信頼

信じることほど保証のないものはないと思う。
それが大きな信頼であればあるほど。

人なんて裏切るものだ。
その人にとって利益のある方を選べば、裏切られる側ができるのも仕方のないことなのかもしれない。

それでも、皮肉なことに僕らは人を信じなければ生きていけない。
たとえ建前だとしても、信頼関係が成り立たないと世界にある様々な「社会」の中で活きていくことはできないだろう。

では人は、建前のため、社会のため、自分の業績のためだけに他人を信じるのだろうか。

いや、そんなはずはない。

僕たちは、自分のため、自分のエゴで人を信じることもできる(あえてできると表現する)

小さい頃、夏休みにプールに行って、その後駄菓子屋で200円そこらの豪遊をし、水風船で遊ぶ。
そんなことをした友達が何人かいた。
その時の僕たちには、建前も、社会も、当然業績なんてものは頭にはなかった。
考えていたのは、
いや、考えていたものなんてないに等しかったかもしれない。
あったのは、『楽しい』という感覚だけだった。(今思い返すと、その純真さに嫉妬すら抱く程だ。)

冬の寒い日に、手を繋いで寒さと暖かさを同時に共有しながら隣合わせで歩いてくれる人がいる。
その人と手を繋いでいる時、僕の頭の中にはなにがあるだろう。
負の感情が目まぐるしく回るこの世界の中で、大事な人と手を繋いでいる時は、そんなものは気にならなくなる。建前も、社会も、昨日自分がミスした仕事のことだって気にならなくな
る。
それが大事な人というものだと高校生の僕は思う。

少し話が逸れた。

この二つの例で僕がなにを言いたいか。

これこそが無償の信頼、そして無償の愛なのだ。
僕はそう思う。

人を信じること、愛することは、理想形を言えば無償であることが一番だ。
そこにはなにも考えなどない方がいい。
自らのエゴで、人を信じ、愛することだけできればとても素敵だ。

ただ、全部が全部そうはいかないのもこの世の中である。

だから僕は、数少ない、だけども限りなく大きい、無償の信頼、無償の愛を、大切にしたいと思う。

それが大きな信頼や愛であるほど、砕けてしまったとき、辛いんだろう。
でもそれでいい。

これからの人生、たくさん裏切られるし、時には裏切ることもあるだろう。

だけどそれでいい。
無償の信頼や愛を、そうやって探していこう。