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2人の生徒とほまれ先生。

私は大学1年生から3年生まで塾で働いていた。

その時代に特に2人の生徒のおかげで重く受け止めるべき事実に気づいたことと、塾や学校で同じような悩みを抱えている生徒たちがいることを知ったので

ここで私の気づきをまとめ、今も教育機関で働いている方たちの参考になればと思う。


ほまれ先生はどんな生徒を担当していたか


おおまかな担当授業は、小学生の算数国語と中学生の英語、
それから10人ほど同時に見るフォニックスに重心を当てた年長から小6までのLeptonの授業。

もともと学力はそこまで高くない私だが、
英語を高校生まで習っていて、大学の英語クラスでも良いクラスだったので、スカウトされて英語メインの授業のために採用された。

私のいる札幌市には、北海道大学という頭のいい人たちが集まる大学や、医療系の大学もあり、同じ塾の講師陣には、本当に頭のいい人たちばかりがいて、全講師を学力順に表示したら私が1番下なのは確定的。

また教育系の家庭が多いところの塾だったので、
保護者の意識も高かったり、子供たちの勉強へのやらなきゃという気持ちもなかなか重い。

学力の低い私が担当させてもらった子供は、
受験のことや日々のテストのことをそこまで気にしていないけど、
今のままの学力よりはあげないとまずいというご家庭の子達だった。

たくさんの子供たちに思い入れがあるのだが、
特に2人の生徒から

「ほまれ先生とならもっと勉強したいと思えたのに」
「ようやく勉強してみてもいいと思える塾に来れたのに」

と塾講師にとってとても嬉しい言葉を言ってもらえたことについて話していこうと思う。


九九も筆算もできない小学校高学年

小4から小6の間国語と算数を担当させてもらった男児。
この子は大きな問題を抱えていた。

見出しの通り、九九ができないまま小学校高学年になり、
筆算のやり方を理解していなかった。

これがどういうことか。

つまり少数も分数も計算できない。

筆算ができないから、三角形の角度の合計が180°なことを知っていても、
必ず値を間違える。

小学生において、というか人生において、算数や数学の勉強からは逃れられない。九九や筆算ができなければ日常の生活にすら影響を与えることもあるだろう。

小学校の算数の問題は、ほとんどが四則計算で成り立っている。
低学年の九九でつまづいたらそのまま高校終わりまでずっと数学ができないはずだ。

このチョコは24個入りだから友達と3人で分けるんだったら、1人8個になるし、値段も180円だから安いな〜というようなことが普段から全くできないことになる。


これは、算数が苦手というレベルではない。


というか、どうして今までの教師たちはこの子のこの算数レベルを放置していたんだろうと私は驚愕したがこれは仕方のないことだった。

今の学校の授業形態や、塾の仕組み的にも致し方ないのだ。

なぜなら、勉強ができない子供に合わせていられないからである。

担任の先生は次へと進まないといけないから、テストを行って、
保護者にあなたの子供は算数ができないから、家庭で補ってくださいというようなことを通知表で教えることしかできない。


そして塾では、今の学校の授業に合わせてテスト勉強を見たり、予習としてどんどん次へ進めていったり、学力テストの対策をしたり、復習をしたりと、そんな何年も前の単元をやってる暇はないのだ。


私の働いていた塾では、学年ごとに何月までにはこの単元は予習まで終わらせときましょうという表が配られて、

テキストのその通りに進んでいない生徒は宿題を多めにして、次回の授業で宿題のできを見て解説するように急ぎ足で進んで行くやり方だった。

いや九九ができない少年に、この表の通り分数教えながら応用もやらせて、あとはお家で宿題やってきてってのは無理だろ!

そう判断した私は塾長に相談し、

表の通りに進めずに、下の学年の単元に戻ってもいいかどうかと、九九をまずはマスターさせながら、少数と分数の簡単な計算をできるようにさせたいという私のお願いはいとも簡単にいいよ〜と言ってもらえた。


九九や筆算をひたすらやり続けるために


正直に私はこの少年に話すことにした。

君は小学校2年生でできなければいけない九九ができていないから、
今の学年でやる計算はほとんどできない。

そして筆算のやり方を覚えていないから、少数の計算もできないし、分数やあまりのある計算もできない。

みんなと同じところを勉強するために、まずは低学年でできるべきだったところを練習してから今の学年の勉強を少しずつやってみよう!


