣の営みを眺めていたこともある。蟻が私の興味を惹いたのではない。学校の裏手の工場の煙突があげる薄い煙を、永いこと見呆けていたこともある。煙が私の感興をそそったのではない。……私は自分という存在に首までどっぷり浸っているような気がした。外界のところどころが冷え、また熱していた。そうだ、何と云ったらいいか、外界が斑らをなし、又、縞目をなしていた。自分の内部と外界とが不規則にゆるやかに交代し、まわりの無意味な風景が私の目に映るままに、風景は私の中へ闖入し、しかも闖入しない部分が彼方に溌溂と煌めいていた。その煌めいているものは、ある時は工場の旗であったり、塀のつまらない汚点であったり、草間に捨てられた古下駄の片方であったりした。あらゆるものが一瞬一瞬に私の内に生起し、又死に絶えた。あらゆる形をなさない思想が、と云おうか。……重要なものが些末なものと手をつなぎ、今日新聞で読んだヨーロッパの政治的事件が、目前の古下駄と切っても切れぬつながりがあるように思われた。
 私は一つの草の葉の尖端の鋭角について永いあいだ考えていたこともある。考えていたというのは適当ではない。そのふしぎな些細な想念は決して持続せず、生きているとも死んでいるともつかぬ私の感覚の上に、リフレインのように執拗に繰り返して現われたのである。なぜこの草の葉の尖端が、これほど鋭い鋭角でなければならないのか。もし鈍角であったら、草の種別は失われ、自然はその一角から崩壊してしまわねばならないのか。自然の歯車の極小のものを外してみて、自然全体を転覆させることができるのではないか。そしてその方法を、私は徒らにあれこれと考えたりした。
 ――老師の叱責は忽ち洩れて、寺の人々の私に対する態度は日ましに険しくなった。私の大学進学を嫉んでいた例の徒弟は、いつも勝ち誇った薄ら笑いで私を眺めた。
 夏も秋も、余人とほとんど口をきかない私の生活が寺内でつづいた。私が出奔した前日の朝、老師が副司さんに命じて私を呼んだ。
 十一月九日のことである。私は登校前であったので、制服を着て、老師の前へ出た。
 老師の本来福々しい顔は、私と会い、私にものを言わねばならぬという不快で、異様に固く凝縮していた。私はといえば、老師の目が癩者を見るように私を見ることが快かったのである。これこそは私が望んだ人間的感情を湛えた目なのだ。
 老師はすぐ目を外らし、手焙りの上で手を揉み合わせながら語った。その柔らかい掌の肉が摺れ合う音は、初冬の朝の空気のうちに、微かだが、清澄をみだす耳ざわりなものにひびいた。和尚の肉と肉とは、必要以上に親密な感じがした。
「亡くなったお父さんは、どないに悲しんでいられるやろ。この手紙を見てみい。学校から又きつう言うてよこした。そないなことで、末はどうなると思うか、自分でよう考えてみるのやな」――それから、引きつづいてあの言葉を言ったのである。「お前をゆくゆくは後継にしようと心づもりしていたこともあったが、今ははっきりそういう気持がないことを言うて置く」
 私は永いあいだ黙っていて、こう言った。
「私をもうお見捨てになるのとちがいますか」
 老師は即答しなかった。やがて、
「そうまでして、まだ見捨てられたくないと思うか」
 私は答えなかった。しばらくして、我知らず、吃りながら別事を言った。
「老師は私のことを隅々まで知っておられます。私も老師のことを知っておるつもりでございます」
「知っておるのがどうした」――和尚は暗い目になった。「何にもならんことじゃ。益もない事じゃ」
 私はこの時ほど現世を完全に見捨てた人の顔を見たことがない。生活の細目、金、女、あらゆるものに一々手を汚しながら、これほどに現世を侮蔑している人の顔を見たことがない。……私は血色のよい温かみのある屍に触れたような嫌悪を感じた。
 そのとき、自分のまわりにあるすべてのものから、しばらくでも遠ざかりたいという痛切な感じが私に湧き起った。老師の部屋を辞したのちも、たえずそれを考えたが、この考えはますます激しくなった。
「何番どす」
「十四番です」
「その縁のところでお待ちやす」
 私は濡縁に腰かけて待った。こうして待つうちに、あの濡れたひびわれた女の手で運命が決せられるのは、いかにも無意味に思われたが、そういう無意味に賭けるつもりで来たのだから、それもよかった。締めた障子の中で、大そうあけにくい古い小抽斗の環のぶつかる音がし、紙をめくる音がした。やがて障子が小さくあけられ、
「へえ。どうぞ」
 と一枚の薄紙がさし出されて、又障子は閉った。紙の一角の女の指あとは濡れていた。
 それを読む。「第十四番 凶」と書いてある。
「汝有此間者遂為八十神所滅
焼石はめ矢等の困難苦節にあひ給ひし大国主命は御祖神の御教示によつて此の国を退去すべく ひそかにのがれ給ふ兆」
 解説は、あらゆる事の不如意と、前途に横たわる不安とを説いている。私は怖れなかった。下段についているあまたの項目のうちの旅行という項を見る。
「旅行――凶。殊に西北がわるし」
 と書いてある。私は西北へ旅をしようと思った。
 私の胸は高鳴った。出発せねばならぬ。この言葉はほとんど羽搏いていると云ってよかった。私の環境から、私を縛しめている美の観念から、私の轗軻不遇から、私の吃りから、私の存在の条件から、ともかくも出発せねばならぬ。
 汽車のゆくその線は、生れ故郷へ向う馴染の路線であるのに、古びて煤けた列車が、これほど新鮮なものめずらしい姿で眺められたことはなかった。駅、汽笛、朝まだきの拡声器のだみ声の反響までが、同じ一つの感情をくりかえし、それを強め、目もさめるばかりの抒情的な展望を私の前にひろげた。旭は広大なプラットフォームを区切っていた。そこを駈ける靴音、弾ける下駄の音、じっと単調に鳴りつづけるベル、駅売の籠からさし出される蜜柑の色……これらすべてが、私の身を委せた大きなものの一つ一つの暗示、一つ一つの予兆のように思われた。
 駅のどんな些細な断片も、別離と出発の統一的な感情へ向って、引き絞られ集められていた。私の目の下に後方へしりぞくプラットフォームは、いかにも鷹揚に、礼節正しく退いた。私は感じていた。こんなコンクリートの無表情な平面が、そこから動き、離れ、出発してゆくものによって、どんなに輝やかしくされているかを。
 私は汽車に信頼した。これは可笑しな言い方だ。可笑しな言い方だが、自分の位置が京都駅から少しずつ遠ざかり移動してゆくという、この信じられぬ思いを保証するには、そうとしか言いようがない。鹿苑寺の夜、花園ちかくを行きすぎる貨物列車の汽笛を何度か聴いたが、私の遠方を、あのように夜も昼も確実に疾駆していたものに、私が今乗っていようとは不思議でしかなかった。
 京都を発つときあのようにいきいきとしていた私の心は、今また死者たちの追憶へ導かれた。有為子や父や鶴川の思い出は、云うに云われぬやさしさを私の裡に呼びさまし、私は死者をしか人間として愛することができないのかと疑われた。それにしても死者たちは生者に比べて、何と愛され易い姿をしていることか!
