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◯◯様宛の勧誘の電話がかかってきた話

 携帯電話に着信があった。登録していない番号。もしや、と思ったが、一応出た。

「△△コーポレーションと申します。◯◯様のお電話でよろしいでしょうか?」
 やはり、と思ったが、意外だったのは相手が女性であることであった。このような電話は3年前くらいから度々かかってくるようになっていたが、全て男性だった。

 私はその「◯◯様」ではない。全然違う。だが、「はい、そうです」と答えた。この瞬間から私は◯◯様という誰でもない人間になった。

「今、お時間大丈夫ですか?」と彼女は言った。
 私はその時自転車で走行していたので全然大丈夫ではなかったのだが「大丈夫です」と返答した。

「老後の2,000万円問題って深刻だと思うんですけど、何か対策はされていますか?」と彼女は言った。老後の2,000万円問題が報道などで騒がれていた時にかかってきた電話も同じことを言っていたので、その掴みは変わっていないらしい。

 私が◯◯様ではないにも関わらず◯◯様であると偽って話を聞くのはこれが初めてではない。かつては人の良さそうな男性と2時間くらい喋った。喋ったというか、先方がどんどん質問してくるのでそれにずっと答えていた。最後の方は何が何だかわからなくなっており、好きなゲームを聞かれた。ロケットリーグです、と答えた。

 こういう電話の良いところは、相手のペースに合わせていればいいことである。私は「話題を振る」というやつが大変に苦手であると自認しているのだが、こういう電話においては相手が「投資の勧誘」という話題を常にスムーズに振ってくれ、私はそれに対して答えていればいいし、答えることがなければ「あー…」とか言って黙っていれば相手が何か適切な仕事をしてくれるのである。

 その上、相手には「絶対に契約させたい」というオフェンスがあり、こちらには「絶対にその手には乗らない」というディフェンスがあり、その狭間でせめぎ合うバトルがスリリングである。とは言え、私は◯◯様ではないわけで絶対に契約しないので、その時間はお互いにとって全く無駄である。そこがいい。

 彼女の「何か対策はされていますか?」に対して私は「何もしてないです」と言った。かつてiDeCoをしていたことがあったが、やがてiDeCoをしている場合ではなくなり、もしやiDeCoを再開するべきかなと感じているのが今である。iDeCoが2,000万円問題を解決するかどうかはわからない。

「何か投資に興味はおありですか?」と彼女は言った。
「インデックス投資ですかね」と私は、3冊くらい投資の本を読んだら共通して書いてあったことをそのまま言った。
「私もです。気が合いますね」と彼女は言った。我々は気が合うみたいだ。

「現在会社員ってことでよろしいですか?」と彼女は言った。
「はい」と私は言った。
 嘘である。私は会社員ではない。だが、張本人の◯◯様は会社員かもしれないので嘘ではない可能性も残されている。

 なぜ会社員かどうかを確認されたかというと、この電話は不動産投資の勧誘であり、始めるにあたってローンを組まされるらしいからである。ある程度の社会的信用によって審査が通ることが最重要だ。

 私はかつて、この手の電話に対して、ある程度話を聞いた段階で「いっやー、全然お金なくて。極貧生活。服もボロボロだし、家賃もずいぶん滞納してるんですよ。小麦粉を水で溶いたやつを焼いてソースもかけないで毎日食べてます」と言ったことがある。嘘である。すると相手は「あはは、じゃあまた生活が良くなった時にお願いしますねー」とすぐさま戦略的撤退をした。

「お仕事は何をされてるんですか?」と彼女は言った。
「お好み焼きです」と私は言った。
 嘘である。嘘を付くのに動揺して「お好み焼き屋です」ではなく「お好み焼きです」とわけのわからないことを言ってしまった。いずれにしても嘘である。
「お好み焼きいいですね。好きです」と彼女は言った。その後何か言っていたがよく聞き取れなかった。「ねー、いいですよね」と私はよく聞き取れなかった部分に対して相槌を打った。

「ご結婚はされてるんですか?」と彼女は言った。
「してないです」と私は言った。
「えーそうなんですね。私も同じです。一緒ですね」と彼女はどういうわけか「同じ」「一緒」のニュアンスを強調して言った。そのように聞こえた。我々は気が合うみたいだ。

