短編『トムジの木』 【前編】
去年の大型台風の影響で少し東に傾いだ電波塔の、
麓に建つ町内会の寄合にそのポスターが貼り出されたのは3日前だった。
特段田舎という訳では無いが、かといって都会では決して無い。
全国に誇れる特産品も無ければ、観光出来るような名所も無い。
そんな盤上町に来年、県内一の敷地面積を有する自然公園が出来るというものであり、
その知らせが駆けてからというもの、町はどことなく浮き足立っていた。
孝志の通う農業高校の端までこの情報が行き届くには、
人口数千人のこの町では3日もあると十分だった。
「自然公園なんて何処に出来るのさ」
「第二小の廃校舎取り壊して作るってよ」
「あぁ、去年火事で焼けちゃったやつ」
「そうそう。市長が一期生だから取り壊し渋ってたらしいけど」
「何それ。あんな丸焦げの建物残してても意味ないのに」
「どうせだったらボーリングとかカラオケとか全部入ってるようなでっかい施設がよかったなぁ」
「でもあんた沖縄に就職決まったから何が出来ても結局来れないじゃん」
「確かにそうだけどさぁ」
「あれ、公園ていつ出来んだっけ?」
「来年の4月って聞いたよ」
「うん、あと半年くらい」
「じゃあ地元残る奴らしか行けないね」
「地元残ってても行かないよ公園なんて。小学生じゃないんだから」
傍で作業の手を止め話し込むクラスメイトを他所目に、
孝志は家畜運搬トラックの幌を絶えずデッキブラシで磨き続けている。
牛糞や尿、吐瀉物が染み付いて鉄の赤錆の如くこびり付き、
いくら磨こうとも虎馬のようにしがみつくそれを落とす作業は、
週末二連休の訪れを告げる金曜最後の作業でもあった。
3年使い続け穴だらけの作業着は、
落とす事を早々に諦めた獣と肥料の痺れる臭いを纏っている。
作業量に比例するユニフォーム汚れの差に
些か腹が立った時期はもうとっくに過ぎていたし、
無論誰かに押し付けられてこの作業を嫌々行っている訳ではなかった。
孝志は只管祖母の教えを守っていたのだ。
祖母は孝志にとって全てだった。
夫(孝志の祖父にあたる人物)は第二次世界大戦後も戦傷が中々快方に向かわず入退院を繰り返していたが、
それが原因で精神を病み、孝志の母が生まれる2ヶ月前に自ら命を絶ってしまった。
祖母は一人で娘を産み、そして一人で育て上げた。我が子に貧しい思いをさせられないからと作った借金は大きく膨れ上がった。
それでも強く育て上げた娘は28の歳に結婚し、2年後孝志を産む。
祖母は大いに喜んだ。最愛の一人娘が、誰かの未来の掛橋になったのだ。
この瞬間の為に今まで生きてきたとさえ思えた。
二駅先にある前年オープンしたばかりの百貨店で、飲めもしないのに地酒を買い、仏壇の夫と呑み交わした。血反吐にまみれた努力がようやく実った、そう心から感謝した。
しかしそれも束の間、商社マンだった孝志の父は早々に女を作り、母を置いて出て行ってしまった。
そしてほぼ時を同じくして、母は飲酒運転の若者に轢かれ亡くなった。孝志が4歳の時だった。
祖母は絶望した。全身を満たしていた温もりが指先から溢れていく。
何にも変え難い幸せを感じた期間は僅かで終わった。
しかしそれと同時に生まれた確固たる感情は、新たな決意だった。
──私が孝志を育てる。
それはあらゆる怒りを全て屈折したエネルギーに捩じ伏せ、自然と動脈に滾り流れた鋼鉄の感情だった。
逃げた旦那から毎月振り込まれる何故か此方が手数料持ちの養育費と、
飲酒運転の若者から毎月振り込まれる約束より半分程度しかない慰謝料は、
自身の借金返済に当てた。
遺族年金は雀の涙程だった為、既に定年退職していた洋裁工場の再雇用制度を利用した内職で糊口を凌いだ。
学資保険と、本人がやりたいと希望した水泳教室の月謝の為に、スーパーのパートも掛け持ちした。
自分が犠牲にさえなれば、必ず幸せに出来る命がある。
そう念じて、体調を何度も崩しながら2度目の子育てに全てを捧げていた。
そんな祖母に、孝志は18になる今の今迄14年間育ててもらったのだ。
祖母は、孝志が小学校低学年の頃から「誰もやりたがらない格好悪い事をやる格好良さに気付きなさい」と口酸っぱく教えていた。
この世は、誰かが嫌な思いをして、誰かが我慢をしてくれているお陰で、沢山の人間が気持ち良く生活出来ている。
それを忘れるな、と孝志に叩き込んでいた。
