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『HYPHEN TOKYO』は、店舗と地域の間に立つ、ひとつの機能としてありたい。小野正視が語る、静かな野望

OPEN NAKAMEGURO[中目黒]、000Cafe[渋谷桜丘]、SWITCH KOKUBUNJI[国分寺]…。これらの仕掛け人をご存知でしょうか?

その正体は、HYPHEN TOKYO。地域と店舗の間に立ち、コーヒースタンドをプロデュースしています。

そんなHYPHEN TOKYOに携わる人たちのこれまでの軌跡や想いを聞くインタビュー連載『HYPHEN TOKYO "BEHIND THE SCENES"』

▼ HYPHEN TOKYOとは
コーヒースタンドを起点とした場づくり。

私たちは、人が往来する為に必要な機能はコーヒースタンドだと考えます。
その機能が内包された場は、つまりカフェ。
HYPHEN TOKYO ができることは、「統一感のあるチェーン店」のように、店舗設計や運営方法を一定のフォーマットで固めて、「個性豊かな個店」のように、そこに関わる人のアイデンティティで変化が生まれる仕組みをつくること。
幅広い世代や属性の方が集い、誰でも日常の一部として利用できて、個人・法人問わずPRや表現の場として活用されるカフェの新しい在り方。
そんな多様性を持った、ヒト / モノ / コト の個性が最大限に発揮できる場所を一つでも多くの地域に展開していくことで、そこにしかない価値を生み出していきます。

「『HYPHEN TOKYO』は、店舗と地域の間に立つ、ひとつの機能としてありたいです」

そう話すのは、『HYPHEN TOKYO』を運営する株式会社Yuinchu(ユインチュ)代表・小野正視さんです。

新卒で小売業を営む企業に入社した小野さんは「人が輝ける組織を作りたい」とベンチャー企業に転職。さまざまな出会いを経て、株式会社Yuinchuを立ち上げたあとは、レンタルスペース事業『GOBLIN.』や飲食事業『Mo:take』を展開しています。

そんな株式会社Yuinchuが立ち上げた『HYPHEN TOKYO』。店舗と地域の間に立ちながら、オーナーの個性を大切にするコーヒースタンドをプロデュースする“機能”として、地域と繋がれる場づくりを目指していきます。

『HYPHEN TOKYO "BEHIND THE SCENES"』第1弾では、そんな小野さんのこれまでの軌跡と、HYPHEN TOKYOへの想いを伺いました。

Yuinchuのはじまり

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小野さんは、入社当時の自分を「よく言えば尖っていました」と振り返ります。

新卒で入社した企業は、当時、いきおいよく店舗数を増やしているところでした。あわただしい毎日を過ごしていた小野さんは「小さくても人が輝ける組織を作りたい」と考えました。思いを汲み取ってくれた役員の方から直々に「ベンチャー企業のほうが叶えられるのではないか」とアドバイスをもらい、転職を決意。飲食の道に進むこととなります。

「転職した会社では、入社3日目で学芸大学にあるカフェの店長を任されました。そこで飲食店は想像以上に収益のやりくりが厳しいことを知って……。もっと売上に貢献できないかと試行錯誤しました」

戦う方法を考えよう。小野さんの頭にはそれしかありませんでした。

そこでハウススタジオを運営する人と知り合ったことをきっかけに、カフェを経営しながら倉庫として使用していた三階をレンタルスペースとして提供することを考えました。結果、半年で収益は倍になったそう。

「やりきった」と半年で独立したあとは、友人と「駒沢の町で映画を一本撮ろう」をコンセプトに【KOMAZAWA LOCATIONS】を立ち上げました。

「原付バイクで駒沢の街を回りながら、ロケーションをコーディネートする事業を半年間やりました。ただ、マネジメントを理解していなかった僕は人とコミュニケーションでぶつかることもあって……。もっとその部分を学びたいと思い始めた26歳の頃、IT関連のベンチャー企業に入らないかと誘われ、転職したんです」

さあこれからというときに、小野さんが経験したのがリーマンショックでした。経営が危うくなり、目黒駅前のオフィスを手放そうとした会社に、小野さんはレンタルスペースとして活用することを提案しました。

屋号は“妖精”からとって、『GOBLIN.』。このリーマンショックの影響は撮影スタジオを利用される業界にも大きく影響が出ていたのもあって、撮影以外でも使えるように、パーティーや講演会など用途を広げました。

順調に進んでいた日々も束の間、『GOBLIN.』がなくなる危機が訪れます。再び独立を決意した小野さんは、『HYPHEN TOKYO』の母体でもある株式会社Yuinchuを設立しました。

「次にぶつかったのが、ケータリング業界の壁でした。当時はまだ冷凍食品が多かったので、せめて彩りとあたたかみのある食事を出したいと『GOBLIN.』専属のケータリング事業を立ち上げたんです。そうするとスペースの利用客も増えてきて。『GOBLIN.』という“場”とケータリングの“食”を事業できり分けたけれど、相互作用だと実感したのがこの頃ですね」

