三島由紀夫『仮面の告白』

美――美という奴は恐ろしい怕かないもんだよ! つまり杓子定規に決めることが出来ないから、それで恐ろしいのだ。なぜって、神様は人間に謎ばかりかけていらっしゃるもんなあ。美の中では両方の岸が一つに出合って、すべての矛盾が一緒に住んでいるのだ。俺は無教育だけれど、この事はずいぶん考え抜いたものだ。実に神秘は無限だなあ! この地球の上では、ずいぶん沢山の謎が人間を苦しめているよ。この謎が解けたら、それは濡れずに水の中から出て来るようなものだ。ああ美か! その上俺がどうしても我慢できないのは、美しい心と優れた理性を持った立派な人間までが、往々聖母《マドンナ》の理想を懐いて踏み出しながら、結局悪行《ソドム》の理想をもって終るという事なんだ。いや、まだまだ恐ろしい事がある。つまり悪行の理想を心に懐いている人間が、同時に聖母の理想をも否定しないで、まるで純潔な青年時代のように、真底から美しい理想の憧憬を心に燃やしているのだ。いや実に人間の心は広い、あまり広過ぎるくらいだ。俺は出来る事なら少し縮めてみたいよ。ええ畜生、何が何だか分りゃしない、本当に! 理性の目で汚辱と見えるものが、感情の目には立派な美と見えるんだからなあ。一体悪行の中に美があるのかしらん?……
 ……しかし、人間て奴は自分の痛いことばかり話したがるものだよ。
――ドストエーフスキイ「カラマーゾフの兄弟」
第三篇の第三、熱烈なる心の懺悔――詩

(第一章)

 ――この記憶にとって、いちばん有力だと思われた反駁は、私の生れたのが昼間ではないということだった。午後九時に私は生れたのであった。射してくる日光のあろう筈はなかった。では電燈の光りだったのか、そうからかわれても、私はいかに夜中だろうとその盥の一箇所にだけは日光が射していなかったでもあるまいと考える背理のうちへ、さしたる難儀もなく歩み入ることができた。そして盥のゆらめく光りの縁は、何度となく、たしかに私の見た私自身の産湯の時のものとして、記憶のなかに揺曳した。
 ……私が人生ではじめて出逢ったのは、これら異形の幻影だった。それは実に巧まれた完全さを以て最初から私の前に立ったのだ。何一つ欠けているものもなしに。何一つ、後年の私が自分の意識や行動の源泉をそこに訪ねて、欠けているものもなしに。
 私が幼時から人生に対して抱いていた観念は、アウグスティヌス風な予定説の線を外れることがたえてなかった。いくたびとなく無益な迷いが私を苦しめ、今もなお苦しめつづけているものの、この迷いをも一種の堕罪の誘惑と考えれば、私の決定論にゆるぎはなかった。私の生涯の不安の総計のいわば献立表《メニュー》を、私はまだそれが読めないうちから与えられていた。私はただナプキンをかけて食卓に向っていればよかった。今こうした奇矯な書物を書いていることすらが、献立表にはちゃんと載せられており、最初から私はそれを見ていた筈であった。

 幼年時代は時間と空間の紛糾した舞台である。たとえば火山の爆発とか叛乱軍の鋒起とか大人から告げられた諸国のニュースと、目前で起っている祖母の発作や家のなかのこまごました諍いごとと、今しがたそこへ没入していたお伽噺の世界の空想的な事件と、これら三つのものが、いつも私には等価値の、同系列のものに思われた。私にはこの世界が積木の構築以上に複雑なものとは思えず、やがて私がそこへ行かねばならぬいわゆる「社会」が、お伽噺の「世間」以上に陸離たるものとは思えなかった。一つの限定が無意識裡にはじまっていた。そしてあらゆる空想は、はじめから、この限定へ立向う抵抗の下に、ふしぎに完全な・それ自体一つの熱烈な願いにも似た絶望を、滲ませていた。
 こうして私は、まじめくさって祖母の居間へ押し出した。狂おしい可笑しさ・うれしさにこらえきれず、
「天勝よ。僕、天勝よ」
 と云いながらそこら中を駈けまわった。
 そこには病床の祖母と、母と、誰か来客と、病室づきの女中とがいた。私の目には誰も見えなかった。私の熱狂は、自分が扮した天勝が多くの目にさらされているという意識に集中され、いわばただ私自身をしか見ていなかった。しかしふとした加減で、私は母の顔を見た。母はこころもち青ざめて、放心したように坐っていた。そして私と目が合うと、その目がすっと伏せられた。
 私は了解した。涙が滲んで来た。
 何をこのとき私は理解し、あるいは理解を迫られたのか? 「罪に先立つ悔恨」という後年の主題が、ここでその端緒を暗示してみせたのか? それとも愛の目のなかに置かれたときにいかほど孤独がぶざまに見えるかという教訓を、私はそこから受けとり、同時にまた、私自身の愛の拒み方を、その裏側から学びとったのか?
 ――女中が私を取押えた。私は別の部屋へつれて行かれ、羽毛をむしられる雞のように、またたくひまにこの不埒な仮装を剝がされた。
 ――こうしたカットの仕方から、大人たちは背理を読むであろうか? しかしこの幼ない・傲慢な・おのれの好みに惑溺しやすい検閲官は、「すっかりきれぎれにされて」という文句と、「その場へ倒れて」という文句との、明らかな矛盾はわきまえながら、なお、そのどちらも捨てかねたのであった。
 一方また、私は自分が戦死したり殺されたりしている状態を空想することに喜びを持った。そのくせ、死の恐怖は人一倍つよかった。
 しかし従妹の家などへ遊びにゆくと事情はかわった。私でさえが、一人の「男の子」であることを要求された。或る従妹――杉子としておこう――の家で、私が七歳の早春、もう小学校入学が間近というころにそこに訪れたとき、記念すべき事件が起った。というのは私を連れて行った祖母が、私を「大きくなった、大きくなった」とほめそやす大伯母たちのおだてに乗って、そこで出された私の食事に、特別の例外を許したのであった。前にも述べた自家中毒の頻発におびえて、その年まで祖母は私に「青い肌のお魚」を禁じていた。それまで私は魚といえば、平目や鰈や鯛のような白身の魚しか知らず、馬鈴薯といえば、つぶして裏漉しにかけたものしか知らず、菓子といえば、餡物は禁じられ、軽いビスケットやウエファースや干菓子ばかりで、果物などは、薄く切った林檎や少量の蜜柑だけしか知らなかった。はじめてたべる青いお魚――それは鰤だった――を、私は非常に満悦して喰べた。その美味は私に大人の資格がまず一つ与えられたことを意味していたが、いつもそれを感じるたびに居心地のわるさをおぼえる一つの不安――「大人になることの不安」――の重みをも、やや苦く私の舌先に味わせずには措かなかった。
 杉子は健康で、生命にみちあふれた子供だった。その家へ泊って、一つ部屋に床を並べて寝るときなど、頭を枕に落すと同時に、まるで機械のように簡単に眠りに落ちる杉子を、いつまでも眠れない私は、軽い嫉ましさと嘆賞を以て見戍った。彼女の家では、私は自分の家にいるよりも、数層倍自由であった。私を奪い去るであろう仮想敵――つまり私の父母――がここにはいないので、祖母は安心して私を自由にしておいた。家にいるときのように、私をいつも目の届く範囲以内につかまえておく必要もないのだった。
 ところが、そうされた私は、それほど自由を享楽することはできなかった。私は病後はじめて歩きだした病人のように、見えない義務を強いられているような窮屈さを感じた。むしろ怠惰な寝床が恋しかった。そしてここでは、私は一人の男の子であることを、言わず語らずのうちに要求されていた。心に染まぬ演技がはじまった。人の目に私の演技と映るものが私にとっては本質に還ろうという要求の表われであり、人の目に自然な私と映るものこそ私の演技であるというメカニズムを、このころからおぼろげに私は理解しはじめていた。
 その本意ない演技が私をして、「戦争ごっこをしようよ」と言わせるのであった。杉子ともう一人の従妹と、女二人が私の相手だったので、戦争ごっこはふさわしい遊びではなかった。まして相手のアマゾーネンは気乗薄の体だった。私が戦争ごっこを提唱したのも、逆の御義理、つまり彼女たちにおもねらず彼女たちを多少困らせてやらねばならぬという逆の御義理からであった。
 薄暮の家の内外で私たちはお互いに退屈しながら不器用な戦争ごっこをつづけた。繁みのかげから杉子がタンタンと機関銃の音を口で真似たりした。ここらで結論をつけねばならぬと私は思った。そして家の中へ逃げて入って、タンタンタンと連呼しながら追いかけてくる女兵を見ると、胸のあたりを押えて座敷のまんなかにぐったりと倒れた。
「どうしたの、公ちゃん」
 ――女兵たちが真顔で寄って来た。目もひらかず手も動かさずに私は答えた。
「僕戦死してるんだってば」
 私はねじれた格好をして倒れている自分の姿を想像することに喜びをおぼえた。自分が撃たれて死んでゆくという状態にえもいわれぬ快さがあった。たとえ本当に弾丸が中っても、私なら痛くはあるまいと思われた。……
 次第に歌詞も粒立ってきこえてくる木遣の悲調が、無秩序な祭のざわめきを貫いて、この見かけの空さわぎの、まことの主題ともいうべきものを告げ知らすのだった。それは人間と永遠とのきわめて卑俗な交会、或る敬虔な乱倫によってしか成就されない交会の悲しみを、愬えているように思われた。解けがたくもつれあった音の集団は、いつしか前駆の錫杖の金属音、太鼓の澱んだとどろき、神輿のかつぎ手の雑多な懸声などに分ち聞かれた。私の胸は(そのころから激しい期待は喜びというよりもむしろ苦しみであったが、)ほとんど立っていられないほど息苦しく高鳴った。錫杖を持った神官は狐の面をかぶっていた。この神秘な獣の金いろの目が、私をじっと魅するように見詰めてすぎると、いつか私は傍らの家人の裾につかまって、目前の行列が私に与える恐怖に近い歓びから、折あらば逃げ出そうと構えている自分を感じた。私の人生に立向う態度はこのころからこうだった。あまりに待たれたもの、あまりに事前の空想で修飾されすぎたものからは、とどのつまりは逃げ出すほかに手がないのだった。
 やがて仕丁がかついだ・七五三縄を張った賽銭箱がとおりすぎ、子供の神輿が軽佻に跳ねまわりながら行きすぎると、黒と黄金の荘厳な大神輿が近づいた。それはすでに遠くから、頂きの金の鳳凰がかなたこなたに漂う波間の鳥のように、どよめきにつれて眩ゆく揺れ動くさまを見ることで、一種きらびやかな不安を私たちに与えていた。その神輿のまわりにだけは、熱帯の空気のような毒々しい無風状態が犇めいていた。それは悪意のある怠惰で、若者たちの裸かの肩の上に、熱っぽく揺られているように見えた。紅白の太縄、黒塗りに黄金の欄干、そのひしと閉ざされた金泥の扉のうちには、まっくらな四尺平方の闇があって、雲一つない初夏の昼日中に、このたえず上下左右に揺られ跳躍している真四角な空っぽな夜が、公然と君臨しているのだった。


(第二章)

 自宅通学の学生は僅かだった。二年の最終学期から、その僅かな一団に新入りが一人加わった。近江だった。彼は何か乱暴な振舞で寮を追い出されて来たのであった。それまでさして彼に注意を払わなかった私が、いわゆる「不良性」のれっきとした烙印がこの追放で彼に押されるにいたって、俄かに彼の姿から目を離しにくくなるのだった。
 大きくみえた靴跡はほとんど私のと同じなのだった。私は足跡の主も、当時私たちの間に流行っていたオーヴァー・シューズを穿いているだろうことを忘れていた。してみるとその足跡は、近江のではないように思われた。――とはいうものの、黒い靴跡を辿ってゆくことは、私の当面の期待が裏切られるかもしれないという不安の期待に於てすら、何かしら私を魅するものだった。近江はこの場合私の期待の一部にすぎず、私より先に来て雪に足型をつけて行った人間への、或る犯された未知に対する復讐的な憧れが、私を捕えていたのかもしれない。
 私は頬をほてらせながら手袋で雪を固めた。
 雪つぶてが投げられた。それは届かなかった。しかしIの字を書き終えた彼が、おそらく何気なしに、私のほうへ視線を向けた。
「おーい」
 近江がおおかた不機嫌な反応をしか示さないだろうという懸念はありながら、私は得体のしれぬ熱情に促され、そう叫ぶやいなや高台の急坂を駈け下りていた。すると思いがけない・彼の力に充ちた親しげな叫びが私に向ってひびいてきた。
「おーい。字を踏んじゃだめだぞう」
 たしかに今朝の彼は、いつもの彼とはちがっているように思われた。家へかえっても絶対に宿題をやらず教科書類はロッカーに置きっ放しの彼は、外套のポケットに両手をつっこんで登校し、手際よく外套を脱ぐと時間かつかつに整列の尻に加わるのが常だったが、今朝に限ってこの早朝から、一人ぼっちで時間をつぶしているばかりか、日頃は子供扱いにして洟も引っかけない私を、彼独特の親しげでいて粗暴な笑顔で迎えていてくれるとは! どんなにこの笑顔を、この若々しい白い歯並を、私は待っていたことであろう。
 しかしこの笑顔が近づくにつれてはっきり見え出すと、私の心は今しがた「おーい」と呼んだときの熱情も置き忘れ、居たたまれない気おくれに閉ざされた。理解が私を遮げるのだった。彼の笑顔が『理解された』という弱味をつくろうためのものであろうことが、私を、というよりは、私が描いて来た彼の影像を傷つけるのだった。
 私は雪にえがかれた巨大な彼の名OMIを見た刹那、彼の孤独の隅々までを、おそらくは半ば無意識裡に了解した。彼がこんなに朝早くから学校へ出て来たことの、その彼自身も深くは知るまい本質的な動機をも。――私の偶像が今私の前に心の膝を屈して、『雪合戦のために早く来たんだ』なぞと弁解をしてくれたなら、私は彼の喪われた矜りよりももっと重要なものを私の中から喪う筈だった。こちらから切り出さねばと私は焦燥した。
「今日はもう雪合戦は無理だね」ととうとう私が言った。「もっと降ると思ったのに」
「うん」
 彼は白けた顔つきになった。その頑丈な頬の線はまた固くなり、私への一種痛ましい蔑みが甦った。彼の目は私を子供だと思おうとする努力で、又しても憎体に輝きだした。彼の雪の文字について私が何一つ訊き質さなかったことを彼の心の一部が感謝している、その感謝に抵抗しようとしている彼の苦痛が私を魅した。
「ふん、子供みたいな手袋をしていやがる」
「大人だって毛糸の手袋をしているよ」
「可哀そうに、革の手袋のはめ心地を知らねえんだろう、――そうら」
 彼は雪に濡れた革手袋をいきなり私のほてっている頬に押しあてた。私は身をよけた。頬になまなましい肉感がもえ上り、烙印のように残った。私は自分が非常に澄んだ目をして彼を見つめていると感じた。
 ――この時から、私は近江に恋した。

 それは、そういう粗雑な言い方が許されるとすれば、私にとって生れてはじめての恋だった。しかもそれは明白に、肉の欲望にきずなをつないだ恋だった。
 私は夏を、せめて初夏を待ちこがれた。彼の裸体を見る機会を、その季節がもたらすように思われた。更に私は、もっと面伏せな欲求を奥深く抱いていた。それは彼のあの「大きなもの」を見たいという欲求だった。
 彼の顔には何か暗い優越感と謂ったものがしじゅう浮んでいた。それは多分傷つけられるにしたがって燃え上る種類のものだった。落第、追放、……これらの悲運が、彼には挫折した一つの意慾の象徴のように思われるらしかった。何の意慾? 私には漠然と、彼の「悪」 の魂が促す意慾があるに違いないと想像された。 そしてこの広大な陰謀は、 彼自身にすらまだ十分には識られていないものに相違なかった。
 どちらかというと丸顔の浅黒い頬には不遜な顴骨がそびえ、形のよい・肉の厚い・高すぎない鼻の下に、小気味よく糸で括けたような唇と逞しい顎とがあるその顔には、全身の充溢した血液の流れが感じられた。そこにあるのは一個の野蛮な魂の衣裳だった。誰が彼から「内面」を期待しえたろう。彼に期待しうるものは、われわれが遠い過去へ置き忘れて来たあの知られざる完全さの模型だけであった。
 気まぐれに、彼が私の読んでいる・年に似合わぬ賢しげな書物をのぞきに来ることがあった。私はたいていあいまいな微笑でその本を隠した。羞恥からではなかった。彼が書物なんかに興味を持つこと、そこで彼が不手際を見せること、彼が自分の無意識な完全さを厭うようになること、こうしたあらゆる予測が私には辛いからだった。この漁夫がイオニヤの郷国を忘れることが辛いからだった。
 授業中も、運動場でも、たえず彼の姿をと見こう見しているうちに、私は彼の完全無欠な幻影を仕立ててしまった。記憶のなかにある彼の影像から何一つ欠点を見出せないのもそのためだ。こうした小説風な叙述に不可欠な・人物の或る特徴、或る愛すべき癖、それを拾い上げることでその人物を生々とみせる幾つかの欠点、そういうものが何一つ、記憶のなかの近江からは引き出せない。その代り私は、近江から別の無数のものを引き出していた。それはそこにある無限の多様さと微妙なニュアンスだ。つまり私は彼から引き出したのだった。およそ生命の完全さの定義を、彼の眉を、彼の額を、彼の目を、彼の鼻を、彼の耳を、彼の頬を、彼の頬骨を、彼の唇を、彼の顎を、彼の頸筋を、彼の咽喉を、彼の血色を、彼の皮膚の色を、彼の力を、彼の胸を、彼の手を、その他無数のものを。
 それをもといに、淘汰が行われ、一つの嗜好の体系が出来上った。私が智的な人間を愛そうと思わないのは彼ゆえだった。私が眼鏡をかけた同性に惹かれないのは彼ゆえだった。私が力と、充溢した血の印象と、無智と、荒々しい手つきと、粗放な言葉と、すべて理智によって些かも蝕ばまれない肉にそなわる野蛮な憂いを、愛しはじめたのは彼ゆえだった。
 ――ところがこの不埒な嗜好は、私にとってはじめから論理的に不可能を包んでいた。およそ肉の衝動ほど論理的なものはない。理智をとおした理解が交わされはじめると、私の欲望は忽ち衰えるのだった。相手に見出だされるほんの僅かな理智ですら、私に理性の価値判断を迫るのだった。愛のような相互的な作用にあっては、相手への要求はそのままこちら自身への要求となる筈だから、相手の無智をねがう心は、一時的にもせよ私の絶対的な「理性への謀反」を要求した。それはどのみち不可能だった。そこで私はいつになっても、理智に犯されぬ肉の所有者、つまり、与太者・水夫・兵士・漁夫などを、彼らと言葉を交わさないように要心しながら、熱烈な冷淡さで、遠くはなれてしげしげと見ている他はなかった。言葉の通じない熱帯の蛮地だけが、私の住みやすい国かもしれなかった。蛮地の煮えくりかえるような激烈な夏への憧れが、そういえばずいぶん幼ないころから、私の中に在った。……
 ……見ているうちに、ふとして私は不安に襲われた。居ても立ってもいられない不可解な不安であった。遊動円木の揺れ方から来る目まいに似ていて、そうではなかった。いわば精神的な目まい、私の内なる均衡が彼の危うい一挙一動を見ることで破られかかる不安かもしれなかった。この目まいのなかにはなお、二つの力が覇を争っていた。自衛の力と、もう一つはもっと深く・もっと甚だしく私の内なる均衡を瓦解させようと欲する力と。この後のものは、人がしばしば意識せずにそれに身を委ねることのある・あの微妙な・また隠密な自殺の衝動だった。
「何だい。弱虫ばっかり揃っていやがるなあ。もういないのかい」
 近江は遊動円木の上で軽く体を左右へ揺りながら白手袋の両手を腰にあてていた。帽子の鍍金の徽章が朝陽に光った。私はこんなに美しい彼を見たことがなかった。
「僕がやるよ」
 私は自分がそう言ってしまうであろう瞬間を、次第に募る動悸で正確に測っていた。私が欲望に負ける瞬間はいつもこうだった。私がそこへ行き、そこに立つだろうことが、私には避けがたい行動というよりも予定の行動のように思われるのだった。後年、だから私は自分のことを、「意志的な人間」だと見まちがえたりした。
「よせ、よせ、負けるにきまってら」
 私は嘲りの歓声に送られて端のほうから遊動円木へ上って行った。上ろうとして足を、辷らしかけると、皆がまたわいわいと囃したてた。
 近江はおどけた顔をして私を迎えた。彼はせい一杯道化けてみせ、足を辷らせる真似をしてみせたりした。また、手袋の指先をひらひらさせて私をからかった。私の目に、それはともすると私に突き刺さる危険な武器の切尖のようにみえた。
 私の白手袋と彼の白手袋が、幾度か平手を打ち合った。そのたびに私は彼の掌の力に押されて身を泳がせた。彼は私を心ゆくまでなぶりものにするつもりか、私の敗北が早すぎないように、故ら力を加減している様子が見てとれた。
「ああ危ねえ、君全く強えなあ、僕はもう負けたよ、もうすぐ落ちるよ、――ほらね」
 彼はまた舌を出して、落ちる真似をしてみせた。
 その道化た顔を見ていることが、彼が彼自身の美しさをそれと知らずに壊してかかっていることが、私には居たたまれず辛いのだった。私はじりじり押されながら目を伏せた。その隙を、彼の右手の一と薙ぎにさらわれた。落ちまいとして、私の右手が、反射的に彼の右手の指先にしがみついた。白手袋にきっちりとはまっている彼の指の感覚をまざまざと握った。
 その一刹那、私は彼と目と目を合わせた。まことの一刹那だった。彼の顔から道化た表情は消え、あやしいほど真率な表情が漲った。敵意とも憎しみともつかぬ無垢なはげしいものが弓弦を鳴らしていた。それは私の思いすごしであったかもしれなかった。指先を引かれて体の平衡を喪った瞬間の、むしろ虚しい露わな表情であったかもしれなかった。しかし私は、二人の指のあいだに交わされた稲妻のような力の戦きと共に、私の彼を見つめた一瞬の視線から、私が彼を――ただ彼をのみ――愛していることを、近江が読みとったと直感した。
 二人は殆ど同時に遊動円木からころがり落ちた。
 私はたすけ起された。たすけ起したのは近江だった。彼は私の腕をあらっぽく引摺り上げ、 何も言わずに私の服の泥を払った。彼の肱と手袋にも霜のきらめいてみえる泥が塗られていた。
 私は非難するように彼を見上げた。彼が私の腕をとって歩き出したからだった。
 私の学校は初等科時代から同級生が同じなので、肩を組んだり腕を組んだりする親しさは当然のことだった。折から整列の呼笛が吹き鳴らされ、みんなはそんな風にして整列場へいそいでいた。近江が私と一緒にころがり落ちたことも、もうそろそろ見飽きてきた遊戯の結着と見えたにすぎず、私と近江が腕を組んで歩いているのさえ、格別目に立つ景色ではない筈だった。
 しかし彼の腕に凭れて歩きながら、私の喜びは無上であった。ひ弱な生れつきのためかして、あらゆる喜びに不吉な予感のまじってくる私ではあったが、彼の腕の強い・緊迫した感じは、私の腕から私の全身へめぐるように思われた。世界の果てまで、こうして歩いて行きたいと私は思った。
 しかし、整列場のところへ来ると、彼は呆気なく私の腕を離して自分の順番へ並んだ。それから二度と私のほうをふりむかなかった。式のあいだ、私は自分の白手袋の泥のよごれと、四人をへだてて並んでいる近江の白手袋の泥のよごれとを、何度となく見比べるのだった。

