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歯医者へ行くたび、タイムスリップする

本noteは日本歯科医師会xnoteによるコンテスト「#いい歯のために」の参考作品として執筆しました。

3ヶ月に一度、歯医者へ通っている。通い始めて3年が経つ。最初はむし歯治療が目的だったが、完治した今では歯のクリーニングのために通っていて、もはや趣味と言っても差し支えない。
以前はむし歯に歯周病、知覚過敏と山ほど不安を抱えていたものの、いまでは自らの歯に誇りを持っている。どれだけ硬い煎餅であろうと、迷うことなくバリバリいける。

通っている歯医者さんは東京の「不動前」という駅にあって、ここはむかし、子どもが生まれた頃に住んでいた街だ。

東急目黒線・不動前駅

僕は引っ越しが好きで、これまでかなりの回数を引っ越してきた。ただ引っ越したあとも、歯医者だけは元の街へ通い続けている。やはり「歯」という身体の重要な部位を任せるのだから、信頼できるところがいい。だからいまでも電車で30分かけて、不動前の歯医者に通っている。

それに昔の街の歯医者に通っているおかげで、3ヶ月に一度、当時に「戻る」ことができる。歯医者のあとは必ず街を散歩するのだけど、これがちょっとした帰省みたいで楽しいのだ。

この坂道で子が転んだな、とか、この工事現場を子がじっと見惚れていたな、とか。幼い子どもと過ごした街には、なんでもない景色にたくさんの思い出が詰まっていて、歩くたびに当時に戻ったような気持ちに浸る。歯医者へ行くたび、タイムスリップする。

この歯医者に通い始めるまでは、僕は歯に対してかなり受け身だった。歯医者とは、歯が痛くなったら行く場所だと考えていた。むし歯の予感がしても認めたくないから、「今日歯の調子悪いな〜」と調子とかいう言葉を使ってぎりぎりまで粘っていた。実際は歯が痛くなってからではもう遅くて、例えば我慢ならなくなってようやく歯医者に駆け込んだ10年前には、歯の神経をとる治療となった。
あるいは一日がかりの会議中、痛みに耐えかねて、昼休憩の間にこっそり歯医者へ駆け込み、親知らずを抜いたこともある。なかなかハードな体験だったけど、会議が終わったあと、「いい議論ができた」と皆が満足そうなのを見て、まさか僕の歯が途中で一本減っていたとは思わないだろうな、とちょっとおかしくなった。

そんなこんなで文字通り痛い目にあって、30歳をすぎてようやく「痛くなる前に歯医者へ通えばいいのだ」という当たり前のアイデアを閃いた僕は、ふと久しぶりに近所の歯医者を訪れてみた。コロナ禍でどこにも行けず、新しい体験に飢えていたことも背中を後押しした。そして診察をしてもらうと、普通にめちゃくちゃむし歯があった。

こうして人生で初めて、能動的に始まった歯医者通いだったが、これにより健康な歯以外にも、思わぬ副産物を得ることとなる。「達成感」だ。
たとえば日常の仕事や家庭生活においては、いくら頑張っても、うまくいかないことがたくさんある。時間をかけて作ったプレゼンが清々しいほど空振りしたり、1時間抱っこしてようやく眠りに落ちた子どもが、ベッドに置いた瞬間にカッと目を開いたりもする。だが歯医者は違う。歯医者は、通えば通うほど確実に自分の歯が良くなっていく。通うたびに健康への前進がある。歯医者に行った日は、達成感ととともに一日を過ごすことができる。
これはジムに通って、筋肉を鍛える快感にも似ているかもしれない。ただ歯医者の場合、自らを奮い立たせてダンベルを持ち上げなくても、寝転がって大きく口を開けているだけで歯が鍛えられる。しかも保険適用である。お手軽に達成感を味わう方法として、歯医者はなかなか良いのではないか。
そうやって歯医者通いの楽しみを知った僕は、無事むし歯が完治した後も、定期的に歯のクリーニングに通うようになった。

毎回のクリーニングでは歯石を除去し、ブラッシングし、最後にフッ素を塗ってもらう。
クリーニングを終えた直後は、口内が最高潮のコンディションにあるから、なんとしてもこれをキープするぞ、と背筋が伸びる思いがする。家でもフッ素入りの歯磨き粉と歯間ブラシを使い、歯医者で買った洗口液で仕上げをする。
だがどうしても、日々の忙しさにかまけて徐々に歯への意識が緩んできてしまう。歯に受け身だったあの頃の自分が、ちらりと顔を出す。そんなタイミングで、ちょうど歯医者の予約日がやってくるのだ。3ヶ月に一度通うことで、歯への前のめりな姿勢をキープできる。

