ニーチェ『愉しい学問』

第二版への序文

  四

 最後に、最も本質的なことを言わないままでいるわけにはいかない。ひとは、そのような数々の深淵から、そのような重い長患いから、ひいては重い疑惑の長患いから、新しく生まれてふたたび立ち戻ってくる。脱皮して、いっそう敏感になり、いっそう意地悪になり、悦びを好む趣味の上品さが増し、一切の慶事をより繊細に味わえるようになり、いっそう快活な感覚をそなえ、悦びにおけるいっそう危険な第二の無垢をそなえ、いっそう子どもじみていると同時に、かつて誰かが到達したよりも百倍も洗練されて。おお、今やわれわれには、享楽がどんなに疎ましく感じられることか。享受にありつく連中が、つまり現代の「教養人」、現代の金満家や支配者たちが、平生解しているような、粗野でかび臭い褐色の享楽など、クソくらえだ。今日の「教養人」や大都会の住人が、芸術や書物や音楽という精神的アルコール飲料の助けを借りて、みだらな「精神的享楽」に耽る、その歳の市のドタンバタンの大騒ぎに、今やわれわれは、どんなに意地悪く耳をそばだてることか。情熱たっぷりの芝居がかった絶叫を耳にして、われわれは今や、なんと苦痛をおぼえることか。教養賤民の好むロマン主義的な騒擾と乱痴気騒ぎの全体は、崇高なもの、高められたもの、ひねくれたものへの彼らの熱望ともども、われわれの趣味に、どんなに縁遠くなっていることか。否、われわれ快復しつつある者にそもそも何らかの芸術がなお必要だとすれば、それは別種の芸術である。──明るい炎のように燃え上がり、雲一つない大空に向かってゆく、嘲笑的で、軽やかで束の間で、天衣無縫の、神業のごとき芸術だ。とりわけ、芸術家のための芸術、芸術家だけのための芸術だ。そのためにはまずもって何が必要か、われわれは後になってからもっと上手に心得る。快活さ、あらゆる快活さなのだ、わが友よ。芸術家としてもそうなのだ。──そのことを私は証明したい。われわれ知者は今や、いくつかのことをよく知りすぎている。おお、われわれは今や、よく忘れること、よく知らないでいることを学ぶ。芸術家としてだ。そして、われわれの未来に関して言えば、かのエジプトの若者のてつを、われわれがふたたび踏むことはまずないだろう。つまり、夜、神殿に乱入し、彫像を抱擁し、しかるべき理由があって隠されたままになっているものをことごとく、露わにむき出しにし、明るい光に晒そうとする、といった真似をわれわれはしないだろう。否、この悪趣味、「いかなる犠牲を払っても真理を」と欲する、この真理への意志、真理への愛のこの若気の至り的酔狂──には、ほとほと嫌気がさした。そうするにはわれわれは、あまりに経験を積み、あまりに真面目で、あまりに快活で、あまりに焼きを入れられ、あまりにも深い。……真理から覆いが剥ぎとられてなお、それでも真理が真理にとどまるとは、われわれはもはや信じない。そう信ずるには、われわれはあまりにたっぷり生きた。一切を裸にして眺めたりしないこと、一切のそばに寄り添ったりしないこと、一切を理解し「知る」ことを欲したりしないこと、今日ではこれは、礼節の問題であるように思われる。「神様はどこでもついてきてくださるって、本当なの?」と、幼い少女が母親にたずねた。「でも、それってお行儀悪いと思うわ」哲学者たちへのれっきとした目配せウインクだ。謎やら色とりどりの不確かさやらによって自然が身を隠すさいに見せる羞恥に、もっと敬意が払われるべきだった。おそらく真理とは訳ありの女性なのであり、みだりにその訳を見せたりしない訳があるのではないか。おそらく彼女の名前は、ギリシア語で言うと、バウボほとなのでは。……おお、さすがギリシア人。彼らは、生きることを心得ていた。その極意は、表面に、皺に、皮膚に、勇ましく踏みとどまること、仮象を崇拝すること、形を、調べを、言葉を、仮象のオリュンポス山を丸ごと信仰すること、ここにあるのだ。ギリシア人は表面的だった──深さゆえにだ。われわれもまさにそこへ帰ってゆくのではないか、精神の無鉄砲者たるわれわれは。われわれは、現代思想の最も高く最も危険な絶頂にまでよじ登ったし、そこから四方を見渡し、そこから足下を見下ろすのであった。われわれはまさにその点で──ギリシア人ではないのか。形の、調べの、言葉の、崇拝者ではないのか。それゆえにこそ──芸術家ではないのか。

 ジェノヴァ近くのルータにて
  一八八六年秋

冗談たわむれ策略たくらみ復讐しかえし」 ドイツ語の押韻による序曲

3番 ひるむことなく

おまえの立っているところ、そこを掘れ、地下深く。
その下にはきっと泉がある。
ぼんやりした連中には、ほざかせておけ、
「下にあるのはきまって地獄だ」 と。
6番 世間的な賢さ

平らな低地に安住するな。
高すぎる山によじ登るな。
この世のながめが絶景なのは、
中ぐらいの高さから見たとき。


7番 入門書、つまり我と共に歩め〔Vademecum〕とは
     ──汝と共に歩め〔Vadetecum〕ということ


私の流儀と言葉におびき寄せられて、
君は私に従うのか、私について来るのか。
君自身に忠実について行くことだ──
そうすれば私に従うことになる──あわてなさんな。
14番 あっぱれな男

伐り出した丸太そのままのむきだしの敵意のほうが、
にかわで貼ってつなぎとめた友情よりはまだましだ。


15番 

錆びも必要──鋭利なだけじゃまだ物足りないな。
さもなきゃ、おまえはいつも言われる──「あいつは青二才だ」


16番 上に向かって

「山を登るには、どう行けば一番いいですか?」
ひたすら登れ、だが登っていることは忘れよ。


17番 乱暴者の言い草

お願いなどいらない。ただ、そうめそめそ泣くのはやめてくれ。
持っていけ、お願いだ、片っ端からとっとと持っていってくれ。
34番 セネカとその手のやから〔Seneca et hoc genus omne〕

連中がしきりに書きまくっているのは、
耐えがたいほど賢明な無駄口ばかり。
あたかも、一番大事なのは、書くことで、
次に哲学することだと言わんばかり。
38番 信心深い人は語る

神はわれらを愛し給う、なぜならわれらを造られたのだから──
「人間こそ神を造ったのだ」 ──君たち利口者は、そう言い返す。
ならば、造り主とは被造物を愛するものではないか。
否定などするはずがあろうか。なぜなら造り主なのだから。
これは、ヨタ歩きの論法というもの。足に付いているのは、悪魔のひづめ。

第一巻

2番

 知的良心。──私は再三再四、同じ目に遭い、そのたびごとにその経験にあらためて逆らう。たとえ一目瞭然だとしても、私は信じたくないのだ、大部分の人びとには知的良心が欠いているということを。実際のところ、知的良心の要求をいだくと、人口の密集した都市に住んでいても、砂漠にいるかのような孤独を味わうものだと、私にはしばしば思えてならなかった。誰もが、君をよそよそしい目つきで眺めては、ひたすら自分の天秤をいじっている。これは善、あれは悪、と名指しながら。この分銅は目方が足りないと、君が注意してやっても、誰一人赤面することもない。君に腹を立てることさえしない。おそらく、君の疑いを笑っているのだろう。私は言いたい。大部分の人びとは、あれやこれやのことを信じ、かつそれに従って生きており、それを軽蔑すべきことだとは思っていないのだと。そのさい、あらかじめ賛否のための究極的で最も確実な根拠を自覚することもなく、かといって、あとでそのような根拠を見出そうと骨を折ることすらないまま。──最も才能のある男たちや最も高貴な女たちでさえ、やはりこの「大部分の人びと」に入る。気立てのよさとか上品さとか天才とかいったところで、それが何であろう。そうした徳をもつ人間が、信仰や判断に関しては、だらしない感情を自分に許しているとすれば。確実性への要求が、その人の内奥の欲望と最深の必要として認められていないとすれば──高級な人間を低級な人間から区別する基準として、だ。私は、ある種の信心深い人びとのうちに、理性に対する憎悪を見出したが、だからこそ彼らには好感をもった。なにしろそこには、少なくとも、知的良心にもとるというやましさがおのずと表われていたからだ。しかるに、こうした矛盾対立するものの調和〔rerum concordia discors〕〔ホラティウス『書簡詩』一・一二〕、つまり、存在しているものの驚くべき不確実性と多義性の総体のただなかに立ちながら、問いを発しもしないこと、問いを発する欲望と快楽におののかないこと、問いを発する者を憎みもしないし、おそらくはそれどころか、問う者を嘲弄してはけ者にしさえすること、──こうした態度をこそ、私は軽蔑すべきものだと感じる。そしてこの感覚こそ、私が万人にまずもって求める当のものなのである。──何らかの愚かさが、私を再三再四、説き伏せにかかる。人間誰しもこの感覚をもっている、人間なんだから、と。これぞ私流の不公正さにほかならない。