 ――こうした近江への故しれぬ敬慕の心に、私は意識の批判をも、ましてや道徳の批判をも加えるではなかった。意識的な集中が企てられだすと、もうそこには私はいなかった。持続と進行をもたない恋というものがもしあるならば、私の場合こそそれなのであった。私が近江を見る目はいつも「最初の一瞥」であり、言いうべくんば「劫初の一瞥」だった。無意識の操作がこれに与り、私の十五歳の純潔を、たえず侵蝕作用から守ろうとしていた。
 これが恋であろうか? 一見純粋な形を保ち、その後幾度となく繰り返されたこの種の恋にも、それ独特の堕落や頽廃がそなわっていた。それは世にある愛の堕落よりももっと邪悪な堕落であり、退廃した純潔は、世の凡ゆる退廃のうちでも、いちばん悪質の頽廃だ。
 しかし、近江への片思い、人生で最初に出会ったこの恋においては、私はほんとうに、無邪気な肉慾を翼の下に隠し持った小鳥と謂った風だった。私を迷わせたのは、獲得の欲望ではなく、ただ純粋な「誘惑」そのものだったのだ。
 少くとも学校にいるあいだ、それもとりわけ退屈な授業中には、 私は彼の横顔から目を離すことができずにいた。愛とは求めることでありまた求められることだと知らない私に、それ以上何が出来たであろう。愛とは私にとって小さな謎の問答を謎のままに問い交わすことにすぎなかった。私のこのような傾慕の心は、それが何らかの形で報いられることを想像することさえしなかったのだ。
 しかしながら私の最初の恋が、どのような形で終末を告げるかを、おぼろげながら私が予知していない筈はなかった。ともするとこの予知の不安が、私の快楽の核心であるのかもしれなかった。
「ほう」
 級友たちの嘆声が鈍く漂った。彼の力わざへの嘆声ではないことが、誰の胸にもたずねられた。それは若さへの、生への、優越への嘆声だった。彼のむき出された腋窩に見られる豊穣な毛が、かれらをおどろかしたのである。それほど夥しい・ほどんど不必要かと思われるくらいの・いわば煩多な夏草のしげりのような毛がそこにあるのを、おそらく少年たちははじめて見たのである。それは夏の雑草が庭を覆いつくしてまだ足りずに、石の階段にまで生いのぼって来るように、近江の深く彫り込まれた腋窩をあふれて、胸の両わきへまで生い茂っていた。この二つの黒い草叢は、日を浴びてつややかに耀き、そのあたりの彼の皮膚の意外な白さを、白い砂地のように透かしてみせた。
 彼の二の腕が固くふくれ上り、彼の肩の肉が夏の雲のように盛り上ると、彼の腋窩の草叢は暗い影の中へ畳み込まれて見えなくなり、胸が高く鉄棒とすれ合って微妙に慄えた。こうして懸垂がくりかえされた。
 生命力、ただ生命力の無益な夥しさが少年たちを圧服したのだった。生命のなかにある過度な感じ、暴力的な、全く生命それ自身のためとしか説明のつかない無目的な感じ、この一種不快なよそよそしい充溢がかれらを圧倒した。一つの生命が、彼自身のしらぬ間に近江の肉体へしのび入り、彼を占領し、彼を突き破り、彼から溢れ出で、間がな隙がな彼を凌駕しようとたくらんでいた。生命というものはこの点で病気に似ていた。荒々しい生命に蝕まれた彼の肉体は、伝染をおそれぬ狂おしい献身のためにだけ、この世に置かれてあるものだった。伝染をおそれる人々の目には、その肉体は一つの非難として映る筈だった。――少年たちはたじたじと後ずさりした。
 私も同様ながらまた多少ちがっていた。私にあっては(このことは私を赤面させるのに十分だったが、)彼の夥しいそれを見た瞬間からerectioが起っていた。間服のズボンのこととて、悟られはすまいかと気遣われた。その不安がなくとも、とにかくこの時私の心を占めたものは無垢な歓びばかりではなかった。私の見たがっていたものこそこれであったろうに、それを見た衝撃が、却って思いがけない別種の感情を発掘してみせたのである。
 それは嫉妬だった。――
 何か崇高な作業をなしおえた人のように、近江の体がどすんと砂地に降りる音を私はきいた。私は目をつぶり、頭を振った。そうして私がもう近江を愛してはいないと自分に言いきかせた。

 それは嫉妬だった。私がそのために近江への愛を自ら諦めたほどに強烈な嫉妬だった。
 おそらくこの事情には、そのころから私に芽生えだした・自我のスパルタ式訓練法の要求も与っていた。(この本を書いていることが既にその要求の一つのあらわれである。)幼年時代の病弱と溺愛のおかげで人の顔をまともに見上げることも憚られる子供になっていた私は、そのころから、「強くならねばならぬ」という一つの格率に憑かれだしていた。そのための訓練を、私はゆきかえりの電車のなかで、誰彼の見堺なく乗客の顔をじっと睨みつけることに見出だした。たいていの乗客はひよわそうな蒼白の少年に睨みつけられて、別に怖がりもせずに、うるさそうに顔をそむけた。睨み返す人間は滅多にいなかった。顔をそむけられると、私は勝ったと思った。こうして次第に私は人の顔を真正面から見ることができるにいたった。……
 ――愛を諦めたと思い込んでいる私には、一応自分の愛が忘れられていた。これは一見迂闊なことである。愛の・これ以上はない明白なしるしであるerectioが私には忘れられていた。エレクチオは実に永きにわたって無自覚におこり、一人でいるときにそれが促すあの「悪習」も、実に永きにわたって無自覚に行われていた。性についてはすでに人並の知識をもちながら、私はまだ差別感に悩まずにいた。
 と云って私は自分の常規を逸した欲望を、正常なもの正統なものと信じていたわけではなく、友人の誰しもが私と同じ欲望を抱いていると誤信していたわけでもなかった。呆れることには、私は浪漫的な物語の耽読から、まるで世間しらずの少女のように、男女の恋や結婚というものにあらゆる都雅な夢を託していたのである。近江への恋を私は投げやりな謎の芥に投り込んで、深くその意味をたずねてみることもしなかった。今私が「愛」と書き「恋」と書くようには、一切私は感じていたわけではなかった。私はこういう欲望と私の「人生」との間に重大な関わりがあろうなぞとは、夢にも思っていなかった。
 それにもかかわらず、直感は私の孤独を要求していた。それはわけのわからぬ異様な不安、――すでに幼年時に大人になることの不安が色濃く在ったことは前にも述べた、――として現われた。私の成長感はいつも異様な鋭い不安を伴った。ぐんぐん伸びて一年毎にズボンの丈を長くしなければならないので仕立の時に長い折込を縫い込んでおくあの時代、どこの家でもあるように、私は家の柱に自分の身丈を鉛筆でしるしをつけた。茶の間の家族の前でそれが行われ、伸びるたびに家族は私をからかったり単純に喜んだりした。私は強いて笑顔をつくった。しかし私が大人の身丈になるという想像は、何かおそろしい危機を予感させずにはなされなかった。未来に対する私の漠とした不安は、一方私の現実を離れた夢想の能力を高めると共に、私をその夢想へのがれさせる「悪習」へと狩り立てた。不安がそれを是認した。
私一人がそうなのではなく、同年の級友たちは皆そうなのであったが、私たちの腋窩には近江のそれのような旺んなものはまだ見られなかった。蘖のようなものがわずかに兆しているにすぎなかった。したがってこれまで私も、その部分に際立った注意を払っていたわけではなかった。それを私の固定観念にしたものは明らかに近江の腋窩だった。
 風呂に入るとき、私は永いあいだ鏡の前に立つようになった。鏡は私の裸身を無愛想に映した。私は自分も大きくなれば白鳥になれるものだと思い込んでいる家鴨の子のようであった。これはあのヒロイックな童話の主題と丁度逆である。私の肩がいつか近江の肩に似、私の胸がいつか近江の胸に似るであろうという期待を、目前の鏡が映している・似ても似つかぬ私の細い肩・似ても似つかぬ私の薄い胸に無理強いに見出だしながら、薄氷のような不安は依然私の心のそこかしこに張った。それは不安というよりは一種自虐的な確信、「私は決して近江に似ることはできない」と神託めいた確信だった。
 元禄期の浮世絵には、しばしば相愛の男女の容貌が、おどろくべき相似でえがかれている。希臘彫刻の美の普遍的な理想も男女の相似へ近づく。そこには愛の一つの秘義がありはしないだろうか? 愛の奥処には、寸分たがわず相手に似たいという不可能な熱望が流れていはしないだろうか? この熱望が人を駆って、不可能を反対の極から可能にしようとねがうあの悲劇的な離反にみちびくのではなかろうか? つまり相愛のものが完全に相似のものになりえぬ以上、むしろお互いに些かも似まいと力め、こうした離反をそのまま媚態に役立てるような心の組織《システム》があるのではないか? しかも悲しむべきことに、相似は瞬間の幻影のまま終るのである。なぜなら愛する少女は果敢になり、愛する少年は内気になるにもせよ、かれらは似ようとしていつかお互いの存在をとおりぬけ、彼方へ、――もはや対象のない彼方へ、飛び去るほかはないからである。
 私がそのために愛を諦めたと自分に言いきかせたほどに烈しかった嫉妬は、右のような秘義にてらして、なお愛なのであった。私は自分の腋窩に、おもむろに・遠慮がちに・すこしずつ芽生え・成長し・黒ずみつつある・「近江と相似のもの」を愛するにいたった。……
 暑中休暇が訪れた。私にとってそれは待ちこがれていたくせに始末に了えぬ幕間であり憧れていたくせに居心地のわるい宴会だった。
 軽い小児結核を患ったときから、医者は私が強烈な紫外線に当ることを禁じた。海岸の直射日光に三十分以上体をさらすことは禁物であった。この禁制は破られるたびに覿面の発熱で私に報いた。学校の水泳演習にも出られなかった私は、今以て泳ぎを知らない。後年私の内部に執拗に育ち、折にふれては私を押しゆるがすにいたった「海の蠱惑」と考え合わせると、私が泳げないというこのことは暗示的である。
 孤独の感じが、すぐさま近江の回想とまざり合った。それはこんな風にである。近江の生命にあふれた孤独、生命が彼を縛めているところから生れる孤独、そうしたものへの憧れが、私をして彼の孤独にあやかりたいと希わせはじめ、今のやや、外面的には近江のそれに似ている私の孤独、海の横溢を前にしたこの虚しい孤独を、彼に倣ったやり方で享楽したいとねがわせた。私は近江と私との一人二役を演ずる筈だった。そのためには些かでも彼との共通点が見出だされねばならなかった。そうすれば、近江自身はおそらく無意識に抱いているにすぎまい彼の孤独を、私が彼になり代り、あたかもその孤独が快楽にみちたものであるかのように意識して振舞うことが出来、近江を見て私が感じる快感をやがて近江自身の感じるであろう快感とすることの成就にまで、私は到達する筈だった。
 聖セバスチャンの絵に憑かれだしてから、何気なく私は裸になるたびに自分の両手を頭の上で交叉させてみる癖がついていた。自分の肉体は弱々しく、セバスチャンの豊麗は面影だになかった。今も私は、何気なくそうしてみた。すると自分の腋窩へ目が行った。不可解な情慾が湧き起った。
 ――私の腋窩には夏の訪れと共に、もとより近江のそれには及ばぬながら、黒い草叢の芽生えがあった。これが近江との共通点だった。この情慾には明らかに近江が介在した。それでもなお、私の情慾が私自身のそれへ向ったことは否めなかった。その時私の鼻孔をわななかせていた潮風と、私の裸かの肩や胸をひりひりさせながら照りつけていた夏の激しい光りと、見わたすかぎり人影のなかったことが、寄ってたかって、青空の下での最初の「悪習」に私を駆ったのだった。その対象を、私は自分の腋窩に選んだのだった。
 ……ふしぎな悲しさに私は身を慄わせた。孤独は太陽のように私を灼いた。紺の毛のパンツが私の腹に不快に粘ついた。私はそろそろと巌を下りて、汀に足をひたした。余波《なごり》が私の足を白い死んだ貝殻のように見せ、海のなかには貝殻をちりばめた石畳が波紋にゆらめきながらありありと見えた。私は水の中にひざまずいた。そしてそのとき砕けた波が荒々しい叫びをあげて押し迫り、私の胸にぶつかり、私を繁吹で殆んど包もうとするのに委せた。
 ――波が引いたとき、私の汚濁は洗われていた。私の無数の精虫は、引く波と共に、その波の中の幾多の微生物・幾多の海藻の種子・幾多の魚卵などの諸生命と共に、泡立つ海へ捲き込まれ、運び去られた。

 秋が来て新学期がはじまったとき、近江はいなかった。放校処分の貼紙が掲示板に見られた。
 すると僭主が死んだあとの人民のように、私の級友の誰しもが彼の悪事を喋りだした。彼に十円貸して返してもらえなかったこと、彼に笑いながら舶来の万年筆を強奪されたこと、彼に首を絞められたこと、……それらの悪事を一人一人が彼から蒙ったらしいのにひきかえて、私だけは彼の悪については何一つ知らないことが、私を嫉妬で狂おしくさせた。しかし私の絶望は、彼の放校の理由に確たる定説のないことでわずかに慰められた。どこの学校にもいるあの消息通のすばしこい生徒も、万人が疑わない放校理由を、近江について探り出すことはできなかった。もとより先生は、ただ「悪いこと」とにやにやしながら言うばかりだった。
 私にだけは彼の悪について一種の神秘な確信があった。彼自身にすらまだ十分には識られていない或る広大な陰謀に、彼は参画していたに相違なかった。この彼の「悪」の魂が促す意慾こそ、彼の生甲斐であり、彼の運命だった。少くとも私にはそう思われた。
 ……するとこの「悪」の意味は私の内部で変容して来た。それが促した広大な陰謀、複雑な組織《システム》をもった秘密結社、その一糸乱れぬ地下戦術は、何らかの知られざる神のためのものでなければならなかった。彼はその神に奉仕し、人々を改宗させようと試み、密告され、秘密裡に殺されたのだった。彼はとある薄暮に、裸体にされて丘の雑木林へ伴われた。そこで彼は双手を高く樹に縛められ、最初の矢が彼の脇腹を、第二の矢が彼の腋窩を貫ぬいたのだった。
 私は考え進んだ。そう思ってみれば、彼が懸垂をするために鉄棒につかまった姿形は、他の何ものよりも聖セバスチャンを思い出させるのにふさわしかったのである。
 生れながらの血の不足が、私に流血を夢みる衝動を植えつけたのだった。ところがその衝動が私の体から更に血を喪わせ、かくてますます私に血を希わせるにいたった。この身を削る夢想の生活は、私の想像力を鍛え・錬磨した。
 ――ぼんやりした頭を垂れて、休み時間の運動場へ私は出た。私の――これも片想いの・そして落第生の――恋人が寄って来てたずねた。
「ねえ、君、きのう片倉の家へお悔みに行ったんだろう、どんな調子だった?」
 片倉はおととい葬式のすんだ・結核で死んだやさしい少年だった。その死顔が似ても似つかぬ悪魔のようだったと友人にきいて、私はお骨になったころを見計って悔みに行ったのだった。
「どうもなかったよ。だってもう骨なんだもの」と私は無愛想に答えるほかはなかったが、ふと彼におもねる伝言を思い出した。「ああ、それからね、片倉のマザーが君にくれぐれもよろしくって言ってたよ。これから寂しくなるからぜひ遊びに来てくれるように伝えてくれって言ってたよ」
「莫迦」――私は急激な・しかし温かみのこもった力で
 ――私はしばらくわからなかった。片倉の母はまだ若く美しい痩形の未亡人だった。
 そのことよりも更に私をみじめな気持にしたのは、こうした遅い理解が、必ずしも私の無知から来るのではなく、彼と私との明らかな関心の所在の差から来るのだということだった。私が感じた距離感の白々しさは、当然それが予見されて然るべきであったものが、こうまで手遅れな発見で私をおどろかしたというその口惜しさだった。片倉の母からの伝言が彼にどんな反応を起すかということも考えないで、ただ無意識に、それを彼に伝えることが彼におもねる所以だと考えている自分の幼なさそのものの醜さ、子供の泣き顔の、あの乾いた涙のあとのような醜さが私を絶望させた。私はどうして今のままではいけないのかという百万遍問い返された問を、その問題についても問いかけるには疲れすぎていた。私は飽き果て、純潔なままに身を持ち崩していた。心掛次第で、(何というしおらしさだ!)私もこうした状態から脱け出ることができるように思われるのであった。私が今飽き疲れているものは明らかに人生の一部であるとはまだ知らず、私が飽いているのは夢想であって人生ではないと信じているように。
 私は人生から出発の催促をうけているのであった。私の人生から? たとい万一私のそれでなかろうとも、私は出発し、重い足を前に運ばなければならない時期が来ていた。


(第三章)