「今お住まいなのは◯◯県でお間違いないですか?」と彼女は言った。
 それは奇しくも私の住んでいるところと同じであったので、驚いてとっさに「違います」と言ってしまった。
「お引越しされたんですかね? 今のお住まいはどちらですか?」と彼女は言った。
「千葉です」と私は言った。
「えー!? 私の地元じゃないですか。船橋出身なんですよ」と彼女は言った。
 私は頭に地図を浮かべたが、船橋がどの辺にあるのか全く判別がつかなかった。なぜなら千葉に住んでいないからである。

「千葉のどの辺にお住まいなんですか?」と彼女は言った
「えーっと、ディズニーランド、……のあたりです」と私は言った。千葉といえば東京ディズニーランドという情報しか想起されなかった。
「舞浜ですか?」と彼女は言った。
「あー、まー、はい、なんかその辺り」と私は堂々と言った。

「京葉線よく遅延になりません?」と言った彼女に、私は「ほんとそれ。なんなんですかね。いつも困りますよね、まったく」と強い共感を示した。京葉線がよく遅延になるらしいという知見を得た。

 どうやら実際に会って説明を受ける、という流れのようである。だから会うのに都合の良い日を聞かれる。
「シフト出るまでわかんないんですよね」と私は言った。当然ながら私は会社員でもお好み焼きでもないので嘘である。
「そうですよね、わかります」と彼女はかつてアパレルの仕事をしていた時のことを語り始めた。人の話を聞くのは好きなので良かった。

「それじゃあゴールデンウイーク明けた辺りでもう一度お電話する形でよろしいですか?」と彼女は言った。
「わかりました」と私は言った。
「あれ、私の名前ってわかりますか?」と彼女は唐突に言った。
「いや、わかんないんですよ。だからさっきから”お姉さん”って呼んでたんです」と私が私情を開陳すると、「えーもぉなんなんですかぁ٩(๑`^´๑)۶プンプン」みたいな感じの返答が来た。急にどうした。そんなキャラだったか? もしかしたら冒頭で彼女が名乗っていたかもしれないのを私が失念していたことに対して٩(๑`^´๑)۶プンプンしていたのかもしれない。

「橋本です」と彼女は名乗った。
「よければ下の名前とか聞いても大丈夫ですか?」と私は何のメリットがあるのかわからないことを思い付きで言った。
「全然いいですよ。あかりです」と彼女は言った。
「かわいい名前ですね」と私は言った。
「えー本当ですか!すっごく嬉しいです!!!」と橋本あかりさんはかなり高揚した感じで言った。名前を褒められてそこまで嬉しいわけないじゃんと私は思ったが、名前を褒められてそこまで嬉しい人もいるかもしれないので、何とも言えないなと思った。

「声も素敵ですね」と私は言った。もはや何の電話なのかよくわからなくなっていた。
「ありがとうございます。お客様にも良く褒めてもらえるんですよ」と彼女は言った。

「髪もすごく綺麗ですね」と私は言った。
 これは「いや、電話やろがーーい!」というツッコミを誘発するための渾身のボケであった。
 しかし彼女は「え、会ったことありましたっけ?」と淡々と言った。
 おおよそ物事は狙った通りには行かない。狙い過ぎは良くない。「髪もすごく綺麗ですね」という渾身のクソキモいボケは引き潮の浜に取り残された。*

 ゴールデンウイーク明けに再び電話がかかってくるということで話がまとまり、通話は終了した。従って、ゴールデンウイーク明けには、会社員で、仕事はお好み焼きで、ディズニーランドらへんに住んでて、「髪もすごく綺麗ですね」と突然に言い放つクソキモい◯◯様向けの不動産投資の電話がなぜか私の元に再びかかってくる。

 ちなみに、当然ながら文中の「橋本あかり」さんは仮名である。
 なぜ仮名かというと、プライバシーの問題もあるが、こちらから尋ねたにも関わらずそのかわいい名前をこれを書いている段階で全く覚えていないからである。


*絲山秋子『海の仙人』新潮文庫 P119から表現を引用

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