3番

 高貴と卑俗。──生まれつき卑俗な連中には、高貴で気前のよい感情はどれも、目的に合っておらず、それゆえまずもって信用ならないものに見える。彼らは、そういったことを聞かされると眼をパチクリさせ、こう言いたげである、「たぶんそこにはうまい儲けでもあるのだろう。ひとのうちを覗き見するわけにもいかないが」。──彼らは、高貴な人が、あたかもこっそり儲けをたくらんでいるかのように邪推する。利己的な意図や利得などどこにもないことが分かりすぎるほど分かってしまうと、彼らは、高貴な人は阿呆の一種なのだと決めつける。彼らは、高貴な人が喜んでいるのを軽蔑し、その眼の輝きをあざ笑う 「損をしているのに喜ぶなんて、どうしてできるのだろう。みすみす損をしたがるなんて、どうしてできるのだろう。きっと、理性の病気が高貴な情念と結合してしまったに違いない」。──彼らはそう考え、馬鹿にしたような目付きをする。頭のおかしい人が固定観念から引き出してくる喜びを、彼らが馬鹿にするのと同じように。卑俗な連中の特徴はと言えば、自分の儲けをしっかりにらんで放さず、目的や儲けのことを考えることそれ自体が、どんなに強力な内的衝動よりも強く、つまり、そうした目的志向衝動によって、間違っても、目的に合わない行為に赴くことはない──これが、彼らの知恵であり自負なのである。彼らに比べれば、生まれつき高級な連中は、非理性的である。──というのも、高貴で気前よく犠牲的な人は、行為するさいには自分の衝動に屈しており、最高の瞬間には彼の理性は休憩するからである。生命の危険を冒してわが仔をかばったり、発情期に死に物狂いでメスを追いかけたりする動物は、危険や死のことなど顧みず、理性は同じく休憩するものだが、それはなぜかと言えば、ヒナやメスとともに味わう喜びや、その喜びを奪われる怖れが、その動物を完全に支配するからである。そのとき動物が普段より愚かになるのは、高貴で気前のよい人がそうなるのと同じである。高貴な人がもっている快と不快の感情は非常に強いので、それに対して知性は沈黙するか、この感情に加担して奉仕するかせざるをえない。その場合、心臓が頭に昇ってくるのであり、そのとき語られるのが「情熱」である。(ときには、その反対の、いわば「情熱の転倒」が起こることもある。たとえばフォントネルの場合がそうで、或るとき或る人が彼の胸に手を当てて言うには、「最愛の友よ、貴方は胸にも頭脳をもっておられる」。) 情熱の非理性または逆理性こそ、卑俗な人が高貴な人に見つけては軽蔑の的とするものにほかならない。卑俗な人の眼には空想的で恣意的な価値しかないように見える対象へと情熱が向かうときには、とくにそうである。卑俗な人は、腹部の情熱に屈している人を見ると腹を立てるが、しかし、そこで我がもの顔にふるまっている魅惑の力がどういうものか、は理解する。だが、たとえば、認識の情熱のために健康や名誉を賭すことのできる人がいるということは、彼には理解できない。生まれつき高級な人の趣味は、例外へと向かう。つまり、普通は寒々とさせるだけで甘美なところなど何もないように見える事物へと向かう。高級な人は、独特の価値規準をもっている。そのうえ、高級な人はたいてい、自分の趣味は特異体質のもので価値規準も独特である、などとは信じない。むしろ彼は、自分にとっての価値と無価値は、万人に妥当する価値と無価値なのだと決めてかかる。そのため、不可解で不手際な事態に陥ってしまうのである。高級な人間に、凡人を凡人として理解し、取り扱うだけの理性が残っていることは、めったにない。まずたいていは、彼は自分の情熱が、万人の隠しもっている情熱と同じだと信じており、そう信じているからこそ、滔々と熱弁をふるうのである。では、そのような例外人間が自分自身を例外とは感じないとすれば、そういう人間が、卑俗な人間を理解し、通例を正当に評価することなど、どうしてできるというのか。──彼らだって、人類の愚かしさや反目的性や妄想沙汰について語る。世の中がどんなに狂っていて、「世の中に必要なはず」のものをないがしろにしようとしているか、いぶかしく思う気持ちでいっぱいになりながら。──これぞ高貴な人間の永遠の不公正さにほかならない。
45番

 エピクロス。──そう、私は、エピクロスの性格を、おそらく他のどんな人の感じ方とも違ったふうに感ずることを、誇りに思う。また、エピクロスについて私が聞いたり読んだりするものすべてにおいて、古代の午後の幸福を楽しむことを、誇りに思う。──私には見える。エピクロスの眼が、陽の下にそそり立つ岸壁の向こうに広がる、白波立つ大海を眺めているのが。他方で、大小の動物たちも陽光を浴びて、陽光や眼光それ自体のように安らかに穏やかに戯れているのが。そのような幸福を発明できたのは、絶えず苦悩している者のみであった。その眼の前では、存在という名の大海は静まり、その眼は今や海面を、この色とりどりの繊細な震えわななく海の肌を、眺めてもはや見飽きるということがない、そういう限の幸福。かくも慎ましい悦楽は、以前には決して存在しなかった。
48番

 苦しみの知見。──人間や時代は、おそらく、それが苦しみの知見をどれだけ有しているかの違いによって、お互い一番よく区別されるだろう。つまり、身心の苦しみの知見を、である。からだの苦しみについて言えば、われわれ現代人は、おそらく揃いも揃って、疾患をかかえ脆弱であるにもかかわらず、豊かな自己経験を欠くために、へぼであると同時に空想家である。つまり、恐怖の時代──あらゆる時代のうちで最も長期にわたった時代──と比較すれば。恐怖の時代にあっては、個人は、暴力に対して自分で身を守るほかなかったし、この目標のために自分も暴力的人間にならなくてはならなかった。当時、男子は、肉体上の苦悶と耐乏をたっぷり学ぶことをとことん味わったし、自分自身を残酷なまでにさいなみ、苦痛の訓練をみずから買って出てまでして、自分に必要な自己保存の手段を摑みとった。当時ひとは、自分の身の周りの者たちも苦痛に耐えられるようにしつけた。当時ひとは、好んで苦痛を与えたし、この種の苦痛のうちで最も恐るべきものが他者に加えられるのを見ても、自分は安全だという感情のほかには何の感情も抱かなかった。ところで、こころの苦しみに関して言うと、私は今日どんな人間を眺める場合でも、その人がこころの苦しみを、経験から知っているか、それとも書物から知っているかの違いに着目する。つまり、この知見を、上等な教養のしるしでもあるかのように、この知見を持っているそぶりをすることが何といっても必要だと考えているか、それとも、大いなる精神的苦痛など心の底では信じておらず、歯痛や腹痛のことを思い浮かべて、そういう大きな身体的苦痛を言葉にする場合と似たり寄ったりの仕方で精神的苦痛を言葉にしているか、の違いである。しかるに今日たいていの人は、まず後者なのではないかと思われる。身心の両面で苦痛が全般的に訓練されておらず、苦しんでいる人を見かけることも確かに珍しくなったことから、今や、ある重要な帰結が生じてくる。今日われわれは苦痛を、以前の人びとよりはるかに憎んでおり、以前より苦痛のことを悪しざまに言う。それどころか、苦痛が一観念として現に存在するだけでもう、耐えがたいと感じ、そこから、この世に生きることをそっくり一個の良心問題と非難とに変えてしまう。厭世主義哲学があれこれ登場してきたのは、困窮状態が増大し恐るべきほどになったことを示す徴表メルクマールでは決してない。すべての生の価値に疑問符を突きつけるこの哲学が、現代作り出されるのは、この時代にあっては、この世に生きることが繊細化と安楽化を蒙ったおかげで、心身が蚊に食われるのは避けがたいというだけでもう、あまりに悪逆非道だと感じられてしまい、現実の苦痛経験の乏しさのなかで、悩みをもたらす一般的観念だけでもう、最高の種類の苦しみだと思われてしまいかねないからなのである。──厭世主義哲学と過敏すぎる感傷性に対する処方箋は、あるにはあろう。この過敏すぎる感傷性こそ本当の「現代人の苦しみ」だと私には思われるが。──ところで、この治療法はおそらくあまりに残酷に響くし、それ自体が「この世に生きることは邪悪なものだ」と現代人が判断するさいの根拠とされる徴候の一つに数えられてしまうことだろう。そう、「苦しみ」に対する処方箋とは、苦しみである。
51番

 真理感覚。──「では試してみよう」と応えることが私に許されるあらゆる懐疑を、私は称賛する。だが、実験を許さないどんな事物もどんな問題も、私は金輪際聞きたくない。これが私の「真理感覚」の限界である。というのも、そこでは勇敢さが権利を失っているからである。
56番

 苦悩を求める欲望。──何か事を為したいという欲望が、何百万ものヨーロッパの若者をたえずくすぐり、駆り立てている。彼らはみな、退屈に、つまり自分自身に我慢できないのである。 行為を求めるそうした欲望のことを考えると、私によく分かってくることがある。彼らのうちには、何かに悩みたい、ひいては、その苦悩から、為すこと、行為へのもっともらしい理由を手に入れたい、という欲望が、存在しているに違いないのである。困窮が必要なのだ。だからこそ、政治家はやかましくわめき立てるのだし、だからこそ、ありとあらゆる階級の「困窮状態」なるものが捏造され、誇張されるのだし、そういう偽りを盲目的にすぐ信じ込みたがる風潮がはびこるのである。彼ら若人たちは、外部から──幸福などではなく──不幸がやってくること、もしくは露見することを要求する。そして、彼らの空想がもう前々から精を出している仕事といえば、そこから一個の怪物を作り出すことであり、しかもそれは、その後は怪物を相手どって戦うことができると思ってのことである。困窮を欲しがる人びとが、内側から自分自身に喜びをもたらす力、自分自身に何かを恵み与える力を、おのれの内に感じたとすれば、自分自身の困窮の切迫を内側から自分で創造することもできたであろうに。そのあかつきには、彼らの発明は洗練されたことだろうし、彼らの満足感がさながら良質の音楽のように鳴り響くこともありえたことだろう。しかるに彼らは今、困窮の叫び声で世界を満たし、それゆえ、こともあろうに困窮感情で世界をいやというほど満たすのである。彼らは、自分で何を始めていいのか皆目分からない──そこで、他人の不幸を壁に描くのである。彼らにはつねに他者が必要なのだ。しかも、繰り返し繰り返し他なる他者が、だ。お許し願いたい、わが友人たちよ、私の幸福を壁に書くなどということを、私がしでかしたことを。