人よりできないことはたくさん努力しなくちゃいけなくて大変!
でも私は君ができるようになるまで何度でも付き合うし、
一緒に頑張りたいんだけどどう?


うんと言ってくれた彼との二人三脚が始まった。


まず彼の勉強の環境を私は整えることから始めた。

勉強苦手小学生あるある〜。

「なんでもノートを作って、5教科を1冊のノートでやってしまう〜」

「ページを飛ばして書いたり、日付を書かない〜」

「自習をしない〜」

「宿題をしてこない〜」

「丸付けをしてこない〜」

「丸付けのためのペンを持ってない〜」

「鉛筆をけずってない〜」

「授業前にノートとテキストを机の上にだしてない〜」

なぜ彼はこんなことをしてしまうのか。

それは勉強ができないから。
やる意味がないから。
やってもできないから。
環境を整えるやり方を詳しく教えてくれる親身になってくれる大人がいなかったから。


小2で止まった彼の時間を動かすには、
どうしてノートを教科ごとに変えなきゃいけないかと日付や単元を書く理由を教えるところから。

ノートを見返したとき、
なんの授業をやっていたかわかりやすくするため。

これはお家に帰って一人で宿題をするときに、このページを見て真似しながらやってねっていう先生からのメッセージなんだよ!

塾での勉強も学校とやってる場所が違うから、学校と塾のノートも別にしてくれた方がわかりやすいと思うよ。


どうして宿題をやるのか?

それは君が隣に先生がいなくても1人でも問題が解けるようになってるか確認するため。


丸付けをしてこなきゃいけない理由は、
次に先生が君のノートを見たときに、すぐに間違った問題を一緒にやれるから。

丸付けをまず毎回最初にやるその時間、お家でやってきてたら、その分一緒に違う問題をやれると思わない?


鉛筆を削ってこないのも、ペンを持ってないのも、確かに借りれば済む話だだし、机の上の準備も始まってからでいいじゃんって気持ちもわかるけど、用意がきちんと終わってたら、すぐに勉強時間に入れるよね!

60分しかない授業、1人でできることなのに、やってこなかったら先生と一緒の勉強時間減っちゃうからね!


こんな話をしてあげたら彼はすぐに、ノートを買いに行ったし、教科ごとのノートを持ってくるのを忘れた日には反省していたし、ペンも鉛筆もきちんと用意するようになった。


理由まで話さずに、「ノートは教科ごとに用意しなさい!」としか言わないことは多々あると思う。

でも彼は1冊のノートで5教科やることに困っていなかった。

なぜなら復習もしないし、自習もしないし、誰もそのノートを見ないから。

書き込まれたノートの使い道を誰も教えてこなかったのだ。

あるいは教えたのかもしれないけど、本当に使う経験がなさすぎて忘れてしまっていたのだろう。


ましてやここまで丁寧に教えなくたって、一般的な子供たちは言葉にはできなくても、なんとなくは理解する力があったから、どうしてしなきゃいけないのかわからない子たちに丁寧に教えずになあなあになっていたのかもしれない。


授業で練習したこと

私が彼の授業で意識したことは、

「算数ができない頭なのではなく、やり方を覚えてないから問題が解けないだけ」

をひたすら彼に認識させること。

5年生で三角形の角度を求める問題がテキストによくでてきたが、
内角の和が180°なのは知っていても彼は四則計算ができないため、全然丸にならない。

だから私は三角形の和の問題を、三角形の和を求めるためにやるのではなく、どちらかといえば、筆算や引き算の練習のために使うことにした。

この四角いマークは90°ってことを覚えさせることより、
ここは90°ってもはや教えちゃって180-90をまずやらせるみたいなことを続けていた。

だいぶ筆算に慣れてきた頃に、
問題を一人で解けて丸がついたことに喜んでいた。

正直一般的には、三角定規の角度は、計算で求めるというよりかは、

90度60度30度のものと、90度45度45度ってのを覚えてるから速攻埋めれる問題ではあった。


でも彼には「ほら筆算ができるようになったから1人でも3個の角度がわかるようになったじゃない!」とめちゃくちゃ褒めた。


するとなんと彼は、週に1回の私との授業のほかに、私が塾に来る曜日に自習するため自習室にくるようになったのだ!