格好つける事が一番格好悪い。
ヒーローやスターが悪いとは言わないが、目立たずともそれを陰ながら支える人間にも同じ位の格好良さがあると、小学生には非常に不本意な視点での教育を徹底した。
その祖母の教えを忠実に守っていたのだ。
孝志にとって、祖母は自分の全てだったからだ。
クラスメイトに遠目に笑われようが孝志は頓着など無かった。
家畜の糞尿に塗れた幌の清掃など勿論誰もやりたがらない。
休みは何処に遊びに行くだの、流行りのアイドルがどうだの、
今週がたまたま”来年自然公園がオープンする”というホットな話題があっただけで、
彼らには決まってそういう代わり映えとゴールの無い議論をする時間となっていた。
今、その祖母は肺を悪くし入退院を繰り返している。
週末に1、2日だけ帰宅した際は、孝志が祖母の好きな酢豚を手作りで振る舞っていた。
それはテスト前だろうが友人との約束があろうが関係無かった。
そして足が悪い祖母の車椅子を押しながら、学校での他愛の無いあれこれを話しながら散歩する。それが祖母が帰宅した際の日課だった。
孝志がいつもの様に寄り道一つせず帰宅すると、祖母は既に帰宅していた。
いつも病院からヘルパーさんがミニバスで送迎してくれるのだった。
「孝志、おかえり」
「フジちゃんただいま。体調は?」
「ボチボチよ。孝志はどうだい」
「俺は元気だよ。でもいつもの掃除が今日は多くてちょっと疲れたかな」
大村富二(おおむらふじ)。それが孝志の祖母の名前だ。
孝志は母が亡くなる前から祖母の事を”フジちゃん”と呼んでいて、その名残で未だその愛称で呼んでいる。フジちゃん自身もその名を甚く気に入っていた。
判で押した様な挨拶の奥に、何か話したげな表情を潜ませているのを孝志は感じ取っていたた。
フジちゃんが一枚の紙を持っていたからだ。
「今日ヘルパーさんから貰ったんだけどね、孝志これ知ってるかい?」
それは来年出来るという自然公園のチラシだった。
「あぁ、もう知ってるよ。皆が話してた」
「そうかいそうかい。良いねぇ、こんな大きい公園が近くに出来るなんて」
「完成したら、一緒に連れてくよ」
「あら嬉しい。それまで長生きしなくっちゃ」
「もうすぐ死ぬみたいに言わないでよ」
フジちゃんは口を大きく開けて、ガハハと大声で笑った。
孝志はフジちゃんの大きな笑い声が大好きだった。
それを聞いて孝志も釣られて笑う。
孝志にとってもフジちゃんにとっても、こういう他愛も無い会話が紛れもなく幸せだった。フジちゃんがチラシを見ながら続ける。
「裏面のキャンペーンも凄いね」
「・・・キャンペーン?」
的を射ない孝志の表情で察した祖母は、そのチラシの裏面を見せて来た。
【『名入りの植樹』寄付大募集!】
今風に斜めにレタリングされた文字が大きくプリントされていた。
「植樹?寄付?」
孝志は聞き返した。
「幾らか寄付をするとね、『この木は◯◯さんの寄付によって植樹されました』って自分の名前が入ったプレートを、植樹された木に付けて貰えるんだって」
「なるほど!面白いね」
「寄付は5万円コースと10万円コースがあって、高い寄付をした方がより目立つ太い木に名入りプレートが付くみたい。植樹の場所は指定出来ず抽選だって。やる人いるのかしら、こんなに高い寄付」
「5万と10万・・・」
高校生にとって余りの高額に、反射で拒否反応が出そうな所を飲み込んだ。
凄く良い試みだと思ったからだ。町民全体で公園を作り上げるという試みへの賛成の気持ちも勿論多分に有ったが、同時にフジちゃんが偶に零す言葉が脳裏を過ったからだった。
フジちゃんは寝る前になると偶に「死に物狂いで生きたんだから、何か一つ位、生きた証みたいな物を残したいものね」と叶わない理想の様な口ぶりで零していたのだ。
孝志が都内の農協に就職が決まってからというもの、2度目の子育てが一段落した安堵と、やり切った達成感から自身の最後の身の振り方を口にするようになった。先の言葉を口にする回数も増えていた。
孝志は力になれると咄嗟に思ったのだ。
「俺、フジちゃんの名前で寄付するよ」
「え!?」
フジちゃんは驚いた様で目を丸くしていた。
「フジちゃん日頃から言ってたろ、『何か生きた証を残したい』って。
自分の名前が入った木を、自分が育った故郷の公園に植える。凄く良いと思わない?」