第二巻

80番

 芸術と自然。──ギリシア人(あるいは少なくともアテナイ人)は、ひとが立派に語るのを聞くことが好きだった。それどころか、彼らにはそうしたことを欲する貪欲な性癖があり、他の何にもましてこの性癖によって、彼らは非ギリシア人とは区別されるのである。かくしてギリシア人は、舞台上で激情が演じられる場面に対してさえ、激情が立派に語ることを要求したのであり、芝居の台詞が不自然だったとしても、そちらは喜んで我慢した。──じつは自然において、激情はひどく寡黙であるのに、だ。口がきけずに困っているものなのに、だ。あるいは、激情は、言葉が見つかると、しどろもどろになり、分別を失って、恥ずかしいことになるというのに、だ。ところで、われわれはみな、ギリシア人のおかげで、舞台上でのこの種の不自然さに馴れっこになっている。それはちょうど、われわれが、かの別の不自然さを、つまり激情が歌うことをイタリア人のおかげで我慢する、それも喜んで我慢するのと同じである。──われわれにとって、芝居ならざる現実によっては満たすことのできない欲求になっているのは、極度の困難に陥っている人間が、立派にまた仔細に語るのを聞きたい、という欲求である。われわれがうっとりする瞬間というのは、生が没根拠の深淵に近づき、現実の人間ならたいていは思考が途絶え、見事な言葉など定めし吐けなくなる場合にも、悲劇の主人公が、言葉、理屈、雄弁な立ち居振る舞いを見つけ出し、全体として明晰な精神状態を保つときである。こうした自然からの逸脱は、おそらく、人間の誇りにとって最も心地よいご馳走であろう。それゆえ一般に人間は、芸術を、高次の英雄的な不自然さや約束事の表現として愛するのである。悲劇詩人が一切を理性と言葉へと変貌させることをせず、沈黙という残余をいつまでも手元にとどめておくとき、その詩人が非難されるのは、もっともなことである。──それはちょうど、オペラの音楽家が、最高に高まった激情に、メロディーではなく、激情に満ちた「自然的」な吃音や絶叫を見つけることしかできない場合、われわれが不満をおぼえるのと同様である。ここでは、まさに自然に対して異議が唱えられるべきなのだ。ここでは、まさに幻想の卑俗な魅力が、より高次の魅力に席を譲るべきなのだ。ギリシア人は、この言語化への道を、はるか遠く歩んでいく──恐ろしいほど遠くまでだ。彼らは、舞台をできるかぎり狭く造り、奥行きのある舞台背景がもたらす効果を一切禁じ、しかも俳優が表情の動きや軽やかな動作をできないようにさせ、厳めしく突っ立って仮面をつけた奇怪なわら人形に変貌させてしまうが、そのように彼らは、激情そのものからも奥行きのある舞台背景を奪い、見事に語るための法則を激情に一方的に押しつける。それどころか、恐れと憐れみをかき立てる情景の基本的効果をわざと妨げるために、ありとあらゆることを行なった。ギリシア人はまさしく恐れと憐れみを欲しなかった──アリストテレスの名誉のため、最高の名誉のためにこそ、だ。だが、そのアリストテレスも、ギリシア悲劇の究極目的について語ったとき、的を衝いてはいないし、いわんや正鵠を射たわけではなかったのは、たしかだ。ギリシア悲劇の詩人たちを、彼らの勤勉、創意工夫、競争心を最も煽ったのはいったいであったかに着目して、よく見てみるといい。──激情によって観客を圧倒しようなどという意図でなかったのは、言うまでもないことだ。アテナイ人が劇場に出かけたのは、見事な語りを聞くためだったのだ。見事な語りのために、ソポクレスは腐心したのだ──私のこの異端思想をご容赦願いたい──。本式のオペラの場合、事情はまるで異なる。オペラの巨匠はみな、登場人物が理解されるのを防ごうと、わざわざ心がけるものである。言葉が時おり拾い上げられたところで、不注意な聴衆の助けになるくらいのものだし、全体として、状況はそれ自体おのずと説明されるのでなければならぬ──語りなどとるに足りぬ──と、彼らはみな考え、そうして言葉を馬鹿にしたのだった。言葉をとことん軽蔑し切っていることを全面的に表現する勇気だけは、おそらく彼らに欠けていたのだろう。ロッシーニに、もう少しばかり厚かましさがあったなら、彼は芝居の最初から最後までずっとララララと歌わせ続けたことだろう──そうしたとしても道理に適っていたに違いないのだ。オペラの登場人物に関して、そのまま信じてよいのは、「言葉」なんかではなく、音色なのだ。ここが違う点であり、これこそ、われわれがそれをお目当てにしてオペラに通うところの不自然さなのだ。乾いた叙唱〔recitativo secco〕〔話し言葉に近いあっさりした独唱〕すら、本来、言葉やテクストとして聴かれるべきものではない。この種の半音楽が音楽好きの耳に与えるべきなのはむしろ、まずもって小休止(オペラ芸術の最も崇高で、それゆえ最も消耗させもする享楽としてのメロディーの休止)である──が、すぐさま、別の何かが与えられる。すなわち、次第に我慢できなくなり、反発が昂じ、完全な音楽つまりメロディーを求める新たな欲望が、頭をもたげてくる。──こういった観点から見ると、リヒャルト・ヴァーグナーの芸術では事情はどうなっているだろうか。おそらく別様であろうか。しばしば私はそう思いたくなったが、彼の作品の言葉ならびに音楽を上演の前に暗記しておかなければならないかのごとくなのである。というのも、そうしておかないと──私にはそう思われたのだが──、言葉も、音楽すらも、さっぱり聞こえないからである。


81番

 ギリシア的趣味。──「それのどこが美しいのだ」──と、『イフィジェニー』の上演後、 かの幾何学者は言った──「そこでは何一つ証明されていないというのに」。ギリシア人はこういう趣味からそんなにかけ離れていた、というのだろうか。少なくともソポクレスの場合、「一切が証明」されている。
91番

 ご用心。──周知のとおり、アルフィエリ〔イタリアの劇作家〕は、驚嘆する同時代人に自伝を語ったとき、非常にたくさんの嘘をついた。彼が自分自身に対して嘘をつくはめになった専制支配は、たとえば、自分用に自分固有の言語を造り出し、自分を詩人に仕立て上げる暴君ぶりを発揮する、という仕方で証明された。──あげくに彼は、厳格な形式の崇高さを見つけ出し、その中へ自分の生涯と記憶を押し入れたほどであった。そこには多くの苦悶があったことだろう。──プラトンの伝記、つまりプラトン自身の書いた自伝があったとしても、私はちっとも信用しないだろう。ルソーの自伝や、ダンテの『新生』を信用しないのと同じように。
97番

 作家の饒舌について。──怒りが饒舌というかたちをとることがある。──ルターの場合しばしばそうだし、ショーペンハウアーの場合もそうである。カントのように、概念的な定型表現の貯えが大きすぎて饒舌になる場合もある。同じ事柄をたえずあらたに言い直すことの悦びから来る饒舌というものもある。モンテーニュの場合がそうである。意地の悪い性格ゆえの饒舌というのもある。現代の書物を読む人は、その例として、二人の作家を思い起こすだろう。立派な言葉を立派な形式で語ることの悦びから来る饒舌もあり、これはゲーテの散文に珍しくない。感覚の喧騒や混乱をぞっこん気に入ることから来る饒舌もある。たとえば、カーライルの場合。
99番