こうなると、三角定規のように決められた角度だけじゃなく、

37度62度はわかってます。もう一つの角度は?
みたいな問題も自習でやってみようと思えるようになって挑戦していた。

九九のプリントなどもやっていたようだった。


自習にくるとどうなるか。

他の先生にヒントも聞くことができるし、時間をとるようになり、宿題をやってくるようになった。

また授業は国語と算数しかなかったが、時々塾でやる主要教科のテストのための理科や社会の暗記問題や漢字の練習もやるようになった。


つまり彼は私との授業の中で、
算数はやり方を覚えれば解けるし、同じように他の教科も覚えようとすることと練習が大切だと学び、それをやれば自分もみんなと同じくできるようになれると知ってくれたということ。


できない頭なんじゃなくてやってこなかっただけだから、やれば今からでも間に合うということを知り彼は前向きに勉強に取り組むようになった。


そのあとの授業では、彼が1番苦手だった文章から式を立てて、その計算をするという練習をただひたすらした。

授業中彼は「あ〜そういうことか〜」とか「ここは掛け算だな!」と明るい独り言が増えたのだった。


読めない書けない覚えられない中学生

もう一人の生徒は、中学生の女の子で私は英語の担当。

衝撃を受けた。
九九ができない男の子より大きな問題を抱えていた。

字をうまく読めないし、書いてある通りに書き写すことができない子だった。

初日の授業を終えた後私は速攻
『読めない 書き写せない』で検索し、
そういった学習障害があるということをこのとき初めて知った。

しかしもちろん塾講師が、あなたのお子様発達障害の1つ学習障害かもしれないので、一度受診をおすすめしますなんて言えるわけない。

塾でこの子の勉強の解決はきっとできないだろうとこの時思った。

いっそのこと、障害ですとはっきり出てしまえば、

勉強を無理強いするより
こんな教育地帯の塾で成績に押しつぶされる場所じゃないところに行くとか、家族の大きな協力ありきで

もっと生きやすい方法を提供できるはずなのにと私は思っていたけど何もしてあげられなかったのが申し訳ない。


もしかしたら、学校の先生たちも彼女が学習障害を持っているかもと思った人もいるかもしれないけど、多分保護者には言いづらい内容で誰も言及してこなかったんだと思う。


読み書きがうまくできないということは、英語だけじゃなく他の教科にも影響は出ていて、全体的にテストで点は取れない子ではあった。


中学生から初めて触れた英語では、そもそもABCの歌も歌えないのに、どのアルファベットがエーなのかが認識できないレベル。

しかも私が受け持った時にはもう2学期で、今アルファベットやってる場合じゃない。

普通に単語を覚えたり、例文を基にして、英文を書いたり訳したりできるようになってなきゃいけないのだ。


年長さんよりもできない英語レベル


私は英語のLeptonのチューターもやっていたので、子供たちが、bとd,pとqの違いをなかなか覚えられないことは知っていて慣れるまで言い続けていた。

しかし、Aはエーであることを年長さんでもすぐに覚えて一人でテキストを解けている。


この中学生の子は、どのアルファベットが小文字か大文字かすらわかっていなかった。

a,v,y,i,P

と書かれていて、Pが大文字、他が小文字ってのもわからない。


A.B.V.Y
a.v.y.b

ペアをつなげなさいもできない。

アルファベットの表を見せて、
大文字のBを指差しなさいって言われてもどれかわからない。

この子が、学校の単語の小テストの勉強が一人でできると思うか?


そして書きがうまくできないというのは、

教科書にはbagと書いてあるのに、
ノートにdapと書くようなもの。

字が汚いとかではない。

彼女はbagと書いているつもりで、dapを練習していた。


残念ながら学校では黒板を書き写すのに精一杯で、授業中に問題を解けって言われてる間もずっと写しているし、書き写しきれない時は友達にノートを借りるというのだけで授業は終わるらしい。


また英語のノートの4本の線のどこの部分が書き始めかわからずに、段差もぐちゃぐちゃに書いていた。


私はこの子の成績をあげることは無理だと思ったけど
絶対に流れるだけの授業はしたくなかった。

アルファベットを覚えてない子に例文を覚えさせる授業は
ひたすらアルファベットを覚えることを優先させながらやっていった。

I play soccer.

