「諦めること」と「やめること」

この二つの違いについて話していきたい。

人生において、諦める、ということはあまりしたくないと思う。なぜならそれは、「まだ続けたい」からだ。
まだ継続したくて、それが今途絶えたら後悔を伴うからだ。

では、やめる、ならどうだろう。
そう、自主的に、自分がやめたくてやめるのだ。
やめることは簡単だ。
なぜなら自分がやめることに納得していて、そこにマイナスの感情はあまり発生していないからだ。

ここの線引きは非常に大事だ。
なにか物事を中断するときに、「諦めた」のか、それとも「やめた」のか、

それによって失うもの、得るものが大きく変わってくるはずだ。

諦めたら、後悔が残る。
やめたら、潔く次に進める。

結局は自分の思うようにできれば一番という話になってしまうのだが、そう甘くはないのがこの世界である。

僕は、諦めることに何かと理由をつけて、やめたことにしてしまう。
これはよくないことだとわかっている。
なんにしても、悪いことを正当化することはよくない。

ただ、そうでもしないと生きていけないのだ。
叶わないことなんて世の中たくさんある。
それを全て諦めたことにしたら、精神がもたない。

だから僕は「諦めた」を「やめた」にすり替えてしまうことが多々ある。

傷つかないための手段だ。
生きていくためのスキルなのだ。

今回はネガティブな内容になってしまった。
希望が一切ない文章は嫌なので、少しの光(僕だけにしかわからないのかもしれないが、)を最後に残そうと思う。

いくらすり替えたつもりになっても、諦めたものはずっと心に残る。
だからこそ、人は次の希望を求めるのだ。