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「和菓子で、生活に”豊かさ”を」 梅香亭・長沼輪多が届ける和菓子という彩り

コーヒースタンドを起点としたサービスを展開するHYPHEN TOKYO。

OPEN NAKAMEGURO〔中目黒〕、000Cafe〔渋谷桜丘〕、SWITCH KOKUBUNJI〔国分寺〕の直営店運営の他にも、クライアント様の「やりたい!」に寄り添い、コーヒースタンドをきっかけとした場づくりのプロデュースやサポートも行っています。

▼ HYPHEN TOKYOとは
コーヒースタンドを起点とした場づくり。
私たちは、人が往来する為に必要な機能はコーヒースタンドだと考えます。
その機能が内包された場は、つまりカフェ。
HYPHEN TOKYO ができることは、「統一感のあるチェーン店」のように、店舗設計や運営方法を一定のフォーマットで固めて、「個性豊かな個店」のように、そこに関わる人のアイデンティティで変化が生まれる仕組みをつくること。
幅広い世代や属性の方が集い、誰でも日常の一部として利用できて、個人・法人問わずPRや表現の場として活用されるカフェの新しい在り方。
そんな多様性を持った、ヒト / モノ / コト の個性が最大限に発揮できる場所を一つでも多くの地域に展開していくことで、そこにしかない価値を生み出していきます。

今回の『HYPHEN TOKYO “BEHIND THE SCENES”』では、和菓子屋「梅香亭」三代目であり、Mo:takeフードクリエーターとして新しい和菓子の表現方法を追求する長沼輪多さんにインタビューを実施しました。

▼ 長沼輪多
和菓子屋「梅香亭」三代目 
祖父が創業した「梅香亭」の三代目として生まれ育ち、
幼少期より和菓子を通して、デザイン・民芸・工芸に関心を持ち独学で学ぶ。大学で建築を修学した後、和菓子屋に従事。和菓子の伝統である、季節・茶道の和菓子を作る傍ら新しい和菓子の表現を提案している。主に作家とコラボとした和菓子の提供や、ワークショップ、日本酒・珈琲との新しいペアリングの研究・開発など。
作り手や企業と共に次の世代への和菓子を探求している。
▼ Mo:take とは
「食」にもっと自由で、無限のアイデアを。というコンセプトを元に、
オリジナル商品 / メニュー開発 をはじめ、ケータリングサービスも展開。
Mo:take MAGAZINE を通じて、新しい食の楽しみ方も発信している。
Mo:take
Mo:take MAGAZINE

「昔は、”継ぐ”という言葉が出るだけで嫌だった」

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昭和33年創業、板橋区に位置する和菓子屋「梅香亭」。「夢、思いのままに花開く」という精神を受け継ぎ、地域に暮らしに寄り添い続けています。

長沼さんは、そんな、お祖父様が始めた梅香亭の元に生まれました。家族経営だったこともあり、幼い頃からお店のお手伝いをしたり、仕事場の側で遊んだり、和菓子を身近に感じながら育ったそうです。

一方で、当時の長沼さんは和菓子職人になることは考えておらず、忙しく働く両親の姿を見て「この仕事をやるのは大変だろうな」と半ば反抗的な気持ちも持っていたそうです。

高校時代、スニーカーに興味を持ち始めた長沼さんは、その後工業製品のデザインを学び始めます。その後、工業製品にとどまらず、もっと広くデザインを学びたいと思い、大学では建築の道に進学しました。新しく学び始めた建築という分野では、空間によって人の気持ちまでもが変化する点に強く関心を抱いていたと言います。

そんな中、突如お祖父様の具合が悪化します。
そして、お祖父様の穴を埋めるように夜間は大学に行きながらも、梅香亭で家族と過ごす時間が増えていきました。

それまでは家族との " 時間 "に目を向けることができなかった長沼さんですが、楽しいことや苦しいことを共有していく中で、家族に対しての尊敬の念が芽生えたといいます。

そして、自らの経験を活かして「建築的な空間のことも踏まえてお店と関わりたい。建築をお店の何かにフィードバックしたい」という想いが芽生え始めたのです。

「和菓子をやろう」口に出してみたら、決意が固まった。

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和菓子を家業として育った長沼さん。「正直、なぜこの仕事をやっているのか、どこから始まっているのか分からない」と言います。