今日もまた、不動前の歯医者へ足を運んだ。歯肉の状態が、さらに良くなっていますと褒められた。僕の歯はまだ進化を続けるらしい。どこまでいってしまうのか、末恐ろしい歯である。

歯医者が終わったあとは、いつも通り街を歩く。歯医者は寝転がっているだけだけど、やはりそれなりに緊張するから、終わったあとは開放感がある。だからこの散歩の時間は、頑張った自分へのご褒美も兼ねている。

風が涼しい。

3ヶ月に1度という頻度は、街歩きにも最適だ。四季が変わるタイミングだから。前回の歯医者は猛暑で、歩いているだけで汗が吹き出したけど、いつの間にかすっかり秋めいている。季節単位で街を歩くことで、歯の噛み合わせを確かめるように、時間の移ろいを身体に馴染ませていく。

伸びをした。あくびが出た。歯医者でやるみたいに口を大きく開けて、不動前の空気を吸い込んだ。秋が肺に入った。生まれたばかりの子どもと、この街で過ごした季節を思い出した。

抱っこ紐を背負って、目黒川の桜を見たこと。夏風邪で熱を出した子どもを、汗だくで病院に連れて行ったこと。公園で落ち葉を集めたこと。初めて一緒に、雪を見たこと。

歯医者に行くたびに、そんな過去へタイムスリップできる。だからなかなか、歯医者を変えることができない。歯医者を変えた時が、本当にこの街から卒業する瞬間なのだ、とすら思う。

公園のベンチに座る。

むかしここで、子どもが赤ちゃん煎餅を懸命に噛んでいたことを思い出す。子どもが最初に食べたおやつだった。生えたての歯ですり潰すのが気持ちいいようで、家でも公園でも煎餅をかじっていた。

すくすく育つ子どもにとって、歯は成長の先行指標だ。生後半年ごろ、歯ぐきに初めてうっすらと白い塊が見えたことを、今でも覚えている。
それからたまに口内を覗くたびに、小さな歯がどんどん生えていった。歯が増えるにつれ、食べられるものが増えた。そしてたくさん食べて、身体はみるみる大きくなった。新しい歯が生えるたびに、このぶんまた大きく育つのかと、楽しみに思ったものだ。

歯医者のあとの散策を終え、帰り道でお土産にお菓子を買っておいた。家に着いてテーブルにお菓子を広げると、チョコやクッキーがある中で、もうすぐ4歳になる子どもは迷わず大人向けの厚焼き煎餅に飛びついた。チョイスが渋すぎる。
乳歯がすっかり生え揃った子どもは、甘いお菓子よりも、こういう噛みごたえのあるしょっぱいものを好む。赤ん坊の頃から、毎日煎餅を食べていたせいだろうか。大きく口を開けて、真っ白に光る乳歯を剥き出し、ものすごい勢いで煎餅をバリバリと噛みくだく様子は、実に頼もしい。

僕も負けじと口を開けて、同じくらいの勢いで煎餅をバリバリとやった。子どもの新築の歯に比べると、僕の歯は築30年以上ではあるが、まだ互角に渡り合える。なんせ3ヶ月ごとに歯医者でメンテしているのだ。あともう30年経っても、こうしてバリバリいけるようでありたい。

子どもとバリバリ煎餅を噛みながら、「歯医者のタイムスリップ」とは、過去に戻ることに留まらないのだなと、ふと思う。

歯を見ては、子どもの成長を予感する。ご褒美に街を歩き、季節の移ろいを噛み締める。そして歯医者で背筋を伸ばすことで、30年後も一緒に、こうやって煎餅を噛めるよう願う。歯医者のタイムスリップは、未来を思う行為でもあった。

今夜からまた全力の歯磨きが始まる。そして気が緩んできた3ヶ月後に、またあの街で大きく口を開けようと思う。

本noteは日本歯科医師会xnoteによるコンテスト「#いい歯のために」の参考作品として執筆しました。日本歯科医師会が提唱する未来への"投歯"についてはこちら。

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岡田 悠
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