 あまり混んでいない三等の客車にも、愛されにくい生者たちは、あわただしく煙草を吹かしたり、蜜柑の皮を剥いたりしていた。どこかの公共団体の年とった役員が隣りの座席で大声で話している。いずれも古い無恰好な背広を着ており、一人の袖口からは縞の裏地のやぶれたのが顔を出している。私は凡庸さというものが年齢を重ねても、少しも衰えぬのに改めて感心した。百姓風のそれらの日に焦けた皺の太い顔は、酒に荒されただみ声と共に、一種の凡庸の精華ともいうべきものをあらわしていた。
 奇妙なことであるが、これは私の耳に入った世間の批評のはじめてのものであった。私たちは僧侶の世界に属しており、学校もまたその世界に在って、お互いの寺の批評をすることがなかった。しかし老いた役員たちのこんな会話は、少しも私をおどろかさなかった。それらはみんな自明の事柄だった! 私たちは冷飯を喰べていた。和尚は祇園へ通っていた。……が、私には、老役員たちのこうした理解の仕方で、私が理解されることに対する、云わん方ない嫌悪があった。「かれらの言葉」で私が理解されるのは耐えがたい。「私の言葉」はそれとは別なのである。老師が祇園の芸妓と歩いているのを見ても、私が何ら道徳的な嫌悪にとらわれなかったことを思い出してもらいたい。
 老役員たちの会話は、こうしたわけで、私の心に、凡庸さの移り香のようなもの、かすかな嫌悪だけを残して飛び去った。私は自分の思想に、社会の支援を仰ぐ気持はなかった。世間でわかりやすく理解されるための枠を、その思想に与える気持もなかった。何度も言うように、理解されないということが、私の存在理由だったのである。
 それは正しく裏日本の海だった! 私のあらゆる不幸と暗い思想の源泉、私のあらゆる醜さと力との源泉だった。海は荒れていた。波はつぎつぎとひまなく押し寄せ、今来る波と次の波との間に、なめらかな灰色の深淵をのぞかせた。暗い沖の空に累々と重なる雲は、重たさと繊細さを併せていた。というのは、境界のない重たい雲の累積が、この上もなく軽やかな冷たい羽毛のような笹縁につづき、その中央にあるかなきかの仄青い空を囲んでいたりした。鉛いろの海は又、黒紫色の岬の山々を控えていた。すべてのものに動揺と不動と、たえず動いている暗い力と、鉱物のように凝結した感じとがあった。
 ふと私は、柏木がはじめて会った日に、私に言った言葉を思い出した。われわれが突如として残虐になるのは、うららかな春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に、木洩れ陽の戯れているのをぼんやり眺めているような、そういう瞬間だと言ったあの言葉を。
 今、私は波にむかい、荒い北風にむかっていた。うららかな春の午後も、よく刈り込まれた芝生もここにはなかった。しかしこの荒涼とした自然は、春の午さがりの芝生よりも、もっと私の心に媚び、私の存在に親密なものであった。ここで私は自足していた。私は何ものにも脅やかされていなかった。
 突然私にうかんで来た想念は、柏木が言うように、残虐な想念だったと云おうか? とまれこの想念は、突如として私の裡に生れ、先程からひらめいていた意味を啓示し、あかあかと私の内部を照らし出した。まだ私はそれを深く考えてもみず、光りに搏たれたように、その想念に搏たれているにすぎなかった。しかし今までついぞ思いもしなかったこの考えは、生れると同時に、忽ち力を増し、巨きさを増した。むしろ私がそれに包まれた。その想念とは、こうであった。
『金閣を焼かなければならぬ』
 ……私はこの窓辺で、又さきほどの想念を追いはじめた。なぜ私が金閣を焼こうという考えより先に、老師を殺そうという考えに達しなかったのかと自ら問うた。
 それまでにも老師を殺そうという考えは全く浮ばぬではなかったが、忽ちその無効が知れた。何故ならよし老師を殺しても、あの坊主頭とあの無力の悪とは、次々と数かぎりなく、闇の地平から現われて来るのがわかっていたからである。
 おしなべて生あるものは、金閣のように厳密な一回性を持っていなかった。人間は自然のもろもろの属性の一部を受けもち、かけがえのきく方法でそれを伝播し、繁殖するにすぎなかった。殺人が対象の一回性を滅ぼすためならば、殺人とは永遠の誤算である。私はそう考えた。そのようにして金閣と人間存在とはますます明確な対比を示し、一方では人間の滅びやすい姿から、却って永生の幻がうかび、金閣の不壊の美しさから、却って滅びの可能性が漂ってきた。人間のようにモータルなものは根絶することができないのだ。そして金閣のように不滅なものは消滅させることができるのだ。どうして人はそこに気がつかぬのだろう。私の独創性は疑うべくもなかった。明治三十年代に国宝に指定された金閣を私が焼けば、それは純粋な破壊、とりかえしのつかない破滅であり、人間の作った美の総量の目方を確実に減らすことになるのである。
 考え進むうちに、諧謔的な気分さえ私を襲った。『金閣を焼けば』と独言した。『その教育的効果はいちじるしいものがあるだろう。そのおかげで人は、類推による不滅が何の意味ももたないことを学ぶからだ。ただ単に持続してきた、五百五十年のあいだ鏡湖池畔に立ちつづけてきたということが、何の保証にもならぬことを学ぶからだ。われわれの生存がその上に乗っかっている自明の前提が、明日にも崩れるという不安を学ぶからだ』
 そうだ。たしかにわれわれの生存は、一定のあいだ持続した時間の凝固物に囲まれて保たれていた。たとえば、ただ家事の便に指物師が作った小抽斗も、時を経るにつれ時間がその物の形態を凌駕して、数十年数百年のちには、逆に時間が凝固してその形態をとったかのようになるのである。一定の小さな空間が、はじめは物体によって占められていたのが、凝結した時間によって占められるようになる。それは或る種の霊への化身だ。中世のお伽草子の一つ「付喪神記」の冒頭にはこう書いてある。
「陰陽雑記云、器物百年を経て、化して精霊を得てより、人の心を誑す、これを付喪神と号すといへり。是によりて世俗、毎年立春にさきたちて、人家のふる具足を、払いたして、路次にすつる事侍り、これを煤払といふ。これ則、百年に一年たらぬ、付喪神の災難にあはしとなり」
 私の行為はかくて付喪神のわざわいに人々の目をひらき、このわざわいから彼らを救うことになろう。私はこの行為によって、金閣の存在する世界を、金閣の存在しない世界へ押しめぐらすことになろう。世界の意味は確実に変るだろう。……
 ……思うほどに私は快活になってゆく自分を感じた。今私の身のまわりを囲み私の目が目前に見ている世界の、没落と終結は程近かった。日没の光線があまねく横たわり、それをうけて燦めく金閣を載せた世界は、指のあいだをこぼれる砂のように、刻一刻、確実に落ちつつあった。……
 私は革命家の心理を理会した。あかあかと火の熾った鉄の火鉢を囲んで談笑しているこの田舎の駅長や警官は、目前に迫っている世界の変動、自分たちの秩序の目近の崩壊を露ほども予感していなかった。
『金閣が焼けたら……、金閣が焼けたら、こいつらの世界は変貌し、生活の金科玉条はくつがえされ、列車時刻表は混乱し、こいつらの法律は無効になるだろう』
 自分たちのかたわらに、何喰わぬ顔をして、一人の未来の犯人が火鉢に手をさしのべていることに、少しも気づかぬ彼らが私を喜ばせた。陽気な若い駅員が、この次の休みに行く映画のことを、大声で吹聴していた。それは見事な、涙をそそるような映画で、派手な活劇にも欠けていなかった。この次の休みは映画に! この若々しい、私よりもはるかに逞ましい、いきいきとした青年が、この次の休みには、映画を見て、女を抱いて、そして寝てしまうのだ。
 彼はたえず駅長をからかい、冗談を言い、たしなめられ、その間いそがしく炭をついだり、黒盤に何かの数字を書いたりしていた。再び私を、生活の魅惑、あるいは生活への嫉視が虜にしようとした。金閣を焼かずに、寺を飛び出して、還俗して、私もこういう風に生活に埋もれてしまうこともできるのだ。
 ……しかし忽ち、暗い力はよみがえって私をそこから連れ出した。私はやはり金閣を焼かねばならぬ。別誂えの、私特製の、未聞の生がそのときはじまるだろう。
「そうか。そりゃまあよかったなあ。方丈さんにようお詫びせなあかへんえ。うちからもようあやまっといたけれど、しんそこからお詫びして、お許しいただかなあかへんえ。方丈さんはお心のひろい方やで、このまま置いといて下さると思うけれど、今度こそ心を入れかえなんだら、お母さん死んでしまうえ。ほんまえ。お母さんを死なしとうなかったら、心を入れかえるのやで。そうして偉い坊さんになって……。まあそれより早う、あやまらんならん」
 母のあとに、私と私服は黙って従った。母は私服にすべき挨拶も忘れていた。
 小刻みにゆく塩垂れた帯の背を眺めながら、母を殊更醜くしているものは何だと私は考えた。母を醜くしているのは、……それは希望だった。湿った淡紅色の、たえず痒みを与える、この世の何ものにも負けない、汚れた皮膚に巣喰っている頑固な皮癬のような希望、不治の希望であった。
 一旦こうと決めた心が、さまざまに動揺して、行きつ戻りつする経過を私が語らないのを、奇異に思ってはならない。私の心の移ろいやすさは消え去った。この半年のあいだ私の目は、一つの未来を見つめて動かなかった。このあいだの私は、おそらく幸福の意味を知っていた。
 第一に、寺の生活が楽になったのである。金閣がいずれ焼けると思うと、耐えがたい物事も耐えやすくなった。死を予感した人のように、寺の者たちに対する私の愛想はよくなり、応対は明るく、何事につけ和解を心がけるようになった。自然とすら私は和解した。冬の朝な朝な、梅もどきの残んの実を啄みに来る小鳥たちの胸毛にも親しみを抱いた。
 老師への憎しみさえ私は忘れた! 母からも、朋輩からも、あらゆるものから自由の身になった。しかしこの新らしい日々の住心地のよさを、手を下さずに成就した世界の変貌だと錯覚するほど、それほど私は愚かではなかった。どんな事柄も、終末の側から眺めれば、許しうるものになる。その終末の側から眺める目をわがものにし、しかもその終末を与える決断がわが手にかかっていると感じること、それこそ私の自由の根拠であった。
 あんなに唐突に生れた想念であったとはいえ、金閣を焼くという考えは、仕立卸しの洋服か何ぞのように、つくづくぴったりと私の身についた。生れたときから、私はそれを志していたかのようだった。少くとも父に伴われてはじめて金閣を見た日から、この考えは私の身内に育ち、開花を待っていたかのようだった。金閣が少年の目に世の常ならず美しく見えたというそのことに、やがて私が放火者になるもろもろの理由が備わっていた。
 何故私がその学生を、放火へむかって一歩一歩進んでゆくところだと感じたのかわからない。ただ端的に彼は放火者に見えた。放火にもっとも困難な白昼を敢て選んで、彼は自分の固く志した行為へゆっくりと歩を運んでいた。彼のゆくてには火と破壊があり、彼の背後には見捨てられた秩序があった。その制服のいくらか厳つい背中から、私はそう感じた。若い放火者の背中はそうあるべきだと、かねて私は思い描いていたのかもしれない。日の当った黒サージのその背中は、不吉な険しいものでいっぱいになっていた。
 私は歩みを緩め、学生をつけようと考えた。そうして歩くうちに、少し左肩の落ちた彼のうしろ姿が、私自身のうしろ姿であるように思われてきた。彼は私よりはるかに美しかったが、同じ孤独と、同じ不幸と、同じ美の妄念から、同じ行為へ促されたに相違なかった。いつかしら、彼をつけながら、私は私自身の行為を前以て見届けるような心地になっていた。
 晩春の午後には、明るさと空気のものうさのあまりに、こんな事が起りがちである。つまり私が二重になり、私の分身があらかじめ私の行為を模倣し、いざ私が決行するときには見えない私自身の姿を、ありありと見せてくれると謂った事が。
 彼は放火者ではなく、ただの散歩している学生だった。おそらくは少し退屈した、少し貧しい、それだけの青年だった。
 逐一を見ていた私にとっては、放火のためではなしに一本の煙草を吸うためにあんなに落着きなくあたりを見まわした彼の小心、つまり学生流のけちけちした脱法の喜び、火の消えた燐寸をあんなに念入りに揉み消した態度、つまり彼の「文化的教養」、とりわけこの後のものが気に入らなかった。こんながらくたな教養のおかげで、彼の小さな火は安全に管理された。彼はおそらく自分が燐寸の管理者であり、社会に対して火の完全な遅滞なき管理者であることを得意がっていた。
 洛中洛外の古い寺々が、維新以後めったに焼かれなくなったのは、こういう教養の賜物だった。たまさかの失火はあっても、火は寸断され、細分され、管理されるにいたった。それまでは決してそうではなかった。知恩院は永享三年に炎上し、その後何度となく火を蒙った。南禅寺は明徳四年に本寺の仏殿、法堂、金剛殿、大雲庵などが炎上した。延暦寺は元亀二年に灰燼に帰した。建仁寺は天文二十一年に兵火に罹った。三十三間堂は建長元年に焼亡した。本能寺は天正十年の兵火に焼かれた。……
 そのころ火は火とお互いに親しかった。火はこのように細分され、おとしめられず、いつも火は別の火と手を結び、無数の火を糾合することができた。人間もおそらくそうであった。火はどこにいても別の火を呼ぶことができ、その声はすぐに届いた。寺々の炎上が失火や類火や兵火によるものばかりで、放火の記録が残されていないのも、たとえ私のような男が古い或る時代にいたとしても、彼はただ息をひそめ身を隠して待っていればよかったからなのだ。寺々はいつの日か必ず焼けた。火は豊富で、放恣であった。待ってさえいれば、隙をうかがっていた火が必ず蜂起して、火と火は手を携え、仕遂げるべきことを仕遂げた。金閣は実に稀な偶然によって、火を免れたにすぎなかった。火は自然に起り、滅亡と否定は常態であり、建てられた伽藍は必ず焼かれ、仏教的原理と法則は厳密に地上を支配していた。たとえ放火であっても、それはあまりにも自然に火の諸力に訴えたので、歴史家は誰もそれを放火だとは思わなかったのであろう。
 そのころ地上は不安だった。昭和二十五年の今も地上の不安はそれに劣るものではなかった。かつて寺々が不安によって焼かれたのだとしたら、どうして今金閣が焼かれないでよい筈があろうか?