 ショーペンハウアーの信奉者たち。──文化民族と未開人が接触するさいに見てとれることがある。それは、低次の文化が高次の文化からまずもって受け入れるのは、決まって、その悪徳、弱さ、放蕩だということであり、低次の文化はそこからの刺激に晒されて魅せられたように感じ、ついには、悪徳や弱さを我がものとすることにより、高次の文化にそなわる価値ある力のいくばくかも自分に乗り移ってもらうまでになるということである。──このことをわれわれは、未開民族を歴訪せずとも、身近な事例で観察することができる。とはいえ、こちらは少しく洗練され、精神化されており、それほどお手軽につかまえることはできないけれども。ともあれ、ドイツにおけるショーペンハウアーの信奉者たちが、師匠からまずもって受け入れることを常としてきたものは何か。──彼らときたら、自分たちよりずっと優れた文化と比べると、自分たちをまだまだ未開人然と感じないわけにはゆかず、その結果、未開人然とショーペンハウアーにもまずもって魅惑され、誘惑されるのである。彼らがまずもって受けとるのは、ショーペンハウアーをしてイギリス的かつ非ドイツ的だとしばしば思わせる、彼の厳しい事実感覚、明澄な理性への善き意志であろうか。それとも、存在と意欲との生涯にわたる矛盾を持ちこたえ、彼の著作においても絶えずほとんどあらゆる点で自分自身と矛盾することを彼に余儀なくさせた、彼の知的良心の強靱さであろうか。それとも、教会とかキリスト教の神とかいった事柄に関する、彼の潔癖さであろうか。──というのも、この点にかけては、ショーペンハウアーは、これまでのドイツのいかなる哲学者よりも潔癖だったし、それゆえ「ヴォルテール主義者として」生き、かつ死んだからである。それとも、直観の知性的性質、因果法則のアプリオリ性、知性の道具的本性、意志の不自由性についての彼の不滅の教説であろうか。否、これらすべては、魔法にかける力もなければ、魅力的と感じられたこともないのである。そうではなく、むしろ、ショーペンハウアーの神秘的な困惑や言い逃れのほうなのである。つまり、この事実本位の思想家が、世界の謎を解く者でありたいという虚栄的衝動から、誘惑され堕落させられた幾つかの箇所に示されている、困惑や言い逃れのほうなのである。すなわち、一なる意志についての証明不可能な教説(「すべての原因は、意志がこの時、この場に現象する機会原因にすぎない」、「生きんとする意志は、いかなる存在者にも、どんなにちっぽけな存在者にも、丸ごとそっくり存在している。過去にあったもの、現在あるもの、未来にあるであろうものをすべてひっくるめて、それらに存在しているのと同じだけ完璧に」)。個体の否定(「いかなるライオンも、根本においては、一なるライオンにすぎない」、「個体の多数性など、仮象である」、それと同じく、発展も仮象にすぎない。──彼は、ラマルクの思想を「天才的だが不条理な誤謬の一つ」と呼ぶ)。天才に浮かれ騒ぐこと(「美的直観において、個体はもはや個体ではなく、純粋で、意志なき、無痛の、無時間的な認識主観である」、「この主観は、直観された対象に完全に没入することで、この対象そのものとなっている」)。同情こそが、そして同情において個体化の原理〔principii individuationis〕が突破可能になることが、一切の道徳の源泉だ、とする馬鹿げた考え。これに加えて、「死ぬことが本来、生存の目的である」とか、「すでに死んでいるものから魔術的作用が生じうるはずはない、などとアプリオリに可能性をあっさり否定するわけにはいかない」とかいった主張。こういったたぐいの哲学者の脱線や悪徳こそが、いつでも、まず最初に受け入れられ、信ずべき事柄とされるのである。──というのも、悪徳や脱線はいつも、模倣するのが最も容易であり、長期の下準備を求めないからである。ともあれ、われわれは、現代のショーペンハウアー主義者のなかで最も有名な人物であるリヒャルト・ヴァーグナーについて述べることにしよう。──少なからぬ芸術家の身にすでに起こったことが、彼の身にも起こった。彼は、自分の創造した作中人物を解釈するさいに誤りを犯し、彼に最も固有な芸術にひそむ語られざる者学が何であるかを誤認した。リヒャルト・ヴァーグナーは、人生の半ばに至るまで、ヘーゲルを間違って信奉していた。彼が同じ間違いをもう一度犯したのは、のちにショーペンハウアーの教説を彼の作品中の人物のなかに読みとり、「意志」とか「天才」とか「同情」とかいった公式で自分自身を表現し始めたときであった。にもかかわらず、次の点は依然として真であろう。つまり、ヴァーグナーの主人公に見られる真にヴァーグナー的なものほど、まさしくショーペンハウアーの精神に反しているものはない。私が言っているのは、最高の我欲の天真爛漫さ、善それ自体への信仰としての大いなる情熱への信仰、一言で言うと、ヴァーグナーの主人公の顔つきに見られるジークフリート的なもののことである。「これらすべては、私のというよりも、むしろスピノザの匂いがする」──と、おそらくショーペンハウアーなら言うであろう。それゆえ、ショーペンハウアーとはまったく別の哲学者を探し求めてしかるべき理由をヴァーグナーはもっていたにしろ、彼をこの思想家のとりこにさせた魅力は、他のすべての哲学者に対して彼の目を塞いだばかりでなく、学問それ自体に対してすら目を塞いでしまった。ヴァーグナーの芸術全体が、ショーペンハウアーの哲学と対をなす補遺であることをいよいよもって自任しようとしており、人間の認識および学問と対をなす補遺であろうとする、より高次の名誉欲をますますきっぱりと断念している。そこまで彼を魅了したのは、山師カリオストロをも魅了したであろうショーペンハウアー哲学の秘密に満ちた華麗さの全体ばかりではない。哲学者の一つ一つの身振りや激情も、いつでも誘惑者だったのだ。たとえば、ドイツ語の堕落に対するヴァーグナーの激昂ぶりは、ショーペンハウアー的である。こういった点での模倣は良しとすべきだとしても、黙っているわけにはいかないこともある。つまり、ヴァーグナーの文体そのものが、あらゆる種類の潰瘍と腫瘍に少なからず罹っており、それを見てショーペンハウアーはひどく腹を立てたし、ヴァーグナー主義者のドイツ語の物書きに関して言えば、ヴァーグナー流の文体は、かつてヘーゲル流の文体のみが証明してみせたのと同じく危険だと証明し始めているのである。ユダヤ人に対するヴァーグナーの憎悪は、ショーペンハウアー的である。だからヴァーグナー自身はユダヤ人を、その最大の事績に関して正当に扱うことができない。なんといっても、ユダヤ人はキリスト教の発明者なのだから。キリスト教を、仏教の穀粒が風に乗って飛来したものだと捉え、カトリック的・キリスト教的な言い方や感じ方に時おり接近しつつも、ヨーロッパのために仏教時代を準備しようとするヴァーグナーの試みは、ショーペンハウアー的である。動物との付き合いにおける憐れみ深さを勧めるヴァーグナーの説教は、ショーペンハウアー的である。この点でのショーペンハウアーの先行者が、ヴォルテールだったのは周知のとおりである。おそらくヴォルテールは、自分の後継者たちと同じく、ある種の事物と人間に対する憎悪を、動物に対する憐れみ深さであるかのように装うすべを、いち早く心得ていたのである。少なくとも、ヴァーグナーの説教から聞こえてくる学問に対する憎悪が、温和さと善意の精神によって吹き込まれたものでないことは確かであり、──いわんや、精神一般によって吹き込まれたものでないことは、どう見ても明らかである。──結局のところ、一人の芸術家にそなわる哲学など、どうでもよいのである。それが、ほんのおまけのような哲学にすぎず、その芸術自身に何ら害を及ぼさない場合には。時おりの、おそらくは非常に運の悪い、尊大な変装のために、一人の芸術家を恨みに思ったりしないよう、いくら用心してもしすぎるということはない。そうはいっても、われわれは、愛すべき芸術家が揃いも揃って、幾らかは俳優であり、俳優であらざるをえないこと、俳優然とふるまうことなく長期にわたって持ちこたえるのは難しかったことを、忘れないようにしよう。われわれは、ヴァーグナーの真実かつ根源的な面に関しては、彼にあくまで忠実であり続けよう。──とりわけ、彼の弟子であるわれわれが、われわれの真実かつ根源的な面に関しては、われわれ自身にあくまで忠実であり続けることによって。彼の知的な気まぐれや痙攣を大目に見よう。むしろ、彼の芸術のような芸術が、生き、成長しうるためには、どんなに奇妙な栄養物や必需品を有してよいか、公平に考量することにしよう。彼が思想家として頻繁に不正をはたらくことなど、どうでもよいことである。正義や忍耐は、彼のなすべきことではない。彼の人生が彼自身を前にして正しさを有し、正しさを認められさえすれば、それで十分なのである。──彼の人生は、われわれの誰に対しても、こう呼びかけてくる。「一個の男子であれ、私に従うな──、むしろ、君自身に従え、君自身にだぞ」と。われわれの人生も、われわれ自身を前にして正しさを認められるべきなのだ。われわれも、自由に、恐れることなく、無垢の自己本位性において、われわれ自身から成長し、開花すべきなのだ。だから、こういった人間を観察すると、昔と同じく今日でも、次の命題が私の耳に鳴り響いてくる。「情熱は、ストア主義や猫かぶりよりは、ましである。誠実であることは、悪においてさえ、因襲的倫理に浸かって自分自身を失うよりは、ましである。自由な人間は善でも悪でもありうるが、不自由な人間は自然の恥辱であり、天上の慰めにも地上の慰めにもあずかることがない。結局のところ、自由になろうとする人は誰でも自分自身 によって自由になるのでなければならない。奇蹟の賜物よろしく、棚からぼた餅式に自由を手に入れられる人など誰もいない」(『バイロイトにおけるリヒャルト・ヴァーグナー』九四頁)。

第三巻

108番

 新たな戦い。──仏陀の死後、なお数百年もの間、ある洞窟に仏陀の影が映っていたという──巨大な恐るべき影が。神は死んだ。だが、人の世の常として、おそらく、さらに何千年もの間、神の影の映ずる洞窟が存在することだろう。──ということは、われわれは──われわれは、神の影にすら打ち勝たねばならないのだ。
112番

 原因と結果。──近代以前の段階における認識や学問と異なる、われわれ近代人の特徴をなすものを、われわれは「説明」と呼んでいる。だが、じつはそれは「記述」なのである。われわれは、記述にかけては上手になった──が、説明にかけては以前の人びとと何ら変わりばえがしない。近代以前の文化を生きた素朴な人間が、研究者として、いわゆる「原因」と「結果」という二種類のものしか見なかったところに、われわれは多種多様な継起の連鎖を見つけ出した。われわれは、生成の像を完全なものに作り上げはしたが、その像を超えて、その像の背後に達したわけではなかった。「原因」の系列は、どんな場合でも、以前よりはるかに完璧にわれわれに明らかとなっている。かくかくが結果として生ずるためには、しかじかがまずもって先行しなければならない、とわれわれは推論する──が、だからといって何一つ概念把握したわけではない。たとえば、どんな化学反応でも起こる質的変化は、相変わらず「奇蹟」のように見える。あらゆる位置移動も同様である。その動きを「説明」した人は誰もいない。どうしてわれわれに説明することなどできようか。線、面、立体、原子、可分的時間、可分的空間といった、ありもしないたんなる事物でもって、われわれは操作する。──われわれが一切をまずもってに、われわれの像に変じてしまうのだとすれば、説明などどうして可能であろうか。科学とは、事物を可能なかぎり忠実に人間へ適応させることだと見なすだけで、十分なのである。われわれは、事物とその継起の連鎖を記述することで、われわれ自身をいよいよ正確に記述することを学んでいるのだから。原因と結果などといった二元など、おそらくありはしないのだ。──本当を言えば、われわれの前にあるのは、一つの連続体〔continuum〕なのであり、われわれはその断片のいくつかを切り離し独立させているだけである。それはちょうど、われわれがいつも運動を、切り離されて独立した点として知覚しているにすぎず、それゆえ本当は見ているのではなく、推論しているのと同様である。多くの結果がいきなり降って湧いてくるその突如性が、われわれを誤らせる。だがそれは、われわれにとっての突如性でしかない。われわれから逃れ去るこの秒刻みの突如性のうちには、かぎりなく多くの過程がひそんでいる。原因と結果を、われわれの見方のように、恣意的に分割され細分化された断片として見るのではなく、連続体として見るような知性、つまり生起の流れを見るような知性が、かりにあったとすれば──原因と結果の概念を却下し、いかなる被制約性も否認するであろう。
127番