本当は主語、動詞、目的語なんて言葉も教えてあげたいけど、
まずこの文章を書けるようになることすらできなかったらテストで絶対に点が取れない。

これは、iの大文字のIだよって1文字ずつ教えていき、書き写せたらめちゃ褒めて、次に主語と動詞の話をした。

正直1つの文を書くだけに10分以上かかるから、1時間の授業で取り上げれる数が少ない。

宿題で単語を練習してきてもらわないと塾での授業にならない。

だけどこの子は家で勉強をやろうとしない。

でも練習しないとちょっとの改善も見られない。


私がどうしたか。

対決した。


塾以外でどれだけ勉強したか対決〜。

当時大学生だった私は、フランス語の授業を取っていた。

そう。あなたは英語の単語練習をノートにしてくる。

私もあんまりまだできてないから、フランス語の単語をたくさんノートに練習してくる〜。

これは宿題じゃないよ。
ただの対決と言って。

宿題はテキストをやって普通に丸付けしてくるものをだしてたけど、できるわけないからあんまりあてにしてなくて、毎週必ず、単語練習をどれくらいやったかを報告しあうことにした。


対決の結果は、私が負けることもあれば、勝つこともあるし、本当週によってそれぞれだった。

私も結局フランス語のテストがあるから、時間を無駄にしたとは思わないし、彼女も徐々にこれはFの小文字だよね!とかの言葉が増えていったからいい方法だなと思った。


結果的に、少しずつアルファベットを覚えていき、まだ全然覚えてないアルファベットもありつつも、例文を覚え始めるところにたどり着いて、テストで0点ってことはないというところまではなんとか持ち込めた。


2人の生徒の共通点

この2人の最大の共通点は、
個人が抱える「できない部分」を誰も教えず、
学校からも塾からも、そして残念ながら親からも

勉強というジャンルに限っては、見捨てられていたというところだ。


学校からは成績を低くつけられて、授業自体は他の子に合わせて進んでしまうので解決は自宅学習や塾でやってくださいとなってしまう。

塾は、決められた時間の中でやらなきゃいけないことが決まっていたり、自習での学習に重きをおけるようにするための自立を促す授業がメインで、1人で何もできない子たちに対してのアプローチがうまくできない仕組みだった。

そして親は自分の子供は、成績が悪いんだな〜、塾に入れはしないとってお金を払い、勉強しなさいと言うものの、根本的な子供の問題を知らないことが多い。


分数ができない子供に対して学校は、分数の単元が苦手なようです〜としか言わない。

それを聞いて算数が苦手だと思ってはいるものの、九九ができていなことに親も気付けない。

塾では今学校でやっている単元の問題を練習させて、解説をするだけ。


同じように学習障害かもしれないことを誰も言わないから、親もただ勉強が苦手としか思っていない。


小5なんだから分数をできるようにしないと、
中1なんだから英文かけることが大事というふうに、

その時にみんながやってることに合わせることはこの子たちにとっては解決にはならない。

分数をみんながやっててもこの子には九九の見直しが必要だ!
この子は幼稚園児がやってるようなアルファベットの学習からだ!

そう言える大人が必要だった。


何より私が悲しかったのは、

「見捨てられた」のではなく、もう何年も前から「見捨てられていた」という点。

小2で九九ができない時に、九九を一緒にやってくれる大人がいたら?

学習障害に気づいて、その子に合わせて向き合ってくれる大人がいたら?

もうちょっと早く遅れを取り戻せてあげたのではないか。

勉強への苦手意識がすくなかったのではないか。

自習をすることへの意味や、宿題に対する態度も、やるべきだなと自ら思えたのではないか。


なぜなら2人とも、私が担当講師になってから、ノートの使い方や自習時間、勉強への姿勢が圧倒的に変わったからだ。

導いてあげれば、他の子よりも努力が必要な子供たちも自分なりにやってみようと思える。

君はこうだから一緒にこうしていうねと言ってくれる大人がいるだけでね。


私がなぜこれをできたのか。
それは担当の子供の数が少なく、他の講師より向き合う時間が多く取れたから。

春期講習のときとかに10何人連続授業の時とかは確かに、授業をこなすのに精一杯で、他の子たちの根本的解決とかは考えもできなかった。


こういった子供たちには、2:1の個別指導の塾じゃなくて、1:1の家庭教師の方が向いてるよなと思う。


2人の生徒との別れ


私はふたりに対して、
自分が講師についたことで確信している良かった点が1つある。

それはずっと100点満点中、40点だったテストを50点にあげられたこと。

彼らは通常の生徒たちより何年分も能力が遅れていたのにもかかわらず、テストの点を下げずに、ちょっとだけ上げることができたのだ。

もちろん50点じゃ足りないのも知っている。
成績を上げるためには80点以上を毎回キープさせてあげなきゃいけないことも。


でも他の生徒たちには、今回80点なんだったら次は90点取れるようにしないと受験の時もっと大変になるよとか言う塾長も、
私の受け持つこの2人のテストの結果をとても褒めてくれた。