「早く返したまえ。そのほうが君のためだぞ。授業料でも何でも流用したらいいじゃないか」
 私は黙っていた。世界の破局を前にして借金を返す義務があるだろうか? 私はそれをほんの少し柏木に暗示しようかという誘惑にかられたが、思い止まった。
「黙っていちゃわからんじゃないか。吃るのが恥かしいのか? 何を今更! 君が吃りだということは、これだって知ってるんだ。これだって」と彼は拳で、夕日の照り映えた赤煉瓦の壁を叩いた。拳は代赭いろの粉に染まった。「この壁だって。学校中で誰知らぬものはないんだ」
 この一言で私には柏木の顔を見る裕りができた。彼は神妙な顔つきで坐っていた。さすがに私から目を外らしていた。悪を行うときの彼は、彼自ら意識せずして、性格の芯が抜き出たような、もっとも純潔な表情をしていた。それを知っているのは私ばかりであった。
 自室にかえった私は、はげしい雨音の中で、孤独の中で俄かに解き放たれた。徒弟はすでにいなかった。
「もう寺には置かれんから」と老師は言った。私は老師の口からはじめてその言葉を聴き、いわば老師の言質をとったのである。突然事態は明瞭になった。私の放逐がすでに老師の念頭にあるのであった。決行を急がなければならぬ。
 もし柏木が今夜のような行動に出ていなかったら、私が老師の口からその言葉をきく機会もなく、決行はさらに引延ばされたかもしれないのだ。私に踏切る力を与えてくれたのは柏木だと思うと、奇妙な感謝が彼に対して湧いた。
 五畳の空間には、夏が近づくにつれ、私の酸えた臭いがこもった。笑うべきことには私は僧侶で、しかも青年の体臭を持っていた。臭いは古い黒光りのした四隅の太い柱や、古い板戸にまでしみ入って、それらは歳月が折角さびを与えた木目のあいだから若い生物の悪臭を放っていた。それらの柱や板戸は、半ば腥い不動のいきものに化していた。
「まあ怨むなよ。こんな手に出ざるをえなくしたのも、結局君の自業自得なんだから。それはそうと」と彼はポケットから、鹿苑寺と印刷した封筒を出して、札をかぞえた。札は今年の正月から発行されている真新らしい千円札が三枚だけだった。私が言った。
「ここのお札はきれいだろ。老師が潔癖だから、副司さんが三日おきに小銭を替えてもらいに銀行へゆくんだ」
「見ろ。たった三枚だ。君のとこの和尚の渋いことはどうだ。学生同士の貸し借りで、利子などということは認めないというんだ。自分はさんざん儲けてやがるくせに」
 柏木のこの思いがけぬ失望は、私を心から愉快にした。私は心おきなく笑い、柏木もそれに和した。しかしこんな和解もつかのま、笑いを納めた彼は、私の額のあたりを見ながら、突き離すようにこう言った。
「俺にはわかるんだ。何かこのごろ、君は破滅的なことをたくらんでいるな」
 私は彼の視線の重みを支えるのに難渋した。が、破滅的という彼流の理解が、私の志すところから遠いのを思うと、落着きが戻ってきた。答はつゆ吃らなかった。
「いや。……何も」
「そうか。君は奇妙な奴だな。俺が今まで会った中でいちばん奇妙な奴だ」
 その言葉は私の口辺から消えぬ親愛の微笑に向けられたものだとわかったが、私の中に湧き出した感謝の意味を、彼が決して察することはあるまいという確実な予想は、私の微笑をさらに自然にひろげた。世のつねの友情の平面で、私はこんな質問をした。
「もう国へかえるのかい」
「ああ。あしたかえるつもりだ。三ノ宮の夏か。あそこも退屈だが……」
「当分学校でも会えないな」
「何だ。ちっとも出て来ないくせに」――そう言いざま、柏木はそそくさと制服の胸の釦を外して、内かくしをまさぐった。「……国へかえる前にね、君を喜ばそうと思ってこれを持って来たんだ。君はむやみとあいつを高く買っていたからな」
 私の机の上に四五通の手紙がほうり出された。差出人の名を見て私が愕いたとき、柏木は事もなげにこう言った。
「読んでみたまえ。鶴川の形見だよ」
「君は鶴川と親しかったのか」
「まあね。俺流に親しかったのだ。しかしあいつは生前、俺の友達と見られることをひどくいやがっていた。それでいて俺にだけ、打明け話をしていたんだ。死んでもう三年たったから、人に見せてもいいだろう。特に君が親しかったから、君にだけはいつか見せるつもりだった」
 手紙の日附は、いずれも死の直前のものであった。昭和二十二年の五月の、ほとんど日毎に、東京から柏木へ宛てた手紙である。彼は私には一通も寄越さなかったが、これで見ると帰京の翌日から、毎日柏木に書き送っていたのであった。手跡は疑いもなく鶴川の、角ばった稚拙な字である。私は軽い妬みを抱いた。何一つ私の前にその透明な感情をいつわっていないようにみえた鶴川は、時には柏木を悪しざまに云って、私と柏木との交遊を非難しながら、自分はこれほど密な柏木との附合をひた隠しにしていたのである。
 私は日附の順序に、薄い便箋に書いた細字の手紙を読みだした。文章は例えようもなく下手で、思考はいたるところで滞り、読みとおすのは容易ではなかったが、その前後する文章の裏からおぼろげな苦痛がうかんで来、あとの日附の手紙を読むころには、鶴川の苦痛の鮮明さが目の当りに在った。読み進むにつれて私は泣いた。泣きながら、一方心は、鶴川の凡庸な苦悩に呆れていた。
 それはどこにでもある小さな恋愛事件にすぎなかった。親の許さぬ相手との不幸な世間知らずの恋にすぎなかった。しかし書いている鶴川自身がしらぬ間に犯していた感情の誇張であろうが、次のような一句は私を愕然とさせた。
「今、思うと、この不幸な恋愛も、僕の不幸な心のためかとも思える。僕は生れつき暗い心を持って生れていた。僕の心は、のびのびした明るさを、ついぞ知らなかったように思える」
 読みおわった最後の手紙の末尾が、激湍のような調子で切れていたので、そのときはじめて私は今まで夢想もしなかった疑惑に目ざめた。
「もしかすると……」
 言いかけた私に、柏木はうなずいた。
「そうだよ。自殺だったんだ。俺にはそうとしか思えない。家の人が世間体を繕ろってトラックなんかを持ち出したんだろう」
 私は怒りに吃りながら、柏木の答を迫った。
「君は返事は書いたんだろうな」
「書いた。しかし死んだあとに届いたそうだ」
「何と書いた」
「死ぬなと書いた。それだけだ」
 私は黙った。
 感覚が私をあざむいたことはないという私の確信は徒になった。柏木は止めを刺した。
「どうしたね。それを読んで人生観が変ったかね。計画はみんな御破算かね」
 柏木が三年後に私にこれを見せた企らみの意味は明瞭だった。しかしかほどの衝撃を受けながら、夏草の繁みに寝ころんでいた少年の白いシャツの上に小さな斑らを散らしていた朝日の木洩れ陽は、私の記憶から去らなかった。鶴川は死に、三年後にこのように変貌したが、彼に託していたものは死と共に消えたと思われたのに、この瞬間、却って別の現実性を以て蘇って来た。私は記憶の意味よりも、記憶の実質を信じるにいたった。もはやそれを信じなければ生そのものが崩壊するような状況で信じたのである。……しかし柏木は私を見下ろしながら、今しがた彼の手が敢てした心の殺戮に満ち足りていた。
「どうだ。君の中で何かが壊れたろう。俺は友だちが壊れやすいものを抱いて生きているのを見るに耐えない。俺の親切は、ひたすらそれを壊すことだ」
「まだ壊れなかったらどうする」
「子供らしい負け惜しみはやめにするさ」と柏木は嘲笑した。「俺は君に知らせたかったんだ。この世界を変貌させるものは認識だと。いいかね、他のものは何一つ世界を変えないのだ。認識だけが、世界を不変のまま、そのままの状態で、変貌させるんだ。認識の目から見れば、世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌するんだ。それが何の役に立つかと君は言うだろう。だがこの生を耐えるために、人間は認識の武器を持ったのだと云おう。動物にはそんなものは要らない。動物には生を耐えるという意識なんかないからな。認識は生の耐えがたさがそのまま人間の武器になったものだが、それで以て耐えがたさは少しも軽減されない。それだけだ」
「生を耐えるのに別の方法があると思わないか」
「ないね。あとは狂気か死だよ」
「世界を変貌させるのは決して認識なんかじゃない」と思わず私は、告白とすれすれの危険を冒しながら言い返した。「世界を変貌させるのは行為なんだ。それだけしかない」
 果して柏木は、その冷たい貼りついたような微笑で私をうけとめた。