 最古の宗教性の余波。──ものを考えない人はみな、こう思う。意志とは、単独で作用するものであり、意志するとは、単純な何か、端的な所与の事実、他から導き出せないもの、自体的に理解可能なものだ、と。そういう人は何かをするとき、たとえば何かを打つとき、現に打っているのは自分であり、自分が打ったのは、自分が打とうと意志したからだ、と信じ込んでいる。彼はそこに何ら問題を認めない。むしろ、原因と結果の関係を仮定するためのみならず、この関係を理解できたと信ずるためにも、意志という感情だけで、彼には十分なのである。打つという出来事の力学運動メカニズムや、打つことが生ずるために為されねばならない数多あまたの繊細なひだをもつ仕事について、また同様に、この仕事のごくわずかな部分を行なうことさえ意志自体にはできないということについても、彼は何一つ知らない。意志とは、彼にとって、魔術的に働いて結果をもたらす力なのである。結果をもたらす原因としての意志を信ずることは、魔術的に働いて結果をもたらす力を信ずることである。ところで、人間はもともと、出来事を目にする場合はいつでも、意志を原因だと信じたし、意志する人格的存在が、その背後で働いていると信じた。──力学という概念は、人間にはまったく疎遠なものだった。そこで人間は、途方もなく長い間、人格的存在のみを信じ(て物質、力、物件その他を信じなかっ)たがゆえに、原因と結果の関係を信ずることが、人間の根本信念と化したのだった。人間は、何かが生ずる場合はいつでも、この関係を適用する──今日でもなお本能的に、最古の素姓がぶり返した一種の隔世遺伝として。「原因なくして結果なし」、「いかなる結果もまた原因となる」といった命題は、「作用の生じるところ、意志の働きがあった」、「意志する存在に対してのみ、作用は生じうる」、「作用を純然とこうむってその帰結が生じないということは決してなく、何かしら被ることはすべて、(行為、防御、復讐、報復への)意志を引き起こす」といった、はるかに狭い命題を一般化したものだと思われる。──だが、人類の太古の時代には、前者の命題も後者の命題も同じものだったのであり、前者は後者の一般化ではなく、後者は前者を解明するものだった。──ショーペンハウアーは、現に存在するものはすべて意志するものにほかならないと仮定することで、太古の神話学を王座に祭り上げた。彼は、意志の分析を決して試みなかったように思われる。なぜなら彼は、万人と同じく、意志することはすべて単純で直接的だと信じたからである。──意志するとは、それを注視するまなざしにも捉えがたいほど、よくなじんだ力学運動でしかないのに、である。ショーペンハウアーに対して、私は次の命題を提出したい。第一に、意志が成立するには、快と不快の観念が必要である。第二に、猛烈な刺激が快または不快として感じられるということ、これは解釈をほどこす知性の仕事である。とはいえもちろんこの知性は、その場合たいてい、われわれに意識されずに働く。同一の刺激が快または不快として解釈されうるのである。第三に、知性的存在の場合にのみ、快、不快、意志なるものが存在する。とてつもなく多数の有機体は、そういったものを何一つもたない。
158番

 煩わしい性質。──万事を深く見てとること――これは煩わしい性質だ。そのおかげで、ひとはたえず眼を酷使して疲れさせ、そのあげく、望んでいた以上のものをつねに見てとるはめになる。
179番

 思想。──思想とは、われわれの感覚の影である――感覚よりますます暗くて、空虚で、単純な。
206番

 雨の日に。──雨が降っている。それで私は、貧しい人びとのことを思う。彼らは今、心配事をたくさん抱え、それを隠すたしなみも知らず、身を寄せ合っている。そして、誰しも他人を苦しめては、天気の悪い日でも、あさましい種類の快感を味わいたいものだと、無邪気に願っている。──これが、これこそが、貧しい人びとの貧しさなのだ。


207番

 ねたみ屋。──あいつは妬み屋だから──、子どもなど作らせないほうがいい。子どもができたら、自分の子を妬ましく思うだろうから。ぼくはもう赤ん坊にはなれやしない、と。
226番

 疑り深い人びとと、文体。──自分の力量を信じてくれる人間が周りにいる場合には、われわれはどんなに強力な事柄でも飾り気なくあっさり語る。──そのような周りの状況は、「あっさりした単純な文体」を教えてくれる。疑り深い人びとは、力をこめて強調して語る。疑り深い人びとは、強調法を身につけるようになる。
230番

 寡黙の欠如。──彼の全存在が、どうも説得的でない──というのも、彼は自分の行なった善行を黙っていたためしがないからだ。


231番

 自称「徹底的」に考える人。――認識するのが遅々として進まない人は、認識というのは遅々として進まないものだと思っている。


232番

 夢見ること。──われわれは全然夢を見ないか、面白い夢を見るかのどちらかだ。──目覚めているときも、どちらかであることを学ばなくてはならない。全然目覚めていないか、面白く目覚めているかの。


233番

 最も危険な観点。──今まさに私がしたりしなかったりすることは、これからやって来るものの一切にとって、過去に起こった最大の出来事と同じくらい重要である。結果本位のこの途方もない遠近法においては、一切の行為が大きくも小さくも見える。


234番

 ある音楽家の慰めの言葉。──「おまえの人生は、人びとの耳には響かない。彼らからすれば、おまえは声なき人生を送っている。メロディーがどんなに洗練されていても、後続したり先行したりする決心がどんなに繊細でも、彼らには隠されたままだ。なるほど、おまえは軍楽隊を引き連れて大通りを行進したりはしない。──しかし、だからといって、このお人好したちに、おまえの素行には音楽が欠けているなどと言う権利はない。聞く耳をもつ者は聞くがよい」。


235番

 精神と性格。──性格のほうが人の絶頂をきわめてしまい、精神のほうはこの高みにはまるで届かない、という人が少なくない。──また、その逆の人も少なくない。


236番

 集団を動かすには。――集団を動かそうとする者は、自分自身の俳優でなければならないのではないか。まずもって自分自身をグロテスクなまでに明々白々たる存在に仕立て上げ、自分の人柄と事柄をそっくりこの粗雑化と単純化のままに披露してみせねばならないのではないか。
250番

 。──魔女裁判では、どんなに明敏な裁判官であろうと、魔法使いには罪があると確信していた。それどころか、魔女自身でさえそう信じていた。ところが、実際はそんな罪など存在しなかった。同じことが、あらゆる罪に関して当てはまる。
264番

 われわれのすること。──われわれのすることは、決して理解されず、いつもせいぜい賞讃されるか非難されるかである。


265番

 究極の懐疑。──結局のところ、人間の真理とはいったい何か。──それは、人間の反駁不可能な誤謬である。
268番

 何が英雄たらしめるのか。──みずからの最高の苦悩と最高の希望に向かって同時に進むことが。


269番

 おまえは何を信ずるか。──万物の重さが新しく決定されなければならないということを。


270番

 おまえの良心は何と告げるか。──「おまえは、おまえが在るところのものに成るべきだ」と。


271番

 おまえの最大の危険はどこにあるか。──同情に。


272番

 おまえは他人のどこを愛するか。──私の希望を。


273番

 おまえはどういう人間を下劣だと言うのか。──いつも恥ずかしい思いをさせようとする人間を。


274番

 おまえにとって最も人間的なことは何か。──誰かに恥をかかせないこと。


275番

 自由が達成されたことを示すしるしとは何か。──もはや自分自身に恥じないこと。

第四巻 聖なる一月〔Sanctus Januarius〕

おまえは、燃えさかる炎の槍で、
わが魂の凍てつく氷を、破砕する。
そこで、わが魂は、今や立ち騒ぎつつ、
至高の希望の大海に向かって急ぐ。
いよいよほがらかに、いよいよすこやかに、
こよなく愛にみちた必然のうちで自由に──
だから、わが魂はおまえの奇蹟を讃えよう、
いとうるわしの一月よ。

  一八八二年一月ジェノヴァにて


276番

 新年にあたって。 ──まだ私は生きている、まだ私は考える。すなわち、私はまだ生きてゆかねばならない、なぜなら私はまだ考えなければならないから。我在り、故に我思う〔Sum, ergo cogito〕、すなわち、我思う、故に我在り〔cogito, ergo sum〕。元旦の今日は、誰もが自分の願望と最愛の思想を口に出すことを、お互いに許す日だ。だから、私も言うことにしよう。今日私が本心から何を願ったかを。そして、いかなる思想が今年初めて私の胸中をよぎったかを。──いかなる思想が、これからの私の全生涯の根拠、保証、甘味となるべきかを、だ。私がますます学びたいのは、何ごとにつけ必然的なものを、美しいものとして見てとることである。──かくして私は、何ごとも美しくする人たちの一人となる。運命愛〔amor fati〕、それがこれからは、私の愛であれ。醜いものに戦いを挑むのはやめよう。告発するのはやめよう。告発者を告発するのも絶対やめよう。目をそむけること、それが私の唯一の否定であれ。総括して言えば、いつの日か私は、然りを言う者にひたすらなりたいのだ。
284番

 自分自身を信じること。──自分自身を信じる人間は、総じて少ない。──その少数の自信家のなかには、精神が都合よく目を眩まされたり精神の一部が曇らされたりしたおかげで、自信を手に入れる者もいれば── (彼らが自分自身の心の底まで見ることができたとしたら、何を覗き見ることだろうか)、自信をまずもってみずから獲得しなければならない者もいる。後者の人びとのなす善いこと、有能なこと、偉大なことはすべて、まず第一に、彼らのなかに住んでいる懐疑家に反駁するための論拠なのである。肝腎なのは、この懐疑家を納得させること、あるいは説得することだからである。そのためには天才が必要だといえるほどである。彼らは大いなる自己不満家なのだ。
306番

