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【短期連載④】教会を「豊かに」歌う(後編) ルターが作った「教会の歌」

 今回はこちらの続きとなります。

 短期連載の最終回を飾るにふさわしく(?)、最も著名な宗教改革者マルティン・ルターにご登場いただきました。ルターは、約50曲の作品を残した「賛美歌作家」でもありました。
 今回の内容は、ルター研究において国内で最も名高い徳善義和先生(ルーテル学院大学、日本ルーテル神学校(大学HP内にページあり)名誉教授)が2017年に出版された下記の文献に大きく拠っています。この年は「宗教改革500周年」として世界的に祝われ、日本でも関連書が多く出版されました。

 今回の見出し画像は、日本基督教団 大和教会神奈川県 大和市)です。

 “教会とはなにか、これは宗教改革の始めから、ルターが自らの心の内に抱き、また当時のローマ・カトリック教会に問い掛けた根源的な問いであった。”(p.94)
 その答えとして直後に述べられているのは、“教会はキリスト教会である”と、“教会はキリストを信じる信仰者の教会である”です。
 ルターは1519年に、カテキズム説教の一環として洗礼と聖餐について説教したものをまとめて2つの著作を公刊し、翌年には『ローマの教皇制について』を著しました。これらの著作を通して明らかにされたことは、“キリストの教会は教皇によって成り立つのではなく、キリストによってこそ存在”し、“キリストゆえの福音の説教と聖礼典(洗礼と聖餐)とが教会を、信仰者の群れとして教会たらしめること”(2件ともp.96)でありました。
 賛美歌が教会の賛美歌であれば、このことも賛美されなければならない訳です。「教会とはなにか」を示す賛美歌は、ルターの初期作品の一つとして一早く整えられ、歌われ始めました。それは「罪人はいかにして恵みに至るかについての、素晴らしくも霊的な歌」として知られるようになります。
 徳善氏はこの歌を、「信徒のための『教会の神学』、また教会論・キリスト論そのもの」と評しました。
 全10節の直訳は下記の通りです。(参考文献より引用)

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 この賛美歌に対する反響として、以下のようなものが紹介されています。
・1565年に“ある人”(原文ママ)が、著書『ダビデの詩編』の序文に書いた文章
 “ルターの小さな歌(タイトル省略)によって、これがなければルターの名前すら知らなかった何百という人々が信仰へと導かれたことを私は疑わない。ルターの貴重な言葉が彼らの心をとらえて、この真理に賛同するようになったのである。私の知る限りで、この歌ほど福音を広める助けになった歌はないと思っている”(p.103)

・各地でこの詩が紹介された際に付された曲名
 ①神の言い表すことのできない恵みと正しい信仰を告げるマルティン・ルター博士のキリスト教的な歌
 ②説教の前に歌う美しい福音の歌
 ③キリスト者の生全体を歌う歌
 ④いかにして罪人は恵みに至るかについての素晴らしい、霊的な歌
 ⑤神がキリストにあってわれわれに示してくださった最高の恵みの働きに対する感謝の歌
 特に①・③・⑤は、教会そのものを言い表しているようにも思えます。

 ルターはこの賛美歌を『ヴィッテンベルク賛美歌集』(1529/33)に収録する際。「カテキズム(=キリスト教教理)賛美歌」の項目に、しかも、三位一体の神に対する伝統的な信仰告白に基づく歌の直後に位置づけました。徳善氏は明言していませんが、この配置が「信仰告白に生きる教会」を表しているのは言うまでもないことでしょう。

 教会論や教会観は普遍的な部分が大半である一方、時代に即した内容も多少は生まれると思います。そういう意味で、教会に関する賛美歌も新たなものが生まれて行ってほしいと思います。

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