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【短期連載③】教会を「豊かに」歌う(前編) 諸歌集における「教会の歌」名曲選

 2019年の解説資料に基づく連載へ移ります。今回の見出し画像は、日本イエス・キリスト教団 宇都宮共同教会栃木県 宇都宮市)です。

 諸歌集というのは、讃美歌Ⅰ・Ⅱ、新聖歌以外の歌集のことです。(前掲3冊は、新潟の福音派教会で多く使われている)
 「ないものねだり」「隣の芝生は青く見える」と揶揄されかねませんが、一方で「他者のいいところを学ぶ」ことは大切です。そんな言い訳を前置きにしつつ、本編に入っていきます。
注:讃=讃美歌、讃Ⅱ=賛美歌第二編、讃21=讃美歌21、新聖=新聖歌
  聖公=日本聖公会聖歌集、福讃=教会福音讃美歌
(12/22:可能な限り動画を追加しました)

1)聖霊によって生かされ、力を受ける群
 讃21-346「来たれ聖霊よ 信ずる群れに」

 讃21-564「イェスは委ねられる 伝道のみわざ」(聖公406※別訳)

 “聖霊を歌う賛美歌には、聖霊が私(たち)のもとに降ってきてくださるようにと願う、祈願の歌が多くあります。しかしそのような中でこの歌は、キリスト者共同体としての私たちに聖霊が働きかけ、宣教の業に参与させてくださいと歌います。”
 これは讃21「345」についての略解からの引用ですが、346の略解にも“345番と同じく、…信仰共同体に聖霊が常に働いていのちを与えてくださいと願う歌です”(前者はp.219、後者はp,220)とあります。そして、不思議につながっている564で「宣教の業に…」の部分が補われているように思えるのです。
 その564は復活のキリストによる大宣教命令(マタイ28章終盤)などをモチーフとした詩で、全3節がそれぞれ「…群れに 主よ 今 与えたまえ 聖霊の力を」で結ばれています。伝道・宣教の賛美歌に聖霊が登場するのも珍しい気がしますが、秀逸なのはこの346と564が同じ旋律との組み合わせで紹介されていることです。この旋律ABBOT’S LEIGHは、“第2次世界大戦以後に書かれた創作曲のうち、混声4部合唱のスタイルで書かれたもっともすぐれた作品の一つ”と評されるほど美しいものです。これは非常にお勧めです。

2)「御救いを受けし 罪人に過ぎ」(新聖429)ない信仰者の群
 教会の悔い改めという視点で歌われている2曲です。レジュメ作成のために歌集と睨めっこする中で存在に気づき、ハッとさせられました。

讃21-410「昇れよ、義の太陽」

2.教会よ目をさませ まどろみ打ち破れ
  み言葉きいて悔い改めよ 今こそ
3.憐れみたまえ 主よ 迷える教会を
  再び集め 一つの群としたまえ
聖公387「父なる神よ 受難の前」(讃248「ペテロのごとく」と同曲)
2.愛なる神よ われら悔いる 主の教会の裂かれしこと
  われらの罪を赦したまえ 神の働き はばむわれら

3)教会(の働き)に疲れてしまった時に―福讃229「キリスト 教会の主よ」

 信仰の歩みの中にある「恐れ」「破れ」「疲れ」「かわき」に着目し、ともすると支配的になってしまう「信仰を持っていれば疲れない。元気だ」という見方からの解放を与えてくれます。 (『新生讃美歌ブックレット』(日本バプテスト連盟、2018)より)
 曲はロンドンデリー(→讃Ⅱ157「この世のなみかぜさわぎ」、新聖330「幸い薄く見ゆる日に」)です、

4)聖餐共同体―讃21-74「キリストの示す神を」

 全6節のそれぞれを要約するとこうなります。
 1.真の仲保者なるキリストへの賛美
 2.御言葉による養い
 3.聖餐を祝う
 4.御名によって一つとなる
 5.愛により結ばれて一つの信仰を告白する
 6.主の愛の証人にしてください

 教会の姿をこれだけ多面的に歌う聖餐の賛美歌があるのか、というのが初めて触れた時の印象でした。
 略解によれば、作詞者はドイツの現代カトリック詩人とのこと。超教派で歌えるようにという意図でカトリックの歌集に収録され、その後プロテスタントの歌集でも紹介されたそうです。

5)宣教への励まし―讃21-397「主の教えのべ伝え」、讃21-517「神の民よ

 賛美歌にとって詞が一番大切ですが、旋律も同じくらい重要です。この2曲は、旋律でも会衆を奮い立たせます。
 なお、397は韓国で作られた賛美歌です。今回紹介した中では唯一の「アジア産」なので、特記しました。
 解説資料では言及しませんでしたが、バプテストで使われている「新生讃美歌」342「教会 世にあり」も印象的な作品です。


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