時代も、少しずつ変化していきます。シェアリングエコノミーの文化が盛り上がり、レンタルスペースも主流になってきました。ですが、同時にホームパーティー文化も浸透してきたため、今度はケータリング事業の売上が低下。ケータリング事業は『Mo:take』に改名し、『GOBLIN.』以外のケータリングも受けるようになり、収益の均衡が保てるようになったと言います。

時代の流れとともに変容する“場”の在り方をみてきた小野さんは「食は主役にもなれるけれど、何よりもそこにいる人や時間が主役」だと実感。利用する“人”や“時間”にたいして、より価値を提供できないかと考えるようになりました。

ブランディングも刷新。「もっとコミュニケーションをしっかりとっていきたい」と思い始めた頃、『HYPHEN TOKYO』を立ち上げるきっかけのひとつとも言える出会いがありました。

ただそこに、美味しいコーヒーがあればいい

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「ある日、訪問介護の人から『もっと健康なうちに、来るだけでヘルスケアにつながったり、いざというときに頼れる人を知れたりと、ひとつの“場”を通して心身ともに安心できる環境をつくりたい』という話を聞いたんです。その話を聞いて僕は、そういう強い動機がある人にアプローチをしたいのだな、と気づけました」

ただ、この事業は都市社会でしか通用しません。「もっと地方で、本当に欲している人に届けられるサービスがないだろうか」「カフェが多様な使われ方をするためにも、個人でも、法人でも、みんなが等しく使えるプラットフォームが必要なのではないか……」。“食”、“場”、そして、“人”と“時間”。これまでの経験とキーワードが、“カフェ”と一本の線でつながりました。

「コミュニケーションが起こる瞬間を捉えてこそ僕がやりたいことも叶えられると思い、僕自身も関心があったコーヒーを基軸にしよう、と思いました。安定しているけれど個性を出しづらいチェーン店と、経営は大変だけれどそれぞれに色がある個店の“間”を設計するためにも、店舗と地域の間、人と人の間に立つ『HYPHEN TOKYO』を設立することを決めたんです」

そうして小野さんは、人が個性を出せる状態で店を経営する仕組みを作るために、新事業『HYPHEN TOKYO』を立ち上げたのです。

『HYPHEN TOKYO』の3つの機能

コーヒースタンドをプロデュース・サポートできる機能
楽しく美味しい食事を開発できる機能
プロモーションスポットとしての機能

「HYPHEN TOKYOには、3つの機能があります。コーヒースタンドという土台を活用した上で、何かをやれる空間を提供していきたい。コーヒースタンドを起点に、さまざまな出会いが生まれる環境にしたいな、と思います」

「コーヒースタンドのアイデンティティを掘り下げるためにも、“レンタルスペース”という名前は使いません」と小野さんは話します。

“レンタルスペース”というと、“貸し切る”印象を与えがち。貸し切るのではなく、ともにつくっていきたい誰かの「伝えたい」気持ちや、やりたいことを、コーヒースタンドの力で支えていきたい

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小野さんの人生は、いつも“たまたま”から始まります。学芸大学でカフェの店長をやったことも、レンタルスペースを事業にしたことも、すべて偶然。もともと飲めなかったコーヒーを好きになったのだって、たまたま猿田彦珈琲に出会い、その味に魅了されたから。

「美味しいコーヒーを飲んでもらいたいときに『豆にこだわりました』とアプローチするよりも、ひっそりとこだわっていたいんです。なので、同じスタンダードブレンドは扱ってもらうルールを設けています。それさえあれば、あとは好きなようにやってもらいたいし、一緒に考えていきたいです」

力強い動機を叶えられる環境を、こだわったコーヒーと共につくりあげる。もしかすると、小野さんの一本の“線”が本当の意味でつながるのは、“向き合いたい人”がいてこそなのかもしれません。

「たぶん、自分は自分が目立ちたいというよりもみんなが盛り上がっているところをそっと見ていたいタイプ。僕がクリエイティブやアーティスティックな才能を発揮できたらいいけれど、それよりも、コミュニケーションスポットを作って、そのなかで楽しく生きている人を円周から見ていたいんです。きっと、僕の人生で『HYPHEN TOKYO』が最後のプロジェクトになるんじゃないかな。そのくらい、力をいれていきたいプロジェクトです」

▼ 小野正視
新卒でZoffに入社。その後、学芸大学のカフェにて店長を経験し、KOMAZAWA LOCATIONS を立ち上げる。IT企業にて代表の補佐をしながら、レンタルスペースGOBLIN.を立ち上げ、事業を引き継ぎ2012年8月に株式会社Yuinchuを設立。

(取材・執筆:高城つかさ

◆HYPHEN TOKYOについてもっと知りたい方はこちら


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