表紙

外見より内面

僕は2020年の1月にツイッターをアカウントを開設し、
ファッションに関しての発信を続けているが、
そのおかげで今まで以上にファッションついて
いろいろ関心を向けるようになった。

僕は今までパタンナーとして働いてきたためか、
服装というよりも服単体で良し悪しを判断することの方が多かったが
最近はむしろ服装や美意識の部分に目が行くようになっている。
なぜそっちに目が行くようになったのかというと、
たまたま駅で見た若い男性の服装に違和感を抱いたからである。

彼は、バレンシアガのTシャツにSUPREMEの上着を羽織って、
アディダスかどこかの細めのジャージを履き、ナイキの白のエアフォース1を合わせており、はじめは何も違和感を感じる事はなかった。

ところが、よく見ると足元の白のエアフォース1がとても汚れていたのだ。
僕はシンプルにもったいないという感情が湧いてきた。
服はどれも決して安いものではない。
そしてブランド物を見る限り彼はとてもおしゃれに関心があると感じる。

しかし、白のエアフォースが汚れてしまっているがために、
ハイブランドを着ているという部分より、彼の美意識の度合いが
スニーカーから垣間見えてしまうのだ。

話は変わるが、
僕はドイツの美術理論家アビ・ヴァールブルクの
「神は細部に宿る」という言葉が好きだ。
そして自分自身もこれを心掛けている。

この言葉の意味は細かい部分にこそ手を抜いてはいけない。
多くの人が見てない部分だからと手を抜いたとしても
全体というのは細かい部分の集合体であるため、
手を抜けばいつか欠陥が出てくるということだが、
まさしく服装というのはこの部分に通ずるものがあると思う。

いくらいい服で装ったとしても、いい加減な生き方をしていれば
その人の人間性というのはバレてしまう。
だからこそ普段の生き方から見られている意識で行動するべきなのだ。

ビートたけしは国内外問わず、あらゆる人に尊敬されているが、
その心当たりがあるとすれば30年以上毎日トイレ掃除をしていたことだと語っている。
これはまさしく、見えない部分での行動こそが自分の魅力を高めるという最たる例ではないだろうか。

身なりを整えるのであれば、
それと同時に日常生活で意識の高い行動もとるべきなのだ。
むしろそうすることで服装と行動の裏付けができ、
より魅力的で格好いい人間に思われるようになる。

今日も自分に言い聞かしている。