ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』: 第一次世界大戦と『論理哲学論考』

1914年8月21日
少尉と僕は、折に触れて、あらゆる可能な事態について話し合った――非常に感じのよい人間である。彼は、自分自身をなんら損なうことなしに、図体の大きなごろつきどもと付き合い、友好的に振る舞うことができる。中国人が話すのを聞くとき、われわれは彼の話を分節されていないガラガラ声とみなしてしまいがちだ。中国語を解する者は、そこに言語を認識する。そういったように、僕はしばしば人間の中に人間を認識すること等々ができない。少しだけ、しかし成果なく仕事をした。

1914年8月29日
毎夜、午前三時半頃まで、僕は〔ゴプラナ号の〕プリッジに立つ。完全に受動的になるという決心を、僕はまだきちんと実行していない。戦友たちの下劣さは、僕にとっては依然としてぞっとするほど酷い。しかし、ただ自分自身のもとにあり続けること! 毎日いくらか仕事をしているか、まだきちんとした成果はない。いくつかのことは既に形をとりはじめているが。
1914年9月12日
〔戦況に関する〕知らせはますます悪くなる。今晩は、緊急紀備になるだろう。僕は毎日、多少なりとも仕事をしていて、かなり確信を持っている。僕は心の中で何度も、自分に向ってトルストイの言葉を繰り返し言い聞かせている。「人間は肉において無力だが、霊を通して自由だ」。どうか、僕の中に霊がありますように! 午後、少尉が近辺で砲声を聞いた。僕は非常に昂奮した。恐らくわれわれは非常呼集をかけられるだろう。銃撃戦になったら僕はどのように振る舞うのだろうか? 僕は、自分が射殺されることを恐れはしないが、自らの義務をきちんと果たすことができないことを恐れる。神が僕に力を与えてくれますように! アーメン。アーメン。アーメン。
1914年10月7日
夜通し、 ロシアに向かって航行した。ほとんど眠らずに、探照灯での任務等々。われわれはまもなく前線にでるはずだ。霊は僕とともに。シュチュチンにいる。ロシア軍はまだ〔ここから〕八〇キロメートル離れたところにいると聞いているが、この近くで既に何かが起こっている兆候がある。われわれは今、ヴィスウオカ川〔とヴィスワ川と〕の合流地点にいる(晩)。凍てつくほど寒く感じられる――内側から。僕はあるはっきりとした感情を抱いている。すなわち、ごたごたが始まる前に思う存分眠ることができたなら。――――! 体調はいくらかまし。少ししか仕事をしなかった。僕は、単に自分の義務だからというだけの理由で自らの義務をこなしてしまい、人間としての僕の全てを霊的な生のために残しておきたいのだが、そのやり方がわからない。僕は一時間のうちに死ぬかもしれない、二時間のうちに死ぬかもしれない、一か月のうちに死ぬかもしれない、あるいは数年たってようやく〔死ぬかもしれない〕。僕はそれを知ることができないし、そのために、あるいはそれに抗して何かできるわけでもない。この生はそんなものだ。それでは、僕は一つひとつの瞬間存続してゆくために、どのように生きなければいけないのだろうか? 生が自ら終わる時まで、善きものと美しきものの中でいきること〔こそ大切だ〕。
1914年10月8日
さらにサンドミエシに向かって航行している。夜は穏やかだった。僕は非常に疲れていてぐっすり眠った。今は、タルノブジェクにおり、一時間半後にサンドミエシに向かって出航する。疲れていて寒い時には、残念ながら、僕はありのままの生に耐える気力をすぐに失ってしまう。しかし、僕はそれを失わないように努めている。肉体的に調子のよい時間というのは恩寵である。
1914年10月11日
穏やかな夜。―――トルストイの『要約福音書』をお守りのように常に携帯している。僕は再び、われわれの指揮官と別の艦の指揮官との会話を盜み聞きした。今日は、われわれはここナドブジェジェにとどまり、恐らく明日になってから下ってゆくことになる。たった今僕は、アントウェルペンが陥落したという知らせを聞き取った! そして、どこかしらで、われわれの軍勢が大きな戦闘に勝利した、と。今僕が、考えたり書いたりすることができるということによって享受している恩寵は、筆舌に尽くしがたい。僕は、外的な生の諸困難に対する無関心を手に入れなければならない。今夜、部隊と物資を陸揚げするために、ザヴィホストに向けて航行しなければならない。〔つまり〕われわれは、ロシアの陣地のすぐそばを通過しなければならない。神は僕とともに。―――。