「良いと思うけど・・でも孝志、あんたお金が・・」
「就職が決まってから、日雇いのバイトで稼いだお金があるから」
「でもそれは東京での新生活の為のお金でしょう?」
「いいよいいよ。今流行ってるミスチルって新人バンドのコンサート行くお金も一緒に貯めてて、そっから崩すから」
「趣味のお金まで崩さないでいいのよ、本当に!」
「大丈夫だから心配しないで。でも少ない方の5万にはなっちゃうけど」
「でも・・・」
翌日孝志は、郵便局で申し込み書の郵送と5万円の振り込みをした。
桁が一つ減った通帳を見て溜息が出たが、すぐにフジちゃんの遠慮がちに喜ぶ眼差しを想像して顔が綻んだ。
「何一人で笑ってんのよ、気持ち悪い」
冷め切った捨て台詞が背筋を刺したので振り返ると、幼馴染の梨子だった。
中学時代、孝志と梨子は幼馴染以上の関係だった。
地元の盤上西中学まで一緒だったが、彼女は県内一の進学校に行った為、高校進学を期に疎遠になり、終いに関係は空中分解していた。
彼女は冷徹な言葉とは裏腹に、3年振りに会う孝志と近況を話したい風だったが、それは元恋人という拗れた関係だからと言うよりは、幼馴染としての純粋な関心だった。
孝志は全身に染み付いている獣と糞尿の激臭を気にして足早に去ろうとしたが、梨子はそれを呼び止めて手短に聞いた。
「地元?県外?」
「東京」
「私も。大学?」
「いや、就職」
「ふうん」
その程度だった。誰が話すでもなく、会話としては余りに不自然な空白が空いたので、孝志は帰る方向に体を向き直った。
「ちょっと待って」
梨子が孝志を呼び止める。カバンからメモを出し、それに何やら殴り書きをして孝志に渡した。
孝志が紙を覗くとあったのは数字の羅列だった。
「ポケベルの番号」
そう言い残して梨子の方から行ってしまった。
孝志は一応財布にしまっておいた。
12月。センター試験迄一ヶ月を切り、受験戦争の佳境を迎えていた。
クラスの1/3程は既に就職を決め、1/3は専門学校の入学を決め、残りの1/3が大学進学を目指し奮闘している。進路の決まった人間の安堵感と、そうで無い人間の張り詰めた緊迫感で、教室の空気は二分していた。銀杏を枯らした北颪が窓を叩く季節も、昨今インフルエンザが強烈に猛威を奮っている所為で、換気のため常にそれを半開きにしていなければならなかった。
女子生徒は制服のブレザーの下にバレない様に大量に着込んでいる。男子生徒まで膝掛けで足を温めている。部活の引退から半年程経ち、剥き出しの坊主頭が居ないのは不幸中の幸いだった。
担任が朝礼の為に入ってきた。バタバタとノートを閉じる音と、起立で椅子を引く金属とも木とも言えない音が不協に混じり合い、ずっと鳴っていた高い隙間風の音を掻き消す。
惰性の挨拶を済ませ着席するなり、担任は口を開いた。
「もう既に進路が決まった人間に、ボランティアのお願いだ」
水を打ったように静まり返った。この後説明される内容をよく聞く為では無い。
もう進路も決まり高校には用が無くなった、後は最後に今までの分遊んで思い出作りだという層にとっては、ボランティア等面倒事でしか無かった。巻き込まれたく無いとの一心で、目立たない様に生気を鎮め忍んでいたのだ。
「このボランティアというのは、皆も知っていると思うが来年4月に出来る自然公園、そこの植樹の手伝いだ。農業高校として市役所から直々にお願いが来た」
予想通り面倒事が来たと受験メンバー以外は下を向いた。
担任も大方予想していた様で、気にせず概要を話し出す。
「何やら市民からの寄付金で購入した木の植樹らしい。100本植えるそうだ。
勿論地元の植木会社の職人がサポートしてくれるから、心配はいらないぞ。
今週土曜日の午前10時からで、人数は問わない。出来るだけ多くの人数が居るとありがたいそうだ。
まだ完成前の自然公園に先に入れるチャンスだぞ。市内報にも載るらしいからな。希望者は明日までに先生に言うように」
そう言って教室から早々に出て行った。
教室中が堰を切った様に不平で溢れる。
「誰が行くんだよそんなの」
「金貰えないんなら行く意味ないし」
「やっと進学も決まって遊ぼうって時期の土曜に、わざわざ木なんか植えに行かねーよ」
「100本?あほくさ」
「行く奴暇人すぎるだろ」
「友達いないんじゃね」
「大体木ごときに寄付する奴が頭おかしい」
