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惰性で家業を継いで(その1)

2つの大学の空手部からスカウトされたが、上下関係が苦手で勉強も好きではなく、早くお金を稼ぎたい一心で、高校卒業と同時に惰性で家業を手伝う事にした。(手刷りの印刷業)

稼いだお金で50〜125ccクラスのバイクレースとスキー、車にハマっていた。当時はバイクブームも手伝って、プロレーサーの登竜門として沢山の有望な人たちが参戦していた。

小さな大会では上位に入賞するも、大きな大会ではレベルの差を痛感して、やがてバイクレースは引退。その後は、スキーとサーフィンにハマり、車もスポーツカーからワゴン車に買い換えた。

当時、仕事は趣味をする為だけの資金稼ぎとしか思っていなかった。
職人の父親は、インクの調合、製版の発注、営業、その他の業務を何ひとつ私には任せず、社員にすら『見て覚えろ!』の昔気質の職人でした。
兎に角、仕事一筋の人で、更に鬼のように厳しい人でした。

仕事に無気力な私が、ひとつの本を購入して副業をしてみたいと思い始めました。それは、週末起業という本でした。

趣味といっても、一般より少し上手い程度では仕事にならないと思い、印刷で何か副業ができないかと考え、当時はSNSと呼べる媒体が少なく、それらを通して自分の思いを投稿しました。

それから3年後、突然チャンスは訪れました。
知り合いから業務用のインクジェットを購入しないか?と話を持ちかけられ、当時はパソコンの起動ボタンすら押せないパソコン嫌いだった状態から、いきなり60万円強のmacを購入し、自費で数百万円の印刷機を購入し、印刷機の置き場所が無いので、部屋の壁をぶち抜いて強引に印刷機を押し込み、印刷機の操作方法もわからないまま、私の週末起業(副業)が始まりました。

SNSで知り合った方々と試行錯誤でオリジナルグッズを開発し、試作品をデザインフェスタというアートイベントで販売し、商品の改良と新商品の開発に明け暮れました。

その間にも、景気の悪化や、知り合いの会社の倒産、その他、色々な不幸に見舞われ、何度か倒産の危機があったものの今の今まで何とか切り抜けてきました。

そして、大きな転機が私に訪れました。

続く。




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