「そら来た。行為と来たぞ。しかし君の好きな美的なものは、認識に守られて眠りを貪っているものだと思わないかね。いつか話した『南泉斬猫』のあの猫だよ。たとえようもない美しいあの猫だ。両堂の僧が争ったのは、おのおのの認識のうちに猫を護り、育くみ、ぬくぬくと眠らせようと思ったからだ。さて南泉和尚は行為者だったから、見事に猫を斬って捨てた。あとから来た趙州は、自分の履を頭に乗せた。趙州の言おうとしたことはこうだ。やはり彼は美が認識に守られて眠るべきものだということを知っていた。しかし個々の認識、おのおのの認識というものはないのだ。認識とは人間の海でもあり、人間の野原でもあり、人間一般の存在の様態なのだ。彼はそれを言おうとしたんだと俺は思う。君は今や南泉を気取るのかね。……美的なもの、君の好きな美的なもの、それは人間精神の中で認識に委託された残りの部分、剰余の部分の幻影なんだ。君の言う『生に耐えるための別の方法』の幻影なんだ。本来そんなものはないとも云えるだろう。云えるだろうが、この幻影を力強くし、能うかぎりの現実性を賦与するのはやはり認識だよ。認識にとって美は決して慰藉ではない。女であり、妻でもあるだろうが、慰藉ではない。しかしこの決して慰藉ではないところの美的なものと、認識との結婚からは何ものかが生れる。はかない、あぶくみたいな、どうしようもないものだが、何ものかが生れる。世間で芸術と呼んでいるのはそれさ」
「美は……」と言いさすなり、私は激しく吃った。埒もない考えではあるが、そのとき、私の吃りは私の美の観念から生じたものではないかという疑いが脳裡をよぎった。「美は……美的なものはもう僕にとっては怨敵なんだ」
「美が怨敵だと?」――柏木は大仰に目をみひらいた。彼の上気した顔には常ながらの哲学的爽快さが蘇っていた。「何という変りようだ、君の口からそれを聴くとは。俺も自分の認識のレンズの度を、合わせ直さなくちゃいかんぞ」
 ……それからのちも、われわれは久々に親しい議論のやりとりをした。雨はやまなかった。帰りぎわに、柏木が私のまだ見ぬ三ノ宮や神戸港の話をし、夏の港を出てゆく巨船のことなどを語った。私は舞鶴の思い出に目ざめた。そしてどんな認識や行為にも、出帆の喜びはかえがたいだろうという空想で、私たち貧しい学生の意見ははじめて一致を見た。
 老師がいつも訓戒を垂れる代りに、あたかもまた訓戒を垂れるべき場合に、却って私に恩恵を施して来たのはおそらく偶然ではあるまい。柏木が金をとりに来た五日後に、老師は第一期分の授業料の三千四百円と、通学電車賃の三百五十円と、文房具購入代としての五百五十円とを、私を呼んで手ずから渡した。夏休み前に授業料を払込む校則であったが、あのようなことがあったあとでは、私はまさか老師がその金を呉れるとは思っていなかった。よし金を呉れる気持があっても、私が信頼できないことを知った以上、老師は直接学校へその金を郵送するだろうと思われたのである。
 しかしこうして私の手に金が渡されても、私に対する信頼の虚偽であることは、老師以上に私がよく知っていた。老師が無言でさずける恩恵には、老師のあの柔らかい桃いろの肉と似たものがあった。いつわりに富んだ肉、裏切りに処するに信頼を、信頼に処するに裏切りを以てする肉、どんな腐敗にも犯されず、ひっそりと温かく薄桃いろに繁殖する肉。……
 由良の旅館へ警官が来たときに、咄嗟に私が発覚を怖れたように、又しても私は、老師が私の計画を見抜いていて、金を与えて決行のきっかけを外させようとしているのではないかと、妄想にちかい怖れを抱いた。その金を大事に持っているあいだは、決行の勇気が湧かないような気がした。一日も早く、その金の使途を見つけなければならぬ。貧しい者に限って、金のよい使途が思い浮ばぬものである。老師がそれと知ったら激怒せずにいられぬような、そして即刻私を寺から放逐せずには措かぬような、そういう使途を見つけ出さねばならぬ。
 その日私は炊事の当番であった。薬石のあと、典座で皿小鉢を濯ぎながら、すでに静かになった食堂のほうを何気なく見た。典座との境に立つ煤で黒光りのする柱には、あらかた変色したお札が貼られている。

阿多古
    火 迺 要 慎
祀 符

 ……私の心に、この護符が封じ込めている囚われの火の蒼ざめた姿が見えた。かつては華やいでいたものが、古い護符のうしろに、白くほのかに病み衰えているのが見えた。火の幻にこのごろの私が、肉慾を感じるようになっていたと云ったら、人は信じるだろうか? 私の生きる意志がすべて火に懸っていたのであれば、肉慾もそれに向うのが自然ではなかろうか? そして私のその欲望が、火のなよやかな姿態を形づくり、焔は黒光りのする柱を透かして、私に見られていることを意識して、やさしく身づくろいをするように思われた。その手、その肢、その胸はかよわかった。

 六月十八日の晩、私は金を懐ろにして、寺を忍び出て、通例五番町と呼ばれる北新地へ行った。そこが安くて、寺の小僧などにも親切にしてくれるということは聞き知っていた。五番町は鹿苑寺から、歩いても三四十分の距離である。
 湿気の高い晩だったが、うすぐもりの空に月がおぼめいていた。私はカーキいろのズボンに、ジャンパーを羽織り、下駄を穿いていた。おそらく数時間後に、私は同じ服装で帰って来るだろう。しかしその中身の私が、ちがう人間になっているという予想を、どうやって自分に納得させたものだろう。
 私はたしかに生きるために金閣を焼こうとしているのだが、私のしていることは死の準備に似ていた。自殺を決意した童貞の男が、その前に廓へ行くように、私も廓へ行くのである。安心するがいい。こういう男の行為は一つの書式に署名するようなもので、童貞を失っても、彼は決して「ちがう人間」などになりはしない。
 あのたびたびの挫折、女と私の間を金閣が遮りに来たあの挫折は、今度はもう怖れなくていい。私は何も夢みてはいず、女によって人生に参与しようなどと思ってはいないからだ。私の生はその彼方に確乎と定められ、それまでの私の行為は陰惨な手続にすぎないからだ。
 ……私はそう自分に云いきかせた。すると柏木の言葉が蘇って来た。
『商売女は客を愛して客をとるわけではない。老人でも、乞食でも、目っかちでも、美男でも、知らなければ癩者でも客にとるだろう。並の人間なら、こういう平等性に安心して、最初の女を買うだろう。しかし俺にはこの平等性が気に喰わなかった。五体の調った男とこの俺とが、同じ資格で迎えられるということが我慢がならず、それは俺にとっては怖ろしい自己冒涜に思われた』
 思い出したこの言葉は、今の私にとって不快であった。しかし吃りはともあれ五体の調った私は、柏木とちがって、自分のごく月並な醜さを信じればよかったのである。
『……とはいうものの、女がその直感で、私の醜い額の上に、何か天才的犯罪者のしるしのようなものを読み取らないだろうか?』
 と私は又、愚にもつかぬ不安を抱いた。
 私の足は捗らなくなった。思いあぐねた末には、一体金閣を焼くために童貞を捨てようとしているのか、童貞を失うために金閣を焼こうとしているのかわからなくなった。そのとき、意味もなしに「天歩艱難」という高貴な単語が心に浮び、「天歩艱難々々々々」とくりかえし呟きながら歩いた。
 とこうするうちに、パチンコ屋や呑み屋の明るい賑わいの尽きるところに、蛍光燈と仄白い行燈とが、闇のなかに規則正しい連なりを見せている一角が見えはじめた。

 寺を出るときからこの一角に、私は有為子がなお生きていて、隠れ棲んでいるという空想にとらわれていた。空想は私を力づけた。
 金閣を焼こうと決心して以来、私はふたたび少年時代のはじめのような新らしい無垢の状態にいたのであるから、人生のはじめに会った人々や事物に、もう一度めぐり会うことがあってよい筈だ。そう私は考えた。
 これから私は生きる筈であるのに、ふしぎなことに、日ましに不吉な思いが募って、明日にも死が訪れるように思われ、金閣を焼くまでは死がどうか私を見のがしてくれるように祈った。決して病気ではなく、病気の兆もなかった。しかし私を生かしている諸条件の調整やその責任が、のこらず私一人の肩にかかって来たという重みを、日ましに強く感じるようになったのである。
 きのう掃除のあいだに、人差指が箒の簓に傷つけられたとき、こんな些細な傷さえ不安の種子になった。薔薇の棘に指先を傷つけられたのが死の因になった詩人のことが思い浮んだ。そこらの凡庸な人間はそんなことでは死なない。しかし私は貴重な人間になったのだから、どんな運命的な死を招き寄せるか知れなかった。指の傷は幸いに膿を持たず、きょうはそこを押すと微かに痛むだけであった。