「お前それ農業高校の人間が言うセリフじゃねえだろ!」
教室の後ろの方で屯した、まだ中学感覚を引きずった吹き溜まりがゲラゲラ笑っている。
受験勉強に精を出す者、就職が決まり自身の資格勉強をする者、読み溜めていた読書に勤しむ者は決まって相手にしていなかった。そのオーディエンスの連れなさに反発する様に、吹き溜まりの騒ぎは勢いを増したが、もう誰も見向き等していなかった。
孝志もその一部だった。彼らの喚き散らしはいつからか、窓の外を行き交う車両の音と同化して、耳に入っても気にならない只の環境音になっていた。
フジちゃんの名で寄付した木を、自分で植えられる。
フジちゃんの名前が入ったプレートも、自分で。
孝志はこんな幸運他に無いと、心で参加を即決していた。
同じく東京で就職を決めた友達の祐介を誘うと、彼も参加を快諾した。
最終的には3クラスある学年で、21人がボランティア参加を決め、
イベントを統括する学年主任はある程度の手応えを感じていた。
土曜日。ボランティア当日。
一度高校に集合し、先生の運転するハイエース2台に分かれて自然公園に向かった。
全員ジャージを着て車にぎゅうぎゅう詰めになり運ばれる様は、高校入学当初に学年全員仲良くなる目的で連れていかれた遠足を思い出させた。たった2年なのに皆も自分も成長したなぁと孝志は親目線の様な感傷に浸っていた。祐介は早々に酔いでリタイアし窓にもたれ掛かり寝ている。
20分もしない内に目的地の自然公園に到着した。
噂通り、盤上第二小学校の廃校舎の場所に間違いなかった。
孝志は盤上第二小学校の卒業生ではあったが、孝志が入学する少し前に別の場所に出来た新校舎の方に通っていた。その為この廃校舎の方には何の思い出も無かったが、何度か閉鎖した運動場に忍び込んではサッカーをしていた為、そこだけは多少の思い入れがあった。
敷地は外周を白の鋼板で仮囲いされ、外からは中が全く見えない様になっていた。入り口には「盤上自然公園(仮)建設地」というハリボテの看板が立て掛けられている。看板の余白には、全く人気の無い市のマスコットキャラクターの鳥が、工事中の帽子を被ってお辞儀するイラストが申し訳程度に描かれている。
工事用車両が出入りする巨大な目隠しの蛇腹を抜けると、真冬ということもあり寒々しい枝の木々が一面に広がる、驚くほど広大な土地が姿を現した。
車内で修学旅行の様な歓声が湧き上がった。祐介はその声に驚いて目を覚ましていた。
オープンまで4ヶ月もあり、そして緑こそ纏っていないが、孝志の目には8割方完成しているように映った。
元々運動場があった場所には大きな池が出来ていた。孝志らを乗せたハイエースが敷地に入って来た瞬間、
ちょうど池で青鷺が魚を狩り、飛び立っては元々ナイターがあった場所に立つ巨大なクヌギの木の天辺に立ち構えた。それにカラスの集団が襲いかかる。たまらず魚を放り出し青鷺は北の空に飛び去ってしまった。落とした魚にカラスが群がっている。
それを菖蒲の葉の不安定な先端に座して翡翠(カワセミ)が傍観している。
一瞬の弱肉強食。目の前で巻き起こる命の摂理。しがない町の真ん中でまざまざと見せつけられる圧倒的な自然に、孝志は息を呑むしかなかった。
暫くすると車は駐車場に停まった。車を降りてもう一台に乗っていたメンバーと合流すると、集合場所に指定されていた『森の時計台』へ向かって歩いた。
高低入り混じる草木に挟まれた、池のほとりの遊歩道を進む。工事途中だろうか所々まだ地面に敷板が広がっていた。道の向こうでは作業着を着た人々が芝を養生する作業をしている。50cm四方位の芝を隙間無く敷いては、ローラーがその上を踏み固めていた。
所々1m弱位の穴が点在していたが、そこにおそらく植樹するのだろうと誰かが言い、孝志は納得した。
深紅の実を付けた南天が両脇を彩る、蛇行した散歩コースを行くと、森の時計台へ着いた。
そこには孝志らのそれとは別のジャージを着た、30人程度の人だかりがいた。
隣町の農業高校だった。普段から孝志らの高校と犬猿の関係にあると噂されている高校だ。実際不良グループ同士が抗争してトラブルを起こし、全校集会が開かれたこともあった。