 人生は舞台のようなものであると誰しもいう。しかし私のように、少年期のおわりごろから、人生というものは舞台だという意識にとらわれつづけた人間が数多くいるとは思われない。それはすでに一つの確たる意識であったが、いかにも素朴な・経験の浅さとそれがまざり合っていたので、私は心のどこかで私のようにして人は人生へ出発するものではないという疑惑を抱きながらも、心の七割方では、誰しもこのように人生をはじめるものだと思い込んでいることができた。私は楽天的に、とにかく演技をやり了せれば幕が閉まるものだと信じていた。私の早死の仮説がこれに与った。しかし後になって、この楽天主義は、というよりは夢想は、手きびしい報復をこうむるにいたった。
 念のために申し添えねばならぬが、私がここで言おうとしていることは、例の「自意識」の問題ではない。単なる性慾の問題であり、未だそれ以外のことをここで言おうとしているのではない。
 もとより劣等生という存在は先天的な素質によるものながら、私は人並の学級へ昇りたいために姑息な手段をとったのだった。つまり内容もわからずに、友達の答案を試験中にこっそり敷写しをして、そしらぬ顔でそれを提出するという手段であった。カンニングよりももっと知慧のない・もっと図々しいこの方法が、時として見かけの成功を収める場合がある。彼は上の学級へのぼる。下の学級でマスターされた知識を前提にして、授業は進行し、彼にだけは皆目わからない。授業をきいていたって何もわからない。そこで彼のゆく道は二つしかなくなってしまう。一つはグレることであり、一つは懸命に知っているように装うことである。どちらへ行くかは彼の弱さと勇気の質が決定する問題であり、量が決定するのではない。どちらへ行くにも等量の勇気と等量の弱さが要るのだ。そしてどちらにも、怠惰に対する一種詩的な永続的な渇望が要るのである。
 十五六の少年が、こんな年に不釣合な意識の操作を行うとき、陥りやすいあやまりは、自分にだけは他の少年たちよりもはるかに確乎としたものが出来上りつつあるために意識の操作が可能なのだと考えることである。そうではない。私の不安が、私の不確定が、誰よりも早く意識の規制を要求したにすぎなかった。私の意識は錯乱の道具にすぎず、私の操作は不確定な・当てずっぽうな目分量にすぎなかった。シュテファン・ツヴァイクの定義によると、「悪魔的なものとは、すべての人のなかに生まれつき、自己の外へ、自己を越え、人を無限なるものへ駆りたてる不安定(Unruhe)のことで」ある。そしてそれは、「あたかも自然が、その過去の混沌のなかから、ある除くべからざる不安定の部分が緊迫をもたらし、「超人間的、超感覚的要素へ還元せんとする」のである。意識が単なる解説の効用をしかもたないような場所では、人が意識を必要としないのも尤もなことである。
 私自身には女車掌なんかから受ける肉の魅惑がすこしもないのに、純然たる類推と例の手加減とで意識的に言われたあの言葉が、友人たちをびっくりさせ、顔を羞恥で赤くさせ、あまつさえ思春期らしい敏感な聯想能力で私の言葉から仄かな肉感的な刺激をさえ受けているらしいのを目のあたりに見ると、私には当然、人のわるい優越感がわきおこった。ところが私の心はそこで止まってはいなかった。今度は私自身がだまされる番だった。優越感が偏頗な醒め方をするのであった。それはこういう経路を辿った。優越感の一部は己惚れになり、自分が人より一歩進んでいると考える酩酊になり、この酩酊の部分が、他の部分よりも足早に醒めてくると、他の部分がまだ醒めていないにもかかわらず、はやくも凡てを醒めた意識で計算する誤りを犯すので、「人より進んでいる」という酩酊は、「いや僕も皆と同じ人間だ」という謙虚さにまで修正され、それが誤算のおかげで、「そうだとも凡ゆる点に於て僕は皆と同じ人間だ」という風に敷衍され、(この敷衍を、まだ醒めていない部分が可能にし、支持するのである、)ついには「誰もこんなものだ」という生意気な結論がみちびきだされ、錯乱の道具にすぎない意識がここで強力にはたらき、……かくて私の自己暗示を完成するのであった。この自己暗示、この非理性的な・馬鹿げた・贋ものの・その上私自身でさえその明らかな偽瞞に気づいている自己暗示が、このころから私の生活の少くとも九十パーセントを占めるにいたった。私ほど憑依現象にもろい人間はなかろうかと思われる。
 これを読んでいる人にだって明白であろう。私がバスの女車掌について些か肉感的な言草ができたのは、実に単純な理由にすぎず、その一点だけに私が気づいていないということを。――それはまことに単純な理由、私が女の事柄については他の少年がもっているような先天的な羞恥をもっていないという理由に尽きるのである。

 私が現在の考えで当時の私を分析しているにすぎないという謗りを免れるために、十六歳当時の私自身が書いたものの一節を写しておこう。
「……陵太郎はみしらぬ友の仲間に、なんのためらうところなくはいって行った。彼は少しでも快活に振舞う――あるいは振舞ってみせることで、あの理由のない憂鬱や倦怠をおしこめられたと信じていた。信仰の最良の要素である盲信が、彼をある白熱した静止のかたちにおいていた。他愛のない冗談や戯れ事に加わりながら絶えず思うことに……『俺はいまふさいでもいない、たいくつでもない』と。これを彼は、『憂いをわすれている』と称していた。
 ぐるりのひとびとは、しじゅう、自分が幸福なのだろうか、これでも陽気なのか、という疑問になやみつづけている。疑問という事実がもっともたしかなものであるように、これが幸福の、正当なあり方だ。
 然るに陵太郎ひとりは、『陽気なのだ』と定義づけ、確信のなかに自分をおいている。
 こうした順序で、ひとびとのこころは、彼のいわゆる『確かな陽気さ』のほうへ傾いてゆく。
 とうとう仄かではあるが真実であったものが、勁くして偽りの機械のなかにとじこめられる。機械は力づよく動きだす。そうしてひとびとは自分が『自己偽瞞の部屋』のなかにいるのに気附かない。……」
 ――「機械が力づよく動き出す。……」
 機械は力づよく動いたであろうか?
 少年期の欠点は、悪魔を英雄化すれば悪魔が満足してくれると信ずることである。

 さて、私がとまれかくまれ人生へ出発する時刻は迫っていた。この旅への私の予備知識は、多くの小説、一冊の性典、友だちと回覧した春本、友だちから野外演習の夜毎にしこたまきいた無邪気な猥談、……まずそんなところだった。灼けつくような好奇心は、これらすべてにもまして忠実な旅の道連であった。門出の身構えも、「偽りの機械」であろうとする決意だけで上乗だった。
 私は多くの小説を事こまかに研究し、私の年齢の人間がどのように人生を感じ、どのように自分自身に話しかけるかを調査した。寮生活をしなかったこと、運動部に入らなかったこと、その上私の学校には気取り屋が多くて例の無意識的な「下司遊び」の時期をすぎると滅多に下等な問題に立ち入らなくなること、おまけに私が甚しく内気であったこと、これらの事情は一人一人の素顔に当ってみるという遣り方を困難にしたので、一般的な原則から、「私の年齢の男の子」がたった一人でいるときどんなことを感じるかという推理にまで、もって行かなければならなかった。灼けつくような好奇心の面では私とも全く共通する思春期という一時期がわれわれを見舞うらしかった。この時期に達すると、少年はむやみと女のことばかり考え、にきびを吹出し、しじゅう頭がかっかとして、甘ったるい詩を書いたりするものらしかった。性の研究書がしきりに自瀆の害について述べ、またある本は大して害がないから安心するようにと述べているところを見ると、この時期から彼らも自瀆に熱中するらしかった。私もその点で彼らと全く同じであった! 同じであるにもかかわらず、この悪習の心の対象に関する明らかな相違については、私の自己偽瞞が不問に附してしまった。
 まず第一に、かれらは「女」という字から異常な刺戟をうけるもののようであった。女という字をちらと心にうかべただけで、顔が赤くなったりする様子であった。とろこで私は「女」という字から、鉛筆とか自動車とか箒とかいう字を見てうける以上の印象を感覚的には一向受けなかった。こうした聯想能力の欠如は、片倉の母についてのそれの場合のように、友人と話をしていても折々現われて、私という存在をとんちんかんなものにした。彼らは私を詩人だと思って納得した。私は私で詩人だと思われたくないばっかりに、(なぜなら詩人という人種はきまって女にふられるものだそうであるから)彼らの話と辻褄を合わせるために、この聯想能力を人工的に陶治した。
 私は知らなかったのだ、彼らが私と内なる感覚の面だけではなく、外への見えざる表われに在っても、はっきりした差異を示していたことを。つまり彼らは女の裸体写真を見れば、すぐさまerectioを起していたことを。私にだけそれが起らなかったことを。そして私がerectioを起すような対象、(それははじめから倒錯愛の特質によって奇妙にきびしい選択を経ていたが、)イオニヤ型の青年の裸像なぞは、彼らのerectioをみちびき出す何の力ももたなかったことを。
 私が第二章で、わざとのように、いちいちerectio penisのことを書いておいたのは、このことと関わりがある。何故なら私の自己偽瞞はこの点の無知で促されたからである。どんな小説の接吻の場面にも男のerectioに関する描写は省かれていた。それは当然であり、書くに及ばないことである。性の研究書にも、接吻に際してすらおこるerectioについては省かれていた。erectioは肉の交わりの前に、あるいはその幻覚をえがくことによってのみ起るように私は読んだ。何の慾望もないくせに、その時になれば、突然、――まるで天外からの霊感のように、――私にもerectioが起るのだろうと思われた。心の十パーセントが、「いや私にだけは起るまい」と低く囁きつづけ、それが私のあらゆる形の不安となって現われた。ところで私は悪習の際に一度でも女の或る部分を心にうかべたことがあったろうか。たとい試験的にも。
 私はそれをしなかった。私はそれをしないことを私の怠惰からにすぎぬと思っていた!
 私には結局何一つわかっていなかった。私以外の少年たちの夜毎の夢を、きのうちらと街角で見た女たちが一人一人裸になって歩きまわることが。少年たちの夢に女の乳房が夜の海から浮び上る美しい水母のように何度となく浮び上ることが。女たちの貴い部分がその濡れた唇をひらいて、幾十回幾百回幾千回とはてしなく、シレエヌの歌をうたいつづけることが。……
 怠惰から? おそらくは怠惰から? という私の疑問。私の人生への勤勉さはすべてここから来た。私の勤勉さはとどのつまりはこの一点の怠惰の弁護に費され、その怠惰を怠惰のままですませるための安全保障に宛てられた。
「疲れなくて? 公ちゃん」
 どうした加減か、澄子は両方の袂で顔をおおうと、そばの私の腿の上にずしりと顔を落した。それからゆっくりずらすようにして、その上で顔の向きをかえて、しばらくじっとしていた。私の制服のズボンは枕代りにされた光栄でわなないた。彼女の香水や白粉の匂いが私をまごつかせた。疲れて澄んだ目をじっとひらいたまま動かない澄子の横顔が私を当惑させた。……

 それっきりである。とはいえ自分の腿の上にしばし存在した贅沢な重みをいつまでも私はおぼえていた。肉感ではなく、何かただきわめて贅沢な喜びだった。勲章の重みに似たものだった。

 学校のゆきかえりに、バスのなかで私はよく一人の貧血質の令嬢に会った。彼女の冷たさが私の関心を惹いた。いかにもつまらなそうな、物に倦いた様子で窓のそとを眺めている。すこし突き出た唇の硬さがいつも目についた。彼女がいないときのバスは物足りなく思われ、いつとなく、彼女を心宛てに乗り降りする私になった。恋というものかしらと私は考えた。
 私にはまるでわからなかった。恋と性慾とがどんな風にかかわりあうのか、そこのところがどうしてもわからなかった。近江が私に与えた悪魔的な魅惑を、もちろんそのころの私は、恋という字で説明しようとはしていなかった。バスで見かける少女へのかすかな自分の感情を、恋かしらと考えているその私が、同時に、頭をテカテカに光らした若い粗野なバスの運転手にも惹かれているのであった。無知が私に矛盾の解明を迫らなかった。運転手の若者の横顔を見る私の視線には、何か避けがたい・息苦しい・辛い・圧力的なものがあり、貧血質の令嬢をちらちら見る目には、どこかわざとらしい・人工的な・疲れやすいものがあった。この二つの眼差の関わりがわからぬままに、二つの視線は、私の内部に平気で同居し、こだわりなく共在した。

 その年頃の少年として、私にあまりに「潔癖さ」の特質が欠けているようにみえること、また言いうべくんば、私に「精神」の才能が欠けているようにみえること、こうしたことは私の烈しすぎる好奇心がいきおい私を倫理的な関心へむかわせなかったからだといえばそれで説明がつくにしても、この好奇心は永患いの病人の、外界への絶望的な憧れにも似て、一面、不可能の確信とわかちがたく結びついていた。半ば無意識のこの確信、半ば無意識のこの絶望が、私の希みを、非望と見まがうほどに活々とさせた。
 まだ年とても若いのに、私は明確なプラトニックな観念を自分のうちに育てることを知らずにいた。不幸だったと言うのか? 世のつねの不幸が私にとってどんな意味をもっていただろう。肉感に関する私の漠たる不安が、およそ肉の方面だけを私の固定観念にしてしまった。知識慾と大して逕庭のないこの純粋な精神的な好奇心を、私は私自身に「これこそ肉の慾望だ」と信じこませることにことに熟練し、はては私自身がほんとうに淫蕩な心をでももっているように私をだまかすことに習熟した。それが私をして乙に大人ぶった・通人ぶった態度を身につけさせた。私はまるで女に倦きはてたような顔をしていた。
 かくてまず、接吻が私の固定観念になった。接吻というこの一つの行為の表象は、その実、私にとって、私の精神がそこに宿りを求めていた何ものかの表象にすぎなかった、と今の私なら言うことができる。ところが当時の私はこの欲求を肉慾とあやまり信じたために、あのような夥しい心の仮装に憂身をやつさなければならなかったのであった。本然のものをいつわっているという無意識のうしろめたさが、かくも執拗に私の意識の演技をかき立てたのであった。しかしまたひるがえって思うに、人はそれほど完全におのれの天性を裏切ることができるものだろうか? たとえ一瞬でも。
 こう考えなくては、欲求せぬものを欲求するという不可思議の心の組織《システム》を、説明しようがないではないか。欲求するものを欲求しないという倫理的な人間の丁度裏側に私がいたとすれば、私はもっとも不倫なねがいを心に抱いていたことになろうか。それにしてはこのねがいは可愛らしすぎるではないか。私は完全に自分をいつわり、一から十まで因襲の虜として行動したのか? これに関する吟味は、のちのちの私にとって忽せにならぬ務めになった。
 とこうするうちに、私は煙草をおぼえ酒をおぼえた。と謂って、煙草も真似事なら、酒も真似事だった。戦争がわれわれに妙に感傷的な成長の仕方を教えた。それは二十代で人生を断ち切って考えることだった。それから先は一切考えないことだった。人生というものがふしぎに身軽なものにわれわれには思われた。ちょうど二十代までで区切られた生の鹹湖が、いきおい塩分が濃くなって、浮身を容易にしたようなものだ。幕の下りる時刻が程遠くないかぎり、私に見せるための私の仮面劇も、もっとせっせと演じられてよかった。しかし私の人生の旅は、明日こそ発とう、明日こそと思いながら、一日のばしにのばされて、数年間というもの、一向出立のけはいもなかった。この時代こそ私にとって唯一の愉楽の時代ではなかったろうか。不安は在っても漠としたそれにすぎず、私はまだ希望をもち、明日はいつも未知の青空の下に眺められた。旅の空想、冒険の夢想、私がいつかなるであろう一人前の私の肖像、それと私のまだ見ぬ美しい花嫁の肖像、私の名声の期待、……こうしたものが、ちょうど旅行の案内書、タオル、歯刷子と歯磨、着替のシャツ、穿替の靴下、ネクタイ、石鹼、と謂ったもののように、旅立ちを待つトランクのなかに、きちんと調えられていたあの時代、私にとっては戦争でさえが子供らしい歓びだった。弾丸が当っても私なら痛くはなかろうと本気で信じる過剰な夢想が、このころも一向衰えを見せていなかった。自分の死の予想さえ私を未知の歓びでおののかせるのであった。私は自分が全てを所有しているように感じた。さもあろう。旅の仕度に忙殺されている時ほど、われわれが旅を隅々まで完全に所有している時はないからである。あとはただこの所有を壊す作業が残されているだけだ。それが旅というあの完全な徒爾なのである。
何事にもはじめのうちだけ気の乗る私は、初歩の独乙語では、よく出来る生徒と思われていた。優等生らしい(ということは神学生めいたということだか)レッテルを貼られていた私が、内心どんなに優等生のレッテルを嫌っていて、(と謂って、このレッテル以外に私の安全保障に役立つレッテルは見当たらなかったのだが、)いかほど「悪名」にあこがれていたかということを、もしかしたら額田は直感的に見抜いていたのかもしれなかった。
 それでいて、私は自分が額田の姉に恋しているのだと信じこんだ。私はいかにも私と同年輩の初心な高等学生がするように、彼女の家のまわりをうろついたり、彼女の家のちかくの本屋で永いことねばっていてその前をとおりかかる彼女をつかまえる機会を待ったり、クッションを抱きしめて女の抱心地を空想してみたり、彼女の唇の絵をいくつも描いてみたり、身も世もあらぬ様子で自問自答してみたりした。それが何であろう。これらの人工的な努力は何か異常なしびれるような疲れを心に与えた。たえず自分に彼女を恋していると言いきかせているこの不自然さに、心の本当の部分がちゃんと気づいていて、悪意のある疲れで抵抗するのであった。この精神の疲労にはおそろしい毒があるように思われた。心の人工的な努力の合間に、時あって身のすくむような白々しさが私を襲い、その白々しさから逃れるために、私はまたぬけぬけと別の空想へと進むのであった。すると忽ち私はいきいきし、私自身になり、異常な心象へむかってもえさかった。しかもこの焰は抽象化されて心に残り、あたかもこの情熱が彼女のためのものであったかのように、あとからこじつけの註釈をつけるのだった。――そして又しても、私は私をだますのであった。
 空襲を人一倍おそれているくせに、同時に私は何か甘い期待で死を待ちかねてもいた。たびたび言うように、私には未来が重荷なのであった。人生ははじめから義務観念で私をしめつけた。義務の遂行が私にとって不可能であることがわかっていながら、人生は私を、義務不履行の故をもって責めさいなむのであった。こんな人生に死で肩すかしを喰わせてやったら、さぞやせいせいすることだろうと私には思われた。戦争中の流行であった死の教義に私は官能的に共鳴していた。私が万一「名誉の戦死」でもしたら、(それはずいぶん私には似合わしからぬことであるが、)実に皮肉に生涯を閉じたことになり、墓の下での私の微笑のたねは尽きまいと思われるのだった。その私がサイレンが鳴ると、誰よりもはやく防空壕へ逃げこむのであった。

 ……下手なピアノの音を私はきいた。
 近々特別幹部候補生で入隊することになっている友人の家でだった。草野というこの友人を私は高等学校でいささかでも精神上の問題について語り合うことのできた唯一の友人として大事にしていた。私は友人というものを敢て持ちたがらない男だが、この唯一の友情をも傷つけかねないこれ以下の叙述を、私に強いた私の内なるものを惨たらしく思う。
「あのピアノ巧いのかい? ときどきつっかかるようだけど」
「妹なんだよ。さっきの先生がかえったばかりで、おさらいをしているんだ」
 私たちは対話をやめてまた耳をすました。草野の入隊は間近であったので、おそらく彼の耳にひびいているものは、啻に隣室のピアノの音ではなく、やがて彼がそれから引き離される『日常的なもの』の、一種不出来なもどかしい美しさであった。そのピアノの音色には、手帖を見ながら作った不出来なお菓子のような心易さがあり、私は私で、こう訊ねずにはいられなかった。
「年は?」
「十八。僕のすぐ下の妹だ」
 と草野がこたえた。
 ――きけばきくほど、十八歳の、夢みがちな、しかもまだ自分の美しさをそれと知らない、指さきにはまだ稚なさの残ったピアノの音である。私はそのおさらいがいつまでもつづけられることをねがった。願事は叶えられた。私の心の中にこのピアノの音はそれから五年後の今日までつづいたのである。何度私はそれを錯覚だと信じようとしたことか。何度私の理性がこの錯覚を嘲ったことか。それにもかかわらず、ピアノの音は私を支配し、もし宿命という言葉から厭味な持味が省かれうるとすれば、この音は正しく私にとって宿命的なものとなった。
 ――こんな風に書くと私が彼女の脚から肉感をうけとっていたと釈られても仕方がない。そうではなかった。屢〻いうとおり、私には異性の肉感についてまったく定見というものが欠けていた。それがよい証拠に、私は女の裸体を見たいという何らの欲求も知らなかったのだ。それでいて私は女への愛を真面目に考え、例のいやな疲れが心にはびこりだしてこの「真面目な考え」を追うことを邪魔しだすと、今度は私は自分が理性の勝った人間だと考えることに喜びを見出だし、自分の冷ややかな持続性のない感情を、女に飽き果てた男のそれになぞらえることで、大人ぶりたいという衒気の満足まで併せ果していたわけだった。こうした心の動きは、十銭玉を入れると動き出してキャラメルを辷らせる駄菓子屋の機械のように、私の中に固定した。
 およそ何らの欲求ももたずに女を愛せるものと私は思っていた。これはおそらく、人間の歴史がはじまって以来もっとも無謀な企てだった。私は自らそれと知らずに、(こんな大袈裟な言い方は私の持ち前だからお許しねがうが、)愛の教義のコペルニクスであろうと企てたのである。そのためには勿論私はしらずしらずプラトニックの観念を信じていた。前に述べたところと矛盾するようにみえるかもしれないが、私は真正直に額面通りに純粋にそれを信じていたのである。ともすると私が信じていたのは、この対象ではなく、純粋さそのものではなかったろうか? 私が忠誠を誓ったのは純粋さにではなかったろうか? これは後の問題だ。
 時として私がプラトニックな観念を信じていないようにみえたのも、私に欠けている肉感という観念へともすると傾きがちな私の頭脳と、大人ぶりたい病いの満足に与りがちなあの人工的な疲れとのせいだった。いわば私の不安からだった。
 黄塵の湧き立つ荒涼としたこの地方に、横切るだけで三十分もかかる巨大な工場が、数千人の工員を動かして活動していた。私もその一人、四四〇九番、仮従業員第九五三号であった。この大工場は資金の回収を考えない神秘的な生産費の上にうちたてられ、巨大な虚無へ捧げられていた。朝毎に神秘な宣誓がとなえられるのも故あることだった。私はこんなふしぎな工場を見たことがない。近代的な科学の技術、近代的な経営法、多くのすぐれた頭脳の精密な合理的な思惟、それらが挙げて一つのもの、すなわち「死」へささげられているのであった。特攻隊用の零式戦闘機の生産に向けられたこの大工場は、それ自身鳴動し・唸り・泣き叫び・怒号している一つの暗い宗教のように思われた。何らかの宗教的な誇張なしには、こうした尨大な機構もありえないように私には思われた。重役どもが私腹を肥やしているところまで宗教的だった。
 時あって空襲警報のサイレンが、この邪まな宗教の黒弥撤の時刻を告げしらせた。
正門の外は荒涼とした黄いろい裸かの平野であった。七八百米へだたった緩丘の松林に無数の待避壕が穿たれていた。それへ向って、砂塵のなかを、二筋の道にわかれた無言の・苛立たしい・盲目的な群集が、ともかくも「死」ではないもの、よしそれが崩れやすい赤土の小穴であっても、ともかくも「死」ではないもののほうへと駈けるのだった。
 営門をあとにすると私は駈け出した。荒涼とした冬の坂が村のほうへ降りていた。あの飛行機工場でのように、ともかくも「死」ではないもの、何にまれ「死」ではないもののほうへと、私の足が駈けた。