 五番町へ行くにつけても、私が衛生上の注意を怠らなかったのは云うまでもない。前日から、顔を知られていない遠い薬屋まで行って、私はゴム製品を買っておいた。粉っぽいその膜はいかにも無気力な不健康な色をしていた。昨夜私はそのひとつを試してみた。茜いろのクレパスで戯れに描いた仏画や、京都観光協会のカレンダーや、丁度仏頂尊勝陀羅尼のところがあけられている経文の禅林日課や、汚れた靴下や、笹くれ立った畳や、……こうしたものの只中に、私のものは、滑らかな灰いろの、目も鼻もない不吉な仏像のように立っていた。その不快な姿が、今は語り伝えにだけ残っているあの羅切という兇暴な行為を私に思い起させた。
 私には快楽の観念は少しもなかった。何かの秩序から見離されて、一人だけ列を離れて、疲れた足を引きずって、荒涼とした地方を歩いて行くような気がした。欲望は私のなかで、不機嫌な背中を見せて、膝を抱いてうずくまっていた。
『とにかくここで、金を使うことが私の義務なんだ』と考えつづけた。『とにかくここで授業料を使い果せばいい。そうすれば老師に、尤も至極な放逐の口実を与えることになるからだ』
 私はそんな考えに奇妙な矛盾を見出さずにいたが、もしこれが私の本心だとすれば、私は老師を愛していなければならなかった筈である。
 まだ出盛る時刻ではないのか、その町にはふしぎに人通りが少なかった。私の下駄の音はあらわにひびいた。遣手たちの呼びかける単調な声音が、梅雨時の低く垂れた湿った空気の中を這いずりまわるように聴かれた。私の足の指は、ゆるんだ鼻緒をしっかと挟んでいた。そしてこう思った。終戦後、不動山の頂きから眺めた夥しい灯の中には、確実にこの町の灯も在ったのだと。
 私の足がみちびかれてゆくところに、有為子はいる筈だった。とある四つ辻の角店に、「大滝」という家があった。やみくもに私はそこの暖簾をくぐった。畳六帖ほどのタイルを敷いた一間が突先にあり、奥の腰掛けに三人の女が、まるで汽車を待ちくたびれたような風情で腰かけていた。一人は和服で、首に繃帯を巻いていた。洋装の一人はうつむいて、靴下をずり下ろして、腓のところをしきりに掻いていた。有為子は留守だった。その留守だったことが私を安心させた。
 足を掻いていた女が、呼ばれた犬のように顔をあげた。その丸い、すこし腫れたような顔は、童画風の鮮やかさで、白粉と紅に隈取られていたが、私を見上げた目つきには、奇妙な言い方だが、実に善意があった。女はいかにも、町角でぶつかった知らぬ人同士のように私を見たのである。その目は私のなかに全然欲望を認めていなかった。
 有為子が留守だとすれば、誰でもよかった。選んだり、期待したりしたら、失敗するという迷信が私に残っていた。女が客を選ぶ余地がないように、私も女を選ばなければよいのだ。あの怖ろしい、人を無気力にする美的観念が、ほんのわずかでも介入して来ないようにしなければならぬ。
 遣手がきいた。
「どの子供っさんにおしやす」
 私は足を掻いていた女を指さした。彼女の足をそのとき伝わっていた小さな痒みが、おそらくそこのタイルのおもてをうろついていた藪蚊の刺し跡が、私と彼女をつないだ縁であった。……その痒みのおかげで、彼女はのちのち、私の証人になる権利を獲得するだろう。
 女は立上って、私のそばへ来て、唇をまくり上げるように笑って、私のジャンパアの腕に少し触った。
 私が生れてはじめての登楼に、そんなに仔細な観察を働らかしたのを訝ってはならない。自分の見える限りのものから、私は快楽の証拠を探し出そうとしていた。すべてが銅版画のように精密に眺められ、しかも精密なまま、それらは私から一定の距離のところに平らに貼りついていた。
「お客さん、前に見たことあるわ」
 と女は、まり子という自分の名を告げたあとで言った。
「はじめてだよ」
「こういうところ、本当にはじめて?」
「はじめてだよ」
「そうだろうな。手がふるえてるもの」
 そう言われてから、私は猪口をもつ自分の手が慄えているのに気づいた。
「ほんまやったら、まり子さんは今夜はまんがええな」と遣手が言った。
「ほんまかどうか、もうじきわかるわねえ」
 とまり子はぞんざいに言った。しかしその言葉に肉感はなく、まり子の心は、私の肉体とも彼女の肉体とも関わりのない場所に、遊びはぐれた子供のように、遊んでいるのが私には見てとれた。まり子は薄みどりのブラウスに、黄いろいスカートをはいていた。朋輩に借りていたずらをしたのか、両手の親指の爪だけを赤く染めていた。

 やがて八畳の寝間に入ったとき、まり子は蒲団の上へ片足を踏み出して、電燈の傘から長く垂れた紐を引いた。明りの下にあざやかな友禅の蒲団がうかび上った。仏蘭西人形を飾った立派な床の間のついた部屋である。
 私は不器用に脱衣した。まり子は薄桃いろのタオル地のゆかたを肩にかけ、その下でたくみに洋服を脱いでいた。私は枕もとの水をたんと呑んだ。その水音をきいて、
「あんた、水呑みやねえ」
 と女はむこうを向いたまま笑っていた。そして床に入って顔を見合わせてからも、私の鼻を指先で軽くつついて、
「本当にはじめて遊ぶの」
 と云って笑った。暗い枕行燈のあかりの中でも、私は見ることを忘れなかった。見ることが私の生きている証拠だったから。それにしても他人の二つの目が、こんなに近くに在るのを見るのははじめてだった。私の見ていた世界の遠近法は崩壊した。他人はおそれげもなく私の存在を犯し、その体温や安香水の匂いもろとも、少しずつ水嵩を増して浸水し、私を涵してしまった。私は他人の世界がこんな風に融けてしまうのをはじめて見たのである。
 私は全く普遍的な単位の、一人の男として扱われていた。誰も私をそんな風に扱えるとは想像していなかった。私からは吃りが脱ぎ去られ、醜さや貧しさが脱ぎ去られ、かくて脱衣のあとにも、数限りない脱衣が重ねられた。私はたしかに快感に到達していたが、その快感を味わっているのが私だとは信じられなかった。遠いところで、私を疎外している感覚が湧き立ち、やがて崩折れた。……私は忽ち身を離して、額を枕にあてがい、冷えて痺れた頭の一部を、拳で軽く叩いた。それから、あらゆるものから置き去りにされたような感じに襲われたが、それも涙の出るほどではなかった。

 事の後の寝物語に、女が名古屋から流れて来たことなどを話しているのを、おぼろげに聴きながら、私は金閣のことばかり考えていた。それは実に抽象的な思索で、いつものように肉感の重く澱んだ考えではなかった。
「又来なさいよね」
 と女の言う言葉で、まり子が私より一つ二つ年上だという感じがした。事実そうなのに違いなかった。乳房は私のすぐ前に在って汗ばんでいた。決して金閣に変貌したりすることのない唯の肉である。私はおそるおそる指先でそれに触った。
「こんなもの、珍らしいの」
 まり子はそう言って身をもたげ、小動物をあやすように、自分の乳房をじっと見て軽く揺った。私はその肉のたゆたいから、舞鶴湾の夕日を思い出した。夕日のうつろいやすさと肉のうつろいやすさが、私の心の中で結合したのだと思われる。そしてこの目前の肉も夕日のように、やがて幾重の夕雲に包まれ、夜の墓穴深く横たわるという想像が、私に安堵を与えた。
 同じ店の同じ女を訪ねて、その明る日も私は行った。金が十分残ったからばかりではない。最初の行為が、想像裡の歓喜に比べていかにも貧しかったので、それをもう一度試みて、少しでも想像上の歓喜に近づける必要があったのだ。私の現実生活における行為は、人とはちがって、いつも想像の忠実な模倣に終る傾きがある。想像というのは適当ではない。むしろ私の源の記憶と云いかえるべきだ。人生でいずれ私が味わうことになるあらゆる体験は、もっとも輝やかしい形で、あらかじめ体験されているという感じを、私は拭うことができない。こうした肉の行為にしても、私は思い出せぬ時と場所で、(多分有為子と)、もっと烈しい、もっと身のしびれる官能の悦びをすでに味わっているような気がする。それがあらゆる快さの泉をなしていて、現実の快さは、そこから一掬の水を頒けてもらうにすぎないのである。
 たしかに遠い過去に、私はどこかで、比びない壮麗な夕焼けを見てしまったような気がする。その後に見る夕焼けが、多かれ少なかれ色褪せて見えるのは私の罪だろうか?