だが、今回のこのボランティアに参加する様な、至極真面目な層の生徒達には関係無かった。すぐに両校共どちらからとも無く挨拶した。中学時代の同級生を見つけた女子生徒が歓喜の声を上げ抱き合い、それを周りが微笑ましく見ている。そこには”抗争”等という荒々しく幼稚な言葉は微塵も無かった。
公園整備課の腕章を付けた市役所職員が、時計台の下の小高く積まれたブロックの上に立ち、今日の作業の説明を行った。
市内報のカメラマンも2、3人来ていて、説明する職員や我々の集りを左から右から撮っている。
孝志らの高校は駐車場や池があった公園の西側を担当し、
東側半分を、向こうの農業高校が担当することになった。
担任の説明では100本植樹するという話だったが、二校でこの100本を分担する為、50本
ずつの作業という事だった。
相手高校と先ず分かれ、そして更に自分達も二手に分かれろとの事だったので、乗って来たハイエースの1号車グループと2号車グループに分かれた。
孝志らには、西尾さんという造園業の作業員が担当に付いた。この農業高校の卒業生という事で抜擢されたらしい。孝志らよりも20期も上だった。共通の先生の話は出来なかった。
作業は楽だった。植樹といっても、西尾さんや他の作業員がクレーンで木を吊るし穴まで運び、生徒がスコップで土を掛けて根を埋める。そして最後に、寄付者の名前が書かれた看板の様な形のプレートを地面に打ちつける。ただそれだけだった。
孝志がこのボランテイアに参加した目的は一つ。それはフジちゃんの木を自ら植え、そして自らプレートを打ち込む事だった。
誰の木を何処に植えるかはランダムであったが、あわよくば目立つ箇所に植えられたら、と考えていた。
近所の弁当屋の冷めた焼売弁当が配られた12時の休憩を挟み、14時前には全ての植樹作業が終わった。夕方迄かかるかもという担任の話も杞憂に終わり、皆少し拍子抜けした様だった。
ただ孝志は残念がっていた。「大村富二」の名前が入ったプレートが無かったからだ。
おそらくもう一方の高校側にあったのだろう。見に行こうとも考えたが、引率の学年主任が娘の習い事の送り迎えがあるとあからさまに帰りたがっていた為、見に行くことは叶わなかった。
帰りの車内でも孝志は心残りに思っていたが、オープンしたら一緒に来れる訳だしまぁいいかと溜飲を下げ、また窓にもたれ青ざめて寝ている祐介の肩にもたれ目を閉じた。
今週は、フジちゃんは家に帰って来ていなかった。
肺の調子が悪く、大事をとっての事だった。勿論植樹の話は出来ていない。
学校に降ろされそこで解散となった為、孝志はその足で入院している病院に向かった。
電車を乗り継いで15分程の大学病院だ。今迄も何度か訪れていたので、入院している部屋までの勝手は体に染み付いていた。
「フジちゃん?」
孝志が呟きながら4人個室に入ると、フジちゃんはミシンで作業をしていた。最近耳も遠くなって来た所為もあり、テレビを大音量で流している。ミシンの音とテレビの音とが混ざって分厚い壁を作り、孝志の声を跳ね返していた。時折濁った小さな咳を繰り返している。
半開きのカーテンからいきなり顔を覗かせてみると、フジちゃんは喜びより驚きが勝ったようで手元が狂い、「あぁあぁ」と零しながら一頻り修正してからミシンの電源を落とした。
「孝志元気かい?いきなりで驚いた」
「ごめんね急に来ちゃって。ていうか入院してる時くらい仕事休んでよ」
「服作りが趣味みたいなもんだからいいのよ。それより孝志どうしたんだい」
孝志は今日の出来事の顛末を説明した。
ボランティアに参加した事。皆集まっての移動が遠足みたいで楽しかった事。そこで寄付の植樹をした事。でもフジちゃんの名前のプレートには当たらなかった事。
フジちゃんは孝志が差し入れた海老味のおかきを食べながら嬉しそうに聞いていた。
「そうかい。残念だったねぇ。でも4月に公園がオープンしたら見れる訳だから。気長に待とう」
「そうだね。ゴールデンウィークか夏休みにでも帰省するから、その時一緒に行こうね」
「じゃあそれまで死ねないわね」
「だからその冗談やめてよ、縁起でもない」
いつもの様に大きく口を開け、いつも様にの大きい声で笑った。
こういう冗談は元気だからこそ言える。それをわかっている孝志は毎回却って安心するのだった。
『トムジの木』【中編】に続く
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