 ストア派とエピクロス派。──エピクロス派は、極度に敏感な自分の知的性質に適した状態や人間、それに出来事をも選び出す。それ以外の物事──すなわち、大部分の物事──を彼は放棄するが、なぜかといえば、彼にとっては刺激が強すぎて胃にもたれる料理になってしまうからである。対するに、ストア派は、石ころや虫けら、ガラスの破片、サソリなどを呑み込んでも、吐き気を催さずにいられるように、修行を積んでいる。彼の胃は、最終的には、この世に生きることの偶然が彼に注ぎ込む一切の事柄に対して無関心でいられなければならない。──ストア派は、アルジェで見かけられるアサウアのアラブ宗派を連想させる。鈍感な彼らと同じく、ストア派もまた、観客を招待しては好んで自分の鈍感さ加減を見世物にする。これぞまさしくエピクロス派の慎むところである。──なにしろエピクロス派には自分の「園」があるからだ。運命にそのつど翻弄される人間にとって、つまり横暴な時代に生き、突飛で移り気な人たちに左右されて暮らす者たちにとって、ストア主義は非常に得策かもしれない。だが、一本の長い糸を紡ぐのを運命は自分に許してくれているのだと、ある程度達観している者なら、エピクロス主義流でやってゆくほうがよい。知的労働にたずさわる人間はみな、これまでじっさいそうしてきたのだ。知的労働者にとって、繊細な感受性を犠牲にして、代わりにハリネズミの針付きのストア派の硬い皮膚をもらい受けるというのは、喪失中の喪失だろうから。
324番

 人生半ばにして〔In media vita〕。──いやいや、私は人生に失望なんかしていない。むしろ、歳を重ねるにつれ、私には、人生はいっそう真なるもの、いっそう願わしいもの、いっそう秘密に満ちたものだということが分かってきた。──大いなる解放者に、つまり人生は──義務でも宿命でも詐欺でもなく──認識者の一実験であってよいのだというあの思想に、私が襲われたあの日以来。──そして、認識それ自体は、他の人には何か別物かもしれないが、たとえば安楽椅子だとか、安楽椅子への道だとか、娯楽だとか、のらくらだとか、かもしれないが、──私にとって認識とは、危険と勝利の世界にほかならない。英雄的感情だって、そこを舞踏場や運動場にするほどである。「人生は認識の一手段」──この原則を胸に抱いていれば、勇敢でいられるし、のみならず、愉しく生きることも愉しく笑うこともできるのだ。何はさておき、戦争と勝利の心得なくして、そもそも誰がよく笑い、よく生きるすべを会得していようか。
340番

 死にゆくソクラテス。──ソクラテスの勇気と知恵に、私は感服する。彼の行なったこと、言ったこと──そして言わなかったこと──の一切において。アテナイのこの怪物は、からかったり、恋したり、かどわかしたりするのが好きで、どんなにおごり高ぶる若者をも震え上がらせ、むせび泣かせ、どこの誰よりも賢いおしゃべり屋だった。だが、それだけではなかった。ソクラテスは、沈黙にかけても偉大だった。いっそのこと、生涯の最後の瞬間でも寡黙だったらよかったのに。──そうすれば、彼はおそらくもっと高次の精神の仲間入りを果たせたであろうに。しかるに、それが死神、毒薬、敬虔、悪意のいずれだったかは定かでないが──、とにかく何ものかが最後の瞬間に彼の口を割らせ、そして彼は言った。「そうそう、クリトン、私はアスクレピオスの神様に雄鶏一羽の借りがある」。この笑うべきかつ恐るべき「最期の言葉」は、聞く耳をもっている人には、こう聞こえる、「おお、クリトン、生とは病気なのだ」。まさかそんな。誰が見ても一個の兵士のように快活に生きた、彼のような男が、──ペシミストだったとは。彼が生に笑顔をふりまいていたのは表向きの話で、じつは一生涯、自分の最終的判断を、心の奥底の感情を、隠し続けていたのだ。ソクラテスが、あのソクラテスが、生に悩んでいたのだ。しかも彼は、それを恨んで復讐してみせた──婉曲的で、ゾッとする、敬虔で、濱神的な、あの言葉で、だ。ソクラテスのような男でも、やはり復讐せずにはおれなかったのか。彼のあり余る徳にも、心のおおらかさがごく少量足りなかったのか。──ああ友よ、われわれはギリシア人をも乗り越えねばならないのだ。

第五巻 われら怖いもの知らず

357番

「ドイツ的とは何か」という昔からの問題によせて。 ──ドイツ人の頭脳のおかげだとされる哲学思想の真の成果を、とくと数え直してみるがいい。それらの成果は、何らか認められた意味において、人種全体の長所といったほどのものに数えられうるだろうか。それらは同時に「ドイツ魂」の作品、少なくともその徴候だと、われわれは言ってよいだろうか。たとえば、プラトンのイデアマニア、彼のほとんど宗教的な形式 - 狂いは、同時に「ギリシア魂」の事件にして証明だったと受けとるのが普通であるのと同じ意味で。それとも、その逆が真なのか。それら成果は、非常に個人的で、人種の精神とはかけ離れた例外にほかならないのか。たとえば、良心にやましいところのないゲーテの異教精神がそうだったように。あるいは、良心に疚しいところのないビスマルクのマキャヴェリズム、彼のいわゆる「現実政 政治」が、ドイツ人の間でそうであるように。ドイツの哲学者は、ひょっとして「ドイツ魂」の必要に矛盾しているのか。要するに、ドイツの哲学者は本当に──哲学的ドイツ人だったのか。──三つの事例を思い起こしてほしい。第一に、ライプニッツの比類なき洞察。ライプニッツがその洞察をもって、デカルトに抗してのみならず、彼以前に哲学したものたちすべてに抗してまで唱えたこと──それは、意識性とは表象の偶有性の一つにすぎず、表象の必然的な本質的属性ではないこと、それゆえ、われわれが意識と呼んでいるものは、われわれの精神的な心的世界の状態の一つ(おそらくは一個の病的状態)でしかなく、心的世界それ自体ではさらさらないこと、これであった。──この思想の深さたるや今日なお汲み尽くされていないほどだが、この思想にドイツ的なものがあるだろうか。ラテン人だったら、見た目に明らかなことをこのように転覆してみせることなど容易には思いつかなかったろうと、そう推測してよい理由があるだろうか。 ──なにしろ、これは転覆なのだから。第二に、カントが「因果性」という概念に記した途轍もない疑問符のことを思い起こそう。──とはいえカントは、ヒュームのように因果性の権利一般を疑問視したのではない。むしろカントが始めたのは、因果性という概念がそもそも意味をもつ領域を慎重に限界づけることであった(この境界画定の仕事は今日なお完了していない)。第三に、ヘーゲルの驚くべき概念的手腕を挙げよう。それを駆使してヘーゲルは、論理的な習慣や習慣病を概念で一網打尽にしては、種の概念は派生し合って発展する、と大胆にも説くに至った。この命題によってヨーロッパの知性たちは、近年の大いなる科学運動、つまりダーウィン主義へと下拵したごしらえされたのである──というのも、ヘーゲルなくしてダーウィンなし、だから。「発展」という決定的概念をはじめて学問に持ち込んだヘーゲルのこの革新に、ドイツ的なものがあるだろうか。──確かにある、いささかも疑う余地なく。以上の三事例すべてにおいて、われわれはわれわれ自身の何かが「暴露」され、言い当てられたと感じるし、そのことに感謝を覚えると同時に仰天させられもする。これら三命題のいずれも、ドイツ的自己認識、自己経験、自己把握の、熟慮に富んだ一片なのである。「われわれの内的世界は、はるかに豊かであり広範であり、秘匿されている」と、そうわれわれはライプニッツとともに感じる。ドイツ人としてわれわれは、カントとともに、自然科学的認識の最終妥当性と、およそ因果的に〔causaliter〕認識されうるものすべてを疑う。認識可能なものは、われわれには、もうそれだけで価値が少ないように見える。われわれドイツ人は、ヘーゲルなど存在しなかったとしても、ヘーゲル主義者なのである。われわれは(すべてのラテン人と正反対に)、生成や発展に、「存在」しているものよりも、いっそう深い意味と豊かな価値を本能的に付与するからには。──「存在」という概念の権利を、われわれはほとんど信じない。同様にわれわれは、われわれ人間の論理が、論理自体であるとか唯一の種類の論理であるとか認めたがらないからには(われわれはむしろ、人間の論理とは特殊事例にすぎず、おそらく最も風変わりで最も間抜けな特殊事例でしかないと信じ込みたがる──)。第四の問いがあるとすれば、こうなろう。ショーパンハウアーもまた、彼のペシミズムでもって、すなわちこの世に生きることの価値を問題にしたことでもって、まさしくドイツ人たらざるをえなかったのだろうか、と。私はそうは思わない。この問題が確実に予期できるものとなり、魂の天文学者ならその日時を算出できるまでになったのは、ある出来事以後のことだった。その出来事とは、キリスト教の神への信仰の衰退、科学的無神論の勝利にほかならない。これは全ヨーロッパ的出来事であり、すべての人種がその功績と名誉の分け前にあずかるべきものである。逆に、ほかでもないドイツ人──ショーペンハウアーと同時代に生きたドイツ人たち──こそ、この無神論の勝利を最も長きにわたって最も危険に遅滞させたとの責めを負うべきだろう。とりわけヘーゲルは、その最たる遅滞者であった。われわれドイツ人の第六感つまり「歴史感覚」の助けを借りて、この世に生きることは神的なのだとわれわれを土壇場で説き伏せようとしたヘーゲルの壮麗な試みからすれば、である。ショーペンハウアーは、哲学者として、われわれドイツ人の擁した最初の自主的な不屈の無神論者であった。ヘーゲルに対する彼の敵意は、ここに背景を言っていた。この世に生きることは神的などではないことは、ショーペンハウアーにとって、明々白々で議論の余地のない所与の事実であった。このことで誰かがためらったり、煮え切らなかったりするのを見かけると、彼はいつでも哲学者らしい冷静さを失い、憤激に駆られた。こうした点に彼の実直さは丸出しであった。無条件の正直な無神論こそ、彼の問題設定の前提にほかならなかった。これぞ、ヨーロッパの良心がついに、やっとのことで戦いとった勝利であり、二千年にわたって行なわれてきた真理への訓育の最も影響力のある作用であり、その結論として、神への信仰のうちにひそむは禁止されたのである。……キリスト教の神に打ち勝ったものはそもそもであったか、お分かりだろう。それは、キリスト教道徳自身であり、いよいよ厳格に解された誠実性の概念であり、キリスト教的良心の聴罪司祭的な精妙さであった。つまりそれが、どんな犠牲を払ってでも知的に清廉でなければならぬ、とする学問的良心にまで翻案され昇華されたのである。自然を、神の善意と庇護の証明だと見なすこと。歴史を、神的理性の名誉のために、道徳的な世界秩序や道徳的な終局目的の絶えざる証拠だと解釈すること。自分自身の体験を、信心深い人びとが長らくそう解釈してきたように、あたかも何から何まで摂理であり目配せであり、一切は魂の救済のために慈悲深く考え出されて贈られたかのように解釈すること。こうしたことは今や、終わったのであり、良心に反するのであり、すべての上等な良心にとって、不躾で不誠実だと、嘘つき、女性本位フェミニズム、女々しさ、臆病さだと見なされるのである。──何をそなえているかといって、この厳格なまでの正直さをそなえているからこそ、われわれはまさにいきなヨーロッパ人であり、ヨーロッパの最も長期的で最も勇敢な自己超克の相続人なのである。われわれがキリスト教的解釈をそのようにして身から振り払い、その「意味」を贋金づくりだと断罪するやいなや、ショーペンハウアーの問いが恐るべき仕方でわれわれに迫ってくる。この世に生きることにいったい意味などあるのか、と。──この問いは、そのあらゆる深みまで完璧に聞き届けられるだけでも、二、三百年を要するだろう。ショーペンハウアー自身がこの問いに与えた答えは──そう評することを許されたい──、性急で、若気の至り的なものであり、たんなる妥協であり、キリスト教的 - 禁欲主義的な道徳的パースペクティヴにはまり込んでの立ち往生でしかなかった。神への信仰もろとも、そうした道徳的パースペクティヴへの信仰も破棄されたというのに、である。……しかしながら、ショーペンハウアーはこの問いを立てた──上述の通り、一個のいきなヨーロッパ人としてであり、ドイツ人としてではなく。──それとも、ドイツ人は、せめてショーペンハウアーの問いを彼らが横領したやり方で、彼らなりの内的な帰属性と親和性、彼らなりの心構え、ショーペンハウアーの問いを欲しがる彼らなりの必要を証明したと言えるだろうか。ショーペンハウアー以後、ドイツにおいても──それにしても遅きに失したが──、彼の提起した問いについて考えられ、本が出されたが、だからといって、この問いがドイツに緊密に帰属していることの決め手としては、もちろん十分ではない。ショーペンハウアー以後のこのペシミズムに特有な不器用さすら、反証となりうるほどである。──その場合のドイツ人のふるまいは、明らかに彼らの本領の場合には程遠かった。こう言ったからとて、私はべつにエドゥアルト・フォン・ハルトマン〔一八四二─一九〇六年〕のことを指しているのでは決してない。その反対に、私からすれば彼はあまりに器用すぎるという昔からの私の嫌疑は、今でもなお消えていない。私が言いたいのは、ハルトマンは、悪ふざけ屋として、最初からドイツのペシミズムをおそらく笑い物にしたばかりか──、結局のところ、泡沫バブル会社設立時代にドイツ人自身をどこまで愚弄できたかを、遺言としてドイツ人に「遺贈」することさえやってのけた、ということなのである。ところで訊きたいのだが、古びた唸り独楽のバーンゼン〔一八三〇─八一年〕を、ドイツ人の名誉に数えるべきだろうか。彼は一生涯、自分の現実弁証法的な悲惨と「個人的不運」の周りを嬉しそうに廻っていた。──これぞまさしくドイツ的だ、ということになるのか。(ついでに言うと、バーンゼンの著作はお薦めである。私自身がそれを用いたように、反ペシミズムの食べ物として、とりわけ心理学的な優雅さ〔elegantiae psychologicae〕ゆえに、だ。栓で詰まり切った身体と心にも、これが効くように思う。)それとも、甘ったるい童貞使徒マインレンダー〔一八四一─七六年〕のようなディレッタントや老嬢を、正しきドイツに数え入れてよいのか。所詮それは、一個のユダヤ人であったと言うべきだろう(──道徳を説くと、ユダヤ人はみな甘ったるくなる)。バーンゼンも、マインレンダーも、ましてエドゥアルト・フォン・ハルトマンはなおのこと、次の問いへの確かな手がかりを与えてはくれない。つまり、ショーペンハウアーのペシミズム、神的なものが脱落し、間抜けで、盲目で、いかれて疑わしくなった世界に戦慄しつつ向けられた彼のまなざし、彼の誠実な戦慄……は、ドイツ人中の例外事例であるどころか、ドイツ的な出来事だったのか。その一方で、前面に現われている他のすべては、たとえば、われらの勇敢な政治とか、われらの愉しい愛国主義とか、哲学的とは言いがたい原理(「ドイツ、世界に冠たるドイツ」)にもとづいて、それゆえ種の相のもとに〔sub speciespeciei〕、すなわちドイツ種族〔species〕の下に、断固として万事を考察するものはすべて、明々白々に反対のことを証ししている。そう、答えはナイン。今日のドイツ人は、誰一人ペシミストではないのだ。繰り返すが、ショーペンハウアーがペシミストだったのは、いきなヨーロッパ人としてであって、ドイツ人としてではない。──
356番