 きのう女が、あまりに私を人並に扱ったので、きょう私は、数日前に古本屋で買った古い文庫本をポケットに入れて行った。ベッカリーアの「犯罪と刑罰」である。この十八世紀イタリヤの刑法学者の本は、啓蒙主義と合理主義の古典的な定食料理で、数頁読むなり私は投げ出してしまったが、もしかして女がその題名に興味をもつかと思ったのである。
 まり子は、きのうと同じ微笑で私を迎えた。同じ微笑ではあったが、「昨日」はどこにもその痕跡を残していなかった。そして私に対する親しみには、どこかの町角でちらと会った人間に対する親しみがあったが、それというのも彼女の肉体がどこかの町角のようなものだったからであろう。
 小座敷の酒のやりとりは、もうそれほどぎこちなくはなかった。
「ちゃんと裏を返しておくれやして、お若いのに粋なことどすなあ」
 遣手がそう言うと、
「でも、毎日来て、和尚さんに叱られない?」とまり子は言い、見破られた私のおどろいた顔つきを見てこう言った。「そりゃあわかるわ。今はリーゼントばかりで、五分刈やったら、お寺さんに決ってるもの。家なんか、今は偉い坊さんになってる方が、若いときは大抵見えてるんだって。……さあさ、歌でもうたいましょう」
 まり子は藪から棒に、港の女がどうとかしたという時花歌をうたいはじめた。
 そして二度目の行為は、すでに見馴れた環境の中で、とどこおりなく気楽に運んだ。今度は私も快楽を瞥見したように思ったが、それは想像していた類いの快楽ではなく、自分がそのことに適応していると感じる自堕落な満足にすぎなかった。
 事の後で女が年上らしく私に感傷的な訓戒を与えたのが、私のほんのつかのまの感興をも壊してしまった。
「あんまりこんなところへ来ないほうがいいと思うわ」とまり子は言ったのである。「あんたはまじめな人だもの。そう思うもの。深入りせんと、まじめに商売に精出したほうがいいと思うわ。来てほしいことは来てほしいけど、私がこう言う気持、わかってもらえるわねえ。あんたが弟みたような気持がするんだもの」
 おそらくまり子は、何かの三文小説でそういう会話を学んでいた。それはそんなに深い気持で言った言葉ではなく、私を相手にして一つの小さな物語を仕組んで、まり子の作った情緒を私が共にしてくれることを期待していた。それに応えて私が泣いてくれれば、さらによかった。
 しかし私はそうしなかった。いきなり枕もとから、「犯罪と刑罰」をとって、女の鼻先へつきつけた。
 まり子は素直に文庫本の頁をめくった。何も言わずに、もとのところへほうり投げた。もうその本は彼女の記憶を去っていた。
 私は女が、私と会ったという運命に、何かの予感を感じてくれることをのぞんでいた。世界の没落に手を貸しているという意識に、少しでも近づいてくれるようにのぞんだ。それは女にとっても、どうでもよいことではない筈だと私は考えた。こうした焦慮のあげく、とうとう言うべきでないことを私は言った。
「一ト月、……そうだな、一ト月以内に、新聞に僕のことが大きく出ると思う。そうしたら、思い出してくれ」
 言い了ると、私は激しく動悸していた。しかしまり子は笑い出した。乳房をゆすって笑い、私をちらちら見ながら、袂を噛んで笑いをこらえるが、又新たな笑いに小突きまわされて、体じゅうが慄えた。何がそんなに可笑しいのか、まり子にも説明できなかったにちがいない。それに気がついて、女は笑い止んだ。
「何が可笑しいんだ」と私は愚問を発した。
「だって、あんたって嘘つきだねえ。ああ、おかしい。あんまり嘘つきなんだもの」
「嘘なんか言わない」
「もう止して。ああ、おかしい。笑い殺されちゃう。嘘ばっかり言ってさ、まじめな顔をして」
 まり子は又笑った。その笑いは実に単純な理由、勢い込んで言った私の言葉が異様に吃ったからにすぎなかったかもしれない。とにかくまり子は完全に信じなかった。
 彼女は信じなかった。目前に地震が起っても、彼女は信じなかったにちがいない。世界が崩壊しても、この女だけは崩壊しないかもしれない。何故ならまり子は、自分の考える筋道どおりに起る事柄しか信じないのに、世界がまり子の考えるように崩壊することはありえず、まり子がそんなことを考える機会も金輪際なかったからだ。その点でまり子は柏木に似ていた。女の、考えない柏木が、まり子であった。
 話題が途絶えたので、乳房をあらわにしたまま、まり子は鼻歌をうたった。するとその鼻歌が蠅の羽音にまぎれた。蠅が彼女のまわりを飛んでいて、たまたま乳房にとまっても、まり子は、
「くすぐったいわねえ」
 と言うだけで、追うでもなかった。乳房にとまるとき、蠅はいかにも乳房に密着していた。おどろかされたことには、まり子にはこの愛撫が満更でもないらしかった。
 軒庇に雨音がした。それはそこだけに降っているような雨音だった。雨がひろがりを失って、この町の一隅に迷い込んで、立ちすくんでいると云った風である。その音は、私の居る場所のように、広大な夜から切り離された、枕行燈の仄明りの下だけのような、局限された世界の雨音であった。
 蠅は腐敗を好むなら、まり子には腐敗がはじまっているのか? 何も信じないということは腐敗なのか? まり子が自分だけの絶対の世界に住んでいるということは、蠅に見舞われることなのか? 私にはそれがわからなかった。
 しかし突然、死のような仮睡に落ちた女の、枕もとの明りに丸く照らされた乳房の明るみの上では、蠅も亦、急に眠りに落ちたかのように動かなかった。
 床柱のわきの仄暗いあたりに、大きな白い包みのようなものが見える。よく見ると老師である。白衣の身を曲げるだけ曲げて、頭を膝の間に擁して、両袖で顔を覆うて、うずくまっているのである。
 その姿勢のまま、老師は動かない。いっかな動かない。却って見ている私のほうに、さまざまな感情が去来した。
 はじめ私の思ったのは、老師が何か急激な病気に襲われ、発作に耐えているのだろうということであった。私はすぐ立寄って介抱に当ればよかった。
 しかし私を引止める別の力があった。どんな意味ででも私は老師を愛していず、明日にも放火の決心を固めているのだから、そんな介抱は偽善であり、又もし介抱して、その結果和尚に感謝や情愛を示されたら、それが私の心弱りになるという危惧があった。
 仔細に見ると、老師は病気とは思われなかった。いずれにせよその姿勢は、矜りも威信も失くして、卑しさがほとんど獣の寝姿を思わせた。袖がかすかに慄えているのがわかり、何か見えない重いものがその背にのしかかっているようであった。
 その見えない重みは何だろうかと私は考えた。苦悩だろうか? それとも老師自身の耐えがたい無力感だろうか?
 耳が馴れるにしたがって、老師がごく低く呟いている経文らしいものが聴かれたが、何の経文かわからない。私たちの知らぬ暗い精神生活が老師にはあって、それと比べたら、私が懸命に試みて来た小さな悪や罪や怠慢は、とるに足らぬものだという考えが、突然私の矜りを傷つけるために現われた。
 そうだ。そのとき私は気づいたのだが、老師のそのうずくまった姿は、僧堂入衆の歎願を拒まれた行脚僧が、玄関先で終日自分の荷物の上に頭を垂れて過ごすあの庭詰の姿勢に似ていた。もし老師ほどの高僧が、新来の旅僧のこのような修行の形を真似ているなら、その謙虚さはおどろくべきものがあった。何にむかって老師がそれほど謙虚になっているのかわからなかった。庭の下草や、木々の葉末や、蜘蛛の網に宿った露が、天上の朝焼けに対して謙虚なように、老師も自分のものではない本源的な悪や罪業に対して、それをそのまま獣の姿勢でわが身に映すほど、謙虚になっているのであろうか?
『私に見せているのだ!』と突然私は考えた。それにちがいない。私がここを通ることを知っていて、私に見せるためにああしているのだ。自分の無力をほとほと覚った老師は、最後に無言で私の心を引き裂き、私に憐憫の感情を起させ、ついには私の膝を屈させる、そういう世にも皮肉な訓誡の方法を発見したのだ!
 何やかと心迷いながら、その老師の姿を見ているうちに、危うく私が感動に襲われかけていたのは事実だった。力の限り否定しながら、私が老師をまさに愛慕しようとしているその境目のところにいたことは疑いがない。しかし『私に見せるためにそうしている』と考えたおかげで、すべてが逆転し、私は前よりも硬い心をわがものにした。
 放火の決行に、老師の放逐などをあてにすまいと、私が思い定めたのはこの時である。老師と私は、もうお互いに影響されることのない別の世界の住人になった。私は無礙であった。もはや外の力に期待せずに、自分の思うまま、自分の思うときに決行すればよかった。
 朝焼けが色褪せると共に、空には雲が殖え、拱北楼の濡縁からは鮮やかな日ざしが退いた。老師はうずくまったままだった。私は足早にそこを立去った。
 私は夜の西陣署の前を行きつ戻りつした。窓のいくつかはあかあかと灯し、開襟シャツの刑事が鞄を抱えてあわただしく入って行く姿が見えた。私に注意を払う者は一人もいない。過去二十年、私に注意を払う人間はいなかったが、今のところ、その状態はつづいている。今のところ、私はまだ重要ではない。この日本にも、何百万、何千万の、人の注意を惹かない片隅の人間がいて、私はまだそれに属しているのである。こういう人間が生きようと死のうと、世間は何ら痛痒を感じないのだが、そんな人間は実に安心させるものを持っている。だから刑事も安心して、私のほうを振向こうとしないのだ。「察」の字の脱落した西陣警察署という横書きの石の文字を、赤い煙るような門燈の光りが示している。
 寺へのかえるさ、私は今宵の買物について考えた。心の躍るような買物である。
 刃物と薬とを、私は万一あるべき死の支度に買ったのであるが、新らしい家庭を持つ男が何か生活の設計を立てて、買う品物はさもあろうかと思われるほど、それは私の心を娯しませた。寺へかえってからも、その二つのものに見飽かなかった。鞘を払って、小刀の刃を舐めてみる。刃はたちまち曇り、舌には明確な冷たさの果てに、遠い甘味が感じられた。甘みはこの薄い鋼の奥から、到達できない鋼の実質から、かすかに照り映えてくるように舌に伝わった。こんな明確な形、こんなに深い海の藍に似た鉄の光沢、……それが唾液と共にいつまでも舌先にまつわる清冽な甘みを持っている。やがてその甘みも遠ざかる。私の肉が、いつかこの甘みの迸りに酔う日のことを、私は愉しく考えた。死の空は明るくて、生の空と同じように思われた。そして私は暗い考えを忘れた。この世には苦痛は存在しないのだ。