 ……夜行列車の硝子の破れから入る風を避けながら、私は熱の悪寒と頭痛に悩まされた。どこへ帰るのかと自分に問うた。何事にも踏切りのつかない父のおかげでまだ疎開もせずに不安におびえている東京の家へか? その家をとりかこむ暗い不安にみちた都会へか? 家畜のような目をして、大丈夫でしょうか大丈夫でしょうかとお互いに話しかけたがっているようなあの群衆の中へか? それとも肺病やみの大学生ばかりが抵抗感のない表情で固まり合っているあの飛行機工場の寮へか?
 凭りかかった椅子の板張りが、汽車の震動につれて私の背にゆるんだ板の合せ目を動かしていた。たまたま私が家にいるときに空襲で一家が全滅する光景を私は目をとじて思いえがいた。いおうようない嫌悪がこの空想から生れた。日常と死とのかかわり合い、これほど私に奇妙な嫌悪を与えるものはないのだった。猫でさえ人に死様を見せぬために、死が近づくと姿を隠すというではないか。私が家族のむごたらしい死様を見たり、私が家族に見られたりするというこの想像は、それを思っただけで嘔吐を胸もとまでこみ上げさせた。死という同じ条件が一家を見舞い、死にかかった父母や息子や娘が死の共感をたたえて見交わす目つきを考えると、私にはそれが完全な一家愉楽、家族団欒の光景のいやらしい複製としか思えないのだった。私は他人の中で晴れ晴れと死にたいと思った。明るい天日の下に死にたいと希ったアイアスの希臘的な心情ともそれはちがっていた。私が求めていたものは何か天然自然の自殺であった。まだ狡智長けやらぬ狐のように、山ぞいをのほほんと歩いていて、自分の無知ゆえに猟師に射たれるような死に方を、と私はねがった。
 ――それなら軍隊は理想的ではなかったろうか? それをしも私は軍隊に希っていたのではなかったか? 何だって私はあのようにむきになって軍医に嘘をついたのか? 何だって私は微熱がここ半年つづいていると言ったり、現にゆうべも寝汗がびっしょり出た(当り前だ。アスピリンを嚥んだのだもの)と言ったりしたのか? 何だって私は、即日帰郷を宣告されたとき、隠すのに骨が折れるほど頬を押して来る微笑の圧力を感じたのか? 何だって私は営門を出るとあんなに駈けたのか? 私は希望を裏切られたのではなかったか? うなだれて、足も萎えて、とぼとぼと歩かなかったのは何事か?
 軍隊の意味する「死」からのがれるに足りるほどの私の生が、行手にそびえていないことがありありとわかるだけに、あれほど私を営門から駈け出させた力の源が私にはわかりかねた。私はやはり生きたいのではなかろうか? それもきわめて無意志的に、あの息せき切って防空壕へ駈けこむ瞬間のような生き方で。
 すると突然、私の別の声が、私が一度だって死にたいなどと思ったことはなかった筈だと言い出すのだった。この言葉が羞恥の縄目をほどいてみせた。言うもつらいことだが、私は理会した。私が軍隊に希ったものが死だけだというのは偽わりだと。私は軍隊生活に何か官能的な期待を抱いていたのだと。そしてこの期待を持続させる力というのも、人だれしもがもつ原始的な呪術の確信、私だけは決して死ぬまいという確信にすぎないのだと。……
 ……しかしながらこの考えはいかにも好もしからぬものだった。むしろ私は自分を「死」に見捨てられた人間だと感じることのほうを好んだ。死にたい人間が死から拒まれるという奇妙な苦痛を、私は外科医が手術中の内臓を扱うように、微妙な神経を集中して、しかも他人行儀にみつめていることを好んだ。この心の快楽の度合は殆ど邪まなものにさえ思われた。
 こうして戦争のまっさい中に何の役にも立たない一ヶ月の休暇がわれわれに与えられた形になった。湿った花火を与えられたようなものだった。しかしなまじっか用立てやすい乾パンの一袋をもらうより、この湿った花火の贈物のほうが私にはうれしかった。いかにも大学のくれるものらしく間の抜けた贈物だったから。――この時代には、何の役にも立たないというだけでも、大した贈物だったのだ。
 三月九日の朝、私は草野の家に近い或る駅の歩廊で草野家の人たちを待った。線路を隔てた店つづきが強制疎開で壊されかけているさまがつぶさにみえた。清冽な早春の大気をそれが新鮮なめりめりという音で引裂いた。裂かれた家からは、まばゆいような新らしい木肌が見えているところもあった。
 まだ朝は寒かった。ここ数日というものついぞ警報がきかれなかった。その間に空気はいよいよ澄明に磨かれ、今は危うく崩壊の兆もみせて繊細にはりつめていた。弾けば気高く鳴りひびく絃のような大気であった。いわば音楽へあと数瞬間で達しようとしている豊かな虚しさにみちた静寂を思わせた。人気のないプラットフォームにおちた冷ややかな日ざしでさえ、何かしら音楽の予感のようなものにおののいていた。
 と、むこうの階段を青いオーヴァーの少女が降りて来た。彼女は小さい妹の手を引き、一段一段妹を見戍りながら足を運んでいた。大きいほうの十五六の妹は、この徐行にしびれを切らして、それでも先にどんどん下りてしまわずに、わざとジグザグに閑散な階段を伝わっていた。
 園子はまだ私に気づいていない様子であった。私のほうからはありありとみえた。生れてこのかた私は女性にこれほど心をうごかす美しさをおぼえたことがなかった。私の胸は高鳴り、私は潔らかな気持になった。こう書いたところで、ここまで読んできた読者はなかなか信じまい。なぜといえ、額田の姉に対する私の人工的な片思いと、この胸の高鳴りとを区別する何ものもなかろうからだ。あの場合の仮借ない分析が、この場合だけ閑却される理由はないからだ。そうとすれば書くという行為ははじめから徒爾になってしまう。私が書いていることはこう書きたいという欲望の産物にすぎなく思われるからだ。そのためには私は辻褄を合わせておけば万事OKだからだ。しかし私の記憶の正確な部分が、今までの私との一点の差異を告げるのである。それは悔恨であった。
 園子はもう二三段で下りきろうとするとき私に気づき、寒気にさえた新鮮な頬のほてりのなかで笑った。黒目勝ちの、幾分瞼の重い、やや睡たげな目が輝いて何か言おうとしていた。そして小さい妹を十五六の妹の手にあずけると、光りの揺れるようなしなやかな身ぶりで私のほうへ歩廊を駈けて来た。
 私は私のほうへ駈けてくるこの朝の訪れのようなものを見た。少年時代から無理矢理にえがいてきた肉の属性としての女ではなかった。もしそれならば私はまやかしの期待で迎えればよかった。しかし困ったことに私の直感が園子の中にだけは別のものを認めさせるのだった。それは私が園子に値いしないという深い虔ましい感情であり、それでいて卑屈な劣等感ではないのだった。一瞬毎に私へ近づいてくる園子を見ていたとき、居たたまれない悲しみに私は襲われた。かつてない感情だった。私の存在の根柢が押しゆるがされるような悲しみである。今まで私は子供らしい好奇心と偽わりの肉感との人工的な合金《アマルガム》の感情を以てしか女を見たことがなかった。最初の一瞥からこれほど深い・説明のつかない・しかも決して私の仮装の一部ではない悲しみに心を揺ぶられたことはなかった。悔恨だと私に意識された。しかし私に悔恨の資格を与えた罪があったであろうか? 明らかな矛盾ながら、罪に先立つ悔恨というものがあるのではなかろうか? 私の存在そのものの悔恨が? 彼女の姿がそれを私によびさましたのであろうか? ややもすれば、それは罪の予感に他ならないのであろうか?
 電車は何度か私たちのかたわらに停り、また鈍い軋めきを立てて出て行った。この駅での乗り降りは激しくなかった。私たちが心地よく浴びている日光がそのたびに遮られるだけだった。しかし車体が立去るごとに私の頬によびがえる日ざしの和やかさが私を戦慄させた。こんなにも豊かにめぐまれた日光が私の上にあり、こんなに何事もねがわない刻々が私の心にあることは、何か不吉な兆、たとえば数分後に突然の空襲があって私たちが立ちどころに爆死すると謂った不吉の兆でなければならぬような気がした。私たちはわずかな幸福をも享けるに価いしない気持でいた。が、これを裏からいうと、私たちはわずかな幸福をも恩寵だと考える悪習に染まっていた。こうして園子と言葉すくなに向いあっていることが、私の心に与えた効果は正にそれだった。おそらく園子を支配していたものも同じ力であったにちがいない。
彼女は学校のことだの今まで読んだいくつかの小説のことだの兄のことだのを話し、私は私で話をすぐ一般論へもって行った。誘惑術の初歩である。
 一人になるといつも私をおびやかす暗い苛立たしさに搗てて加えて、今朝ほど園子を見たときに私の存在の根柢をおしゆるがした悲しみが、また鮮明に私の心に立ち返っていた。それが今日私の言った一言一句、私のした一挙手一投足の偽りをあばき立てた。それというのも、偽りだとする断定が、もしかしてその全部が偽りかもしれないと思い迷う辛い憶測よりもまだしも辛くはなかったので、それを殊更にあばき立てるやり方が、いつかしら私にとって心安いものになっていたからだ。こうした場合も、人間の根本的な条件と謂ったもの、人間の心の確実な組織と謂ったものへの私の執拗な不安は、私の内省を実りのない堂々めぐりへしか導かなかった。他の青年ならどう感じるだろう、正常な人間ならどう感じるだろうという強迫観念が私を責め立て、私が確実に得たと思った幸福の一トかけらをも、忽ちばらばらにしてしまうのであった。
 例の「演技」が私の組織の一部と化してしまった。それはもはや演技ではなかった。自分を正常な人間だと装うことの意識が、私の中にある本来の正常さをも侵蝕して、それが装われた正常さに他ならないと、一々言いきかさねばすまぬようになった。裏からいえば、私はおよそ贋物をしか信じない人間になりつつあった。そうすれば、園子への心の接近を、頭から贋物だと考えたがるこの感情は、実はそれを真実の愛だと考えたいという欲求が、仮面をかぶって現れたものかもしれなかった。これでは私は自分を否定することさえ出来ない人間になりかかっているのかもしれなかった。
 かえりの汽車は憂鬱だった。駅で落ち合った大庭氏も、打ってかわって沈黙を守った。皆が例の「骨肉の情愛」というもの、ふだんは隠れた内側が裏返しにされてひりひりと痛むような感想の虜になった体だった。おそらくはお互いに会えばそれ以外に示しようのない裸かの心で、かれらは息子や兄や孫や弟に会ったあげく、その裸かの心がお互いの無益な出血を誇示するにすぎない空しさに気づいたのだった。私は私で、あのいたましい手の幻影に追っかけられていた。灯ともし頃、私たちの汽車は、省線電車に乗り換えるO駅に着いた。
 そこで私たちははじめて昨夜の空襲の被害の明証にぶつかった。ブリッジが戦災者で一杯だった。彼らは毛布にくるまって、何も見ず何も考えない眼を、というよりは単なる眼球をさらしていた。同じ振幅で膝の子供を永遠にゆすぶっているつもりかとみえる母親がいた。行李にしなだれて、半ば焦げた造花を髪につけた娘が眠っていた。
 その間をとおる私たち一行は、非難の眼差でさえ報いられなかった。私たちは黙殺された。彼らと不幸を頒たなかったというそれだけの理由で、私たちの存在理由は抹殺され、影のような存在と見做された。
 それにもかかわらず、私の中で何ものかが燃え出すのだった。ここに居並んでいる「不幸」の行列が私を勇気づけ私に力を与えた。私は革命がもたらす昂奮を理解した。彼らは自分たちの存在を規定していたもろもろのものが火に包まれるのを見たのだった。人間関係が、愛憎が、理性が、財産が、目のあたり火に包まれたのを見たのである。そのとき彼らは火と戦ったのではなかった。彼らは人間関係と戦い、愛憎と戦い、理性と戦い、財産と戦ったのである。そのとき彼らは難破船の乗組員同様に、一人が生きるためには一人を殺してよい条件が与えられていたのである。恋人を救おうとして死んだ男は、火に殺されたのではなく、恋人に殺されたのであり、子供を救おうとして死んだ母親は、他ならぬ子供に殺されたのである。そこで戦い合ったのはおそらく人間のかつてないほど普遍的な、また根本的な諸条件であった。
 私は目ざましい劇が人間の面にのこす疲労のあとを彼らに見た。私に何らかの熱い確信がほとばしった。ほんの幾瞬間かではあるが、人間の根本的な条件に関する私の不安が、ものの見事に拭い去られたのを私は感じた。叫びだしたい思いが胸に充ちた。
 もうすこし私が内省の力に富み、もうすこし叡智にめぐまれていたとしたら、私はその条件の吟味に立入りえたかもしれなかった。しかし滑稽なことに、一種の夢想の熱さが、園子の胴に私の腕をはじめて廻させた。もしかしたらこの小さな動作でさえ、愛という呼び名がもはや何ものでもないことを、私自身に教えていたのかもしれない。私たちはそうしたまま、一行に先立って暗いブリッジを足早に通りぬけた。園子も何も言わなかった。
 ――が、ふしぎなほど明るい省線電車の車内に私たちが落ち合って顔を見交したとき、私は園子の私を見つめている目が、何か切羽つまったような、それでいて黒い柔軟な輝きを放っているのに気づいた。

 都内の環状線に乗りかえると九割方が罹災者の乗客だった。ここにはもっと露わな火の匂いが息捲いていた。人々は声高に、むしろ誇らしげに、自分たちが今くぐって来た危難のことを語っていた。彼らは正しく「革命」の群衆であった。なぜなら彼らは輝かしい不満・意気昂然たる・上機嫌な不満を抱いた群衆であったからだ。

 私一人はS駅で一行と別れた。彼女の鞄が彼女の手に返された。真暗な道を家まで歩きながら、何度か私は、自分の手がもうあの鞄をもっていないことに思い当るのだった。すると私には、あの鞄が私たちの間でどんなに重要な役割を果していたかがわかった。それはささやかな苦役だった。私にとって良心があまり上のほうまでのし上がって来ないためには、いつも錘りが、いいかえれば苦役が入用だったのである。
 家の者はけろりとした表情で私を迎えた。東京と云っても広いものだった。

 二三日して私は園子に貸す約束をした本を携えて草野家を訪れた。こんな場合、二十一歳の男の子が十九歳の少女のために選ぶ小説といえば、題名を並べなくても大抵見当がつく筈だ。自分が月並なことをやっているという嬉しさは、私にとっては格別のものだった。たまたま園子は近所まで出ていてすぐかえってくる由なので、私は客間で彼女を待った。
 そのうちに春先の空が灰汁のように曇って雨がふりだした。園子は途中で雨に会ったものらしく、髪のそこかしこに滴をきらめかせたまま、仄暗い客間へ入って来た。深い長椅子の真暗な片隅に、肩をすくめるようにして坐った。またその口に微笑がにじんだ。紅いジャケツの胸の二つの丸みが、薄闇のなかから浮き出てみえた。
 何と私たちはおずおずと、言葉すくなに語ったことだろう。二人きりでいる機会は、二人にとってはじめてのことだった。あの小旅行での往きの汽車のなかの気楽な対話は、その八九分を隣のお喋りや小さな妹たちに負うていたものだとわかった。この間のように紙片に書いたたった一行の恋文を手渡す勇気さえ、今日は跡方もなかった。この前より私はずっと謙虚った気持になっていた。私は自分を放ったらかしておくとつい誠実になりかねない人間だったが、つまり私は彼女の前に、そうなることを怖れなかったのだ。私は演技を忘れたのであろうか? 全く正常な人間として恋をしているというお定まりの演技を? それかあらぬか、私はまるでこの新鮮な少女を愛していないような気がしていた。それでいて私は居心地がよいのであった。
 驟雨がやみ、夕日が室内へさし入った。
 園子の目と唇がかがやいた。その美しさが私自身の無力感に翻訳されて私にのしかかった。するとこの苦しい思いが逆に彼女の存在をはかなげに見せた。
「僕たちだって」――と私が言い出すのだった。「いつまで生きていられるのかわからない。今警報が鳴るとするでしょう。その飛行機は、僕たちに当る直撃弾を積んでいるのかもしれないんです」
「どんなにいいかしら」――彼女はスコッチ縞のスカアトの襞を戯れに折り重ねていたが、こう言いながら顔をあげたとき、かすかな生毛の光りが頬をふちどった。「何かこう……、音のしない飛行機が来て、こうしているとき、直撃弾を落してくれたら、、……そうお思いにならない?」
 これは言っている園子自身も気のつかない愛の告白だった。
「うん……僕もそう思う」
 尤もらしく私が答えた。この答がいかほど私の深い願望に根ざしているか園子が知る筈もなかった。しかし考えてみると。こんな対話は滑稽の極みだった。平和な世の中なら、愛し合った末でなければ交わす筈もない会話なのである。
「死に別れ、生き別れ、まったくうんざりしてしまう」と私は照れかくしにシニカルな調子になった。「ときどきこんな気がしませんか。こういう時代には、別れるほうが日常で、会っているほうが奇蹟だということ、……僕たちがこうやって何十分か話していられるのだって、よく考えるとよほど奇蹟的な事件かもしれないっていうこと……」
「ええ、わたくしも……」――彼女は何か言い淀んだ。それから生真面目な、しかし気持のよい平静さで、「お会いしたかと思うと早速わたくしたち離れ離れになってしまうのね。お祖母さまが疎開をいそいでいらっしゃるわ。おととい帰るとすぐ、N県の某村の伯母さまに電報をお打ちになったの。そうしたら今朝、長距離電話で御返事が来たのよ。電報は『ウチサガセ』とお打ちになったの。御返事は、今探しても家なんかないから伯母さまの家へ疎開していらっしゃいという御返事なの。そのほうが賑やかになってうれしいと仰言るの。お祖母さまは二三日うちに伺いますからなんて気の早いことを言ってらしたわ」
 私は軽い合槌が打てなかった。私の心がうけた打撃は、自分でもおやと思うほどのものだった。すべてこのままの状態で、二人がお互いなしには過せない月日を送るだろうという錯覚が、いつのまにか私の居心地のよさから導き出されていた。もっと深い意味では、それは私にとって二重の錯覚だった。別離を宣告している彼女の言葉が、今の逢瀬の虚しさを告げ、今の喜びの仮象にすぎぬことをあばきたてて、それが永遠のものであるかのように考える稚ない錯覚を壊すと同時に、たとえ別離が訪れなくても、男と女の関係というものはすべてこのままの状態にとどまることを許さないという覚醒で、もう一つの錯覚をも壊したのである。私は胸苦しく目醒めた。どうしてこのままではいけないのか? 少年時代このかた何百遍問いかけたかしれない問いが又口もとに昇って来た。何だってすべてを壊し、すべてを移ろわせ、すべてを流転の中へ委ねねばならぬという変梃な義務がわれわれ一同に課せられているのであろう。こんな不快きわまる義務が世にいわゆる「生」なのであろうか? それは私にとってだけ義務なのではないか? 少くともその義務を重荷と感じるのは私だけに相違なかった。
「ふん、君が行っちまうなんて……、尤も、君がここに居たって、僕も遠からず行っちまわなけりゃならないんだから……」
「どこへいらっしゃるの」
「三月の末か四月のはじめから又どこかの工場に住込むことになってるんです」
「危ないんでしょう、空襲なんか」
「ええ危ないです」
 私はやけになって答えた。匆々に帰った。