1914年11月4日
穏やかな夜。朝、さらに〔クラクフへ向けて航行する〕。非常にたくさん仕事をした。明日には、われわれはクラクフにいるだろう。クラクフが攻囲されることを予期しておかなければならないと聞く。その時には、霊を保持しておくために、僕にはたくさんの力が必要になるだろう。―――。外的な世界には依存するな。そうすれば、外的な世界の中で起こることを恐れる必要はなくなる。今夜、歩哨任務。事物から独立していることのほうが、〔他の〕人間たちから独立していることよりも容易だ。しかし、そうしたこともまた、できなければならない! ―――。
1914年11月12日
ただ、自分自身だけは失わないこと!!! 集中せよ〔自分自身を集めよ〕! そして時間つぶしのために仕事をするのではなく、生きるために、敬虔に仕事をせよ! 誰に対しても不正を為すな! ―――攻囲が六、七か月に及ぶかもしれないと話題になっている! 全ての商店は閉まっており、ごく短い時間だけしか開いていない。事態が容易ならないものになればなるほど、下士官たちはますます粗野になる。というのも、今や士官たちがすっかり取り乱していて、もはや正常に〔状況を〕コントロールできなくなっているから、下士官たちは彼らの全ての低俗さを、今は罰せられることなくぶちまけることができると感じているのだ。ここで聞かれるあらゆる言葉は、粗暴だ。というのも、まともであることは、もういかなる仕方でも報われないので、人々の方でも、彼らがなお所持しているわずかなまともささえ放棄してしまうのだ。全てがひどく悲しい。午後市街に。相当たくさん仕事をしたが、本当に明瞭な見通しはない! 僕はまだ仕事を続けることができるのだろうか? (!)幕はもう下りてしまったのか?? そもそも〔クラクフ〕攻囲のただ中で、ある一つの〔学問的〕問題に没頭しているということ自体、奇妙というべきなのかもしれない。―――。―――!
1914年11月14日
夜、歩哨の間ほとんどすべての時間、僕の生が少しでも耐えうるものとなるように、生のためのいくつかの規則を考えていた。底なしに憂鬱だ。つまり、少なくとも人生の喜びのようなものが僕には欠けている。僕が聞く一つひとつのやかましい言葉が僕を痛めつける。いかなる理由もなく!! ――― 今夜もまた歩哨の持ち場で仕事をした。―――
むしろ僕は、自分の船室に安んじて座すことができ、いくらかでも集中する〔自分自身を拾い集める〕機会を持つということを、恩寵と見なさなければならない。―――ほんのわずかしか仕事をしなかった。昼のあいだずっと、非常に疲れていた。残念なことに最近このようなことが多い! 午後には、ひどい憂鬱は過ぎた。しかし、仕事をするには疲れすぎていた。夜は、いつもと同じように過ぎた。―――!
1914年11月26日
一つの問題で行き詰っていると感じるときは、それについてさらに熟考してはならない。さもないと、その間題にずっととらわれたままになる。むしろ、どこかしら快適に座っていられる場所から、〔新たに〕考え始めなければならない。無理強いだけはいけない! 堅固な難問も、全てわれわれの前でおのずから解決するはずだ。
1914年12月8日
午前中、僕の足のことで「医務室回診」へ。肉離れだった。あまりたくさん仕事をしなかった。ニーチェ〔選集〕の第八巻を買い、読んだ。彼のキリスト教に対する敵意に強く心を動かされる。というのも、彼の書にも何らかの真理が含まれているからだ。確かに、キリスト教は幸福へと至るただ一つの確実な道だ。しかし、もしある者がこのような幸福をはねつけたとしたらどうか?! 外的な世界に対する望みのない戦いの中で不幸にも破滅するほうが勝るということはありえないのだろうか? しかし、そのような生は無意味た。しかし、意味のない生を送ったってよいではないか? それは、〔生きるに〕値しないのだろうか? それは、厳密に独我論的な立場とどのように折り合うのだろうか? しかしそれにしても、僕自身の生が自分から失われないようにするために、僕は何をしなければならないのか? 僕は常に自分自身の生を――ということは常に霊を――自覚していなければならない。――。
1914年12月10日