お祖父様の体調不良が一つのきっかけではありながらも、家業を継ぐという決断は常に頭の片隅にあったのかもしれません。スニーカーデザインや工業デザインを学んでいた学生時代も、日本を感じるものには常に惹かれていたそうです。

「抽象的で洗練された和菓子のデザインには、常にインスピレーションを受けていた。別のことをやればやるほど和菓子に立ち返り、和菓子の道に進むとどこか分かっていながら先延ばしにしていただけなのかもしれない。時が来たら従う。たまたま僕にそういうバトンが渡ってきた」そう当時を振り返ります。

そして、河原を散歩していたある日、「もう和菓子をやってもいいんじゃないか」と、ふと思う瞬間があったと言います。

「”和菓子をやろう”、そう口に出してみた。そうすると、どんどん”やろう”という気持ちが大きくなっていった。雪の中に埋まっていた気持ちが芽を出して大きくなったんです」

こうして、長沼さんは家業に入り和菓子職人としての道を歩み始めたのです。

「和菓子を”和菓子"だと思って食べて欲しい」

”和菓子”という言葉は、”洋菓子”という言葉の対義語に過ぎません。つまり、和菓子という食べ物の定義は存在しないのです。

「皆さんが食べているものが”和菓子”なんだと、”自分たちのお菓子なんだ”と思って食べてもらいたい。
今生きていて、このお菓子を食べられて幸せだなぁと思う瞬間を、桜を見るように感じられたら、それはいい和菓子なんじゃないかなと思います」そう長沼さんは語ります。

例えば、桜餅。
桜の季節を感じながら食べる。
あと何回桜を見れるのだろうと物思いに耽る。

そんな儚さと絡め、”生きること”に立ち返ることができるお菓子が”和菓子”なのかもしれません。

「日本の文化が大きな源流にあるお菓子を作っている者として、『日本人で良かった』『日本に生まれて良かった』『季節を感じられて良かった』と感じられるものを、これからも作っていきたい。汗臭いことを言うと、生きていて良かったなっていうことですよね」

「お菓子を作るだけでは満足できない」
”豊かさ”を届ける和菓子

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昭和33年創業の梅香亭。「古くからのお客さんが居るからこそ、様々な世代を超えて楽しんでもらえる和菓子作りを目指している」と長沼さんは話します。

咀嚼が困難なお客さんには食感を柔らかくしてみたり、造形にこだわるお客さんには造形を際立たせてみたり、相手が見える仕事だからこそ細かく気を遣っていると言います。常にお出迎えをする、そんな気持ちで長沼さんはお店に立つのです。

しかし、長沼さんは決して現状に満足しているわけではありません。
「和菓子を作ることが当たり前な環境で育ったからこそ、その先の何かをやらないと自分は満足できない。父と祖父を越えることにならない」と話します。

「和菓子に携わっている人が幸せになること」これが長沼さんが掲げる今の目標です。

朝から晩まで働き、家族との時間もままならないほどに仕事に追われる両親の姿を目の当たりにしてきたからこそ、「こういうことは続けてはいけないんだろうな」という気持ちを学生代から持っていたと言います。一方で、デザインや建築を学び、「うちはきれいなもの作ってるんだな、いい仕事してるんだな」とも思うようになったと言います。

「和菓子職人としていい仕事もしつつ、そこに携わる人たちにとって幸せな環境を築きたい」と長沼さん。

和菓子を内と外の両側から見てきたからこそ、和菓子に携わる人が幸せで居られる働きやすい環境や経営にも力を入れていくそうです。

そもそも和菓子が発展したのは、貧困が続いた江戸時代。平均寿命が今よりもずっと短かった当時の人々にとって、日々の自然の移ろいをお菓子で表現することに重みがありました。しかし、平均寿命が長くなった今、和菓子に求められているのは生活へ彩りを添えることです。

「季節を感じ、季節に受け入れられている自分を感じる。そんな心の”豊かさ”をお菓子にも取り込み、自分が生きていると実感してもらえたら、それは幸せなことです」

後編では、Mo:takeフードクリエイターとしての長沼さんに焦点を当て、
OPEN NAKAMEGUROにて提供するどら焼き誕生の秘話と、和菓子を通して見る未来に迫ります。

(取材・執筆:山田はんな)

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