 ――明る朝一日私はもう彼女を愛さなければならぬという当為を免かれた安らかさの中にいた。私は大声で歌をうたったり、憎たらしい六法全書を蹴飛ばしたりして、陽気であった。
 この奇妙に楽天的な状態が丸一日つづいた。何か子供っぽい熟睡が訪れた。それを破ってまた深夜のサイレンが鳴りわたった。私たち一家はぶつくさこぼしながら防空壕に入ったが、何事もなくやがて解除のサイレンが聞かれた。壕の中でうとうとしていた私は、鉄兜と水筒を肩に引っかけて、一番あとから地上へ出た。
 昭和二十年の冬はしつこかった。春がもう豹のような忍び足で訪れていはしたものの、冬はまだ檻のように、仄暗く頑なに、その全面に立ちふさがっていた。星明りにはまだ氷の耀きがあった。
 それをふちどる常磐樹の葉叢の央に、私の寝起きの目が、あたたかく滲んだ星のいくつかを見出だした。鋭い夜気が私の呼吸にまじった。突然私は、自分が園子を愛しており、園子と一緒に生きるのでない世界は私にとって一文の価値もないという観念に圧倒された。忘れられるものなら忘れてみよと内奥の声が言った。するとそのあとから待ちかねていたように、園子の姿を朝のプラットフォームに見出だした時のような、私の存在の根柢をぐらつかせる悲しみが湧き昇った。
 私は居たたまれなかった。地団駄を踏んだ。
 それでももう一日私は辛抱した。
 三日目の夕刻、私はまた園子を訪ねた。玄関先で職人風こ男が荷を作っていた。長持のようなものが砂利の上でむしろに包まれ。荒縄で縛られていた。それを見ると私は不安にかられた。
 玄関にあらわれたのは祖母だった。祖母のうしろにはすでに荷造りをおわって運び出すばかりになっている荷が積み上げられ、玄関のホールは藁屑で一杯だった。祖母のふと戸惑いした表情から、私は園子に会わないでこの場からすぐ帰る決心をした。
「この本を園子さんに上げて下さい」
 私はまた本屋の小僧のように二三冊の甘い小説をさし出した。
「たびたびどうも恐れ入ります」――祖母は園子を呼ぼうともせずにこう言った。
「わたくし共、明晩某村へ発つことにいたしました。何もかもとんとん拍子に運びまして、思いがけなく早く発てることになりましたのでござんすよ。この家はTさんにお貸しして、Tさんの会社の寮になるのでござんす。本当に御名残惜しいことでございますね。孫たちがみな御近づきになれて喜んでおりましたのに。どうぞ某村こほうへもお遊びにおいで下さいましな。落付きましたらお便りを差上げますから、是非どうぞお遊びにおいで下さいまし」
 社交家の祖母の切口上はきいていて不快なものではなかった。しかし彼女の整いすぎた入歯の歯並び同様に、言葉はいわば無機質な並びのよさにすぎなかった。
「皆さん御元気でお暮し下さい」
 私はそれだけ言うことができた。園子の名は言えなかった。その時私の躊躇に招き寄せられたように、奥の階段の踊り場に園子が姿を現わした。彼女は片手に帽子の大きな紙箱と片手に五六冊の本を抱えていた。高窓から落ちてくる光線に髪が燃えていた。私の姿をみとめると、彼女は祖母がびっくりするような声で叫んだ。
「ちょっと待っていらしてね」
 それからお転婆な足音を立てて二階へ駈け去った。私はびっくりしている祖母を見ているのが少なからず得意であった。祖母は家じゅう荷物でごった返していてお通しする部屋がないと詫び言を言いながら、忙しそうに奥へ消えた。
 間もなく園子が大そう顔を赤らめて駈け下りて来た。玄関の一隅に立ちすくんでいる私の前で物も言わずに靴を穿いて立上ると、そこまでお送りするわと言った。この命令的な高調子には私を感動させる力があった。私は初心な手つきで制帽をいじりまわしながら、彼女の動きをみつめていたのだが、心の中で何かがぴたっと足音を止めたような気持がした。私たちは体をすり合うようにして扉の外へ出た。門まで降りる砂利道を黙って歩いた。ふと園子が立止って靴の紐を結び直した。妙に手間取るので、私は門のところまで歩いて街路を眺めながら待った。私には十九歳の少女の可愛らしい手管がわからなかったのだ。彼女は私が少し先に立ってゆくことを必要としたのだ。
 突然私の右腕に彼女の胸がうしらからぶつかって来た。それは自動車事故にも似て何か偶然の放心状態から来た衝突だった。
「……あの……これ」
 私の掌の肉に固い西洋封筒の角が刺った。小鳥でも絞め殺すように、私は危うくその封筒を握りつぶすところだった。何だかその手紙の重みが私には信じられなかった。私は自分の掌が乗せている女学生趣味の封筒を見てはならないものを見るようにちらりと見た。
「あとで……お帰りになってから御覧になってね」
 彼女はくすぐられているような息苦しい小声で囁いた。私がたずねた。
「返事はどこへ出すの」
「なかに……書いてあることよ……某村の住所が。そこへお出しになって」
 おかしなことであるが、急に別離が私にはたのしみになった。隠れんぼをするときに、鬼が数をかぞえ出すと思い思いの方角へ皆がちらばるあの瞬間のたのしさに似たものだ。私にはこんな風に、何事も享楽しかねない奇妙な天分があった。この邪まな天分のおかげで私の怯懦は、私自身の目にさえも、しばしば勇気と見誤まられた。しかしそれは、人生から何ものをも選択しない人間の甘い償いともいうべき天分なのである。
 駅の改札口で私たちは別れた。握手一つせずに。

 生れてはじめて貰った恋文が私を有頂天にした。家へかえるまで待てなかったので、人目もかまわず、電車の中で封を切った。すると沢山の影絵のカードやミッション・スクールの生徒のよろこびそうな外国製の彩色画のカードがこぼれおちそうになった。なかに青い便箋が一枚折畳まれていて、ディズニィの狼と子供の漫画の下に、御習字くさいきちんとした字でこんな文面があった。
 御本を拝借させて頂き本当に恐れ入りました。お蔭様で大変興味深く読ませて頂きました。空襲下にもお元気でお過しの事を心よりお祈り致します。あちらへ落着きましたら又お便り致しとう存じます。住所は、――県――郡――村――番地で御座います。同封の物はつまらぬ物で御座いますが、お礼のおしるしにと思いましたので、何卒御納め下さいませ。
 何とまあ大した恋文であろう。御先走りな有頂天の鼻をへし折られて、私は真蒼になって笑いだした。返事なんか誰が出すものかと思った。印刷された礼状にまたぞろ返事を書くようなものである。
 ところが家へかえりつくまでの三、四十分のあいだに、返事を書きたいという当初からの要求が、次第にはじめの「有頂天な状態」の弁護に立った。あの家庭教育が恋文の書き方の習得に適していそうもないことはすぐ想像がつく。男にはじめて手紙を書くので、さまざまな思惑から、彼女の筆はすくんでしまったのにちがいない。この無内容な手紙以上の内容を、彼女のあのときの一挙一動が物語っていたことは確かだからである。
 突然、別の方角から来た怒りが私をとらえた。私はまた六法全書に八つ当りをして、それを部屋の壁に投げつけた。何というだらしのなさだ、と私は自分を責めた。十九の女の子を前にして、物ほしそうに向うから惚れて来るのを待っているなんて。どうしてもっとてきぱきと攻勢に出ないんだ。お前の逡巡の原因があの異様な・得体のしれない不安にあることはわかっている。それならそれで何だって又彼女を訪問したんだ。顧みてもみるがいい、お前は十五のころ、年相応の生活をしていた。十七のころも、まずまず、人と肩を並べて行けた。しかし二十一歳の今はどうだ。二十歳で死ぬという友人の予言はまだ叶わず、戦死の希みも一応絶たれてしまった。やっとこの年になって、あやめもわかぬ十九の少女との初恋に手こずっているざまだ。ちえっ、何て見事な成長だ。二十一にもなってはじめめ恋文のやりとりをしようなんて、お前は年月の計算を間違えてやしないか。それにお前はこの年になってまだ接吻一つ知らないじゃないか。落第坊主め!
 すると又別の暗い執拗な声が私を揶揄した。その声にはほとんど熱っぽい誠実さがあり、私の与り知らない人間的な味わいがあった。声はこんな風に矢継早にたたみかけた。――愛かね? それもよかろう。しかしお前は女に対して欲望があるのかね? 彼女に対してだけ「卑しい希み」がないという自己欺瞞で、女という女に嘗て「卑しい希み」なんか持ったことのないお前自身を忘れてしまおうとするつもりかね? そもそも「卑しい」なんて形容詞を使う資格がお前にあるのかね? そもそもお前は女の裸かを見たいなんて希みを起したことがあるのかね? 園子の裸かを想像したことが一度でもあるかね? お前の年頃の男は若い女を見るときに彼女の裸かを想像しないではいられないという自明の理ぐらい、お前にも御得意の類推で見当がついていそうなものだがね。何故こんなことを言うか、お前の心に訊ねてごらん。類推はほんの一寸の修正で可能ではないかね? 昨夜お前は眠りにつくまえにちょっとした因襲に身を委せたっけな。お祈りみたいなものだというならそれも結構さ。ちっぽけな邪教の儀式で、誰しもやらずにいられぬ奴さ。代用品も使い馴れると、使い心地のわるいものではないからね。殊にこいつは効果覿面の睡眠剤だからね。だが、あのときお前が心に浮べたのは断じて園子ではなかったようだね。とにかく奇妙奇天烈な幻影で、横で見ている身は毎度のことながら肝をつぶすのだ。昼間、お前は街を歩いていて、うら若い兵士や水兵ばかりをじろじろ眺めていた。お前の好みの年齢の、よく日に焼けた・いかにも知識《インテリジェンス》とは縁の遠い・初心な口もとをした若者たちだよ。お前の目はそういう若者を見ると、忽ち胴まわりを目測するのだね。法科大学を卒業したら仕立屋にでもなるつもりかね。お前は二十歳恰好の無智な若者の、獅子の仔のようなしなやかな胴が大好物だね。お前は心の中で、昨日一日のうちにそういう若者を何人裸かにしてみたことか。お前は植物採集用の胴乱みたいなものを心の中に用意していて、何人かのEphebeの裸体を採集してもちかえるのだ。そうして例の邪教の儀式の生贄をこの中から選抜するのだ。気に入った一人が選び出される。さあ、それからが呆れ果てる。お前は生贄を後手にして柱に縛める。十分な抵抗、十分な叫びが必要だ。それからお前は生贄に懇ろな死の暗示を与える。するうちにふしぎなあどけない微笑がお前の口もとに昇ってきて、ポケットから鋭利なナイフを取り出させる。お前は生贄に近づいて、引締った脇腹の皮膚を刃の先で軽くくすぐって愛撫してやる。生贄は絶望の叫びをあげ、刃を避けようと身をよじり、恐怖の鼓動を高鳴らせ、裸かの脚はがたがたとわなないて膝頭をぶつけ合っている。ズシリとナイフが脇腹に刺った。もちろんお前の兇行だ。生贄は弓なりに身をそらし、孤独ないたましい叫びをあげ、刺された腹の筋肉を痙攣させる。ナイフは鞘にはめられたような冷静な様子で波立つ肉に埋まっている。血の泉が泡立って湧き上り、滑らかな太腿のほうへと流れてゆく。
 お前の歓喜はこの瞬間、正しく人間的なものになるのだ。何故といって、お前の固定観念である正常さは、正にこの瞬間、お前のものだからだ。対象がどうあろうとも、お前は肉体の深奥から発情し、その発情の正常さに於て、他の男たちと少しのかわるところもない。お前の心は原始的な悩ましい充溢に揺ぶられる。お前の心に野蛮人の深い歓喜がよみがえる。お前の目はかがやき、全身の血はもえ上り蛮族の抱く諸生命の顕現にお前はみちあふれる。ejaculatioのあとも、野蛮な讃歌のぬくもりはお前に耀やいている。古い巨大な河の記憶のなかにしばらくお前はたゆたう。蛮族たちの生命力が味わった窮極の感動の記憶が、何かの偶然で、お前の性の機能と快感とを残る隈なく占領してしまったのであろうか。お前は何をいつわろうとあくせくしているんだね。時あって人間存在のこのように深い歓喜にふれうるお前が、愛だの精神だのを必要とするとは解せない話だ。
 いっそ、どうだね? 園子の前で、お前の風変りな学位論文を御披露に及んだら? それは「Ephebeのトルソオ曲線と血液流出量との函数関係について」という高遠な論文だ。つまりお前の選択するトルソオは、滑らかで、しなやかで、充実していて、その上を血の流れが流れ落ちるときに最も微妙な曲線をえがいて流れるような若々しいトルソオなんだね。流れおちる血潮に、いちばん美しい自然な紋様――いわば野中を貫流する何気ない小川や、裁断された古い巨樹の示す木目のような――、を与えるトルソオなんだね。それにちがいあるまい?
 ――それにちがいなかった。
 とはいうものの、私の自省力は、あの細長い紙片を一トひねりして両端を貼り合せて出来る輪のような端倪すべからざる構造をもっていた。表かとおもうと裏なのであった。裏かとおもうとまた表なのであった。後年その周期は緩慢さを加えたが、二十一歳の私は感情の周期の軌道を目かくしをされて廻っているだけのことであり、その廻転速度は戦争末期のあわただしい終末感のおかげで、ほとんど目まいのするほどのものになっていた。原因も結果も矛盾も対立も、ひとつひとつに立ち入っている暇をもたせなかった。無内容なは矛盾のまま、目にもとまらぬ速さで擦過してゆくのであった。
 一時間もすると、私は園子の手紙に何か巧い返事を書いてやろうということしか考えていなかった。

 ……とこうするうちに桜が咲いた。花見に出かける暇のある人間はいなかった。東京の桜が見られるのは私の大学の私の学部の学生ぐらいなものだと思われた。私は大学のかえりに一人で・もしくは二三の友人たちと、S池のほとりをそぞろ歩いた。
 花はふしぎと媚めかしく見えた。花にとっての衣裳ともいうべき紅白の幕や茶店の賑わいや花見の群衆や風船屋や風車売がどこにもいないので、常磐木のあいだにほしいままに咲いている桜などは、花の裸体を見る思いをさせた。自然の無償の奉仕、自然の無益な贅沢、それがこの春ほど妖しいまでに美しくみえたためしはなかった。私は自然が地上を再び征服してゆくのではないかという不快な疑惑を持った。だってこの春の花やかさは只事ではないのであった。菜の花の黄も、若草のみどりも、桜の幹のみずみずしい黒さも、その梢にのしかかる鬱陶しい花の天蓋も、何か私の目には悪意を帯びた色彩のあざやかさと映った。それはいわば色彩の火事だった。
 私たちは下らない法律論を戦わしながら桜並木と池との間の草生を歩いた。私はそのころY教授の国際法の講義の皮肉な効果を愛していた。空襲下教授は鷹揚にいつ果てるともしれぬ国際聯盟の講義をつづけていた。私には麻雀かチェスのお講義をきいているような心地がした。平和! 平和! このしじゅう遠くで鳴っている鈴のような物音は、耳鳴りとしか思えなかった。
 本物の肺病でないのは私一人だった。私は心臓病を装っていた。勲章か病気かどちらか要る時代だった。
 海軍工廠の生活は呑気だった。私は図書館係と穴堀り作業に従事していた。部品工場を疎開するための大きな横穴壕を、台湾人の少年工たちと一緒に掘るのであった。この十二三歳の小悪魔どもは私にとってこの上ない友だった。かれらは私に台湾語を教え、私はかれらにお伽噺をきかせてやった。かれらは台湾の神が自分たちの生命を空襲から守り、いつかは無事に故国へ送りかえしてくれるものと確信していた。かれらの食慾は不倫の域に達していた。すばしこい一人が厨当番の目をかすめてさらって来た米と野菜は、たっぷり注がれた機械油でいためられて焙飯になった。歯車の味がしそうなこの御馳走を私は辞退した。
 一ト月たらずのあいだに、園子との手紙のやりとりは、多少特別なものになりつつあった。手紙のなかでは私は心おきなく大胆に振舞った。ある午前、解除のサイレンが鳴って工廠へかえったとき、机に届いていた園子の手紙を読みながら手がふるえた。私は軽い酩酊に身を委ねた。私は口のなかで何度もその手紙の一行をくりかえした。
『……お慕いしております。……』
 不在が私を勇気づけているのであった。距離が私に「正常さ」の資格を与えるのだった。いわば私は臨時雇の「正常さ」を身につけていた。時と所の隔たりは、人間の存在を抽象化してみせる。園子への心の一途な傾倒と、それとは何の関わりもない・常規を逸した肉の欲情とは、この抽象化のおかげで、等質なものとして私の中に合体し、矛盾なく私という存在を、刻々の時のうちに定着させているのかもしれなかった。私は自在だった。日々の生活はいわん方なくたのしかった。S湾にやがては敵が上陸してこのあたりは席巻されるだろうという噂もあって、死の希みもまた、以前にまして私の身近に濃くなっていた。かかる状態にあって、私は正しく、「人生に希望をもって」いた!
 ――この接吻に肉感があったのかなかったのか私にはわからなかった。何にまれ最初の経験というものはそれ自身一種の肉感に他ならないから、この場合の弁別は無用のことであったかもしれない。私の酩酊から例の観念的な要素を抽出してみてもはじまらなかった。重要なのは、私が「接吻を知った男」になったということだ。よそでおいしいお菓子を出されるとすぐ「妹にたべさせたいな」と考える妹思いの男の子のように、私は千枝子と抱きあいながらひたすら園子を思った。これ以後私の考え事は園子と接吻するという空想に集中した。それが私の犯した最初の、そしてまたいちばん重大な誤算であった。
 とまれ、園子を思うことがこの最初の経験を徐々に醜く見せた。私は千枝子があくる日かけてよこした電話に出てあしたもう工場のほうへかえるのだと嘘をついた。あいびきの約束も守らなかった。そしてこうした不自然な冷たさが、最初の接吻に快感がなかったことに由来しているという事実には目をふさぎ、園子を愛していればこそそれが醜く思われるのだと自分に思い込ませた。園子への愛を私が自分の口実に利用したこれが最初だった。
 五月二十四日夜の空襲が、あの三月九日夜半の空襲のように私を決定した。おそらく私と園子の間にはこうした多くの不幸から放たれる一種の瘴気のようなものが必要だった。それは或る種の化合物に硫酸の媒介が必要とされるようなものらしかった。
 広野と丘の接するところに無数に掘られた横穴壕に身をひそめて、私たちは東京の空が真紅に燃えるのを見た。ときどき爆発がおこって空に反映が投げかけられると、雲の合間にふしぎなほど青い昼の空がのぞかれた。真夜中に一瞬の青空が出現するのだ。無力な探照燈が、まるで敵機をお迎えのサーチライトと謂った風に、その淡い光の十文字の只中に敵機の翼のきらめきを屢〻宿して、次々と東京に近い探照燈へ光りのバトンを手渡しながら、慇懃な誘導の役割を果たしていた。高射砲の砲撃もちかごろはまばらであった。B29はらくらくと東京の空に達した。
 ここから一体東京上空で行われる空中戦の、敵味方の見分けがつきえたであろうか。それにもかかわらず、真紅の空を背景に撃墜されてゆく機影を見てとると、見物衆は一せいに喝采した。なかんずく騒がしいのは少年工たちだった。そこかしこの横穴壕から、劇場のような拍手と喚声がひびきわたった。ここでの遠見の見物にとっては、墜ちてゆく飛行機が敵のものであっても味方のものであっても本質的には大したかわりはないのだと私は考えた。戦争とはそんなものなのである。
 ――明る朝、まだくすぶっている枕木を踏み、半焼けの細い板をわたした鉄橋を渡って、不通の私鉄の半ばを歩いて家へかえった私は、私の家の近辺だけがきれいに焼け残っているのを見出だした。たまたまこちらへ泊っていた母と妹弟も、昨夜の火照りで却って元気であった。焼残ったお祝いに地下から掘出した罐詰の羊羹をみんなで喰べていた。
「お兄ちゃま誰かさんにお熱なんでしょう」
 私の部屋へ入って来て十七の跳ねっ返りの妹が言った。
「誰がそんなこと言った」
「ちゃんとわかるのよ」
「好きになっちゃいけないのかい」
「いいえ。いつ結婚なさるの」
 ――私はぎくりとした。お尋ね者が何も知らない人間から偶然犯罪に関わりのある事柄を言い出された気持だった。
「結婚なんか、しないさ」
「不道徳ね。はじめっから結婚する気がなくてお熱なの? ああいやだ、男って悪者ね」
「早く逃げないとインキをぶっかけるぞ」――一人になると私は口の中でくりかえした。『そうだった、結婚ということもこの世では在り得るんだ、それから子供ということも。何だって僕はそれを忘れていたろう。少くとも何だって忘れたふりをしていたろう。結婚という些細な幸福も、戦争の激化のおかげで、在り得ないような錯覚がしていただけだ。その実結婚は、僕にとって何か極めて重大な幸福かもしれないんだ。何かこう、身の毛のよだつほど重大な……』――こんな考えが、私を今日明日にも園子に会わねばならぬという矛盾した決心へ促した。これが愛だろうか? ともするとそれは、一個の不安が私たちの内に宿るときに、奇体な情熱の形で私たちにあらわれる・あの「不安に対する好奇心」に似たものではなかったろうか?