昨日の午後、僕の新しい上司〔中尉〕の事務所へ行った。彼を長い時間待たなければならなかった。彼はようやく来ると、すぐに僕に仕事を命じた。僕は兵営内の自動車のリストを作成することになった。加えて彼は、夜八時に彼の住居に来るよう僕を招待した。ある大尉も来ることになっている。中尉が僕のことを話したら、大尉が僕に会いたがったのだ。中尉のところへ行ったら、四名の士官もそこにおり、僕は彼らとタ食を共にした。大尉は、限りなく感じの良い男だ (他のものも皆、真に愛すべき人々だ)。われわれは一〇時半まで話し、尋常でないほど心をこめて別れた。―――今朝、住居を探し、見つけた。一〇時からタ方五時まで事務所。そのあと、僕の荷物を艦からここの新しい住居に運んだ。とても感じの良い、小さくもない部屋だ。四か月ぶりに、初めて一人で本当の部屋にいる!! 僕はこの贅沢を味わう。仕事には取り掛かれなかった。しかし、今に何とかなるだろう。僕は非常にたくさんあちこち駆けずり回ったせいで、とても疲れた。再びベッドで眠ることができるというのは、なんという恩寵だろうか! なんという、事実として与えられた恩寵だろうか。――――。――――。
1915年1月13日
いくらか仕事をした。まだ、大きな意欲をもって仕事をしているわけではない。僕の思考は疲れている。僕は、事柄を鮮明には見ておらず、生命を欠いたものとして平凡に眺めている。あたかも、炎が消えてしまったかのようであり、僕は、それが再びおのずから燃え始めるまで待たなければならない。しかし、僕の霊は活発だ。僕は考える……。
――。
1915年1月19日
非常に少ししか事をしなかった。この点では、〔僕は〕完全に死んでいる。自分自身を無理強いして、なにかをさせるようなことだけはしないこと!!! 僕はディヴィドからの便りをいつ受け取るのだろう?! ―――。
1915年1月25日
ケインズからの手紙! あまりうれしいものではない。ここ数日は非常に官能的〔になっている〕。―――仕事をしたが成果はない。自分の仕事がこれからどうなってゆくのか、全く見えない。ただ奇跡によってのみ、僕の仕事は成功しうる。ただ奇跡によって、つまり、僕の外部から、僕の目の覆いが取り除かれることによって。僕は自らを、自分の運命の中へ完全に従わせなければならない。〔事態は、〕運命が僕に定めるようになっていくことだろう。僕は、運命の手の中で生きる。(委縮してはいけない)そうすれば〔自らの運命に従えば〕、僕が委縮するようなことはありえない。―――。
1915年2月3日
仕事をしなかった。なにも思いつかない。これから、鍛冶作業場の監督〔任務〕を、引き継がなくてはならない。どうなるのだろうか? どうか、霊が僕についていてくれますように! 非常に困ったことになるだろう。しかし、気力さえあれば! ―――。―――。
1915年2月10日
仕事をしなかった。フィッカーから親切な手紙。リルケからの贈りもの。また仕事をすることさえできたなら!!! 他の全てのことはうまくいくだろうに。いつになったら、僕はまたなにか思いつくのだろうか??! そうした全てのことは神の手の中にある。ただ願い、希望を持て! そうすれば汝〔ウイトゲンシタイン自身〕はいかなる時も無駄にはしない。――― ―――。
1915年2月20日
臆病な考えからくる、怯えた動揺、不安な物怖じ、女々しい嘆き、これらは惨めな状況を好転させないし、汝を自由にすることもない! 仕事をしなかった。たくさん考えた。
―――――――――――――――。
1916年3月30日
汝〔ウィトゲンシュタイン自身〕、汝の最善を為せ! それ以上のことを汝は為すことができない。そして、晴れやかであれ。自分自身に満足せよ。というのも、他の人々は汝を支援することはないだろうし、〔もし支援したとしても〕短い時間だけであろうから! (その〔短い時間の〕後では、汝はこれらの人々にとって厄介者となるだろう)。汝自身を助け、汝の全力をもって他の人々を助けよ。そして、その際には晴れやかであれ! しかし、どれだけの力が自分自身のために、そして他の人々のために必要になるだろうか? 善く生きるということは困難だ!! しかし、善き生というものは美しい。しかし、私ではなく、汝〔神〕の意志が行なわれますように。
1916年4月27日
兵員はわずかの例外をのぞいて、志願兵である僕を憎んでいる。そのため、今僕は、僕を憎む人々によってほぼつねに取り囲まれている。このことが、僕がまだ折り合いをつけることができない唯一の事柄だ。しかし、ここにいるのは邪悪な、心ない人間たちだ。彼らの中に人間性の痕跡を見出すことは、僕にはほとんど不可能だ。僕が生きることを、神が助けますように。今晩、非常呼集がありそうだという予感がした。そして本当に、今晩、緊急配備になる。神が僕とともにいますように! アーメン。