 道徳の背景としての、精神への復讐など。──道徳──が、最も危険で最も策略に富んだ弁護士を、いったいどこに持っていると諸君はお考えだろうか。……ここに、一人の出来損ないの人間がいるとしよう。彼は、みずから楽しめるほど十分な精神は持ち合わせていないが、そのことが分かる程度の教養なら、しっかり身につけている。退屈し、うんざりした、自己軽蔑者なのだ。相続した財産をいささか所有しているために、「労働の祝福」とか「日々の仕事」に没入して自分を忘れるとかいった最後の慰めさえ、気の毒にも奪い取られてしまっている。自分の人生を心底恥じており──そのうえ、小さな悪徳も二、三おそらく宿しており──、他方では、当人にふさわしくない書物、または消化しきれない高次の知的交際によって、ますます甘やかされ、虚栄過敏的になることを余儀なくされている。すっかり毒のまわったこうした人間──なにしろ、この種の出来損ないの場合、精神は毒となり、教養は毒となり、所有は毒となり、孤独は毒となるから──は、ついには復讐の常習状態、つまり復讐への意志依存症に陥ってしまう。……精神的に上手の人間よりも自分のほうが優越しているという見かけを自前でこしらえたり、復讐を果たしたという悦楽を少なくとも自分の想像のなかで造り出したりするためには、彼に必要なもの、絶対に必要なものは何であると、諸君はお考えだろうか。それは決まって、道徳性である。賭けてもいい。決まって、道徳の大言壮語であり、決まって、正義やら知恵やら神聖さやら徳やらの空騒ぎであり、決まって、立ち居振る舞いのストア主義であり(──人の持たざるものをストア主義はなんとうまく隠してくれることか……)、決まって、抜け目ない沈黙とか愛想のよさとか穏和さとかで仕立てられたマントである。不治の自己軽蔑者や、不治の見栄っ張りまでもがそれを隠れ蓑としてうろつき回る、理想主義者のマントと称される一切のものも、そうである。私の言うことを誤解しないでもらいたい。そのような生まれつきの精神の敵の中から、民衆に聖者や賢者といった名前で尊敬される、かの人類の珍獣が時おり生まれてくるのであり、そういった種類の人間の中から、騒動を起こし歴史を作る、かの道徳の怪物が現われるのである。──聖アウグスティヌスもその一人である。精神を前にしての恐怖、精神への復讐──駆動力に満ちたこれらの悪徳がもう、どんなにしばしば諸徳の根元となってきたことであろうか、いや、徳そのものと化してきたことか。──また、ここだけの話だが、地上のあちこちで生じた、知恵を求める哲学者の要求、あらゆる要求中最も不遜で最も狂った要求でさえ──、これまでつねに、インドでもギリシアでも、何よりもまず一個の隠れ家だったのではないか。それは時には、おそらく、生成し成長する若者たちを優しくおもんばかっての、じつに多くの嘘を神聖化する教育的観点でもあっただろう。というのも、若者というのは往々にして、人格への信仰によって(つまり誤謬によって)自分自身から身を守られなければならないからである。……だが、いっそう頻繁な場合において、それは哲学者の隠れ家であった。その陰に潜んで、哲学者は、疲労、老い、凍え、こわばりから身を救うのである。間近な終末の感情として、つまり死に際して動物が示す、かの賢明な本能として。──傍らによけ、静かになり、孤独を選び、穴ぐらにもぐり込み、賢くなる。……どうだろう、知恵とは、 哲学者の隠れ家ではないのか──精神を前にしての。──
368番

