『ペンギン・ハイウェイ』感想

ペンギン・ハイウェイ』、やっと見てきたので手短に感想。

レビューが真っ二つに分かれてる。悪い方は「意味がわからない」だの「おっぱいばっかり」だの「森見っぽくない」だのとさんざんだが、いい方は「さわやか」とか「懐かしい」とか「いとしい」とか絶賛。個人的には後者。

実のところ、ポスターとかのキービジュアルでずきゅーんと来ちゃったのだが、見てみてさらに大興奮。飛び出すペンギン。転がるペンギン。迸るペンギン。疾走するペンギン。ペンギンの氾濫。ペンギンの奔流。ペンギン大増殖。ペンギン大活躍。ペンギンかわいいよペンギン。

ちなみに「ペンギン・ハイウェイ」は本来こういうものを指すのだが、これ見ちゃうと脳内のイメージが置き換わっちゃう。


いや実際、ペンギンがこれだけ活躍する映画は『ハッピーフィート』か『イナズマイレブン』かって話で、学生の頃タキシード・サムのマスコットを鞄につけてたくらいにはペンギン好きだった身にはある種の至福。ペンギンを出せるお姉さんなんて、主人公アオヤマ君ならずともあこがれてしまうではないか。

原作は森見登美彦の小説。第31回日本SF大賞をとっている。若干ファンタジー色入ってるから、「わからない」といいたくなるのはわからないでもないが、ちょっとわかりやすさを求めすぎだろう。というかペンギンや「海」がある種のメタファーであることぐらいわかるだろうに。乳離れしてまだそうたってない少年の、まだ自身で気づいていない恋愛感情の象徴である「おっぱい」を性の商品化とかどこまで心が汚れてるんだと(そうなっちゃう事情もわかるけど)。舞台が京都じゃないから「森見っぽくない」ってもう頭がくらくらするね。何それ。

まあ悪態はこのへんにして。

端的にいえば、これは少年視点の新たな世界との出会いと別れと成長の物語ということになろう。ジュブナイルSFファンタジーといったところか。主人公アオヤマ君についてもそのやや特殊な性格や行動で好き嫌いが分かれるようだが、観察、記録、分析、仮説構築と検証といった「研究」に向き合う態度は好感がもてる。さらによいのは、答えを教えるのではなく謎かけと考えるヒントと励ましをくれるアオヤマ君のお父さん。「世界の果ては折りたたまれて世界の内側にもぐりこんでいるかもしれない」って袋を裏返してみせるシーンはちょっとぐっときた。

他の登場人物もよい。共同研究者であるウチダ君やハマモトさんもりっぱに「研究者」だし、アオヤマ君にいじわるしたスズキ君も終盤にはちゃんと反省して仲間となり大活躍する。ライトノベルによくある、本人は無気力なのにまわりが勝手に都合よく盛り上げてくれる類の胸糞悪いキャラクターがいない。みんな自分で考えて行動するさまが実に爽快。

最後にアオヤマ君がたどりついた「結論」は、いってみれば「人が生きる意味は何か」といった哲学的な問いに対する考えのようなものだろうが、実にSFっぽい。

世界の果てに通じている道はペンギン・ハイウェイである。その道をたどっていけば、もう一度お姉さんに会うことができるとぼくは信じるものだ。これは仮説ではない。個人的な信念である。

原作小説は読んでないが、割に忠実に映像化してるそうなので、だとしたら原作は実に映像化向きだったのだろう。というか映像を見て初めて「ああこうだったのか」とわかる部分がけっこう多いのではなかろうか。夏の青空は見ていて気持ちがいい(映画館の中だと暑くないし)ので映画館で見る意味は大きい。

ということで、お勧め。


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