辛さは簡単には消えない

当たり前のことだ。
人は楽しい記憶より辛い記憶の方が容易に思い出せるということを聞いたことがある。
なぜだろう。
辛い記憶より楽しい記憶を覚えている方が、人としての精神的にも安定を図れるはずだ。
ではなぜ現在の私たちは、辛い記憶を鮮明に思い出せるように進化してしまったのだろう。

考えれば簡単なこと。
2度と同じ危険にさらされないためだ。
辛い記憶をそのときの状況、経緯まで覚え、そのような場面にもう出くわさないためだ。

これはとても悲しいことだと思う。
僕はできることなら楽しい思い出だけで生きていきたい、辛いことはしばらくしたら忘れたい。
楽しいことをしている時にちょっとしたトリガーが引かれて、嫌な記憶がフラッシュバックするのは嫌だ。

ただ、僕たちは生きていかなきゃいけないのだ。
敵とも味方とも知らぬ大衆の中を、潜り抜けていかなければいけないのだ。
だからそのためにこの能力は必要なのだ。

ここからはすごく個人的な話になる。
ここまで読んでいただけた方、もう少しお付き合いいただきたい。

僕は、裏切られても裏切られてもそれでも人を完全に疑うことができない。
他人に、「なぜそんなにも人を信じるのか、自分が傷つくだけだぞ」と言われたことも幾度となくある。
理由はよくわからない。
ただ、疑うのはとても悲しいことだと思う。だから、信じたい。それだけ。

それでも、辛い記憶、裏切られたことが頭の中から消えているわけではない。
だから尚更辛い。
その人との今を信じて過ごしていても、過去が邪魔をする。
なにもないのに、僕はそこにいたくているのに、胸が押しつぶされていく。

『信じることは悲しいこと』
マカロニえんぴつ、「ブルーベリーナイツ」より

『信じ続けるしかないじゃないか』
SUPER BEAVER、「人として」より

これは僕の好きな曲たちの一節だ。
別々の曲ではあるが、この2つの歌詞が、僕の中で答えだ。

信じることなんて、無意味なことだと言えなくもない。人は簡単に裏切るし、その先に待つのは悲しみだ。

それでも、僕は信じ続けたい。
なぜなら、信じないということが嫌だからだ。悲しいからだ。信じれないのがとても虚しいからだ。信じ続けるしかないのだ。

辛い記憶が消えたわけでもなく、すべてを許したわけでもない。それでもあなたを信じたい。ただそれだけだ。