催眠はコミュニケーションの為のツールなのか

コミュニケーションの為に催眠を習いましょうと云うふれこみは何十年も前からありますよね。
いったい催眠術でコミュニケーションを取るってどう云う事なんでしょうか。

誤解されている催眠の活用

これは催眠術を用いて他者を思い通りに出来ると云うことではありません。
ともすれば古い雑誌の広告にはそのように誤解されてしまいそうなふれこみで集客をしていたものもあります。
実際に私はそういった教材を買った事はありませんのでどのような事が書かれていたかは知らないのですが、まあインチキも多かったのではないでしょうか。

催眠を習っただけではコミュニケーション向上は難しい

これは多くの方に知って欲しいと思っている事です。
被験性テストや誘導法、暗示文の方法を知りたがる方は多いですが、例えば教則本などの前半には催眠の原理や筆者の体験に基づくエピソードが書かれています。
しかしそこに興味を持っていない方が一定数いらっしゃいます。しかしこれは非常に残念な事だと思っています。
催眠の教科書には必ずと言って良いほど、前半には催眠誘導の技術以外の大切な事が沢山書かれているからです。

誘導法は原理を理解する事が大切

私は教則本に書かれている原理やエピソードから学ぶことは誘導法をシャカリキになって練習するよりも大切な事だと思っています。
なぜならば催眠の仕組みを理解出来ていれば独自の誘導法、その気になればトリッキーな手法だって自分で編み出す事ができるからです。
ところがそういった基盤を持っていない人はいつまでも誰かの何かをなぞったような劣化コピーの催眠術しか出来ないのです。

我流と自己流の違い

どんな音楽でもまず基本があります。
身近な楽器、ギターなどで説明するとわかりやすいでしょうか。
本来ならば運指の練習、スケールを覚え、コードを押さえられるよう訓練、練習曲やフレーズを何度も繰り返すなど基礎を叩き込むのが通常です。
ところが上達しない人の多くは「この曲を弾きたい」と熱意だけで基礎を学ばずコピーにチャレンジしてしまいます。
ですが実力は後から付いてくる!なんて言えるのは才能のある人だけなのです。
そうして身につけた人のほとんどはおそらく知っている曲しか弾けないでしょう。
これが催眠にも言えるのです。
我流と云うのは全く自分勝手に見よう見まねや手探りで身につけたもの、自己流とは基礎を学び身につけた上で自身の個性に基づいて創り上げるものなのです。
我流で通用するのはほんの一握の持って生まれた才能を持つ人だけだと思います。
自分の催眠が我流なのか自己流なのか?改めて考えるのも大切だと思います。

コミュニケーションで役に立つのは

ですから催眠でコミュニケーションを有利にするのではなく【催眠で学ぶ】事で他者とどう関わって行くかを身につける事ができると云う事なのです。
そう考えると教則本のエピソードは多くの学びを与えてくれますよね。
ある時私に偉そうな物言いしてきた人物がいて、その人物のツイートで「催眠を誰に習うか云々」と云うのを見かけましたが、その時点でコリャダメだなと思いました。
催眠は習うのではなく学ぶものなのです。
これが理解出来ないと催眠舐めプのままで終わってしまいます。

催眠舐めプからの脱却

もうこれはなんといっても教則本であれば前書きから実践迄の部分を良く読み理解できるまで何度も読み返す事、実際に他者と関わる事、人を知る事そしてそれは催眠を使わずに関わってみる事なのです。誰かれと仲良くなる必要はありません。むしろ八方美人になる事なかれ、ただし多くの人を知り理解して行く事であなたの内面のスキルが上がり、ひいては催眠のクオリティ向上に繋がるのです。

結論

催眠を習ってコミュニケーション取る際にそれを用いて事を有利に謀るのではなく催眠を学ぶ事で他者交流の難しさを知りコミュニケーションに役立てる事ができるようになると云う事なのです。
催眠はコミュニケーションの為のツールではなく催眠にコミュニケーション法を学ばせて貰うものなのです。

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