 六月三十日に、私は又しても千本今出川へ行って、菓子パンと最中を買った。寺では間食が出ないので、乏しい小遣の中から、たびたびそこで僅かずつ菓子を買ったことがある。
 しかし三十日に買った菓子は、空腹のためではない。カルモチンの服用の援けに買ったのでもない。強いて言えば、不安がそれを買わせた。
 手に提げたふくよかな紙袋と、私との関係。私が今や着手しようとしている完全に孤独な行為と、みすぼらしい菓子パンとの関係。……曇った空からにじみ出た陽が、むしあつい靄のように古い町並に立ちこめていた。汗はひそかに、私の背に突然冷たい糸を引いて流れた。大そう倦かった。
 菓子パンと私との関係。それは何だったろう。行為に当面して精神がどれほど緊張と集中に勇み立とうが、孤独なままに残された私の胃が、そこでもなお、その孤独の保証を求めるだろうと私は予想していた。私の内臓は、私のみすぼらしい、しかし決して馴れない飼犬のように感じられた。私は知っていた。心がどんなに目ざめていようと、胃や腸や、これら鈍感な臓器は、勝手になまぬるい日常性を夢みだすことを。
 私は自分の胃が夢みるのを知っていた。菓子パンや最中を夢みるのを。私の精神が宝石を夢みているあいだも、それが頑なに、菓子パンや最中を夢みるのを。……いずれ菓子パンは、私の犯罪を人々が無理にも理解しようと試みるとき、恰好な手がかりを提供するだろう。人々は言うだろう。『あいつは腹が減っていたのだ。何と人間的なことだろう!』
 二合ちかく入る大きな白磁の銚子が空になったので、私は一礼して典座へ代りをとりに行った。熱い銚子を捧げて帰って来るとき、私に嘗て知らなかった感情が生れた。一度も人に理解されたいという衝動にはかられなかったのに、この期に及んで、禅海和尚にだけは理解されたいと望んだのである。再び来て酒をすすめる私の目が、先程とちがって、いかにも真率にかがやくのに和尚は気づいた筈だ。
「私をどう思われますか」
 と私はたずねた。
「ふむ、真面目な善い学生に見えるがのう。裏でどんな道楽をしておるか、儂は知らん。しかし気の毒に、昔とちがって道楽の金もあるまいがのう。お父さんと儂とここの住職とは、若い時分はなかなか悪さをしたものじゃった」
「私は平凡な学生に見えましょうか」
「平凡に見えるのが何よりのことじゃ。平凡でよいのじゃ。そのほうが人に怪しまれんでよいわい」
 禅海和尚には虚栄心がなかった。高位の僧の陥りがちな弊であるが、人物から書画骨董にいたるまでの万般の鑑識眼を恃まれるので、あとで鑑識の誤まりを嗤われぬように、断定的なことを言うまいとする人がある。もちろん禅僧風の独断を即座に下してみせるが、どちらにも意味のとれるような余地を残しておくのである。禅海和尚はそうではなかった。彼が見たまま感じたままを言っていることがよくわかった。彼は自分の単純な強い目に映る事物に、ことさら意味を求めたりすることはなかった。意味はあってもよく、なくてもよい。そして和尚が何より私に偉大に感じられたのは、ものを見、たとえば私を見るのに、和尚の目だけが見る特別のものに頼って異を樹てようとはせず、他人が見るであろうとおりに見ていることであった。和尚にとっては単なる主観的世界は意味がなかった。私は和尚の言わんとするところがわかり、徐々に安らぎを覚えた。私が他人に平凡に見える限りにおいて、私は平凡なのであり、どんな異常な行為を敢てしようと、私の平凡さは、箕に漉された米のように残っているのだった。
 私はいつかしら自分の身を、和尚の前に立っている静かな葉叢の小さな樹のように思い做した。
「人に見られるとおりに生きていればよろしいのでしょうか」
「そうも行くまい。しかし変ったことを仕出かせば、又人はそのように見てくれるのじゃ。世間は忘れっぽいでな」
「人の見ている私と、私の考えている私と、どちらが持続しているのでしょうか」
「どちらもすぐ途絶えるのじゃ。むりやり思い込んで持続させても、いつかは又途絶えるのじゃ。汽車が走っているあいだ、乗客は止っておる。汽車が止ると、乗客はそこから歩き出さねばならん。走るのも途絶え、休息も途絶える。死は最後の休息じゃそうなが、それだとて、いつまで続くか知れたものではない」
 「私を見抜いて下さい」ととうとう私は言った。「私は、お考えのような人間ではありません。私の本心を見抜いて下さい」
 和尚は盃を含んで、私をじっと見た。雨に濡れた鹿苑寺の大きな黒い瓦屋根のような沈黙の重みが私の上に在った。私は戦慄した。急に和尚が、世にも晴朗な笑い声を立てたのである。
「見抜く必要はない。みんなお前の面上にあらわれておる」
 和尚はそう言った。私は完全に、残る隈なく理解されたと感じた。私ははじめて空白になった。その空白をめがけて滲み入る水のように、行為の勇気が新鮮に湧き立った。
 私は口のなかで吃ってみた。一つの言葉はいつものように、まるで袋の中へ手をつっこんで探すとき、他のものに引っかかってなかなか出て来ない品物さながら、さんざん私をじらせて唇の上に現われた。私の内界の重さと濃密さは、あたかもこの今の夜のようで、言葉はその深い夜の井戸から重い釣瓶のように軋りながら昇って来る。
『もうじきだ。もう少しの辛抱だ』と私は思った。『私の内界と外界との間のこの錆びついた鍵がみごとにあくのだ。内界と外界は吹き抜けになり、風はそこを自在に吹きかようようになるのだ。釣瓶はかるがると羽搏かんばかりにあがり、すべてが広大な野の姿で私の前にひらけ、密室は滅びるのだ。……それはもう目の前にある。すれすれのところで、私の手はもう届こうとしている。……』
 私は幸福に充たされて、一時間も闇の中に坐っていた。生れてから、この時ほど幸福だったことはなかったような気がする。……突然私は闇から立上った。
『義満の目、義満のあの目』と、その扉から戸外へ身を躍らして、大書院裏へ駈け戻るあいだ私は考えつづけた。『すべてはあの目の前で行われる。何も見ることのできない、死んだ証人のあの目の前で……』
 このときの私が突然食欲に襲われたのは、あまりにも予想に叶っていて、却って私は裏切られたような感じに襲われた。きのう喰べ残した菓子パンと最中はポケットにあった。私は濡れた手をジャンパーの裾で拭き、貪るように喰べた。味はわからない。味覚とは別に、私の胃が叫んでいて、私はひとえに慌しく菓子を口の中へ詰め込めばよかった。胸は急いて動悸していた。ようよう呑み込むと、私は池の水を掬って飲んだ。
 ……私は行為のただ一歩手前にいた。行為を導きだす永い準備を悉く終え、その準備の突端に立って、あとはただ身を躍らせればよかった。一挙手一投足の労をとれば、私はやすやすと行為に達する筈であった。
 私はこの二つのあいだに、私の生涯を呑み込むに足る広い淵が口をあけていようとは、夢想もしていなかった。
 というのは、そのとき私は最後の別れを告げるつもりで金閣のほうを眺めたのである。
 金閣は雨夜の闇におぼめいており、その輪郭は定かでなかった。それは黒々と、まるで夜がそこに結晶しているかのように立っていた。瞳を凝らして見ると、三階の究竟頂にいたって俄かに細まるその構造や、法水院と潮音洞の細身の柱の林も辛うじて見えた。しかし嘗てあのように私を感動させた細部は、ひと色の闇の中に融け去っていた。
 が、私の美の思い出が強まるにつれ、この暗黒は恣まに幻を描くことのできる下地になった。この暗いうずくまった形態のうちに、私が美と考えたものの全貌がひそんでいた。思い出の力で、美の細部はひとつひとつ闇の中からきらめき出し、きらめきは伝播して、ついには昼とも夜ともつかぬふしぎな時の光りの下に、金閣は徐々にはっきりと目に見えるものになった。これほど完全に細緻な姿で、金閣がその隈々まできらめいて、私の眼前に立ち現われたことはない。私は盲人の視力をわがものにしたかのようだ。自ら発する光りで透明になった金閣は、外側からも、潮音洞の天人奏楽の天井画や、究竟頂の壁の古い金箔の名残をありありと見せた。金閣の繊巧な外部は、その内部とまじわった。私の目は、その構造や主題の明瞭な輪郭を、主題を具体化してゆく細部の丹念な繰り返しや装飾を、対比や対称の効果を、一望の下に収めることができた。法水院と潮音洞の同じ広さの二層は、微妙な相違を示しながらも、一つの深い軒庇のかげに守られて、いわば一双のよく似た夢、一対のよく似た快楽の記念のように重なっていた。その一つだけでは忘却に紛れそうになるものを、上下からやさしくたしかめ合い、そのために夢は現実になり、快楽は建築になったのだった。しかしそれも、第三層の究竟頂の俄かにすぼまった形が戴かれていることで、一度確かめられた現実は崩壊して、あの暗いきらびやかな時代の、高邁な哲学に統括され、それに服するにいたるのである。そして柿葺の屋根の頂き高く、金銅の鳳凰が無明の長夜に接している。
 建築家はなおそれだけでは満ち足りなかった。彼は法水院の西に釣殿に似たささやかな漱清を張り出した。彼は均衡を破ることに、美的な力のすべてを賭けたかのようであった。漱清はこの建築において、形而上学に反抗している。それは決して池へ長々とさしのべられているのではないのに、金閣の中心からどこまでも遁走してゆくようにみえるのである。漱清はこの建築から飛び翔った鳥のように、今し翼をひろげて、池のおもてへ、あらゆる現世的なものへむかって遁れていた。それは世界を規定する秩序から、無規定のものへ、おそらくは官能への橋を意味していた。そうだ。金閣の精霊は半ば絶たれた橋にも似たこの漱清からはじまって、三層の楼閣を成して、又再び、この橋からのがれてゆくのである。何故なら、池のおもてにたゆたう莫大な官能の力が、金閣を築く隠れた力の源泉であったのだが、その力が完全に秩序立てられ、美しい三層を成したあとでは、もうそこに住むことに耐えられなくなって、漱清をつたわってふたたび池の上へ、無限の官能のたゆたいの中へ、その故郷へと、遁れ去ってゆくほかはなかったのだ。いつも思ったことだが、鏡湖池に立ち迷う朝霧や夕靄を見るたびに、私はそここそ金閣を築いたおびただしい官能的な力の棲家だと思うのであった。