しかし残念ながら私はこの2人の生徒とお別れしなくてはいけなくなってしまったのだった。


保護者が辞めさせたいと言った時、
塾は彼らを引き止めることはしなかった。

私の尊敬していた単元通りに進めなくてもいいと許可してくれた塾長は退職してしまい、新しい塾長になって、去る者追わずと言ったところだった。


保護者の言い分は、高額な金額を払ってる割には成績が上がらずに意味がないと判断したとのこと。

確かにね。みんな80点以上とってるのに、自分の子供は塾行ってるのに50点しか取れないし金を捨ててると思っちゃうよね。


九九ができない少年は、必死に親に訴えてくれていた。
前とは自分は変わることができて、少しできるようになったって思えるようになったからまだ塾にいたいんだと。

教えてくれた。毎週毎週、お母さんにほまれ先生と勉強したい。中学生になったら英語を教えてもらいたいからいま算数頑張れてるって言ってるんだって。

小六の男子だぞ。そんなかわいいこと素直に言える思春期の子いる?

彼は結局親を説得できずにいたけど、
塾長に、ギリギリまでは自習室を使ってもいいか自ら聞きに行き、最後の最後まで自習に来ていた。


中学生の女子は、
塾をやめた後は、家庭用のタブレットで勉強させられることになる、

けどやっぱりあたしはほまれ先生と対決しながら少しずつ慣れていくやり方がよかったのにと言ってくれた。

多分この子ちょっと泣いていた。

最後の授業が終わった日、私が帰宅するため出口に行ったら、急いで私のところまできて、感謝の気持ちを伝えてくれたのと、何もあげられないけどこれ…って授業の時に使っていたドナルドのペンを渡してくれた。



ああこの子たちはまた、塾と親に見捨てられたのだ。
ようやく解決に近づいて、心が開かれかけたのに。

2人の言葉の嬉しさと、2人に対して何も働きかけてあげれなかった悔しさからこの日は泣いて、お金ばかりを基にする大人って本当にくそだなと叫んだ。


数字だけでみるのが全てじゃないことを知ってほしい

あなたのお子様が勉強が苦手で周りの子たちより点数が低いとしても、
もしかしたら彼らなりに解決に近づいていて、

頑張っている最中なのかもしれない。

それをまだ50点しかとれてないじゃんと、ひきはがすことは正しいとは限らない。

以前40点だったものが10点アップしている。

遅れている単元に追いつき始めている。


保護者が知らないというのはよくあるかもしれないけど、2人の生徒に関しては、親に必死に説得するために自分の成長のために今の塾がいいと言っていた。

それに対して、助けてあげなかった塾。
本来ならもう少し様子を見てみませんか?など声をかけることもよくある。

親が気づかなかったのではなく、子供の声を聞いてくれる大人がいないという悲しい事実。


私は今でもこの2人のことを忘れられない。
きっと同じような子たちがこの世界には何万人といるんだろうなと気付かさせてくれたきっかけになったから。

そして、ほまれ先生となら勉強したいと思えたというありがたい言葉をくれたから。




まとめ

もし自分のお子様や、担当生徒内に

成績が全然上がらない勉強のモチベーションが低い子がいたら

何年も前にどこかですでに見捨てられていて、

自力では解決できないことになってしまっていないか、

見捨てられたことによって勉強がしたくない子になっていないかを

今一度見直してあげて欲しい。

塾に行かせた事実やお金をかけてあげた事実ではなく、その子の気持ちと時間に寄り添えていたかどうかに重視して確認をお願いしたい。


余力があったら、私はあなたを見捨てないから時間をいくらでもかけてあげるということを伝えて、親身になってあげてほしい。

それだけで気持ちも態度も変わって頑張れる子供になり得るということを私は自分の目で見たからだ。


教育大も出ていなければ、根拠のある論文も読んだことないただのバイトの私でも、その子にとっての大切なきっかけになる「先生」になれたことに感謝してこの文章を捧げます。


これを読んだ素敵な大人が1人でも多くの見捨てられていた子供を発見することを祈って。














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