 園子や彼女の母からは、遊びに来るようにとの招きの手紙が何度か来ていた。私は彼女の伯母の家へ泊ることは心苦しいからホテルを探してくれと園子に書いた。彼女は某村のホテルの一つ一つに当ってみた。どこも官庁の出店になっていたり、独乙人が軟禁されていたりして駄目であった。
 ホテル――。私は空想したのだ。それは少年時代からの私の空想の実現だった。またそれは読み耽った恋愛小説の悪影響だった。そういえば私の物の考え方には、ドン・キホーテ風なところがあった。騎士物語の耽読者はドン・キホーテの時代には数多かった。しかしあれだけ徹底的に騎士物語に毒されるには、一人のドン・キホーテであることが必要だった。私の場合もこれと変りはない。
 ホテル。密室。鍵。窓のカーテン。やさしい抵抗。戦闘開始の合意。……その時こそ、その時こそ、私は可能である筈だった。天来の霊感のように、私に正常さがもえ上る筈であった。まるで憑きものがしたように、私は別人に、まともな男に、生れかわる筈であった。その時こそ、私は憚りなく園子を抱き、私の全能力をあげて彼女を愛することもできる筈であった。疑惑と不安は隈なく拭われ、私は心から「君が好きだ」と言い得る筈だった。その日から私は大声で、空襲下の街中を、「これが僕の恋人です」と怒鳴って歩くことだってできる筈だった。
 ロマネスクな性格というものには、精神の作用に対する微妙な不信がはびこっていて、それが往々夢想という一種の不倫な行為へみちびくのである。夢想は、人の考えているように精神の作用であるのではない。それはむしろ精神からの逃避である。
 ――しかしホテルの夢は、前提的に、実現しなかった。某村のホテルは結局どこもだめなので家へ泊ってくれと園子が重ねて書いてよこした。私は承諾の返事を出した。疲労に似た安堵が私をとらえた。いかな私も、この安堵を諦めだと曲解しようはなかった。
 六月十二日に私は出発した。海軍工廠のほうは工廠全体がだんだん投げやりな気分になっていた。休暇をとるためなら、どんな口実も可能であったのだ。
 汽車は汚れて、そして空いていた。戦争中の汽車の思い出は(あのたのしい一例を除いて)どうしてこうもみじめな思い出ばかりなのであろう。私は今度も子供らしいみじめな固着観念にさいなまれて汽車に揺られていた。それは園子に接吻するまでは決して某村を離れないぞと考えることだった。しかしながらこれは、人間が自分の欲望がさせる引込思案とたたかうときの矜りにみちた決心とは別物であった。私は盗みにゆくような気がしていた。親分に強いられて、いやいや強盗にゆく気の弱い子分のような気がしていた。愛されているという幸福は私の良心を刺した。私が求めていたのは、もっと決定的な不幸であったかもしれないのだ。

 園子が私を伯母に紹介した。私は気取っていた。私は一生懸命だった。皆が暗黙のうちにこう言い合っているように思われた。『園子は何だってこんな男を好きになったんだろう。なんて生っ白い大学生だろう。こんな男の一体どこが好いのかしら』
 皆によく思われようという殊勝な意識で、私はいつかの汽車の中でのような排他的な行動をとらなかった。園子の小さい妹たちの英語の勉強を見てやったり、祖母の伯林時代の昔話に調子を合わせたりした。おかしなことに、そうしている方が、私には園子がより身近に居るように思われるのだった。私は祖母や母の前で、幾度となく彼女と大胆な目くばせを交わした。食事の時にはテエブルの下で足を触れ合った。彼女もだんだんこの遊びに夢中になって、私が祖母の長話に退屈していると、梅雨曇りの青葉の窓に身を凭せ、祖母のうしろから、私にだけ見えるように、胸のメダイヨンを指さきでつまみ上げて揺らしてみせたりした。
 半月形の襟で区切られた彼女の胸は白かった。目がさめるほどに! そうしている時の彼女の微笑には、ジュリエットの頬を染めたあの「淫らな血」が感じられた。処女にだけ似つかわしい種類の淫蕩さというものがある。それは成熟した女の淫蕩とはことかわり、微風のように人を酔わせる。それは何か可愛らしい悪趣味の一種である。たとえば赤ん坊をくすぐるのが大好きだと謂ったたぐいの。
 私の心がふと幸福に酔いかけるのはこうした瞬間だった。すでに久しいあいだ、私は幸福という禁断の果実に近づかずにいた。だがそれが今私を物悲しい執拗さで誘惑していた。私は園子を深淵のように感じた。

 とこうするうちに、海軍工廠へかえらねばならぬ日が二日あとに近づいていた。私はまだ自分に課した接吻の義務を果たしていなかった。
 雨期の稀薄な雨が高原地方一帯を包んでいた。自転車を借りて私は郵便局へ手紙を出しに行った。園子が徴用のがれにつとめている官庁の分室から、午後のつとめをずるけて帰ってくる時刻なので、私たちは郵便局で落合う約束をしていた。霧雨に濡れそぼった錆びた金網のなかに、人気のないテニスコオトがさびしげに見えた。自転車に乗った独乙人の少年が濡れた金髪と濡れた白い手をかがやかせて私の自転車のすぐかたわらをすれちがった。
 古風な郵便局のなかで何分か待つうちに、ほのかに戸外が明るんで来た。雨が上ったのであった。一時の晴れ間、いわば思わせぶりな晴れ間である。雲は切れてはいず、白金いろに明るんでいるだけのことだった。
 園子の自転車が硝子扉のむこうに止った。彼女は胸を波打たせ、濡れた肩で息をして、しかし健やかな頬の紅らみの中で笑っていた。『今だぞ、そらかかれ!』私はけしかけられた猟犬のように自分を感じた。この義務観念は悪魔の命令じみたものだった。自転車に跳び乗ると、私は園子と並んで某村のメイン・ストリートを走り抜けた。
 私たちは樅や楓や白樺の林の間を走った。樹々は明るい滴りを落していた。風に流れている彼女の髪は美しかった。健やかな腿がペダルを小気味よく廻していた。彼女は生それ自身のように見えた。今は使われなくなっているゴルフ場の入口をとおると、私たちは自転車を降りて湿った径をゴルフ場ぞいに歩いた。
 私は新兵のように緊張していた。あそこに木立がある。あの蔭が適当だ。あそこまで約五十歩ある。二十歩で彼女に何か話しかける。緊張を解いてやる必要がある。あと三十歩のあいだ何か当りさわりのない話をしたらいい。五十歩。そこで自転車のスタンドを下ろす。それから山のほうの景色を見る。そこで彼女の肩に手をかける。低い声で『こうしていられるの、夢みたいだね』とでも言え。すると彼女が何か他愛のない返事をする。そこで肩の手に力を入れて彼女の体を自分の前へ持ってくるんだ。接吻の要領は千枝子の時と変りはない。
 私は演出に忠誠を誓った。愛も欲望もあったものではなかった。
 園子は私の腕の中にいた。息を弾ませ、火のように顔を赤らめて、睫をふかぶかと閉ざしていた。その唇は稚なげで美しかったが、依然私の欲望には愬えなかった。しかし私は刻々に期待をかけていた。接吻の中に私の正常さが、私の偽わりのない愛が出現するかもしれない。機械は驀進していた。誰もそれを止めることはできない。
 私は彼女の唇を唇で覆った。一秒経った。何の快感もない。二秒経った。同じであった。三秒経った。――私には凡てがわかった。
 私は体を離して一瞬悲しげな目で園子を見た。彼女がこの時の私の目を見たら、彼女は言いがたい愛の表示を読んだ筈だった。それはそのような愛が人間にとって可能であるかどうか誰も断言しえないような愛だった。しかし彼女は羞恥と潔らかな満足に打ちひしがれて、人形のように目を伏せたままだった。
 私は黙ったまま病人を扱うように、その腕をとって自転車のほうへ歩きだした。

 逃げなければならぬ。一刻も早く逃げなければならぬ。私は焦慮した。浮かぬ面持を気どられまいために、私は常よりも陽気を装った。夜の食事のとき、こうした私の幸福そうな様子は、誰の目にも見てとれる園子の甚だしい放心状態と、しっくりすぎる暗合を示してしまったので、結果は却って私の不利になった。
 園子はいつにもましてみずみずしく見えた。彼女の容姿にはもともと物語風なところがあった。物語に出てくる恋する乙女そのままの風情だった。こうした彼女の一本気な乙女心を目のあたりに見ると、私はいかに陽気を装おうとしても、自分がその美しい魂を抱きしめる資格のない人間であることが、あまりにもまざまざとわかって来て話も淀みがちになるものだから、彼女の母は私の体を気づかう言葉を洩らした。すると園子は可愛らしい早呑込で万事を察して、私を元気づけるために、またメダイヨンを振って『心配するな』という合図をした。思わず私は微笑した。
 大人たちはこの傍若無人な微笑のやりとりに、半ば呆れた半ば迷惑そうな顔を並べていた。その大人たちの顔が私たちの未来に見ているものが何であるかを考えると、又しても私は慄然とするのであった。

 明る日私たちは又ゴルフ場の同じところへ来た。きのうの私たちの形見である・踏みにじられた黄いろい野菊の草むらを私は見出だした。草は今日は乾いていた。
 習慣というものは怖ろしい。あれほど事後に私を苦しめた接吻を又私はしてしまった。尤も此度は、妹にするような接吻だった。するとこの接吻は却って不倫の味わいを放った。
「この次お目にかかれるの、いつかしら」と彼女が言った。「さあ、僕のいるところへアメリカが上陸して来なければね」と私は答えた。「また一ト月ほどして休暇がとれるよ」――私は希っているばかりか、迷信的に確信していた。この一ト月のあいだに米軍がS湾から上陸して私たちは学生軍として狩り出され一人のこらず戦死することを。さもなければまだ誰も考えてみたこともない巨大な爆弾が、どこにいようと私を殺すことを。――私はたまたま原子爆弾を予見していたことになろうか。
 それから私たちは日の当る斜面のほうへ行った。二本の白樺が心のやさしい姉妹のような容子で斜面に影をおとしていた。うつむいて歩いていた園子が言い出した。「この次お目にかかるときはどんなお土産を下さるの?」
「今僕の持って来られるお土産と云ったら」――私は苦しまぎれに空恍けて答えた。
「出来そこないの飛行機か、泥のついたシャベルか、そんなものしかないよ」
「形のあるものではないことよ」
「さあ、何だろう」――私はますます空恍けながら追いつめられていた。「難題だなあ。かえりの汽車でゆっくり考えてみるよ」
「ええ、そうなさってね」――彼女は妙に威厳と落付きを加えた声音で言った。「お土産をもって来て下さること、お約束なさってね」
 約束という言葉を園子が力をこめて言ったので、いきおい私は虚勢を張った快活さで身を護らねばならなかった。
 よし、指切りしよう、と私は大風に言った。こうして私たちは一見無邪気な指切りを交わしたが、俄かに子供の時感じた恐怖が私によびがえった。それは指切りをして約束を破るとその指が腐るという言いならわしがかつて子供心に与えた恐怖である。園子のいわゆるお土産は、それと言わぬながら明らかに「結婚申込」を意味していたので、私の恐怖も故あることだった。私の恐怖は、夜一人で厠へ行けない子供があたり一杯に感じるようなあの恐怖であった。

 その晩、寝しなに、園子が私の寝室の戸口の帷で半ば体を巻きながら、すねる調子で、私がもう一日滞在をのばすようにと愬えた時、私は寝床の中から、ものに愕いたように彼女を見つめていたきりだった。自分で的確な計算と思っていたその最初の項の誤算で凡てが崩れてみると、私は今園子を見ている自分の感情を何と判断してよいかわからなかった。
「どうしてもおかえりになるの?」
「うん、どうしてもだよ」
 私はむしろたのしそうに答えた。また偽わりの機械が上辷りな廻転をはじめていた。私はこのたのしさを、ただ単に恐怖からのがれるたのしさにすぎないのに、彼女をじらすこともできる新たな権力の優越感が与えるたのしさだと解釈した。
 自己欺瞞が今や私の頼みの綱だった。傷を負った人間は間に合わせの繃帯が必ずしも清潔であることを要求しない。私はせめても使い馴れた自己欺瞞で出血をとり押えて、病院へ向って駈けて行きたいと思った。私はあのぐうたらな工場を、好んで厳格な兵営のように想像した。明日の朝かえらなくては、重営倉へも入れられかねない兵営のように。

 出発の朝、私はじっと園子を見ていた。旅行者が今立去ろうとしている風景を見るように。
 凡てが終ったことが私にはわかっていた。私の周囲の人たちは凡てが今はじまったと思っているのに。私もまた周囲のやさしい警戒の気配に身を委ねて、私自身をだまそうとねがっているのに。
 それにしても園子の静かな様子が私を不安にした。彼女は私の鞄を詰める仕事を手つだったり、何か忘れものはないかと部屋のあちこちをたずねまわったりしていた。そのうちに窓のところに立って窓外を眺めながら動かなかった。今日も曇り日の、若葉の青ばかりが目立つ朝だった。見えない栗鼠が梢を揺らして通った。園子のうしろ姿には静かな・それでいて幼なげな「待つ表情」があふれていた。そんな表情の背中をそのままにして部屋を出てゆくことは、戸棚を開けっ放しにして部屋を出てゆくこと同様に、几帳面の私にとって我慢ならぬことである。私は歩み寄って背後から柔らかく園子を抱いた。
「またきっとおいでになるわね」
 彼女はらくらくと信じ切った調子で言った。それは何か、私に対する信頼というよりも、私をのりこえて・もっと深いものに対する信頼に根ざしているようにきかれた。園子の方は慄えていなかった。レースの胸がすこし威丈高に息づいていた。
「うん、多分ね。僕が生きていたら」
 ――私はそう言っている自分に嘔吐を催おした。何故なら私の年齢はこう言うことの方をはるかに欲したからである。
『来るとも! 僕は万難を排して君に会いに来るよ。安心して待っておいで。君は僕の奥さんになる人じゃないか』
 私のものの感じ方、考え方には、こんな風な珍奇な矛盾が、いたるところに顔を出した。自分に「うん多分ね」などという煮え切らない態度をとらせるものが、私の性格の罪ではなく、性格以前のものの仕業である、いわば私のせいではないとはっきりわかっているだけに、多少とも私のせいである部分に対しては、滑稽なほど健全な常識的な訓誡を以て臨むのが常だった。少年時代からの自己鍛練のつづきとして、私は煮え切らない人間、男らしくない人間、好悪のはっきりしない人間、愛することを知らないで愛されたいとばかりねがっている人間には、死んでもなりたくないと考えていた。それはなるほど私のせいである部分に対しては可能な訓誡であったが、私のせいでない部分に対しては、はじめから不可能な要求だった。今の場合園子にむかって男らしいはっきりした態度をとることはサムソンの力といえども及ばぬ筈だった。すると、今、園子の目に見えている私の性格らしきもの、煮え切らない一人の男の影像は、私のそれへの嫌悪をそそり立て、私という存在全体を値打のないものに思わせて、私の自負心をめちゃめちゃにするのであった。私は自分の意志をも、性格をも信じないようになり、少くとも意志の拘わる部分は贋物だと思わざるをえなかった。しかしまたこのように意志に重きをおく考え方は夢想にちかい誇張でもあるわけだった。正常な人間といえども、意志だけの行動は不可能な筈だった。よしんば私が正常な人間であったにせよ、私と園子に幸福な結婚生活を送らせる条件が一から十までそろっている筈はなく、してみればその正常な私も、「うん多分ね」と答えたことであろう。こんなわかりやすい仮定にさえ、故意に目をつぶる習慣が私にはついていた。まるで私自身を苦しめる機会を、一つでも見のがすまいとするように。――これは逃げ場を失った人間が、自分を不幸だと考える安住の地へ、自分自身を追いこむときの常套手段である。
 ――園子がすずかな口調で言い出した。
「大丈夫よ。あなたはお怪我ひとつなさりはしないわ。あたくし毎晩神《エス》さまにいお祈りしていることよ。あたくしのお祈り、今までだってとても利いたのよ」
「信心深いんだね。そのせいか、君って、とても安心しているように見えるんだ。こわいくらいだ」
「どうして?」
 彼女は黒い聡明な瞳をあげた。露ほどの疑惑もないこの無垢な問いかけの視線に出会うと、私の心は乱れ、答を失った。私は安心の中に眠っているように見える彼女をゆすぶり起したい衝動にかられていたのだが、却って園子の瞳が、私の内に眠っているものをゆすぶり起すのだった。
 ――学校へゆく妹たちが挨拶に来た。
「さようなら」
 小さい妹は私の握手を求めると、その手で私の掌を咄嗟にくすぐり、戸外まで逃げて行って、折から射して来た稀薄な木洩れ日の下で、金いろの備錠のある紅いお弁当入れを高く振り上げた。

 祖母と母も見送りに来たので、駅での別れはさりげない無邪気なものになった。私たちは冗談を言い合い、何気なく振舞った。やがて汽車が着いて私は窓ぎわの席を占めた。はやく汽車が動きだしてくれるようにとしか私はねがっていなかった。
 すると明るい声が思わぬ方角から私を呼んだ。それは正しく園子の声だった。今の今まで聞き馴れていた声が、遠い新鮮な呼び声になって私の耳をおどろかした。その声がたしかに園子のものだという意識が、朝の光線のように私の心に射し入った。私は声の方角へ目をむけた。彼女は駅員の出入口をくぐりぬけて、プラットフォームに接した焼木の柵につかまっていた。チェック縞のボレロの間から夥しいレエスが溢れて風にそよいでいた。彼女の目は活々と私へ向って見ひらかれていた。列車がうごきだした。園子の幾分重たげな唇が、何か口ごもっているような形をうかべたまま、私の視野から去った。
 園子! 園子! 私は列車の一ト揺れ毎にその名を心に浮べた。いおうようない神秘の呼名のようにもそれが思われた。園子! 園子! 私の心はその名の一ト返し毎に打ちひしがれた。鋭い疲労がその名の繰り返されるにつれて懲罰のように深まった。この一種透明な苦しみの性質は、私が自分自身に説明してきかそうにも、類例のない難解なものだった。人間のしかるべき感情の軌道とは、あまりにかけ離れた苦しみなので、私にはそれを苦しみと感じることさえ困難であった。ものに譬えようなら、明るい正午に午砲の鳴りだすのを待つ人が、時刻をすぎてもついに鳴らなかった午砲の沈黙を、青空のどこかに探り当てようとするような苦しみだった。怖ろしい疑惑である。午砲が正午きっちりに鳴らなかったことを知っているのは世界中で彼一人だったのである。
 もうおしまいだ。もうおしまいだ。と私は呟いた。私の嘆きは落第点をとった小心な受験生の嘆きに似ていた。失敗った。しまった。あのXを残しておいたから間違ったんだ。あのXから先に解決しておけばこんなことにはならなかったんだ。人生の数学を、私は私なりに、皆と同じ演繹法で解いてゆけばよかったんだ。私は半分小賢しかったのが何より悪かったんだ。私一人が帰納法に依ったばかりにしくじったんだ。
 私の惑乱があまりに甚だしかったので、前に掛けている乗客は不審そうに私の顔色をうかがっていた。それは紺の制服を着た赤十字の看護婦と、その母親らしい貧しい農婦とだった。彼らの視線に気づいて私が看護婦の顔に目をやると、このほおずきのように真赤に肥った娘は、照れかくしに母親に甘えだした。
「ねえ、お腹空いたよお」
「まだ早っぺや」
「だって空いたんだもん。よお、よお」
「きき分けもない!」
 ――母親がとうとう負けて弁当をとり出した。その中身の貧しさは、私たちが工場で喰べさせられている食事より一段とひどかった。沢庵を二切そえた藷だらけの飯を、看護婦はぱくぱくと喰べだした。人間が御飯をたべるという習慣がこれほど無意味に見えたことはなかったので、私は目をこすった。やがてこうした観方が、私が生きる欲望をすっかり失くしていることに由来しているのを私はつきとめた。