1916年5月4日
恐らく明日、僕自身の願いにより、偵察隊に参加することになる。そうなれば、僕にとって初めて戦争が始まる。そして――恐らくは――生もまた〔始まる〕! けだし、死の近さが僕に生の光をもたらす。どうか、神が僕を照らしてくれますように! 僕は虫けらだ。しかし、神を通して僕は人間になる。神が僕のそばにいますように。アーメン。
1916年5月6日
常に生命の危機のうちにある。夜は神の恩寵によって無事に過ぎ去った。時おり僕は弱気になる。これは生についての間違った理解に対する試練だ! 〔他の〕人間たちを理解せよ! 汝〔ウイトゲンシュタイン自身〕が彼らを憎もうと思うときにはいつでも、憎むかわりに彼らを理解するように努めよ。内的な平和のうちに生きよ! しかし、汝はいかにして内的な平和にたどり着くのか? ただ、自分が神の意志に適って生きることによってのみ〔内的平和に到達できる〕ただそうすることによってのみ、生を耐えることが可能になる。
1916年5月7日
夜は穏やかに過ぎ去った。神に感謝あれ。自分だけが惨めだ。
1919年5月8日
穏やかな夜。神は僕とともに! 僕が共にいる人々は、低俗であるというよりは、途方もなく狭量なのだ。このことは、彼らと交際するのをほとんど不可能にする。というのも、彼らは永遠に誤解し続けるのだから。人々は愚かではないのだが、狭量だ。彼らは、彼らの集団の中では十分に賢しい。しかし、彼らには徳性が欠けており、それとともに広がりも欠けている。「正しく信じる心は全てを理解する」。今は仕事ができない。
1916年5月16日
〔配置換えの結果〕第三の配置〔につく〕。これまでと同様、多くの苦難〔がある〕。しかしまた、大きな恩寵〔もある〕。僕はこれまでと同様、弱っている! 仕事をすることができない。今日は、銃火の中で眠る。恐らく死ぬのだろう。神が僕とともにいますように! 永遠に。アーメン。僕は弱い人間だ。しかし、神が僕を今に至るまで保ってきた。神が永遠に讚えられますように。アーメン。僕は、自分の魂を主に委ねる。
1916年5月29日
神は僕とともに。

1916年7月6日
先月は、大変な辛苦があった。僕はあらゆる可能な事態についてたくさん考えた。しかし、奇妙なことに、自分の数学的な思考過程と繋がりをつけることができない。

1916年7月7日
しかし、繋がりはつけられるだろう! 言われえないことは、言われえないのだ!
1916年7月9日
〔他の〕人間たちに腹を立てるな。〔確かに〕人間どもは陰湿な卑劣漢だ。しかし、汝〔ウィトゲンシュタイン自身〕は彼らに腹を立ててはならない。彼らの言葉が汝自身のうちに突入するようなことがあってはいけない。彼らが汝に話しかけないならば、平静をまもることはまだ容易である。しかし、彼らが汝に対して無礼で粗暴になるとき、怒りが汝の中で湧き立って来る。腹を立てるな。立腹は、汝にとって何の役にも立たない。
1916年7月16日
恐ろしく醋い天候。山中、〔環境は〕劣悪で、まったく不十分にしか護衛されていない。凍てつく寒さ、雨、そして霧。苦痛に満ちた生。自分自身を失わないでいることが、恐ろしいほど困難だ。というのも、僕は確かに弱い人間なのだ。しかし、霊は僕を助けてくれる。僕が今、病気だったら一番よかったのだが。というのも、そうであれば、少なくとも少しは休息をとることができただろうから。
1916年7月29日
昨日、砲撃を受けた。弱気になった! 僕は死への不安を感じた! 僕は今、なんとこんな願いを抱いている。生きたい! そして、ひとたび生に執着するなら、それを放棄することは容易ではない。それこそまさに「罪」であり、非理性的な生であり、生についての間違った理解である。僕はときおり動物になる。そのときには、僕は食べること、飲むこと、眠ることの他は何も考えることができなくなる。恐ろしいことだ! つまり、僕は動物のように、内的な救済の可能性を持たずに、苦しむ。このときには、僕は自分の情欲や嫌悪感にゆだねられている。そうなれば、真の生についてなど考えるべくもない。

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