【読書ノート】思考の整理学

言わずと知れた名著で、一冊目はこの本について書くと決めていた。
思考の体力の付け方、情報の集め方、メタ的な分析の仕方、何より考えることの楽しさを教えてくれる素敵な一冊だった。
文章の粗さもあり、語りたい点が多すぎるが簡単に思うままに書いてみる。

現代が、知識と思考の境界が曖昧になりAIと人類が共存していくことを考える上で、定期的に読み返したい一冊であり、どの章を取っても読み応えがある本になっている。

言葉の慣性
慣性については、単語と文章という形で注目している。この体験は自分の人生を振り返ると確かにあったなという体験だった。

特に、近年は自分の専門領域を調べる時、とりあえず読み進める、全体を把握するということをやるのだがとにかく1回目で理解できることはほぼ無い。
それでも分かる箇所を辿りに、拙い形で知識を補う事でなんとか膨らませて我武者羅に走りきるとふと意味が落ちることが多い。

これが、知識が単発の状態から繋がりを持った瞬間だと感じられる。
その際、時間に追われている時や、脳に詰め込む物が多い時は消化しきれた感覚が無いので、出来るだけ両手を空け、何も考えさせない状態を作るという事の大切さを実感する。
果報は寝て待てと言う諺は、先人達のこういった体験を表しているのだなと納得するとともに、経験則的に一つのセンテンスにまとめ上げるセンスは是非見習いたい。

朝の頭と夜の頭
おんなじテーマについて考えるとき、朝考える時と夜考える時で結論が少し違うことがある。
夜した決断に対して、多少の後悔を感じたり、朝になって大した悩みでなかったと感じることは多い。

寝ている間に頭の自浄作用で本来自分にとっていらない情報が削ぎ落とされ、発酵される結果なのかなと思う。

日頃過ごす中で、どれだけ現代人がノイズデータに晒されているのかがよく分かる例だと思う。

最後に、一番身に沁みたのは友人との各々の知見の深い分野で議論することで新たな化学反応が起きる。思考に個性が出てくるという点だった。
これは社会人になるにつれて失う特殊性で、大学、仕事の関係となると同じ専門分野に携わる人間が集まることがネックになってくる。

そうなると、異なるバックグラウンドを抱えた人間が集まるコミュニティにて関わる知人から学ばせてもらうことは多い。
AIや、ネットで大抵のことは解決出来る選択肢が増えた今だからこそ知識を知識として終わらせないためにお互いに異なる価値観の視点から互いの専門性を再度眺める時間が現代には必要なのかもしれない。

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