 その晩郊外の家へ落着いて私は生れてはじめて本気になって自殺を考えた。考えているうちに大そう億劫になって来て、それを滑稽なことだと思い返した。私には敗北の趣味が先天的に欠けていた。その上まるで豊かな秋の収穫のように、私のぐるりにある夥しい死、戦災死、殉職、戦病死、戦死、轢死、病死のどの一群かに、私の名が予定されていない筈はないと思われた。死刑囚は自殺をしない。どう考えても自殺は似合わしからぬ季節であった。私は何ものかが私を殺してくれるのを待っていた。ところがそれは、何ものかが私を生かしてくれるのを待っているのと同じことなのである。
 工場へかえって二日すると、園子の熱情にあふれた手紙が届いた。それは本物の愛だった。私は嫉妬を感じた。養殖真珠が天然の真珠に感じるような耐えがたい嫉妬を。それにしても自分を愛してくれる女に、その愛のゆえに嫉妬を感じる男がこの世の中にあるだろうか?
 ……園子は私に別れてから自転車に乗って勤めへ出た。あまりぼんやりしているので、気分が悪いのかと同僚にたずねられた。書類の扱いを何度かまちがえた。昼の食事をとりに家へかえったが、また勤めへかえる道すがら、ゴルフ場へまわって自転車を止めた。黄いろい野菊がまだ踏まれたままになっているあたりを見た。それから火山の山肌が、霜が拭われるにつれて、明るい光沢を帯びた代赭いろをひろげるのを見、又しても暗い霜の気配が山峡から立ちのぼり、あのやさしい姉妹のような様子をした二本の白樺の葉が、かすかな予感のように慄えるのを見た。
 ――私が汽車のなかで、私自ら植えつけた園子の愛からどんな風にして逃げ出そうかと心を砕いていた同じ時刻に! ……しかしともすると私はいちばん真実にちかいかもしれぬ可憐な口実に我身を委ねて安心している瞬間があった。それは「彼女を愛していればこそ彼女から逃げなければならない」という口実である。

 私は一向発展もしないが冷めたともみえない調子の手紙をそののち何度か園子に書いた。一ト月足らずのうちに草野の二度目の面会が許されることになり、彼が移って来た東京近郊の隊へ草野の一家はまた面会にやって来るというしらせが届いた。弱さが私をそこへ促した。ふしぎにもあれほど彼女から逃げようという決心を固めた園子に、私は又ぞろ会わずにはいられなかった。会ってみて、私は渝らぬ彼女の前に、変り果てた私自身を見出だした。私は冗談一つ彼女に言えなくなっていた。こうした私の変化から、彼女も、彼女の兄も祖母も、母さえも、ただ私の物堅さを見ているにすぎなかった。草野がいつものやさしい目つきで私に言った一言が私を戦慄させた。
「近いうちに君のところへちょっとした重大通牒を発するよ。たのしみに待っていたまえね」
 ――一週間後、私が休日に母たちのところへかえっていたとき、その手紙が届いた。彼らしい稚拙な字が、まがいものでない友情を示していた。
『……園子のこと、家じゅうみんな本気だ。僕が全権大使に任命された。話は簡単なのだが、君の気持をききたいのだ。
 みんな君に信頼している。園子はもとよりのことだ。式はいつごろにしようかとまで母は考えはじめているらしい。式のことはともかく、婚約の日取りはきめても早すぎないころだと思う。
 もっともこれはみんなこちらの当推量からのことなんだ。要するに、君のお気持をうかがいたい。家同志の話し合いも、すべてそれからのことにしたいと言っている。しかしこうは言っても、毛頭君の意志を縛るつもりはないんだ。本当のところをうかがえれば安心出来るんだ。NOの御返事でも決して怨んだり怒ったり、僕たちの友達としての間柄に累を及ぼしたりすることにはならない。YESなら勿論大よろこびだが、NOの場合も決して気を悪くしたりすることはない。自由な気持で、フランクに御返事いただきたい。くれぐれも義理や行きがかりでない御返事をほしい。親しい友人として御返事を待つ』
 ……私は愕然とした。私はその手紙を読んでいるところを誰かに見られはしなかったかと思ってあたりを見まわした。
 ありえないと思っていたことが起ったのだった。戦争というものに対する感じ方・考え方に、私とあの一家とでは格段の相違があるだろうことを、私は計算に入れていなかったのだ。まだ二十一歳で、学生で、飛行機工場へ行っていて、その上また、戦争の連続のなかで育って来て、私は戦争の力をロマネスクなものに考えすぎていた。これほど激しい戦争の破局のなかでも、人間の営みの磁針はちゃんと一つの方向へむかったままだった。自分だって今まで恋をしているつもりでいて、どうしてそこに気がつかなかったろう。私は奇体な薄ら笑いをうかべながら手紙を読み返した。
 するとごく在り来りな優越感が胸をくすぐった。私は勝利者なのである。私は客観的には幸福なのであり、誰もそれを咎めはしないのである。それなら私にだって幸福を侮蔑する権利はあるわけだ。
 不安と居たたまれない悲しみとで胸が一杯なくせに、私は生意気な皮肉な微笑を自分の口もとに貼りつけた。小さな溝を一つとびこせばよいように考えられた。それは今までの何ヶ月かをみんな出鱈目だと考えればよいのである。はじめから園子なんか、あんな小娘なんか、愛していなかったと考えればよいのである。私はちょっとした欲望にかられて、(嘘つき奴!)、彼女をだましたと思えばよいのである。断るのなんかわけはない。接吻だけで責任はないんだ。――
『僕は園子なんか愛していはしない!』
 この結論は私を有頂天にした。
 素晴らしいことであった。愛しもせずに一人の女を誘惑して、むこうに愛がもえはじめると捨ててかえりみない男に私はなったのだ。なんとこういう私は律儀な道徳家の優等生から遠くにいることだろう。……それでいて私が知らない筈はなかった。目的も達しないで女を捨てる色魔なんかありえないことを。……私は目をつぶった。私は頑固な中年女のように、ききたくないことにはすっかり耳をおおう習慣がついていた。
 あとは何とかしてこの結婚を妨害する工作が残っているだけである。まるで恋敵の結婚を妨害するように。
 窓をあけて私は母を呼んだ。
 夏のはげしい光りがひろい菜園の上にかがやいていた。トマトや茄子の畑が乾燥した緑をとげとげしく反抗的に太陽のほうへもたげていた。その勁い葉脈に太陽はべたべたと、よく煮えた光線を塗りつけていた。植物の暗い生命の充溢が、見わたすかぎりの菜園のかがやきの下に押しひしがれていた。彼方に、こちらへ暗い顔を向けている神社の杜があった。そのむこうの見えない低地を、時折やわらかな震動を漲らせて郊外電車がとおるのである。そのたびにポールが軽躁に押して行ったあとの、ものうげに揺れている電線の光りが見えた。それは厚みのある夏の雲をうしろにして、意味ありげに、また何の意味もなさそうに、しばらくあてどもなく揺れているのだった。
 菜園のただなかから、青いリボンをつけた大きな麦藁帽子が立上った。母だった。伯父――母の兄――の麦藁帽子は、ふりむきもせずに崩折れた向日葵のように動かなかった。
 ここの生活をはじめてからすこし日に灼けた母は、遠くから白い歯が目立つようになっていた。彼女は声のとどくところまで来ると子供らしいキンキン声で叫んだ。
「なあによお。用ならそっちから出ていらっしゃいよお」
「大事な用なんだよお。ちょっとここまで来てよお」
 母は不服そうにのろのろと近づいた。手の籠には熟したトマトが盛られていた。やがて彼女は窓枠の上にトマトの籠を置いて何の用かとたずねた。
 私は手紙を見せなかった。かいつまんでその内容を話した。話しながら私は何のために母を呼んだかがわからなくなるのだった。私は自分を納得させるために喋りつづけているのではなかったか? 私の父が神経質な口やかましい性格で、一つ家にいれば私の妻になる人は苦労するにちがいないということ、そうかといって今のところ別に家を持つ目安はつかないこと、私の古風な家庭と園子の明るい開放的な家庭とでは家風が合うまいということ、私にしてもそんなに早くから妻を貰って苦労したくないということ、……さまざまなありふれた悪条件を私は平気な顔つきで述べ立てた。私は母の頑固な反対がほしいのだった。しかるに私の母はのどかな寛大な人柄だった。
「何だかへんな話なのね」――母は大して深く考えもしない様子で口をはさんだ。
「それで一体あなたの気持はどうなの。好きなの? それともきらいなの?」
「そりゃ僕も、あの」――私は口ごもった。「そんなに本気じゃあなかったんだ。遊び半分のつもりだったんだ。それがむこうで本気にとったんで困っちゃったの」
「それなら問題はないじゃないの。早くはっきりさしておいた方がお互いのためだわ。どうせ一寸した打診のお手紙なんでしょう。はっきりしたお返事を出しといたらいいわ。……お母様もう行くわよ。もういいんでしょう」
「ああ」
 ――私は軽い吐息をついた。母は玉蜀黍が立ちはだかっている枝折戸のところまで行くと、また小刻みに私の窓にかえってきた。彼女の顔つきはすこしさっきとはちがっていた。
「あのね、今のお話ね」――母はやや他人じみた、いわば女が見知らぬ男を見るような目つきになって私を見た。「……園子さんのことね、あなた、もしかして、……もう……」
「莫迦だなあ、お母様ったら」――私は笑い出した。私は生れてから、こんな辛い笑いを笑ったことはないような気がした。「僕がそんな莫迦なことをすると思っているの? そんなに信用がないの? 僕は」
 「わかったわよ。念のためよ」――母は明るい顔に返って照れくさそうに打ち消した。「母親ってものは、そういうことを心配するために生きてるものなのよ。大丈夫よ。あなたは信用しているわ」

 ――私はわれながら不自然だと思える婉曲な拒絶の手紙をその晩書いた。急なことで、今の段階ではそこまで気持が進んでいないと私は書いた。あくる朝工場へかえりがけに、郵便局へその手紙を出しに行ったとき、速達の掛りの女が私の慄える手をいぶかしそうに見た。私はその手紙が彼女のがさつな汚れた手で事務的にスタンプを押されるのを見つめた。私の不幸が事務的に扱われるのを見ることが私を慰めた。
 空襲は中小都市の攻撃に移っていた。生命の危険は一応失われてしまったようにみえた。学生のあいだには降伏説が流行りだしていた。若い助教授が暗示的な意見を述べて、学生の人気を収攬しようとかかり出した。甚だ懐疑的な見解をのべるときの彼の満足そうな小鼻のふくらみを見ると、私はだまされやしないぞと思った。私は一方今以て勝利を信じている狂信者の群にも白眼を剝いた。戦争が勝とうと負けようと、そんなことは私にはどうでもよかったのだ。私はただ生れ変りたかったのだ。
 原因不明の高熱が私を郊外の家に帰した。私は熱にくるめく天井を見つめながら、経文のように園子の名を心に呟きつづけた。ようやく起き上れるようになったころ、広島全滅のニュースを私はきいた。
 最後の機会だった。この次は東京だと人々が噂していた。私は白いシャツに白い半ズボンで街を歩き廻った。やけっぱちの果てまで来て、人々は明るい顔で歩いていた。一刻一刻が何事もない。ふくらましたゴム風船に今破れるか今破れるかと圧力を加えてゆくときのような明るいときめきが至るところにあった。それでいて一刻一刻が何事もない。あんな日々が十日以上もつづいたら、気がちがう他はないほどだった。
 ある日、間の抜けた高射砲の砲撃を縫って、瀟洒な飛行機が夏空から伝単を降らした。降伏申入のニュースであった。その夕方父が会社のかえりにまっすぐ郊外の私たちの仮寓へ立寄った。
「おい、あの伝単はほんとうだよ」
 ――彼は庭から入ってきて縁側に腰を下ろすとすぐこう言った。そして確かな筋からきいたという原文の英文の写しを私に示した。
 私はその写しを自分の手にうけとって、目を走らせる暇もなく事実を了解した。それは敗戦という事実ではなかった。私にとって、ただ私にとって、怖ろしい日々がはじまるという事実だった。その名をきくだけで私を身ぶるいさせる、しかもそれが決して訪れないという風に私自身をだましつづけてきた、あの人間の「日常生活」が、もはや否応なしに私の上にも明日からはじまるという事実だった。

(第四章)

 意外なことに、私が怖れていた日常生活はなかなかはじまるけしきもなかった。それは一種の内乱であって、人々が「明日」を考えない度合いは、戦争中よりもいやまさるように思われた。
 大学の制服を借りていた先輩が軍隊からかえったので、私はそれを返した。すると私は思い出から、乃至は過去から、自由になったような錯覚にしばらく陥った。
 妹が死んだ。私は自分が涙を流しうる人間でもあることを知って軽薄な安心を得た。園子が或る男と見合をして婚約した。私の妹の死後、間もなく彼女は結婚した。肩の荷が下りた感じとそれを呼ぼうか。私は自分にむかってはしゃいでみせた。彼女が私を捨てたのではなく、私が彼女を捨てた当然の結果だと自負して。
 宿命が私に強いるところを、私自身の意志の、また理性の勝利だと附会する永年の悪癖が、一種きちがいじみた尊大さに達していた。私が理性と名付けているものの特質には、どこか道ならぬ感じ、気まぐれな偶然が彼を王位に据えたまやかしものの僭主の感じがあった。この驢馬のような僭主は、おろかしい専制の、ありうべき復讐の結果をさえ予知しないのである。
 つづく一年を私はあいまいな楽天的な気持ですごした。通り一ぺんの法律の勉強、機械的な通学、機械的な帰宅、……私は何ものにも耳を貸さず、何ものも私に耳を傾けはしなかった。若い僧侶のような世故に長けた微笑を私は学んだ。自分が生きるとも死んでいるとも感じなかった。私は忘れているらしかった。あの天然自然の自殺――戦争による死――の希みがもはや絶たれてしまったことを。
 本当の苦しみというものは徐々にしか来ない。それはまるで肺結核に似ていて、自覚症状が起る時にはすでに病気が容易ならぬ段階に進んでいるのである。
「……女が力をもつのは、ただその恋人を罰し得る不幸の度合によってだけである」
 潔癖さというものは、欲望の命ずる一種のわがままだ。私の本来の欲望は、そういう正面切ったわがままをさえ許さぬほどの隠密な欲望だった。さりとてまた、私の仮想の欲望――つまり女に対する単純な抽象的な好奇心――は、およそわがままの余地もないほどの冷淡な自由を与えられていた。好奇心には道徳がないのである。もしかするとそれは人間のもちうるもっとも不徳な欲望かもしれない。
 いたましい秘密な練習を私ははじめた。裸婦の写真をじっと見つめて自分の欲望をためすこと。――わかり切ったことだが、私の欲望はうんともすんとも答えない。例によっての悪習に際して、まず何の幻影もうかべぬことから、次に女のもっともみだらな姿態を心にうかべることから自分を馴らそうと試みた。時あってそれは成功するように思われた。しかしこの成功には心の砕けるような白々しさがあった。
 ――私たちが近づくと、二人の女が憑かれたように立上った。立上ると天井に頭の届きそうな小さい家である。金歯と歯茎をむき出しにして笑いながら、のっぽの東北訛の女が私を三畳の小部屋へ誘拐した。
 義務観念が私に女を抱かせた。肩を抱いて接吻しかかると、厚い肩がぐらぐらと揺れて笑った。
「だめよォ。紅がついちまうわよォ。こうすんのよォ」
 娼婦が口紅にふちどられた金歯の大口をあけて逞ましい舌を棒のようにさし出した。私もまねて舌を突き出した。舌端が触れ合った。……余人にはわかるまい。無感覚というものが強烈な痛みに似ていることを。私は全身が強烈な痛みで、しかも全く感じられない痛みでしびれると感じた。私は枕に頭を落した。
 十分後に不可能が確定した。恥じが私の膝をわななかせた。

 友人が気づかなかったという仮定のもとに、それから数日、むしろ快癒のあの自堕落な感情に私は身を委ねた。不治の病の危惧になやんだ人が、その病名が確定して、却って味わう一時的な安堵に似たものである。彼はそのくせ安堵が一時的なものにすぎないことをよく知っている。しかも心はもっと逃げ場のない絶望的な、それだけに永続性のある安堵を待つのである。もっと逃げ場のない打撃を、言いかえればもっと逃げ場のない安堵を私も心待ちにしていたことになろう。
 以前の私なら、転瞬も忘れぬ例の演技で、他の青年と同じように、自分の欲望から身をそむける習慣を真似て、咄嗟にそこから目を外らしただろうと思われる。しかし私はあの日以来、以前の私とは変っていた。私はいささかの羞恥もなく、――つまり生来的な羞恥がないということについての羞恥がいささかもなく――、じっと物質を見るようにその白い腿を見詰めた。俄かに私に、凝視から来る収斂された苦しみが訪れた。苦しみはこう告げるのである。『お前は人間ではないのだ。お前は人交わりのならない身だ。お前は人間ならぬ何か奇妙に悲しい生物だ』