 キュニコス派は語る。──ヴァーグナーの音楽に対する私の異議は、生理的異議である。これを今さら審美的定式で扮装させても、何になろう。私の「事実」は、次の通りである。この音楽が私に効き始めるや、私はもう息をするのも苦しくなってくる。私のは、たちまち腹を立て、反乱を起こす。──私の脚は、拍子、舞踏、行進を欲しがり、何よりもまず、良質の歩行、闊歩、跳躍、舞踏をするときに襲われる歓喜を、音楽に求める。──私の胃も抗議するのではないか。私の心臓も、私の血行も、私の内臓もか。そのさい、知らぬ間に、私の声もかすれてこないか。──そこで私は、こう自問する。私の身体全体は、音楽一般からいったい何を欲するのか、と。音楽のおかげで気が軽くなることだ、と私は思う。あたかも、すべての動物的機能が、軽快で大胆で奔放で自信にみちたリズムによって速度を速められるとでも言わんばかりに。あたかも、青銅の生活や鉛の生活が、黄金の良質の優しいハーモニーによって金色に輝くようになるとでも言わんばかりに。私の憂鬱は、完璧性という隠れ家の深淵のうちに安らおうと欲する。そのために私には音楽が必要なのだ。演劇など私に何の係わりがあろう。「民衆」の歓心を買う演劇の倫理的恍惚の痙攣が何だと言うのか。魔法の呪文ホークスポークスみたいな俳優の身ぶりの一切合財が何だと言うのか。……お察しだろうが、私は本質的に反劇場的な性質たちの人間である。──しかるに、ヴァーグナーは逆に、劇場型人間にして俳優であり、これまで存在したなかでも最高度に熱狂的な芝居役者狂であった。音楽家としてもそうだ。……ついでに言うと、「演劇こそ目的であり、音楽はつねにその手段にとどまる」というのがヴァーグナーの理論であったとすれば、──彼の実践は、最初から最後まで、「ポーズこそ目的であり、演劇は、また音楽も、つねにその手段にとどまる」というものであった。音楽は、演劇的な身ぶりや俳優の官能的魅力をはっきりさせ、強化し、内面化するための手段とされた。だから、ヴァーグナーの演劇とは、数々の演劇的ポーズをとるための機会の一つにすぎなかったのだ。ヴァーグナーは、他の一切の本能と並んで、とどのつまり、大いなる俳優の命令的本能を有していた。しかも、繰り返すが、音楽家としてもそうだった。──こういったことを、かつて私は、ある実直なヴァーグナー主義者に、いくらか骨を折って説明したことがある。私は当然にも、さらにこう付け加えた。「それにしても、あなたには自分自身にもう少し誠実になっていただきたい。だって、われわれは劇場にいるわけではないのだからね。劇場では、ひとは大衆としてのみ誠実だ。個人としては嘘をつき、自分自身を騙している。ひとは劇場に出掛けるとき、自分自身はうちに置いていく。自分で発言し選択する権利を放棄し、自分の趣味や、勇気すらも放棄する。自分の家の部屋の中では、神と人間に対して持ち、ふるうその勇気を。自分の芸術の最も繊細な感覚を劇場へ携えてゆく者など誰もいない。劇場のために働く芸術家だって、その例に洩れない。ひとは劇場では、民衆であり、公衆であり、畜群であり、女であり、パリサイ人であり、有権者どもであり、民主主義者であり、隣人であり、同胞である。劇場では、この上なく個人的な良心も、「最大多数」の水平化的魔力に屈してしまう。劇場では、馬鹿さ加減が情欲や感染病のように作用する。劇場では、「隣人」が支配する。劇場では、ひとは隣人と化す……」。(話すのを忘れていたが、わが開明派のヴァーグナー主義者は、私の生理的異議にこう答えた。「ということは、あなたはそもそもわれわれの音楽を聴くのに充分なほど健康ではない、というだけの話だね」。──)
370番

 ロマン主義とは何か。──おそらく世の人は、少なくとも私の友人であれば、覚えてくれているであろうが、私は最初、たいそうな誤謬と過大評価をいくつか犯しながら、ともかくも希望を抱いた者として、現代世界に立ち向かっていった。私は──いかなる個人的経験に基づいてのことかは誰知ろう──、十九世紀の哲学的ペシミズムを、あたかも、十八世紀つまりヒュームとカントとコンディヤックと感覚論者の時代に固有であったものよりも、いっそう高度の思想力と、いっそう大胆不敵な勇気と、いっそう勝利にみちた充実した生を、示す徴候であるかのように解した。それゆえ、悲劇的認識とは現代文化の真の贅沢だと私には思われた。つまり、現代文化の最も高価で、最も高貴で、最も危険な種類の浪費であり、ともかくその溢れんばかりの豊かさゆえに現代文化に許されている贅沢なのだと、私には思われた。同様に、私は、ドイツ音楽を、ドイツ魂のディオニュソス的力強さの表現だとまっすぐ解した。私がドイツ音楽のうちに聴きとれると信じたのは、昔から堰き止められ鬱積していた根元力がついに吐き出されて清々するときに起こる地震──その場合、ふだん文化と呼ばれている一切のものが震動するに至るかどうかはお構いなしに──であった。見ての通り、私は当時、哲学的ペシミズムに関しても、ドイツ音楽に関しても、両者の本来的性格をなすもの──つまりロマン主義──を見損なっていた。ロマン主義とは何か。およそいかなる芸術、いかなる哲学も、成長と闘争を続ける生に奉仕する治癒薬にして補助手段であると見てよい。つまり芸術と哲学は、苦悩および苦悩する者たちをつねに前提する。だが、苦悩する者といっても、二種類ある。第一に、生の過剰な充溢に悩む者であり、彼らは、ディオニュソス芸術を欲し、同様に、生を見つめる悲劇的な見方と洞察を欲する。──第二に、生の貧困化に悩む者であり、彼らは、休息、静寂、滑らかな海面、芸術と認識による自己からの救済を求め、あるいは陶酔、痙攣、失神、狂気を求める。二番目の苦悩者に見られる、この二重の必要に対応しているのが、芸術と認識における一切のロマン主義であり、このロマン主義に対応していた(し、今なお対応している)のが、ショーペンハウアーならびにヴァーグナーなのである。かの最も有名で最も顕著なロマン主義者の名を挙げるとすれば、そうなろう。当時、私は両人を誤解していた──が、私の誤解が彼らにとって不利にはならなかったことは、あらゆる公正さをもって認めてもらえることだと、ここで言っておきたい。生の充溢の最も豊かな者、つまりディオニュソス的な神と人間は、最も恐ろしげで最も怪しげな者という姿を喜んで身に纏うことができるだけでなく、恐ろしい行為やありとあらゆる資沢な破壊、解体、殲滅さえ惜しみなくやってのけることができるのである。ディオニュソスの化身には、邪悪で無意味で醜悪なことがいわば許されているかに見えるが、それはあり余るほどの生殖力と繁殖力の産物なのである。なにしろそういった多産性は、どんな荒野も、こぼれんばかりの豊かな沃野に作り変えることができるのだから。これとは逆に、最も低める者、生の最も貧しき者なら、思考と行為の両面にわたって、穏和、平和、善良を最も必要とするだろうし、できることなら、まったくのところ病人向けの神、つまり「救い主」になってくれそうな神を必要とするだろう。同様に、人生を概念で分かりやすく説明してくれる論理も必要とするだろう──というのも、論理は安らぎを得させ、信用を与えてくれるから──。要するに、恐怖を寄せつけない狭いながらも暖かい場所を確保し、オプティミズムの地平に閉じこもることを必要とするだろう。こうして私は、徐々に、ディオニュソス的ペシミストの反対たるエピクロスを理解するようになったし、同様に「キリスト教徒」をも理解するようになった。キリスト教徒とは所詮、一種のエピクロス派であり、エピクロス派と同様、本質的にロマン主義者なのである。──私の鑑識眼がいよいよ研ぎ澄まされて向かっていった先は、たいていの誤謬の温床となる、最も厄介で最も危険な形式の逆推理であった。──作品から作者へ、行為から行為者へ、理想からその理想を必要とする者へ、あらゆる思考様式と価値様式からその背後で司令している必要へ、といった逆推理がこれである。──今や私は、一切の美的価値に関して、次の主要区別をあてがってみる。つまり個々の場合に、「ここで創造的になっているのは飢えであるか、それとも過剰であるか」と問うてみるのである。はじめは、これとは別の区別のほうが、もっとお薦めであるように見えるかもしれない──見た目にはこちらのほうがはるかに歴然としている──、すなわち、創造の原因となっているのは、硬直化、永遠化、つまり存在への欲求であるか、それとも、破壊、転変、新しさ、未来、つまり生成への欲求であるか、の違いである。だが、いっそう深く見究めれば、この二種の欲求は、依然として両義的であることが明らかとなり、しかも、ほかでもなく、先に挙げた図式に従って解釈されうるのである。私がこの図式を優先させるのも当然であろう。破壊、変転、生成への欲求は、未来を孕んだ充ち溢れる力の表現でありうる(それを表わす私の術語〔terminus〕が「ディオニュソス的」であるのは、ご承知の通りだ)が、他方では、出来損ないの窮乏した素寒貧たちの憎悪かもしれない。そういう破壊屋は、破壊せずにはいられない。なぜなら、そういった連中にとって、個々の存続するもの、それどころか、およそ存続することのすべて、存在のすべてが、それだけで憤慨の的となり、癪にさわるものとなるからである。──こうした情念を理解するには、現代の無政府主義者アナーキストを近くから眺めてみればよい。永遠化への意志のほうも、同様に、二重の解釈を必要とする。一方で、それは感謝と愛から生ずることがありうる──こうした起源を有する芸術は、つねに一個の神化芸術となり、おそらくはルーベンスとともに酒神讃歌デイテユランボス的であったり、ハーフィズとともに至福の嘲笑に満ちていたり、ゲーテとともに明朗で慈悲深かったりしては、ホメロスのごとき光輝と栄光を万物の上に降り注ぐのである。他方でそれは、重度に苦悩し、苦闘し、苦悶にさいなまれている者の、僭主的意志かもしれない。そういった重度の苦悩者は、最も個人的で、最も個別的で、最も狭隘なもの、つまり、おのれの苦悩に固有な特異体質に、拘束力ある法則と強制という太鼓判を押したがるのであり、万物にいわば復讐を果たそうとして、自分の像、自分の苦悶の像を押し当て、刻み込んでは、万物にその烙印を負わせるのである。後者の永遠化への僭主的意志こそ、ロマン主義的ペシミズムにほかならない。その最も印象深い形態が、ショーペンハウアーの意志哲学であり、ヴァーグナーの音楽である。──ロマン主義的ペシミズムとは、現代文化の運命における最近の大いなる出来事なのである。(これとまったく別のペシミズムも、まだほかにありうる、つまり古典的ペシミズムがそれである──この予感と幻覚は、私のものであり、私から切り離せないもの、私に固有なもの〔proprium〕、最も自己的なもの〔ipsissimum〕である。ただ、「古典的」という語は、私には耳障りに響くし、あまりにもさんざん使い古され、角がとれて丸くなりすぎ、見分けがつかなくなってしまっている。私は、かの未来のペシミズム──というのも、それはやって来るからであり、それがやって来るのが私には見えるからだ──を、ディオニュソス的ペシミズムと呼ぶ。)

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