奏楽者を育てていくために―雑誌記事のご紹介

礼拝音楽などに関する雑考も時折掲載していきます。大抵は過去のfacebook投稿の焼き直しとなりますが(^^;;
今回は、ちょうど2年前の投稿を加筆修正してご紹介します。
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先日発売された『礼拝と音楽178号(2018年夏号)(日本キリスト教団出版局(左記リンクが出版局のHPです)発行)。
飯靖子先生(同教団霊南坂教会聖歌隊指揮者・オルガニスト)の「奏楽者を育てていくために」(pp.67-66)は全国の諸教会で読まれるべきものと思いました。この記事だけで、どれだけ奏楽者が新たに生み出されるだろうか…と思ってしまうくらいです。(この記事だけネット公開されれば…というのが本音^^;;)

記事の中で、二つの「おすすめ」がされていました。それをご紹介しつつ、関連する経験をお分かちしたいと思います。
・歌集の譜面通りに弾かなくてもいい
 「日本人は歌集信仰が強すぎる」とは、第89回キリスト教音楽講習会(2017年)のゼミで作曲家の末吉保雄先生がおっしゃっていたことでした。讃美歌21の巻頭では、編曲や異なる和声付けが認められています。
 と言うわたくしも、そういうスタンスが確立されたのはここ3年程のことですので、偉そうには言えません。あくまでも会衆のための奏楽ですから、どこまでもそれを追求しなければと思います。
※演奏技術向上のために楽譜通り(四声)弾けるように練習するのは当然あっていいですし、むしろそうすべきでしょうが、四声で弾けることが奏楽の絶対条件じゃないということなんだろうと思います。

・前後奏曲は「大曲・名曲」じゃなくていい
 前奏・後奏も「会衆のため」のものです。「バッハを弾かないといけないのでは、と心配する必要はまったくない」と記事に書かれています。その礼拝で読まれる御言葉に即した賛美歌をそのまま弾くのもあっていい、とも。
 個人的には、最近それに走り過ぎなのは問題かもしれませんが(^^;;

ここまでまとめて感じるのは、会衆が持つ「奏楽に対するイメージ」と奏楽者育成の関係性です。奏楽者が賛美の伴奏に対して「譜面通りでないといけない」と思いがちであれば、会衆の方々がそう思っていても不思議ではありません。むしろ後者がより強い可能性が十分あるんだろうなぁと。
たとえメロディしか弾けなくても、その時点から「場慣れ」する方が大事ではないかと思います。そういう場合には会衆の方々も温かく見守っていただきたいと思う訳です。(うちの母がまさにその状態です)
あと、決して鍵盤楽器でないといけない訳でもないですよね。(これは記事には書かれていません) こうした固定観念もあるのだとしたら、適切に払拭されることを願います。
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実は、末吉先生はその講習会のちょうど1年後(2018年8月20日)に逝去されました。先生は講習会に長年関わられたと伺いましたが、その最後の年に直接教えを受けることができた訳です。当時の私は、賛美歌創作に関して確固たるものをまだ持っておらず、他のゼミ生の方々が素晴らしい作品を連日披露される中で肩身の狭さしか感じていませんでした。しかし、(末吉先生から教わった内容をどれだけ生かせているかは別としても)その後にある程度の作品を作れるようになったのは、きっとあの時の苦い経験が肥やしになったからのではないかと思うのです。

ちなみに、2020年10月に発行される『礼拝と音楽』187号では、「礼拝の楽器」について特集されるとのことです(186号p.70「次号予告」より)。この時は固定観念つながりで楽器に言及しましたが、次号でどれくらいの楽器について取り上げられるのか、今から楽しみです。
『礼拝と音楽』は、講習会に初めて参加して以降に定期購読を始めました。講習会でお世話になった方々が編集・執筆に携わられているという要因もありますが(186号で特に顕著)、この手の出版物としては極めて貴重だからということもあります。個人購入でも教会図書としてでも、ぜひ手に取っていただきたい一冊です。(説教者・奏楽者・聖歌隊関係者だけでなく、それ以外の方にも!

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