 折よく官吏登用試験の準備が迫り、私をできるかぎり無味乾燥な勉強のとりこにしてくれたので、身も心も苦しめる事柄からは自然に遠のいていることができた。しかしそれもはじめのうちだけである。例の一夜からの無力感が生活の隅々にはびこるにつれ、心は鬱して何も手につかない数日がつづいた。自分に対して何らかの可能の証しを立てる必要が日増しに濃くなるように思われる。それを立てなければ生きてゆけないように思われる。とはいえ、生れながらの背徳の手段はどこにも見当たらなかった。私の異常な欲望を、よしんばずっと穏当な形ででも、充たしてくれるような機会はこの国にはなかった。
 春が来て、私は平静な外見のかげに狂おしい苛立たしさを蓄えた。季節そのものが、砂まじりの烈風がそれを示すように、私に対して敵意を抱いているように感じられた。私を擦過してゆく自動車があると、心の中で声高にこう叱りつけるのであった。『何故僕を轢かないのだ』と。
 こうして思い出が突然私のなかに権力を取戻し、このクゥデタはあからさまな苦痛の形をとった。二年まえに私がきちんと片附けてしまった筈の「些細な」思い出が、まるで成長してあらわれた隠し児のように、私の眼前に異常に大きなものに育ってよみがえった。それはその時々に私が仮構した「甘さ」の調子でもなく、また後になって私が整理の便法として用いた事務的な調子でもなく、思い出の隅々までが、一つの、明瞭な、苦しみの調子に貫ぬかれていた。それが悔恨であったとしたら、多くの先人が耐える道すじを発見してくれている。しかしこの苦しみは悔恨ですらなく、何か異常に明晰な、いわば窓から街路を区切っている烈しい夏の日ざしを見下ろしていることを強いられでもしたような苦痛なのである。
 ある梅雨曇りの午後、日頃馴染みのうすい麻布の町を所用のついでに散歩していると、うしろから私の名が呼ばれた。園子である。ふりむいたところに彼女を見出だした私は、電車のなかでほかの女を見まちがえた時ほどには愕かなかった。この偶然の出会はいたって自然なもので、私はすべてを予知していたように感じた。この瞬間をずっと以前から知悉していたように感じたのである。
 別れてから、私は今まで気づかずにいた重大なことに気づくのだった。今日の彼女は私を恕しているように見えたのだ。何故私を恕すのであろう。この寛大さにまさる侮辱があるかしら。しかしもしもう一度はっきりと彼女の侮辱にぶつかれば、私の苦痛も癒えるかもしれないのである。
 何も知らない草野がそう答えた。私はあらゆる記憶を苦痛を以て一つ一つ心に呼び返した。あの時の婉曲な拒絶についてその後一言もふれない草野の善意が重たく感じられた。私は園子があの時いささかでも苦しんだという証拠を得たく、私の不幸の何らかの対応物をみとめたかった。しかし「時」がふたたび草野や私や園子の間に雑草のように生い茂り、何らかの意地、何らかの見栄、何らかの遠慮をとおさない感情の表白は、禁ぜられてしまったのである。
 ピアノが止んだ。連れて来ようかと草野が気をきかせて言った。やがて兄と一緒に園子がこの部屋へ入って来た。三人は園子の良人がつとめている外務省の知人たちの噂話をして意味もなく笑った。草野が母に呼ばれて立ったので、二年前のある日のように園子と私は二人きりになった。
 彼女は良人の尽力で草野家が接収わ免れた自慢話を子供らしく私にきかせた。少女時代から彼女の自慢話が私は好きだった。謙遜すぎる女は高慢な女と同様に魅力のないものであるが、園子はおっとりした程のよい自慢話に、無邪気な好もしい女らしさを漂わせた。
「あのね」と彼女がしずかに言葉をついだ。「うかがおううかがおうと思っていて今までうかがえなかったことがあるの。どうして私たち結婚できなかったのかしら。あたくし兄に御返事をいただいた時から、世の中のことがわからなくなってしまったの。毎日考えて考えて暮らしたの。それでもわからなかったの。今でも、あたくし、どうしてあなたと結婚できなかったのか、わからなくてよ。……」――怒っているように、すこし紅みのさした頬を私のほうへ向けて、彼女は顔をそむけながら朗読するように言った。「……、あたくしをおきらいだったの?」
 聞きようによっては事務的な査問の調子にすぎないこの単刀直入な問いかけに、私の心は一種劇烈ないたましい喜びを以て応えた。しかしたちまち、この不埒な喜びは苦痛に転身した。それは実に微妙な苦痛であった。本来の苦痛のほかに、二年前の「些細」な出来事のむし返しにこうも心が痛むことで自尊心が傷つけられているという苦痛もあった。私は彼女の前に自由でありたいのだった。しかし依然としてそうある資格はないのである。
「君は世の中のことをまだちっとも知らないんだ。君のいいところもその世間知らずにあるんだ。でもね、世の中というものは、好きな同志がいつでも結婚できるようにはできていないんだ。僕が君の兄貴への手紙にも書いたとおりさ。それに……」――私は自分が女々しいことを言い出そうとしているのを感じた。黙りたかった。しかし止めることはできなかった。「……それに、僕はあの手紙のなかで、どこにもはっきり結婚できないなんて書きはしなかった。まだ二十一だし、学生だし、あまり急なことだったからだ。そうして僕が愚図々々しているうちに、君はあんな早く結婚してしまったんだもの」
「それはあたくしだって、後悔する権利なんかありはしないわ。主人はあたくしを愛してくれるし、あたくしも主人を愛しているのですもの。あたくしは本当に幸福で、これ以上希うことなんかないのですもの。でも、悪い考えかしら、ときどき、……こう、何と言ったらいいのかしら、別のあたくしが別の生き方をしようとしているのを想像してみることがあるのよ。そうすると、あたくしはわからなくなるの。あたくしは言ってはいけないことを言おうとしているような気がするの。考えてはいけないことを考えそうな気がしてこわくてたまらなくなるのよ。そういう時に主人がとてもたよりになるわ。主人はあたくしを子供のように可愛がってくれるわ」
「己惚れみたいだけど、言おうか。そういうとき、君は僕を憎んでいるんだ。ひどく憎んでいるんだ」
 ――園子には「憎む」という意味さえわからなかった。やさしく生真面目にすねてみせた。「御好きなように御想像あそばせ」
「もう一度二人きりで会えない?」――私は何かに急かれるように哀願した。「ちっとも疾ましいことじゃない。ただ顔を見さえすれば気がすむんだ。僕にはもう何も言う資格はない。黙っていたっていいんだ。たった三十分でもいいんだ」
「会ってどうなさるの。一度お目にかかればもう一度と仰言りはしなくって。主人の家は姑がやかましくて、いちいち出先から時間までしらべることよ。そんな窮屈な思いをしてお目にかかっていて、もしかして……」――彼女は言い淀んだ。「……人間の心って、どんな風に動いてゆくか誰も言えないわ」
「そりゃあ、誰も言えない。しかし君は勿体ぶり屋さんだね、あいかわらず。物事をどうしてもっと朗らかに、何でもなく考えられないの?」――私はひどい嘘を言っている。
「男の方はそれでいいんだわ。でも結婚した女はそうも行かないのよ。あなた奥さまをおもちになればきっとおわかりになるわ。あたくし、どんなない物事を大事をとって考えても考えすぎないと思っていることよ」
「まるでお姉さんみたいなお説教をするんですね」
 ――草野が入って来て、話が中断された。

 こうした対話のあいだにも、私の心にむらがる狐疑は限りがなかった。私が園子に逢いたいという心持は神かけて本当である。しかしそれに些かの肉の欲望のないことも明らかである。逢いたいという欲求はどういう類いの欲求なのであろう。肉慾のないことがもはや明らかなこの情熱は、おのれをあざむくものではあるまいか? よしそれが本当の情熱だとしても、たやすく抑えうるような弱い焔をこれ見よがしに掻き立てているにすぎぬのではないか? そもそも肉の慾望にまったく根ざさぬ恋などというものがありえようか? それは明々白々な背理ではなかろうか?
 しかしまた思うのである。人間の情熱があらゆる背理の上に立つ力をもつとすれば、情熱それ自身の背理の上にだって、立つ力がないとは言い切れまい、と。

             ⁂

 あの決定的な一夜このかた、私は巧みに女を避けて暮らした。あの一夜以来、まことの肉慾をそそるEphebeの唇はおろか、一人の女の唇にも触れずに来た。よし接吻せぬことが却って非礼に当るような局面に出会っても。――そして春にもまして、夏の訪れが私の孤独をおびやかした。真夏は私の肉慾の奔馬に鞭をあてるのである。私の肉を灼きつくし、苛なむのである。身を保つためには、時あって一日五回の悪習が必要であった。
 倒錯現象を全く単なる生物学的現象として説明するヒルシュフェルトの学説は私の蒙をひらいた。あの決定的な一夜も当然の帰結であり、何ら恥ずべき帰結ではなかったのである。想像裡でのEphebeへの嗜欲は、かつて一度もpedicatioへは向わずに、研究家がほぼ同程度の普遍性を証明している或る種の形式に固定した。独乙人の間では私のような衝動は珍しからぬこととされている。プラァテン伯の日記はもっとも顕示的な一例であろう。ヴィンケルマンもそうであった。文芸復興期の伊太利では、ミケランジェロが明らかに私と同系列の衝動の持主であったのである。
 しかしこうした科学的な了解で私の心の生活が片附いたわけではなかった。倒錯が現実のものとなりにくいのも、私の場合はただそれが肉の衝動、いたずらに叫び・徒らに喘ぐ暗い衝動にとどまっていたせいだった。私は好もしいEphebeからも、ただ肉慾をそそられるに止まった。皮相な言い方をするならば、霊はなお園子の所有に属していた。私は霊肉相剋という中世風な図式を簡単に信じるわけにはゆかないが、説明の便宜のためにこう言うのである。私にあってはこの二つのものの分裂は単純で直截だった。園子は私の正常さへの愛、霊的なものへの愛、永遠なものへの愛の化身のように思われた。
 しかしまた、それだけでも問題は片附かない。感情は固定した秩序を好まない。それは灝気≪エーテル≫の中の微粒子のように、自在にとびめぐり、浮動し、おののいていることのほうを好むのである。

 ……一年たって私たちは目ざめるのであった。私は官吏登用試験に合格し、大学を卒業し、ある官庁に事務官として奉職していた。この一年、私たちは、あるときは偶然のようにして、あるときは大して重要でもない用件にかこつけて、二三ヶ月おきに、それも昼の一、二時間、何事もなく逢い何事もなく別れるような機会をいくつか持った。それだけであった。私は誰に見られても恥ずかしくなく振舞った。園子もわずかな思い出話と、今のお互いの環境を遠慮がちに揶揄する話題以外には踏み出さなかった。関係とはむろんのこと、間柄と呼ぶさえどうかと思われる程度の交際である。逢っているときも私たちはその時々の別れぎわをきれいにすることしか考えていなかった。
 私はそれで以て満足していた。のみならずこうした途絶えがちな間柄の神秘な豊かさを何ものかにむかって感謝していた。園子のことを考えない日はなかったし、逢うたびごとに静かな幸福を享けた。逢瀬の微妙な緊張と清潔な均整とが生活のすみずみにまで及び、いたって脆いがしかしきわめて透明な秩序を生活にもたらすように思われた。
 しかし一年たって私たちは目ざめたのである。私たちは子供部屋にいるのではなく、すでに大人の部屋の住人であり、そこでは中途半端にしか開かないドアはすぐさま修繕されなければならない。いつも一定度以上ひらかないドアのような私たちの間柄は、早晩修理を要するものなのである。そればかりか大人は子供のようには単調な遊びに耐えられない。私たちが閲した何回かの逢瀬は、重ねてみるとぴったり合うカルタの札のように、どれもおなじ大きさとおなじ厚さとの、判で押したようなものにすぎなかった。
 こうした関係にあって、私はしかも、私にしかわからない不徳のよろこびをも抜け目なく味わっていた。それは世の常の不徳よりも一段と微妙な不徳で、精妙な毒のように清潔な悪徳なのである。私の本質、私の第一義が不徳である結果、道徳的な行い、やましからぬ男女の交際、その公明正大な手続、徳操高い人間と見做されること、却ってこれらのことが背徳の秘められた味わい、まことの悪魔的な味わいで私に媚びるのである。
 私たちはお互いに手をさしのべて何ものかを支えていたが、その何ものかは、在ると信じれば在り、無いと信じれば失われるような、一種の気体に似た物質であった。これを支える作業は一見素朴で、実は巧緻を要する計算の結着である。私は人工的な「正常さ」をその空間に出現させ、ほとんど架空の「愛」を瞬間瞬間に支えようとする危険な作業に園子を誘ったのである。彼女は知らずしてこの陰謀に手を貸しているようにみえた。知らなかったので、彼女の助力は有効だったということができよう。が、時が来て園子はおぼろげに、この名伏しがたい危険、世の常の粗雑な危険とは似ても似つかぬ或る正確な密度ある危険の抜きがたい力を感じるのであった。
 晩夏の一日、高原の避暑地からかえった園子と、私は「金の雞」というレストランで逢った。逢うとすぐ、私は役所をやめたいきさつを話した。
「どうなさるの、これから」
「成行まかせだよ」
「まあ呆れた」
 彼女はそれ以上は立入らなかった。私たちの間にはこの種の作法が出来上っていた。
 高原の陽に灼けて、園子の肌は、胸のあたりの眩ゆい白さを失っている。指環の巨きすぎる真珠が暑さのために物憂げに曇っている。彼女の高い声の調子にはもともと哀切さと倦さとの入りまじった音楽があるのだが、それがこの季節に大そう似つかわしくきこえた。
 私たちはしばらく、またしても無意味な、徒らに堂々めぐりの、不真面目な会話をつづけていた。暑さのせいであろうか、それが時として大そう空まわりな会話に感じられる。他人の会話をきいているよな心地がする。眠りのさめぎわに、たのしい夢からさめまいとして、また寝入ろうとする苛立たしい努力が、かえって夢をよびかえすことを不可能にしてしまうあの気持。あの白々しく切り込んで来る覚醒の不安、あの醒めぎわの夢の虚しい悦楽、それらが私たちの心を何か悪質の病菌のように蝕ばんでいるさまを私は見出だした。病気は、諜し合わされたように、ほとんど同時に私たちの心に来たのであった。それが反動的に私たちを陽気にした。おたがいに相手の言葉に追いかけられるようにして、私たちは冗談を言い合った。
 園子はエレガンな高い髪型の下に、日焦けが幾分その謐けさを擾しているにしても、稚ない眉とやさしく潤んだ目とこころもち重たそうな唇とをいつものように静かに湛えていた。卓の傍らをレストランの女客が彼女を気にしながら通る。給仕が大きな白鳥の氷の背に氷菓をのせた銀の盆を捧げてゆききしている。彼女は指環のきらめく指でプラスティックのハンドバッグの留金をそっと鳴らした。
「もう退屈したの?」
「そんなこと仰言っちゃ、いや」
 何かふしぎな倦怠が彼女の声の調子にこもってきこえる。それは「艶やかな」と謂っても大差のないものである。窓外の夏の街並へ視線が移された。ゆっくりとこう言った。
「ときどきあたくしわからなくなることよ。こうしてお目にかかっているの何のためかしら。それでいてまた、お目にかかってしまうのだわ」
「少くとも意味のないマイナスではないでしょう。意味のないプラスにはちがいないにしても」
「あたくしには主人というものがあるわ。たとえ意味がないプラスでも、プラスの余地はないわけだわ」
「窮屈な数学ですね」
 ――園子がようやく疑惑の門口へ来ていることを私はさとった。半分しか開かないドアはそのままにしてはおけないことを感じはじめたのである。ともすると今ではこう謂った几帳面な敏感さが、私と園子との間に在る共感の大きな部分を占めているのかもしれなかった。何もかもそのままにしておける年齢には、私もまだ程遠いのである。
 それにしても名伏しがたい私の不安が園子にいつのまにか伝染っており、しかもこの不安の気配だけが私たちの唯一の共有物であるかもしれない事態を、突然明証が私の目につきつけそうに思われる。園子はまたこう言った。私は聞くまいとした。しかし私の口が軽佻な受けこたえをするのである。
「今のままで行ったらどうなるとお思いになる? 何かぬきさしならないところへ追いこまれるとお思いにならない?」
「僕は君を尊敬しているんだし、誰に対しても疾ましくないと思っているよ。友達同志が逢ってどうしていけないの?」
「今まではそうだったわ。それは仰言るとおりだことよ。あなたは御立派だったと思っていてよ。でも先のことはわからないわ。何一つ恥かしいことをしていないのに、あたくしどうかすると怖い夢を見るの。そんな時、あたくし神さまが未来の罪を罰していらっしゃるような気がするの」
 この「未来」という言葉の確実な響きが私を戦慄させた。
「こうやっていれば、いつかお互いに苦しむようなことになると思うの。苦しくなってからでは手遅れではなくて? だってあたくしたちのしていること、火遊びみたいなものではなくて?」
「火遊びってどんなことをするんだと思っているの?」
「それはいろいろあると思うわ」
「こんなの火遊びのうちに入るもんですか。水遊びみたいなもんだ」
 彼女は笑わなかった。ときどき話の合間に唇がきつくたわむほどに引締められた。
「あたくしこのごろ自分のことを怖ろしい女だと思いはじめたの。精神的には穢れてしまった悪い女としか自分を思えないの。主人のほかの人のことは夢にも思わないようにしなければいけないわ。この秋に、あたくし、受洗する決心をしたことよ」
 私は園子が半ば自己陶酔で言っているこうしたものぐさな告白のなかに、却って彼女が女らしい心の逆説を辿って、言うべからざることを言おうとしている無意識の欲求を忖度した。それを喜ぶ権利も、悲しむ資格も私にはない。そもそも彼女の良人に些かの嫉妬も感じていない私が、この資格なり権利なりを、どう動かし、どう否定し、またどう肯定することができよう。私は黙っていた。夏のさかりに、自分の白い弱々しい手を見ることが私を絶望させた。
「今はどうなの?」
「今?」
 彼女は目を伏せた。
「今は誰のことを考えているの?」
「……それは主人だわ」
「では受洗の必要はないんだね」
「あるの。……あたくし怖いのよ。あたくしまだひどく揺れているような気がするの」
「それでは今はどうなの?」
「今?」
 誰へ向ってともなく訊ねるように、園子は生真面目な視線をあげた。この瞳の美しさは稀有のものである。泉のように感情の流露をいつも歌っている深い瞬かない宿命的な瞳である。この瞳に向うと私はいつも言葉を失くした。吸いさしの煙草を、遠い灰皿へいきない押しつけた。と、かぼそい花瓶が顚倒して卓を水びたしにした。
 給仕が来て水の始末をする。水に皺畳んだ卓布が拭われているさまを見ることは、私たちをみじめな気持にした。それがすこし早目に店を出る機会になった。夏の街が苛立たしく雑沓している。胸を張って健康な恋人同志が腕もあらわに行き過ぎる。私はあらゆるものからの侮蔑を感じた。侮蔑は夏のはげしい日差のように私を灼くのである。
 あと三十分で私たちの別れの時刻が来るのだった。それが正確に別れの辛さからだとは言いにくいが、一種情熱に見まがう暗い神経的な焦燥が、その三十分間を油絵具のような濃厚な塗料で塗りつぶしたい気持にさせた。調子の狂ったルムバを拡声器が街路に撒きちらしている踊り場の前で私は立止った。昔呼んだ或る詩句をふと思い泛べたからである。

  ……然しそれにしてもそれは
  終りのないダンスだった。

 その余は忘れた。たしかアンドレ・サルモンの詩句である。園子はうなずいて、三十分のダンスのために、行き馴れぬ踊り場へ私に従った。
 のこる一人に私の視線が吸い寄せられた。二十二三の、粗野な、しかし浅黒い整った顔立ちの若者であった。彼は半裸の姿で、汗に濡れて薄鼠いろをした晒の腹巻を腹に巻き直していた。たえず仲間の話に加わりその笑いに加わりながら、彼はわざとのように、のろのろとそれを巻いた。露わな胸は充実した引締った筋肉の隆起を示して、深い立体的な筋肉の溝が胸の中央から腹のほうへ下りていた。脇腹には太い縄目のような肉の連鎖が左右から窄まりわだかまっていた。その滑らかで熱い質量のある胴体≪トルソオ≫は、うす汚れた晒の腹巻でひしひしときびしく締められながら巻かれていた。日に灼けた半裸の肩は油を塗ったように輝いていた。腋窩のくびれからはみだした黒い叢が、日差をうけて金いろに縮れて光った。
 これを見たとき、わけてもその引締った腕にある牡丹の刺青を見たときに、私は情慾に襲われた。熱烈な注視が、この粗野で野蛮な、しかし比いまれな美しい肉体に定着した。彼は太陽の下で笑っていた。のけぞる時に太い隆起した咽喉元がみえた。あやしい動悸が私の胸底を走った。もう彼の姿から目を離すことはできなかった。
 私は園子の存在を忘れていた。私は一つのことしか考えていなかった。彼が真夏の街へあの半裸のまま出て行って与太仲間と戦うことを。鋭利な匕首があの腹巻をとおして彼の胴体に突き刺さることを。あの汚れた腹巻が血潮で美しく彩られることを。……
「あと五分だわ」
 園子の高い哀切な声が私の耳を貫ぬいた。私は園子のほうへふしぎそうに振向いた。この瞬間、私のなかで何かが残酷な力で二つに引裂かれた。雷が落ちて生木が引裂かれるように。私が今まで精魂こめて積み重ねて来た建築物がいたましく崩れ落ちる音を私は聴いた。私という存在が何か一種のおそろしい「不在」に入れかわる刹那を見たような気がした。目をつぶって、私は咄嗟の間に、凍りつくような義務観念にとりすがった。
「もう五分か。こんなところへつれて来て悪かったね。怒っていない? あんな下劣な連中の下劣な恰好を、君みたいな人は見てはいけないんだ。ここの踊り場は仁義の切り方がわるかったので、断っても断ってもああいう連中が只で踊りに来るようになったという話だよ」
 しかし見ていたのは私だけであった。彼女は見ていはしなかった。彼女は見てはならないものは見ないように躾けられていた。見るともなしに、踊りを眺めている汗ばんだ背中の行列をじっと眺めやっていただけである。
 とはいえこの場の空気が、しらずしらずのうちに園子の心にも或る種の化学変化を起させたとみえて、やがてそのつつましい口もとには、何か言い出そうとすることを予め微笑で試していると謂った風の、いわば微笑の兆のようなものが漂った。
「おかしなことをうかがうけれど、あなたはもうでしょう。もうもちろんあのことは御存知の方でしょう」
 私は力尽きていた。しかもなお心の発条≪バネ≫のようなものが残っていて、それが間髪を容れず、尤もらしい答を私に言わせた。
「うん、……知っていますね。残念ながら」
「いつごろ」
「去年の春」
「どなたと?」
 ――この優雅な質問に私は愕かされた。彼女は自分が名前を知っている女としか、私を結びつけて考えることを知らないのである。
「名前は云えない」
「どなた?」
「きかないで」
 あまり露骨な哀訴の調子が言外にきかれたものか、彼女は一瞬おどろいたように黙った。顔から血の気の引いてゆくのを気取られぬように、あらん限りの努力を私は払っていた。別れの時刻が待たれた。時間を卑俗なブルースがこねまわしていた。私たちは拡声器から来る感傷的な歌声のなかで身動ぎもしなかった。
 私と園子はほとんど同時に腕時計を見た。
 ――時刻だった。私は立上るとき、もう一度日向の椅子のほうをぬすみ見た。一段は踊りに行ったとみえ、空っぽの椅子が照りつく日差のなかに置かれ、卓の上にこぼれている何かの飲物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた。
         ―一九四九、四、二七―

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