 そして美は、これら各部の争いや矛盾、あらゆる破調を統括して、なおその上に君臨していた! それは濃紺地の紙本に一字一字を的確に金泥で書きしるした納経のように、無明の長夜に金泥で築かれた建築であったが、美が金閣そのものであるのか、それとも美は金閣を包むこの虚無の夜と等質なものなのかわからなかった。おそらく美はそのどちらでもあった。細部でもあり全体でもあり、金閣でもあり金閣を包む夜でもあった。そう思うことで、かつて私を悩ませた金閣の美の不可解は、半ば解けるような気がした。何故ならその細部の美、その柱、その勾欄、その蔀戸、その板唐戸、その華頭窓、その宝形造の屋蓋、……その法水院、その潮音洞、その究竟頂、その漱清、……その池の投影、その小さな島々、その松、その舟泊りにいたるまでの細部の美を点検すれば、美は細部で終り細部で完結することは決してなく、どの一部にも次の美の予兆が含まれていたからだ。細部の美はそれ自体不安に充たされていた。それは完全を夢みながら完結を知らず、次の美、未知の美へとそそのかされていた。そして予兆は予兆につながり、一つ一つのここには存在しない美の予兆が、いわば金閣の主題をなした。そうした予兆は、虚無の兆だったのである。虚無がこの美の構造だったのだ。そこで美のこれらの細部の未完には、おのずと虚無の予兆が含まれることになり、木割の細い繊細なこの建築は瓔珞が風にふるえるように、虚無の予感に慄えていた。
 それにしても金閣の美しさは絶える時がなかった! その美はつねにどこかしらで鳴り響いていた。耳鳴りの痼疾を持った人のように、いたるところで私は金閣の美が鳴りひびくのを聴き、それに馴れた。音にたとえるなら、この建築は五世紀半にわたって鳴りつづけて来た小さな金鈴、あるいは小さな琴のようなものであったろう。その音が途絶えたら……

 ――私は激甚の疲労に襲われた。
 幻の金閣は闇の金閣の上にまだありありと見えていた。それは燦めきを納めなかった。水ぎわの法水院の勾欄はいかにも謙虚に退き、その軒には天竺様の挿肘木に支えられた潮音洞の勾欄が、池へむかって夢みがちにその胸をさし出していた。庇は池の反映に明るみ、水のゆらめきはそこに定めなく映って動いた。夕日に映え、月に照らされるときの金閣を、何かふしぎに流動するもの、羽搏くものに見せていたのは、この水の光りであった。たゆたう水の反映によって堅固な形態の縛めを解かれ、かかるときの金閣は、永久に揺れうごいている風や水や焔のような材料で築かれたものかと見えた。
 その美しさは儔いがなかった。そして私の甚だしい疲労がどこから来たかを私は知っていた。美が最後の機会に又もやその力を揮って、かつて何度となく私を襲った無力感で私を縛ろうとしているのである。私の手足は萎えた。今しがたまで行為の一歩手前にいた私は、そこから再びはるか遠く退いていた。
『私は行為の一歩手前まで準備したんだ』と私は呟いた。『行為そのものは完全に夢みられ、私がその夢を完全に生きた以上、この上行為する必要があるだろうか。もはやそれは無駄事ではあるまいか。
 柏木の言ったことはおそらく本当だ。世界を変えるのは行為ではなくて認識だと彼は言った。そしてぎりぎりまで行為を模倣しようとする認識もあるのだ。私の認識はこの種のものだった。そして行為を本当に無効にするのもこの種の認識なのだ。してみると私の永い周到な準備は、ひとえに、行為をしなくてもよいという最後の認識のためではなかったか。
 見るがいい。今や行為は私にとっては一種の剰余物にすぎぬ。それは人生からはみ出し、私の意志からはみ出し、別の冷たい鉄製の機械のように、私の前に在って始動を待っている。その行為と私とは、まるで縁もゆかりもないかのようだ。ここまでが私であって、それから先は私ではないのだ。……何故私は敢て私でなくなろうとするのか』
 私は松の根方にもたれた。その濡れた冷たい樹の肌は私を魅した。この感覚、この冷たさが私だと私は感じた。世界はそのままの形で停止し、欲望もなく、私は満ち足りていた。
『このひどい疲労をどうしたものだろう』と考えた。『何だか熱がこもっていて、けだるくて、手を自分の思うところへ動かすこともできない。きっと私は病気なのだ』
 金閣はなお耀やいていた。あの「弱法師」の俊徳丸が見た日想観の景色のように。
 俊徳丸は入日の影も舞う難波の海を、盲目の闇のなかに見たのであった。曇りもなく、淡路絵島、須磨明石、紀の海までも、夕日に照り映えているのを見た。……
 私の身は痺れたようになり、しきりに涙が流れた。朝までこのままでいて、人に発見されてもよかった。私は一言も、弁疏の言葉を述べないだろう。

 ……さて私は今まで永々と、幼時からの記憶の無力について述べて来たようなものだが、突然蘇った記憶が起死回生の力をもたらすこともあるということを言わねばならぬ。過去はわれわれを過去のほうへ引きずるばかりではない。過去の記憶の処々には、数こそ少ないが、強い鋼の発条があって、それに現在のわれわれが触れると、発条はたちまち伸びてわれわれを未来のほうへ弾き返すのである。
 身は痺れたようになりながら、心はどこかで記憶の中をまさぐっていた。何かの言葉がうかんで消えた。心の手に届きそうにして、また隠れた。……その言葉が私を呼んでいる。おそらく私を鼓舞するために、私に近づこうとしている。
『裏に向ひ外に向つて逢著せば便ち殺せ』
 ……その最初の一行はそういうのである。臨済録示衆の章の名高い一節である。言葉はつづいてすらすらと出た。
『仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脱を得ん。物と拘はらず透脱自在なり』
 言葉は私を、陥っていた無力から弾き出した。俄かに全身に力が溢れた。とはいえ、心の一部は、これから私のやるべきことが徒爾だと執拗に告げてはいたが、私の力は無駄事を怖れなくなった。徒爾であるから、私はやるべきであった。
 傍の座蒲団と風呂敷を丸めて小脇に抱えて、私は立上った。金閣のほうを見た。きらめく幻の金閣は薄れかけていた。勾欄は徐々に闇に呑まれ、林立する柱は分明でなくなった。水の光りは消え、軒庇の裏の反映も消え去った。やがて細部はことごとく夜闇に隠れて、金閣はただ黒一いろのおぼろげな輪郭をとどめるだけになった。……
 私はカルモチンや短刀を忘れていた。この火に包まれて究竟頂で死のうという考えが突然生じた。そして火から遁れて、窄い階段を駈け上った。潮音洞へ昇る扉がどうして開いたのかという疑いは起らない。老案内人が二階の戸締りを忘れていたのである。
 煙は私の背に迫っていた。咳きながら、恵心の作と謂われる観音像や、天人奏楽の天井画を見た。潮音洞にただよう煙は次第に充ちた。私は更に階を上って、究竟頂の扉をあけようとした。
 扉は開かない。三階の鍵は堅固にかかっている。
 私はその戸を叩いた。叩く音は激しかったろうが、私の耳には入らない。私は懸命にその戸を叩いた。誰かが究竟頂の内部からあけてくれるような気がしたのである。
 そのとき私が究竟頂に夢みていたのは、確かに自分の死場所であったが、煙はすでに迫っていたから、あたかも救済を求めるように、性急にその戸を叩いていたものと思われる。戸の彼方にはわずか三間四尺七寸四方の小部屋しかない筈だった。そして私はこのとき痛切に夢みたのだが、今はあらかた剥落してこそおれ、その小部屋には隈なく金箔が貼りつめられている筈だった。戸を叩きながら、私がどんなにその眩ゆい小部屋に憧れていたかは、説明することができない。ともかくそこに達すればいいのだ、と私は思っていた。その金色の小部屋にさえ達すればいい……。
 私は力の限り叩いた。手では足りなくなって、じかに体をぶつけた。扉は開かない。
 潮音洞はすでに煙に充たされていた。足下には火の爆ぜる音がひびいていた。私は煙に噎せ、ほとんど気を失いそうになった。咳き込みながら、なおも戸を叩いた。扉は開かない。
 ある瞬間、拒まれているという確実な意識が私に生れたとき、私はためらわなかった。身を飜えして階を駈け下りた。煙の渦巻く中を法水院まで下りて、おそらく私は火をくぐった。ようやく西の扉に達して戸外へ飛び出した。それから私は、自らどこへ行くとも知らずに、韋駄天のように駈けたのである。

 ……私は駈けた。どれだけ休まずに私が駈けたかは想像の外である。どこをどう通ったかも憶えていない。おそらく私は拱北楼のかたわらから、北の裏門を出て、明王殿のそばをすぎ、笹や躑躅の山道を駈けのぼって、左大文字山の頂きまで来たのだった。
 私が赤松の木かげの笹原に倒れ、はげしい動悸を鎮めるために喘いでいるのは、たしかに左大文字山の頂きであった。それは金閣を真北から護っている山である。
 私が明瞭な意識を取戻したのは、おどろかされた鳥の叫喚のためである。或る鳥は私の顔の目近に、大仰な羽搏きを辷らせて翔った。
 あおのけに倒れた私の目は夜空を見ていた。おびただしい鳥が、鳴き叫んで赤松の梢をすぎ、すでにまばらな火の粉が頭上の空にも浮遊していた。
 身を起して、はるか谷間の金閣のほうを眺め下ろした。異様な音がそこからひびいて来た。爆竹のような音でもある。無数の人間の関節が一せいに鳴るような音でもある。
 ここからは金閣の形は見えない。渦巻いている煙と、天に冲している火が見えるだけである。木の間をおびただしい火の粉が飛び、金閣の空は金砂子を撒いたようである。
 私は膝を組んで永いことそれを眺めた。
 気がつくと、体のいたるところに火ぶくれや擦り傷があって血が流れていた。手の指にも、さっき戸を叩いたときの怪我とみえて血が滲んでいた。私は遁れた獣のようにその傷口を舐めた。
 ポケットをさぐると、小刀と手巾に包んだカルモチンの瓶とが出て来た。それを谷底めがけて投げ捨てた。
 別のポケットの煙草が手に触れた。私は煙草を喫んだ。一ト仕事を終えて一服している人がよくそう思うように、生きようと私は思った。
――一九五六、八、一四――

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?