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旗を掲げる

宮若市公明市議会議員が母の病院に乗せてくと昨日、約束してくれてたのにそれを覆す

いいのかね

母は今回、壊滅的ダメージを受けたのです

それにあなたも加担してたのです

知っている人間なのです

責任を取るという人間を俺は二人知っている

牧梨菜と石井さんだ

この二人は本当にアホぐらい責任感があった

あり過ぎて血迷ったぐらいだ

でもこの頃の人間は責任を取れる人間は少なくなって来てます
責任が取れないとはリダーシップが取れる人間もいなくなって来ているという事だろう

ただ私たちみんなが悪かったとも言わない

何も言わないのが今の人間だ

どしようもない

私が悪かった自分が悪かったと名乗り出る人間が人間らしい本質を持った人格者だと思う

とりあえず、病院に行けなくなったので手紙をどうするか考えて病院に電話したら普通に住所を書いて患者の名前を書いて出してもらったら患者の元に届けてくれると言う事だったので助かりました

どのみちコロナで病院に行けても全面面会禁止だったので手紙の出し方がわかればそれで出せばいいだけです

なんか母が呼んでる声が聞こえてたので手紙を出しとけば母も落ち着くだろう

俺は自転車でコンビニまで直行したら状態変動で終わった

状態変動をどうすればいいか考えたけどこいつばかりはどうしようもない

対処の仕様が今のところないが本音

既に足が氷のように冷たい

この冷たさが先週ぐらいの風邪の原因

精神から飛んで身体に来る

今のコロナもそうです

もし自分の免疫力が落ちていれば感染しやすい

自分の中では感染症の類いは免疫力を上げると栄養があるものを食べるにつきる
でも精神状態の状態変動は免疫力を下げるのです
心が弱れば免疫力も下がります
今回の母のようにです

母は免疫力が下がった一過性の症状でしょう

具体的な説明は受けてはいませんが母のある程度の状態を病院のソーシャルワーカーに聞いて分析してみました

一番いいのは母と直接、対面して話を聞く事ですがコロナで面会禁止だし車も今はないからどのみち病院にアタック出来ません

ただ手紙が出せて俺はホッとしてます

手紙が届けば母も落ち着くかなっと想っています

ただ自分の状態は落ち着かないわけです

でもアドラーでいえばもう相手にしない方がいいのか?

宗像病院も宮若市行政ももう相手にしない方がいいのだろうか?
本当はその方がいいのだろうと思う

でもなんか相手がこっちに寄って来るのである

俺は知らぬ存ぜぬをしたいのに相手が寄って来る

もう何もしないでくれみたいな

何もしなければ俺も何もしないのである

やられるからやり返すのであってやらなければやり返さない

はっきり言ってめんどしい

人の状態に関与してきて既に自分の状態じゃ写真撮影は無理
そこまでされて黙る事もしたくない
でももう辞めてくれと言うのが本音

あなたたちの危害が俺を確実に潰しているが俺はもう持たないよ、だから俺はあなたたちを潰すしか仕方がなくなって来ている

やられるからやり返すのであってやらなければ俺も黙る

やられたまま黙っていたら爆発する

ならば自分で爆発させたい

でも俺の想いはこれ以上の危害を加えないでです

でも俺に危害を加えていると思えないのでしょう
想像性の欠如です

今の買いだめも想像性の欠如から来てます

その場で考えたら分かると思う

危険な修羅場が判断力を鈍らせるのでしょう

買いだめについては考える猶予はあるはずです

こう言う現象を見ると死ぬと言う事がどう捉えられているのかと思う
今が日常的じゃない非常的であるからの行動なのでしょう
ただ死ぬとは常に隣に居るからね
常に考えないだけ、だろうが死は常に隣に居る
俺の隣には死ぬはずっと居た
居たから考えた
結果まだ生きている
ただ人間不思議なもので自分の死を客観的に見れるのに家族や大切な人の死を考えるとやりきれない

父母が先に死ぬのは順番からいえば当たり前だけど父母の代わりに大切な人なら俺が代わりに死ぬと何故か俺は言えてしまうし言うのである

自分の死は冷静に捉えても他人の死を客観的にみられない自分はなんでだろうと思います

自分はおかしな思考パターンを持っていると思います

この自らの思考パターンを作り出したのも生死の思考だと思います

人生の中で生きると死ぬを繰り返し生きることになれば生き方の哲学も見た事もない、ありようになるかも知れません

コロナから垣間見えたのが人々は日常では死ぬを意識してないでした

基本的に死ぬを考えたらストレスですよ

死にたくないの行動が買いだめでしょう

でもその行動自体ストレスのはず

だってそこには誰かの為が絶対にあるからです
やっぱり誰かを死なせたくないはあるはずです

自分は小学生の頃から病院に行く事が多かったのです

病院には女性の看護婦さんしか居ませんでした
俺が今でも看護婦さんと呼ぶのも尊敬してたからです
この時代から自分はこれからは女性の時代が来ると想っていました
だから自分が取り入れた心理も女性の心理から見た視点は多く入っています

逆に女性心理を視点に見なかったら今の自分はなかったかも知れません

本当の意味、女性で面白いと思ったのは牧梨菜さんだけです

梨菜の心理だけはわからなかった

完敗でした

だからもっと俺は勉強すべきだと思う
この世にわからない事があるならばそれを解析すべきだと思う

梨菜の心理がわからなかったのならば、まだ梨菜には魅力があるわけです

ただずっと梨菜を追いかける訳も行きません

大局はどこに向かうのか?

このコロナとともに人がどこに向かうのかです

人間は永遠に生きられる訳じゃありません

いつかは死にます

そのいつかを考えられた訳です

自分あらゆる意味冷静です

だから生きている事に感謝します

ただ当たり前のように感謝している訳ではありません

礼には礼をつくせです

親切にされると親切で返せ

死ぬ事を考えるのを絶対的に嫌だと思わない方がいい
死ぬ事を考えた結果、生きる実感が更に湧く事にも繋がると思います

死を考えるのはストレスかも知れません
でも哲学的にみると死を語る哲学者は多く居たと思います
だって生きていればいずれは死ぬ
だから生きると死ぬを多くの哲学者は語って来たのでしょう

生きる死ぬは人間のテーマでしょう

自分はずっと問答してますが答えは出ません

自分は存在自体を生死に繋げているので答えを出すのは難しいし答えはまだ出ないと思います

今回も死にそうでなんだかんだ生きている

まだ繋がっている

答えが見えた時、死ぬんじゃないかと言うのが俺と石井さんとの対話でした

俺はどうこれから動くのか?

これからは自らの局面が動けば局面も動くだろう
だからストレスなんだよ
俺は俺で動きたいのになんで俺が動いたら局面が動くのか?
俺はただ写真がやれて音楽がやれればよかったのです

ただもうやれてません

グダグダはいい

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